Game of Vampire 作:のみみず@白月
「やっぱり正気じゃないよ、アリス。……闇の魔法使いから指定された『待ち合わせ場所』に普通行く? 行かないと思うなぁ、私は。」
イギリスよりも若干暑く感じる七月直前のパリ。丘の上に聳えるサクレ・クール寺院を横目にしつつ、テッサ・ヴェイユは何度目かも分からなくなった忠言を放っていた。行くべきじゃないぞ、絶対に。
実家での一夜が何事もなく明けた今日、昼前に起きてきたアリスがいきなりグラン・ギニョール劇場に行ってみたいと主張し始めたのだ。既に仕事に出ていたパパ以外の全員で何とか止めようとしたものの、結局アリスの意思は覆らず、ならば付いて行くとクロードさんと一緒にパリまで来てしまったのである。
何とか引き返させようとする私の言葉を受けて、頑固者の親友はこれまで通りの返事を飛ばしてきた。
「最優先すべきは私の安全なんかじゃなくて、誘拐された子たちを早く救出するってことなの。カードには『グラン・ギニョール劇場にて待つ』って書かれてたんだから、私が行けば何らかの反応を示す可能性が高いでしょう? だったら行くべきよ。犯人の尻尾を掴むためにも。」
「そりゃあ、私だって誘拐された子たちのことは心配だけど……誘拐犯に『待つ』って言われて素直に行くのはおかしいよ。だよね? クロードさん。」
「はい、私もテッサさんに同感です。マーガトロイドさんが直接行くのはリスクが高すぎるように思えます。貴女はフランスの魔法使いではないのですから、もし何かあれば我々はイギリス魔法省に申し訳が立ちません。」
「私が自分の意思で行くんだから大丈夫ですよ。……逆に言えば、イギリスの魔法使いたる私の行動を制限する権利はないはずでしょう?」
なんか、妙だな。アリスが頑固なのは昔からだが、ここまで強引に話を進めようとする性格ではないはずだ。昨日の時点ではグラン・ギニョール劇場に行く気なんてなかったみたいだし、どんな心境の変化があったんだろうか?
切っ掛けは何かと訝しむ私を他所に、クロードさんは困った顔で説得を続ける。
「それは正しい認識ではありません。ここがフランスである以上、我々闇祓いには他国からの旅行者の行動を制限する権利があります。」
「なら、力尽くで止めてみますか? ……既に一人の女の子が犠牲になっているんです。とても非道なやり方で。クロードさんだって次の犠牲者を出したくはないでしょう? チャンスがあるなら試してみるべきですよ。」
「……無論、私だってこれ以上の犠牲は避けたいです。非道な犯人への怒りもあります。しかし、そのためにマーガトロイドさんを危険に晒すというのは褒められた捜査方法ではありません。」
「だけど、昨日の調査では何もヒントを掴めなかったみたいじゃないですか。攫われた子たちのことを考えるなら、もう一分一秒でも無駄には出来ません。……お願い、二人とも。早く助けてあげたいの。」
それまで早足で進んでいたアリスがピタリと足を止めて、私たちのことを上目遣いで見つめ始めた。ズルいぞ、アリス! そんな顔されたら無下に出来ないじゃないか。私ですらちょびっと揺れてるんだから、きっとクロードさんなんて尚更だ。
果たして私の予想通りにクロードさんは心を動かされたようで、懊悩しながらも小さな首肯をアリスに返す。そんな簡単にやり込められちゃって大丈夫なのか? 同じように振り回されている私が言えたことじゃないけどさ。
「……私の側を決して離れないでいただきたい。それが絶対の条件です。現場に同僚が居るはずですので、そちらにも連絡を送らせていただきます。」
「犯人を警戒させないためにも、確実を期すなら私一人で行動すべきだと思うんですけど──」
「でしたら行かせるわけにはいきません。私の任務は貴女を守ることです。護衛すらもさせていただけないのであれば、それこそ力尽くで止めさせていただきます。」
きっぱりと言い切ったクロードさんの宣言を聞いて、アリスは何故か少しだけ身を屈めるような仕草をした後……渋々といった様子で頷いてきた。まあ、当たり前の条件だな。一人で行かせるわけないだろうが。
「分かりました。……それじゃあテッサはオルレアンで待機してて頂戴。私とクロードさんで行ってくるから。」
「あのね、本気で言ってるの?」
「無駄だとは思ってるけど、一応言ってみたの。……ダメ?」
「ダメに決まってるじゃん! 私も行くよ。置いてくつもりならここで魔法をぶっぱなして騒ぎを起こすからね。」
本気だぞ。グラン・ギニョール劇場はここから程近い場所みたいだし、盛大に騒いで治安局の警邏隊を誘き出せば犯人だって気付くだろう。一緒に行けないならそうやって安全を確保した方がまだマシだ。
クロードさんは大仰な脅しと受け取ったようだが、アリスには長年の付き合いで本気だということが伝わったらしい。顔を引きつらせて額を押さえると、かなり嫌そうな表情で同行を了承してくる。
「……分かったわよ、我儘テッサ。」
「分かればいいのよ、頑固アリス。」
互いにやれやれと首を振り合ったところで、クロードさんがスーツの内ポケットから取り出した……闇祓い隊の隊章かな? 小さな銀色のバッジを弄り出す。どんな仕組みなのかは不明だが、恐らくあれで同僚さんに連絡を送っているのだろう。
「取り急ぎ連絡は入れました。……具体的にはどう動くおつもりですか?」
「とりあえず、普通に客として観劇しましょう。時間が合えばいいんだけど。」
そう言いながら、アリスは羊皮紙に描かれている地図を頼りに進んでいくが……ここで左に曲がったら遠ざからないか? 横から地図を覗き込んでチェックしつつ、華奢な肩を掴んでくるりと方向転換させる。
「逆だよ、アリス。丘がある方に進んだら十八区でしょ?」
「……そうね、地図が分かり難いのかもしれないわ。」
「いやいや、神経質なくらい正確な地図だと思うけど……そもそもどうやって場所を調べたの? 昨日はずっと家に居たよね?」
「図書館から送られてきたのよ。」
図書館? よく分からない答えに首を傾げながら、アリスの案内に従って九区の雑多な街中を歩いて行くと……あれがグラン・ギニョール劇場か。狭い袋小路の突き当たりに件の劇場があるのが見えてきた。
うーん、入り口は割と普通だな。『よくある小さな劇場』というのがぴったりの雰囲気で、遠目だと三階建てのアパートメントにも見える建物だ。やや大きめの扉の上にかかっている『グラン・ギニョール座』という看板と、入り口の近くに貼られているポスターが一応の『劇場感』を醸し出している。
「なんかさ、思ってたよりスプラッターって感じじゃないね。」
二人に向かってこっそり感想を囁いてみれば、アリスとクロードさんも拍子抜けしたように応じてきた。
「んー……確かにおどろおどろしい雰囲気は一切ないわね。昼間だからかしら?」
「私は大衆劇場にはあまり来たことがないのですが、その……普通ですね。良い意味でも悪い意味でもなく、普通です。」
まあうん、大体の人が同じ感想を抱くだろう。パリを半日歩けばこういう小劇場は腐るほど見つかるのだから。正直な評価を述べたクロードさんは、劇場の入り口までたどり着くと更に微妙な顔になってしまう。扉の横に貼られている演目のリストをチェックしているようだ。
「これは……コメディ、ですよね? 私は演劇に詳しくありませんが、とてもホラーの題名には思えません。」
「うわ、本当だ。昼間は殆ど現代喜劇をやってるみたいだね。今日は……やけに早い時間に短編の喜劇が一本と、今やってるメロドラマっぽいやつが一本。そっからずっと空白で、夜にようやくホラーだよ。」
「もしかして、あんまり流行ってないのかしら? 上演中だからかもしれないけど、劇場前の通りってここまで閑散としてるものなの?」
アリスの言う通り、私たち以外で路地に居るのは物乞いの老人だけだ。少し手前のパン屋の軒先で空き缶を置いて座り込んでいる。……どうせならもっと大きな通りで座ればいいのに。ここじゃあ人通りなんて全然ないだろう。やっぱり縄張りとかがあるのかな?
胡座をかいてピクリとも動かない老人を不思議な気分で眺めていると、やおらクロードさんがそちらの方に歩き始めた。
「あの方に聞いてみましょう。……もし、ご老人。この劇場はあまり繁盛していないのですか?」
アクティブだな。闇祓いの仕事でこういう聞き込みに慣れているのかもしれない。丁寧な態度で問いかけたクロードさんに対して、老人は無言でトマトの絵が描かれた空き缶を突き出す。それに苦笑しながらクロードさんが数枚のフラン紙幣を入れると、老人は嗄れた声で返答を寄越してきた。
「昔は繁盛してたよ、昔はね。わしはずっとここに座っとるが、あの頃は一日座れば三日は座らんでも生きていけたほどだ。……だが、戦争が終わってからはダメだね。映画に客を取られちまったらしい。演出家が減って、団員が減って、演目が減って、だから客も減っていく。少なくとも昼間はもう救いようがないよ。」
「つまり、夜はまだ繁盛していると?」
「少し前までは夜もさっぱりだったが、最近は人が入るようになってきたね。新しい演出家の先生が凄いんだとさ。……悪いことは言わんから、あんたたちも夜に出直しな。昼間に劇場から出てきた連中は全員肩を落としとるが、最近じゃ夜に出てきた客はみんな興奮顔だ。きっと大層な劇をやってるんだろう。物乞いの分際で何を言うかと思うかもしれんが、正直言って昼間のこの劇場に金を払うのは阿呆のやることだよ。」
「……ご忠告感謝します。」
礼を言いながら紙幣をもう一枚缶に入れたクロードさんへと、老人は満足そうに笑って追加の情報を送ってくる。えらくご機嫌な表情なのを見るに、中々の臨時収入になったようだ。
「随分と顔が良い御一行だし、修行中の役者さんか何かかい? ……ここの団員は昼間の劇が終わった後、大抵ドゥエ通りのバーに溜まって一杯やってるよ。話を聞きたいなら行ってみな。仕事の合間に酒を飲むような連中から為になる話が出てくるとは思えんがね。」
むう、おっしゃる通り。呆れたように呟いた老人に再度お礼を告げてから、三人で路地の入り口に戻って作戦会議を開く。どうやらアリスやクロードさんも私と同じで、昼間のこの劇場から得られるものはないと判断したらしい。
「どうすんの? イマイチっぽいメロドラマを途中から観劇してみる?」
「何かヒントが得られそうならそれでも構わないけど……どうかしら? さすがに望み薄だと思わない?」
「確たる証拠は何もありませんが、やはり怪しいのは夜の部ですね。……一度どこかのカフェで私の同僚と会ってみませんか? 昨日から内偵に入っていた彼ならいくらかの情報を手に入れているはずですし、警護対象たるマーガトロイドさんとの顔合わせも出来ます。それからご老人に教えていただいたバーに行ってみて、夜になったら戻ってきましょう。」
「それがいいかもね。何だかんだで一番怪しいのは団員なんだしさ。」
首肯しながら返事を放つと、腕を組んで悩んでいたアリスも頷いてくる。それを確認したクロードさんが再びバッジを弄り始めたところで、大きなトランクを持った背の高い男性が私たちとすれ違って路地に入って行った。
いやぁ、すっごい美形だな。切れ目の整った顔と、スラリとした体型を包む細身のスーツ。全身ブランド物っぽいのにトランクだけが古ぼけた年代物だ。お気に入りなのかなと横目で見ている私に……ぬああ、キザったらしいぞ。黒い長髪の男性はパチリとウィンクしてから劇場の方へと歩み去る。グラン・ギニョール座の団員なのかもしれない。
「モテモテじゃないの、テッサ。」
一連のやり取りを目撃したらしいアリスがからかってくるのを、うぇっという動作をしながら切り捨てた。いくら顔が良くてもああいうのは好かんのだ。多少朴訥な方が印象は良いぞ。
「残念ながら、ウィンクが似合うのはダンブルドア先生くらいだよ。若い人がやると軽く見えちゃうもん。」
「まあ、それは何となく理解できるわ。ヴェイユおじ様も似合うでしょうしね。」
「パパがぁ? ……それはちょっと嫌かな。」
パパがウィンクしてくるのを想像して顔を顰めていると、バッジを操作し終えたクロードさんが私たちを先導し始める。同僚さんとの連絡が付いたようだ。
「ちょうど今、近くのカフェで打ち合わせをしているそうです。行きましょう。父上……バルト隊長も一緒だとか。」
「あら、隊長さんまで?」
「マーガトロイドさんが持ってきてくださった例のビスクドールについての情報共有をしていたそうで、私たちが合流するのは好都合だと言われました。」
「それは確かに好都合ですね。私も聞きたいですし。」
うーむ、クロードさんはどう見ても無言でバッジを弄っていただけだったのだが……謎だ。どういう仕組みになっているんだろうか? 守護霊での連絡は目立っちゃうし、その辺の対策のためにこういう連絡手段を用意しているのかもしれないな。
───
そして然程歩かないうちに到着した広めのカフェの店内。丸眼鏡をかけた小太りの男性と一緒に座っているバルト隊長を発見した私たちは、半円形のソファ席に腰を下ろしていた。……バルト隊長やクロードさんは何となく闇祓いっぽいけど、眼鏡の人は全然そういう見た目じゃないな。気さくそうにニコニコしているのは好印象だが。
とりあえず席に着いた私たちへと、バルト隊長が話の口火を切ってくる。……何故端っこまで詰めてくれないんだ、アリス。狭いってほどじゃないし、別にいいけどさ。
「無事で何よりです、お嬢さん方。……そしてクロード、お前は一体何を考えているんだ? 護衛対象を危険に晒すことが闇祓いの仕事だと思っているのか?」
「そうではありません、父上。私はただ──」
「父上? 職務中は父と思うなと何度も教えたはずだぞ。私は上官で、お前は部下だ。違うか?」
「……その通りです。申し訳ございません、バルト隊長。」
むう、良くない展開だな。いきなり怒られ始めちゃったクロードさんを見て、アリスがおずおずと助け舟を出した。
「違います、バルト隊長。私が無理を言ってお願いした……というか、勝手に飛び出してきたんです。クロードさんは止めようとしました。」
「しかし、現にお嬢さんはこの場所に居る。そうでしょう? それが問題なのですよ。……事情は掻い摘んで把握しております。お嬢さんの覚悟は実に素晴らしいものだ。その若さで自らを危険に晒してでも幼い子供を助けようとするのには感服しますよ。さすがはダンブルドア氏の教え子です。ホグワーツの情操教育は見事の一言ですな。」
大袈裟に持ち上げた後には……ほら、やっぱり。アリスに褒め言葉を連発したバルト隊長は、一転して厳しい表情で息子を見ながら『落とし』てくる。
「だが、市民の善意を唯々諾々と受け入れるのが闇祓いの仕事ではない。危険を冒すのは我々の職責であって、善良な市民の役目ではないはずだ。……仮に、もし仮に協力を受け入れるとしても、我々にはお嬢さんを確実に護衛しなければならない責任がある。新人であるお前一人でそれが出来ると思ったのか? クロード。」
「……分かりません。」
「分からないのであれば私に報告を回すか、あるいは応援を要請すべきだったな。『分からない』というのはつまり不明瞭。確実ではないという意味なのだから。万が一お嬢さんに何かあった場合、お前はどうやって言い訳をするつもりだ? 『万全の態勢で臨みました』と嘘を吐くつもりだったのか? それとも素直に『早計でした』と非を認めるつもりだったのか? ……ふん、どちらにせよ褒められたものではないな。そんな闇祓いは我が隊に必要ない。」
「……おっしゃる通りです。」
ぬう、ぐうの音も出ない正論だ。小さくなって落ち込んでいるクロードさんと、何とか援護しようと取っ掛かりを探すアリス。二人の若者がバルト隊長に圧倒されているのを取り成すように、それまで黙っていた丸眼鏡の男性が声を上げた。
「まあまあ、隊長。そこまでにしておきましょうよ。クロード君は到着前にきちんと一報入れていますし、護衛対象から離れたわけではないんですから。よくやってるじゃないですか。」
「離れていたらこんなものでは済んでおらん。即刻隊章を取り上げていたところだ。……甘さは事故を招くぞ、ヴィドック。そして、我々闇祓いが起こす事故は取り返しがつかないものだ。」
「しかしですね、人とは失敗を糧に成長するものでしょう? お叱りはごもっともですが、彼は充分反省しているようじゃありませんか。これ以上は単なる叱責です。教育ではなくなってしまいますよ? ……何よりほら、お嬢さん方が困っていらっしゃいます。」
「……これは、失礼しました。」
おっと、こっちに飛んでくるのか。ヴィドックさん? に促されて私たちに謝罪してくるバルト隊長へと、慌てて『気にしてません』の手振りをした後、テーブルに置いてあったメニュー表を広げて顔を隠す。……こんなに怒られるとは思わなかったな。言われてみれば軽率な行動だったかもしれない。私たちじゃなくてクロードさんが怒られてるってのが一番キツいぞ。
もっと本気で止めればよかったかなぁと後悔しながら現実逃避気味にメニューを眺めていると、丸眼鏡の男性が私とアリスに向かって自己紹介を口にした。
「それで……そう、先ずは自己紹介をすべきですね。闇祓いのヴィドックと申します。どうぞよろしく。」
「テッサ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」
「あの、アリス・マーガトロイドです。……ご迷惑をおかけしました。」
「迷惑だなんてとんでもない。今回の誘拐事件、我々闇祓い隊は何のヒントも得られず歯痒い思いをしていたんです。マーガトロイドさんが持ってきてくださった情報のお陰でようやく動けるようになりました。心から感謝しております。」
アリスと握手をしながらヴィドックさんが頭を下げたところで、神妙な顔付きになったバルト隊長が話を進めてくる。
「では、先にビスクドールのことについてお話ししましょう。……現在も鑑定は続いていますし、あまりにも高度な魔法なために断言は出来ないとのことでしたが、調査に当たっている研究者たちは『人間を素材に使っている可能性がある』という一次報告を回してきました。ダンブルドア氏にも連絡を入れて調査を継続する予定です。」
「まだはっきりしていないということですか?」
「研究者たちが『はっきりする』ことなど有り得ませんよ。断言しないのは彼らの性分なのですから。……我々闇祓い隊としては、何を認めるのにも躊躇するあの連中が『可能性がある』という報告を回してきたことを重視しております。少なくともあの人形に『あまりにも高度な魔法』がかかっていることは間違いないわけですから。である以上、お嬢さんやダンブルドア氏の推理に則った捜査をすべきでしょうな。」
アリスの説明を信じていた私としても、こうやって言葉にされると恐ろしいものを感じるな。人間を人形に。一体全体何をどうしたらそんな思考に行き着くのだろうか? 疲れたような声色で放たれたバルト隊長の報告に続いて、ヴィドックさんがグラン・ギニョール劇場についての詳細を教えてくれた。
「そんなわけで、現在は人数も増員してあの劇場のことを調べているのですが……まあ、内偵を開始して一日ですからね。そこまで多くの情報は入手できていません。現在分かっているのは団員の中に魔法使いが居ないことと、最盛期に比べてひどく客が減っていること、そして昼の部の演劇が恐ろしくつまらないことだけです。昨日二回と、今日一回。一応観劇しましたが、悪夢のような体験でしたよ。」
余程につまらなかったのだろう。本気でうんざりした表情を浮かべるヴィドックさんへと、アリスが首を傾げながら問いを送る。
「夜の部はどうだったんですか? さっき劇場の近くに居た物乞いのお爺さんから聞いたんですけど、最近は評判が良いとか。」
「ええ、そうみたいですね。観客たちもそういう話をちらほらしていました。しかしながら、昨日は夜の部が行われなかったんです。今日ようやく観られるのが楽しみですよ。」
「ヴィドック、お前は観劇をしにあの劇場に行っているわけではないはずだぞ。」
「いやいや、もちろん任務を忘れるつもりはありません。そこはご安心ください。……ですが、やはり気になりますよ。常連客は口を揃えて最近の夜の部を褒め称えるんです。どうも腕利きの演出家が入ってきたようで、今じゃ脚本まで任されているんだとか。」
落ち目だった一座にとっては救世主ってわけか。それこそ『劇的』な話に感心する私を他所に、ヴィドックさんは声のトーンを落として続きを語り始めた。
「そこまでならまあ、別に悪い話ではないんですが……実はその人、最近オリジナルの劇をいくつか手掛けているようでして、その全てが『人形』をテーマにした作品らしいんです。」
「それって……。」
「怪しいですよね。観客から聞き取りを行った結果、出てくる人形は指人形や操り人形、布人形や機械仕掛けのからくり人形、そして時には可愛らしい着ぐるみだったりと様々らしいんですが、過去にはビスクドールが出てきたこともあったとか。ちなみにジャンルとしてはどれもスプラッターホラーみたいです。」
めちゃくちゃ怪しいじゃないか。私の呟きに大きく頷いたヴィドックさんへと、恐る恐る質問を飛ばす。
「どんな人なんですか? 団員が全員マグル……ノン・マジークってことは、その人も魔法使いではないんですよね?」
「過去一年に遡ってあの劇場内で杖魔法が使われた記録はありませんでしたので、恐らく魔法使いではないはずです。どんな人なのかはまだ謎ですね。若い美形の男性ということだけは団員への聞き取りで分かっていますが、昨日はそもそも劇場に居なかったようでして。本当は夜の部をやる予定だったものの、その人が昼前に外出して戻ってこなかった所為で上演できなかったんだとか。」
「それはまた、無責任な人みたいですね。」
団員たちはさぞ困っただろうな。私が同情しつつそう言ったところで、アリスがずいと身を乗り出して口を開いた。おおう、『頑固者』の時の顔じゃないか。今度は何をやらかすつもりだ?
「夜の部を観に行かせてください。その人が犯人だとすれば、何か動きを見せるかもしれません。……ヴィドックさんの話を聞くに、少なくない闇祓いを配置しているんですよね? だったらそこまでの危険はないはずです。」
「それはそうかもしれませんが……どうします? 隊長。」
苦笑いになったヴィドックさんが話を振ると、バルト隊長はため息を吐きながらアリスに問いを投げる。
「お断りすれば諦めてオルレアンに戻ってくれますかな?」
「……断らないで欲しいです。」
「お嬢さん、貴女は厄介な人だ。やっていることは信念に基づいているが、同時に他人に迷惑をかけている。我々にとっては少女たちと同様に、貴女も守るべき存在なのです。軽々に『餌』にすることなど出来ません。」
「だけど、昨日の時点では私を餌として扱うおつもりだったんでしょう? だからこそクロードさんを護衛に当てた。そうじゃないんですか?」
バルト隊長の目を真っ直ぐ見返して指摘したアリスに、隊長は小さく首を振りながら否定を返す。
「状況が違いますな。あの時点ではビスクドールの調査が終わっていませんでしたので、犯人がお嬢さんに荷物を送ったという点に関しても半信半疑でした。……しかし、今はもう違う。護衛に関しては熟練の者を増員しますし、出来れば我々が指定する宿泊施設に移っていただきたいとも思っています。」
「気に入りませんね。中途半端に餌を投げ入れて、今更惜しくなったから回収するということですか? ……どうせやるならやり通してください。フランス闇祓い隊は小娘一人守り切れないような集団ではないはずです。私を少女たちを助け出すための餌にして、その上で私のことも守り抜く。そのくらいの気概を見せてはいただけませんか?」
うっわ、言うなぁ。私がドン引きして、クロードさんが真っ青な顔で止めようとする中……額を押さえて瞑目するバルト隊長の代わりに、愉快そうな表情のヴィドックさんが声を上げた。
「いやはや、イギリスの女性というのは恐ろしいですね。……どうします? 隊長。言われてますよ?」
「クロードでは手に負えないお嬢さん……女性だということはよく分かりました。大した度胸ですな。イギリス人でなければ闇祓いにならないかと勧誘していたところです。」
「もし勧誘されていたらお断りしてました。……私だったらこんな面倒な小娘の相手をしたくはありませんから。」
あっけらかんと答えたアリスにヴィドックさんが笑みを強めるが……なんか、二人とも怒ってる感じではないな。物凄く失礼なことを言っていた気がするんだが。私とクロードさんがきょとんとしている間にも、バルト隊長は背凭れに身を預けて返答を口にする。表情こそ厳しいままだが、何故かさっきよりも柔らかい雰囲気だ。
「お答えしましょう、マーガトロイドさん。フランス闇祓い隊は小娘一人守り切れないような集団ではありません。それが見えている危険に飛び込もうとする厄介な小娘だとしてもです。」
「では、私は安心して『餌』になれるということですね。」
「そのようですな。……お陰で先程の息子に対する説教の説得力がなくなってしまったわけですが。」
「臨機応変に動けてこそ一流の闇祓いってことですよ、きっと。……何か頼んでもいいですか?」
飄々とした態度でメニューを指差すアリスへと、バルト隊長はもうどうにでもしてくれという顔で首肯を放った。ヴィドックさんは丸眼鏡を専用のクロスで拭きながら笑いを噛み殺しており、私とクロードさんは頭の上に疑問符を浮かべている。
「好きな物を頼んでください。ご馳走しましょう。」
「それじゃ、遠慮なく。……テッサは何にする? バルト隊長が奢ってくれるみたいよ。」
こんな空気で頼めるわけないだろうが。にっこり微笑みかけてくる親友を前に、テッサ・ヴェイユは何とも言えない微妙な表情を浮かべるのだった。