Game of Vampire   作:のみみず@白月

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貪欲な蒐集者

 

 

「暑いわ。それに久々に歩いて疲れたし、なんだか頭も痛くなってきたかも。」

 

パリ七区にある小さなカフェの店内。テーブルに着いた途端に不平不満を連発してくる師匠を前に、アリス・マーガトロイドはため息を吐きながら眉間を押さえていた。頼もしいっちゃ頼もしいが、団体行動には著しく向いていないな。リーゼ様が既に嫌そうな顔になっちゃってるぞ。

 

十五区にあった魔術師……というか魔女の工房でテッサが人質にされていると聞いた後、何度も何度も早く助けに行こうとリーゼ様と美鈴さんを急かしてみたものの、結局『応援』が到着する宵時まで引き延ばされてしまったのだ。こうなったら私一人で乗り込もうかと思ったのも一度や二度ではないのだが、未熟な私だけではどう考えてもミイラ取りがミイラになるだけ。結果としてこんな時間になってしまったのである。

 

もう準備は出来たはずだと焦っている私を他所に、リーゼ様が珍しく小洒落た格好をしているパチュリーに文句を投げかけた。ちなみに私たちが居るのは適当に入ったカフェのテーブル席で、美鈴さんは本日四度目の食事を取っている。幸せそうな顔で夢中になっているのが今だけは恨めしいぞ。

 

「早くも文句か。図書館から転移してきたばかりなんだろう? 出不精もそこまでいくと病気だね。重病だよ。」

 

「あのね、私はこの店を探すのに十分も歩かされたのよ? もう限界。図書館に帰りたい。早く本が読みたいわ。」

 

「キミは本当に……情けないよ。今度から強制的に運動させるべきかもね。というかそもそも、服装が季節に合ってなさすぎるぞ。そんなに着込んでたら暑いのは当然だろう?」

 

そこに関してはまあ、リーゼ様に同意だな。茶色いブーツに落ち着いた色のロングスカート、そしてブラウスに厚めのカーディガンを着た上からストールを羽織っている。この季節でも夜は涼しいので奇異に思われるほどではないが、ちょっと季節感がズレているのは間違いないだろう。

 

「……だって、何を着たらいいのか分からなかったんだもの。だからマグルのファッション誌に載ってたやつをそのまま魔法で作って着てきたわ。最近の雑誌だし、大きく間違ってはいないはずよ。」

 

「その服で戦えるんだろうね? 実に動き難そうだが。」

 

「貴女と違って動かなくても戦えるもの。私は頭脳派なのよ。貴女と違ってね。」

 

「季節のことを考えられる頭脳があれば尚良かったんだけどね。……レミィは何て?」

 

いつも通り皮肉を交えながら聞くリーゼ様に、パチュリーもまた応戦しつつ返事を返す。

 

「多少厚着でも貴女みたいな破廉恥な服装よりは遥かにマシでしょ。スカートが短すぎるわよ。……例の魔術師だか魔女だかは他の人外にも迷惑がられてたみたいだから、そいつを討伐する目的に限って入国の許可を取り付けてくれたんですって。具体的に誰に取り付けたのかは知らないけどね。」

 

「この辺の顔役だろうさ。……それと、私は動き易さを重視してるんだ。別に破廉恥なわけじゃない。アリスの教育に悪いから訂正してもらおうか。」

 

「どうかしら。もう少しで膝が見えちゃいそうだけど? 『膝は女性にとって最も醜い部分』ってフランス人の言葉を知らないの?」

 

「それでも見えないように歩けるのが淑女ってもんだろうが。私にはテクニックがあるんだよ、淑女としてのテクニックが。ズボラなキミと一緒にしないでくれたまえ。」

 

ああもう、そんな話をしている場合じゃないんだぞ! テーブルをバンと叩いて注目を集めてから、淑女の在り方を語り合う二人に催促を飛ばした。美鈴さんだけはそれでも我関せずと食べ続けているが。

 

「はい、その話は終わりです。終わり! 早くテッサを助けに行きましょうよ!」

 

「びっくりするじゃないか、アリス。そんなに焦らなくてもヴェイユの安全は保証されて──」

 

「いいから行くんです! いいですね?」

 

「……まあ、いいけどね。」

 

まったくもう、暢気すぎるぞ。気圧されたような半笑いで頷いたリーゼ様は、急いでデザートを片付けている美鈴さんを促しつつ席を立つ。パチュリーも目を丸くしながら大人しく立ち上がる中、お代をテーブルに叩き付けて真っ先に店を出た。強引に動かなければいつまで経っても事態が進行しないのだ。もう遠慮しないからな。

 

「さあさあ、廃劇場とやらに行きましょう。目の前に姿あらわしするってことでいいですよね?」

 

路地裏目指して進む私に追い付いてきたリーゼ様に問いかけてみると、彼女は慌ててポケットに手を入れながら首肯してくる。

 

「それは構わないが、場所は──」

 

「覚えてます。先に行きますからね。」

 

有無を言わせず手近な路地に飛び込んで、建物の陰に身を隠しながら姿あらわししてみれば……ここか。石造りの寂れた建物が目に入ってきた。古臭いゴシック様式の大きな劇場だ。長年手入れがされていないのは明らかだし、屋根にはいくつか穴が空いている。

 

入り口の手前に放置されている看板は当時の宣伝に使われたものだろうか? 掠れたペンキで『ハンニバル』と書かれた板を見ながら考えていると、私に続いてリーゼ様とパチュリーも姿あらわしで現れた。美鈴さんはリーゼ様に連れてきてもらったようだ。

 

「おや、中々大きな劇場じゃないか。昨日の掘っ建て小屋とは大違いだね。」

 

「……魔法がかかってるわね。入れるけど出られないって類の魔法だと思うわ。解呪してみる?」

 

「すぐに出来るかい?」

 

「普通にやってたら二、三十分はかかりそうね。隠蔽する気はゼロだけど、開き直って複雑な構成にしてるみたいだから。」

 

……悔しいけど、パチュリーを連れてきたリーゼ様の判断は正解らしい。だって私には魔法がかかっていることなんてさっぱり分からないのだ。私が蚊帳の外で二人の会話を聞いている間に、美鈴さんが何気ない動作で入り口のドアを開けてしまう。

 

「ありゃ、開いてますよ?」

 

「キミね、私たちの会話を聞いてたかい? 入るのは楽だが出るのは……まあいいか、行こう。出ようと思えば出られるだろうさ。」

 

「貴女、何のために私を呼んだの? そういう感じで強行するなら必要ないでしょうに。」

 

美鈴さんに突っ込みながら付いて行くリーゼ様と、文句を口にしつつその背に続くパチュリー。その更に後ろから私も慌てていくつも並んでいるドアの一つを抜けてみれば……うーん、中もボロボロだな。そこにはエントランスホールらしき空間が広がっていた。左右には弧を描く上り階段が設置されており、奥には入り口と同じように複数のドアが見えている。恐らく劇場スペースに繋がっているのだろう。

 

興味深そうに歩き回る美鈴さんと無言で天井を眺めるパチュリーを尻目に、リーゼ様が大きく鼻を鳴らして口を開いた。

 

「で? どうすればいいんだい? パチェ。私たちを導いてくれたまえ。そのために呼んだんだから。」

 

「魔女だって常に道を知ってるわけじゃないのよ。……下はある程度落ち着いてるけど、上階には魔力が渦巻いてるわね。あと、そのドアのすぐ先に何かが居るわ。とりあえず分かるのはそのくらいかしら。」

 

パチュリーが静かな口調で言った瞬間、五つ並んでいた前方のドアが全部開いて、どこからともなく陽気な音楽が鳴り響き始める。私だけが即座に杖を構えて臨戦態勢になる中、残りの三人が冷めた目線を送るドアから……人形? 大量の小さなブリキ人形たちが手に手にミニチュアの楽器を持って行進してきた。

 

ドラムやブラス、シンバル等を器用に鳴らす三十体ほどのブリキ人形たちは、私たちの目の前に綺麗に整列した後、そのまま三十秒ほど演奏を続けていたが……やがて指揮杖を持った一体の人形が音楽に合わせて前に進み出てくる。指揮者役ってことか。

 

「ようこそ、気取り屋のイギリス妖怪の皆さん! ようこそ! ようこそ! 心から歓迎します! ようこそ、気取り──」

 

「もうちょっと語彙を増やしたまえよ、ぽんこつめ。」

 

コミカルな声で喋り始めた指揮者人形をリーゼ様が容赦なく蹴っ飛ばすと、地面に転がった人形は尚も指揮杖を上下させながら話を続けてきた。

 

「ようこそ! 人質は地下に居ます。早く助けてあげて! ようこそ、気取り屋のイギリス妖怪の皆さん! 早く助けてあげて! ようこそ! 人質は地下に居ます。早く──」

 

「だそうだが、どうする? キミは上を怪しんでいるんだろう?」

 

壊れたレコードのように喋り続ける人形をぐしゃりと踏み潰したリーゼ様の質問に対して、パチュリーは地面を注視しながら返答を返す。ちなみに指揮者人形が潰された途端、他のブリキ人形たちはぴたりと演奏を止めてしまった。あれだけの人形を作る魔女にしては粗雑な作品だな。伝言のために急いで作った間に合わせの人形なのかもしれない。

 

「二手に分かれていいんじゃないかしら。……言っておくけど、二人ずつじゃないわよ? 三対一に分かれるってこと。」

 

「美鈴か私は単独行動でも問題ないだろうし、悪くない提案だね。……それじゃ美鈴、地下は任せたぞ。」

 

「うわぁ、やっぱり私が除け者ですか。寂しいですねぇ。」

 

「キミは殺しても死なないだろうしね。ちゃちゃっと捜索してきたまえ。」

 

足元の木の床を指しながら言ったリーゼ様に、美鈴さんは渋々といった様子で了解の頷きを放つ。そのまま下り階段を探して右奥のドアを抜けていく美鈴さんを見送った後、私たち三人も上階に行くために上り階段を途中まで上ったところで、リーゼ様がかなり不安になることをポツリと呟いた。

 

「……そういえば美鈴のやつ、ヴェイユの顔を知ってるのか?」

 

言われてみれば確かにそうだ。名前と『私の友人である』という基本的な情報は知っていたようだが、直に会ったことは一度もないはず。手すりを握ったままで顔を引きつらせる私に、リーゼ様は肩を竦めて適当すぎる慰めを寄越してくる。

 

「まあ、美鈴だってそこまでバカじゃないさ。詳しい容姿を聞かなかったってことは、きっとどこかで見たことがあるんだよ。きっとね。きっと。」

 

「……そう思いますか?」

 

「思わないけど、今更どうしようもないじゃないか。時既にってやつだよ。ああ見えて仕事は早い方だから、追いかけても間に合わないぞ。」

 

「それなら……そう、守護霊に伝言を託しましょう。」

 

杖を構えて守護霊の呪文を使おうとする私だったが、軽く息を切らせているパチュリーがそれを止めてきた。……まさか、こんな短い階段でバテたのか? その辺のお婆ちゃんだってこの程度じゃ疲れないはずだぞ。

 

「妨害されてるから無駄よ。……それより、少し休まない? 疲れたわ。」

 

「パチュリー、本気で言ってるの? 冗談だよね?」

 

「……ジョークよ、ジョーク。本気なわけないでしょ。」

 

心底呆れているトーンで問いかけてみれば、パチュリーは目を泳がせて再び階段を上り始める。ムーンホールドに帰ったら絶対に運動させよう。もう運動できないとかいうレベルじゃなくて、筋肉が退化していることすら疑ってしまうぞ。

 

師匠のとんでもない発言に今日一番の恐怖を覚えた後、美鈴さんが消えていった階下のドアを見下ろしてため息を吐く。……幾ら何でもそこまで抜けていないと信じよう。本当に知らないのであれば普通は聞いてくるはずだ。誰を助けるのかも分からないのに救出に行くほどおバカではあるまい。

 

赤髪の門番を信じて前に向き直ったところで、一階と同じくボロボロになっている二階の廊下が目に入ってきた。開け放たれた近くのドアからは劇場の二階席が覗いており、廊下の最奥には更に上へと通じる上り階段が設置されている。外観を見るに三階建てくらいの高さはあったし、特に不自然ではないだろう。

 

「ふぅん? デカいステージだね。……天井の高さはあるが、三階席はないみたいだ。」

 

開いていたドアを抜けて客席やステージを確認し始めたリーゼ様の後ろから、私もひょっこり顔を出してみると……張り出し式の大きなステージと、無数の観客席が並んでいる広い劇場スペースが見えてきた。結構な数の客席が壊れているし、ステージにかかっている幕は穴だらけだが、それでも格式高い劇場だったことが一目で分かる見事な空間だ。

 

これは確かにグラン・ギニョール劇場とは大違いだなと納得したところで、リーゼ様の疑問げな声が耳に届く。何かを見つけたようだ。

 

「……ステージに置いてあるあれは何だい? 小さな家?」

 

「家? ……本当ですね、ミニチュアのお屋敷でしょうか?」

 

あれを『家』と表現するあたりがリーゼ様の育ちの良さを表しているが、何はともあれミニチュアの屋敷であることは間違いないな。大きめのドールハウスだろうか? ぽつんとステージの中央に置かれている所為なのか、やけに存在感があるそれを不思議な気分で眺めていると──

 

「ダメよ、アリス。」

 

急に手を引かれてハッと我を取り戻す。眠りから覚めた時のように周囲の光景がいきなりはっきりする中、私の手を離したパチュリーが額を押さえながらやれやれと首を振った。

 

「油断しすぎよ、二人とも。……リーゼは間に合わなかったわね。別に大丈夫だと思うけど。」

 

間に合わなかった? どういう意味かとリーゼ様のことを探してみるが、私のすぐ隣に居たはずの吸血鬼の姿が忽然と消えている。きょろきょろと視線を彷徨わせる私に、パチュリーが呆れた声色で説明を繰り出してきた。

 

「あの屋敷の中に引き摺り込まれたんでしょ。敵が仕掛けた魔法というか、あのドールハウスがそういう性質の魔道具だったみたいね。……鏡、本、絵画。見た者を内側に誘う魔道具ってのは珍しくないわ。あれもその一つなんでしょう。吸血鬼であるリーゼを引き込めたのを見るに、そこそこ強力な代物なのかしら?」

 

「じゃあ、早く助けないと。」

 

「『助け』は不要ね。リーゼはこの程度で死ぬほどやわじゃないでしょ。……というか、ピンチなのはむしろ私たちの方だと思うけど。私たちの合計戦力を百とすると、私が九で貴女が一よ。残りの九十は早くも居なくなっちゃったってわけ。」

 

私は一か。まあ、妥当な数値ではあるな。情けない気分で手の中の杖を握り直したところで、ドールハウスを見ていたパチュリーがステージの端へと視線を移した。ドールハウスを視界に入れないように気を付けながら、釣られて私もそちらを確認してみると……グラン・ギニョール劇場に居た巨大ギニョール人形だ。昨日と同じように斧を手にしたそいつは、生気を感じない面長な顔を真っ直ぐこちらに向けている。

 

「パチュリー、あれ。」

 

「ええ、貴女の好きな人形ね。」

 

「いや、そういうことじゃなくて。」

 

平時と変わらぬ様子で返事を寄越してきた師匠に、どうすればいいのかと指示を仰ごうとした瞬間……うわ、走ってきたぞ。ギニョール人形はひとっ飛びで舞台に近い位置の二階席に飛び移ったかと思えば、そのまま凄まじいスピードでこちらに駆けてきた。

 

「パ、パチュリー? なんか走ってきてるけど、どうすればいいの?」

 

「貴女はどうもしなくていいわ。私がするから。」

 

言うとパチュリーは何処からともなく分厚い真っ黒な本を取り出して、迷うことなく真ん中くらいのページを一度開いた後、何かをポツポツと呟きながら勢いよくバタンと閉じる。すると本を閉じた時の風圧で紫色の髪がふわりと広がるのと同時に、十メートルほど先まで迫っていたギニョール人形が……わお、本に挟まれた虫みたいだ。左右から物凄い力で押し潰されたかのようにぺしゃんこになってしまった。

 

「あれって……パチュリーの魔法、なの?」

 

「どう見ても魔法でしょ。妹様の能力を研究してた時の副産物よ。彼女の能力より遥かに矮小で、不完全で、弱々しい魔法だけど……それでもこの程度の威力はあるの。」

 

「仕組みに関してはよく分からないけど、フランドールさんの能力が凄いってことは少し分かったよ。」

 

でなきゃこの現象を『弱々しい』と表現したりはしないだろう。巨大ギニョール人形は本来の指人形と違って大半が木製だったようで、今や小さな木片になって散らばっている。プショーのように頭部に脳みそが入っていなかったことに安心していると、再び黒本を開いた師匠が中の文字を指でなぞり始めた。改めて見ても記憶にない本だな。戦闘用のグリモワールなんだろうか?

 

「……キャッチして頂戴、アリス。」

 

「きゃっち? ……わわ、危ないよ。リーゼ様が入ってるんでしょ?」

 

中のリーゼ様はびっくりしたと思うぞ。言葉と共にこちらに飛んできたドールハウスを慌ててキャッチした私に、パチュリーは肩を竦めながら応じてくる。大きさは私が精一杯手を広げてギリギリ持てるくらいだが、重さは全然ないな。近くで見るとかなり精巧な作りだ。

 

「油断した罰よ。……引き込まれないように妨害してあるから、普通に持って構わないわ。」

 

「持っちゃうと歩き難いんだけど、浮遊魔法じゃダメなの?」

 

「試してみてもいいわよ。効果はないと思うけどね。……さすがにリーゼを引っ張り出すのは時間がかかりそうだし、そのまま持って行きましょう。そのうち勝手に出てくるでしょ。」

 

「……大丈夫なのかな? リーゼ様。」

 

言いながらドールハウスの窓を覗き込んでみるが、中にはミニチュアの廊下があるだけでリーゼ様の姿は見当たらない。外からは見えなかったりするんだろうか? なるべく揺らさないように気を付けてパチュリーの背に続いていくと、紫の師匠は二階の廊下に戻って上り階段の方へと向かいつつ話しかけてきた。

 

「しかし、人形を操るっていうのは貴女の魔法の参考になるんじゃない? よく観察して、盗めるところは盗んじゃいなさい。戦闘は私が受け持つから。」

 

「……私の魔法はこんなのとは違うよ。人間を人形になんかしたくないもん。」

 

「別にそこまで同じになれとは言ってないわ。共通しそうな部分だけ参考にしちゃえばいいのよ。……魔法は手段であって目的じゃないでしょう? 火で暖を取るのも、料理をするのも、誰かを焼き殺すのも使い手の意図次第。火はただ火よ。そこを勘違いしていると先に進めないわ。」

 

「……そうだけど。」

 

明確な反論が出来なくて口籠る私を他所に、斜め前を進むパチュリーは中途半端な位置に右手を上げて円を描くように小さく回す。何をしているのかと抱えたドールハウスの上から覗き見ていると……いきなり右手のドアから飛び出てきたうさぎの着ぐるみが派手にすっ転んだ。足に巻き付いている木の蔓のようなものが引き倒したらしい。

 

手斧を持ったピンク色のうさぎは起き上がろうとバタバタ暴れていたが、床板から伸びた蔓は物ともせずに全身に絡み付いていき、最終的には隙間からピンク色の何かが覗く蔓の塊になってしまった。所々に咲いてる白い花が中々綺麗だな。

 

突如として起こった『食着ぐるみ植物』の捕食シーンに顔を引きつらせる私に構うことなく、蔓の操り手であろうパチュリーは足を止めずにどんどん進んで行く。襲ってこようとした敵の人形を撃退したってことか。この程度の襲撃にはノーコメントなようだ。

 

「ただまあ、貴女とは操り方が少し違うみたいね。魔力の糸ではなく、事前の命令によって動いているのかしら? ……どう思う? 遠く離れた状態でも動かせるのは便利かもしれないけど、細かい制御が出来ないのは問題じゃない? だから自己判断力を増すために脳を再利用する方向に進んでいったとか? リーゼからの連絡は大雑把すぎて分かり難かったのよね。」

 

「えっと、私たちが『魔術師』だと思ってた人形のことは直接操ってたみたい。視界とか聴覚とかも繋げてたし。」

 

「そうなると、単純に一度に操れる数に限界があるのかもね。貴女が魔力の糸で操る数に限界を感じて半自律人形にしたように、こいつらを操っている魔女も主要な人形以外は独立した自動人形にしたんでしょう。……ほら、やっぱり貴女の方針と似てるじゃないの。参考になると思うわよ。」

 

会話の途中で上階から階段を駆け下りてきた三頭身の不気味な人形を、開いた魔道書から滲み出た銀色の液体で覆い尽くしたパチュリーは、カチカチの球体に変わったそれを背に階段を上り始めた。……流れ作業だな。彼女にとっては『魔法力への抵抗』など何の意味も持たないらしい。

 

『犠牲』になっていく人形たちがちょっとだけ憐れになってきたところで、短い階段を上りきった私たちの視界に直線の真っ直ぐな三階の廊下が映る。ずっと奥に左に続く突き当たりがあって、廊下の左手には八つほどの扉が、右手には外の景色が見える窓が並んでいるようだ。建物全体で見ると最上階の右端に居るってことかな?

 

「一つ一つ見ていく?」

 

並ぶドアを指差して聞いてみると、パチュリーは魔道書の表紙を撫でながらゆっくりと首を振ってきた。横にだ。

 

「その必要はなさそうね。」

 

答えと同時に八つの扉が内側から勢いよく開いて、中から多種多様な人形たちが廊下に出てくる。ゾロゾロと姿を現した二十体ほどの人形はどれもこれも異様な見た目だ。ブリキの蛇の胴体に木製の女性の上半身がくっ付いているものや、顔だけがリアルな人間になっている二足歩行の鹿、足があるべき場所に四本の手があって、首の上が巨大な足に、そして手に顔面が付いている布人形。もうここまでくると『人形』じゃないな。単なる『異形』だぞ。

 

全然人間の見た目じゃないのに、人間のような動作をする不気味な存在たちが近寄ってくるのを目にして、パチュリーが冷たい表情で辛辣な評価を言い放った。ちなみに私はドールハウスを抱えるのに精一杯で何も出来そうにない。早く出てきてくれ、リーゼ様。

 

「ホラーハウスを経営するセンスはゼロね。恐怖を与えるには然るべき手順が必要なことを理解していないのかしら? これだとホラーじゃなくてパニックよ。」

 

その批評に反論するかのように『異形』たちが私たちの方へと殺到してきた瞬間、薄ら笑いを浮かべたパチュリーが懐から真っ赤な小石を取り出して、ボソボソと呟きながらそっと本の表紙にそれを当てる。

 

直後、廊下が紅い炎に染まった。目を開けていられないほどの凄まじい熱気と、轟々と燃え盛る真っ赤な炎。意思を持つかのように『異形』たちに纏わり付く紅炎は、易々とその身体を燃やし尽くしていく。

 

ひりつくような熱が空間を支配する中、二足歩行の鹿だけが何とか這いずって私たちの方へと手を伸ばすのが微かに見えるが……ダメみたいだな。その身体中を炎が舐めるように通過すると、刹那の後にはなんだか分からない真っ黒な塊に変わってしまった。

 

パチュリーはホグワーツの卒業と同時に魔女になったわけだから、私との差は五十年弱。半世紀後の私はここまでの魔法を易々と行使できるようになっているのだろうか? ……全然想像できないぞ、そんな光景。人形の魔女は自分のことを『魔女として生まれた妖怪』と称していたが、パチュリーにこそその言葉が相応しいように思えてきちゃうな。

 

あまりの迫力に一歩も動けない私を尻目に、パチュリーは目の前の惨状を確認して一つ頷くと、愛おしそうに本をポンポンと優しく叩く。すると忽ち炎が消え去って、焦げ臭さと共に変わり果てた廊下の様子が明確になってきた。

 

「……凄いね、パチュリー。いつも静かに研究してたから、こんなに戦えるだなんて知らなかったよ。」

 

「全て研究の副産物よ。一の知識は百の事象に応用できるの。百の知識は万の手段を明らかにして、万の知識は百万の法則に繋がるわ。魔女という存在は積み上げた知識の分だけ強くなれるのよ。私はそれを蒐集することを決して怠らなかっただけ。貪欲に、勤勉にね。」

 

うーむ、魔女の中の魔女だな。師匠のカッコいいところを見て感心する私へと、パチュリーは足を動かしながら指摘を寄越してくる。さっきのキリッとした声とは違って、やや気まずげな声色だ。

 

「それと……まあその、消してあげた方がいいと思うわよ、それ。」

 

「それ?」

 

パチュリーが目を逸らしながら指差しているのは、私が持っているドールハウスだが……わお、燃えてるぞ。ミニチュアの屋敷の二階部分に先程の炎が燃え移ってしまったようだ。慌ててドールハウスを床に置いて、杖魔法で水をぶっかけ──

 

アグアメンティ(水よ)! ……あ。」

 

やっばい。反射的に鎮火させた直後、中に『入って』いるのが吸血鬼であるリーゼ様だということに気付く。流水が苦手な吸血鬼だということに。びったびたになったドールハウスから視線を外して、恐る恐るパチュリーの方に顔を向けてみると……彼女は手に持った本を弄りながら曖昧な慰めを放ってきた。

 

「……まあ、死にはしないでしょ。黙っておけばバレないわよ。多分ね。」

 

「その『多分』、どっちにかかってるの?」

 

「もちろん両方よ。……ほら、早く行きましょ。今はリーゼよりヴェイユのことを心配すべきでしょう?」

 

スタスタと黒焦げの廊下を進むパチュリーに促されて、私もドールハウスの水気を無言呪文で起こした突風で吹き飛ばしてから後に続く。……聞かれたら正直に白状すべきだが、聞かれないうちは黙っておこう。きっとそれが正解のはずだ。

 

ちょびっとだけ焦げたり湿ったりしているドールハウスを持ち上げつつ、アリス・マーガトロイドは気まずい気分で歩き出すのだった。

 


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