Game of Vampire   作:のみみず@白月

413 / 566
パッドフットの憂鬱

 

 

「アビゲイル、もう手を離しちゃダメよ? 車道とか、信号とか。こっち側の世界には色々なルールがあるの。それを守らないと危険なのよ。」

 

アビゲイルの手をしっかりと握って注意を送りつつ、アリス・マーガトロイドは実に新鮮な気分でロンドンの歩道を歩いていた。母というのはこういう気持ちなんだろうか? フランや咲夜はどちらかといえば『妹』の感覚が強いが、アビゲイルの場合は『娘』って感じだ。リーゼ様が私に向ける感情が少しだけ分かったかもしれない。

 

小雨が降る二月のロンドンの街中。現在の私とアビゲイルとティムはマグル界のスーパーマーケットで買い物を済ませて、ダイアゴン横丁の自宅に帰ろうとしているところだ。夏休み中に咲夜が買ってきたマグル側の調味料に感銘を受けたので、エマさんから買ってきて欲しいと頼まれてしまったのである。エマさんは料理が趣味だし、私がマグル製の人形のパーツなんかを欲しがるのと同じ感覚なのだろう。目新しい品にわくわくするのは分かるぞ。

 

ちなみに本当は一人で来ようと思っていたのだが、アビゲイルがどうしてもと言うので連れて来てしまった。右手で私の手を取りながら、左手でダウンジャケットのポケットに入っているティムが落ちないように押さえているアビゲイルは、素直に頷きつつ返答を返してくる。

 

「ごめんなさい、アリス。さっきのお店の入り口に綺麗な風船が飾ってあったの。それをよく見たくなっちゃって。」

 

「風船が好きなの?」

 

「遠くから見るのは好きよ。だけど、作るのは苦手。すぐにパンってなっちゃうでしょ? あれが怖いの。」

 

「あー、割れるのにびっくりしちゃうってことね。」

 

可愛らしい苦手意識だな。毛糸のニット帽からはみ出ているふわふわの金髪。歩く度にそれが揺れるのを眺めながら、気になっていた問いを放ってみた。

 

「ねえ、アビゲイル? どうして今日は外に出たがったの?」

 

「……私ね、賢くなりたいの。アリスとか、エマとか、アンネリーゼみたいに。そのためには色んなことを知る必要があるでしょ? だから外に出てみたくなったのよ。」

 

「賢く?」

 

「そう、賢く。私、未だにビービーから嫌われた理由がはっきり分からないのよ。最初は私が勝手に家を出たからだと思ってたんだけど、アリスと話しててそれだけじゃないかもって気付けたの。でも、私はおバカだから、世間知らずだからはっきりとは分からない。このままじゃビービーの気持ちに追いつけないでしょ? ……だから賢くなるの。賢くなって、ダメなところを直して、もう一度ビービーに会う。ビービーときちんと話せるくらいに勉強するのよ。そうすれば仲直り出来るんじゃないかって思ったから、だから……ダメね、上手く纏められないわ。今ので分かった?」

 

自分の内心を何とか伝えようと言葉を絞り出してくるアビゲイルに、複雑な気分で首肯しながら返事を口にする。どこまでも一途な子だな。

 

「ええ、伝わったわ。つまり貴女は、成長しようとしているのね。ベアトリスに相応しい存在になるために。」

 

「そう、そんな感じ。エマには文字を習ってるのよ? もう難しい言葉も沢山覚えたんだから。『交響曲』とか、『鑑定家』とか、『喀血』とか。」

 

「言葉のチョイスは謎だけど……まあ、勉強するのは良いことよ。一の知識は百の事象に応用できるからね。」

 

「うん、頑張るわ。最近はティムも一緒に勉強してるの。指がないからペンを持てないんだけど、両手で挟んで書けるようになってきたのよ。ね、ティム?」

 

アビゲイルの呼びかけにこくこく頷いたティムは、やおら何かを発見したかのように顔を動かした。何を見ているのかと視線を辿ってみれば……マグルのプライマリースクールか。ちょうど下校時刻だったらしく、徒歩で帰宅する生徒たちで門前が賑わっているようだ。

 

敷地内からスクールバスが並んで出てくる光景をぼんやり眺める私へと、同じ方向を見ているアビゲイルが口を開く。彼女にしては大人っぽい表情だな。欲しいのに手の届かないものを見る時のように、ほんの少しだけの哀愁を漂わせている。

 

「……楽しそうね。羨ましいわ。」

 

「アビゲイルも学校に通いたい?」

 

「無理よ。私、人形だもの。それくらいのことは知ってるわ。」

 

「あら、どうかしら。世には狼人間や吸血鬼だって受け入れてくれる学校が存在しているのよ?」

 

当然のことながら、アビゲイルは杖魔法を使えない。だからさすがに望み薄だろうが、それでもホグワーツならと思ってしまうな。……私がまだ小さな下級生だった頃、夏休みでムーンホールドに帰っていた時にパチュリーが話してくれたっけ。『私が四人の創始者の中で一番評価しているのはレイブンクローだけど、最も偉大だと思っているのはハッフルパフよ』と。

 

私が何故なのかと聞くと、在りし日の師匠は本を読みながらその理由を教えてくれた。パチュリー曰く、『レイブンクローは知恵で、グリフィンドールは勇気で、スリザリンは血筋で学校に入れる生徒を選別したわ。でもね、ハッフルパフは四人の中で唯一選ばないことを選んだ。学ぶ者を選別しなかったのよ。学者としてはレイブンクローが、戦士としてはグリフィンドールが、貴人としてはスリザリンが上だけど、こと教師として見るならハッフルパフこそが最上の選択をしたってわけ。』だそうだ。

 

まだまだ未熟だった私がハッフルパフという寮を評価し始めた切っ掛けを想起していると、アビゲイルが寂しそうな顔付きで首を横に振ってくる。

 

「アンネリーゼたちが通ってる魔法学校のことでしょ? ……さすがに人形はダメよ。それに私、魔法使いじゃないわ。」

 

「そうだけど、んー……見学だけしてみるのはどうかしら? 気分を味わうだけ。それくらいなら出来ると思うわよ。」

 

「本当?」

 

「任せなさい。こう見えてもそれなりに顔が利くの。学校の中を探検してみたり、授業の様子を覗いてみたりするだけなら多分平気よ。もちろんティムも一緒にね。」

 

マクゴナガルにとっては迷惑な話かもしれないが、折角前向きになっているアビゲイルのためなのだ。何とかして頼んでみよう。最悪生徒が居なくなる夏休み中ならどうにでもなるはず。胸をポンと叩いて受け合った私へと、アビゲイルは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら応じてきた。ティムも両手を上げているのを見るに、喜んでくれているらしい。

 

「ありがとう、アリス! ……アリスは優しいわね。私の足を直してくれたし、学校に連れて行ってくれるし、こうやって手も繋いでくれるわ。私、どうやってお返しすればいい?」

 

「しなくていいわよ、私が好きでやってるんだから。」

 

「でも、お礼は大事よ? じゃないと、えっと……そう! フェアじゃないもの。」

 

覚えたてらしき言葉を思い出しながら言うアビゲイルに対して、浮かんできた微笑みのままで返答を送る。

 

「いいのよ、フェアじゃなくても。私と貴女はお友達でしょう? 公平さを求めるならそれは『取引』になっちゃうわ。友情には対価なんて必要ないの。好きなだけ与えて、躊躇わず受け取る。友達っていうのはそういうものなんだから。」

 

「……そうなの?」

 

「そうなの。」

 

ぽかんとした顔で首を傾げるアビゲイルに首肯してから、到着した『漏れ鍋』のドアをコートの雨粒を軽く払いつつ開けた。カウンターの奥でコップを拭いている猫背の店主に目線で挨拶した後、裏手にあるダイアゴン横丁に繋がるアーチへと真っ直ぐ向かおうとするが……その途中で客の一人が声をかけてくる。数本の酒瓶が置いてあるテーブルに居るのは、ハリーの名付け親であるシリウス・ブラックだ。まだ夕方前だぞ。

 

「おっと、マーガトロイドさん。自由の味を満喫中ですか? 私にも覚えがありますよ。」

 

「久し振りね、ブラック。マグルのスーパーに買い物に行っていたのよ。……それより貴方、ちょっと飲み過ぎじゃない? 殆ど空じゃないの、この酒瓶。」

 

「金庫のガリオン金貨が使っても使っても減らないので、こうして地道に消費しているんですよ。苦労して貯め込んだ『純血費用』が放蕩当主の酒代に消えたとなれば、先祖たちは歯噛みして悔しがるでしょう? 実にいい気味です。」

 

「相変わらず屈折してるわね。マグルの慈善団体か何かに募金でもすればいいじゃないの。」

 

何かを求めているわけではなく、浪費したくて浪費しているわけか。ブラックなりの復讐なのかもしれないな。ハリーの前以外だとダメ人間になってしまう指名手配の先達に言い放つと、彼は皮肉げに笑いながら肩を竦めてきた。

 

「もうしましたが、良い気分にはなれませんでした。募金だと『無駄にしている感』が得られないんですよ。……そっちの女の子は誰ですか? やけに似てますけど、まさか隠し子とかじゃないですよね?」

 

「そんなわけないでしょうが。うちで預かってる親戚の子よ。名前はアビゲイルね。」

 

「それはそれは、安心しました。バートリ女史に『誅殺』される哀れな父親は存在しないわけですね。……どうも、アビゲイル。私はシリウス・ブラック。元指名手配犯で、没落しつつある名家の当主で、愛らしい大型犬に変身できる男だ。よろしく。」

 

「……アビゲイルよ。よろしくお願いするわ。」

 

酔っ払いに慣れていない所為か若干引き気味なアビゲイルが、差し出された手をおずおずと握る。気持ちは分かるぞ。私も子供の頃は何となく酔っ払いが怖かったものだ。だから夕食後にリビングでちびちびウィスキーを飲んでいる父に纏わり付いて、それ以上飲まないようにって邪魔をしてたっけ。そうすると父は嫌がりもせずに苦笑しながら構ってくれたが、今思えば迷惑なことをしていたな。

 

懐かしき幼少期の感情を思い起こしながら、ブラックの対面の席に腰掛けて空の酒瓶を指で弾いた。それにしたって限度ってものがあるぞ。

 

「憎っくき祖先への鬱憤晴らしにしては量が多いわね。他にも何かあったの?」

 

「……見合いをしろと言われましてね。嫌になって飲んでいました。」

 

「何よそれは。子供じゃないんだからアホなことをやらないで頂戴。嫌なら断ればいいだけの話でしょう?」

 

「リーマスが受けてみろとしつこく勧めてくるんですよ。ジジイになったらハリーに世話をさせるつもりなのかと。……ハリーの重荷にはなりたくありませんが、ブラックの家名欲しさに結婚するような女になど気を許せません。堂々巡りです。」

 

なんとまあ、鬱屈しているな。その歳で老後の心配か。ジメジメしているブラックにため息を吐きつつ、バーテンのトムへと注文を投げる。見捨てるのも何だし、アビゲイルには悪いが少しだけ付き合ってやるとしよう。

 

「オレンジジュースとアイスティーを頂戴。……お見合いが嫌なら普通に出会いを探せばいいじゃないの。ルーピンがトンクスと出会ったように、貴方も出会えるかもしれないわよ?」

 

「その場合、名家の連中が刺客を送り込んでくるかもしれません。『一般の女性』に見せかけたハニートラップってわけです。」

 

「貴方、ムーディのパラノイアが移ったの?」

 

被害妄想が過ぎるぞ。額を押さえながら指摘してやれば、ブラックはビールを瓶から直接飲んだ後に鼻を鳴らしてきた。

 

「毎日のように送られてくる見合い状を見ればそうもなりますよ。ブラックであることを棄てたいのに、誰もが私をブラックとして見る。うんざりです。」

 

「ブラック家のお金で飲んだくれてる状態で言われても説得力が無いけどね。」

 

カウンターまで飲み物を受け取りに行って、オレンジジュースの方をアビゲイルの前に置きながら言った私へと、ブラックはバツが悪そうな顔で言い訳を寄越してくる。

 

「無実なのにアズカバンに収監されていた分の慰謝料もまだまだ残っています。酒代に困って家の金を使ってるわけじゃありませんよ。」

 

「……何か仕事をしてみたら? 私は誰しもが働かなきゃいけないと思ってるタイプの人間じゃないけど、今の貴方に必要なのは環境の変化よ。お金が余ってるなら趣味でもいいわ。好きなことに熱中してみなさい。良い気分転換になるでしょ。」

 

「趣味ですか。……目下のところ、私が熱中しているのはあれですね。」

 

言いながらブラックが指差したのは……なるほど、あれか。店の壁に貼ってあるポスターだ。『ダイアゴン横丁はホグワーツ代表を応援しています!』と書かれているカラフルなポスター。文字の下にはホグワーツの代表選手たちが編隊飛行している大きな写真が印刷されている。ダイアゴン横丁の各所にあるポスターと違って動かない写真になっているのは、ここが『境の場所』だからなのだろう。基本的にマグルは入ってこられないはずだが、念には念をってことかな。

 

興味を惹かれたらしいアビゲイルが席を立ってポスターに近寄っていくのを尻目に、微妙な気分でブラックへと口を開いた。

 

「つまり、貴方の趣味は『名付け子』なのね。……干渉しすぎると鬱陶しく思われるわよ。」

 

「分かってますよ。だから控え目にしているんじゃありませんか。……私はジェームズが期待していたほどには父代りの責任を果たせなかった。アズカバンに居て会えなかった頃の『借金』を返す必要があるんです。単に成人するまでじゃなく、ハリーが一人前の大人になって自分の家庭を作るまで。それまでは他のことになど構っていられませんよ。」

 

「……言っておくけど、責任を果たすべき相手が居てくれる貴方はまだマシなんだからね。私はそれを果たす機会すら掴み損ねたわ。」

 

「……サクヤは立派に育っています。貴女は間違いなくすべきことをしましたよ。ヴェイユ先生とコゼットはきっと貴女に感謝しているでしょう。」

 

そうかもしれない。でも、確かな答えはもう聞けないのだ。死者は強いが、生者は弱い。ダンブルドア先生が言っていた通りだな。私は未だにコゼットを初めて抱いた時の重みを覚えている。そしてそれを死ぬまで忘れることはないだろう。

 

ブラックと二人して大きなため息を吐いていると、席に戻ってきたアビゲイルが怪訝そうな顔付きで問いを口にする。

 

「アリスとシリウスは悲しいの? どうして?」

 

「あー……悲しいというか、不安というか、悩ましいというか、そんな感じね。死別した人のことを思い出していたの。約束を守れているのかが心配なのよ。」

 

「相手が死んじゃってるのに約束を守るの? ……じゃあ、その相手は大切な人だったのね。だってそれは取引じゃないでしょ?」

 

「そうね、そういうことよ。死んでしまった後もずっと大切なままだから、残された私たちは約束を守ろうとするの。」

 

私の説明を受けて目を瞬かせるアビゲイルに、ブラックも懐かしむような表情で穏やかに語りかけた。

 

「親友が私を信頼して託してくれたんだよ。自分の一番大切なものを、私なら任せられると信じてくれたんだ。だから私はその期待を裏切りたくない。……まあ、君にはまだ少し早い話かもしれないな。」

 

「それって、友情? さっきアリスが話してくれたのと一緒?」

 

ブラックの言葉を何とか咀嚼しようとしているアビゲイルの質問に対して、椅子の背凭れに寄り掛かりながら答えを送った。

 

「愛よ、アビゲイル。何よりも尊くて、強くて、美しいもの。……今はよく分からなくていいの。いつか貴女にも理解できる日が来るわ。それを本当の意味で知ることが出来る日がね。」

 

「……うん。」

 

巷でよく言われている『愛』とはまた違うものなのだ。簡単に説明できるものではないし、理解させようと思って伝えられるものでもない。だが、アビゲイルが本当に自律した人形なのであれば、それを理解できる日がきっと来るはず。誰かを愛せる日が。

 

その日が訪れることを切に願いながら、アリス・マーガトロイドはアビゲイルの頬をそっと撫でるのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。