Game of Vampire 作:のみみず@白月
「キミね、何度説明させるつもりなんだい? そのドイツ人は嘘を吐いているんだよ。そうに決まってるじゃないか。」
風の力で鉄が浮くだと? バカバカしいにも程があるぞ。何度説明しても理解しないアピスにうんざりしながら、アンネリーゼ・バートリはタクシーの助手席から文句を投げかけていた。
現在の私と『ニンファドーラ版アリス』とぽんこつ妖怪もどきの三名は、ボストン郊外をタクシーに乗って走行している最中だ。ニューヨークから飛行機に乗ってマサチューセッツ州の空港まで移動し、すぐ近くのボストンを通り抜けて北側に……つまりニューハンプシャー側に向かっているのである。アピスによれば、厳密に言えば魔女の嘗ての工房が存在しているのはローレンスという街の外れらしい。
まあ、あの悪霊の説明が大雑把なことにはこの際文句を言うまい。二百年も経てば地図だって多少変わるだろう。今の私をイラつかせているのは遠く離れた魅魔ではなく、後部座席に座っているアピスの方だ。
「嘘じゃありません。どうしてそうやって固着観念に囚われるんですか? ……おバカな貴女のためにもっと分かり易く説明してあげましょう。」
「そら、まーた始まった。聞いてもいない説明を披露するのはやめたまえ。そも私は飛行機なんぞに興味はないんだ。」
「いいですか? 例えばこの車の窓から手を出したとします。すると手は吹きつける風で後ろに押されるでしょう? これが風の力ですよ。前に進むスピードが速ければ速いほど、ぶつかってくる風の力も強くなっていくわけですね。」
「その御託はさっき聞いたぞ。……じゃあ言わせてもらうが、高い場所から鉄球を落としたら浮くのかい? 浮かないだろう? 下に落ちるスピードはあるのに、風の力とやらは鉄球の身投げを救ってくれないじゃないか。」
飛行機は鉄なんだぞ、鉄。軽い物ならまあ分かるが、巨大な鉄塊がその程度の力で浮くはずがない。自信を持って指摘した私に、アピスはバカにするように小さく鼻を鳴らして応じてきた。ちなみに先程まで仲裁しようとしていたアリスは無言で窓を見つめている。本家ニンファドーラなら絶対にやらないようなアンニュイな表情でだ。
「飛行機には風を上手く利用するための翼があるんですよ。鉄球に翼がありますか?」
「鉄球には無いが、私にはあるぞ。そして私は風の力とやらを使って飛んだ覚えはないね。実体験として嘘だと断定しているんだよ。」
「妖怪の『適当原理』を持ち込まないでください。私は筋の通った航空力学の話をしているんです。」
「なら、箒はどうなるんだい? 箒にだって翼は無いが、立派に空を飛んでいるじゃないか。」
もう完全に『マグル向き』の議論ではなくなっているが、タクシードライバーの中年男は沈黙を保って前をジッと見つめたままだ。さっきまではアリスと一緒に間に入ろうとしていたが、もう面倒くさくなって運転に集中することにしたらしい。賢明だぞ。この車内で事故になって死ぬのはお前だけなんだから。
「だから原理が完全に違うんですよ。貴女は妖力を、箒は魔法力を、飛行機は揚力を使って飛んでいるんですから。……これだから魔法族と妖怪は嫌いなんです。筋道立った知的な話が全然通用しません。訳の分からない発想で思考をショートカットしたり、奇妙な思い込みをしたりで会話になりませんよ。そうなると魔法界の妖怪なんて最低ですね。それが野蛮コウモリ科の生意気盛り属なら尚更……魔女さん、見てください。助手席の凶悪妖怪がシートベルトを外して殴りかかろうとしてますよ。注意しないと。約束を破ってます。」
「決めたよ。キミの理論が本当に正しいのか、キミ自身を使って実験してみようじゃないか。首に縄をかけて外にぶん投げてあげるから、風の力を使って上手く飛んでみたまえ。きちんと飛べれば縄が食い込んで絞死、飛べなきゃ後ろの車に轢かれて轢死だ。分かり易いだろう?」
「……二人とも、やめてください。今すぐに。」
グーを振り上げて後部座席のアピスを脅しつけたところで、アリスの冷たい声が車内に響く。……ポリジュース薬が脳にまで影響してるんじゃないだろうな? だって、私のアリスはこんな声色を出さないはずだ。もっと優しい良い子だぞ。
これ以上ないってほどのジト目で放たれた言葉を受けて、ちょっと不安な気持ちで助手席に座り直した。元に戻らなかったらどうしよう。それは嫌だな。ニンファドーラの顔だったらまだ我慢できるが、アリスの顔でこんな表情を向けられたら悲しすぎる。
……むう、新大陸に入ってからというもの、イライラと不安が交互に襲ってくるな。前者は主にアピスに対してで、後者はアリスにだ。神秘が薄すぎる所為で精神が不安定になっていることを自覚しつつ、重苦しい車内の雰囲気に不安を加速させていると、運転している男が心底ホッとした様子でポツリと呟く。
「もうすぐ着きますよ。」
車内で行われる意味不明な議論に辟易しているのだろう。ようやく奇妙な客を降ろせることに安堵している表情の運転手の声に従って、進行方向に目をやってみれば……あー、あれか。アピスの報告書の写真で見た古臭い一軒家が視界に映った。
新大陸の一軒家における大きさの基準はいまいち分からんが、少なくとも周囲の家と比較すれば『すごく大きい』と断言できる建物だ。敷地を囲む高いレンガの塀には蔦がびっしりとへばり付いていて、その向こう側には剪定されていない木が何本も見えている。長年手入れがされていないのは明白だな。
運転手は目的地が『幽霊屋敷』だったことに不信感を募らせたようだが、アリスが結構な額のチップを上乗せすると途端に機嫌が良くなったらしい。タクシーを降りた私たちにニコニコ顔で手を上げると、そのままもと来た方向へと戻って行った。それを尻目に屋敷に向き直ったところで、真面目な顔付きのアリスが声をかけてくる。真面目なニンファドーラってのは違和感が凄いぞ。
「……間違いなく魔女の工房ですね。私でも魔力を感じます。」
「それに、神秘も多少マシだね。ここならイライラしないで済みそうだよ。」
人外が長く住んでいた所為で、土地そのものにある程度の神秘が宿っているのだろう。やっと冷静な気分で物事を考えられることに息を吐いていると、アピスがジッと屋敷の屋根を見ながら口を開いた。
「……発見したことがありますけど、タダじゃ教えたくありません。追加料金を払うなら教えてあげますよ。」
「キミ、この上金を取る気なのか? 調査のために滅茶苦茶な金額を持っていっただろうが。」
「あれは調査の料金でしょう? そしてここまでの案内でサービスは終わりです。これ以上を欲するなら対価を払ってください。」
「……先ずは何を発見したのかを言いたまえ。払うだけの価値があると判断したら払ってあげるよ。」
私としてはボロボロの屋根だという感想しか浮かんでこないぞ。ジト目で催促した私に、アピスは一番高い屋根を指差して『発見』の内容を語ってくる。
「あの屋根の縁に細かい模様があるでしょう? あれは崩したルーン文字ですよ。人間避けと妖怪避けの結界を張っているみたいですね。我流のものなので判断が難しいですけど、妖怪に対する結界はそこそこ強力なやつです。」
「……あれか。模様は確かにあるが、結界があるような感じはしないぞ。」
「示威としての結界ではなく、実用的なものなんでしょう。気付かせないで触らせるタイプのやつですよ。触ったら何か害があるのは間違いないでしょうね。……情報料を支払う気になりました?」
「……後で払うよ。屋根をぶっ壊せば解術できるかい?」
まあ、有益な情報ではあったな。まさか吸血鬼を殺せるほどの結界だとは思えんが、肉体がほぼ人間であるアリスの場合は話が別だ。渋々追加料金の支払いを認めた私に対して、アピスは軽い口調で応じてきた。
「私ならもっと穏やかな方法で解術できます。」
「キミ、魔術が使えるのか?」
「多趣味なんですよ、私は。魔術は流れの魔術師から習いましたし、神力の使い方はエジプトの土着神から、気の使い方は紅さんから学びました。知ることは力です。何もせずに衰退するその辺の妖怪と一緒にしないでください。……解術もいくらかいただきますけど、どうします?」
こいつ、本当に油断ならないヤツだな。神力まで使えるのか。さすがに信仰される側ではなく、どこぞの神を信仰して力を借りる側だとは思うが……まあいい、ここは頼んでおこう。会話を横で聞いているアリスもお手上げだという顔をしているし。
「やってくれ。」
「じゃあ、遠慮なく。」
そう言った守銭奴妖怪が徐に蔦だらけの塀に手を当てると、ばちりという音と共に手のひらが一瞬弾かれる。それを受けて興味深そうに首を傾げた後、アピスがもう一度手を当てた瞬間──
「はい、解けましたよ。……我流にも程がありますね。こんな雑な構成の結界は初めて見ました。」
キンッという金属を弾いた時のような音がしたと同時に、やや呆れ顔のアピスが解術を宣言した。それに一つ首肯してから、門の方へと足を進める。
「誰からの教えも受けられなかったようだからね。あとは普通に入っていいのかい?」
「いいと思いますけど、よく考えたら私まで入る必要がありますか? ここに到着した時点で『案内』は終わってますよね?」
「いいから来たまえよ。私たちが出てくるまで突っ立って待ってるつもりか?」
当然鍵がかかっていた錆び付いた門を無理やり開けて、敷地内に入りながら背中越しに言ってやると、アピスは存外素直にアリスの後ろから付いてきた。そして塀の内側は……うーん、予想通りの惨状だな。今が十一月で良かったぞ。夏なら間違いなく草だらけの虫だらけだったはずだ。
「『荒れ果てた』って表現がぴったりですね。やっぱりこの工房はもう使っていないんでしょうか?」
「みたいだね。こういう部分をどうでも良いと思うのであれば、そもそもこんな気取った家を工房にはしないはずだ。……まあ、中を見てみないとまだ分からんがね。外側だけ荒れているってのはよくある話だろう?」
きょろきょろと辺りを見回しているアリスに答えつつ、ギリギリ機能している石畳を踏み締めて玄関まで到着したところで、両開きらしい木の扉の奥から微かな物音が聞こえてくる。何か居るな。こっそり動いているつもりらしいが、吸血鬼の聴力をナメないで欲しいぞ。
目線でアリスに警戒しろと伝えてから、足音を消してドアに忍び寄って……それを思いっきり蹴飛ばしてやった。気付かれずに忍び込むのも好きだが、『突入』するのも悪くない。話が早いのは良いことだ。
「野蛮に過ぎる訪問方法ですね。見るに堪えません。」
「そのうちキミの家でもやってあげるよ。……やあ、人形。ご主人様は留守かい?」
蹴り開けたドアの向こうで尻餅をついている、青と白のエプロンドレス姿の八、九歳くらいの幼い少女。アピスに応じた後でそいつに呼びかけてやると、少女は慌てて立ち上がって家の奥へと逃げ出そうとするが……何だこいつは。見事にすっ転んで動かなくなってしまった。人間避けの結界が張ってあった家に人間が居るはずがないし、こいつは魔女が作った人形の一体なのだろう。
毛先に緩いウェーブがかかっている肩上までの金髪を揺らす少女は、怯えているような表情をズカズカと乗り込んでくる私に向けると、青い瞳を瞬かせながら質問を飛ばしてくる。声質も見た目も少しだけ子供の頃のアリスに似ているな。無論、アリスの方がずっと可愛らしいが。
「だ、誰なの? ビービーのお友達?」
「『ビービー』?」
「違うの? ……違うんだ。じゃあ、泥棒の人?」
「泥棒じゃないし、人でもないよ。私は吸血鬼さ。」
うーん? 何かこう、思っていたよりも手応えのない反応だな。警戒半分、好奇心半分くらいの問いを寄越してくる少女は、明らかに隙だらけのご様子だ。戦闘用の人形じゃないってことか?
「きゅうけつき? ……血を吸いに来たのね? でも、ここには血が無いわよ。私はほら、お人形だから。人形の家を選んじゃうなんてドジな吸血鬼さんね。」
立ち上がった少女が自分の腕を……手首に球体の関節が付いた腕を見せてくるのに、玄関から確認できる屋内をチェックしながら返事を返す。中は比較的片付いているな。奥の方に上り階段が見える、一般的な一軒家の廊下といった具合だ。
「血を吸いに来たわけでもないよ。……単刀直入に聞くが、ここは魔女の工房かい?」
「そうよ、ビービーの……ベアトリスの工房。もうずーっとビービーは帰って来てないけどね。貴女、もしかしてビービーのことを知ってるの? 元気にしてる? 寂しそうにしてなかった?」
「元気かは知らんが、生きてはいると思うよ。」
随分とあっさり答えるじゃないか。心配そうな面持ちで聞いてきた少女へと、杖を片手に事態を見守っていたアリスが質問を口にした。
「つまりその、貴女は魔女に作られた人形ってことよね?」
「ええ、ビービーが作ってくれたの。凄いでしょ? 昔はいつも一緒に遊んでたんだから。熊のティムとか、うさぎのマギーとか、キツツキのジーンとかと一緒にね。……今はみんな動かなくなっちゃったけど、ビービーが戻ったらきっと直してくれるわ。」
「……そうなの。貴女のお名前は?」
「アビゲイルよ。ビービーが付けてくれたの。ずっと昔に私を作った時にね。」
うーむ、予想と少し違う展開になってきたな。やはりこの工房は放棄されていて、嘗て作った人形が主人を待っているだけの場所だということか。あまりにも無防備すぎる振る舞いを見るに、恐らくこの人形は戦闘用ではなく、『お友達』としての機能しか持っていないのだろう。
同情しているような顔付きのアリスを横目に考えていると、アビゲイルと名乗った人形がひょこひょこ歩きながら私たちを促してきた。左足が上手く動かないらしい。さっき転んだのはその所為か。
「貴女たちが誰なのかはよく分からないけど、とにかく入って頂戴。お客様をいつまでも玄関に立たせておくのは失礼だってビービーが教えてくれたの。……本物のお客様が来たのは初めてだけど、ごっこ遊びでいつもやってたから大丈夫よ。歓迎するわ。」
「じゃあその、失礼するわね。」
人形に甘いアリスが柔らかい口調で応答するのと同時に、私とアピスも少女の背に続いて廊下を進む。そのままいくつかのドアを通り過ぎて通された部屋は……リビングか? 隅の方に薪も灰も入っていない暖炉がある大きな部屋だった。そして古臭いデザインのセンターテーブルとセットのソファには、十体ほどの手のひらサイズの人形が置かれている。どれもこれも動物をデフォルメしたデザインだ。
「ちょっと待っててね、今みんなを移動させるから。」
ぎこちなく歩く少女が丁寧な手付きで人形たちを退かすのを尻目に、黙して室内を観察しているアピスへと小声で話しかけた。他に気配らしい気配はないな。どうやら罠もなさそうだ。
「何か所見はあるかい? 私は思っていた以上に手掛かりが得られなさそうで拍子抜けしているが。」
「私は別に拍子抜けしてませんけど、手掛かりが得られそうにないって部分には同意します。この家は典型的な魔女の『古巣』ですよ。探せば嫌がらせ程度のトラップはあるかもしれませんが、重要な何かが残っているとは思えませんね。大事な物は新しい巣に持って行っちゃったんじゃないでしょうか?」
「要するに、あの人形は魔女にとって『大事な物』ではなかったわけか。」
「今から八十年以上前の作品であるエリック・プショーはもっと人間らしい見た目でしたからね。あの人形はかなり初期に製作した……所謂、試作品のような物なんじゃないですか?」
『試作品』ね。確かにそんな感じはあるな。少女の顔は人間そのものと言っていいほどに精巧な作りだし、肌や瞳なんかにも然したる違和感はないが、少なくともプショー人形は球体関節ではなかった。である以上、どちらが『最新式』かは言わずもがなだろう。
「はい、これでオッケーよ。座って頂戴。水はもう出なくなっちゃったから中身は用意できないけど、カップだけは割れてないのが残ってるの。並べれば雰囲気は出るわよね?」
いやはや、主人に見棄てられた人形か。先程の会話からするに少女の方はまだ魔女を慕っているようだし、何とも哀れな話だな。……置いていかれたと気付いた上でそうしているのか、それとも気付かないフリをしているのか、あるいは本当に気付いていないのか。ソファに座りながらそのことを黙考していると、空の食器を並べた少女が『お茶会』の開始を宣言する。実に嬉しそうな表情でだ。
「どう? お茶会っぽくなった? ……それじゃあ始めましょう。何をお話しする? 私ったら、なんだかワクワクしてきちゃったの。誰かとお話し出来るのなんて何十年振りかしら?」
まるでこの家の現状を表しているかのような空っぽのティーカップ。何も入っていないそれを持ち上げて微笑む人形を前に、アンネリーゼ・バートリは奇妙な状況になったなと小さく息を吐くのだった。