Game of Vampire   作:のみみず@白月

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ヴェイユ

 

 

「それじゃあ、入れるわよ?」

 

真剣な表情で小瓶から記憶を取り出す咲夜を前に、霧雨魔理沙はこっくり頷いていた。向こうではマクゴナガルが疲れた顔で書類にサインを繰り返しており、私たちの間には石造りの大きな水盆が置かれている。つまり、ダンブルドアから贈られた最後の記憶を見ようとしているのだ。

 

期末試験が終わり、学期末特有の緩やかな空気に包まれているホグワーツ城。誰もが夏休みの予定を楽しそうに話し合う中、咲夜から『ヴェイユ』のラベルが貼られた記憶を見ようと言われて校長室に来てみたわけだが……やっぱり前ほど悩んでいる感じではないな。詳細は聞けていないものの、アリスとの話し合いが良い方向に働いたってのは何となく分かるぞ。

 

だからまあ、記憶を見ることに対しても前ほど気負ってはいない。やや気を抜きながら記憶が水盆に落ちていくのを見守っていると、いつものように液体が銀色に変わって靄が漂い始めた。そのまま底に映る映像へと意識を沈めていけば──

 

 

ここは……ふむ、この前見た記憶と同じような雰囲気だな。どうやらまたしてもムーンホールドが舞台の記憶らしい。かなり広めの古式ゆかしい部屋の中には、椅子に腰掛けたテッサ・ヴェイユとダンブルドアの姿がある。ダイニングテーブルを挟んで談笑しているようだ。

 

「ほっほっほ、懐かしいのう。まだ君が新人の頃じゃったか。」

 

「そうですね、ミネルバやフィリウスが二年生の頃だったはずです。パパとママもまだまだ元気でしたしね。……自分の未熟さを痛感した事件でしたよ。最初から最後まで全然役に立てませんでしたから。『慎重さ』ってものの重要性も学べた気がします。」

 

「じゃが、見事に解決したではないか。」

 

「見事って感じじゃないですよ。……色んな人が犠牲になっちゃいましたし。」

 

事件? 何の話だ? 隣で一緒に聞いている咲夜に問いかけの目線を送ってみるが、彼女もよく分からないらしい。かくりと首を傾げてしまった。

 

「結末はともかく、あの事件を通して君とアリスの絆は深まったように見えたよ。……本当に懐かしいのう。フランスと言えば、ご両親のお墓には行けているかね?」

 

「最近はちょっとご無沙汰ですね。コゼットの子供が産まれたら顔を見せに行こうとは思ってるんですけど。」

 

「そうしてあげなさい。曾孫の顔を見れるのは彼らにとって大きな喜びじゃろうて。」

 

「曾孫、ですか。……あーあ、私ももうすぐお婆ちゃんってことですね。何だかなぁ。」

 

テーブルに突っ伏してぼやいたテッサ・ヴェイユに、ダンブルドアがクスクス微笑みながら相槌を打つ。咲夜が母親のお腹にいた頃か。ってことは、えっと……第一次魔法戦争後期の記憶ってことになるな。

 

「おや、君もとうとう老人の仲間入りかね?」

 

「うー、変な感じです。この前までコゼットは小さかったのに、もうその子供だなんて。早すぎて追いつけないですよ。」

 

「わしから見れば、君もこの前まで小さかったんじゃがのう。……ううむ、言われてみれば実に不思議じゃ。」

 

「ダンブルドア先生は昔からそんな感じですし、アリスも若いままだから尚更混乱します。私だけ駆け足で進んでるみたいな気分ですよ。」

 

ふわふわした蜂蜜色の長髪を掻き回すテッサ・ヴェイユへと、ダンブルドアは苦笑しながら返事を口にした。もし私が本物の魔女になったら、咲夜もこんな気持ちになるんだろうか? ……まあ、状況が少し違うか。そもそも紅魔館には不老の存在が沢山居るわけだし。

 

「しかしながら、嬉しいじゃろう? 初孫の誕生というのは。」

 

「そりゃ、小躍りしたくなるくらいには。ベタベタに甘やかしちゃうと思いますよ、私。ホグワーツに入ってきたら無条件で加点しちゃいそうです。可愛いから五十点、みたいに。」

 

「うーむ、それは困るのう。今から各寮で君の孫の奪い合いが起こりそうじゃ。」

 

「どの寮になると思います? 夫と私はグリフィンドールで、コゼットはハッフルパフ、そしてアレックスはレイブンクロー。もしスリザリンだったら三代で全制覇ですね。四代だったらボーバトンとホグワーツを纏めて制覇になっちゃいます。」

 

ホグワーツは分かるが、『ボーバトン制覇』ってのはどういう意味なんだろうか? 私のちょっとした疑問を尻目に、ダンブルドアはテッサ・ヴェイユの瞳を覗き込みながら質問を飛ばす。明るいヘーゼルの瞳だ。角度によって色が違って見えるのが不思議だな。

 

「スリザリンでも構わないと?」

 

「あ、ひょっとして試してます? 悪い癖ですよ、それ。」

 

「ほっほっほ、君には通じんのう。」

 

「そりゃそうですよ。何十年も同僚をやってるんですから。……もちろんスリザリンでも構いません。あの寮にはあの寮なりの良さがありますもん。結束と矜持、そして揺るがぬ一貫性。もし私の孫がスリザリンに選ばれたら、それはつまり仲間想いで誇りを大事にする人だってことです。」

 

迷いなく断言したテッサ・ヴェイユは、くるりと暗い顔に変わって続きを語る。苦い後悔を滲ませた声色だ。

 

「……それを上手く導けなかったのが私の後悔ですね。教師になってからも学生の頃と同じ失敗をしちゃいました。」

 

「……難しい問題じゃのう。何か声をかけたいとは思うのじゃが、わしは君を慰められる立場に居らぬ。同じ失敗を何度も何度も繰り返しているわけなのじゃから。」

 

「難しいですね、教師って。新人の時もそう思いましたし、今でも変わらずそう思います。」

 

「そして、校長を長く続けたわしもそう思うよ。教育とは一生を賭けても解けぬ難問のようじゃな。」

 

驚いたな。そう語るダンブルドアは見たこともないほどに弱々しい表情だ。死喰い人になった教え子たちのことでも考えているのだろうか? 熟練教師二人の弱音を耳にして、ちょびっとだけ切ない気分になったところで……部屋のドアが開いて見覚えのある男女が入室してきた。お腹が大きくなっているコゼット・ヴェイユと、彼女の夫であるアレックス・ヴェイユ。要するに咲夜の両親だ。

 

「ありゃ、コゼット? どうしたの? 何かあった?」

 

慌てて立ち上がって心配そうに問いかけるテッサ・ヴェイユに、その娘は困ったような苦笑いで返答を返す。

 

「違う違う。フランに会いに来たらお母さんもこっちに居るって聞いたから。……幾ら何でも心配しすぎだよ。お母さんも私のことを産んだんでしょ?」

 

「それはそれ、これはこれなの。ほら、早く座んなさい。」

 

「もう、分かったよ。」

 

ふにゃりと笑いながら席に着いた妊婦さんに続いて、その隣に座った夫がダンブルドアと挨拶を交わし合う。咲夜と全く同じ色の瞳だ。顔付きが違うだけに違和感が凄いな。

 

「どうも、ダンブルドア先生。」

 

「元気そうで何よりじゃ、アレックス。闇祓い局の方はどうかね?」

 

「いつも通りですよ。クラウチ部長が圧力をかけてきて、それを局長が無視して、代わりにオグデンさんがやり返してます。可哀想に、文句を言いに来た執行部の職員がノイローゼ状態になってました。これで今月の被害者は三人目です。」

 

「相変わらずアラスターとアルフレッドのコンビは凶悪なようじゃのう。」

 

オグデンってのが誰だかは知らんが、ムーディとコンビを組めるってことはまともな魔法使いではないのだろう。過去の闇祓いたちの話をする二人へと、テッサ・ヴェイユが然もありなんという表情で入っていった。

 

「アルフレッドったら、この前も職員を一人『使用不能』にしたんでしょ? 省内だと実力行使で責め立てるアラスターより悪名高いかもね。あの子は理屈でネチネチ責めるタイプだもん。」

 

「まあ、頼りになる人ではありますよ。前で引っ張るって性格ではないですけど、あの人が居るから僕たちは背中を気にせずに済むわけですし。クラウチ部長も書類に付け入る隙が無くて困ってるみたいです。」

 

「小器用だねぇ。私にもちょっと分けて欲しいよ。」

 

疲れたように呟いたテッサ・ヴェイユは、杖を振って娘夫婦二人の紅茶を準備しながら続きを語る。十五年前の闇祓い局か。中々興味深い話題だな。

 

「そういえば、ルーファスとガウェインはどうしてる? あの凸凹コンビ。……フランクも入れれば凹凸凹って感じかな? ルーファスが凸ね。」

 

「先輩たちも相変わらずですよ。ロバーズ先輩とスクリムジョール先輩が突っ走って、フランクさんがそれをフォローしてます。今日出てくる時もオグデンさんに三人揃って叱られてました。ミドルトンを追跡中にマグルのタクシーを巻き込んじゃったそうでして。幸いにも怪我人は出なかったみたいですけどね。」

 

「捕まったの? ミドルトン。」

 

「いえ、途中でロジエールが増援に駆けつけて、道路を滅茶苦茶に破壊して逃げていったんだとか。お陰でケンジントンの大通りが今も通行止めですよ。記憶処理にもえらく手間がかかったそうです。」

 

今も昔も死喰い人の迷惑さは変わらずか。暗い報告にため息を吐いた部屋の面々は、そのまま暫くの間戦況について話していたが……やがてダンブルドアがコゼット・ヴェイユを見ながら話題を変えた。

 

「……ううむ、その子が生まれる頃にはもう少し穏やかな情勢になっていて欲しいものじゃのう。ギリギリまで勤務を続ける決意は変わらないのかね?」

 

「はい、一人で家に居るよりも安心ですから。先日もあんなことがあったばかりですし。」

 

「おお、ブリックス夫人のことじゃな。……うむ、あれはまっこと危ないところじゃった。わしらと、そして死喰い人たちが母の強さを思い知った事件じゃったのう。」

 

「凄いですよね。アーサーさんたちが駆け付けるまでロビンを一人で守り抜いたんですから。……もう家も絶対に安全とは言い切れませんし、だったら省内に居た方が良いと思うんです。タダで闇祓いが護衛してくれるなんて凄いじゃないですか。」

 

可愛らしく戯けながら言ったコゼット・ヴェイユに続いて、アレックス・ヴェイユも力強く頷いて同意してくる。……その考えが裏目に出ちゃったわけか。

 

「先輩たちやオグデンさんも気にかけてくれるみたいですし、局長も構わないって言ってくれてるんです。家で一人にさせておくよりは安心できますよ。」

 

「ふむ、言われてみればそうかもしれんのう。生まれる前から闇祓いたちの手厚い護衛付きとは……ほっほっほ、その子は大物になりそうじゃな。」

 

優しい笑顔でヴェイユ夫妻に語りかけたダンブルドアの台詞を聞いて、テッサ・ヴェイユも首肯しながら話に乗っかってきた。

 

「当たり前ですよ、ダンブルドア先生。私の孫なんですから。……多くは望みませんけど、出来れば何かを貫ける子になって欲しいですね。『不実な富者よりも忠節ある貧者たれ』。私が望むのはそれだけです。」

 

ずっと前にアリスから聞いたことがあるヴェイユ家のモットーを引用したテッサ・ヴェイユへと、コゼット・ヴェイユが自身の考えを口にした。お腹をそっと撫でながら、どこまでも慈悲深い母親の笑みでだ。

 

「私はなーんにも望まないかな。骨の髄まで愛して、寂しそうにしてたら抱き締めて、悪いことをしたらきちんと叱って、良いことをしたら思いっきり褒めてあげるの。お母さんがそうしてくれたみたいにね。……あとはこの子の選択次第だよ。選んだことを全力で応援してあげたいんだ。この子が立派な成人になるのを見届けられるなら、他には何も要らないって思っちゃうの。甘いかな?」

 

「甘いわね。子育てっていうのはそんなに簡単なものじゃないわよ? もっとずっと複雑で、難しくて、それでいて幸せなものなの。そのうち嫌でも思い知らされるわ。」

 

パチリとウィンクしながら言うテッサ・ヴェイユを横目に、私と共に記憶を見ている咲夜の顔をちらりと覗く。……苦しそうな表情だ。母親の願いが叶わないことを知っているからだろう。彼女が望んだ唯一の願いが。

 

ああもう、本当に遣る瀬無い気持ちになるな。幾ら何でもあんまりじゃないか。こんなにも自分の子供を愛していたのに、一目見ることすら、たった一度抱くことすら出来なかっただなんて。

 

やり場のない悔しさを感じている私を他所に、過去の幸せそうな会話は進んでいく。朗らかな笑顔で口を開くアレックス・ヴェイユ。彼はどんな想いでフランドールに妻と子供を託したのだろうか?

 

「僕は……そうですね、健康でいてくれればそれに勝るものはないです。あとはまあ、男の子でも女の子でも一緒にクィディッチを出来れば文句なしですよ。」

 

「クィディッチはどうかなぁ。私もお母さんも、それにお父さんも熱心じゃなかったからね。」

 

「なに、僕が教えるよ。ジェームズもフランクさんも息子にやらせるって言ってたし、競争相手には困らないさ。いつか三対三のクアッフル戦をやろうって約束してるんだ。親連合対子供たちでね。」

 

「気が早すぎるよ、三人とも。」

 

呆れたように夫の肩をぺちりと叩くコゼット・ヴェイユへと、ダンブルドアが苦笑しながらフォローを放つ。

 

「ほっほっほ、男親というのは得てしてそういうものなのじゃよ。……楽しみじゃのう。君たちの子供たちがホグワーツに入学してくる時が。」

 

「すぐですよ、きっと。その日のためにも今は頑張らないといけませんね。」

 

「うむ、そうじゃな。……では、わしはそろそろホグワーツに戻るよ。家族の団欒をいつまでも邪魔するのは悪いしのう。」

 

立ち上がったダンブルドアは三人の別れの言葉を受け取ると、ゆったりとした歩調で部屋のドアへと歩いて行く。それに従って徐々に崩壊していく世界の中、楽しそうに話す祖母と両親の姿をジッと見つめる咲夜の姿が目に入ったところで──

 

 

ふと気付くと、現在のホグワーツの校長室に戻っていた。役目を終えた憂いの篩から身を離して、とりあえずマクゴナガルに戻ったことを報告しようとするが……どうしたんだ? 新校長どののひどく慌てた顔が視界に映る。羽ペンをぽろりと落としちゃってるぞ。

 

何事かとその視線を辿ってみると、立ち尽くしたままで青い瞳からポロポロ涙を零している咲夜の顔が見えてきた。おいおい、咲夜が泣いてるのなんか初めて見たぞ。どうしよう。どうすればいいんだ?

 

「さ、咲夜? 大丈夫か?」

 

「何かあったのですか? サクヤ。」

 

大急ぎで近付いてきたマクゴナガルと二人揃って声をかけてみると、咲夜はぼんやりと私たちの方に向き直ってから、驚いたように目元を拭って返事を寄越してくる。

 

「……びっくりしました。泣いてます、私。」

 

「それは見れば分かります。さあ、こっちに座りなさい。今紅茶を出しましょう。」

 

素っ頓狂な返答を聞いてソファへと案内しようとするマクゴナガルだったが、咲夜は首を振った後で水盆の中の記憶を丁寧な手つきで回収すると、ぺこりとマクゴナガルにお辞儀しながら言葉を放った。

 

「ありがとうございます、マクゴナガル先生。だけど、大丈夫です。もう決心が付きましたから。」

 

「決心? ……それは悪いものではないんですね?」

 

「はい、良いものです。私がそう決めたから、多分そうなんだと思います。」

 

「……そうですか。」

 

疑問を呑み込んで穏やかに首肯したマクゴナガルを背に、咲夜は校長室の奥の方へと歩いて行くと……今度はダンブルドアの肖像画に向かって深々と頭を下げる。対する絵の中のダンブルドアは目を細めて嬉しそうな表情だ。

 

「ダンブルドア先生もありがとうございました。見て良かったです、記憶。」

 

「うむうむ、上々の顔じゃ。どちらのアイスクリームを選ぶか決めたようじゃな。」

 

「いいえ、決めません。私、両方食べちゃうことにしました。」

 

くすりと微笑んで言った咲夜の決断を受けて、深いブルーの瞳を見開いたダンブルドアは……快なりという笑顔で大きく頷いた。

 

「それでこそじゃ。それでこそじゃよ、咲夜。君はわしが思う以上の結論を導き出してくれたようじゃのう。……では、行きなさい。君にはもうわしの助言も、過去の記憶も不要じゃよ。二つのアイスクリームを平らげて先へと進みなさい。君が選んだ道は遥か先まで続いているのじゃから。」

 

「はい!」

 

もう一度深くお辞儀した咲夜は、晴れ晴れとした顔で私の手を引いて出口へと歩き始める。……よく分からんが、良い顔だな。これなら心配しなくても大丈夫そうだ。きっとダンブルドアの言う通り、こいつは見事な結論を自分の中で導き出したのだろう。

 

軽い足取りで螺旋階段を上る親友に引っ張られながら、霧雨魔理沙はホッと息を吐くのだった。

 


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