Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ここだね。」
ローザンヌの中心部からは少し外れた、レマン湖沿いの住宅地区。騒がしい水鳥の鳴き声を耳にしながら見つけた小さな一軒家を前に、アンネリーゼ・バートリは同行者たちに宣言していた。くそ、本来ならここで釣りが出来る予定だったのに。苦労して調べたパーチ用の仕掛けも無駄になっちゃったし、つくづく忌々しい状況だな。
フランスを出てジュネーヴで中々美味い昼食を取った後、パリで手に入れた情報を基にここまでやってきたわけだが、情報が正しいならこの家がアピス……美鈴の馴染みの情報屋の現在の住まいであるはずだ。敷地に入ってドアをノックしようとすると、魔理沙が塀を指差して話しかけてくる。
「こっちにハリーの家にあったやつが付いてるぞ。『イントフォン』だっけ? ノッカーの代わりになるやつ。」
「インターフォンだ。……ふん、生意気だね。人外の癖に人間の技術を使うとは。プライドを失った妖怪はこれだからいけない。」
「電動歯ブラシを使ってるお前に言えたことじゃないと思うけどな。」
それはそれ、これはこれだ。余計なことを言う魔女っ子をぎろりと睨め付ける私を他所に、アリスが塀にあったインターフォンのボタンを押す。……この手応えのない感じがどうも気に食わんな。ノックの方が分かり易いじゃないか。
「ちゃんと押したのかい? 反応がないが。」
「えっと、押しましたけど……ここを押せばいいのよね? 咲夜、合ってる?」
「私に聞かれても分かんないよ。もう一回押してみたら?」
なんだかデジャヴを感じるな。呆れ顔の咲夜がもう一度ボタンを押したところで、ドアの方から微かな物音が響いてきた。どうやら妖怪もどきはご在宅らしい。
「おい、妖怪もどき。ドアを開けたまえ。五十年前に会ったバートリだ。」
ドアの向こうの気配にとりあえず名乗ってみれば、かちゃかちゃと金具を弄るような音がした後、上の方にある覗き穴がぱかりと開く。そして同時に投げかけられる特徴的な可愛らしすぎる声。間違いなくあの妖怪もどきの声だ。
「……吸血鬼が何の用ですか? この家に輸血パックはありませんよ。」
「なーにが輸血パックだ。キミは情報屋なんだから、情報を買いに来たに決まってるだろうが。早く開けたまえ、客だぞ。」
「紅さんはイギリスを離れたと聞きました。貴女は信用できません。だから情報も売りません。帰ってください。」
きっぱりとした端的な返答と共に、開いていた覗き穴がぱたりと閉じるが……はいそうですかと帰るわけないだろうが。げしげしとドアを蹴りつつ、妖怪もどきへの『交渉』を続ける。
「黙って開けないと痛い目に遭わせるぞ。こちとら遥々スイスまで来てるんだ。手ぶらじゃ絶対に帰らんからな。」
「やめてください、蹴らないでください。……け、警察を呼びますよ? いいんですか?」
「キミ、警察ごときが何かの役に立つと本気で思っているのかい? 自主的に開けないと蹴破っちゃうぞ。それでもいいなら抵抗を続けたまえ。」
「本当に呼びますからね。スイスの警察は優秀だから即座に来ますよ。そうなったら困るのはそっちです。きっと面倒なことになるんですから。」
アホかこいつは。もうドアをぶっ壊しちゃおうと妖力弾を放とうとしたところで、アリスが慌てて止めに入ってきた。
「ちょちょ、リーゼ様! ……さすがに強引すぎますよ。私が交渉しますから。」
「……まあ、別にいいけどね。長くは待たないぞ。」
心優しいアリスと立ち位置を交換して一歩下がると、彼女はドアの奥に居るであろう妖怪もどきに穏やかな声色で語りかけ始める。
「アピスさん、覚えてますか? アリスです。あの時の魔女です。」
「……覚えてます。絵を褒めてもらいましたから。」
「あの時の事件で戦った魔術師……というか魔女がまたちょっかいをかけてきまして、アピスさんの力をお借りしたいんです。対価はきちんと支払いますから、どうか情報を売ってもらえませんか?」
アリスの誠心誠意という感じのお願いを受けたアピスは、暫くの間沈黙していたが……やがて小さな声で反応を寄越してきた。
「……困ってるのは吸血鬼じゃなくて、魔女さんなんですか?」
「はい、そうなんです。別の情報屋からは全然情報が手に入らなくて、これはもうアピスさんを頼るべきだと思ってここまで来たんですよ。」
「……なら、そこの吸血鬼に変な真似をさせないと約束してください。それが絶対の条件です。」
無礼なヤツだな。訳の分からん条件に不機嫌になる私へと、アリスはジッと見ることで己の内心を伝えてくる。……ああもう、分かったよ。不承不承頷いてやれば、アリスは明るい表情でドアへと了承の返事を投げた。
「約束します。リーゼ様は暴れ回ったりしません。」
「……分かりました、今開けます。」
そもそも必要もなく暴れ回ったりしないんだからな、私は。言葉と共に鍵を開けるガチャリという音が三回、五回、十回……こいつ、いくつ鍵を付けているんだ? 二十回近くも聞こえた後、ようやくドアが動き出す。隙間からひょっこり顔を出したボサボサ髪のノッポ女を見ながら、隣の魔理沙が余計な一言を囁いてきた。
「お前、北風と太陽って寓話を知ってるか? 今度読んだ方がいいぜ。」
「よく知ってるよ。北風が凍死させるぞと脅して旅人から荷物を巻き上げる話だろう?」
「……どうやら、お前が読んだのと私が読んだのは違う話みたいだな。」
私はあの寓話から偉大な教訓を学び取ったぞ。『話すより殴った方が早い』という教訓を。ため息を吐きながらドアの向こうへと進んで行く魔理沙に鼻を鳴らした後、私もやけに分厚いドアを抜けてみれば……なんかこう、異質な家だな。通路には所狭しと未開封の荷物が並んでおり、壁には無数のケーブルが伝っている。アピスが取り入れた人間の技術はなにもインターフォンだけではなかったらしい。
「こんなに大量のケーブルを何に使ってるんだ? ……実に不気味だね。ハリーが見せてくれたコミックブックにこんな内装の施設が出てきたよ。そこでは機械が人間を製造してたんだ。」
「リーゼお嬢様、足元に気を付けてくださいね。何か変な……機械の破片? みたいな物が沢山転がってます。」
「この家にアーサー・ウィーズリーを連れてきたら興奮でショック死するかもね。イギリスが遠いのが残念だよ。」
半開きのドアから覗ける巨大な機械が鎮座している小部屋を通り過ぎて、咲夜と話しながら廊下の先にあったリビングらしき部屋に入室してみると、そこには長く生きた私でも見たことがないような禍々しい内装が広がっていた。狂ってるな。何をどうしたらこうなるんだよ。
「わぁ……飾ってるんですね、絵。凄い量じゃないですか。」
つまるところ、アリスが引きつった笑みで呆然と呟いたように、リビングルームには『アピス画伯』が描いたらしき絵が壁一面に貼り付けられているのだ。昔見た時は『絵の具の無駄』としか思わなかったが、ここまで大量にあると一種の宗教的な畏怖すら感じるな。カルト宗教が信奉する聖域みたいだぞ。
殆ど隙間なく貼り付けられている『怪作』の数々を唖然と眺める私たちに、テーブルに着いたアピスは暗い表情でポツリポツリと説明してきた。ベージュのボサボサ髪は相変わらずだが、着ている服はジーンズとヨレヨレの白いTシャツだ。そして首には音楽が聴ける耳あて……ヘッドフォンだっけ? をかけている。
「残念ながら、結局一枚も売れませんでしたから。……私の作品は時代に先行しすぎていたみたいです。芸術大国を謳っているフランスも高が知れていましたね。私の高尚な絵を否定して、ピカソやシャガールの『落書き』の方を高く評価するだなんて。とんだ愚行ですよ。」
「あー……なるほど、理解できる人が居なくて残念でしたね。もう描いていないんですか?」
そうであって欲しいという感情を隠し切れていないアリスに、勘違い画家はコーヒーメーカーを弄りながら返答を返した。
「時代が追いついたらまた描くことにします。……一枚差し上げましょうか? きっと百年もすれば物凄い値が付きますよ?」
「えーっと、やめておきます。私には勿体無い代物ですから。……ちなみに、今は何をやっているんですか?」
おぞましい絵を押し付けられるのをなんとか避けたアリスの質問を受けて、アピスはよくぞ聞いてくれたとばかりに早口で喋り始める。代わりとなる趣味を見つけたようだ。
「パーソナルコンピューターですよ。インターネットの存在を知っていますか? あと十年……いえ、五年もすれば『そこ』が世界の中心になるはずです。世界を牛耳る通貨も、武力も、宗教もインターネットに支配されるでしょう。生活するにあたって誰もがこのシステムに頼ることになります。間違いありません。」
「よくは知りませんけど、離れた場所の人とやり取りが出来るんですよね。電話の上位互換みたいなものなんですか?」
「全く違います。これはもう一つの世界を創造したに等しい行為です。私は昔から人間の創造性に驚かされてきましたけど、まさかここまでのものを創れるとは思いませんでした。……近い未来、文明は一つ先に進みますよ。だからその時に備えて、今のうちからこのシステムに慣れておきたいんです。必ず来ます、インターネットの時代が。私はそう信じていますから。」
そう言いながら、アピスは部屋の隅に置いてあるテレビジョンのような機械を恍惚と見つめているが……ふん、大袈裟なヤツだな。あんなもんで世界が変わるわけないだろうが。
ぽかんとしているアリスや金銀コンビを尻目に、妄想家の変わり者妖怪を鼻で笑いながら意見を飛ばす。
「どうかな、キミが思うほどあの『箱』は世界に広がっていないみたいだけどね。」
「それは貴女が前時代的な世間知らずの妖怪だから知らないだけです。知的な目敏い人間はとっくの昔に動き出しています。製本技術や、無線通信や、映像送信による進歩とは比較になりませんよ。きっとプロメテウスが人間に火を与えた時と同じ規模の変化が起こるでしょう。」
「バカバカしいね、幾ら何でも誇大妄想に過ぎるぞ。人間の生活は『最近』色々と変わったばかりじゃないか。もう大きな変化なんて暫くないはずだ。」
「これから更に変わるんです。そして、それに追いつけない人外は淘汰されていきます。夜闇を照らす電球が現れた時、蒸気の力を使った機械が現れた時、島一つ吹き飛ばす爆弾が現れた時、貴女はそれを予期していましたか? ……私はしていましたよ。人間はこれまで私の期待を裏切りませんでした。だから今回も恐らく裏切らないでしょう。私は新たなものを否定するのではなく、肯定して利用してみせます。貴女たちには生き難くなった人間の世も、私にとっては未だ単なる『餌場』です。新たな時代には新たな恐怖を。それが賢い妖怪の生き方ですよ。」
淡々と語るアピスが、今だけは大妖怪と呼ぶに相応しい存在に見えるな。……私たちが否定したものを、こいつは取り入れて生きてきたわけか。媚びへつらって享受するのではなく、我がものとして取り込んで利用する。在るが儘の妖怪を隔離して『保存』しようとした八雲紫とは対極の存在なのに、両者共に人間に期待しているというのには諧謔を感じるぞ。
持論を語り終えたアピスが立ち上がって棚からマグカップを取り出すのを、四人それぞれに黙考しながら眺めていると、現代に適応した大妖怪どのはやおら本題にレールを戻してきた。
「それで、今日欲しい情報は何ですか? 大抵の情報なら取り扱ってますけど。インターネットのお陰でより広範囲の『品』を仕入れられるようになりましたから。」
「えっとですね、玄関で言ったように五十年前に関わった魔女についての情報が欲しいんです。あとは先日アメリカで起こった不法侵入騒動についても。……マクーザの議員の家に侵入者があったことを知っていますか?」
「もちろん知っています。そして、その二つは同一の情報に繋がると思いますよ。……前回私は不明瞭な情報を売ってしまいました。あれは魔術師ではなく、ただの人形だったわけですから。それに免じて二本で売ります。」
やっぱりあの謎の金属棒が必要なのか。親指と人差し指を立てるという独特な方法で対価を示してきたアピスに、肩を竦めて返事を送る。
「あの棒はヨーロッパの人外の間じゃ流行ってないんだ。キミだってフランスで商売をしていたなら知っているだろう? 支払いは別の方法にしてくれたまえ。」
「天然物の金地金でも構いません。百トロイオンスで売りましょう。」
「……見合う情報を持っているんだろうね?」
「多くはありませんが、それなりの情報であることは自負しています。」
結構な金額じゃないか。咲夜と魔理沙はピンときていないようだが、アリスには中々の対価であることが伝わったらしい。……まあ、その程度なら問題ないさ。持ってきた布袋から取り出したインゴットを机に出すと、アピスはそれを持ち上げて重さをチェックした後、部屋の隅にある木箱に投げ入れた。雑な扱いだな。
「確かに受け取りました。……では、お話ししましょう。ポール・バルトは闇祓いを引退した後もずっと五十年前の事件の犯人を追っていました。息子を喪ったことが効いたのか、かなりの執念だったようですね。十年ほど前、まだフランスに住んでいた私のところまでたどり着いたほどです。」
「バルト隊長が? ……人外の存在に気付いたってことですか?」
「そこまでではなかったみたいですけど、薄っすらと『人並み外れた強力な魔法使い』の存在は認識していました。そんな存在を調べるため、裏の情報網を辿りに辿っていたら私に行き着いたようです。……その際、彼は私から二つの情報を買おうとしました。五十年前に起こった連続誘拐事件の情報と、当時マクーザの杖認可局に所属していた若い職員についての情報を。」
「当ててあげるよ、その職員の名はアルバート・ホームズだ。違うかい?」
驚愕を顔に浮かべるアリスを横目に、コーヒーが入ったカップをテーブルに置くアピスへと問いかけてみれば、妖怪もどきは小さく頷いてから話を続ける。ちなみに用意したコーヒーは自分の分だけだ。客を持て成そうという気など一切ないらしい。
「その通りです。前者の情報は紅さんや貴女たちが関わっていたので高額となり、結局ポール・バルトは買うことを断念しましたが、後者は普通に売りました。私にはそれほど特異な人物には思えませんでしたが、彼は資料を見て何かに気付いていたようです。……私が持っているポール・バルトに関する情報はここまでですね。次は魔女についてをお話しします。」
そう言ってコーヒーを一口飲んだアピスは、アリスの方を見ながら魔女のことを語り始めた。
「あの魔女がフランスを出た後に向かったのはアメリカです。新大陸の情報は手に入り難いのでその後の動向は不明ですが、数ヶ月前に香港自治区で『鈴の魔女』と一戦交えています。魔女本人は姿を現さなかったものの、人形を使った戦い方からして仕掛けたのは間違いなく件の魔女でしょう。」
「鈴の魔女……長い杖を持った老婆ですか?」
「そうです、貴女とそちらの銀髪の人間が去年の夏に会った魔女です。」
そういえば、香港自治区で買い物をしていた時に現地の魔女と話したと言っていたな。そのことを何故アピスが知っているのかと眉根を寄せていると、アリスが心配そうな表情で質問を重ねる。
「無事なんですか?」
「どちらのことを聞いているのか分かりませんが、両者共に無事ですよ。件の魔女の方も本気で殺しにかかったというわけではないようですし、鈴の魔女はかなりの実力者ですから。あくまでちょっとした小競り合い、という感じです。……とはいえ、鈴の魔女は香港自治区を中心として広い繋がりを持っています。彼女に手を出してしまったことで、アジア圏ではお尋ね者のような状態になっているみたいですね。」
「……『小競り合い』の原因は何なんでしょう?」
「不明瞭ですが、発端が件の魔女の方にあるのはほぼ確定だと思います。鈴の魔女は大昔からあの一帯を縄張りにしていて、他の魔女を縄張りの中に住まわせるほどの温厚さを見せていましたから。若い魔女相手にトラブルを起こすほど愚かではないでしょうし、相手が何かをしてきて、鈴の魔女がそれを退けたという線が濃厚ですね。」
『先達』相手に無礼を働くのは変わらずか。四方八方に迷惑をかけているアホにため息を吐いていると、のそりと立ち上がったアピスが壁際の戸棚に向かいながら話を締めた。
「更なる情報が欲しいのであれば、先ずは鈴の魔女にコンタクトを取るべきです。新大陸は神秘が薄い所為で人外があまり残っていません。数少ない北アメリカの人外を仕切っていた大悪霊も百年ほど前に姿を消してしまいましたし、外からこれ以上の情報を手に入れるのは難しいと思いますよ。……一応これがアルバート・ホームズの写真です。ポール・バルトは写真を見た時に大きな反応を示していましたから、何か意味があるのかもしれません。」
『大悪霊』というのは魅魔のことだろう。……ふむ、鈴の魔女か。その魔女は紫の関係者のようだし、去年調べていたコインの件を鑑みれば新大陸を縄張りにしていた魅魔とも繋がっていたはず。そっちから調べてみるのもアリかもしれないな。
どうせ夏休み中は『調停者関係』の仕事で何度か呼ぶかもと紫に言われているのだ。その時に話を通せばいいだろう。今後の展開を組み立て始めたところで、視界に息を呑むアリスの顔が映る。
「アリス? どうしたんだい?」
「……五十年前に私の護衛に付いてくれた闇祓いのことを覚えてますか? リーゼ様。」
「ぼんやりとはね。魔女に操られていた若い男だろう? ポール・バルトの息子の。」
「見てください。」
真剣な表情のアリスが渡してきたのは、アピスが持ってきたアルバート・ホームズの写真だ。そういえばゲラートの報告書には写真が付いていなかったなと思いながら、顔を拝んでやろうと視線を送ってみると──
「……ふぅん? 似てるね。」
「そっくりですよ。クロードさんが三十代になったらきっとこんな感じになるはずです。……バルト隊長が反応したのにも納得ですね。」
記憶の隅にあった、生真面目そうな闇祓いの顔。それに生き写しの男が微笑む写真を見ながら、アンネリーゼ・バートリは事件が繋がっていることを確信するのだった。