Game of Vampire   作:のみみず@白月

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ベアトリス

 

 

「さあ、どうぞ。工房と呼べるほどには使い込んでいませんが、これが現在の私の住処です。」

 

ビルの三階と四階を丸ごと使っているらしい大きな部屋を見渡しながら、アリス・マーガトロイドは人形を展開したままでベアトリスのことを観察していた。死を前にした人物とは思えないほどに落ち着いているな。これは長く生きた結果として手に入った落ち着きなのか、それとも何かしらの状況をひっくり返せる策があるからなのか。どちらにせよ油断はしない方が良さそうだ。

 

私たちが足を踏み入れた三階部分のフロアには、現代的な構造のキッチンと一体化しているカウンターテーブル、三人掛けのソファやガラス製のセンターテーブルなどの応接セット、同業たる私には一目でそれと分かる人形作り用の作業台、巨大なスピーカーやCDプレーヤーで構成されているステレオ装置、そしてやけに巨大なビリヤードテーブルなどが置いてある。奥の方には吹き抜けになっている四階部分へと繋がる螺旋階段があるようだ。家具の色合いはカラフルだし、電化製品も多い。当世風のお洒落な部屋といった内装だな。

 

その他に目を引くのは……あの絵だ。部屋の壁に並べて飾ってある同じ筆遣いの七枚の絵画。全て30号ほどの大きさで、暗い雰囲気なのが六枚と明るい色遣いがされているのが一枚。何故か気になってしまうそれらの絵を眺めている私を尻目に、ベアトリスはグレーと黒のチェック柄のソファを手で示して口を開いた。

 

「座ってください。今飲み物を用意します。紅茶とコーヒーのどちらがよろしいですか? もちろんミネラルウォーターもありますが。」

 

「魔女が出した物に口を付けるわけがないだろう? 賢い私は寓話から教訓を学んでいるんだよ。飲み物は不要だ。」

 

「それは残念ですね。……でしたら、チェスはお好きですか? ただ話すだけでは退屈でしょうし、何かゲームをしましょう。トランプもありますよ?」

 

「私はキミを殺しに来たわけであって、遊びに来たわけじゃないんだ。暢気にゲームなんてするはずがないだろうが。」

 

呆れたように断ったリーゼ様へと、ベアトリスは微笑を浮かべながら尚も言い募る。ちなみにアビゲイルは……むう、私にぴったり身を寄せたままで沈黙しているな。どうしたんだろうか? さっきまではあんなにリーゼ様に抵抗していたのに。

 

「冥土の土産に付き合ってくださいよ。飲み物も手慰みも無しでは会話が弾まないでしょう? 何かお好みのゲームはありませんか? メジャーなものであれば大体揃っていますけど。」

 

「しつこいヤツだね。……なら、あれだ。」

 

「あれはビリヤード用のテーブルではありませんよ?」

 

「キミね、私はイギリスの吸血鬼なんだぞ。スヌーカーくらいは知っているさ。」

 

スヌーカー? ビリヤード台じゃなかったのか。どんな球技だったっけ? 聞き覚えのある名称を受けて記憶を漁っていると、ベアトリスは嬉しそうに微笑みながらスヌーカーテーブルへと歩み寄った。確かビリヤードから派生したキュースポーツの一種だったはずだ。いやまあ、テーブルの形を見ればそんなことは誰でも分かるだろうが。

 

「それは重畳ですね。好きなんです、スヌーカー。ここ最近に発明された競技の中では最も面白いと思っています。」

 

「ふん、どうだかね。長々とやるつもりはないし、三フレームだけだ。コインはキミが弾きたまえ。」

 

「では、早速始めましょうか。キューはそこに立て掛けてある物からお好きな一本を選んでください。」

 

そう言ったベアトリスがスヌーカーテーブルをコツンと叩いた途端、端に整理されていた球が独りでにテーブルの各所へと移動する。十五個あるシンプルなデザインの赤い球がローテーションゲームの時のような三角形を作り、六個の数字が入ったカラーボールがバラバラの位置で静止したところで、コイントスをしたベアトリスにリーゼ様が言葉を放った。……私たちはどうしよう。とりあえず座っておくべきか?

 

「裏だ。……あの案内役の他に人形は置いていないのかい? この部屋には見当たらないわけだが。」

 

「人形ですか。人形は先日纏めて片付けましたよ。私は『死後に作品が評価される』というありきたりな現象が嫌いですから、念には念を入れて全て処分しておいたんです。案内に使った人形ももう自壊させましたし、私の認識において現存している『作品』は貴女たちの管理下にある二体だけですね。……裏です。お先にどうぞ。」

 

「吸血鬼流でいかせてもらうぞ。足がついていない云々の文句は受け付けないからな。」

 

一言断ったリーゼ様が……あー、なるほど。背が低くて床に足をつけたままだとショットできないのか。ふわりと浮き上がりつつ構えたキューで白い手球を弾く。手球がぶつかった衝撃で赤い球が一斉に散らばった後、最終的には一球もポケットに入らなかったのを見て、リーゼ様はさほど残念がらずにテーブルを離れて質問を飛ばした。ルールがいまいち分からないな。私が知っているビリヤードのルールとは全然違うようだ。

 

「人形と言えば、ホームズは結局どうなったんだい? 彼も『処分』したのか?」

 

「ええ、廃棄しました。近いうちに彼の別荘にマクーザの闇祓いが強制捜査を入れるはずです。それで今回の誘拐殺人についてはほぼ解決しますよ。別荘の地下室で誘拐された子供たちの『一部』が見つかるでしょうから。」

 

「……今度はホームズを犯人に仕立て上げるつもりなの? 意味不明よ。何のために?」

 

我慢できずに問いを口にした私へと、赤い球を一球だけ角のポケットに落としたベアトリスがプレーを続行しつつ応じてくる。

 

「ちょっとしたお詫びですよ。事件の犯人がいつまでも見つからないと貴女が困ってしまうでしょう? 疑いを晴らしたとはいえ、未解決のままでは今後どうなるか分かりません。だから『アルバート・ホームズが真犯人だった』という形で終結させようというわけです。元来その予定で計画を進めていましたし、彼を犯人にするための小細工もいくつかしておきましたから、呆れるほどすんなりと解決するでしょうね。……吸っても構いませんか?」

 

クッションの反動を利用した見事なショットで黒い球をポケットに入れた後、白い紙タバコの箱を懐から出して聞くベアトリスに、リーゼ様はどうでも良さそうな顔で首肯を返した。

 

「別にいいよ。……キミに話す気があるのであれば、この際最初から聞かせてもらおうか。ポール・バルトを殺したのは何故だい?」

 

今回の事件の発端。そのことを口に出したリーゼ様へと、ベアトリスは細い葉巻のような煙草に古臭いジッポで火をつけてから回答する。杖なし魔法で手元に灰皿を呼び寄せながらだ。リーゼ様が私たちの近くの壁に寄り掛かったままで動こうとしないのを見るに、まだベアトリスの手番らしい。

 

「ポール・バルトですか。ことあの一件に関しては、貴女がたの予想と大きく違っていないと思いますよ。……彼が息子の死の真相を追い続けていたことはご存知ですよね? 五十年前の事件で操られていた息子とそっくりの顔の合衆国議会議員。後悔と責任を背負ったポール・バルトがそんな怪しすぎる人物のことを放っておくわけがありません。調べに来たところを殺しただけですよ。騒がれると邪魔になりますから。」

 

「それだけかい?」

 

「ポール・バルトについては誓ってそれだけです。そろそろ劇を始めようと思っていた時期でしたし、ついでにそれを『開幕のブザー』にしたまでですよ。……本格的な話に入る前に前提を明言しておきましょうか。信じてもらえないかもしれませんが、今日の会話において私は嘘を吐く気はありません。真実を秘匿することはあっても、虚偽を述べることは無いということです。それだけはベアトリスの名に懸けて誓約しておきましょう。死に行く身でつまらない嘘など吐きませんよ。」

 

「ふぅん? 鵜呑みにする気はさらさらないが、頭の片隅には置いておいてあげるよ。……では、ホームズの顔をクロード・バルトとそっくりにした理由は? 本当に真実を語る気があるのなら、この前とは違った理由を聞かせて欲しいものだね。」

 

赤い球は落ちたままだが、黒い球がポケットに入った場合は魔法で自動的に最初の位置に戻るようだ。赤、黒、赤、黒と交互に落としていた灰色の魔女が赤を落とし損ねたのを確認して、リーゼ様がテーブルに近付きながら送った疑問に、ベアトリスは灰皿が置いてある窓際に移動してから答えた。その整った顔には苦い笑みが浮かんでいる。

 

「私にも分かりません。アリスさんの『敵』になるべきはあの顔だと何故か思ってしまったんです。……五十年前のあの日、クロード・バルトが私の命令に背いた理由も本音で言えば分からないんですよ。ここ最近、先日の貴女の言葉をずっと考えていました。クロード・バルトに残っていた人間性が私の支配を破ったのだという言葉を。」

 

「北アメリカでは否定していたようだが?」

 

「あの時貴女と話していたのは人形でしょう? 分かり難い感覚かもしれませんが、私とは似て非なるものなんですよ。あの時の私は冷静ではありませんでしたしね。……ダメです、未だに判別がつきません。私は確かにテッサ・ヴェイユを殺すようにと命令を下しました。クロード・バルトなら殺さないという私自身の無意識下の考えがああいった結末を選ばせたのか、それとも本当に私の糸を引き千切った彼自身の選択だったのか。私に自覚がなく、また張本人たるクロード・バルトが死んでいる以上、真実はもはや誰にも分かりませんよ。」

 

「曖昧な答えだね。キミは単に認めたくないだけなんじゃないか? 人間の『強い』部分を。」

 

赤、黒、赤、青、赤。ひょっとして赤い球とカラーボールを交互に落とす必要があるのだろうか? 連続で淀みなく落としていくリーゼ様の質問を受けたベアトリスは、煙草を咥えて深々と煙を吸い込んでから……それを吐き出して声を上げた。私の隣でずっと押し黙って会話を聞いているアビゲイルの方を、何故か悔しそうな苦笑いで見つめながらだ。

 

「そうかもしれませんね。もしかしたら私は人間という存在を認めたくないがあまり、一つの側面しか見ないようにしていたのかもしれません。……ですが、今となっては無意味なことです。今更遅いんですよ、何もかもが。」

 

「全ては復讐だったの? 貴女が始まった時に受けた仕打ちに対する復讐。自分を助けてくれなかった人間に対する復讐。そうだったの?」

 

ギュッと私の服を握るアビゲイルを片手で抱きながら問いかけると、ベアトリスはリーゼ様が球を弾く音を背景に小首を傾げてくる。何かを諦めるような笑みでだ。

 

「自己分析は苦手なんです。私は結局のところ、誰よりも自分自身を理解しきれていなかったようですから。その上で言わせてもらえば……そうですね、私は人間を恨んでいます。憎んでいると言ってもいいでしょう。」

 

「だから間接的な原因となったスカウラーの子孫たちを殺し、根本の問題を作った魔法界に混乱を及ぼし、自分と違って恩恵を享受しているアリスを困らせたわけだ。」

 

「前二つは正解の一側面を捉えていますが、最後の一つは明確に外れています。私はアリスさんを困らせようだなんて思っていません。彼女のことは嫌いではありませんから。むしろ好いていると言っても過言ではないでしょうね。もしかすると憧れているのかもしれませんが、決して妬んではいませんよ。一緒に暮らせればどんなに楽しいかと想像するほどです。」

 

「であれば、何のためにキミの復讐にアリスを巻き込んだんだい? ホームズを利用して魔法界を混乱させるにせよ、スカウラーの子孫どもを殺すにせよ、アリスを巻き込む必要はなかったはずだ。デメリットはあってもメリットがないだろう? 現に彼女を巻き込んだことで私が出てきて、その結果こうして死に向かおうとしているんだから。余計なことをしなければホームズはまだ健在で、委員会の議長の席に座ったままで、魔法界と非魔法界を対立させることだって可能だったかもしれないぞ。」

 

テンポ良く球を弾きつつ放たれたリーゼ様の疑問に、ベアトリスは一瞬きょとんとした後……クスクスと上品に笑いながら返答を口にした。とびっきりのジョークを聞かされた時のような反応だ。

 

「委員会を利用して魔法界と非魔法界を対立させる、ですか。ミス・バートリは恐ろしいことを考える方ですね。どうやら私は『悪役』として貴女に遠く及ばないようだ。そんな大それた計画、考え付きもしませんでしたよ。」

 

「……可能性の一つとして考えていただけだよ。」

 

バツが悪そうな顔になったリーゼ様がミスショットしたのを見て、ベアトリスは尚も声を抑えて笑い続けながらテーブルに近寄る。さすがにこの反応が演技だとは思えないし、今回ばかりはリーゼ様の推理が外れていたらしい。

 

「まあ、アリスさんに関してはおっしゃる通りです。『友達』に劇を観せたかったから、一緒に遊びたかったから。つい最近まではそれがアリスさんを巻き込んだ理由なのだと思っていました。ですが、私は他ならぬ自分自身の手によって──」

 

「ビービー、どうして逃げないの? どうしてそんなに落ち着いて喋ってるの? 早く逃げないと!」

 

「……もう遅いんですよ、私のアビー。全てが遅かったんです。今の私はそのことを理解し、許容し、そして最期だけは自分の選択を貫こうとしています。心配しなくても貴女をどうこうする気はもうありませんから、せめて余計な口を挟まないで見ていてください。今日の主役は私です。人形如きに邪魔はさせません。」

 

先程までの笑みは掻き消えてしまったな。急に割り込んだアビゲイルへと冷たい口調で応じたベアトリスは、不安げな表情で口を噤んだ小さな人形に鼻を鳴らした後、窓辺に置いてある灰皿の上で燃え尽きていた煙草を見ながら話を戻す。……リーゼ様に対しても、私に対してもベアトリスは穏やかに接してくるのに、どうしてアビゲイルにだけはひどく刺々しい態度を向けるんだ? あんな事があって尚、この子はお前のことをずっと心配していたんだぞ。

 

「とにかく、アリスさんを巻き込んだのは私にとっての失策でした。そこは甘んじて認めさせていただきます。……しかし、それでも全ては繋がっているんですよ。私は結局必要のない行動はしなかったわけですね。『良い労働者』だったんです。私も、そしてホームズも。」

 

「私から見れば全てが中途半端だったけどね。アリスを拘束することも、ホームズに任務を全うさせることも、そして自身が生き延びることも出来なかったわけだろう?」

 

「ああ、素晴らしい。その点における貴女の認識は完璧ですよ、ミス・バートリ。中途半端。正にその通りです。……分かりませんか? まだ過程なんです。中途であり、故に半端。どういうことだと思います?」

 

「何が『どういうことだと思います?』だ。またお得意の言葉遊びか? 悪いが、答えの無い問答に付き合う気はないんだよ。」

 

次々と球を落としていくベアトリスの発言を嫌そうな顔で切り捨てたリーゼ様に、灰色の魔女がキューを構えたままで応答する。申し訳なさそうに苦笑しながらだ。

 

「どうか怒らないでください。私の曖昧な台詞に苛々するのは分かりますが、何も無意味な質問をしているわけではないんです。問題の解答を提示できない私としては、貴女に自力でたどり着いてもらうしかないんですよ。……一つだけ言えるとすれば、私とホームズは等しく脚本通りに動き、脚本家の意図に沿う結果を出しました。それは間違いありません。」

 

「……この前もそうだったが、キミはまるで『脚本家』が別に存在しているかのような話し方をするね。」

 

「今回の戯曲を執筆したのは私です。しかし同時に私ではない。この答えで納得できますか?」

 

「出来ないし、意味不明だ。……ここらで明確にしておこう。もう一度聞くが、キミは本物のベアトリスなんだね? つまり、人形ではない『オリジナル』の。」

 

真紅の瞳で注視しながら尋ねたリーゼ様へと、ベアトリスは真っ直ぐに顔を向けて回答した。

 

「部屋に入る前にも言ったように、私の主観からすれば私は魔女として生まれたベアトリスです。少なくともこの肉体が三百年間『私』だったものであることは断言できますし、髪の毛一本まで人工物ではありません。紛うことなきオリジナルですよ。……信じていただけましたか?」

 

「……難しいね。私の吸血鬼としての本能は嘘を吐いていないと告げているが、培った理性は疑うべきだと主張しているんだ。エリック・プショー、クロード・バルト、アルバート・ホームズ、マドリーン・アンバー。キミは少々やり過ぎたんだよ。今更本物ですと主張されてもすんなりとは信じられないさ。」

 

「では、弁明させてください。私は私ではない存在を演じたことは多々あっても、私であることを演じたことは一度たりともありません。エリック・プショーの時はエリック・プショーとして、クロード・バルトの時はクロード・バルトとして動いていただけです。この前話しませんでしたか? 『偽物』は好きじゃないんですよ。……人形を通して他の人物を騙ることはあっても、人形を通して『ベアトリス』を騙ることは有り得ないと断言しましょう。」

 

黒いカラーボールを綺麗なラインで落としながら言い放ったベアトリスに対して、リーゼ様は感情を秘めた声色で返事をするが……確かに難しいな。私からもベアトリスがこの期に及んで嘘を吐いているようには見えない。だが、同時に彼女が彼女を演じることが不可能ではないことも知っているのだ。リーゼ様が言うように、人形であることを疑うのは当然のことだろう。

 

「まあいいさ。キミは確実な証拠を示すことが出来ないし、よって私も確信を得ることが出来ない。ならばその点を論じていても意味がないわけだ。……皮肉な話だね。他者を演じるのが得意すぎる所為で、自分が自分であることを証明できなくなるとは。」

 

「少し前までは『自己』なんてものに大した意味はないと思っていたんですがね。最近になって痛感しましたよ。私が考えていた以上に、『私である』というのは大切な概念だったようです。……私がファウルを連続しない限り逆転は有り得ませんし、このフレームは私のもので構いませんか? 次に進みましょう。」

 

「……ま、別に構わんよ。私がコンシードしたことにしてあげよう。今度はキミが先番だ。」

 

まだゲームの途中らしいが、場に残った点数だけではリーゼ様が巻き返せないほどの差が付いたようだ。先ずはベアトリスが一勝ということか。勝利した魔女がコツンとスヌーカーテーブルを叩くのに従って、ポケットに入っていた球が初期配置に戻っていく。それを横目にしつつ壁の絵を観察していると、そんな私を見たベアトリスが声をかけてきた。

 

「気に入りましたか? 私が描いたんです。」

 

「……絵も描くのね。」

 

「単なる手慰みですよ。真剣に勉強しているわけではありません。……観戦しているだけでは退屈でしょうし、アリスさんとも少しゲームをしましょうか。その七枚の絵は連作になっていますから、時系列に沿った正しい順番を当ててみてください。ちなみにテーマは『人間』です。」

 

テーマが人間、か。ベアトリスは自身の主題についてをどう思っているのだろうかと考えながら、七枚の絵をよく見るためにソファから立ち上がる。アビゲイルも私の服の裾を握ってついてくる中、キューで球を弾く音と共にリーゼ様とベアトリスの会話が再開したのが耳に届いた。……ようやく会えたというのに、アビゲイルはベアトリスに一切近付こうとしないな。やっぱりこの前の一件が尾を引いているのだろうか?

 

「キミは私が嫌いかい?」

 

「唐突な質問ですね。……貴女に対する感情を言葉で表現するのは難しいですが、嫌ってはいませんよ。五十年前も、そして今も私のゲームに付き合ってくれていますから。友達が居ないので遊び相手は貴重なんです。」

 

「いやなに、この前随分と批判したからね。てっきり嫌われているものだと思っていたんだが。」

 

一枚目は磔にされている灰色の髪の少女の絵だ。地面に突き刺さった丸太に縛りつけられているボロボロの服を着た少女が、磔台を囲む人間たちから石を投げられている場面らしい。……自分が始まった時のことを表現しているのか? 一人だけ投石に参加せず、遠くの家の陰で磔台を見つめている金髪の少女の姿が印象的だな。磔にされている少女を見て悲しんでいるような、それでいてどこか満足しているような曖昧な表情を浮かべている。

 

「これは私の勝手な推測なのですが、貴女はもっと簡単に私を見つけ出せたのではありませんか? 人外とあまり深く関わってこなかった私と違って、貴女にはニューヨークのミストレスのような知り合いが沢山居るはずです。そういった『常識外』の人外の力を借りれば難しいことではないでしょう?」

 

「……どうかな。ご存知の通り、物事には対価が必要なんだ。それをケチっただけかもしれないよ?」

 

「だとしてもやりようはあったはずです。意識的にそうしたのか、それとも無意識のうちにそうしたのかは分かりませんが、貴女はある程度フェアな勝負を貫いた。私としてはそこが嬉しいんですよ。」

 

二枚目は広大なコーン畑の絵だ。夕陽に照らされたどこまでも広がるコーン畑をバックに、アスペンの木がある広場で灰色の髪の少女が蹲る姿が描かれている。私は直接記憶を見ていないから断じることまでは出来ないが、リーゼ様たちから伝え聞いた魅魔さんとの出会いの場面を思わせる情景だな。

 

「キミは約定破りをしたけどね。」

 

「……あれに関しては意図的に破ったわけではありません。私にとって五十年というのは十分すぎるほどの時間だったんです。後から問題に気付きましたが、もう劇が始まっていたので取り返しがつきませんでした。」

 

「知らなかったから云々ってのは人外の世界じゃ通用しないよ。」

 

「そこは私の命で許してください。人外のルールには詳しくないんですよ。これまで距離を置いて生きてきましたから。」

 

三枚目は見覚えのある古い劇場の絵だ。ステージの中央に夜会服の男が立っており、その左右を首が捻じ曲がった人形たちが囲んでいる。グラン・ギニョール劇場がモチーフであることは間違いないだろう。ステージの方を向いていて顔が見えない観客の中には、当時座った席と位置こそ違えど金と蜂蜜色の髪も描かれているな。あの不気味な劇を私たちが観ているシーンを絵に落とし込んだわけか。

 

「……しつこいようだが、命乞いはしないのか? 素直すぎると不気味だぞ。」

 

「貴女ならしますか? いざ死を目の前にした時、助けてくれと相手に乞い願うことを。」

 

「みっともない命乞いはしないが、あらん限りの抵抗はするさ。自分が死ぬこと自体はともかくとして、『アンネリーゼ・バートリを殺すのは容易かった』と思われるのだけは我慢ならん。きちんと後悔させてから死なないとね。」

 

四枚目は北アメリカの工房のリビングの絵だ。床に膝を突いた灰色の髪の女性と、エプロンドレス姿の金髪の女の子が目を閉じて額を合わせている。ベアトリスとアビゲイルか。十体ほどの動物をデフォルメした人形たち……ティムたちが二人のことを囲んでいるな。ほんの少しだけ儀式めいた雰囲気があるぞ。

 

「なるほど、実に貴女らしいですね。……ですが、私はもう諦めたんです。役目を終えた役者は素直に舞台から降りるべきなんですよ。」

 

「脚本を書いたのはキミなんだろう? ならばいつ降りるかを選択するのもまたキミのはずだ。まさか自分の死すらも劇の一部だと言い張る気かい?」

 

「さて、どうでしょうね。何れにせよ私は図々しく舞台に居座るつもりはありません。それがせめてもの意地なんですよ。役者は脚本を認めてしまったが最後、それに従うしかなくなるんです。指示してくるのがどんなに気に食わない演出家だろうが、劇を台無しにすることだけは役者としてのプライドが許しませんから。」

 

五枚目は薄暗い小部屋で鏡と向き合っている女性の絵だ。やはりベアトリスをモデルにしているらしいその灰髪の女性は、両の人差し指で口の端を持ち上げて無理やり笑顔になっているが、鏡の中の彼女は煙草を咥えながら頬杖をついて諦観の表情を浮かべている。そんなことをしても無駄なのだと諭しているかのような態度だ。そして鏡に映った部屋の隅に居るのは……ホームズか?

 

「キミは役者であることに随分と拘るね。魔女であることよりも重視していると感じるほどだ。」

 

「『魔女であること』が先天的に得た私の本能なら、『役者であること』は後天的に築いた私のアイデンティティですから。自分の中の絶対のルールのようなものですよ。それに反するくらいなら死を選んだ方がマシなんです。……今日の私がそうしているように。」

 

「……今日のキミは役者として死ぬということかい?」

 

「またしても大正解です、ミス・バートリ。その通りですよ。今日の私は魔女としてではなく、妖怪としてでもなく、単なる役者として死ぬわけですね。ハムレットが、オセロが、リアが、マクベスが死ななければならなかったように、私もそうしなければならないんです。生き延びてしまっては戯曲が成立しませんから。」

 

鏡越しに小さくしか描かれていない上に絵の中の部屋が薄暗いので分かり難いが、その顔付きはホームズの……というか、クロードさんのそれだ。三十代ほどの見た目だし、どちらかと言えばホームズの方を表していそうだな。やや俯いた状態で膝を抱えて座っているその姿からは、何だか絶望しているようなイメージを感じるぞ。

 

「キミはシェイクスピアの悲劇が好きなのか。」

 

「今は嫌いですが、昔は好きでした。死というのは観客の心を揺さぶるための重要なファクターですから。それに、喜びを表現するよりも悲しみを表現する方が容易いんです。……つまりですね、『悲しみ』は分かり易いんですよ。だから皆簡単に同情してしまう。それが表面だけの演技だとは気付けずに。」

 

「吸血鬼たる私が言うのもなんだが、捻くれた意見だね。別にいいじゃないか。観客からは演者の心の中までは見えないんだから。」

 

「観客席に居る貴女からすればそうでしょうね。しかし、舞台裏で素の顔を合わせる同業者からすれば違います。一度演技なのだと気付いてしまえば、どうしたって悪く見えてしまうものなんですよ。……演劇とはつまるところ秩序立ったペテンです。台本通りに観客を騙し、時には同じ舞台に立つ同業者すらも欺く。そういう役者こそが主役になれる『ゲーム』なわけですね。」

 

六枚目は見覚えのない大きな劇場の絵だ。五十年前にテッサを救出しに行ったあの劇場に少しだけ似ているかな? 三枚目よりも遥かに広いその劇場のステージへと、客席を埋め尽くす大量の観客たちが立ち上がって拍手を送っているものの……ステージの上には誰も居ないぞ。天井の照明は壊れてぶら下がり、幕は破れ、無造作に木材が転がっているステージにはがらんどうの空虚さだけが漂っている。拍手だけが虚しく響く劇場。そんな感じだな。

 

「『秩序立ったペテン』か。言い得て妙だが、観客は騙されることをこそ期待しているわけだろう? ならば一流のペテン師であることは役者として褒めるべき部分だと思うがね。」

 

「そうかもしれません。ですが、気付ける観客も確かに居るはずです。ステージに立っている役者が本当に悲しんでいるわけではなく、ただそれらしい演技をしているだけなのだと。……私は貴女にその役どころを期待しているんですよ。観客席から颯爽とステージに上がり、役者の虚偽を看破する。面白い展開だと思いませんか?」

 

「メタ的すぎるね。それに折角劇に入り込んでいる時にそんなことをされれば、他の観客たちは迷惑に感じるんじゃないか?」

 

「そうですね、必ずしも歓迎される行動ではないでしょう。それが『ハッピーエンド』に繋がっている場面なら尚更です。無粋なことをするなと怒る観客も居るかもしれません。……それでも私はその展開を望んでいるんですよ。そして、それが出来る観客は唯一貴女だけだ。他の観客や舞台上の役者からの文句を封殺できるほどに強く、また進行中の劇を止められるほどの確固たる自我を持っていて、かつ一流の役者として不足がないほどに自分を偽れる貴女だけなんです。……だから疑うことをやめないでください、ミス・バートリ。貴女なら舞台の上の欺瞞に気付き、そしてそれを糾弾できるはずだ。」

 

そして七枚目の絵。他の六枚と違って明るい色遣いがされているその絵は、中央を挟んだ二つの場面で構成されているようだ。右側には灰色の髪の少女と金髪の少女が描かれており、そばかすのある金髪の少女が灰髪の少女に笑顔でパンを手渡している。金髪の少女は一枚目の絵に描いてあった子と同一人物か? 二人とも柔らかい表情だし、優しい印象を受ける絵だな。

 

「キミと話していると頭が痛くなってくるよ。役に殉じようとしているのにも拘らず、キミは同時に演劇が崩壊することを望んでいるのかい?」

 

「分かりませんか? 役者としての私は成功を望み、個としての私は失敗を望んでいるんです。見事な脚本であることは認めていますから、役者としてのプライドに懸けて台本通りの行動をやめるつもりはありません。しかし反面、個人的にはどうにも結末が気に食わない。……私たちが持っている台本には詐欺師の役が存在するのに、犯罪を暴くべき名探偵の名前が載っていないんですよ。だからちょっとしたアドリブで観客席から引き摺り出してやろうと思ったんです。矮小な役者からの、神たる脚本家への小さな抵抗というわけですね。」

 

「……どういう意味だ? 私をその『名探偵役』に仕立て上げようってことか?」

 

「ええ、その通りです。貴女ならその役が務まるはずだ。……考えてください、ミス・バートリ。私は一人の役者として劇を完遂させたいので『答え』を提示する気はありませんが、同時に私自身が望む結末にしてやりたいという身勝手な欲求も抱えています。だからよく考えてください。……今回は貴女の勝ちですね。次で最後のフレームです。そしてそのフレームが終わった時が私の最期でもあります。」

 

対して左側は同じような構図だが人物が違う絵だ。中央を挟んで、右側に描かれている灰色の髪の少女と背中合わせになっている灰色の髪の女性……つまり過去のベアトリスに対する現在のベアトリスが、今度は逆にそばかすの無い金髪の少女へと美味しそうなパンを手渡している。うーん? 手渡すというか、『献上する』って雰囲気にも見えるな。大人になったベアトリスは悔しそうな諦めの表情だが、それを受け取る少女の顔は上手い具合に影がかかっていて感情が読めない。こちらも全体的には明るい絵なのに、そこだけ暗いから少し不気味に思えちゃうぞ。

 

「……私が先番だ。始めるぞ。」

 

「どうぞ、ミス・バートリ。共に最後のゲームを楽しみましょう。」

 

右側がふんわりとした柔らかいタッチで、左側は若干硬質なタッチ。右側は緑が茂る地面や日差しに照らされた小川が背景で、左側は病院のような無機質な床と電球に照らされた白い壁が背景。右側が自然な明るさなのに対して、左側は人工的な明るさといった具合だ。

 

どことなくチグハグさを感じる七枚目の絵を見終わったところで、キューを動かしながらのベアトリスが話しかけてきた。このフレームはリーゼ様が最初のショットをした後、ずっとベアトリスの手番が続いているらしい。

 

「どうですか? アリスさん。順番は分かりましたか?」

 

「少し待って頂戴。整理するから。」

 

一枚目はベアトリスが人外として始まった時、二枚目は魅魔さんと出会った時、三枚目は私と初めて関わった五十年前の事件の時で、四枚目はアビゲイルやティムたちがベアトリスと一緒に居るから二枚目と三枚目の間だ。そして五枚目はホームズらしき人物が描かれているから一番最後ということになる。一、二、四、三、五の順は間違いないとして、問題は六、七枚目をどこに挟むかだな。

 

六枚目は判断材料がなさ過ぎてどうにもならないし、七枚目は絵を構成する二つの場面がそれぞれ全く別の時点に思えるぞ。……というか、どうして私はこんなことを真剣に考察しているんだ? リーゼ様とベアトリスがスヌーカーをしていることといい、よく分からない状況になってるな。

 

意味不明な現状への疑いが出てきたところで、七枚目を最初に、六枚目を最後にすると決定した。六枚目は空虚なれど『フィナーレ』という雰囲気があったし、一つだけ異質な七枚目は最初か最後が似合うはず。だったら七、一、二、四、三、五、六の順だ。

 

「決めたわ。あの唯一明るい雰囲気の絵が最初で、磔の少女、コーン畑、額を合わせる二人、人形たちの劇場、鏡と向き合う女性、空っぽのステージの順番よ。」

 

私の回答を聞いたベアトリスは、くすりと小さく微笑んで黒い球をポケットに落とした後、穏やかな笑みを湛えながら正解を提示してくる。どこか残念そうにも見える笑みだな。外れだったのか?

 

「残念ながら、少しだけ違いますね。一枚だけ明るい絵は最初でも最後でも構いません。ですのでそこは当たっていますが、四番目と五番目を入れ替えた順が正解です。」

 

「……それはおかしいわ。額を合わせている二人は貴女とアビゲイルでしょう? そしてこっちの絵はグラン・ギニョール劇場をモチーフにしているはず。だからこれは貴女がヨーロッパに行った後、つまりアビゲイルたちと別れた後の絵のはずよ。」

 

「さあ、どういうことなんでしょうね?」

 

そもそもその順番だと飾ってあるままじゃないか。謎かけをするように問い返してきたベアトリスへと、正解に納得できずにもやもやしている私が反論を口にしようとするが……その前にアビゲイルが灰色の魔女へと声を放つ。

 

「ビービー、そんな話をしてないで早くごめんなさいしましょう? 私がアンネリーゼとアリスにお願いするから。そうすればきっと──」

 

「口を挟まないで欲しいと言ったはずですよ、私のアビー。余計なことをせずに黙っていなさい。今日の貴女は舞台に上がっていない。これは私とミス・バートリ、そしてアリスさんだけに許された一幕なんです。貴女の台詞などありません。」

 

「……そんなに私のことが嫌いなの?」

 

「大嫌いですね。この部屋の中で貴女のことだけは憎んでいます。理解したなら口を噤んでいるように。私のことを僅かにでも想っているのであれば、せめて最期の舞台くらいは穢さないでください。」

 

突き放すような強い拒絶を飛ばすベアトリスと、それに怯んで泣きそうな顔になっているアビゲイル。やめさせようと口を開きかけるが、今度は手持ち無沙汰にキューの先端を磨いているリーゼ様が介入してきた。

 

「分からないね。どうして私でもアリスでもなく、何の罪もないアビゲイルを憎むんだい? 作品を遺したくないからか?」

 

「違いますよ。そこの出来損ないに限っては違います。そしてその理由を喋るつもりはありません。」

 

「たとえ死に行く身でも、それだけは何故か話さないわけだ。」

 

「その通りです、ミス・バートリ。その通りですよ。先程誓約したでしょう? 今日の私は嘘を吐きませんが、話せないことは話さないんです。……では、何故話せないんでしょうね? その答えも私は既に明示しましたよ。」

 

まるで正解だとでも言うかのように嬉しそうに頬を緩めたベアトリスは、正確かつ手早く赤い球を落とし切ると、次に残った六個のカラーボールへと狙いを定める。急に機嫌が良くなったな。ゲームが終わったら自分の死が待っているとは思えない様子だぞ。

 

リーゼ様はそんなベアトリスのことを訝しげな表情で観察するように眺めた後、一度ちらりとアビゲイルの方に目を向けてから肩を竦めた。悩んでいるな。具体的に何を悩んでいるのかまでは分からないが、今のリーゼ様は何かを熟考している時の顔付きになっている。一体何を考えているのだろうか?

 

「……何にせよ、このフレームはキミの勝ちだね。スヌーカーはこれが嫌なんだ。勝ち行く姿を眺めているだけってのが。」

 

「全くもって同感ですね。私も相手の勝利をただ眺めているのは大嫌いですよ。だからそういう時はちょっとした意地悪をすることに決めているんです。相手が組み上げたものに疵を付け、次の試合の邪魔をしてやるわけですね。ルールに制限されないような小ささで、だけど後々ヒビが広がる程度には深い疵を。」

 

「キミも一応は魔女ってことか。性格の悪さが発言に出ているぞ。」

 

「残念なことに、上には上があるんです。私程度の性格の悪さなんて可愛いものですよ。……折角ですから、このフレームは最後までやらせてください。マキシマムブレイクは久々なんです。最後の最後で147を出すとは、私も役者として捨てたものではないようですね。」

 

イエロー、グリーン、ブラウン、ブルー、ピンクの順で見事にカラーボールを落としながら楽しそうに呟いたベアトリスは、最後に残った黒い球に狙いを定めて……それを角のポケットへと収めてから深く息を吐く。とても満足そうな表情だ。

 

「……これで終わりです。言うべきことは言いましたし、言いたいことも言いました。末期の会話に付き合ってくださって感謝しますよ、ミス・バートリ、アリスさん。」

 

本当に殺してしまっていいのか? この期に及んで迷いが生じ始めた私を他所に、自分が使っていたキューをテーブルに置いたリーゼ様が、新しい煙草に火をつけたベアトリスへと静かに問いかける。探るような目付きでだ。

 

「勝ち逃げは癇に障るが、勝負は勝負だ。……死ぬ前に何か望みはあるかい? 勝ったんだから少しくらいは譲歩してやるぞ。」

 

「では、一つ……いえ、いっそ二つお願いしておきましょうか。」

 

「強欲だね。聞くだけ聞こう。叶えるかどうかは別の話だ。」

 

「一つ目のお願いはあの七枚の絵です。暫く保管しておいてくれませんか? ある程度の期間を空けたら、その後は好きにしてもらって結構ですから。……ちなみに魔術的な要素は一切無いただの絵です。疑うのであれば好きなだけ調べていただいて構いません。」

 

私への『謎かけ』に使った七枚の絵画を指して願ってくるベアトリスに、リーゼ様が釈然としないという顔で言葉を返す。『ただの絵』というのは恐らく真実だろう。間近で見てもそれらしい気配は感じられなかったし。

 

「作品を遺すのは嫌いだったはずだぞ。」

 

「あれだけは特別なんですよ。仕事ではなく趣味の産物ですし、あれは『私』を描いた絵ですから。ダメでしょうか?」

 

「いまいち理解できんが……ま、そのくらいなら構わないさ。倉庫にでも入れておいてあげよう。二つ目は?」

 

さほど迷わずに軽く了承したリーゼ様へと、灰色の魔女は二つ目の願いを口にした。

 

「二つ目は……そう、それですよ。今貴女が持っている疑念。それを晴らして欲しいんです。もし『名探偵』として舞台に上がる気になったなら、迷わず劇に介入して詐欺師のペテンを暴いてください。アリスさんでは難しいかもしれませんが、貴女ならきっと正解にたどり着けるはずです。私はそう信じています。」

 

「キミは死ぬ。であれば、全てはここで終わりのはずだ。」

 

「言ったでしょう? 過程なんですよ、ミス・バートリ。今日の出来事は終幕への過程なんです。私は『オリジナルのベアトリス』ですし、手持ちの人形は全て破棄しました。そこだけは誓って嘘ではありません。それでもこれは過程なんです。……役者として無様な行いをしてまでヒントを残しましたし、許される限りに足掻きました。ならば後は貴女次第ですね。」

 

最後に深く煙を吸った後、灰皿に煙草を押し付けて火を消したベアトリスは、スヌーカーテーブルを離れて部屋の中央まで歩いたかと思えば……くるりと振り返って悪戯げに微笑みながら両手を広げる。自然な笑みだ。友人に笑いかける時のような、一切の裏がない笑み。

 

「期待していますよ、ミス・バートリ。貴女が謎を解いた時、ようやく私は私になれるんです。だからどうか私を見つけてください。ベアトリスという名の哀れな魔女のことを。……そしてありがとうございました、アリスさん。最期に『友達』と遊べて楽しかったです。」

 

言い切るとベアトリスは返事をする間も無く戸棚の方へと手を伸ばし、それに応じるかのようにふわりと飛んできた黒い……拳銃か? 無骨なリボルバーを手に取って、そのまま流れるようにひどく自然な動作で銃口を自分の口の中に入れた後──

 

「ビービー!」

 

……何て、あっけない。乾いた発砲音と、アビゲイルの悲鳴。信じられないほどにあっさりと自分の頭を撃ち抜いたベアトリスが崩れ落ちるのを、アリス・マーガトロイドは呆然と見つめるのだった。

 


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