Game of Vampire   作:のみみず@白月

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魔女の妖怪

 

 

「……相変わらずの人混みですね。この街は一年中こうなんでしょうか?」

 

足を踏み入れるのは人生三度目となる混沌の街。種々雑多な存在が歩き回る香港自治区の大通りを進みつつ、アリス・マーガトロイドは隣のリーゼ様に呟いていた。久々に外を出歩けるのは嬉しいが、場所が場所だけに油断できないな。この街には表と裏があり、加えてそのそれぞれに二つの側面があることを今の私は知っているのだから。

 

八月五日のお昼過ぎ。私とリーゼ様は『鈴の魔女』とコンタクトを取るために、香港特別魔法自治区のメインストリートをぶらついているのである。イギリスからロシアへ、ロシアから自治区の繋ぎ役だという男の店へと移動し、そこでお昼ご飯を食べた後にこうして大通りを適当に歩いているわけだが……本当に向こうから接触してきてくれるのだろうか? この人混みの中から特定の存在を見つけ出すのは困難だと思うぞ。

 

やたらと爪が鋭い大男たちが道端で昼間から酒を飲んでいるのを眺める私へと、先程出店で買った牛串焼きを頬張っているリーゼ様が返事を返してきた。ちなみに咲夜と魔理沙はイギリスでお留守番中だ。今頃エマさんの『お料理教室』を受講しているはずだし、帰った後の夕食が楽しみだな。

 

「んふふ、愉快な街じゃないか。ここならキミが出歩いても問題ないしね。」

 

「……そういえば私、もう国際指名手配されちゃってるんですよね? なんか実感が湧いてこないんですけど。」

 

日々忙しく動いてくれているリーゼ様によれば、私は自分が知らぬ間に指名手配犯になってしまったらしい。国際魔法使い連盟では結局承認されなかったようだが、北アメリカでは立派な凶悪犯罪者に認定されたのだとか。

 

展開が急すぎてよく分かっていない私に、リーゼ様は忌々しそうな顔でタレのかかった牛肉を噛み切りながら頷いてくる。

 

「あくまで新大陸では、の話だけどね。……ウィゼンガモットの評議長を知っているかい? 今回はあの爺さんが上手く立ち回ったみたいで、ヨーロッパ各国から一斉に拒絶の返答を叩きつけたらしいんだ。ホームズは連盟上層部との太いパイプを持っているようだが、これを無視して押し通すのはさすがに無理だと判断したんだろうさ。指名手配を連盟に承認させるのは諦めたみたいだよ。」

 

「なんか、申し訳ない気分になってきます。私のために色んな人が動いてくれてますね。」

 

「キミは紛うことなき冤罪被害者だし、こうなってきたら個人じゃなくイギリスという国家の面子の問題だよ。気にする必要なんかないさ。……今は指名手配論争が一段落して、今度はイギリス国内における捜査権の議論に移ってるらしいね。捜査員をイギリスに入れたがっているホームズに対して、フォーリーが主権を盾に拒んでるってわけだ。……まあ、こっちの議論はやや劣勢のようだが。大戦の頃に制定された自由捜査協定を振り翳してゴリ押そうとしてるみたいでね。」

 

「グリンデルバルドの対処のために制定された協定ですよね? ……あれって闇祓い以外にも適用されるんですか?」

 

皮肉にもレミリアさんの手によって締結したこの協定は、国家を跨いで活動するグリンデルバルドの軍隊に対抗するために作られたものだ。『自国で騒ぎを起こされたが、国境を越えられたのでもう追えない』という事態を防ぐために存在していたわけだが……まさかこういう形で不利に働くとは思っていなかったな。

 

あまり詳しくない国際規約を思い出しつつ聞いた私に、巨大なローストビーフが吊るしてある出店に引き寄せられているリーゼ様が答えてきた。あれを削ぎ落として売っているらしい。

 

「対象は明確に決まっていないらしいんだよ。『闇祓い』ってシステムがない国家もあるからね。それにイギリスはリドルを追うために協定を利用しまくったから、同じように使おうとしているホームズのことを声高に叩けないんだ。だから不利になってるってわけさ。……やあ、店主。ソースは選べるのかい?」

 

「辛いの、甘いの、しょっぱいの。三つあるよ。」

 

「じゃあ、辛いのを一つ頼もうか。」

 

「今用意するよ。」

 

癖の強い片言の英語で愛想良く応じてきた店主は、見事なナイフ捌きで肉を削ぎ始める。それを横目に財布からお金を出しつつ、リーゼ様への質問を重ねた。この街は通貨のシステムが特殊なので、支払いは私が担当しているのだ。

 

「それじゃあ、近いうちに……えっと、国際保安局でしたっけ? あの人たちがイギリスに入ってくるかもしれないってことですか?」

 

「まあ、そうなるかな。一応人形店に忠誠の術でもかけておこうか。守り人が私なら、少なくとも普通の魔法使いは手出し出来なくなるだろうし。」

 

「それだとリーゼ様が家に入れなくなっちゃいますけど……。」

 

「どうせ九月に入ればホグワーツだからね。そこまで不便はないよ。あと問題になるのは人形だと思われるホームズ当人なわけだが、五十年前の『プショー人形』の戦い方を見るに、魔法族を人形にした時の戦力はあくまで普通の魔法使いに毛が生えた程度だ。だったら今のキミやエマの敵じゃないだろうさ。」

 

出店の店主から紙のカップに入った肉を受け取ったリーゼ様は、そう言って肩を竦めると再び歩き出す。お代を支払ってからその背を追って、隣に並びつつ話を続けた。

 

「魔女本人が来たらどうします?」

 

「それこそ絶好のチャンスじゃないか。……あの魔女の最も厄介なところは、本人が決して姿を見せないって点だ。こっちが見つけ出す前に向こうから出てきてくれるなら願ったり叶ったりだよ。」

 

「……私たちが追いかけている『魔女』は本当に存在するんでしょうか? いつだか美鈴さんが言ってたみたいに、本人不在で人形が動いてるって可能性はありませんか?」

 

プショー、少女たち、クロードさん。全て『人形』で、全てに操り手が居た。……だけど、その操り手が人形じゃないという保証はどこにもないのだ。相手が魔女だという情報だって不確かなものだし、五十年前にプショーを通して本人ですら自信がないと言っていたはず。

 

顔の見えない操り手を不気味に思いながら呟いたところで、何処からか透き通るような鈴の音が響いてくる。心を落ち着かせるようなその音に視線を上げてみれば──

 

「……ええ?」

 

静寂に包まれた無人のメインストリートが目に入ってきた。あれだけ居た通行人たちや、呼び込みをする店員たち、それどころか隣を歩いていたリーゼ様の姿までもが綺麗さっぱり消えている。視線を落としていたのはほんの一瞬だけなのに。

 

音一つない静かな香港自治区。そこにポツンと立っている私へと、背後から嗄れた声が投げかけられた。

 

「へっへっへ、久し振りだね。こっちへお座りよ。」

 

慌てて振り返ってみれば……間違いない、去年出会ったあの老婆だ。道のど真ん中にある簡素な木のテーブルと椅子。そこに座っている鈴の魔女の姿が見えてくる。

 

「……これは、貴女がやったの?」

 

「そりゃあそうさ。自然に起こることに思えるかい?」

 

「だけど、どうやって? ……こんな規模の魔法、有り得ないわ。幾ら何でも不可能よ。」

 

幻術の類なのだろうか? 景色はどこまでも続いており、私と老婆以外の生き物は存在していない。香港自治区の風景を『写し取って』、別の空間に構築しているとか? にしたってこれは大規模すぎるぞ。事前に作っていたというならまだしも、少なくとも目に見える部分は先程歩いていた大通りの風景そのままだ。

 

何をどうしたのかと思考する私に、老婆は皺くちゃの顔を愉快そうに歪めながら口を開いた。

 

「あたしの工房はこの街そのものなんだ。だからこの街の中ではこんなことも出来ちまうのさ。これでも永く生きてる人外だから、それなりの術は使えるんだよ。……そら、どうしたんだい? さっさと座りな。あたしから話を聞きに来たんだろう?」

 

「リーゼ様……私と一緒に居た吸血鬼はどうしたの?」

 

「吸血鬼のお嬢ちゃんは『表側』に置いてきたよ。心配しなくてもきちんと連絡はしておいたさ。安全は保証するから、少し二人で話させてもらいたいってね。……魔女の話を魔女とするんだ。だったら魔女だけで話すのは当然のことだろう?」

 

言いながら老婆が椅子に立て掛けてある長い杖を小突くと、チリンという音と共にテーブルにお茶とお菓子が現れる。……相手が『格上』である以上、私に選択権なんてなさそうだな。諦めて対面の椅子に腰掛けた私に、老婆は思い出したように話しかけてきた。

 

「そういえば、予想が外れたね。あんたとはもう会わないかと思ってたんだが……へっへっへ、数奇なもんだよ。これだから生ってのはやめられないんだ。幻想の里には行かなかったのかい?」

 

「まだこっちでやることが残ってるの。あと数年後に行くわ。」

 

「あの八雲が『お預け』を呑むのは珍しいねぇ。……まあ、気持ちは分かるさね。あんたたちは面白い。鬼ってのは好きじゃないが、吸血鬼はそこまで嫌いでもなくなったよ。」

 

「貴女もその、八雲さんと同じで人間が好きなの?」

 

羊羹の一種だろうか? 漆塗りの小皿に置いてある謎の黄色いお菓子と、湯飲みの中の緑茶。それを見ながら放った質問を受けて、鈴の魔女は謎めいた返答を寄越してくる。

 

「八雲とは違うよ。あたしは人間のことは嫌いじゃないが、別に憧れちゃいないからね。あたしが好きなのはこの街だ。あいつが幻想郷を我が子のように想うのと同じように、あたしにとってはこの街が大切なのさ。……八雲が抱える一番の歪みは、自分が妖怪であることを肯定しながら人間に憧れてるとこなんだよ。だが、あたしは違う。今までもこれからも魔女だし、それで充分満足してるからね。無い物ねだりをしたりはしないのさ。」

 

「えっと……?」

 

どういう意味だ? 首を傾げる私ヘと、老婆は苦笑いで手を振ってきた。

 

「こりゃまた、失礼したね。こいつはあんたに話すべきことじゃなかった。単なるババアの愚痴さ。聞き流してくれていいよ。……それじゃ、本題に入ろうか。もう一人の『人形の魔女』の話に。何を聞きたいんだい?」

 

緑茶を一口飲んでから本題を切り出してきた鈴の魔女に、居住まいを正して問いを投げる。リーゼ様が話に参加できない以上、私が頑張って情報を入手しなければ。

 

「……先ず、例の魔女がこの街で貴女と小競り合いを起こしたというのは事実なの?」

 

「事実だよ。あんたら、この街の人間にアルバート・ホームズのことを根掘り葉掘り調べさせてたらしいじゃないか。それを鬱陶しく思ったんだろうね。嗅ぎ回る人間を遥々消しに来たから、あたしが追っ払ってやったのさ。」

 

「街の住人を守るために戦ったということ?」

 

「人間同士の諍いや、妖怪同士の争いに進んで関わるつもりはないけどね。同族があたしの縄張りであたしの街の住人を殺そうとするなら話は別さ。自分の管理する土地で好き勝手にやられるのは魔女の名折れだ。丁重にお引き取り願ったってわけだよ。」

 

そういう事情だったのか。切っ掛けがこちらにあることをちょびっとだけ申し訳なく思いつつ、ニヤリと笑みを浮かべる先輩魔女への質問を続けた。

 

「魔女本人が来たの?」

 

「いいや、一戦やり合ったのは人形だよ。人形を操る人形さ。……まあ、その『奥』にいるヤツのことも覗かせてはもらったけどね。」

 

「……『本体』を特定したってこと?」

 

「具体的な居場所までは分からんさ。あたしが覗けるのは曖昧な記憶だけだからね。……鈴の音は追憶の音なんだよ。魔を祓い、正しい道を教え、迷う者を導く音色だ。迷いを齎すのは大抵の場合未来じゃなく、過去だろう? だからあたしはそいつを覗けるのさ。鈴の音の導くままにね。」

 

うーむ、難解だな。パチュリーならば理解できたかもしれないが、私には読み解くのが難しい発言だ。要するに、自身の魔法の性質を説明している……んだよな? ここに来ていきなり『魔女っぽく』なってきた会話に困惑していると、鈴の魔女は少し沈んだ顔で続きを語る。

 

「あたしが覗き見たのは人形の魔女の……『魔女の妖怪』のルーツさ。あたしに探られてることに勘付いたんだろうね。すぐに逃げちまったが、それでもあの子が『始まった』瞬間は見ることが出来た。……憐れな子だよ。あたしやあんたは自分の意思で魔の道を選んだけどね、あの子は否が応でもそうするしかなかったんだ。」

 

同情しているのか? 悲しそうな表情で話していた老婆は、私の目を真っ直ぐに見つめながら言葉を繋げた。落ち窪んだグレーの瞳には魔女とは思えないほどの慈悲深い光を宿している。

 

「あたしはあんたの敵になるつもりはないが、あの子の敵にもなれないよ。あの子はあたしたちの同族じゃない。それでも確かに魔女なんだ。あたしはあの子の記憶を見てそう感じたね。」

 

「ちょっと待って頂戴、話について行けないわ。……『魔女の妖怪』というのはどういう意味? 魔女じゃないの?」

 

「あの子は始めから魔女として生まれたのさ。そう望まれて、畏れられて、だからそうなっちまったんだ。夜への畏れが吸血鬼を生んだように、魔女への畏れがあの子を生み出したんだよ。」

 

思い出すのは五十年前に聞いたプショーの台詞だ。魔女に至ったのではなく、魔女として生まれた存在。あの時はリーゼ様も美鈴さんも半信半疑だったようだが、目の前の老婆はそれを肯定している。

 

混乱する私へと、老婆は年相応の草臥れたような雰囲気で意外な単語を口に出してきた。

 

「あんたは『魔女狩り』ってもんを知ってるかい? 欧州の魔法界じゃ軽く語られてる事件だけどね、非魔法族や新大陸の魔法界にとっては中々凄惨な歴史なのさ。」

 

「それは……もちろん知っているわ。」

 

「知識として知ってるだけで、理解しちゃいないだろう? ……別に責めてるわけじゃないよ。当時のヨーロッパの魔法使いたちが凍結呪文で『火あぶりごっこ』を楽しんだり、水の上を歩いてみせて非魔法族をからかってたのは知ってるからね。だからまあ、イギリスの魔法使いにとっては間違いなく単なる『マグルの愚行』なんだろうさ。あたしも当時の人間たちを直に見て愚かしいと思ったし、そいつは御尤もな意見だと同意するよ。」

 

直に、か。ということはこの魔女は最低でも十六世紀頃には生きていたわけだ。魔法史で学んだ歴史を記憶から掘り起こしている私に、老練の魔女は顔を顰めながら会話を続ける。

 

「だけどね、そこで苦しんだヤツってのは確かに存在してるんだ。魔女ではなく、魔女のレッテルを貼られた普通の人間たち。凍結呪文も泡頭呪文も使えないただの人間たちは、生きたまま焼かれたり水底に沈められる他無かったんだよ。……あの妖怪のルーツはそこさ。妖怪ってのは人間の恐怖から生まれるものなんだ。形のない多数の恐怖が、いつの間にか実体として生まれ落ちるわけさね。」

 

「それって……つまり、例の魔女は魔女狩りの恐怖から生まれたということ?」

 

多くの人間たちが畏れ、無知故に迫害した魔女に対する恐怖。あるいは無実の罪で火刑に処されたり、凄惨な拷問を受けた『魔女ではない魔女』たちの恐怖。それらが形を持った妖怪だということか?

 

私が喉を鳴らしながら放った疑問に、鈴の魔女は神妙な顔付きでこくりと頷いた。

 

「あの子のことを知りたいなら、新大陸の歴史を探りな。魔法界と非魔法界の魔女狩りを繋げた連中のことを。数百年経った今なお新大陸に悪名を轟かせている連中のことを。」

 

「……ひょっとして、スカウラーのことを言っているの?」

 

「残念だが、あたしから言えるのはここまでさ。さっき言ったように、あたしはあんたの敵でもあの子の敵でもないからね。……加えて一つだけ言うとすれば、あの子は邪悪なわけじゃないよ。ただ純粋なんだ。その二つは隣り合わせにあるものだから分かり難いかもしれないが、あんたがその違いを理解してくれることを祈っておくさね。」

 

「ちょっと待って、まだ聞きたいことが──」

 

話を締めたかと思えば、やおら傍らの杖に手を伸ばした鈴の魔女のことを止めようとするが……ぐぅ、痛ったいな。魔女が長い杖に手を触れた途端に座っていた椅子が消えて、その場に尻餅をついてしまう。お尻をさすりながら立ち上がってみると、そこには騒めきに支配された混沌の街の大通りが広がっていた。どうやら『表』に戻されてしまったらしい。

 

むう、鈴の魔女のお陰で謎が一つ解消されたが、代わりにいくつか増えちゃったな。魔女狩りが生んだ妖怪、そしてスカウラーとの関わり。結局例の魔女……『魔女の妖怪』の居場所に繋がるヒントは得られなかったが、その根幹に迫ることは出来たわけだ。

 

ホームズが所属しているマクーザが治める土地であり、神秘が薄い人間が支配する大陸。アピスさんも、鈴の魔女もその土地を示した以上、今度は新大陸を調査する他ないだろう。私が指名手配されている北アメリカを。

 

謎が謎を呼ぶというのはこういう状況のことを言うんだろうなと嘆息しつつ、アリス・マーガトロイドはリーゼ様を探して歩き出すのだった。

 


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