Game of Vampire   作:のみみず@白月

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それはワイン!

 

 

「それで、どうだったんだよ。早く教えてくれ。」

 

クリスマス休暇が目前に迫ったクソ寒い日の早朝。薄く積もった雪の上を歩いてくるドラコへと、霧雨魔理沙は大声で呼びかけていた。我らがキャプテンどのは昨日の午後、準決勝の対戦相手と会場を決めるためにリヒテンシュタインに行っていたのだ。結局夕食時になっても帰ってこなかったので、スリザリン以外の生徒はまだ結果を知らない。昨夜は対戦相手が気になってよく眠れなかったぞ。

 

競技場の前に代表選手たちや各寮の協力者たちが集まっているのを見て、苦笑しながらスリザリンの生徒たちと共に近付いてきたドラコは、開口一番で一つの校名を口にする。

 

「ワガドゥだ。二回戦第一試合がマホウトコロ対イルヴァーモーニーで、第二試合がホグワーツ対ワガドゥ。試合会場はワガドゥとイルヴァーモーニーになった。」

 

「ワガドゥで、アウェイか。……まあ、良いとも悪いとも言えないな。」

 

「良いと言うべきだぞ、マリサ。情報が一切無いマホウトコロじゃなかったんだ。アウェイなのはともかくとして、そこは喜ぶべき点だろう。」

 

「あー、そっか。そういやそうだな。」

 

真面目な表情で放たれたドラコの言葉に納得する私を他所に、スーザンが腕を組んで別の意見を述べた。他の面々もワガドゥについてを考えているようだ。

 

「気温差はどうなの? こっちは冬だけど、向こうは夏よね。」

 

「そこは気を使う必要があるだろうな。更に言えば、試合の時期は雨季でもあるらしい。抽選が終わった後、大雨の可能性もあると向こうのキャプテンが教えてくれた。」

 

「敵に塩を送るってわけですか。」

 

「フェアな勝負がしたいんだそうだ。何にせよ情報が増えるのに文句などないし、精々有効活用させてもらうさ。……予定通り今日の昼休みはミーティングにするから、詳しい対策はそっちで話し合おう。先ずはいつも通りの朝練だ。」

 

シーザーの発言に肩を竦めたドラコは、そのまま男子更衣室の方へと歩いて行く。それを尻目に女子更衣室に向かいつつ、一回戦第一試合で観たワガドゥのプレーのことを思い出していると……横に並んだジニーが声をかけてきた。

 

「マリサ、私たち女子は図書館に行くね。昼休みまでに気候とかを調べておくから。」

 

「おう、毎度すまんな。助かるぜ。」

 

「いいのよ。今日の朝練は男子が付き合うから、思いっきり扱き使ってやって頂戴。今朝は寒いからって私たちを気遣ってくれたらしいわ。か弱いお姫様役もたまには悪くないわね。」

 

対戦相手を確認するためだけに来てくれたってことか。ウィンクをしてからホグワーツ城の方へと遠ざかって行くジニーたち女子の一団を見送った後、更衣室に入って着替えを始める。……今日は寒いし、ササっと済ませちまおう。そろそろ寮で着替えるようにすべきかもしれんな。

 

「ワガドゥか。どう思うよ、二人とも。」

 

手早く制服を脱ぎながら質問を投げてみると、スーザンとアレシアがそれぞれ返事を寄越してきた。うーむ、乾燥肌のアレシアは大変そうだ。冬場の練習は毎回保湿クリームを塗らなきゃいけないらしい。

 

「ドラコが言ってた通り、情報があるって点は嬉しいわね。マホウトコロが相手だと一方的に握られてることになっちゃうわけだし、そこだけはイルヴァーモーニーに同情するわ。」

 

「確か、ワガドゥはキーパーが上手いんですよね? キャプテンの人。」

 

「オルオチな。……ダームストラング戦と違ってキーパー勝負になるかもしれないぞ。その辺どうなんだよ、スーザン。」

 

「当然、負ける気はないわよ。抑えてみせるわ。」

 

スーザンが穴熊寮らしからぬ強気な笑みを浮かべたところで、急にアレシアが聞いたことのない悲鳴のような声を上げる。まさかまた『覗きネズミ』が出たんじゃないだろうなと慌てて振り返ってみると……わお、マジかよ。彼女が肌身離さず持っているビーター用の棍棒が、根元からポッキリ折れているのが目に入ってきた。

 

「あの、あの……クリームを仕舞う時にロッカーにぶつけちゃって。でも、軽くなんです。コツンと当たっただけなのに。」

 

「あちゃー、劣化してたのかもな。随分使い込んでたし、ロッカーにぶつけたのは切っ掛けに過ぎないんだろ。」

 

「試合中じゃなかったのがせめてもの救いね。予備ってどこかにあったかしら?」

 

まあうん、壊れ方もタイミングも非常に珍しいが、棍棒が壊れること自体はさして珍しいことではない。だから私とスーザンはそこまで気にしていないものの……むう、アレシアはショックらしいな。未だ嘗てないほどに悲しそうだぞ。

 

「……直らないでしょうか? ずっと一緒だったんです。寝る時も、シャワーの時も、授業中も。」

 

「あーっと……どうだろ、難しいかもしれんぞ。ポッキリだもんな。普通は曲がったりするもんなんだが。」

 

ひょっとして、それが劣化の原因なんじゃないだろうか? あまりの悲しみっぷりを前にそこまで口に出せなかった私に続いて、スーザンも気遣うような声色で所見を送る。

 

「私も厳しいと思うわ。芯が折れちゃってるもの。……見たところとっくの昔に寿命だったみたいだし、この前の試合を頑張って耐え抜いてくれたってことなのよ。もう休ませてあげましょ。」

 

「……はい。」

 

泣きそうじゃないか、アレシアのやつ。そこまで入れ込んでくれたなら棍棒だって満足だろうさ。ビーターの鑑だな。予想以上の落ち込み具合に私とスーザンがやや困惑する中、アレシアは大事そうに折れた棍棒を抱き締めながらポツリと呟いてきた。

 

「同じ型、まだ売ってるでしょうか?」

 

「それってあれだろ? 双子のどっちかが使ってたお下がりだよな? ……かなり古い型だし、もう売ってなさそうじゃないか?」

 

「新しいのじゃダメなの? 私は詳しくないけど、キーパーのグローブと同じように色々と改良されてると思うわよ。」

 

「次の試合までに上手く扱えるようになれるかが不安なんです。二月ですよね?」

 

そういうことか。私はビーターの経験がないからよく分からんが、繊細な打ち分け方をするアレシアにとっては大問題なのだろう。キーパーのスーザンとしても通ずるところがあったようで、困ったような顔で首肯を返す。

 

「二月の後半ね。……とりあえず風邪を引く前に着替えちゃいなさい。それからギデオンとも話し合ってみましょう。今年のカタログって誰かが持ってたわよね?」

 

「ハリーとシーザーが持ってたはずだ。それを見て近い棍棒を探してみようぜ。同じメーカーならそこまで変わってないだろうしさ。」

 

「……はい、そうします。」

 

すんすんと鼻を鳴らしながら棍棒を見つめるアレシアは、まるで想い人と別れることになった恋する乙女だ。うーん、ここに来て新たな問題か。ニールたちも報われないな。我らがぷるぷるちゃんは男子ではなく棍棒に恋していたらしい。

 

しょんぼりと俯くアーモンド色の頭を眺めつつ、霧雨魔理沙はクィディッチプレーヤーらしいぞと苦笑するのだった。

 

 

─────

 

 

「だからさ、クリスマスプレゼントってことでチーム全員で金を出し合って買うことに決めたんだよ。何だかんだでアレシアはまだ十二歳だしな。ビーター用の棍棒は結構高いし、親の理解があっても一人で買うのはキツいだろ。」

 

真っ白な世界が延々と続く田舎の冬景色。車窓に流れる白銀の大地を横目に言ってきた魔理沙へと、アンネリーゼ・バートリは適当な頷きを放っていた。クリスマスプレゼントに棍棒ね。イギリス魔法界のクィディッチプレーヤーともなれば、その非常識っぷりにも納得がいくぞ。

 

十二月二十四日の昼。数日前に今年の授業が終わっているホグワーツを出発した私たちは、毎度お馴染みの真紅の列車に乗ってキングズクロス駅まで移動しているのだ。今年は二十日と今日の二回列車が出ているので、例年なら混み合うはずの車両は中々の空き具合となっている。

 

窓に打ち付ける雪を見ながらぼんやりしていると、私の右隣に座っている咲夜が相槌を打った。魔理沙の隣ではハリーがクィディッチ用品のカタログを読んでおり、その更に隣ではジニーが『支配と凋落』というスキーター著の誰だかの伝記をパラパラと捲っている。ちなみにロンは先程シェーマス・フィネガンとディーン・トーマスに呼ばれて別のコンパートメントへとお出かけ中で、ハーマイオニーやルーナは二十日の列車で帰省済みだ。

 

「そんなに高いの? 棍棒って。」

 

「まあな、普通に考えるよりは全然高いぜ。単純な作りに見えるかもしれんが、別の素材がこう、何層にも重なってるんだよ。ビーター用のは無骨に見えて繊細な作りなんだ。」

 

「ふーん。……まあ、いいんじゃない? リヴィングストンもホッとしたでしょ。リヴィングストン本人がというか、そのご両親がね。」

 

「開催パーティーの時のドレスも安いもんじゃなかったろうしな。クィディッチってのはつくづく金がかかるぜ。突き詰めてくとキリがないんだ。」

 

苦笑しながらボヤいた魔理沙に、カタログに折り目をつけたハリーが同意を送った。折り目だらけじゃないか、そのカタログ。

 

「うん、どれもこれも欲しくなってきちゃうよ。専用の道具が殆ど無いシーカーでさえそうなんだから、ビーターとキーパーは大変だよね。……これ、どう思う? ニューモデルの箒グリップ。新素材なんだってさ。」

 

「どれだ? ……あー、これか。パークスが買うかもって言ってたぜ。ほら、ハッフルパフのチェイサー。贔屓のブランドなんだとさ。」

 

「いいね、それなら休み明けに見せてもらおうか。シリウスがさ、この前の勝ちのお祝いに何でも買ってくれるって手紙をくれたんだ。マリサの分もいいぞって書いてあったよ。」

 

「良い『スポンサー』じゃんか。そういうことなら遠慮なく何か頼んでみるかな。」

 

殺人鬼から無職へ、そしてお次はホグワーツチームのスポンサーか。明るい表情でカタログへと視線を移した魔理沙を眺めつつ、忙しなく人生を謳歌している犬もどきに鼻を鳴らしていると、ジニーがもう我慢できないという顔付きで本をパタンと閉じた。スキーターの書く伝記はお気に召さなかったらしい。

 

「もうダメ、読むに堪えないわ。これは伝記じゃなくてファンタジーよ。ママが大好きなギルデロイ・ロックハートの自伝と同じジャンルね。」

 

「ロックハート? ああ、ハーマイオニーが昔お熱だったあいつか。あの間抜けの本に関してはよく知らんが、スキーターの本を買うのが『ガリオンの無駄』ってことは分かっていたことだろう? 今更何を言っているんだ。」

 

「それでも何かヒントを得られるかもと思ったのよ。報道記者としてのヒントをね。……そう思って注文した時の私をぶん殴ってやりたいわ。これなら七色水風船を十ダース買った方がマシだったかも。」

 

「ちなみに誰の伝記なんだい?」

 

然もありなんと肩を竦めながら問いかけてやれば、ジニーは私に本を放って『被害者』の名前を口にする。

 

「ゲラート・グリンデルバルドよ。こっちにはヌルメンガードに収監されるまでの半生が書かれてて、死んだら『下巻』として議長就任後の伝記を書くつもりみたい。両方無許可なのは間違いないでしょうけどね。」

 

「何? ゲラートの?」

 

飛び出してきた意外な名前に興味を惹かれて、そこそこ分厚めのハードカバーの本を流し読みしてみると……うーん、嘘八百だな。ちらりとチェックした段階で二十近い嘘を確認できたぞ。著者のスキーター曰く、ゲラート・グリンデルバルドには双子の兄が居り、そいつと協力し合って二人分の仕事をこなしていたらしい。何をどうしたらそうなるんだよ。

 

「この双子の兄はどうなったんだい?」

 

「最後の方でダンブルドア先生に殺されたわ。伝説の決闘の最中に弟を守ろうとして死んだ『疑いがある』んですって。要するに、物語形式の空想ゴシップ本よ。ジョークとして見れば面白いかもね。」

 

「私は面白いと思うよ。三つ子にすれば尚良かったとも思うけどね。グリンデルバルド三兄弟の誕生だ。」

 

「悪夢ね。あんな人が三人も居たら世界がめちゃくちゃよ。」

 

死の秘宝も三等分できてちょうど良いじゃないか。杖ゲラートと、石ゲラートと、マントゲラートが世界を支配するわけだ。きっとありきたりなネクタイを禁じて、お気に入りのアスコットタイを唯一の正装に規定するに違いない。これ以上ないってほどにバカバカしい気分で本を返してから、持ってきたピスタチオの袋を開けて備え付けのテーブルにぶちまける。キングズクロス駅まではまだまだかかるだろうし、一杯飲んで過ごすとしよう。

 

「あ、ワインだ。私にもちょっと頂戴よ。」

 

「ジニーは構わないが、咲夜はダメだぞ。キミは酒癖が悪いからね。」

 

「……もう飲みませんってば。」

 

昔咲夜に美鈴が酒を飲ませてしまった時、この銀髪ちゃんがとんでもない泣き上戸だということが発覚したのだ。そして悲劇的なことに咲夜は都合良く記憶を失えるタイプではなかったらしく、以来食前酒すら口にしなくなってしまった。

 

少し赤い顔で甲斐甲斐しくピスタチオを剥いてくれている咲夜に同情しつつ、コルクを抜いたワインをグラスに注ぐ。レミリアはやれデキャンタージュがどうだとか、やれ酸化がどうだとかと喧しいが、私はそこまで拘っていない。飲むのに知識はいらんのだ。ワインを美味しくさせるのは醸造所やソムリエの役目であって、サーブされる側は堂々と味わえばいいのだから。美味ければ褒めるし、不味ければ貶す。それが支配者の役割だろうに。

 

「ハリーはどうだい? これは人間用のやつだぞ。」

 

「僕はやめておくよ。まだお酒の美味しさはちょっと分からないから。」

 

「まあ、無理に飲む必要はないさ。歳を取れば否が応でも味覚は変わるわけだしね。魔理沙は?」

 

「……ちょびっとだけ飲んでみるぜ。酒は初めてじゃないしな。」

 

ふむ、そうなのか。拡大魔法がかかった布袋からグラスを追加していると、ハリーがきょとんとした表情で質問を飛ばす。

 

「日本では未成年もお酒を飲んでいいの? イギリスはまあ、その辺は曖昧なわけだけど。」

 

「あーっとだな、私は田舎育ちだからさ。そういう風習というか何というか、そこまでガバガバ飲むのは日本も基本的にダメだった……かな? イギリスは子供でも飲めるのか?」

 

「外だとダメだし、普通はそんなに飲ませないけどね。マグル界だと買うのは十八歳からだよ。……あれ、十六だっけ? 多分十八だったと思うけど、自信がないや。」

 

もう立派な魔法界の住人になっているハリーが腕を組んで思い出しているのに、ワインを一口飲みながら軽く応じる。

 

「吸血鬼的に言えば、人間が飲酒に年齢制限をかけるのは謎の一つだね。昔は普通に飲んでいたじゃないか。何だって急に制限を作ったんだい?」

 

「身体に悪いからとかじゃないかな。僕は上手く答えられないし、そういう議論はハーマイオニーとすべきだよ。……ちなみにさ、『昔』っていつ頃の話?」

 

「昔は昔さ。人間たちが何かあるとすぐ酒に頼っていた頃だよ。病気の時は酒、魔除けに酒、傷にも酒、寒い日も酒、神事にも酒ってな具合にね。」

 

「思い出話というか、僕たちにとっては『歴史』の範疇だね。アルコールの効果が色々と判明して、必要がない時は使わなくなったってことなんじゃない?」

 

種としての進歩の一つというわけだ。つまるところ、今の人間たちは不必要だと理解した上で飲んでいるわけか。……まあうん、私はそういうところは面白くて好きだぞ。酒、煙草、ギャンブル、絵画、音楽、ファッション、趣味への浪費。そういった無駄なことこそ嗜好にすべきだろう。せっせと合理的に働くアリンコじゃあるまいし、折角知恵の実を食ったのであれば無駄をこそ楽しまなくては。

 

享楽こそが生の華。だから飲みたきゃ飲むべきだ。吸血鬼として導き出した結論にうんうん頷いていると、コンパートメントのドアがコンコンとノックされた。ロンが戻ってきたのかとドアに目をやってみれば、ガラス越しに魔法薬学の骸骨男の姿が見えてくる。

 

「おや、ブッチャーじゃないか。何で乗ってるんだ?」

 

「監督役だろ。こうやって生徒が酒盛りをしないように見張るためのな。」

 

没収される前にと慌ててグラスの中のワインを飲み干しながらの魔理沙の返答と共に、ドアを開けたブッチャーがワインボトルを指差して口を開く。……開いたままで声が出てこないわけだが、声帯をどこかに落としちゃったのか?

 

「どうしたんだい? ブッチャー。悪い魔法使いに声を奪われたか?」

 

「……ちが、違います。ワインですね? それはワイン! そうでしょう?」

 

「そうだね、ワインだ。このワインボトルに入った赤い液体の名前を当てた名推理には脱帽だが、キミには一滴たりともあげないぞ。私は服のセンスが悪いヤツには酒を奢らないことに決めてるのさ。そうなるとキミはダメだよ。地味な黒ローブは落第点だからね。」

 

相も変わらぬ真っ黒な重苦しいローブ。それを指差して明言してやると、ブッチャーは驚愕の顔付きで自身の姿を見下ろした後、口を数秒間パクパクさせてから次なる発言を寄越してきた。

 

「黒……黒は汚れが目立ちません。これは薬学のために、仕事のために着ているローブです。」

 

「キミね、生徒からの人気を得たいなら洒落っ気を出したまえよ。この際言わせてもらうが、その格好は取っ付き難いぞ。私の経験から言っても、黒ローブの魔法使いは大抵無愛想だしね。」

 

「そうではなく、ワイン! それはワイン! ……アルコールは人体に良くありません。度を過ぎた摂取は、未成年の飲み過ぎは体に毒です。お勧めしませんよ。」

 

「心配しなくても私以外はほどほどにさせるさ。それでいいだろう? 魔法界なら別に違法ってわけじゃないはずだ。他に違法にすべき飲み物が腐るほどあるからね。」

 

咲夜が職人ばりの手付きで素早く剥いていくピスタチオを頬張りながら言ってやれば、ブッチャーはまたしてもパクパクした後で……懐から取り出した何かを渡してくる。十匹ほどのカラカラに乾いた虫の死骸をだ。何のつもりだよ。狂ったか?

 

「靴虫の乾物! ……これは肝臓を助けます。つまり、アルコールの分解を。胃腸の働きを補助する効能もありますから、飲酒した後に食べておいた方がいいでしょう。」

 

「……感謝するよ、ブッチャー。酒を飲んでいて虫を渡されたのは生まれて初めてだ。貴重な経験になったよ。実に貴重な経験に。」

 

「ヒヒッ、感謝は不要です。教師は生徒を助けるものですから。蜂蜜で漬けてありますから、美味しいはずですよ。」

 

私の遠回しな嫌味を素直に受け取ったブッチャーは、どことなく嬉しそうにも見える不気味な笑顔でコンパートメントを出ようとするが、背を向けたところで立ち止まって肩越しに問いを投げてきた。

 

「……黒は、黒いローブはダメ。それなら何色が良いと思いますか?」

 

「知らんが、黒以外だ。明るい色がいいんじゃないかな。派手なプリントでもあれば尚良いが。」

 

「明るい色。……そうしましょう。私のローブは明るい色!」

 

最後に大声を上げながら頭をガックンガックンさせたブッチャーは、そのままコンパートメントを出て遠ざかって行く。嵐が過ぎ去った場が沈黙に包まれる中、魔理沙が虫の死骸を一つ手に取ってポツリと呟いた。

 

「どうするよ、休み明けのブッチャーのローブがレインボーカラーになってたら。責任取れよな、リーゼ。……うお、美味いぞこれ。」

 

「そんな物をよく食べられるね、キミ。何虫って言ってた? 随分と異様な見た目だが。」

 

「靴虫って言ってたね。脚が八本あるし、蜘蛛の仲間かな? 初めて見たよ。ロンが帰ってくる前にどうにかした方がいいかも。」

 

「ロンのやつ、蜘蛛が苦手だもんな。誰も食べないなら私が食べていいか? ハニートーストの味がするぜ。」

 

こいつ、正気か? ハリーに応じた魔理沙はその場の全員がドン引きしているのにも構うことなく、靴虫の乾物とやらをひょいひょい口に放り込んでいく。全然抵抗がないみたいだし、まさか幻想郷では虫を食うんじゃないだろうな? だとすれば私は移住を保留させてもらうぞ。

 

「……虫なのよ? 魔理沙。分かってる?」

 

「何事もチャレンジだろ。イナゴの佃煮とかだって存在してるわけだしな。」

 

「でも、虫なの。脚が八本もある虫。そこが重要な点なのよ。」

 

その通りだ。戦慄の表情で親友から身を引く咲夜を横目に、アンネリーゼ・バートリは移住への不安を膨らませるのだった。

 


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