Game of Vampire   作:のみみず@白月

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グラン・ギニョール座

 

 

「昼間と比べて随分と混んでるわね。」

 

薄暗い劇場の二階スペース。やや狭めの通路を進みながら、アリス・マーガトロイドは隣のテッサに話しかけていた。一階と二階を合わせて三百席くらいか? 席数自体は少なめだが、それでも外から見たよりは大きかったようだ。奥に広がっていたらしい。

 

カフェで昼食がてらバルト隊長やヴィドックさんとの情報共有を終え、その後物乞いの老人から教えてもらったバーに寄った後、夜の部を観劇するためグラン・ギニョール劇場に戻ってきたのである。五十年ほど前に礼拝堂を買い取って劇場に改装したらしいが……うーむ、それっぽい雰囲気は感じられないな。先入観の所為かもしれない。

 

ちなみにバーでは『演出家』らしき人物は見つからなかった。ヴィドックさんが巧みな話術で団員から聞き出したところによれば、件の演出家どのは人付き合いがあまり良くないらしい。劇場以外の場所で接点を持っている団員は皆無なのだとか。

 

結局バーで得られた情報は演出家が美形の若い男性であることと、団員たちにあまりやる気がないこと、そしてヴィドックさんがお酒に強いという事実だけだ。つまるところ、大した収穫はなかったのである。チケットに書かれた座席番号を確認しながらため息を吐く私に、キョロキョロと辺りを見回しているテッサが返事を寄越してきた。

 

「ひょっとして満席なんじゃない? ……こうなるとバーの団員さんたちの気持ちも分かるなぁ。自分たちが頑張ってやってきても全然お客さんが入らなかったのに、その演出家が来た途端にこれってことでしょ? やる気なくすよ、そんなもん。」

 

「だからって昼間からお酒を飲むのはどうかと思うけどね。演劇の世界は実力が全てってことでしょ。悔しくて努力するならともかく、何もせずに腐ってる人たちに同情は出来ないわ。」

 

「そりゃあそうかもだけどさ。……天才って存在は確かに居るんだと思うよ。それよりずっと多い数の凡才が居るみたいにね。」

 

「物事に向き不向きがあるのは当然でしょ。それはスタートラインの差でしかないわ。どこまで走るかはその人次第よ。……この席ね。」

 

二階席の一番右端にある、舞台袖がすぐ近くの四人並び席。舞台正面の二階席は二列になっているのだが、こっちは一列だけらしい。バルト隊長、私、テッサ、クロードさんの順で席に着いたところで、テッサがポツリと返答を返してくる。劇場に入る前に受けたバルト隊長の説明によれば、ヴィドックさんや他の闇祓い隊員は別の場所に散らばっているんだとか。

 

「んー、どうかな。同じ分だけ頑張っても、走るスピードに差が出ちゃうんじゃない? 一番前を走ってるとそのことに気付き難いんだよ、きっと。」

 

んん、どういう意味だ? ちょびっとだけ悲しそうに呟いたテッサへと、首を傾げながら真意を尋ねようとしたところで……わお、リーゼ様? 私の太ももに子供一人分の重さが乗ってくると同時に、胸にポスンと透明な何かが寄り掛かってきた。リーゼ様が私の膝に腰掛けてきたらしい。

 

どうしよう、汗臭くないかな? 今日は結構歩いたし、気温もそこそこ高かったのだ。汗をかいたという自覚はないが、リーゼ様はかなり臭いに敏感。もしかしたら『こいつ、汗臭いな』なんて思われてるかもしれないぞ。

 

冷たい恐怖が背筋を伝うが、席同士の間隔が狭いので小声で問いかけることは出来ない。何故入る前に魔法で綺麗にしておかなかったのかと後悔する私へと、今度は右隣のバルト隊長が声をかけてくる。

 

「すぐ後ろに非常用の出口がありますので、一応頭に入れておいてください。周囲はノン・マジークだらけですから、さすがに非常口から飛び出すような事態にはならないと思いますが。」

 

「覚えておきます。……結局『演出家』とは接触できなかったんですか? 他の闇祓いの人が調べに入ったんですよね?」

 

「魔法で身を隠して劇場内を探し回ったそうですが、ついぞ見付からなかったようですな。……不自然さを感じます。バーの団員たちの話では、夜の部の責任者はその演出家……エリックという男のはず。それなのに団員たちと接触した様子もなければ、準備自体は座長を中心に行なっていたとか。演劇の裏側に詳しいわけではありませんが、通常責任者というのは中心で指揮を執るはずです。」

 

「闇祓いが内偵に入ってるのがバレた、って可能性はありませんか? だから身を隠しているとか。」

 

我ながら浅い推理を送ってみれば、バルト隊長は難しい表情で曖昧な答えを口にした。

 

「不明ですが、何れにせよ怪しさは増しましたな。先程魔法省に連絡して捕縛の許可を申請しました。ノン・マジークを被疑者として捕縛するのは滅多にないことですから、許可が下りないかもしれませんが……まあ、申請するだけならタダです。通ることを祈っておきましょう。」

 

「やっぱりその辺はどの国も厳しいんですね。」

 

「ノン・マジークへの干渉は機密保持法と対軸にありますから。むこうの犯罪はむこうに裁かせる、というのがヨーロッパ魔法界の基本方針なのですよ。……劇場の関係者に魔法使いが一人でも居れば話は早かったのですがね。一人も居ないのであれば、ここは法的には『非魔法界』。故に我々は強引な捜査を出来ないわけです。」

 

色々と難しい問題だが、国際魔法使い連盟の方針は間違っていないだろう。そういった線引きをきちんとしなければ、向かう先は魔法界の露見なのだから。ぐらぐらと揺れる魔法界と非魔法界の均衡についてを考えていると、左隣のテッサが不満げな顔で話に入ってくる。

 

「だけど、誘拐されたのは全員魔法族の子供なんですよね? 犯人が魔法使いってことも判明したわけでしょう? それなのに、その……ここまで非魔法界に気を使わないとダメなんですか? こうなったらもう『こっち』の問題じゃないですか。」

 

「私としてもそう思いますが、闇祓いとして許可無しに動くわけにはいきません。一番大きかったのはこの建物から魔法反応が出なかったという点ですな。仮に出ていれば団員が全員ノン・マジークだろうが強制捜査は出来たでしょう。しかしながら、出ていない以上は『お役所仕事』の申請を通す他ないのですよ。」

 

バルト隊長としてももどかしいのだろう。微かな苛つきを覗かせながら言ったのに対して、耳元で私にしか聞こえない相槌が放たれた。リーゼ様の皮肉げな声だ。

 

「んふふ、『本物』の魔法なら反応など出ないわけだ。あれはそれぞれの魔女が独自に創り出した魔法だからね。嗅ぎ分けられるのは同じ本物だけだよ。」

 

その通り。パチュリーの魔法がイギリス魔法省の管理の外にあるように、エリックという男が魔術師だとすれば同じことが言えるはずだ。でも、『本物』が使う魔法には物凄く深い部分で共通の要素が必ずある。魔女である私ならそれに気付ける……はず? なんか自信がなくなってきたぞ。

 

パチュリーから習ったことを脳内でおさらいしていると、それまで劇場内を照らしていた弱々しいライトが一斉に消えた。同時に壇上をスポットライトが照らし、舞台袖から一人の男が歩み出てくる。遂に開演するらしい。

 

観客たちの騒めきが静まる中、舞台の中央に立ったタキシード姿の初老の男性……年齢が合わないし、エリックとかいう演出家ではないな。座長さんだろうか? はよく通る声で高らかに語り始めた。

 

「紳士淑女の皆様、我らがグラン・ギニョール劇場へようこそ! ここで大変残念なお知らせがあるのですが、今宵行われるのは演劇ではありません。我々が皆様にお見せするのは……そう、恐怖そのものなのです!」

 

大仰な台詞だな。観客の大半もそう思っているようで、期待しつつも余裕のある態度で男性の口上を聞いているが……三割ほどの客は既に怖がっているような様子だ。素直というか何というか、いくらなんでも早すぎないか? 何が行なわれるのかを知っている常連客なのかもしれないな。

 

「おおっと、今日はお疑いの方が多いようだ。……分かります、分かりますとも。皆様はこんな小さな劇場で観られるものなど高が知れていると思っていらっしゃる。違いますか? ……それで結構、大いに結構。しかし皆様、どうか席を立たずに最後までご覧ください。皆様が買ったそのチケット。全てを終えてこの劇場を出る頃には、皆様はきっとそれを買ったことを誇らしく思うでしょう。だってほら、本物の恐怖とは人間にとって最上の娯楽なのですから。」

 

男性がそう言って両手を広げた瞬間、スポットライトが刹那の間だけ消えて……再び照らされた時には、男性は等身大の人形に変わっていた。面長な顔に、どこか歪な布の胴体。サイズこそ指人形ではないが、ムルゲのデザインそのままのギニョール人形だ。最低限の凹凸がある顔にはのっぺりした顔が描かれており、スポットライトに照らされたままジッと観客の方を見つめている。

 

これはまあ、確かに不気味だな。指人形としてのギニョール人形は私もよく知っているが、等身大になると受けるイメージは変わってくるらしい。恐らくほぼ全ての観客が私と同じようにぞわりと鳥肌を立たせているのだろう。

 

スポットライトの光を独占する直立不動のギニョール人形は、不気味な影を作る顔で観客たちを舐めるようにじっくりと見回した後……おー、びっくりしたぞ。何の脈絡も無く唐突に物凄いスピードで舞台袖に走り去って行く。人間に似た動きだが、同時に人間なら絶対にしない動きで。

 

最前列の観客が小さく悲鳴を上げるのを耳にしたところで、半笑いのテッサがこっそり感想を述べてきた。

 

「……これはちょっと怖いかも。マグルの劇だからってナメてたよ。どうやって入れ替わったんだろ?」

 

「さっぱり分からないわ。思い付くのは最初に喋ってた男性を仕込み穴か何かで舞台下に落として、同時に人形を天井から落とすって方法だけど……暗転の時間は一秒なかったわよね? だったらどれだけ素早く動いてもその方法じゃ不可能よ。」

 

「うーん、『魔法アリ』なら分かるんだけど……使ってないんですよね?」

 

私越しにテッサから飛ばされた疑問に、ポケットから取り出したバッジを確認しながらのバルト隊長が首肯を返す。

 

「闇祓い以外の魔法反応が確認されれば、即座に隊章を通して連絡が入ることになっています。それが無いということは、あくまでノン・マジークの技術ということなのでしょう。大したものですな。」

 

感心したような声色でバルト隊長が言ったところで、舞台袖から古めかしい格好の一組の男女が現れた。前座も終わり、劇に入るってことか。気を取り直して観劇しようとする私に、再びリーゼ様が透明な顔を寄せて囁いてくる。観客たちが静かになったから、両脇のテッサやバルト隊長に聞こえてしまうことを警戒しているのだろう。殆ど耳に唇が触れているような距離だ。

 

「アリス、集中したまえ。キミや観客たちは人間が人形にすり替わったという認識らしいが、私には最初から最後まで人形が喋っているように見えてたぞ。」

 

最初から? ……その言葉を受けてごくりと喉を鳴らしてから、目を閉じて自分の中の魔力を整えていく。リーゼ様の目と、私の目。どちらを信じるかなど言わずもがなだ。つまり、リーゼ様を除いた劇場内の全員が認識を狂わされていたということだろう。もう既に相手の術中にあったわけか。

 

悔しいな。魔法をかけられたことにすら気付けないとは。内心で猛省しつつも、解呪のために雑念を追い払って集中する。こういう魔法は気付けないからこそ難しいのであって、気付きさえすれば私にも対処できるはずだ。私が魔力を動かして対策している間にも、どんどん進む劇は次第に内容を明らかにしていった。

 

ストーリー自体は割と単純なもので、『パリに旅行に来た仲睦まじい男女が、謎のギニョール人形に襲われる』というものらしい。知り合った人間がいきなり殺されたり、古いホテルに閉じ込められて宿泊客の中で疑心暗鬼になったり……まあうん、ありきたりなストーリーだと言えるだろう。物語としての整合性も欠けているし、脚本そのものは少し微妙な気がするぞ。

 

とはいえ、席を立つ観客は一人も居ない。何故なら登場人物の『殺され方』が凄まじくリアルだからだ。例えば斧で腕を切られれば血が噴き出し、耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げ、生々しい断面部がはっきりと観客の方に向けられて、漂ってくる血の臭いは本物さながらな上に役者たちの表情も真に迫るもの『らしい』。観客たちは犠牲者が出るたびに悲鳴を上げたり、目を逸らしたり、あるいは気を失ったりしている。

 

だが、術から逃れた私から見れば……ひどく異質な人形劇にしか見えないな。なにせ舞台に立っているのは一人残らず人形なのだ。ギニョール人形以外は木組みのデッサン人形のような造形で、身体の各所に血糊が入ったパックや内臓を模した布袋なんかを堂々とぶら下げている。他の観客たちにはリアルに見えているようだが、私の視点だとどう頑張っても作り物だぞ。

 

ただし、顔だけは違う。首から下は木が剥き出しの単純な造形の癖に、頭部だけは人間と見紛うほどのリアルさだ。木組みの身体と人間の顔。そのアンバランスさも不気味なのだが……やはり一番ゾッとするのは、ギニョール人形を除く全ての人形の顔が『逆向き』になっていることだな。

 

デッサン人形たちは首を捻じ曲げられたかのように顔面が背中側に回っており、目からは赤い鉄錆のような涙を流し続けている。活き活きと後ろ向きの顔で台詞を喋り、ぎこちない動きで演劇を続ける人形たち。あまりにも異様なその劇を観ている私に、リーゼ様が興味深そうな声で三度囁きかけてきた。

 

「どうも魔術師どのはダンテのファンらしいね。……実に分かり易い自己主張じゃないか。自分の身分と、悪意の存在をこうして伝えてきているわけだ。蒙昧な人間には作り物のホラーにしか見えず、私たちにだけ真意が伝わるやり方でね。魔術師としての格は未だ分からんが、ユーモアのセンスはパチェより上みたいだぞ。」

 

十三世紀に生まれた詩人が描いた地獄。そこでは悪しき魔女や魔術師は深い地獄に落とされて、捻じ曲げられた顔から後悔の涙を流すらしい。要するに、この劇はとんでもなく悪趣味な『自虐ジョーク』ってことか。とうとう舞台の奥に追い詰められた二体の人形……最初に出てきたカップルの顔が付いたデッサン人形を眺めつつ眉根を寄せていると、彼らの前に立ったギニョール人形がゆっくりと観客席に視線を向ける。血糊が滴る斧を片手にしながらだ。

 

そのまま最初にそうしたように観客を順繰りに睨め付けていたギニョール人形だったが、私と目が合ったところでピタリと顔を止めると……嘘だろう? いきなり斧をこっちにぶん投げてきた。

 

プロテゴ(護れ)! ……クロード、お二人に張り付け!」

 

「はい!」

 

私が杖を抜く間も無く反応したバルト隊長が盾の呪文でそれを弾き、素早く立ち上がったクロードさんが私とテッサの前に出た瞬間、劇場内の明かりが一斉に消える。暗闇に支配されたホールで観客たちが悲鳴を上げる中、膝の上の重みがなくなると共に耳元で声が聞こえてきた。

 

「杖を抜きたまえ、アリス。始まるみたいだぞ。」

 

始まる? 戦闘ってことか? 波立つ心を抑えつつ、とりあえずリーゼ様の指示に従って杖を抜くが……ええい、何も見えないぞ。空いている左手で隣のテッサの存在を確認しながら、明かりを灯していいかとバルト隊長に問いかけようとしたところで、一階席から呪文の光が放たれる。闇祓いの誰かが明かりを打ち上げたようだ。

 

眩い光に刹那の間だけ目が眩み、手をかざしながら状況を確認してみれば……何だこれは。舞台から飛び降りて観客に襲いかかるデッサン人形たちと、それに対処する闇祓いたちの姿が見えてきた。人形たちは手に手に包丁や手斧なんかを持っており、無差別に手近な人間へとそれを振り下ろしているらしい。

 

「何あれ、人形? ……エクスパルソ(爆破)!」

 

「人形に見えるの? エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

「そりゃ、あんな人間は居て欲しくないしね。エクスパルソ! ダメ、効かないみたい。」

 

認識を狂わせる魔法は解けているわけか。テッサと会話しながら階下の人形たちへと呪文を撃ち込むが……うん、全然効いてないな。呪文を食らったデッサン人形は大きくよろけるものの、武器を手放す様子も砕ける様子もない。魔法力への抵抗があるのか?

 

勿論ながら経験豊富なバルト隊長もそのことに気付いたようで、大声で劇場内の闇祓いたちに指示を飛ばし始めた。一階席に居る闇祓いは全部で五人だ。二階席のバルト隊長とクロードさんを含めれば計七人。闇祓い七人というのはかなりの戦力だが、観客の数が数だけに苦戦しているらしい。

 

「小手先の呪文は効かんぞ! 魔力を込めた衝撃呪文で吹き飛ばせ! ヴィドック、出口を確保できないのか?」

 

「ドアが開きません、隊長! 破壊も出来ないようです! 強力な防衛魔法が……フリペンド(撃て)! 防衛魔法がかけられています! 解呪には時間がかかるかと!」

 

「ならばヴィドック、お前は他の出口を虱潰しに調べろ! フーケ、観客を集めて囲め! 盾を張るぞ!」

 

舞台袖からどんどん出てくるデッサン人形の数は既に三十体を超えており、逃げ惑う観客たちに次から次へと襲いかかっている。フーケと呼ばれた年嵩の闇祓いがバルト隊長の指示に頷いて、混乱する観客たちを誘導しようとするが……そこにこれまで舞台の上で動かなかったギニョール人形が突っ込んでいった。

 

「観客の皆さん、我々の指示に従ってください! 先ずは一箇所に固まって……フリペンド! フリペンド! こいつ、呪文が──」

 

二度放たれた闇祓いの有言呪文を物ともせず、ギニョール人形は私に投げた物より数段大きい斧を構えて闇祓いに近付くと……呆気なくそれを脳天に突き立てる。直前に盾の無言呪文を使っていたのに。

 

すぐ近くで起こった生々しい死。家族が物盗りに殺された時の記憶は今でも曖昧だが、これは……呆然と立ち尽くす私とテッサを他所に、バルト隊長はクロードさんに短く指示を出してから一階へと飛び降りた。

 

「クロード、二人から離れるなよ! ……その人形は私が受け持つ! リヴィエール、フーケの役目を引き継げ!」

 

そう言うとバルト隊長は物凄いスピードで杖を振り、舞台にかかっていた幕を呪文で引き裂くと、それを操ってギニョール人形に巻き付けていく。

 

「フリペンド! ……姿くらましは? 一人ずつ観客を逃がすのは無理なの?」

 

力任せに幕を振り解こうとするギニョール人形へと、デッサン人形の妨害をいなしながら十重二十重に布を巻き付けていくバルト隊長。我に返って階下の攻防を援護しつつ口にした質問に、クロードさんは首を横に振って答えてきた。

 

「ダメです、妨害されています。……我々も二階の観客を誘導しつつ下に移動しましょう。申し訳ありませんが、協力をお願いできますか? 観客を一箇所に集めて防衛魔法で囲めば状況はかなり改善するはずです。」

 

「当然よ。援護するから移動を……テッサ、大丈夫? テッサ!」

 

先程殺された闇祓いの死体。割れた頭から血を流しているその姿を見つめたまま動かないテッサの肩を叩くと、彼女は蒼白な顔でびくりと震えた後、慌てて何度も首肯しながら応じてくる。

 

「だ、大丈夫。動ける。動かないと。」

 

動揺しているな。どうにかして落ち着かせたいのは山々だが、今はそんな余裕などない。とにかく杖を構えたままでいるようにと助言を送ろうとしたところで……私たちの席の後方にあった非常用のドアが勢いよく開け放たれた。

 

非常階段、だろうか? 開いたドア越しに見える鉄の簡素な階段と、漂ってくる夜の屋外の匂い。急に現れた逃げ道に少しだけ気を抜いた瞬間、天井から落ちてきた何かがテッサに覆い被さる。

 

「へ? ……わっ、アリ──」

 

「テッサ!」

 

デッサン人形だ。天井から落ちてきたデッサン人形は一瞬でテッサを掴むと、素早い動きで非常階段の方へと引き摺っていった。考える間も無くそれを追おうとした私だったが、無情にも目の前でドアが閉ま──

 

「おっと。」

 

る直前、不自然な位置でビタリと停止したかと思えば、物凄い力で手を引かれてドアの隙間を通り抜ける。リーゼ様が助けてくれたらしい。大慌ての表情でこちらに手を伸ばすクロードさんの姿が閉じたドアで見えなくなったのと同時に、カシャンという音を立てて非常階段の踊り場に尻餅をついた。

 

「リーゼ様、テッサを!」

 

「はいはい、分かってるさ。」

 

置き去りにしたクロードさんに申し訳ない気持ちはあるし、劇場の中の状況も気になるが、私にとってはテッサの安全が最優先だ。すぐさまリーゼ様に呼びかけてみれば、彼女は私をお姫様抱っこして非常階段を飛び降りる。全然追えていない私と違って、リーゼ様はテッサを攫ったデッサン人形の行方を把握しているらしい。

 

一秒に満たない短い落下の感覚と、地面に着地する時の僅かな衝撃。ここは……劇場の裏手の路地か? 視界に広がる街灯のない薄暗い路地の先に、テッサを羽交い締めにしたデッサン人形が立っているのが目に入ってきた。さっきは急すぎて気付かなかったが、劇場内のデッサン人形と違って腕が六本付いているようだ。背も二メートル近い長身に作られている。

 

そして、その隣に立つ夜会服を着た男性。長めの黒髪の下にある切れ目を愉快そうに歪めたその男は、仰々しい動作で右足を引いてお辞儀してきた。見覚えのある顔だな。昼間に路地の入り口ですれ違った男か。

 

「こんばんは、イギリスの人形作りさん。やっとお会いできましたね。……貴女に会えるのを待ち望んでいましたよ。」

 

嬉しそうに微笑むその男を前に、アリス・マーガトロイドは手の中の杖をしっかりと握り直すのだった。

 

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