Game of Vampire 作:のみみず@白月
「おい、咲夜? お前の番だぞ。」
ぬう、ちょっとくらい待ってくれてもいいじゃないか。急かしてくる魔理沙に抗議の目線を送りつつ、サクヤ・ヴェイユは頭をフル回転させて次の手を考えていた。ルークは動かせないし、残ったナイトもダメ。だけどクィーンがここを離れると抑えが利かなくなっちゃうから……ああもう、分かんない! さっぱり分かんないぞ!
アリスがパリの路上で『フランスの魔女』からの宣戦布告を受けたのが昨日の夜。魔法省に行って頼りなさげな闇祓い隊の隊長さんから話を聞き、ホテルに戻って一夜を過ごした私と魔理沙は、現在広いリビングルームでチェスボードを挟んで激戦を繰り広げている。ちなみにアリスは向こうのソファでずっと人形の整備をしており、リーゼお嬢様は朝方に情報屋を探しに行くと言い残して姿くらまししてしまった。
明日再び魔法省に行くことになっているのだが、それまではフランスを離れることが出来ないし、かといって無防備に観光するわけにもいかない。だから朝からホテルに缶詰状態で、魔理沙と延々チェスをしているのだが……今のところ六戦やって二勝四敗。これ以上負けるのは私のプライドが許さないぞ。
テーブルに身を乗り出して長考の姿勢に入った私を見て、魔理沙はため息を吐きながらアリスに声をかける。
「よう、アリス! そろそろ十一時だけど、昼メシはどうするんだ? 朝みたいにルームサービスか?」
「お昼前に一度リーゼ様が戻ってくるらしいから、そしたら考えましょう。」
「外に食べに行こうぜ。ずっとホテルに篭りっきりじゃ気が滅入っちまうよ。さすがにチェスにも飽きてきたしな。……上手く説明できないが、こうやって警戒して疲弊するのは相手の思う壺なんじゃないか?」
椅子の背凭れに寄り掛かりながら訴えた魔理沙へと、アリスが悩んでいる時の表情で返答を返す。人形を弄る手は休まず動かしながらだ。
「それはそうだけど、正直言って私もどうしたら良いのかが分からないのよ。貴女は普段通りに過ごすべきだと思う?」
「だってよ、いつ仕掛けてくるかも、本当に仕掛けてくるかも、どうやって仕掛けてくるかもさっぱりなわけだろ? ……きちんと普段から警戒しておくのが大事であって、こうやって構えてても敵は突っ込んでこないんじゃないか? 現状だとタイミングを選べるのは相手の方なんだからさ。」
「……まあ、一理あるわね。」
渋い顔付きで魔理沙の主張を認めたアリスに、私も駒を動かしながら意見を放つ。ここにポーンを動かせば大丈夫なはずだ。たぶん。もう分かんないからそういうことにしておこう。
「それに、いざとなったら私が時間を止めるから平気だよ。ほんの一瞬だけ自由になる時間があれば、私は誰にだって勝てるもん。」
別に威張っているわけではなく、実際そうであるはずだ。魔理沙だろうがポッター先輩だろうがダンブルドア先生だろうが、もしかしたらアリスだろうがパチュリー様だろうが。物理的にどうにもならない相手じゃない限り、停止した時間の中で対処できるはず。
自分の発言に納得しつつ、魔理沙が即座に返してきた妙手に唸っていると……どうしたんだ? 急な静寂を感じて顔を上げてみれば、何とも言えない表情で私を見ている二人の姿が視界に映った。
「……何?」
「いや、えらい自信だなと思ってよ。『誰にだって勝てる』か。」
「厳然たる事実よ。例えば貴女は凄い魔道具を持ってるけど、時間が止まった世界では無力だわ。今この瞬間時を止めて、ナイフで首を裂けばそれで終わりじゃない。一切抵抗できないでしょ?」
「おいおい、えげつない台詞だな。」
私だって『えげつない』とは思うけど、やれるんだから仕方がないじゃないか。呆れたように言ってきた魔理沙にふんすと鼻を鳴らしていると、苦笑しながらのアリスが一つ頷いてから口を開く。
「それは正しいわ。多分、本気の戦いになれば私でも咲夜には勝てないでしょうね。……ナイフで首を裂くって部分には賛成できないけど。」
「あくまで一例だよ。」
もちろん本当に人を殺したりはしないぞ。精々無力化するために武器を奪ったり、縄で縛っちゃったり程度の対処になるだろう。あらぬ疑いをかけられてジト目になっている私に、アリスは肩を竦めながら話を続けてきた。
「でもね、咲夜。パチュリーには多分通用しないと思うわよ。ほんの少しの準備する時間さえあれば、ダンブルドア先生なんかも対処できるんじゃないかしら? その他にも貴女の能力を上回る存在は大勢居るの。それを忘れないようにね。」
「……そうかな?」
「そうよ。例えば、近寄ったり触れたりしたら自動で発動する魔法を予め仕掛けておけばいいじゃない。止まった世界で動けるのが貴女だけなら、その貴女をトリガーにするのが最適解だもの。」
むう、それは厄介そうだな。口籠る私へと、アリスは尚も『例』を提示してくる。
「私だったら……そうね、事前に魔力の糸を周囲に張り巡らせておくわ。生物ではなく『物』である以上、私の人形は貴女の世界でも動けるはずよ。トリガーたる貴女が糸に触れれば、それに繋がっている半自律人形に対処させることが出来るんじゃないかしら?」
「んぅ……分かんない。動くのかな? 試してみる?」
「いいわね、やってみましょう。時間を止めて私に近付いてみて頂戴。」
ソファに座っているアリスが特別何かしたようには見えないが、この一瞬で周囲に魔力の糸とやらを巡らせたのだろう。やってやろうじゃないかと能力を使って、凍った時間の中でアリスに歩み寄ると──
「……動けるの? 貴女。」
アリスが弄っていた人形が急にふわりと浮き上がったかと思えば、私の目の前で腰に手を当てて『どうだ』と言わんばかりのポーズで胸を張り始めた。……むむ、部屋の反対側まで離れてもまだ動いているな。投げたナイフとかは私から離れると止まるのに。
釈然としない気分で能力を解除すると、動き出したアリスが戻ってきた人形をキャッチしてクスクス微笑む。ちょっと悔しいぞ。こんなに簡単に対処されてしまうとは思わなかった。
「やっぱり出来たみたいね。……これなら私にも勝ち目があるかも。」
「魔力の糸ってまだ私に付いてる?」
「ええ、しっかりと。見えないし触れないけど、物凄い量が絡み付いてるわよ。」
「ズルいよ、そんなの。」
自慢の能力をやり込められたことに不満を感じる私を他所に、興味深そうな顔の魔理沙がアリスに案を送る。……くうう、触れられないってことは、いくらパタパタ服を叩いても解けないってことだ。服を全部脱げば取れたりしないだろうか? あんまりやりたくはないけど。
「んじゃあよ、何かあった時に止まった時間の中で咲夜を手助け出来る人形を用意しとけば良いんじゃないか?」
「あら、それは名案ね。何体か咲夜の命令に従う人形を用意しておきましょうか。お手柄よ、魔理沙。これで選択肢が増えたわ。」
「へへ、そうだろ? ……ノーレッジも言ってたしな。魔女の戦いは選択肢の潰し合いだって。事前に準備できるならしておくべきだぜ。」
「んー……私が思うほど危険な状況じゃないのかもしれないわね。貴女の八卦炉もあるわけだし。」
魔理沙を見ながら呟いたアリスだが……うーむ、そもそも魔理沙の魔道具って何が出来るんだろうか? 使っている場面は何度か目にしてるけど、戦闘に使用できそうなのは去年の六月にホグワーツの校庭を抉った『あれ』だけだぞ。
椅子に戻って劣勢のチェス盤に向き直りつつ、魔理沙に対して問いを投げかけた。
「アリスはああ言ってるけど……まさか貴女、あの『砲撃』をパリで使うつもりなの?」
「使えるか使えないかで言えば使えるが、幾ら何でもあれだと被害が大きすぎるだろ。もっと穏便な手段を選ぶさ。」
「『穏便な手段』って?」
「それは状況によるぜ。……お前が思ってるより色んなことが出来るんだよ、こいつは。私もきちんと使う練習をしてるしな。」
曖昧な説明をしながら八角形の魔道具……『ミニ八卦炉』をポケットから出した魔理沙が、ニヤリと笑ってそれを私に向けると──
「わぷ。……何するのよ。」
いきなり魔道具から吹き出した強い冷風が、私の顔面にぶわりと激突する。……一瞬で髪がボッサボサになった私が文句を言うと、魔理沙は風を止めて笑いながらウィンクしてきた。
「どうだ? 面白いだろ。」
「貴女は面白いかもしれないけど、私は面白くないわ。髪がぐちゃぐちゃになっちゃったじゃないの。」
「悪い悪い。……例えばの話、これの超強力版を相手にぶつけてやればいいのさ。多分死なないが、吹っ飛びはするだろ。他にも色々出来るんだぜ?」
まあうん、確かに使い勝手は良さそうだ。呪文が不要だから杖魔法より早いし、魔理沙の語りっぷりからするに無言呪文に比べて強力でもあるんだろう。得意げな親友にはいはいと首肯してから、鏡の前で髪を整えようと立ち上がったところで……リーゼお嬢様だ。窓から見慣れた黒髪の吸血鬼が入室してくる。
「やあ、諸君。戻ったよ。……咲夜、今まで寝てたのかい? 髪がひどいことになってるぞ。」
「違います! 魔理沙が魔道具を使ってですね、それで風を……もう、魔理沙! 説明してよね!」
ぬああ、リーゼお嬢様の前でこんな姿を晒すことになるとは。恥ずかしい思いで魔理沙に言い放ってから、即座に時間を止めて洗面所へと駆け込む。そこで髪を整えた後、リビングルームに戻って悪友の頭をぺちんと叩いてから時間を動かした。
「って。……おい、叩いたな? 咲夜、私のこと叩いたろ?」
「私は一歩も動いていませんわ。」
「なんだよその口調。髪も一瞬で整ってるし、お前以外に出来るヤツなんかいないだろうが。」
「さて、何のことだか。……お帰りなさいませ、リーゼお嬢様。情報屋さんは見つかりましたか?」
ツンと澄ましながら魔理沙の非難を黙殺して、アリスの隣にぽすんと腰を下ろしたリーゼお嬢様に問いかけてみれば、彼女は肩を竦めてやれやれと首を振ってくる。見つからなかったのかな?
「情報屋を探し出すのに情報屋を使っちゃったよ。私の伝手からはあんまり精度の高い情報が手に入らなかったんだ。だから残るは五十年前にも頼った美鈴の知り合いだけなんだが……覚えているかい? アリス。アピスって『妖怪もどき』のこと。」
「覚えてます。凄い絵を描く妖怪さんですよね?」
「そう、そいつだ。馴染みの情報屋によれば、今はスイスに居るらしくてね。この近くで心当たりがある情報屋はアピスで最後さ。」
「ってことは、スイスまで行くんですか?」
うーん、スイスか。物凄く遠いというわけではないものの、パリからだと気軽に行けるような場所じゃない……はず? いやでも、どうなんだろう? オルレアンまでは一瞬だったし、実際はそうでもないのかな? だけど、パリとオルレアンの距離の五倍くらいは離れていた気がするぞ。
実はあまりよく分かっていない大陸側の国々の位置を思い浮かべて、頭の中にクエスチョンマークを量産している私を尻目に、リーゼお嬢様はこっくり頷いてアリスに肯定を送る。やっぱり行くらしい、スイスに。
「スイスと言ってもチューリッヒとかじゃなくてローザンヌらしいんだ。そんなに離れていないし、さっと行ってさっと戻ってこようじゃないか。本来行くつもりだった国だから新しく入国を申請する必要もないしね。」
「そういえばそうですね。ご飯はどうします?」
「向こうで食べよう。観光は出来なさそうだが、食事くらいは現地のを楽しむべきだろうさ。」
「なら、準備してきます。」
ソファを離れてベッドルームの方へと歩いて行くアリスを見送ったリーゼお嬢様は、次にやり取りを眺めていた魔理沙に声をかけた。
「おい、魔女っ子。今のうちにガイドブックを読み漁って、良い感じのレストランをピックアップしておきたまえ。スイスで食事できるチャンスは一度だけだぞ。」
「おっと、そうだな。折角だし調べとくか。ローザンヌの近くならどこでも大丈夫か?」
「ジュネーヴでもいいよ。どうせその辺から国境を越えるんだしね。」
「よしよし、任せとけ。良い店を見つけ出してみせるぜ。」
もはやチェスなんて知ったこっちゃないとばかりの様子で、魔理沙は勢いよくテーブルを離れてガイドブックが入ったリュックの方へと駆けて行くが……うん、これは遠回しなリザインと受け取って問題ないだろう。つまり、私の勝ちだ。
無言でうんうん頷きながら文句を付けられる前にとチェスセットを片付けていると、リーゼお嬢様が今度は私に指示を出してきた。
「咲夜、髪を縛れる何かを持ってないかい? 今日は暑いし、適当に結んで──」
そこまで聞いた瞬間に時間を止めて、持ってきた『お世話セット』の中から小さなコウモリの飾り付きのヘアゴムを取り出し、すぐさまリーゼお嬢様の下に戻って時間を動かす。この行動は出来るメイドっぽいな。いい感じだぞ、私。
「どうぞ、リーゼお嬢様。」
「……んふふ、いいね。八十点ってとこかな。私が話を切り出す前に用意できれば百点満点だよ。」
ぐぬぬ、これでも八十点か。でも、確かにエマさんなら顔を見ただけで用意しそうな気がする。言われずとも行動するのが一流の使用人ということなのだろう。ヘアゴムを差し出した状態で悔しがる私に、リーゼお嬢様は微笑みながら手を伸ばしてくるが……何かを思い付いたような表情になったかと思えば、手を引っ込めて新たな指令を寄越してきた。
「着けてくれるかい? 咲夜。」
「へ? ……髪に触ってもいいんですか?」
「まあ、キミならいいよ。面倒くさいなら自分で着けるが──」
「やらせていただきます!」
リーゼお嬢様は他者に髪を触らせるのを嫌うはず。これまでエマさんとアリス、それに妹様くらいにしか許していなかった『お触り許可』を、この私に出してくれたということは……つまりはそういうことなのだろう。信頼の証というわけだ。
嬉しい気持ちが胸に広がっていくのを感じつつ、ソファの後ろに回って恐る恐るリーゼお嬢様の黒髪に手をかける。さらっさらだな。質の高い絹糸みたいだ。
「ではその、失礼します。」
「ああ、キミに任せるよ。」
慎重に、慎重に。手の中を滑る芸術品のような髪を一つに纏めて、真っ白なうなじを見つめながらヘアゴムを指で伸ばす。そのままそれで縛ってみれば……うん、良いんじゃないかな。綺麗に纏まった気がするぞ。
「終わりました、リーゼお嬢様。」
角度を変えながらチェックした後、リーゼお嬢様にぺこりとお辞儀してみると、彼女は手鏡で自分の髪を確認して感想を述べてきた。
「いいね。縛る位置がいつもよりちょっと下だが、これがキミの好みなのかい?」
「えっと、こっちの方がお似合いかなと思いまして。大人っぽく見えますし。」
「ふぅん? ……それじゃ、今日はキミ流のアンネリーゼ・バートリで行くとしようか。またお願いするよ。」
「はい!」
やった、気に入ってくれたみたいだ。心の中でグッとガッツポーズをしながら、今度髪型の本でも読んでおこうと決意したところで……アリス? 何とも言えない顔でこちらを見ているアリスの姿が目に入ってくる。何かを葛藤しているような表情だな。
「どうしたの? アリス。」
怪訝に思って近寄って話しかけてみると、アリスはリーゼお嬢様の方をジッと見つめながら私に『教え』を施してきた。
「何でもないわ。だけど咲夜、貴女はもう少しセンスを磨くべきね。見た目が可愛らしいなら可愛らしい髪型の方が似合うものよ。」
「そうかな? 私は可愛い子が大人っぽい髪型をする……ぎゃっぷ? もいいと思うけど。」
「……なるほどね、やるじゃないの。盲点だったわ。」
何の話なんだ? これは。勝手に何かに納得したらしいアリスは、真剣な表情で黙考しながら離れて行く。凄く重要なことを考えている時の顔だな。きっとフランスの魔女への対策を練っているのだろう。
私も気を抜かないようにしようと気持ちを切り替えつつ、サクヤ・ヴェイユは自分の外出の準備に取り掛かるのだった。