Game of Vampire   作:のみみず@白月

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天才の天敵

 

 

「あっと、待ってください。ここは廊下を動かさないといけないんです。二階の中心部は四面全部を使ってますから。」

 

『四面』? 先導する東風谷の日本語での説明に首を傾げつつ、霧雨魔理沙は彼女が何か作業をするのを興味深い気分で眺めていた。どうやら城の二階部分を結ぶ渡り廊下の入り口にある、木のレバーのような物を操作しているらしい。近代的な機械というか、『からくり』って感じの操作盤だな。ちょっと心惹かれるものがあるぞ。

 

ロシアを経由してマホウトコロに到着した私は、現在世話役の東風谷の案内に従って城の天辺を目指している最中だ。他のホグワーツ代表たちは素直に宿泊する部屋へと案内されていったが、どうしても最初に天辺からの景色を見ておきたくて頼んでみたところ、東風谷がオーケーを出してくれたのである。

 

黒御影石の広い玄関は見事の一言だったし、一階の廊下のガラスケースに展示されていたマホウトコロの歴史に関わる品々も面白かった。次は何が出てくるのかとワクワクしながら東風谷の操作を観察していると、彼女は十字の溝からして上下左右の四方向に動くらしいレバーを下から上に動かした後、操作盤の下に凧糸のようなものでぶら下がっている真っ黒な木札を引いてから口を開く。それらしい音はしなかったし、一見した限りでは何も変わっていないぞ。

 

「えっとですね、この渡り廊下の先にあるのはマホウトコロの中心部分でして、教室や研究室なんかが集まっている区画なんです。だからスペースを有効活用するために、上下左右の全部を床にしているんですよ。今の操作でどこを床にするかを決めていたわけですね。……この説明で分かりますか?」

 

「さっぱり分からんし、見た方が早いと思うぞ。百聞は一見に如かずだ。行ってみよう。」

 

「じゃあ、行きましょうか。ぐにゃってなりますけど気にしないでください。」

 

『ぐにゃ』? 曖昧な効果音での注意にクエスチョンマークを浮かべながら、東風谷の背を追って渡り廊下に足を踏み入れてみれば……おー、確かにぐにゃってなったな。騙し絵の中を歩いているみたいだ。まるで渡り廊下全体が回転しているかのように自分にとっての『地面』が徐々にズレていき、先に進むにつれてさっきまで床だった面が壁に、そして天井だった面が床へと変わっていく。マホウトコロの領地そのものが反転しているのだと考えると、天地が『正常』に戻ったということか。

 

むう、実に不思議な感覚だな。随分と変わったデザインの渡り廊下だと思ったが、この仕掛けのためだったのか。全体的には四角い普通の和風の渡り廊下なのに、床板の面が途中からくるんと左右に分岐して廊下全体を包み込むように伸びており、最終的には天井までもが床板になっていたわけだが……別に前衛的なデザインの廊下だったわけではなく、文字通りそこが床になるから伸びていただけらしい。

 

そして捻れた渡り廊下を抜けた先には……これは良い。クソ面白い光景だぜ。重力を発見したヤツが憤慨しそうな光景が広がっていた。この城の中じゃリンゴは必ずしも下に落ちないし、『地に足をつける』という言葉は何の意味も持たないわけか。魔法界の不条理もここに極まれりだな。

 

私から見れば天井を歩いている生徒や左右の壁を床にしている生徒たちが行き交い、横倒しになった階段があったり、私にとっての床にドアがあったり、頭上に一階が覗ける吹き抜けがあったりでもう滅茶苦茶だ。かなり広めの四角い空間を『余すところなく』廊下として活用しているらしい。

 

「大したもんだぜ。」

 

頭上を小走りで通過していく本を抱えた生徒のつむじを見上げながら呟くと、東風谷は嬉しそうな顔付きでこっくり頷いてきた。吹き抜けを利用して一階の生徒とキャッチボールをしているヤツも居るな。私からすれば遥か上の一階の廊下に逆さまに立っている生徒が、クアッフルを『下に放り上げている』わけだが……うーむ、慣れるまで混乱しそうだ。この廊下のシステムは、もしかしたらホグワーツの中央階段より非常識かもしれないぞ。

 

「ですよね、私も初めて来た時はワクワクしました。……まあ、その後授業が始まると教室を探すのに手間取って苦労したんですけどね。要するに四倍の密度になってるわけですから。」

 

「これって上に何かを投げたらどうなるんだ?」

 

「持って入った物なら普通に落ちてきますよ。物も人もどこを下にするかはこの空間への入り口で決定されるんです。窓から出ちゃうとマホウトコロ全体のルールが適用されますけどね。……基本的には真ん中あたりを歩いた方がいいですよ。端に寄ると壁を歩く人とかにぶつかっちゃいますし、ドアを踏むと怒られますから。廊下自体が広いのでそんなに神経質になる必要はありませんけど。」

 

確かに広いな。恐らく私の足元には右側を床とした時の教室と、左側を床とした時の教室があるのだろう。そんな感じに詰め込んでいった結果、廊下そのものが広くなったわけか。

 

ただまあ、省スペースという点で言えば間違いなく有効な設計だろうな。壁や床の分を考慮すれば、単純に四階層使用するよりも一階層の四面を使った方が良いはずだ。壁が床であり、天井が壁であり、床が天井なのだから。いやはや、考えているとこんがらがってくるぞ。

 

しっかし、奇妙な感覚だ。足元に『上に吊り下がっている』照明があるのも、天井にドアがあったりするのも違和感が強いが、四面全部が板張りの床ってのもモヤモヤするな。ドアを踏まないように注意しながら進んでいくと、東風谷が曲がり角の先にあった階段を指して新たな説明を……何だあの階段は。床から生えていて、天井に繋がっているぞ。くの字に曲がっている。

 

「渡り廊下まで戻って天地を変えるのが面倒な時は、ああいう階段を利用してください。一見すると落ちそうに見えますけど、案外普通に使えますから。」

 

「あー……前半は上り階段で、途中から天井に下りるってことか? どう考えても重力が切り替わる境目で落ちちゃう気がするんだが。」

 

「それが落ちないんですよ。ほら、見ててください。」

 

ちょうど階段を利用するらしい生徒を指差した東風谷の言う通り、年少の男子生徒はくの字の階段を見事に上りきって……というか、下りきってしまう。なるほどな。真ん中で一度天井でも床でもなく『奥』が下になるのか。ワンクッション挟むわけだ。

 

よく考えてみれば、さっきの曲がり角でも似たようなことが起きていたな。私たちからすれば何の変哲もない左方向への曲がり角だったが、左側の壁を歩いていた連中からすればあれは『物凄く深い落とし穴』だったはず。それなのに曲がった今も左右の壁に通行人が居るということは、同じような仕組みで手前や奥を下に切り替えたということなのだろう。

 

理屈としては理解できるものの、見ていると混乱してくる四面廊下……厳密に言えば四面どころじゃないわけだが。の光景を横目に歩を進めていると、東風谷は廊下の右側にある下り階段を下り始めた。さっき天井を床にしたから、下りると城を上っていることになるわけだ。まったくもって難解な城だぜ。

 

「今私たちは二階から三階に下ってるってことだよな?」

 

「ですね。二階は中心部以外が正常で、中心部は四面を使ってますけど、三階は全体が反転してます。そして四階は中心部だけが正常です。ちなみに側面を床にすることで上まで一直線に歩いていける廊下もあるんですけど、今は立ち入り禁止になっているのでこうやって地道に上っていくしかないんです。」

 

「何だってそんな複雑になってるんだ?」

 

「そこはよく分からないです。天地を入れ替える魔法の齟齬を緩和するためにやってるって習いましたけど、具体的にどう緩和してるのかは呪学の専門的な内容ですから。期生になってから学ぶんだと思います。」

 

ぽんぽん新しい言葉が飛び出てくるな。ホグワーツと違って通行を邪魔してこない階段を下りつつ、説明してもらうために問いを投げる。そういえば校門前の会話でも『期生』って言葉は出てきたっけ。

 

「『呪学』と『期生』ってのは?」

 

「呪学は……ううん? 呪学です。物を変身させたり、浮かせたり、小さくしたりする呪文を学ぶ分野ですね。さっき廊下を飛び交ってた連絡用の紙飛行機を飛ばすのも呪学の内容ですし、松ぼっくりをスズメに変えるのも同じく呪学の範囲です。」

 

「イギリスで言う、変身術と呪文学を合わせたような内容ってことか。期生の方は?」

 

「卒業した後の……何て言えばいいんでしょうか? 追加の三年間を送っている生徒のことをそう呼ぶんです。一期生、二期生、三期生って。」

 

うーん? いまいち分からんぞ。東風谷の方もどう説明したら良いかが分からないようで、先に根本的なシステムの解説を寄越してきた。

 

「マホウトコロは七歳で入学して、九年生で卒業なんです。でもそれだと十六歳で卒業しちゃうことになるので、追加の三年間を選択できるわけですね。つまり、各分野の専門的なことを学べる三年間を。」

 

「へぇ、ホグワーツとは全然違うな。十五歳ってことは、東風谷は九年生なのか?」

 

「いいえ、八年生です。私は誕生日が四月なんですよ。十四歳で八年生になって、直後に十五歳になっちゃったわけですね。」

 

「そっかそっか、八年生にも十五歳にもなったばっかりってことか。……東風谷も期生になるのか? 聞いた感じだとそうするのが普通っぽいな。」

 

つまるところ、期生というのはマグルで言う高校……もしくは大学みたいな課程に位置するわけだ。選択式の専門課程か。ホグワーツにおける六年生以降の授業選択に近いな。そんなことを考えつつ放った疑問に、東風谷は少しだけどんよりした顔付きで応答してくる。

 

「んー、どうでしょうね。私はそのまま卒業するかもしれません。魔法界はちょっと合ってないみたいですから。」

 

「そうなのか?」

 

「私、この学校には転入してきたんです。マホウトコロでは四年生まで初等課程ってことで基礎的なことを学んで、五年生からもう少し実践的なことを学ぶんですけど、私は五年生からの入学でして。何て言うか、その……落ちこぼれ気味なんですよね。」

 

転入ね。ホグワーツでは聞いたことがないが、マホウトコロではそんなこともあるのか。白い蛇を模した髪飾りを弄りながら、東風谷はしょんぼりした声色で続きを語ってきた。

 

「要するに、魔法力が弱すぎて一年生の入学には引っ掛からなかったんですよ。転入するってことは十一歳まで身体が成長してようやく入学の基準に魔法力が達したって意味ですから、ただでさえ転入組はバカにされがちなんです。おまけに私は蛇舌なので、あんまり馴染めていないわけですね。」

 

「蛇舌?」

 

「そっちで言うパーセルマウスです。蛇と話せるのは日本では縁起の悪いことでして。」

 

ハリーと同じだ。まあ、ハリーはもう話せないらしいが。リーゼによれば彼のパーセルマウスはヴォルデモートの魂の欠片の影響によるものだったようだし、生まれながらのパーセルマウスを直に見たのは初めてってことになるな。

 

「日本でもなのか。こっちでは蛇神信仰とかもあるだろ? 干支にだって関わってるし、一概に縁起が悪いってのは意外だぜ。」

 

「大昔に蛇舌の陰陽師が居たんです。日本の魔法界じゃ誰もが知ってるような大悪人が。その人は京で悪行三昧をした挙句、欲しい物を手に入れるために大きな災害とかも引き起こしたそうでして。そのイメージが根強く残ってるんですよ。……この国の魔法界じゃどこも受け入れてくれないでしょうし、卒業したら家業を継ごうかなって思ってます。どうも私には非魔法界がお似合いだったみたいです。魔法の世界には凄く憧れて入ったんですけどね。いざ入ってみれば、魔法力がなさすぎてまともに箒で空を飛ぶことすら出来ない始末ですよ。現実の厳しさを思い知りました。」

 

うーむ、同情してしまうな。魔法力が弱いのも、パーセルマウスなのも生まれつきだ。東風谷に責任はないはずなのに。

 

「家業ってのは?」

 

「家が神社なんです。小さな神社ですけどね。両親は小さい頃に亡くしているので、今は親戚の叔父さんが管理してくれてるんですけど、継ぎたいなら手配してくれるって言ってくれました。」

 

「神社か。巫女さんってわけだ。」

 

「ですです。……由緒ある神社なんですけど、最近はやや落ち目でして。私はそこの神様たちに大恩がある身ですから、何れにせよ大人になったら復興させようと思ってたんです。だからまあ、収まるところに収まるって感じではありますね。」

 

三階の廊下……明るくて華やかだった二階とは違って、漆喰の壁と黒い木材で構成されている落ち着いた雰囲気のそこを進みつつ、東風谷に肩を竦めて助言を送る。無骨な廊下だ。二階の大廊下が煌びやかで煩雑な遊郭なら、この階は古式ゆかしい日本の城って内装だな。

 

「でもよ、魔法に未練はあるんだろ? 期生をやってみてからでも遅くはないんじゃないか? ……部外者の無責任な発言だけどよ。」

 

「まあその、確かに未練はあるんですけどね。どうせ神社に集中するなら早い方がいいじゃないですか。」

 

東風谷の言い方は積極的にそうしたいというよりも、『仕方がないから』と諦めている感じだ。窓の外に広がっている逆さまの景色を横目にしながら、寂しそうな苦笑いで呟いた東風谷に持論を語った。どうやら進行方向に見えている複雑に折れ曲がった階段を下りて、四階に上ることになるらしい。どう見てもまともな形じゃないし、また天地がひっくり返るっぽいな。

 

「あくまで私の考え方だが、やりたいこととすべきことは分けた方が良いと思うぜ。いやまあ、神社の再興だって『やりたいこと』なのかもしれないけどさ。三年間追加で魔法を勉強してみてからでも遅くはないんじゃないか? 魔法力が少なくても、細かい杖捌きを磨けば使える呪文は増えるしな。……私たちはまだ十代だろ? 先ず好きなことをやってみて、それから後のことを考えればいいじゃんか。」

 

「……霧雨さんはオプチミストなんですね。皮肉じゃなくて、本心から羨ましいです。私はどうもダメな方に思考が寄っていっちゃうようでして。生まれながらのペシミストですよ。我ながら嫌になります。」

 

「ま、私は石橋を叩いて渡るタイプではないな。先ず渡ってから考えるタイプだ。いざとなったらジャンプして乗り越えちまえばいいのさ。仮に途中で橋が落ちたとしても、全力で跳べば向こう岸にしがみ付けるかもだろ?」

 

「カッコいいと思いますよ、そういう考え方。」

 

クスクス微笑みながら言った東風谷と共に四階への階段を下り……上りきり、再び正常になったマホウトコロの領域を網目状の板越しに眺める。ここからだと橋がよく見えるな。二階が大きかったので、普通の四階よりも高い場所に位置しているらしい。

 

そして今度の廊下は華やかでもなく、無骨でもなく、些か重苦しい怪しげな雰囲気だ。左右に障子戸が並んだ細い通路が、物凄く複雑に交差しているって構造なのかな? 迷路みたいだぞ。

 

「階層ごとに全然違う雰囲気だな。」

 

等間隔に燭台が置かれている焦げ茶色の板張りの廊下。どの曲がり角の先を見ても同じような廊下が続いていることを確認しながら言ってみれば、東風谷は困ったような笑みで解説してきた。

 

「建築した人が違うらしいので、その所為じゃないでしょうか? マホウトコロは場所によって異なる顔を見せるんです。寮の雰囲気なんかも全くと言っていいほどに違ってますよ。」

 

「三つの寮があるんだろ? それは本で読んだぜ。」

 

「対外的な言い訳として『クィディッチで競う相手が欲しくて分かれた』というのがよく使われてますけど、実際はもっと身も蓋もない理由がありまして。日本魔法界は大きく分けて三つの派閥に分かれているので、それに合わせて寮も三つあるってだけなんです。葵寮と、桐寮と、藤寮ですね。そのまま派閥と捉えて問題ありません。一階の展示スペースに三つの家紋が飾られてたのを覚えてますか?」

 

「あー、あったな。あれが寮の家紋……寮紋? なのか。」

 

仰々しく飾られていた三つの家紋を思い出している私に、東風谷は呆れたような口調で説明を続ける。

 

「寮のというか、派閥の紋章です。立葵、五三鬼桐、下がり藤。それが日本魔法界の全てですよ。初等課程は寮生活じゃなくて通学なんですけど、その期間にどの紋を選ぶかを決めるわけですね。派閥の選択は将来の仕事にも繋がりますから、日本魔法界では凄く重要なことなんです。」

 

「寮を選ぶことで属する派閥を選択するってわけだ。東風谷はどこなんだ?」

 

「一応寮は葵寮ですよ。立葵が葵寮を仕切る『松平派』の紋で、五三鬼桐が桐寮を仕切る『細川派』の紋、下がり藤が藤寮を仕切る『藤原派』の紋です。……転入組は自動的に振り分けられるので、派閥には入れてもらえませんでしたけどね。寮の中では針の筵ですよ。私だけが『余所者』なわけですから。」

 

「……それは辛いな。」

 

派閥か。ホグワーツのシステムとは似て非なるものだな。ホグワーツの四寮は外の生活と分離しているが、マホウトコロの三寮は国のシステムそのものと直結しているわけだ。卒業後の生活とも深く関わってくるのだろう。

 

何と声をかければいいか分からなくなった私へと、東風谷は儚げな微笑で応じてきた。

 

「辛いですけど、もう慣れました。少なくとも先生方は平等に扱ってくれますし、学年が進むにつれて同級生たちのやり方も『ちょっかい』から『無視』の方向に変わってきましたから。……強いて言えば、八重桜の紋が私の所属なのかもしれません。白木校長の家紋です。無派閥ってことですね。」

 

「他にも無派閥の生徒は居るのか?」

 

「極々少数ですけどね。でも大抵は私のようなはみ出し者じゃなくて、主義として無派閥を貫いている人たちです。……あとはここの螺旋階段を上れば天守に直通ですよ。五階、六階、七階もあるんですけど、全部通過すると結構な時間がかかっちゃいますから。」

 

「興味はあるな。後で見られるか?」

 

この際全部を見ておきたいという思いで放った願いに、東風谷は難しい顔で曖昧に首肯してきた。ダメなのか?

 

「その三階層はそれぞれの派閥の色が濃い階ですから、むしろ私と一緒じゃない方がいいかもしれませんよ。三派閥もお客様には気を使うでしょうし、霧雨さんは日本語を話せますから派閥に所属している人に案内を頼んだ方が色々と見られるはずです。部屋に案内した後で教頭先生に話しておきます。」

 

「私はお前に案内してもらいたいんだけどな。」

 

肩を竦めて主張してやると、東風谷はきょとんとした後……へにゃりと顔を綻ばせながら恥ずかしそうに頷いてくる。うむ、いい表情だ。しょんぼりしているよりもずっと魅力的だぞ。

 

「えへへ、嬉しいです。じゃあ、下りる時はそっちの道を使いましょうか。」

 

「ん、お前さえ大丈夫ならそうしてもらえるとありがたいぜ。……長い階段だな。」

 

和洋が混ぜこぜになったような螺旋階段。明治とか、その辺の建築様式なんだろうか? そこを上りながら呟いた私に、東風谷は懐かしそうな顔付きで思い出話を口にした。

 

「ここ、私の思い出の階段なんですよ? マホウトコロに入って少し経った頃、何もかもが上手くいかないのが悔しくてよくここで一人で泣いてまして。そうすると指導役の先輩がひょっこり現れて側で慰めてくれたんです。どうして私の居場所に気付けたのかは今でも疑問ですけどね。」

 

「指導役? いい先輩じゃんか。」

 

「マホウトコロでは一年生に九年生の指導役が付く決まりになってるんですけど、転入組にも最初の年……つまり、五年生の時に九年生の指導役が付くんです。私の指導役は霧雨さんも知ってる人ですよ。」

 

「私が? ……ああ、代表選手ってことか。」

 

私が知っているマホウトコロの生徒は代表選手陣だけだ。そう思って口に出してみれば、東風谷は正解とばかりに首を縦に振ってくる。

 

「はい、私の指導役だったのは中城先輩なんです。」

 

カスミ・ナカジョウか。意外な繋がりに驚いたところで、螺旋階段の終わりが見えてきた。微かな光が差し込むそこを目指しつつ、東風谷は悲しそうにポツリと言葉を漏らす。

 

「……今はちょっと嫌われちゃったみたいですけどね。あんなに面倒を見てもらったのに、全然上手くやれていないのが期待外れだったのかもしれません。卒業したら出て行けって言われちゃいました。お前じゃ期生は無理だって。」

 

「何だよそれ、勝手すぎるだろ。」

 

「中城先輩はマホウトコロのスターですから、私なんかが指導した生徒ってのは似合わないんですよ。当然の反応なんだと思います。私は結局、あの人の唯一の『汚点』にしかなれなかったわけですね。……才能が無いなら何をしても無駄なんだそうです。」

 

「……私はそうは思わんけどな。才能なんてのは切っ掛けに過ぎないんだ。向き不向きがあるってことは認めるが、最後にものを言うのは積み上げた努力の方だぜ。」

 

それこそが私の信念だ。一段飛ばしで登っていけるヤツだって、最初から高みに居るヤツだって確かに存在するんだろうさ。だが、ひたすら地道に一段一段登っていけばいつかは追いつける。そして追い越すことだって出来るはずだぞ。

 

自分の柱になっている信念を語ったところで、螺旋階段を上りきって天守に出た。……凄いな。視界いっぱいに広がる昏い湖面と、そこを横切る流麗な橋。頭上には深い静かな闇だけが漂っており、二十羽ほどのウミツバメたちがじゃれ合うように飛行している。美しい幻想的な風景だ。

 

「……なあ、中城に箒の才能があるってのは認めるよな?」

 

壁が無いのに風一つ感じない天守の手摺りに寄りかかって問いかけてみれば、東風谷は何を今更という表情で応答してきた。

 

「そりゃあ、認めますよ。あの人ほど才能がある飛び手は存在しません。普段殆ど練習してないのに、豊橋天狗から新人としては史上最高額の契約金を提示されたんですよ?」

 

「じゃあよ、明日の試合で私が中城を抑えてみせたら……どうだ? 努力は無駄じゃないって証明にならないか? 私だって箒捌きに自信があるが、それは必死に練習してきたからだ。才能じゃなくて、努力の結晶だぜ。」

 

「それは……その、難しいと思いますよ? 霧雨さんの実力が足りていないとはもちろん言いません。ホグワーツだってここまで勝ち上がってきたわけですし、凄く凄くクィディッチが上手いのは分かってます。でも、中城先輩は特別なんです。あの人はクィディッチの神様に選ばれた人間なんですよ。」

 

「はん、そんなもん知ったこっちゃないな。クィディッチの神様なんかの手助けは要らんぜ。私は私が培った力で中城を抑えてみせる。そしたらよ、東風谷。お前は悲観主義者をやめてみろ。派閥云々の問題もあるわけだし、期生に進むかどうかはお前の選択次第だが……少なくとも努力が無駄じゃないってことは私が証明してみせるからさ。」

 

気に入らんのだ。東風谷を取り巻く環境も、派閥主義の日本魔法界も、中城の言葉も。私が仮に中城を抑え切ったところで、何一つ変わらないってことは分かってる。東風谷は変わらず辛い学生生活を送るだろうし、日本魔法界は変わらず三派閥の支配下で動いていくのだろう。

 

だからこれは、私の強引で勝手な自己満足だ。ほんの少しだけ東風谷の考え方を変えられるかもしれない程度の、小娘に出来る僅かな抵抗。……ふん、それでもやらないよりは遥かにマシだぜ。諦めて理不尽に従えってか? 冗談じゃない。私はそんなに物分かりが良い女じゃないんだ。

 

私が景色を眺めながら言い放った台詞を受けて、東風谷は呆然と目を瞬かせた後……蛇の髪飾りの上に着けているカエルをデフォルメしたデザインの髪留めにそっと手を触れつつ、迷っているような声を返してきた。

 

「……そんなの、奇跡でも起こらない限りは無理ですよ。中城先輩は天才なんです。誰もがそれを認めています。」

 

「いいじゃんか、やる気が出るぜ。私は昔から天才の天敵であろうって決めてんだ。……まあ、明日の試合を楽しみにしておくんだな。楽観主義者の力ってやつを見せてやるからよ。」

 

実に良い気分だ。やる気がどんどん漲ってくるぜ。ホグワーツのために、チームメイトのために、そして東風谷のために。背負うものが多ければ多いほど、私はより前へと足を踏み出せるらしい。我ながら難儀な性格だな。

 

眼前に広がるマホウトコロの景色を目にしつつ、霧雨魔理沙は胸の中に熱いものを滾らせるのだった。

 


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