Game of Vampire 作:のみみず@白月
「今度そっちの店にも顔を出すわ。また来て頂戴ね。」
この調子だと、今日も夕方になる前に売り切れそうだな。店を出て行く近所のペットショップの店員に手を振りつつ、アリス・マーガトロイドはガラスケースの中に売り切れの札を追加していた。昼過ぎの現時点でニューヨークチーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、バナナブレッド、アップルパイ、スコーン、クッキーの詰め合わせが完売か。残るはショートケーキが二つとシュークリームが一つだけだ。
イースター休暇が間近に迫る三月の末、先々週にオープンしたマーガトロイド人形店は非常に繁盛していると主張できる状態になっている。……売れているのは人形ではなく、エマさんが作るお菓子の方だが。
姉貴分であるエマさんのお菓子が飛ぶように売れるのは嬉しい反面、まだ一体も人形が売れていないことが普通に悲しくなってくるな。意地を張らずに『現代基準』の価格に下げるべきか? だけど、値段相応の品だという自負はあるぞ。
ちなみに店頭に置いてある人形はどれも動かない人形だ。つまり、『子育てちゃん』や『お掃除ちゃん』のような半自律人形は置いていない。ホームズの一件がようやく片付いたところなのに、そういう人形を売るのはどうかと思って自粛していたわけだが……もう置いちゃおうかな。『子育てちゃん』あたりは使用者の評判も良いし、置けば売れる気がするぞ。
あまりの売れなさっぷりに弱気になり始めた私に、二階の居住スペースから下りてきたアビゲイルが声をかけてきた。まだまだ元気があるとは言えない状態だが、最近の彼女はよく店の手伝いをしてくれているのだ。ちょうど良い気晴らしになるらしい。
「アリス、どうかしら? 何か手伝うことはある?」
「今のところは特にないわ。今日はもう売り切れそうだから、夕方になったら一緒にお買い物に行きましょうか。」
「うん、行きたい。エマに何を買えばいいかを聞いておくわね。」
今朝商品を作っている時に材料がなくなってきたと言っていたし、マグル側のスーパーまで行く必要があるかもしれないな。二階へととんぼ返りしていくアビゲイルを見送ってから、人形の配置を整えるべく棚に近付いたところで、ベルの音と共に新たな客が入店してくる。
「どうも、マーガトロイドさん。」
「あら、フレッド。また来てくれたの?」
「今日こそは話題のチーズケーキを手に入れようと思って来てみたんですけど……まあ、遅かったみたいですね。」
「さっき最後のが売れちゃったわ。残りはその三つね。そっちの店はどう?」
悪名高きウィーズリー家の双子の片割れ、フレッド・ウィーズリーだ。カウンターに戻って問いかけてみれば、フレッドはガラスケースを覗き込みながら応じてきた。
「イースター直前にしてはいまいちってところですかね。『弾むチョコエッグ』が予想より売れなかったんです。子供向けを狙って大人しくしすぎましたよ。……残ったのを全部ください。」
「毎度どうも。……シュークリームは一つしかないわけだけど、ジョージの分はどうするの?」
「言わなきゃバレませんから、帰る途中に食っちゃいます。だからシュークリームはそのままください。」
悪戯小僧の笑みで肩を竦めたフレッドに苦笑しつつ、小さい紙箱に二つのショートケーキを入れる。これにて今日も完売か。
「はい、どうぞ。こっちは早くも店仕舞いね。」
「手作りだから生産量には限界があるんでしょうけど、値段はもっと高くしてもいいと思いますよ。あとはまあ、たまにじゃなくて毎日売るとか。」
「あくまで同居人の趣味だからこれでいいのよ。……人形も見ていってくれて構わないんだけど?」
「貧乏人の俺には手が届きませんよ。美味しいシュークリームとケーキが分相応です。……じゃ、また来ますね。」
高級ドラゴン革のジャケットを着ているヤツが言う台詞じゃないぞ。シュークリームを頬張りながら店を出て行くフレッドにジト目で手を上げてから、杖を一振りしてクローズドの看板を玄関のドアノブに掛けた。今日はもう閉めちゃおう。どうせ人形は売れないだろうさ。
投げやりな気分で大きく伸びをした後、ガラスケースの中のケーキを載せていたアルミプレートを全部回収して階段を上ると……おお、びっくりしたぞ。リビングの入り口で待ち構えていたエマさんが勢いよく話しかけてくる。
「アリスちゃん、どうですか? 売れました?」
「今日も売り切れです。ケースの中は空っぽですよ。」
「そうですか、そうですか。……えへへ、売れましたか。」
溢れんばかりの喜びを顔に浮かべているエマさんは、私の手からプレートを回収してキッチンで洗い始めた。毎度のことながら可愛らしい反応だな。お菓子を出した日はそわそわと売れたかどうかを確認してくるのだ。ちなみに売れ残ったのは情報が広まっていなかった初日とその次だけで、三回目以降は毎回完売している。
「きちんと売れて良かったです。売れ残りを自分で食べるのは悲しいですからね。」
至極ご機嫌な様子で身体をゆらゆらさせながら、流し台でリズミカルにプレートを洗っているエマさん。その姿を見て微笑みつつ、ソファに座って一息ついていると……おや、着替えてきたのか。お気に入りのエプロンドレスではなく、長袖のワンピースにジーンズを合わせている格好のアビゲイルがリビングに入ってきた。
「着替えてきたけど……もう残りが売れたの? すぐに行く?」
「早く行って早く帰ってきましょうか。あの直後にフレッドが来て買っていったのよ。」
「この前店番を手伝ってた時、勝手に遊び回る飴をくれた人?」
「それはジョージ。フレッドは増える癇癪玉をくれた方よ。」
まあ、あの双子を見分けるのは慣れていないと難しいだろう。きょとんとした顔付きで小首を傾げるアビゲイルに訂正を送ってから、部屋の隅でお掃除ちゃんを手伝っているティムに声を放つ。『ちりとり役』を買って出たようだ。
「私とアビゲイルは買い物に行くけど、ティムも行く?」
私の質問に対してティムは首を横に振った後、お掃除ちゃんを手で示して胸を張る。手伝いを続けるということか。ジェスチャーもほぼ理解できるようになってきたな。
「偉いわね。それなら二人で行ってくるわ。エマさん、何が必要ですか?」
「さっきアビーちゃんに言われてメモしておきました。下の方に書いてあるやつは置いてあったらでオッケーです。」
「了解です。……それじゃ、行きましょうか。」
テーブルの上にあった『買い物リスト』を手に取りながらアビゲイルを促して、一階に戻って店の玄関から外に出た。まだ少し肌寒い外の気温を感じつつ、一応ドアに鍵をかけていると……午後の曇り空を見上げているアビゲイルがポツリと呟く。
「……これでいいのかしら?」
「ん? どうしたの?」
「お店の手伝いをして、アリスとお喋りして、エマが作ってくれるご飯を食べて。私、今の生活がとっても好きよ。あの家で独りぼっちだった頃と比べると全然違うわ。……でも、これでいいの? 私だけがこうなっていいのかしら?」
不安げに曇天を見つめているアビゲイルは、まるで天罰を恐れる罪人のような雰囲気だ。そんな彼女の手をギュッと握りつつ、しゃがんで目線を合わせてから口を開いた。
「いいのよ、これでいいの。」
「……本当に?」
「ええ、保証するわ。」
言葉を重ねるのではなく、態度で語った私を見て……アビゲイルは手を握り返しながら小さく首肯してくる。悪いわけがない。誰にも文句は言わせないさ。
「うん、分かったわ。……行きましょう、アリス。雨が降ったら大変よ。」
「そうね、急ぎましょうか。」
頼りない小さな手を握ったままで、昼下がりのダイアゴン横丁の通りを二人で歩き始めた。……早く幸せに慣れて欲しいな。こんな疑問が頭に浮かばないほどに慣れきって欲しい。アビゲイルも、ティムも。そうなって然るべきなのだから。
そのために努力していこうと決意しつつ、アリス・マーガトロイドは薄暗い空を見上げるのだった。
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「では、卒業後は故郷に戻るつもりなんですね? ……一応イモリ試験の成績は日本の魔法界でも通用しますよ? マホウトコロ流の成績評価に直すことにはなりますが。」
真剣に私の進路についてを考えてくれているフーチを前に、霧雨魔理沙は困った気分で返事を返していた。日本の魔法界では通用するかもしれないが、幻想郷だと話は別だ。私にとってはあまり意味のない試験だと言えるだろう。
「あーっと、そこは大丈夫だぜ。イモリは受けないことにする。それは決めてるんだ。」
「そうですか。それが貴女の決定なのであれば、私から言うべきことはありません。卒業したら日本に戻り、家業を継ぐという認識で問題ありませんね?」
「ん、そんな感じかな。魔法薬学とか杖魔法はそこで使うかもしれないから、六年生以降も続ける予定だ。飼育学とかを残すのはまあ、単純に興味があるからだよ。そういう決め方はダメか?」
「まさか。生徒に学びたいという意欲があるなら、全力で教えを授けるのが教師の役目です。『興味がある』というのは悪くない受講理由だと思いますよ。……そうですね、日本に戻るのであればイギリスの魔法史はそこまで重要ではないでしょう。しかしマグル学は有用かもしれませんよ? あの国の魔法界はマグル界と近いですし、得た知識を活用できる機会は多々あるはずです。」
つまるところ、今はイースター休暇の進路指導の真っ最中なのだ。静かな空き教室で寮監であるフーチと『二者面談』を行っているわけだが……幻想郷のことを話せないのは中々キツいな。話し合いが若干ズレちゃってるぞ。
そのことに内心で苦笑しつつ、フーチに対して新たな説明を投げる。幻想郷が魔法界でもマグル界でもない以上、『魔法使いが教えるマグル学』はさほど必要のない分野なのだ。
「何て言えばいいか、私の故郷はマグル界とは離れてるんだよ。だからそんなに必要ないのさ。これまでの授業で基本的な部分は学べたし、六年生からは外すことにするぜ。」
「なるほど、そういうことですか。となると……まあ、妥当な授業選択ですね。必須となる科目が無いのであれば、興味を持てる分野を優先すべきです。六年生からはこれで行きましょう。」
「おう、そうするぜ。」
いくつかの書き込みが入った授業リストを受け取って頷いた私に、フーチはやや残念そうに微笑みながら口を開く。
「貴女の実力であれば、クィディッチの道を歩むことも出来たんですけどね。そこは少し残念です。」
「ま、趣味で終わらせることにするよ。プロにならなくても箒には乗れるしな。」
「悪くない選択なのかもしれませんね。箒を『仕事』にしてしまうとまた別の苦悩が生まれますから。……何にせよ、貴女は優秀なプレーヤーです。日本はクィディッチが盛んな国ですし、培った箒捌きが何かの役に立つかもしれません。そうなることを祈っておきます。」
「私もそう祈っておくぜ。後悔がないように六年生と七年生の学内リーグには全力で打ち込むし、もちろん来月の決勝戦も勝つさ。」
席を立ちながら受け合ってやれば、フーチは大きく首肯して応じてきた。
「今の貴女が何よりも重視すべきはそこですね。四年生までの成績を見てもフクロウ試験はそれほど心配ないでしょうし、その辺は気にせず決勝戦に集中なさい。」
「当然だ、全部を注ぎ込むさ。……んじゃ、そのための練習に行ってくるぜ。」
「ええ、私も指導が終わったら手伝いに行きます。廊下でリーヴィスが待っているはずですから、入室するようにと伝えてください。」
「あいよ、了解だ。」
授業リストを片手に空き教室を出て、ドアの近くでヒマそうに待っていた同級生に声をかけてから、競技場に向かって三階の廊下を歩き始める。就職の問題がない私でさえ結構時間がかかったし、アルファベット順だから咲夜の番はまだまだ先になりそうだな。
今頃何をやって暇を潰しているのかと考えながら、中央階段を下りて渡り廊下の方へと進む。そのまま校庭に出てみれば……うおお、思ってたよりも寒いぞ。昨日は暖かかったのに、また気温が下がってしまったようだ。
四月に入ってるんだから、いい加減春らしくなれよなと呆れていると、競技場の上空で激しく飛び回っている人影が目に入ってきた。ドラコとシーザーかな? タックルの練習をしているらしい。
私も早く合流しようと小走りで競技場に近付いて、女子更衣室に入って手早く着替えを終えた後、ケースから出した箒を片手に軽くストレッチしながらフィールドに入ってみれば……何してるんだ? あいつら。どこかから持ってきたらしい丸椅子に座っているアレシアと、その背後でハサミを構えているスーザンの姿が見えてくる。近くにはハリーも居るようだ。
「よう、何してんだ?」
歩み寄りながら話しかけてみると、ハリー、アレシア、スーザンの順でそれぞれの反応を寄越してきた。ちなみにギデオンは筋トレ中らしく、ゴールポストの近くで腕立て伏せをしている。
「あれ、進路指導はもう終わったの? 僕の時は結構かかったんだけどな。」
「えっと、髪が邪魔なのでスーザンに切ってもらうんです。いちいち結ぶのが面倒になってきちゃいまして。」
「まさかこんな場所で切ることになるとは思わなかったわよ。切った髪を片付ける必要がなくて楽と言えば楽だけどね。」
散髪しようとしていたのか。変な状況だな。ハリーの問いに答えつつ、三人の近くで箒を置いて本格的なストレッチに入った。……まあ、確かに切り時ではあるのかもしれない。今のアレシアはボブというか、ミディアムくらいの長さだ。癖がない綺麗なストレートなのはちょっと羨ましいぞ。
「そんなに話すこともなかったからな。……どこまで切るつもりなんだ?」
「私はここくらいまでが良いと思うんですけど、スーザンが切りすぎだって言うんです。」
「切りすぎでしょ、どう考えても。勿体無いわよ。」
アレシアが手で示した位置は……うん、私も切りすぎだと思うぞ。男の子のようなショートヘアになってしまう位置だ。その髪型が悪いとは言わんが、アレシアのイメージと合わなさすぎる。頷くことでスーザンへの同意を表明した私に、アレシアは不満そうな顔で短い髪の利便性を主張してきた。
「だって、長いと風に煽られて邪魔なんです。どうせすぐ伸びますし、決勝戦に備えて短くしちゃおうって考えたんですけど……。」
「貴女のファンが泣くわよ。私としては今の長さがベストだと思うくらいね。前髪だけ切るのじゃダメなの?」
「私のファンなんて存在しませんし、一つに纏めると頭の後ろでぴょこぴょこ動くのが気になって嫌なんです。だから切ります。」
「はいはい。残念だけど、そういうことなら切っちゃいましょうか。」
うーむ、洒落っ気よりクィディッチか。プレーヤーとしては見事だと褒めたい反面、女の子としては不安になってくるな。入念にストレッチしている私と、スニッチを離してはキャッチするのを繰り返しているハリーが見物する中、アーモンド色の髪を容赦なく切っていくスーザンの手によってアレシアの頭が涼しげになっていく。
「このくらい?」
「もうちょっと切ってください。前より短くていいんですから。」
何故か平時よりきっぱりと発言するアレシアの指示を受けて、どんどん髪が短くなっていくが……その辺にしておくべきじゃないか? ハラハラと見守っている私たちが止めようかと迷い始めたあたりで、ようやくスーザンは短くするのを切り上げた。
「ここが限界よ。これ以上短くすると変だわ。アレシアらしくなさすぎるもの。」
「でも、もっと短い人も沢山居ますよ?」
「短髪は長髪以上に人を選ぶ髪型なのよ。素人がやるとおかしくなっちゃうから、この辺にしておきましょう。」
「そういうものですか。……じゃあ、これで大丈夫です。ありがとうございました。」
何とか短めのショートボブで思い留まらせたスーザンに心中で拍手を送りつつ、頭をわしゃわしゃして髪の毛を落としているアレシアに感想を飛ばす。
「まあ、動き易そうではあるな。それなら問題ないだろ。」
「はい、スッキリしました。これなら洗うのも簡単そうです。」
身も蓋もない発言だな。アレシアに教えるべきは棍棒の扱い方ではなく、お洒落の流儀なのではないだろうか? 私ですらそう思うあたり、問題がかなり大きいものであることを感じさせるぞ。
アレシア以外の上級生三人で微妙な表情になりながら、霧雨魔理沙は小さなビーターの将来に一抹の不安を覚えるのだった。