Game of Vampire 作:のみみず@白月
「
緑色に光るスーツを何とか元の色に戻そうとしている三十ほどの男を観察しながら、姿を消しているアンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。ホームズのことも『魔女の妖怪』のことも気に食わんが、こいつに限っては同情してやってもよさそうだな。
十二名の新大陸の捜査官たちが『本当に忌々しい国』に入国してから早五日。彼らは既に常識的な魔法界がある北アメリカに帰りたくなっているらしい。イギリス魔法省が貸与している地下四階の狭いオフィスの中では、集団ホームシック状態の国際保安局員たちが口々にイギリスのことを罵っている。
姿と気配を消している私が聞いているのも知らず、この年齢層が若めの捜査団のリーダーをしている国際保安局の次局長……ジャック・フリーマンとかいう神経質そうな眼鏡の男が文句を再開した。エリートの文官って感じの見た目だし、ホグワーツ上がりの『非常識人』たちとは致命的に相性が悪そうだな。
「私はただ、通りすがりの男性にマーガトロイドを目撃していないかと丁寧に尋ねただけなんだぞ? それなのに次の瞬間にはブランド物のスーツがこの有様だ! スコージファイ。……ああくそ、全然落ちない! 何をどうしたらこうなるんだ? スコージファイ、スコージファイ!」
「どれだけ頑張っても落ちないと思いますよ、次局長。私のスーツも真っ赤になったまま元に戻っていませんから。どうもこっちではそういう『悪戯グッズ』が普通に市販されてるみたいですね。『七色水風船』とかって言うんだとか。専用の魔法薬じゃないと落ちないらしいです。」
「こんな悪質な『悪戯』がこの世に存在するか? アメリカなら間違いなく犯罪になっているぞ。……それで、その魔法薬とやらはどこに行けば手に入るんだ? 給料何ヶ月分も叩いてようやく買った一番良いスーツなのに、この先ずっと光り輝く緑色のままじゃ困る。何としても綺麗にしないと。」
「ダイアゴン横丁に専門の店があるんです。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズとかいうふざけた店が。そこに行けば売ってるみたいですよ。……昨日買いに行ったら売り切れてましたけどね。入荷の目処は立っていないらしいです。」
革靴に付着した『瞬間接着ガム』をどうにか取ろうとしている局員の答えに、フリーマンは緑色のスーツを床に叩き付けながら返事を吐き捨てる。ちなみに他の局員たちも一人残らず何らかの『悪戯被害』に遭っているようで、現在部屋に居る七名の男性はどいつもこいつも愉快な格好だ。双子は悪戯グッズが売れまくって喜んでいるだろうな。
「そんなもの嘘に決まっている! あの商店街のバカどもは我々に何一つ売ろうとしないじゃないか。コップ一杯の水でさえもだ! ……お前たちは知っているか? ヤツらは我々の顔写真を隠し撮りして『指名手配書』を作っているんだぞ。これではどちらが犯罪者だか分からないじゃないか!」
「次局長、落ち着いてください。ホームズ局長がそういう反応も有り得ると言っていたじゃありませんか。」
「だが、ここまでとは言っていなかった! 紅のマドモアゼルだか何だか知らんが、ヤツらの『教祖様』の身内だからとイギリスの連中は庇い立てを──」
フリーマンが顔を赤くしながら局員に喚いている途中で、部屋の壁から何かを引っ掻くような音が鳴り響き始めた。『猫の爪研ぎ』レベルの可愛らしい音ではなく、『エルンペントのツノ研ぎ』レベルの爆音だ。
「……今朝あたりから頻繁に聞こえてくるようになったが、この騒音は何なんだ? こんな音は生まれてこの方聞いたことがないぞ。誰かイギリス魔法省が隣の部屋で何を飼っているか知っている者は居るか?」
「我々にも分かりません。このフロアを使っているのは魔法生物の管理を担当する部署らしいんですが、職員に聞いても答えてくれないんです。省内の機密だとかって。」
「何が機密だ。これも嫌がらせに違いない。そうに決まっている! ……忌々しい、本当に忌々しいな! 抗議しようにもボーンズ大臣は常に『留守』だし、スクリムジョールとかいう冷血男は取り付く島もないし、おまけに外交を司る部署の部長は『アメリカ訛りの英語は聞き取れない』と主張して会話にならない有様だ! まともな人間はこの国に一人も居ないのか?」
居ないぞ。だってここはイギリス魔法界なんだから。ストレスの塊となったフリーマンの嘆きを耳にしつつ、折角偵察に来たのにロクな情報は手に入らなさそうだと拍子抜けしていると……部屋の隅に一つだけあるボロボロの机で書き物をしている若い職員が、不幸の真っ只中にいる次局長どのに問いかけを放った。椅子にしたって簡素な丸椅子が三脚しかないし、我が国の魔法省が非協力的なのは間違いなさそうだ。
「……こんなことでマーガトロイドを捕まえられるんでしょうか? ホームズ局長は折を見て例の調査報告を公開するって言ってましたけど、それでイギリスの魔法使いたちが考えを翻すとは思えません。市民の妨害がある状態で捜査なんて不可能ですよ。」
「弱音を吐くな、ハドソン。我々は国際保安官として正義を貫こうとしているんだから、胸を張って堂々と捜査を続けるべきだ。陰湿な嫌がらせに屈する我々ではないと連中に示してやれ。そうすればいつか感謝される日が来るだろう。」
「ですが、このままでは何の手掛かりも得られません。マーガトロイドの住居は忠誠の術に守られているようですし、張り込もうにも商店街の連中が邪魔してきます。一度本国に戻って態勢を整えるべきではないでしょうか?」
「まだ五日だぞ。たった五日でおめおめ帰国したとなれば、闇祓い局の無能どもに叩かれるのは目に見えている。そうなればホームズ局長の議会内での立場が悪くなってしまうはずだ。連盟に対してあれだけの啖呵を切った以上、我々は何かしらの成果を挙げる必要が……誰だ?」
フリーマンが励ますように局長に声をかけている途中で、部屋のドアがリズミカルに連続でノックされる。鋭く放たれたフリーマンの誰何を受けて、ドアを勝手に開けた長身の男が薄ら笑いで返答を返した。知らん顔だな。ノックの仕方からするにこいつも『非常識人』みたいだが。
「どうもどうも、お邪魔しますよ。北アメリカの皆さんに差し入れを持ってきたんです。もう三時になりますし、小腹が空いているでしょう?」
「……失礼ですが、どなたでしょうか? 私の記憶が確かなら貴方とは初対面のはずです。」
「ああ、これは失敬。僕はアルフレッド・オグデンと申しまして、アズカバンの監獄長をやっております。以後お見知りおきを。」
あー、こいつがムーディの『相方』とかいう食わせ者の元闇祓い副長か。テンガロンハットにスーツ、そして足元はカウボーイブーツという奇妙な格好をしたポニーテールの初老の男は、ズカズカと室内に踏み込みながらフリーマンへと手に持っていた物を差し出す。剥き出しの手の平サイズの白パンをだ。
「ご丁寧にどうも。私はマクーザ国際保安局所属、ジャック・フリーマン次局長です。……それで、これは何でしょうか?」
「だから差し入れですよ。パンです。好きでしょう? パン。誰だって好きなはずだ。みんな狂ったように食べているんですから。僕は嫌いですけどね。」
たった一つの包まれてすらいないパンを渡してくるオグデンを前に、フリーマンは意味が分からないという顔付きで黙り込んでしまうが……安心しろ、ホグワーツ生の私から見てもこれはさすがに意味不明だ。ムーディの元右腕というだけあって、イカれっぷりも引けを取っていないな。
バカにされているのか、それともオグデンがバカなだけなのか。それを悩んでいる様子のフリーマンへと、バカにしているらしいバカはパンを押し付けながら話を続けた。かなり皮肉げな口調でだ。
「いやぁ、揃いも揃って参っているようですね。僕からボーンズ大臣に進言してあげましょうか? 他国の捜査官をこんな物置小屋に閉じ込めておくだなんてあまりに失礼ですから。……知ってます? ここって昔、魔法生物から採取した魔法薬の材料を保管しておく部屋だったんです。通常の保管庫には置いておきたくない材料……要するに、臭いがキツかったりするやつをここに隔離していたわけですね。臭い物には蓋をしておくに限りますから。ああいや、別に皆さんがそうだと言っているわけではありませんよ? 大昔の話です。つまり、一週間ほど前の。」
ごく最近じゃないか。ペラペラとよく回る舌で楽しそうに語るオグデンに、フリーマンは常識的な態度を装いながら穏やかに応じる。大人なヤツだな。年齢的にはどう見てもオグデンの方が上だが。
「ご配慮には感謝しますが、大臣への進言は不要です。……それより、アズカバンとはイギリス魔法界の牢獄でしょう? そこの管理者が我々に何のご用でしょうか? イギリス魔法省にお邪魔させてもらっている以上、何かご用でしたら最大限の協力をさせていただきますが。」
「用? そんなものありませんよ。僕は冷やかしに来ただけです。ミス・マーガトロイドを探すのに随分と手こずっているようなので、どれだけ意気消沈しているのかを見物に来てみました。……まあはい、思った以上に『やられている』ようでびっくりしていますが。パンを食べて元気を出してくださいよ。美味しいと思いますよ、そのパン。しもべ妖精に頼んだら一瞬で持ってきてくれたんです。何度も言うように、僕は嫌いですけどね。」
こいつは人の怒らせ方に精通しているようだな。へらへら笑いながらいけしゃあしゃあと言うオグデンに対して、フリーマンは目元をピクピクさせているが……それでも責任ある社会人としての対応を続けた。
「心配しなくても我々は士気旺盛ですよ。必ずマーガトロイドを捕らえてみせます。……お話がそれだけでしたらもうお戻りになった方がよろしいのでは? アズカバンは改装の真っ最中で忙しいと聞いていますが。」
「士気旺盛? それは良かった。だってそうでしょう? 新設の部署がこれだけ国際社会を引っ掻き回した挙句、何一つ成果を得られなかったらとんでもない大問題ですからね。僕がアルバート・ホームズの立場なら夜逃げの準備をしますよ。……それと、僕は暇なので気を使っていただかなくても結構です。うちは部下が優秀なんですよ。靴の裏のガムを取るのに何時間もかけたりしません。その分を仕事に回していますから。」
細い目で国際保安局の局員たちを順繰りに見つめるオグデンは、大仰に両手を広げながら小憎たらしい笑顔を浮かべているが……なるほど、つまりこいつもこの連中の偵察に来たわけか。静かに観察している私と違って、オグデンはあえて突っつくことで反応を見るつもりらしい。
アリスのためなのか、スクリムジョールあたりに頼まれたのか、それとも興味本位の行動なのか。何にせよ見物させてもらおうと壁に寄りかかる私に気付くはずもなく、オグデンはデスクに居る若い局員が敵意を滲ませているのを目敏く発見すると、勢いよく歩み寄りながら彼に話しかけた。
「おや、かなり若いのも居ますね。貴方のお名前は? イギリスは良い国でしょう? 五日間を過ごした感想はありますか?」
「……ハドソンです。下っ端の私なんかと話しても仕方がないと思いますが。」
「そんなことはありませんよ! 僕はその辺の偏屈な年寄りどもと違って、年齢で人を判断したりはしません。卑屈にならないでください、ミスター・ハドソン。貴方は誇りあるマクーザ国際保安局の局員なんですから。……まあ、現状では役立たずの迷惑集団ですけどね。北アメリカには『冤罪』って英語は伝わっていないんですか? 知性ある由緒正しいイギリスにはそういう単語が存在しているんですよ? 一つ学べましたね。『劣化版ホグワーツ』でも教えるようにと伝えておいてください。」
「我々は……我々はきちんとした根拠に基づいて捜査しています! 子供を誘拐する際にマーガトロイドを目撃した人物が居ますし、五十年前にフランスで起きた未解決の誘拐殺人も──」
我慢できなくなったのだろう。ハドソンとかいう若い金髪の局員がオグデンに言い返したところで、慌てて駆け寄ったフリーマンがそれを抑える。このメガネの次局長はオグデンが揺さぶりをかけていることに気付いたらしい。それなりに頭は回るわけか。
「そこまでだ、ハドソン。……オグデン監獄長、聞きたいことがあるのでしたら私がお答えしますよ。」
「いやぁ、もう充分です。誘拐の目撃者と五十年前の事件ね。ルーファスと大臣に良いお土産が出来ましたよ。」
おやまあ、がらりと雰囲気が変わったぞ。それまでの軽薄そうな態度をかき消したオグデンは、悪意を多分に含んだ冷たい笑顔で満足そうに頷いた。そういえばレミリアはこいつを『闇祓いの皮を被った狡猾な政治屋』と表現していたな。勝つ為だったら躊躇なく相手の足を舐められるヤツだと。
ムーディとは違う厄介さを感じる私と同様に、フリーマンもこの男の『やり方』を把握したらしい。厳しい表情でドアを指差すと、何かを考えているオグデンに鋭く言葉を放つ。
「……用がお済みならもうよろしいでしょう? お帰りはあちらです。」
「ご丁寧にどうも、フリーマン次局長。……帰る前に一つだけ忠告しておきましょうか。僕はある人に恩義と負い目を感じていましてね、その人はミス・マーガトロイドの親友なんです。だから僕は貴方がたの邪魔になると思いますよ。ここらで恩返しをしておかないと死ぬまで出来ないかもしれませんから、僕もそれなりに必死でして。やる気がある僕ってのは中々厄介ですし、気を付けた方がいいんじゃないですかね?」
「……覚えておきます。」
「ええ、しっかり覚えておいてください。じゃないと後悔しちゃうことになりますから。」
嘘くさい酷薄な笑みでテンガロンハットを胸に当ててお辞儀したオグデンは、そのまま鼻歌を歌いながら部屋を出て行く。……まあ、あの食えない男は現状味方だ。だったら私としては文句などないさ。
しかし、『アリスの親友』ってことはヴェイユに負い目を感じているのか。オグデンは当時の闇祓い副長だし、ひょっとしたら咲夜の両親の死が関係しているのかもしれないな。私がオグデンについてを黙考していると、フリーマンが大きくため息を吐きながら口を開いた。
「本当に厄介な国だな。どいつもこいつも癖が強すぎるぞ。……ハドソン、もう挑発に乗るなよ? ああいう手合いは外面を取り繕って無視するのが正解だ。」
「はい。……申し訳ありません、つい感情的になりました。」
「褒められた行いではないが、気持ちは分かるさ。ヒックス、後であの男のことを調べておいてくれ。私はホームズ局長に報告を送ってくる。厄介な連中に目を付けられてはいるが、何の進展もないという忌々しい報告をな。」
「了解しました、次局長。」
局員の一人に指示を出してからドアを抜けるフリーマンの背にぴったり張り付いて、私も『物置オフィス』を後にする。大した情報は入手できなかったが、オグデンのお陰でヤツらの『根拠』の一端を知ることは出来たな。
今回の誘拐殺人の目撃者と、五十年前の事件との関わりか。前者はまだ分からんが、後者はある程度予想が付くぞ。あの事件の犯人をアリスに仕立て上げようというつもりなのだろう。当事者は殆ど生きていないだろうし、私たちが強引に解決したから不明瞭な部分が多いのも確かだ。やろうと思えば不可能ではないのかもしれんな。
だが、話を大きくしていけばどこかで粗が出るはず。鈴の魔女が示した新大陸の線は追う準備にまだ時間がかかりそうだし、先ずは表側の政治ゲームに介入してみるか。レミリアの『品揃え』には到底及ばないものの、私だって強力な駒を一つ持っているのだから。
魔法省の職員たちに睨み付けられる中を堂々と歩くフリーマンのことを見送りつつ、アンネリーゼ・バートリはホームズの駒も大変だなと小さく苦笑するのだった。