Game of Vampire 作:のみみず@白月
「んん……そうね、難しい問題ね。」
ううむ、まさかこんな相談が飛び出てくるとは思わなかったぞ。沈んだ表情で紅茶を飲む咲夜を前に、アリス・マーガトロイドは腕を組んで悩んでいた。人外と人間の倫理観の違いか。私も若い頃に悩んだ覚えのある問題だな。
三月末に始まったイースター休暇の後半。先日受け取った魔理沙からの助言に従って、咲夜を教員塔の自室に呼び出してみたのだ。そこで慎重に話を聞いてみた結果、『人間であるヴェイユ家の実娘』と『人外であるスカーレット家の義娘』の間で悩んでいることを打ち明けられたのである。
しかし、情けないぞ。倫理や道徳の差異に苦悩するのは私だって通ってきた道なんだから、気付いて然るべき問題だったのに。……魔理沙がリーゼ様じゃなく私に話を持ちかけてきたのにも納得だな。咲夜はどうやら自分の悩みを申し訳なく思っているようだし、リーゼ様やレミリアさんには話せないだろう。尤も、あの二人は相談されても怒ったりしないだろうが。大慌てで『家族会議』を開くに違いない。
容易に想像できる吸血鬼たちの反応を頭に描いていると、咲夜がおずおずと補足を述べてきた。いかんいかん、こんなことを考えてる場合じゃないな。
「あのね、別に悩んでるってほどでもない……と思うの。ただ、ちょっとだけ申し訳ないかなって。お父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、凄く良い『人間』だったみたいだから。」
「まあ、気持ちは分かるわ。私もテッサに伝えられなかったことがいくつかあるし、それを後ろめたいと思ったことも一度や二度じゃないもの。リーゼ様との考え方の違いに戸惑ったりもしたしね。」
「アリスはどうやって決着を付けたの?」
「んー……正直に言うと付けてないわ。今でも昔の思い出話とかを聞くとちょっと引いちゃうし、さすがに擁護できないなぁなんて思うことだって沢山あるわよ。」
吸血鬼たちの語る『やんちゃ時代』の逸話は、人間の感性で言うと極悪と断言できるものが多い。だから魔女になった後でもそういう話を聞くと顔を引きつらせてしまうのだ。『人間ミックスジュース』なんかは聞いた後で少し具合が悪くなってしまったぞ。
私の本心を知って驚いた顔になる咲夜に、椅子の背凭れに寄り掛かって続きを語る。柔らかい苦笑を浮かべながらだ。
「だけど、私も貴女と一緒でリーゼ様が好きなのよ。そんな逸話じゃもう揺るがないくらいにね。だからまあ……要するに、どうしようもないんじゃないかしら。貴女が人間として生まれた以上、人外的な部分が受け入れ難いと思っちゃうのは当然なんじゃない?」
「でも、それはダメなことだよ。お嬢様方に対して失礼だし、お父さんやお母さんに対しても……何て言うか、不義理なことだと思う。このままじゃどっち付かずでしょ?」
「それで良いのよ。パチュリーも私も魔女でしょう? 魔女ってのは正に『どっち付かず』な存在なの。人間だけど、人外。両方の道から外れていて、尚且つ両方の道に足を置いているって感じかしら。二つの境界を跨いで立ってるわけね。」
「……私は魔女じゃないよ? パチュリー様もアリスも魔女だからそれで許されるかもしれないけど、私は単なる人間だもん。」
うーむ、『許される』か。責任感が強すぎる子に育っちゃったな。しっかりしているを通り越して心配になってくるぞ。そのことに内心で頭を抱えながら、咲夜の瞳を覗き込んで口を開く。やや薄めの透き通った青。理知的で正義感が強かったアレックスの瞳だ。
「これは私が紅魔館の吸血鬼たちから学んだことの一つなんだけど、善悪の判断をするのはあくまで自分自身なの。許すも許さないもないわ。……もちろん社会的善悪や種族的な倫理観は存在するでしょうし、それはある程度尊重すべきだと思うけどね。それでもやっぱり最後に決定するのは主観者たる自分なのよ。」
「じゃあ例えば、人を殺しまくるのが良いことだと思ったらやるべきってこと?」
「実際にグリンデルバルドはやったし、レミリアさんもやったでしょう? あの二人にとっては目的じゃなくて過程だったわけだけど。」
そして、リドルもやった。それは口に出さなかった私へと、咲夜は困惑の顔付きで反論を飛ばしてくる。
「だってそれは戦争だったり、相手が悪い魔法使いだったからでしょ? ……つまりその、社会的に悪いって意味ね。」
「それが真理よ。結局のところ、善悪なんてのはその程度のあやふやさしか持ってないわけ。貴女が両親に対して申し訳なく思う日が来るとすれば、それは自分が思う『悪いこと』をした時よ。紅魔館で働くことが悪いことだと思う?」
「思わない、けど……そういうことなの? なんか違う気がするよ?」
分かり易く疑問符を浮かべている咲夜の質問を受けて、人形に紅茶のお代わりを注いでもらいながら話を進めた。咲夜も立派に思春期に突入だな。こういう明確な答えのない悩みを持ち始めたのがその証左だろう。ここは『パチュリー式』で問題を整理してみるか。
「大前提として、個々を重視する人外と全体を重視する人間との倫理観がかけ離れていることを念頭に置くべきね。である以上、人間であるアレックスやコゼットの倫理観と、吸血鬼であるリーゼ様やレミリアさんの倫理観もまた同一ではない。ここまでは同意できる?」
「ん、出来る。」
「ここで問題になってくるのが貴女や私、パチュリーなんかの立場よ。二つの種族の狭間で育った私たちの倫理観もまた、どちらとも少し違ったものになっちゃうわけ。……パチュリーはまあ、人格形成が終わってから魔女になったんだけどね。一番深い関わりを持ったのがリーゼ様なあたりが影響してるんだと思うわ。そこはどう? 納得できる?」
「出来る……と思う。」
むむむと悩みながら首肯した咲夜に、くすりと微笑んで結論を語る。可愛いもんだな。
「だから、考えても答えは出ないの。人間にも人外にもなりきれない私たちは、私たちなりの倫理観を作っていくしかないのよ。貴女はそれがアレックスやコゼットのものと反することや、もしくはリーゼ様たちと違ったものになることを気にしてるみたいだけど、そも根幹が違うんだから同一のものとして考えるのは不可能なんじゃないかしら。」
「お父さんやお母さんが悪いって思うことをしちゃっても仕方ないってこと?」
「そうじゃないわ。それがダメだと思うのであれば、貴女の判断でダメだと決定すべきってことよ。私が見る限り貴女は立派な人間に育ってる。紅魔館の常識と魔法界の常識をきちんと学んだ今なら、自分にとっての正しい倫理観を形成できるはずよ。私たちが貴女に望んでいるのは、自分で『悪いこと』だと判断したことをやらないってことなの。」
「ええ? ……つまり、自分で決めちゃえってことなの?」
拍子抜けしたように聞いてきた咲夜へと、こくりと頷きながら肯定を返す。平たく言えばそういうことだな。
「大切なのは他人がどう思うかじゃなくて、自分がどう思うかなのよ。自分自身の信義に反することを、そうと自覚しながらやることが一番良くないの。だから……そうね、貴女がそうすべきだと思うのであればリーゼ様たちに歯向いなさい。逆にそうすべきじゃないと思うのであれば、人間の倫理観で否定されるようなことでもやるべきよ。そんな風に選択していけば誰に恥じるわけでもない生き方は出来るわ。」
「……だけど、お父さんとお母さんは私の選択を悲しむかも。」
「ならそうじゃない方を選べばいいじゃないの。それでリーゼ様たちが悲しむと思うなら逆も然りね。人間としての道徳か、人外としての常識か。選択を迫られたらその都度自分の心に従いなさい。どちらかに一貫する必要はないのよ。貴女が正しいと思う方を選択することこそが重要で、尚且つ私やリーゼ様たち、きっとアレックスやコゼットもそれを望んでいるんだから。」
「でも、選べなかったら? どっちにも申し訳なくて、どちらかを選ぶことが出来なかったら?」
不安げな表情で問いかけてきた咲夜に、ピンと指を立てながら答えを送った。
「それは有り得ないわ、咲夜。本当の意味で選択を決めかねることは無いのよ。物凄く微妙なラインに問題が置かれていることはあるけど、必ず自分の中ではどちらかに寄っているものなの。それを決められないのは自分の本心以外に別の要因があるからね。例えば……『そうすべき』と『そうしたい』の間で揺れてたりとかが分かり易いかしら?」
「その時はどうすればいい?」
「心が重きに傾く方に従いなさい。私はテッサにリーゼ様とグリンデルバルドの関係を明かしたいと思ってたけど、明かすべきことじゃないから結局話さなかったわ。今でもその選択が正しいものだったのかは分からない。……でも、そうしたの。それが全てよ。倫理観や善悪じゃなくて、自分の意思でそれを選んだ。だから私は納得できてるんじゃないかしら。」
私の言葉を受けて納得半分、疑問半分という顔になってしまった咲夜へと、頰を掻きながら続きを語る。上手く話せないのがもどかしいな。咲夜が開心術を使えれば楽なのに。
「私たちは『常識』から外れた独特な存在なんだから、道しるべになる社会規範なんて存在しないのよ。だからね、咲夜。もし選択に迷った時は社会じゃなく、人を規範にしなさい。尊敬できる人がどうするか、どっちを選ぶか。そう考えれば良いんだと思うわ。……私はリーゼ様やパチュリー、ダンブルドア先生やテッサなんかを通して自分の倫理を形成したの。色々と混ざっちゃってる所為で四人のそれとは少し違うんでしょうけど、これがアリス・マーガトロイドだって胸を張れるくらいの価値観を作れたわ。貴女もそれを作りなさい。参考になる人は周りに沢山居るでしょう?」
「うん……難しかったけど、何となく分かった気がする。」
「まあ、今日みたいに相談には乗れるわ。私やパチュリーなんかは同一ではないにせよ、貴女と近い位置に属してるわけだからね。」
私の根幹には実の両親や可愛がってくれた祖父の考え方も含まれている。だからこそ私は人形作りになっているのだ。反面、幼い頃から紅魔館で育った咲夜はまた違うのだろう。人間の世界から人外の世界に移った私やパチュリーに対して、咲夜は人外に育てられて人間の世界を今学んでいるのだから。
ただまあ、こういう悩みを持てるようになったということは、即ち彼女にとって人間の世界も価値を持ち始めたということだろう。うん、悪くないぞ。人外としての価値観に染まり切ってしまうよりは健全なはずだ。嘗て骨の髄まで『吸血鬼』だったリーゼ様やレミリアさんですらそのことを認めている以上、これは良い変化なはず。
うーん、つくづくホグワーツに通わせたのは正解だったな。入学する前の咲夜なら、何の疑問も持たずに紅魔館で生活していただろう。あのまま育っていたら人間を殺すことだって躊躇わずに行なったかもしれない。……本人は気付いていないようだが、彼女はとっくの昔に倫理観の形成を始めているのだ。先輩たるハリーたち、友人たるジニーやルーナ、同級生たる魔理沙やベイン、教師たるダンブルドア先生やマクゴナガル。そんな存在が少しずつ、少しずつ咲夜の認識を変えた結果がこの悩みに繋がっているのだから。
いやはや、私の母校は大した学校じゃないか。純血だろうが、マグル生まれだろうが、吸血鬼だろうが、魔女だろうが、人外に育てられた人間だろうが。この学校は平等に全てを受け入れ、大切な教えをきちんと授けてくれるらしい。敵わないな、本当に。パチュリーをして偉大だと言わしめたのは伊達じゃないわけだ。
幸いにも咲夜はまだ四年生。このままのペースで成長してくれれば、卒業する頃には自分なりの倫理を形作れているだろう。『後輩』に大事なことを教えてくれた母校に感謝の念を送りつつ、アリス・マーガトロイドは静かに微笑むのだった。