Game of Vampire   作:のみみず@白月

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海上競技場

 

 

「準備はいい? アビゲイル。手袋はちゃんと持った?」

 

肘を隠す程度の袖のブラウスと、ちょっとフォーマルにも見える黒いロングスカート姿のアビゲイル。そんな彼女に確認を送りつつ、アリス・マーガトロイドは自分の服装をチェックしていた。緑のミリタリージャケットに白いTシャツ、そして黒のスキニージーンズ。……不思議な感じだな。いつもの私だったら選ばないような『カッコいい系』の組み合わせだ。むしろリーゼ様にこそ似合いそうだぞ。

 

五月十七日のお昼前。マホウトコロで開催されるクィディッチトーナメントの決勝戦の観戦に行くため、エマさんの見立てで着替えを終えたところなのだ。普段ロングスカートを好んで着ている私としては似合っているかが不安になるものの、エマさんはばっちりだと受け合ってくれたし、多分大丈夫なはず。

 

鏡の前で自分の格好を確認している私へと、アビゲイルが返事を返してくる。ちなみに彼女の服装もエマさんコーディネートだ。こっちは普通に可愛らしいと断言できるな。

 

「忘れてないわ。白いやつでしょ? 関節を隠さないといけないのは不便ね。」

 

「まあ、仕方がないわよ。薄いファッション用の手袋だから、今の季節でも違和感はないと思うわ。……ん、完璧ね。行きましょうか。」

 

「とっても楽しみだわ。ホグワーツが勝つといいわね。」

 

「勝つわよ、きっと。……エマさん、行ってきますね。」

 

キッチンで洗い物をしているエマさんに呼びかけてみれば、彼女は微笑みながら近くに居るティムと一緒に私たちを送り出してくれた。ティムはどうもクィディッチに興味がないようで、今回は留守番をするとジェスチャーで主張してきたのだ。エマさんの手伝いをしてくれるつもりらしい。

 

「はーい、行ってらっしゃい。お嬢様によろしく言っておいてくださいね。」

 

「了解です。」

 

軽く手を振って応じてから、アビゲイルと二人で階段を下りて店舗スペースから外に出ると……うーん、生憎の小雨だな。パラパラと雨が降っているダイアゴン横丁の通りが視界に映る。マホウトコロは晴れていることを祈るばかりだ。

 

「私たちのポートキーの出発地点はすぐそこだし、このくらいの雨なら平気そうね。早歩きで行きましょうか。」

 

ダイアゴン横丁から出発するポートキーを予約してあるので、私たちはそこからロシアを経由してマホウトコロの競技場に移動する予定だ。玄関の屋根の下から手を出して、雨の程度を確かめてからアビゲイルの手を握った後、小雨の中を早足で歩き始めた。

 

しかし、どの店も見事に閉まっているな。ダイアゴン横丁の住人たちはみんな決勝戦の観戦に行くつもりのようだ。……そりゃそうか。ホグワーツが『クィディッチ世界一』の魔法学校になれるかの瀬戸際なんだし、イギリス魔法界の誰もが応援に行きたがるだろう。

 

ちょっとしたクィディッチブームが巻き起こっているダイアゴン横丁の住人たちが、小雨の中をちらほらと私と同じ方向に歩いているのを横目にしていると、アビゲイルが曇天を見上げながら話しかけてくる。

 

「……ねえ、アリス? 帰ったら私にも人形作りを教えてくれないかしら?」

 

「人形作りを? アビゲイルが作るってこと?」

 

「うん、そう。……ダメ? やっぱり人形が人形を作るだなんて変?」

 

「別にダメではないわ。私の仕事に興味を持ってくれたのは素直に嬉しいんだけど……でも、どうして急に?」

 

歩調を緩めながらアビゲイルに問いかけてみれば、彼女は少しだけ恥ずかしそうに俯いてから答えてきた。

 

「……人形を作ってるアリスがね、カッコよかったからよ。私もあんな風になりたいって思ったの。」

 

「それはまた、嬉しいことを言ってくれるじゃないの。」

 

「あとはね、ビービーのこともあるから。アリスはビービーが嫌いかもしれないけど、私はまだ好きなの。アリスとビービー。私が大好きな二人はどっちも人形作りだわ。だから私もそれになりたいって思ったのよ。……どうかしら? 教えてくれる?」

 

「ええ、勿論よ。私が人形作りになった切っ掛けも、作業机で人形を作っていた祖父の姿に憧れたからなの。帰ったら練習を始めてみましょうか。」

 

否などあるはずがない。望んでくれるのであれば、喜んで教えようじゃないか。私にとっては歓迎すべき提案だ。アビゲイルに笑顔で了承した後、ポートキーの出発地点である『ベルフラワーの小瓶』という名のパブの玄関を抜ける。ダイアゴン横丁だと、他には漏れ鍋やグリンゴッツなんかから出発する便もあるらしい。当然ながら大多数は魔法省からの出発だが。

 

「混んでるのね。」

 

「みたいね。手を離さないように気を付けて頂戴。」

 

混み合う店内を一瞥してアビゲイルに注意を送ってから、移動を取り仕切っているはずの国際協力部の職員を探していると……おっと、ここでの出発は顔見知りが担当しているようだ。見覚えのある短めの金髪が目に入ってきた。

 

「ロビン、久し振りね。」

 

「ええと、十時五十分発の方はこちらに……マーガトロイドさん! お久し振りです。決勝戦の観戦に行くんですか?」

 

「そういうことよ。十一時ちょうどの便でね。」

 

「羨ましいです。試合開始後にも便があるので、僕たち協力部や運輸部の職員はずっとイギリスで待機ですよ。観たかったんですけどね。」

 

未だに『着られている感』が抜け切らないスーツ姿で応答してきたのは、国際魔法協力部のロビン・ブリックスだ。若くして東欧の区長補佐になったと聞いたが、さすがに今日は駆り出されたらしい。忙しそうな彼に同情しつつ、ポートキーの場所についてを尋ねる。

 

「随分と忙しそうだし、世間話をしている暇はなさそうね。十一時出発のポートキーはどれなのかを教えて頂戴。」

 

「十一時は、えーっと……あれですね。あのテーブルの上にある割れた花瓶です。担当者も近くに居ると思います。」

 

「ありがと、行ってみるわ。仕事頑張ってね。」

 

「はい、僕の分もホグワーツの応援をお願いします。」

 

ふむ、ちょびっとだけ頼もしくなっているな。何だかんだでレミリアさんが目をかけていたようだし、そのお陰もあるのかもしれない。若い世代の成長を感じながら、少し離れたテーブルへと近付いていくと、先程ロビンが指示していた集団が移動したのが横目に見えた。つまり、私たちも十分後に出発だ。

 

「アビゲイル、移動するときはポートキーに手を触れつつ、私の手も握っておくようにね。じゃないと置き去りになっちゃう可能性があるから。」

 

「置き去りは悲しすぎるし、気を付けるわ。」

 

正直なところ、アビゲイルがポートキーの効力の及ぶ存在なのかは微妙なところだ。身体が人間のそれではないので、単独で触れただけでは移動できない可能性があるだろう。とはいえ、『ポートキーで移動する人物の所持している物』として移動可能なのは実証済み。北アメリカから連れて来た時にトランクの中に隠れていた彼女が移動できている以上、私と接触していれば万が一の事態は起こらないはず。

 

頭の中で思考を回しつつ、割れた花瓶の近くで移動の時間を待つ。……リーゼ様は咲夜を連れて招待客としてマホウトコロに入ったらしいが、どうして私たちのことも一緒に連れて行ってくれなかったのだろうか? 別に不満というほどじゃないし、当然といえば当然のことではあるものの、いつものリーゼ様なら『キミたちも一緒に行くかい?』と誘ってくれる気がするぞ。

 

何かこう、モヤモヤするな。常に私を優先してくれだなんて思っていないが、こういう時に声をかけてくれないのはちょっと寂しい。我ながら自分勝手だなと苦笑しつつ、離れた場所で十時五十五分の便が出発したのを確認していると、同じようなことを考えていたらしいアビゲイルが口を開いた。

 

「アンネリーゼとサクヤも観に行ってるのよね? 向こうで会える? どうせなら一緒に観たいわ。」

 

「どうかしら? リーゼ様たちは招待客だし、特別な席を用意してもらってるのかも。」

 

「そっか。……残念ね。」

 

「まあ、まだ分からないわ。着いたら探してみましょう。」

 

しょんぼりするアビゲイルの頭をぽんぽんと撫でた後、担当者の指示に従ってポートキーに歩み寄る。さて、そろそろポートキーでの連続移動か。あまり好きな感覚ではないし、気合を入れて臨んだ方が良さそうだな。

 

───

 

そしてダイアゴン横丁からロシアの僻地へ、そこから更にポートキーで移動した先には……これがマホウトコロが用意した競技場か。大したものじゃないか。試合日和の晴天の下には見事な『海上競技場』が広がっていた。

 

要するに、海だ。校舎がある島に程近い海上を、海に浮かぶ木造船で楕円状に囲むことでフィールドにしているらしい。平坦で巨大な木造船の上には階段状の観客席が並び、それが十、十五……全部で十八隻かな? 十八隻も使われている。かなり大きな船なので、一隻につき千五百人から二千人程度は座ることが出来そうだ。となると三万人くらいは収容できる計算になるぞ。凄まじいな。

 

隣接する船と船とは行き来が出来るように木組みの桁橋で繋がっており、私たちはその橋の真ん中にある少し広めの空間に到着したようだ。船がまず尋常ではない大きさなので、それを繋ぐ橋もそれなりの大きさになるわけか。ポートキーの到着地点としては全く問題のないスペースを確保できている。

 

……まさか、マホウトコロは今日のためにこれだけの船を造ったのか? 船や橋に使われている木材には真新しい白さがあるし、平時にここまでの収容数を必要とするとは思えない。恐ろしい話だな。基本的には海だから地面を整備しなくてもいいとはいえ、この規模の船を十八隻も造船するのはまともな魔法使いの所業じゃないぞ。

 

しかも橋には日差しを防ぐための立派な瓦の屋根があって、異国情緒漂う真っ赤な提灯が大量に吊るされているし、船上の観客席は一席一席が独立しているタイプだ。遠くだからよく見えないが、どうもクッションのような物もしっかりと備え付けられているらしい。

 

たった一回使うだけにしては豪華すぎる海上競技場を見て、マホウトコロのクィディッチに対する情熱を改めて実感している私に、あんぐり口を開けっ放しのアビゲイルが感想を呟いてきた。そりゃあ驚くだろう。私だって驚いているのだから。

 

「すっ……ごいわね。凄く凄く大きな船。あんなの初めて見たわ。」

 

「ええ、見事な競技場ね。面子を保つ以上の出来栄えだわ。決勝戦に相応しいと言えるんじゃないかしら。」

 

「行きましょ、アリス。早く行きましょうよ。私、私、とってもワクワクしてきたわ!」

 

「そうね、先ずは席を探……あら、お店も出てるの? そっちを見ながら空いてる船を選びましょうか。」

 

どうやら船同士を繋ぐ橋には出店が出ているらしいが、私たちが今居る橋にはないから……なるほど、ポートキーの到着地点になっている橋と出店がある橋が交互になっているということか。さすがに出店を巡る人で賑わう地点に到着させるのは危険だと考えたようだ。

 

それならとりあえず出店がある橋を目指そうと、アビゲイルの手を握り直して歩き出す。今気付いたが、遠くに一基だけ形の違う橋があるな。他の橋より幅があるし入り組んでいるぞ。その周辺には観客席になっている船とは別の小さな木造船が犇いている。『小さな』というか、比較しているからそうなってしまうだけでそっちの船も結構な大きさだが。

 

古臭い帆船の帆にはロシア魔法議会の所属を表す双頭の鷲が、四角い箱のような独特な形状の船には香港自治区の紋章が、そして一際目立つ近代的な鉄の船にはマクーザの所属を意味する鷲と五十の星を描いた旗が掲げられている。どうもあの橋は船で訪問した魔法使いたちを受け入れるための『港』になっているようだ。

 

スケールがとにかく大きいなと呆れたような、感心したような微妙な気分になりつつも、『巨大観客席船』の内部にあった通路……階段状の観客席の下は窓がある板張りの通路になっていた。を通過して出店が並んでいる橋に移動していくと、日本語や拙い英語の呼び込みの声が耳に入ってくる。店を出しているのはもちろんマホウトコロの生徒ではないし、教師でもなさそうだ。日本魔法界の魔法使いたちが商売をしているらしい。

 

カラフルな布の屋根には売っている商品の名前が大きく書かれており、それが桁橋の左右に隙間なく並んでいるわけだが……香港自治区を思い出す雰囲気だな。ごちゃごちゃしているというか、忙しないというか。日常から切り離された空間って印象を受けるぞ。

 

「何か欲しい物はある?」

 

自分も好奇心を擽られながら聞いてみれば、私より遥かにワクワクしている様子のアビゲイルが問い返してきた。その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

 

「いいの?」

 

「今日は特別よ。好きな物を買ってあげるわ。」

 

「じゃあ、じゃあ……あれ! あの真っ赤な飴。あれがいいわ。」

 

アビゲイルが指差しているのは、屋根に『りんご飴』と書かれている出店の商品だ。りんご飴? トフィーアップルのことか? 英日の食文化の共通点を興味深く思いながら近付くと……うーむ、油断も隙もない商売をしているな。商品の下にあるボードには、ありとあらゆる魔法界の通貨で値段が書かれていた。どの国の魔法使いでも買えるようにしているわけか。

 

「わざわざ日本魔法界の通貨を用意してきた私がバカみたいね。」

 

他の店も同じようなシステムらしいし、余計な気遣いをしちゃったな。そのことに苦笑してからりんご飴を二本買って、アビゲイルと二人で舐めながら先に進む。まんまトフィーアップルだ。やけに赤いし、こっちでは飴を染めるのかもしれない。リンゴの味もちょびっとだけ酸味が弱いかな?

 

そのままクレープや焼きそば、綿飴なんかの出店を覗きつつ移動していって、何故か生きている亀を扱っている店を怪訝な思いで通過した後、到着した観客席船の階段を上って空いている席を探し始めた。ここは船での客が到着する場所から一番遠い位置だし、人の流れを考えれば比較的空いているはず。ベストな選択だと言えるだろう。

 

「どう? 空いてる?」

 

「うん、まあまあ空いてそうよ。……可愛いクッションね。真っ赤だわ。飴も赤いし、紙のライトも赤いし、クッションも赤。日本の人たちは赤が好きなの?」

 

「んー、そうなのかもしれないわね。ここにしましょう。」

 

綿飴とりんご飴を両手に持ったアビゲイルに応じつつ、赤い小さなクッション……座布団って言うんだっけか。が置かれた椅子に並んで座る。木の肘掛けにはドリンクホルダーがある上、ちょっとした細工まで入っているな。こんなところまで拘るとは驚きだぞ。

 

何かこう、ここまで来ると少々不気味にも思えてしまう。日本魔法界は今回のイベントをどう捉えているのだろうか? 身も蓋もない言い方をすれば、あくまで学生のスポーツトーナメントなのに。一体どれだけの予算を使ったんだ?

 

ともすれば神経質とさえ言えそうな拘りっぷりを見て、やや引きながら改めて競技場を見渡してみると……ふむ、フィールドには大量のブイが浮かんでいるな。ゴールポストなんかは鎖で動かないように固定されたブイに突き刺さっているらしい。

 

こうなるとホグワーツ、若干不利じゃないか? 空間の大きさこそ規定通りなものの、普通の競技場とは全然雰囲気が違うし、初見で試合をするホグワーツ代表陣は戸惑いそうだな。現地に到着した昨日の段階でこの競技場を確認できていることを祈るばかりだ。

 

ちなみに観客席は七割以上が既に埋まっているため、出店を見ている人たちの数も含めればほぼ満席になるわけだが……三万人か。そう考えると魔理沙は凄い舞台で試合をすることになりそうだ。緊張していないかな?

 

まあ、あの子なら大丈夫か。むしろ調子を出すだろう。魔理沙の胆力の強さを思って苦笑していると、私たちに向かって誰かが声を……リーゼ様? こちらに歩み寄ってきたリーゼ様が声をかけてきた。咲夜も一緒だ。これだけ広い会場でよく私たちのことを見つけられたな。

 

「やあ、二人とも。」

 

「リーゼ様、よくここに居るって分かりましたね。」

 

「シラキに手伝ってもらったのさ。マホウトコロはどうも、カンファレンスでの失敗を気にしているようでね。警備に複雑な魔法を使っているらしいんだ。杖の反応から個人を特定することくらいなら可能みたいだよ。」

 

「……警備上有用ではありますけど、ちょっと怖くなりますね。」

 

どういう仕組みになっているんだ? まさか各国から魔力反応の情報を提供してもらったわけではないだろうし、魔法の構造がさっぱり分からないな。首を傾げる私に、リーゼ様は肩を竦めて詳細を教えてくれる。

 

「その椅子に魔法がかかっているんだよ。座った魔法使いが所持している杖を判別する魔法がね。イトスギにユニコーンの毛、29センチ。それを見つけてもらったわけさ。」

 

「どの杖の持ち主がどこに座っているのかが分かるってわけですか。犯罪抑止というよりも、その後の捜査を手助けする類の仕組みですね。」

 

「抑止の仕掛けは他にあるらしいし、日本の闇祓いも私服でうじゃうじゃしているぞ。二度もテロを起こされたら面目丸潰れだからね。マホウトコロもそれなりに必死なわけさ。……アビゲイル、楽しんでいるかい?」

 

皮肉げな笑みで説明を締めたリーゼ様に呼びかけられて、アビゲイルはにっこり微笑みながら首肯を返す。りんご飴と綿飴はもう食べ終えたらしい。早業だな。

 

「とっても楽しいわ。アンネリーゼとサクヤも一緒に観られる? それならもっと楽しくなりそうなんだけど。」

 

「それも悪くないが、ちょっとキミを連れて行きたい場所があるんだ。」

 

「私を? どこに?」

 

「んふふ、それは着いてからのお楽しみだよ。……アリス、咲夜と一緒に観戦しておいてくれたまえ。代わりにアビゲイルを借りるぞ。」

 

いつもの笑み……か? 何だか少しだけリーゼ様っぽくない笑顔な気がするぞ。どこが違うとは明言できないものの、僅かな違和感がある笑みで言ってきたリーゼ様に、怪訝な気分で質問を送った。何故かは分からないが、何となく不安になってくるな。

 

「でも、そろそろ試合が始まりますよ? 最初から観た方がいいでしょうし、終わってからじゃダメなんですか?」

 

「なぁに、すぐ戻るよ。どうせ序盤は試合が動かないだろうさ。」

 

「だけど……それなら、私も一緒に──」

 

「キミには咲夜を頼みたいんだよ。この子は魔理沙のことが心配だろうしね。最初から最後まで観ておきたいはずだ。」

 

まるで用意しておいたかのようなスピードで私の反論を封じたリーゼ様は、アビゲイルの手を取って移動しようとする。その姿を目にして理由の判明しない不安を増している私に、アビゲイルが小さく息を吐きながら口を開いた。

 

「アリス、行ってくるわ。アンネリーゼが一緒だから平気よ。」

 

「そう? それならいいんだけど、早めに戻ってきてね?」

 

「うん、そうする。……ばいばい、アリス。」

 

「アビゲイル?」

 

どことなく寂しそうにも見える表情で手を振ってきたアビゲイルへと、私が思わず呼びかけるが……彼女は背を向けてリーゼ様と一緒に遠ざかって行ってしまう。この嫌な感じは何なんだろう? どうして私はこんなに不安になっているんだ?

 

遠くで付添い姿くらましをした二人を見送った後、胸の奥底の焦燥がそろりそろりと喉元まで迫り上がってくるのを自覚していると、隣に座った咲夜がフィールドを指差して声を上げる。彼女の様子は普段通りだ。やや緊張しているのは魔理沙のことを案じているからだろう。

 

「アリス、審判が出てきたよ。そろそろ始まるみたい。」

 

「そうね、そろそろ始まりそうね。……咲夜、リーゼ様から何か聞いてない? あるいは様子が変だったとか、気になったことは?」

 

「特に何も聞いてないけど……変だったって言うか、この競技場に着いてから機嫌はちょっと悪かったかも。海の上だからって言ってたよ? 吸血鬼にとっては楽しくない競技場なんだって。」

 

「それだけ?」

 

確たる理由のない曖昧な不安。それに駆られてもう一度尋ねた私に対して、咲夜は何かを思い出したような顔付きで懐から取り出した小さな布の袋を見せてきた。

 

「あとはホグワーツを出る時にこれを持っていけって言われたくらいかな。ラメット先生たちの安全を確認する時に使った退魔のお札が入ってるんだけど、よく分からない土地に行くから万が一の際の自衛用に一応持っておけって。……まあ、こんなの無くても能力があるから平気だと思うけどね。」

 

「万が一? ……咲夜、悪いんだけど席を確保しておいてくれない? すぐ戻るから。」

 

「ええ? もう始まっちゃうよ?」

 

「ごめんね、どうしても気になるの。」

 

不満げな咲夜に謝ってから、席を立ってリーゼ様たちが姿くらましをした場所へと走る。理性は意味不明な杞憂だと主張しているが、感情は二人を追えと急かしてくるのだ。二人に追いついて、どうして追ってきたのかと苦笑いで呆れられたい。単なる思い込みであって欲しい。

 

そんなことを考えながら到着した場所には……よし、ギリギリ跡追い姿あらわしが出来そうだ。まだ微かな呪文の痕跡が残っていた。素早く杖を構えて、痕跡を辿って私も姿あらわしを使う。

 

使い慣れた姿あらわしの感覚に身を委ねつつ、アリス・マーガトロイドは自身の胸の中の不安がただの杞憂であることを願うのだった。

 


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