Game of Vampire 作:のみみず@白月
パスポット
「──になったから、結局その日は食べられなかったのよ。でも最終日になんとか席を取れたの。まあその、リーゼ様が店員に魅了を使った可能性はあるわけだけど。」
アリスが語る五十年前のフランス旅行の思い出話を耳にしつつ、霧雨魔理沙は『フランスの魔女』についてを黙考していた。後半は単なる旅行の話になっちゃってるが、前半は色々と興味深い内容だったな。人間を人形のように操る魔女か。
現在の私たちが座っているのは、イギリス魔法省地下六階の廊下にある木製のベンチ……つまり、マグル旅券管理局の前にある小さな待合所だ。マーガトロイド人形店で始まったアリスの昔話だったが、結局運輸部で『パスポット』の申請を終えた段階になっても終わらず、完成するまでの待ち時間もこうして語り続けているというわけである。
まあ、話の内容としてはかなり面白かった。私はフランスの魔女の存在に興味を惹かれたし、咲夜は祖母や曽祖父、曽祖母のことを知れたのが嬉しかったようだ。山場が終わって耳を素通りし始めている私と違って、銀髪ちゃんは今もふむふむと頷きながらアリスが語る祖母とリーゼとの会話に夢中になっている。
しかし……うーん、私が一番気になったのはノーレッジの戦いっぷりだな。アリスの話から考えるに、魔女という存在は年齢イコール実力というわけではないらしい。当然っちゃ当然のことだが、努力さえ怠らなければ二段飛ばしで前に進めるということだ。
もちろんそれぞれの目指すもの……『主題』だったか? それによって歩む速度は変わってくるだろうし、方向も全く違うものになるだろう。ノーレッジにとっての『知識』、アリスやフランスの魔女にとっての『人形』。私もそろそろそういう目的地を定めるべきなのかもしれない。
要するに、『魔女になりたいから魔女になる』ではダメなのだ。あくまで最初に目的があって、その手段として魔女になる。そういうことなのだろう。……アリスもノーレッジもホグワーツの上級生になる段階でそれを決めていたらしい。そして私は夏休みが明ければ五年生。だったらこのままふわふわしているわけにはいかないぞ。
僅かな焦りを自覚する私を他所に、咲夜が昔話を終わらせつつあるアリスへと質問を送った。
「お婆ちゃんはリーゼお嬢様が吸血鬼だってことを知ってたの?」
「最終的にはね。レミリアさんが正体を明かした段階で気付いてたみたいだから。……だけど、結局誰にも言わないでいてくれたわ。本物の魔女のこととか、リーゼ様や美鈴さんのことは墓まで持って行ってくれたの。」
「アリスが秘密にして欲しいって言ったからなのかな?」
「多分ね。気になることは沢山あったでしょうけど、いつも黙って私を信じてくれたの。……自慢の親友よ。」
少しだけ寂しげに呟いたアリスを見て、私と咲夜がしんみりした気分で黙り込んだところで……おっと、完成したみたいだな。でっぷり太った旅券局の職員が目の前のドアから姿を現わす。朗らかな表情の三十代くらいの男性だ。
「お待たせしました。こちらがキリ……キリシャメ? さんのパスポートで、こっちがヴェイユさんの物となります。」
「あー……どうも。」
もう何も言うまい。私の名前が英語圏で通用しないことは重々承知しているのだ。礼を言いながら受け取った旅券の名前を確認して、きちんと『マリサ・キリサメ』になっていることに胸を撫で下ろしていると、アリスがベンチから立ち上がって職員に世間話を放った。私たちが申請書に記入している時もちょこっと話してたし、どうやら顔見知りの職員らしい。相変わらず顔が広いな。
「早めに処理してくれて助かったわ。予約が溜まっていたんでしょう?」
「そういうシーズンですからね。……まあ、時間はかからない作業なので問題ありませんよ。休んでいるライアンが聖マンゴを退院するまでの辛抱です。」
「単なる骨折くらいならすぐよ。退院したらトロールウォッチングは程々にって伝えておいて頂戴。」
「私の分の気持ちも込めて伝えておきましょう。……無駄だと思いますけどね。何が楽しいのかはさっぱり分かりませんけど、病院のベッドの上で次は川トロールを見に行くんだって張り切ってましたから。」
『トロールウォッチング』? 世には変な趣味を持った魔法使いが居るんだな。苦笑する職員に見送られて廊下を歩き出したアリスに続いて、私たちも一つお辞儀をしてからその背を追う。
「このまま帰るのか?」
古めかしい板張りの床と、所々塗装が剥げている白い壁。そして各所にさり気なく使われているエボニーの木材。それらを神経質に掃除しているしもべ妖精を横目に聞いてみれば、アリスは緩い歩調で進みながら応じてきた。
「そのつもりだけど、何か見たいものがあるの?」
「見たいものっていうか、単純に魔法省が気になるんだよ。初めて来たからな。」
きっと何度も来ているアリスは見慣れているんだろうが、この建物は……何と言うか、かなりカッコいいぞ。地下に広がる巨大施設ってだけでワクワクするのに、黒をベースとしたアトリウムのデザインは私の好みにぴったりだ。どこか近代的で、かつ魔法使いのイメージを崩さない程度には古臭い。好奇心をぐいぐい惹かれる内装じゃないか。
廊下の窓から人が行き交うアトリウムを見下ろしつつ言ってみると、クスクス微笑んだアリスが提案を寄越してくる。色取り取りの紙飛行機が飛び交っているのがなんともコミカルだな。古いようで新しく、重苦しいようで悪戯心があり、キチッとしているようでいい加減。イギリス魔法界をそのまんま表現しているような雰囲気だ。
「それじゃあ、三階の食堂に行ってお茶でもする? レモンティーが美味しいのよ。バルコニー席ならアトリウムを見ながらゆっくり出来るしね。」
「いいな、それ。行こうぜ。咲夜もいいだろ?」
「いいけど、職員以外が使っちゃっても大丈夫なの?」
「一般開放されてる食堂だから平気よ。お昼時を過ぎた今なら空いてるでしょうしね。」
肩を竦めながらエレベーターのボタンを押したアリスに、咲夜がこっくり首肯したところで……おー、新聞で見た顔だ。間を置かずに到着したエレベーターの中に立っていたのは、我らが魔法法執行部の部長どのだった。
「あら、スクリムジョール。久し振りね。」
「これは、ミス・マーガトロイド。ご無沙汰して──」
一分の隙もなく完璧に着込んだ三つ揃えと、姿勢のお手本のようにピンと伸びた背筋。見た目通りの堅苦しい態度でアリスに応対しようとしたルーファス・スクリムジョールだったが、その後ろに立つ咲夜の姿を見て一瞬硬直したかと思えば、一抹の動揺を声色に表しながら問いかけてくる。
「……彼女がアレックスとコゼットの娘さんですか?」
「そうよ、サクヤ。サクヤ・ヴェイユ。会うのは初めてだったかしら?」
「スカーレット女史から何度か話は伺っておりましたが、実際に顔を合わせるのは初めてですな。……どうも、ミス・ヴェイユ。」
「初めまして、スクリムジョール部長。」
そういえば、過去の記憶にもスクリムジョールの名前は出てきたっけ。確か当時は咲夜の両親の同僚だったはずだ。微妙な空気を感じながらエレベーターに乗り込んだ私たちに、スクリムジョールは静かな声でありきたりな質問を口にした。
「何階ですか?」
「三階よ。さっき旅行のために旅券局に行ってきたところで、帰る前に食堂でお茶でもしようかと思ってるの。」
「旅行にお茶ですか。……羨ましい話ですな。私はここ数日家に帰れていませんよ。」
「そうなの? そんなに忙しい時期じゃないと思ってたけど。」
アリスが怪訝そうな顔で送った疑問に対して、スクリムジョールは苦い表情で返答を返す。国家の要人がこんなに近くに居るってのは不思議な気分だな。紅魔館の連中は慣れてるのかもしれないが、小市民たる私は緊張してくるぞ。
「スカーレット女史の『引き継ぎ』がありますから。あの方がイギリスを離れれば何が起こるかなど明白でしょう? である以上、今のうちから対処しておく必要があるわけです。」
「……なるほど、そういうことね。アメリアも忙しいの?」
「私以上に忙しいようですな。甚だ迷惑なことに、連盟が余計なイベントを企画してくれましたから。浮かれているあの連中が知らせを受けた時にどんな顔をするのか楽しみですよ。それだけが心の支えです。」
「なんとまあ、随分とやられてるみたいね。貴方からそういう愚痴を聞いたのは初めてだわ。」
うーむ、確かにやられているみたいだな。よっぽど忙しいようだ。苦笑いでアリスが同情したところで、エレベーターが振動と共に地下三階に到着した。
「ま、頑張って頂戴。魔法省も独り立ちする日が来たってことよ。それはそんなに悪いことじゃないでしょう?」
「身から出た錆であることは承知していますが、それを磨くのが自分になるのは予想外でした。……ミス・ヴェイユ、君のご両親は食堂のバナナケーキが好きだった。昔から味が変わっていないので、気が向けば食べてみるといい。」
最後に咲夜に声をかけたスクリムジョールは、そのままアリスに目礼してから更に上階へと昇っていくが……バナナケーキ? あの顔からそんな名詞が出てくるとは思わなかったな。多分スクリムジョールはイギリス魔法界で一番『バナナケーキ』って言葉が似合わない男だぞ。
「まあうん、気にかけてくれたみたいだな。不器用な感じはしたけどさ。」
「そうみたいね。……案外優しい人なのかしら?」
「『ヴェイユ』が関わるとみんな優しくなっちまうんだろうさ。お前の両親の人徳の為せる業だぜ。」
「……ん、食べてみることにするわ。バナナケーキ。」
大したもんだよ、まったく。柔らかく微笑みながら咲夜が頷いたところで、その姿を嬉しそうに見ていたアリスが三階の廊下を歩き始める。この階には何があるんだっけ? 魔法事故惨事部だったか?
「なあなあ、この階の部署は何をやってるんだ?」
六階よりも廊下が豪華だし、省内での地位が高いのは分かるが……実際に何をしているのかはよく分からん部署だな。並ぶ部屋のプレートを順繰りに眺めながら聞いた私に、アリスは呆れ顔で答えを教えてくれた。
「貴女は本当に知識が偏ってるわね。……まあ、そういうところも魔女に向いてるわけだけど。惨事部は主に『後片付け』をする部署よ。忘却術師の本部やリセット部隊、誤報局とかマグル連絡室なんかがあるの。記憶修正や修復呪文のスペシャリストたちが所属しているわけ。」
「ああ、そういう仕事か。でも実際のところ、目立たない部署ではあるんだろ?」
「第一次魔法戦争ではあまり役に立たなかったからね。……反面、前回の戦争ではこの部署の重要性が再認識されたわ。ロンドンでの戦いをマグルに気付かれずにやれたのはここのお陰よ。記憶修正薬を混ぜ込んだ霧をどんなルートで広げて、どんな順番で引かせるかを計算したのがこの部署なの。『数百年に一度の自然現象』って名目で紅い霧のことを納得させたのも誤報局の功績だしね。大昔にも同じことがあったってでっち上げたらしいわ。」
「へぇ、結構大規模な仕事をしてる部署だってのは何となく分かったぜ。……就職先として人気がない理由もな。」
華々しくはないが、大変ではあるわけか。そりゃあ人気は出ないだろう。すれ違うヨレヨレスーツの職員たちに労わりの念を飛ばしていると、咲夜が廊下にあった就職案内のパンフレットを一つ抜き取ったのが目に入ってくる。
「何に使うんだよ、そんなもん。」
幻想郷に魔法事故惨事部はないぞ。あるのは一方的なルールの押し付けだけだ。そう思って放った問いに、咲夜はふんすと鼻を鳴らして答えてきた。
「決まってるでしょう? 卒業したらここからの誘いも受けないといけないから、そのために勉強するのよ。何をしている部署なのか詳しく知っておかないと。」
「お前、まさか本気でレミリアの『指令』を実行するつもりなのか?」
「逆になんで本気じゃないと思ったのよ。やってみせるわ。そのための『時間』は人より沢山あるんだから。」
「私はあくまで発破をかけただけなんだと思うけどな。……お前がやる気なら応援するけどよ。」
現実的に考えると難しいんじゃないか? 特に執行部と神秘部の二つが難関だろう。片やエリート揃いの実力主義部署、片や変わり者が集まった頭脳明晰集団。どっちもそれ専門に勉強してどうにか入れるような部署なのだ。
親友が茨の『勉強道』を歩もうとしていることを止めようか迷っている間にも、先導しているアリスが大きな石のアーチを潜ると……こりゃまた、想像してたよりも全然広いな。無数のテーブルが並ぶ食堂の風景が見えてくる。カウンターらしき場所の奥ではしもべ妖精たちが注文を待ちわびているようだ。
「ここにもしもべ妖精か。あいつらが『労働中毒』なのはどこも変わらんな。」
入ってきた私たちを目にして、仕事が増えることに大きな瞳を輝かせているしもべ妖精たち。『どうか複雑で面倒な料理を注文してください』という目線に苦笑しつつ呟くと、咲夜が複雑そうな表情で首肯してきた。
「ハーマイオニー先輩の考え方は素晴らしいと思うけど、あの種族に関しては人間の物差しで考えない方がいいのかもね。」
「私は単に、やりたいことをやらせてやれば良いんだと思うけどな。働きたいってんなら働かせてやるべきだろうさ。それでこっちが困るわけでもないんだから。」
あんまり興味がない『スピュー問題』を適当に切り上げながら、ガラガラのバルコニー席に三人で腰を下ろす。……良い景色じゃないか。アリスがさっき言っていたように、アトリウムが一望できる位置にバルコニーがあるらしい。設計したヤツの拘りを感じるぞ。
「さて、何を頼むか早く決めましょう。一応カウンターで注文するシステムになってるんだけど、ここまで空いてるとしもべ妖精が注文を取りに来ちゃうわ。そうなると簡単なメニューが頼み辛くなるのよね。」
容易に想像できるアリスの忠告を受けて、慌てて咲夜と二人でメニュー表を手に取る。昼食は出てくる前に人形店で済ませちゃったから、重いものは腹に入らんのだ。期待するしもべ妖精にお茶とケーキだけを注文するのは気が咎めるぞ。
「私はバナナケーキとレモンティーにするわ。魔理沙は?」
「ちょっと待ってくれ。……ああもう、迷うぜ。なんでこんなにメニューが豊富なんだ? このメニュー表をそのままホグワーツの掲示板に貼り付ければ、みんな魔法省に就職したがるんじゃないか?」
「あら、良い案ね。食堂を売りにするのは盲点だったわ。今度アメリアに提案してみようかしら?」
アリスが真面目に感心している間にも、もう待ち切れないとばかりにカウンターから出てきた小さな影がこちらに歩み寄ってきた。ぐぬぬ、私はこういうのをさっと決められない性格なのだ。名物とかいうレモンティーは飲みたいが、アップルティーも気になるし、茶菓子はどれも美味しそうだぞ。
迫り来る緑色の小さな『タイムリミット』を横目にしつつ、霧雨魔理沙は大慌てで思考を巡らせるのだった。