Game of Vampire 作:のみみず@白月
「……怖くないわ。別に怖くはないけど、あれは危なくないの? 凄いスピードよ?」
そういえば、自動車を見るのは初めてなのか。白い毛糸の手袋を嵌めた右手でポケットの中のティムを、左手で私の手をギュッと握り締めているアビゲイルを横目に、アリス・マーガトロイドは真昼のボストンの街並みを見渡していた。冬は寒くなる土地だと本で読んだ覚えがあるのだが……ふむ? 思っていたほど雪は積もっていないな。日陰なんかに薄く残っている程度だ。もう少し先が冬本番なのだろうか?
ニューヨークほど現代的で煌びやかではないが、ニューヨークよりも風情を感じる夕陽が似合いそうな街。年明け直前に私たちがこの街を訪れたのは、ベアトリスの工房にある人形たちを回収するためだ。今回はきちんとマクーザに申請した上で渡航しているので、ポートキーでボストン郊外の公園まで直接移動している。北アメリカで杖魔法を使用するための杖の登録もイギリス魔法省経由で済ませてあるから、あとは三十キロほど離れた位置にある工房へと姿あらわしするだけ。リーゼ様の機嫌が悪くなる前にさっさと終わらせてしまおう。
公園の前の道路を走る自動車を警戒するアビゲイルに、イトスギの杖を取り出しながら口を開いた。リーゼ様は……おおっと、既にイライラとコートの中の翼を動かしている。急いだ方が良さそうだ。
「アビゲイル、大丈夫よ。自動車はこっちには来ないわ。走っていい場所が決まっているの。」
「そうなの? ……あれは生きてるの?」
「へ? ……生きてはいないわ。中に人が乗っていて、動かしているだけよ。馬車と同じで単なる移動手段なの。」
純粋な視点というのは時に突拍子のない発言を生み出すな。今日のために急遽ロンドンで私が買ってきた白いダウンジャケットとブルージーンズ姿のアビゲイルに説明してから、次にチェスターコートを羽織っているリーゼ様へと呼びかけた。ちなみに私は黒いタートルネックのセーターとジーンズ、そしてベージュのトレンチコートを着ている。私は基本的にパチュリーと同じ『ロングスカート党』の所属なのだが、気温が低いことを予想して珍しくパンツを選択したのだ。
「リーゼ様、行きましょう。」
「ああ、了解だ。アビゲイルは任せたよ。」
言うや否や姿くらまししてしまったリーゼ様の後を追って、私もアビゲイルに一声かけてから付添い姿あらわしを使う。発言が端的になるのはリーゼ様の機嫌が悪い証拠だ。理由が分かっていてもちょっとビクビクしちゃうぞ。
「アビゲイル、もう一度魔法で移動するから掴まっててね。ティムのこともしっかり持っておいて頂戴。」
「分かったわ。ティム、ギュッてしておいて。離れちゃダメよ。」
アビゲイルの指示にこくこく頷くティムを微笑ましい気分で眺めつつ、慣れた姿あらわしの感覚と共に移動した先には……どういうことなんだ、これは。枯れて茶色になった蔦がへばり付いている煉瓦の塀と、黒ずんだ骨組みだけになっている屋敷の姿が目に入ってきた。
先に移動したリーゼ様は近くに居るし、場所はここで合っているはず。だが、この様子は……焼け落ちたのか? 事が起きてからはそれなりの時間が経過しているようで、薄く雪が積もっている屋敷の残骸に火の気は一切見当たらないが、一見した限りでは正に『大火事で焼け落ちた屋敷』といった具合だ。
「……リーゼ様、これは──」
真紅の瞳を鋭く細めて周囲を観察しているリーゼ様に、戸惑いながら質問を放とうとした瞬間、アビゲイルが私の手を離して変わり果てた屋敷へと駆け出してしまう。愕然とした表情でだ。
「アビゲイル!」
その途中で転んで雪解け水の水溜りに突っ込んでしまったアビゲイルを抱き上げるが、彼女は私の拘束を無言で振り解いてぎこちない歩みで屋敷へと近付いて行く。そのまま見る影もなくなった屋敷の玄関に立つと、泣きそうな顔になりながら大声で人形たちの名前を呼び始めた。
「マギー! ジーン! ……アル、ステフ、バート! みんなどこなの? アビーよ! ティムも一緒よ!」
「アビゲイル、落ち着いて。」
「でも、でも……みんなは? どうしてこんなことになってるの? 私が勝手に出て行ったから? ビービーとの約束を破っちゃったから?」
「違うわ、貴女の所為じゃない。……私も手伝うから、とにかくみんなを探してみましょう。崩れたら危ないから手を繋いでね。」
転んだ拍子に濡れてしまったアビゲイルの服を杖魔法で乾かした後、震える彼女の手を取って柱や床の一部だけが残る屋敷の中へと歩を進める。震えているのは寒いからではなく、恐怖からだろう。友達を喪ってしまったかもしれないという、底の知れない恐怖。私にも覚えがある恐怖だ。
「でも、みんな動けないの。何かあっても逃げられないのよ。私が居たらみんなを運べたのに、私が居なかったから。」
「……みんなが居たのはリビングよね?」
「うん、そう。家を出る時にソファに座らせてあげたの。私が居ない間も一緒だったら寂しくないかなって思って。それで、それで──」
話の途中で到着したリビング……『リビングだったはずの場所』を見て、アビゲイルはぴたりと口を噤んでしまった。あの時あった壁も、棚も、床も、アピスさんが直した時計も、ソファやテーブルも無いリビングルーム。端が焦げた木材や、石造りの暖炉だけがぽつんと残されているだけだ。
呆然と立ち尽くすアビゲイルのポケットの中からティムがぴょこんと飛び降りて、ソファがあった場所に歩み寄る。床板すらも残っていないその場所を、何かを探すように歩き回るティムのことを遣る瀬無い気持ちで見つめていると……近付いてきたリーゼ様がポツリと呟いた。
「結界は出る時にアピスが直したはずだ。私が調べた際には火の気もなかった。まさか偶然雷が落ちるはずもないし、自然発火やマグルの放火ってのは有り得ないぞ。」
「……人外の仕業ってことですか?」
「疑わしいのが誰かは言うまでもないだろう? 簡単な消去法だよ。」
アビゲイルを見ながら言葉を濁したリーゼ様に、悔しい思いで首肯を返す。神秘が薄い妖怪の居ない土地で、いきなり関係のない人外が遥々この場所を訪れた上で放火するはずなどない。だとすれば可能性が高いのはベアトリス。この家の持ち主だけだ。
だけど、どうしてそんなことをする必要がある? この屋敷の人形たちは主人の帰りをずっと健気に待っていたというのに、その見返りがこれだなんて酷すぎるぞ。憤りと悲しみで頭を混乱させていると、アビゲイルの静かな声が場に響く。
「……私が悪いんだわ。私がビービーの言い付けを守らなかったから、だからこんなことになっちゃったのよ。私の所為。私の所為なの。」
「アビゲイル、違うわ。貴女は何も──」
「違わない! きっと罰なのよ! 私、私、本当はビービーを探すためだけじゃなかった! 寂しかったからアリスたちについて行ったの! もう一人は嫌だったから、もっとお話ししたかったから、お友達が欲しかったから、だからアリスたちと一緒に家を出たのよ! ……その所為だわ。私が我儘な悪い子だからこんなことになっちゃったのよ。良い子のままでいれば、きちんとお留守番をしていればこんなことにはならなかったの。ごめんなさい。ごめんなさい、みんな。私の所為でこんなことに。」
ソファがあった場所に膝を突いて、蹲って謝り続けるアビゲイル。その背をそっと摩りながら、どう声をかけるべきかと悩んでいると……やおらリーゼ様が背後を振り返った。
「ふぅん? 見張ってたのかな?」
「……どういう意味ですか?」
「お客さんだよ。というか、こっちがお客さんなのかもね。気配を隠そうともしないあたり、何か話があるみたいだぞ。」
誰かが近付いてきているということか。急いでティムを回収した後、アビゲイルと自分を守るように七体の人形を展開させる。杖を構えながらリーゼ様の視線の先を注視していると、門の方から誰かがこちらに歩いて来るのが見えてきた。……女性だ。有り触れた服装の見慣れぬ成人女性。人形か?
金髪の三十代前後の女性はリーゼ様と十メートルほどを挟んだ距離まで歩み寄ると、無機質に微笑みながら挨拶を飛ばしてくる。見た目は平凡なマグルの女性って感じだな。
「こんにちは、ミス・バートリ。」
「ごきげんよう、人形。前置きはいいから話すべきことを話したまえ。壊すのはその後にしてあげるよ。」
「相変わらず端的ですね。……しかし、参りました。ここで私と貴女がたが出会ってしまったということは、思った以上に劇が進行しているようです。アリスさんもこんにちは。また会えましたね。」
「……私と『貴女』はまだ一度も会っていないでしょう? 今この瞬間もね。」
リーゼ様から聞いている、魅魔さんの記憶で明らかになった魔女の姿とは似ても似付かないし……やはりその身体もベアトリス本人のものではないわけだ。睨み付けながら言い放ってやれば、人形は肩を竦めて応答してきた。
「確かに今話しているのは『私』ではありませんが、この人形は完全に操作するタイプの一品ですから、私とアリスさんが話しているのと近い状態ですよ。この人形も役者の一人である以上、相似であって同一ではありませんがね。……それよりどうでしたか? アルバート・ホームズは。私としてはいまいちな出来でしたが、貴女がたから見れば違うかもしれません。是非とも感想を聞かせてください。」
「感想なんて無いわ。貴女は何がしたかったの?」
「どうなんでしょうね。今となっては私も自分が何をしたかったのかがよく分からないんです。アリスさんはどう思いますか? 何をしたかったんでしょう? 私は。」
「私が知るわけないでしょう?」
何なんだ、こいつは。発言がふわふわし過ぎているぞ。困ったように問いかけてきた人形に、刺々しい口調で返事を返したところで……リーゼ様が話に介入してくる。つまらなさそうな表情でだ。
「それじゃ、私が当ててあげようか。……キミはアリスを自分と同じ目に遭わせたかったんだ。アリスだけが幸せなのが気に食わなかったんだよ。ありきたりで身勝手な妬みだね。」
「おや、自分の推理に自信があるようですね。」
「まあね、こう見えても色々と考えてるのさ。つまるところ、キミはアリスを『独りぼっち』にしてやりたかったんだろう? 身に覚えのない罪を着せられて、周囲の人間から嫌われる。そういう状況に持っていきたかったわけだ。嘗てのキミと同じような状況に。……だが、キミの予想に反してアリスは孤立しなかった。キミのことは誰も庇ってくれなかったのに、アリスのことは誰もが守ろうとした。個人どころか国家の利益さえ度外視してね。……聞かせてくれたまえよ。どんな気持ちで見ていたんだい? 悔しかった? 妬ましかった? 理不尽だと感じた?」
「残念ながら、その推測は外れです。そんな下らない理由ではありませんよ。……そしてもっと残念なことに、今の私は明確な答えを貴女がたに教えることが出来ないんです。こちらにも制限があるんですよ、色々と。私もまた役者の一人だったようでして。たとえ私個人が全ての答えを教えたいと思っていても、偉大なる脚本がノーと言えば逆らうことなど出来ません。だってほら、それが良い役者というものでしょう?」
何だそれは。悪趣味な『脚本』を書いているのは自分自身だろうが。感情の読めない微笑で回答した人形に、リーゼ様は嘲るような笑みで会話を続けた。
「同じ魔女なのにアリスは沢山の人に囲まれていて、同じ魔女なのに自分の周囲には誰も居ない。だから同じ場所まで引き摺り下ろしてやりたくなったわけだ。『お友達』が自分より優れているのが、自分以外の友達が沢山居るのが我慢ならなかったんだろう? ……おや? 私の推理は正しかったようだね。」
「違うと言っているじゃありませんか。話の通じない方ですね。」
「私は嘘吐きなんだ。この世で一番とは言えないものの、それでも類稀なる大嘘吐きなのさ。だから他人の嘘を見抜くのも得意なんだよ。私の答えは全てが正解しているわけではないが、大きく外れてもいないはずだぞ。」
口の端を吊り上げながら主張したリーゼ様を見て、人形が初めてその表情を崩す。今の台詞に何か意味があったのだろうか? 訝しむような目付きでジッとリーゼ様のことを見つめる人形へと、黒髪の吸血鬼は実に吸血鬼らしい笑みで言葉を繋げた。
「気付いたかい? そうさ、キミの味方なんてどこにも居ないんだ。キミに迷惑をかけられていると言ったら、魅魔は喜んで私に情報を提供してくれたよ。……んー、残念だったね。魅魔もキミのことが嫌いなのさ。薄汚れた灰色の少女には誰も味方してくれないみたいだぞ。」
「ブラフですね。あの方は特定の誰かに肩入れするような性格ではないはずです。取引で入手した情報でしょう?」
「『仮面を被って、役を演じる』だったか? 魅魔としては迷惑なガキを追い払うため、至極適当に放った台詞らしいよ。……おや? まさかキミ、今の今までそれに気付かず真摯に従っていたのかい? 先輩魔女が教えを授けてくれたとでも? おいおい、冗談じゃないよ。キミは魔女にも妖怪にもなりきれない半端者じゃないか。永久に独りぼっちのままさ。まさか誰かが『仲間』になってくれると本気で思っているんじゃないだろうね? だとしたらさすがに笑えないが。」
「……少し黙っていてくれませんか? 貴女は言葉を無駄にしすぎている。そんな言葉に価値はありません。」
僅かな敵意を表し始めた人形に、リーゼ様は尚も口撃を捲し立てる。心を惑わす吸血鬼の本領発揮だな。揺さぶりをかけて反応を見ようというつもりらしい。
「分かってないね、魔女と違って吸血鬼の言葉は磨り減らないんだ。使えば使うほどに鋭くなっていくのさ。それよりキミ、受け売り以外で何か話せないのか? つくづく空っぽだね。主題がなく、理念もなく、目的すらない。なーんにも無いじゃないか。……聞かせてくれたまえよ。キミ、何のために存在しているんだい? 居なくなったところで誰も気にしないと思うがね。だったら早いとこ消え失せてくれないか? 少々目障りなんだ。誰の役にも立たない癖に迷惑だけは──」
「黙っていてくれと言いました。聞こえませんでしたか?」
「悪いが、私はお喋りなんだ。泣いて頼まれたってやめないよ。何せ私はキミのことが嫌いだからね。慣れてるだろう? 嫌われるのには。誰かに好かれたことがあるかい? アリスはあるぞ。私だって好きだし、みんな彼女のことが大好きさ。対するキミは……おっと、すまないね。生まれながらの嫌われ者だったっけ。ホームズの頑張りのお陰でよく分かったはずだ。キミが嫌われるのは魔女だからでも人外だからでもなく、キミ自身の問題なんだよ。何をしたって無駄なのさ。アリスとキミは違──」
「そこまでです。」
杖魔法は使えるのか。右手で素早く杖を抜いて青色の閃光を放った人形は、それをぱちんと払ったリーゼ様に向けて口を開く。静かな怒りを秘めた声色でだ。リーゼ様の口撃は効果があったらしい。
「話になりませんね。根拠のない批判になど意味はありません。もう一度だけ言います。黙っていてください。」
「ふぅん? 怒っちゃったかい? 許しておくれよ。私は少々お茶目な一面があるんだ。一々激怒するなんて大人気ないぞ。」
「……本題に入りましょうか、アリスさん。その卑怯な出来損ないを渡してください。私の人形作りとしての、魔女としての、そして『ベアトリス』としての汚点を掃除しておきたいんです。貴女がここを訪れたことに気付いた時はゾッとしましたよ。同じ人形作りである貴女にそんなガラクタを見られてしまったのは恥ずかしいですが、そこは今更どうにもなりませんね。……言い訳だけはさせてください。初期の作品なんです。まだ私が未熟だった頃、間違いで生み出してしまった出来損ないですよ。今はもっと完成された人形を作れますから。」
とうとうリーゼ様を無視して私に話しかけてきた人形に、パッと顔を上げたアビゲイルがおずおずと質問を送った。期待と不安が綯い交ぜになったような表情だ。
「……ビービー? ビービーなの?」
「そうですよ、私のアビー。この人形の奥に居るのは貴女の主人です。こっちにいらっしゃい。終わらせてあげますから。」
「ビービー! ……アリス、離して! ビービーよ! 『私のアビー』って! ビービーの呼び方だわ!」
ダメだ、行かせられない。慌てて駆け寄ろうとするアビゲイルを押さえていると、その隙にティムが人形の方へと駆け出してしまう。それを私の人形に止めさせる間も無く、ベアトリスが操る人形は杖を振り上げて駆け寄ってくるティムへと呪文を飛ばす。
「アビー、お涙頂戴の『お友達ごっこ』はやめてください。私はもう貴女の……ああ、ティムも残っていましたか。全て処理したと思っていたんですがね。
ティムへと一直線に進む赤い閃光が、彼の小さな身体に激突しようとする直前……良かった。リーゼ様の妖力弾が空中で閃光にぶつかって、その軌道を無理やり変えさせる。弾かれた閃光が地面を抉るのと同時に、私の腕の中のアビゲイルが呆然と問いかけを口にした。
「ビービー? どうして……その子はティムよ? 忘れちゃったの?」
「覚えていますよ、私のアビー。というか、最近思い出しました。……だから壊しに来たんじゃないですか。貴女たちを見ていると本当に気分が悪くなります。その媚びるような態度には虫唾が走りますよ。」
「何を言ってるの? 何を、何で……ビービーは私たちが嫌いになっちゃったの?」
「そうですね、大っ嫌いです。そんなこと貴女だって分かっているでしょう? 全部焼いたと思ったのに、どうしてしぶとく残ってしまったんですか? ……ああ、嫌になります。早く居なくなってくださいよ。私に操り切れない人形は不要なんです。」
忌々しそうな表情で言って再び杖を振り上げた人形だったが、その腕が振り下ろされようとした瞬間、轟音と共に肩口から消し飛んだ。腕を失くした衝撃でぐらりとよろめいた人形は、大した感慨もない口調で妖力弾を放った直後の姿勢のリーゼ様へと言葉を投げる。右肩から流れる大量の血は無視しながらだ。
「……何のつもりですか? あの出来損ないに情でも湧きました?」
「そういうわけでもないんだけどね。壊されるとアリスが悲しむし、壊せなければキミは悔しいだろう? だったら私のやることなんて決まっているのさ。」
「つくづく上手くいきませんね。アリスさんならともかくとして、この段階で貴女にまで邪魔をされるとは思っていませんでした。貴女は本当に厄介な役者ですよ。予測が出来ないワイルドカードだ。」
「お褒めに与り光栄だよ。……思い出したぞ。金髪の三十代女性。面長。身長は五フィート六インチほど。その人形、誘拐の『目撃証言』の時に使ったやつだね? マドリーン・アンバーだったか?」
そういえば、マクーザからの報告書にあった人物像と一致するな。立ち止まったティムをひょいと掴み上げながら指摘したリーゼ様へと、人形は躊躇うことなく肯定を返す。
「そうですよ。そのために人間を改良して作った急拵えの人形ですけどね。その辺の路地裏でクスリの売人をしていたゴミみたいな人間ですし、別に問題ないでしょう?」
「そこはどうでも良いが、気になるのは何故迂遠な方法を選択したかだよ。アリスそっくりの人形を作って、実際にそいつに攫わせれば良かったんじゃないか? まさか思い付かなかったわけじゃないんだろう?」
「それは私の人形作りとしての美学に反します。アリスさんはそこに存在しているじゃありませんか。既に存在する人物を『改良』するならまだしも、新たに『偽物』を作るのは好きじゃないんですよ。最近更に嫌いになりましたしね。アリスさんも、貴女も、そして私も。オリジナルが一人存在していればそれで充分なんです。」
「ふぅん? 哲学的な意見だね。私も一年ほど前に友人から借りた本で読んだよ。『スワンプマン』はお嫌いなわけだ。……それならホームズはどうなるんだい? 私が見た限り、あれはクロード・バルトの偽物なわけだが。」
手に持っていたティムを……おっと、いきなりだな。こちらにぶん投げてきたリーゼ様は、私が人形を操ってキャッチするのを尻目に視線で答えを促す。それに対して、ベアトリスの操る人形は何故か表情を明るくしながら返事を寄越してきた。何だってこのタイミングでそんな顔になるんだ?
「死んだじゃありませんか、クロード・バルトは。オリジナルがこの世に存在しない以上、アルバート・ホームズは偽物ではありませんよ。少なくともアルバート・ホームズを制作した時点の私はそう思っていたんです。……ミス・バートリ、よく聞いてください。スワンプマンは過去の私の価値観では許容できるものでした。オリジナルが死んで退場しているのであれば、そっくりな誰かが代わりに舞台に上がったところで誰も困りませんからね。しかし、今現在の私はそれを許容していない。泥で作られた偽者が、オリジナルとは違う存在だということに気付いたんです。」
「論点がズレてるぞ。私が聞きたいのはだ、何故クロード・バルトの顔を流用したのかって点だよ。……悔しかったのかい? 五十年前に彼はキミの支配を破ったわけだからね。それが心に残っているんだろう?」
「……なぞり切ったんですよ、私は。クロード・バルトという人間をこれ以上ないほどに演じ切った。あれはだからこそ起きた事故です。人間ごときが私の支配を破ったわけではありません。」
「言うだけならタダだね。キミは人間をナメすぎたんだよ。……理解できないものには手を加えられない。クロード・バルトが最期に自分の意思で腕を動かしたのは、キミが『改良』し損ねた部分がそうすべきだと命じたからさ。」
苦笑しながら肩を竦めたリーゼ様に、人形はほんの少しだけイライラしているような声で反論を飛ばす。
「まるで見たかのように言いますね。貴女はそれを判断できるほどの材料を持っていないはずですが?」
「それがだね、持っているんだよ。私も『それ』を理解していなかった頃に痛い目に遭ったのさ。……キミは私に対して苛々しているようだが、私もキミに対してイラついているぞ。キミはまるで昔の私のようだからね。人間という連中の複雑さを理解せず、表面だけで判断していた頃の愚かな私だ。これ以上未熟な頃を思い出させないでくれたまえ。恥ずかしいから。」
「……昔の貴女がどうだったのかは知りませんが、私は明確に理解していますよ。人間という存在の薄汚さをね。ニューヨークのミストレスから情報を得たならご存知のはずです。私は生まれた時にそれを知りました。この身を以って。」
「……ま、いいさ。私はあのジジイほど優しくないんだ。好いてもいない相手にそれを懇切丁寧に教えてやるつもりはないよ。話を戻そう。何故クロード・バルトの顔を使ったんだい? その答えをまだ聞いていないぞ。」
ゆっくりと歩み寄って覗き込むように見上げるリーゼ様へと、人形は一歩だけ下がってから口を開いた。また無表情に戻っているな。
「大した意味はありませんよ。強いて言えば分かり易いと思ったからです。」
「意趣返しだろう? ポール・バルトの件にしたってそうさ。キミは気に食わなかったんだ。キミが認めたくない『それ』を示したクロード・バルトのことが、『それ』故に深い場所まで辿り着いたポール・バルトのことが。自分には向けてくれなかったのに、他人が持っていることが我慢ならなかった。そうなんだろう?」
「……単なる推測を振り翳し、分かったような気になっているのは見ていて滑稽です。意味のない話はここまでにしておきましょう。その出来損ないどもを渡すつもりがないのであれば、この人形に出来ることはもうありませんね。この辺で──」
「また逃げるのかい? 仮面の下の自分と向き合いたまえよ。私には分かったぞ、キミの主題が。そしてキミも本当は分かっているはずだ。コインの裏と表さ。望んでいるからこそ、キミは拒絶しているわけだね。……そうさ、そういうことなんだ。よーく分かったぞ。だから魅魔はキミを弟子にしなかったんだ。当たり前の話だったんだよ。主題そのものが魔女という存在に反しているんだから、骨の髄まで魔女なあの女が弟子に取らないのは当然のことじゃないか。」
リーゼ様は何かに気付いたようだ。たどり着いた自分の推理に笑みを浮かべながら、人形を指差して続きを語ろうとするリーゼ様だったが、それを見た人形は徐に残った左手で自分の首を掴むと……また『自殺』か。片手だけでぐしゃりと首を握り潰してしまう。プショーの時の二の舞だな。
「……ふん、聞きたくないらしいね。ガキだよ、ガキ。自分の望みを認めたくないのさ。だけど棄てられもしないから、うじうじといつまでも同じ場所を回ってるんだ。そうであって欲しい癖に、そうであることが許せない。迷惑をかけられるこっちとしてはうんざりするよ。」
やれやれと首を振りながら吐き捨てるリーゼ様へと、崩れ落ちた人形を見つめながら質問を送った。私にはまだ分からないな。あの魔女の主題は……ベアトリスの望みは何なのだろうか?
「結局、ベアトリスの主題は何なんですか?」
「予想に過ぎんが、ようやく自信を持てる答えにたどり着けたよ。拘り続けるものこそが主題なのであれば納得さ。一言で表すとすればこれだろうね。」
ショックで押し黙っているアビゲイルと、血溜まりに横たわる人形の方をジッと見ているティム。二体の人形たちを横目に、リーゼ様は一つ息を吐いてから自身の推理を口にする。
「人間だ。あのガキは『人間の魔女』だよ。」
人間。妖怪として生まれ、魔女という種族を押し付けられ、そして人形を作り続ける人外の主題が『人間』? 呆れたように、それでいて疲れたように放たれた答えを受けて、アリス・マーガトロイドは青い目を見開くのだった。