Game of Vampire   作:のみみず@白月

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アビゲイル

 

 

「この辺でいいんじゃないかしら? アンネリーゼ。近くに人は居ないと思うわよ?」

 

姿あらわしで移動してきたマホウトコロの大橋。確か『濯ぎ橋』と呼ばれているんだったか? そこを少しだけ歩いたところで話しかけてきたアビゲイルへと、アンネリーゼ・バートリは小さく首肯していた。『連れて行きたい場所がある』というあの場での適当な言い訳を気にも留めていないあたり、どうやら私の話の内容に勘付いているらしいな。この期に及んで余計な小芝居を打つ気はないというわけだ。潔いじゃないか。

 

「まあ、別にいいよ。邪魔が入らなければ何処でも良かったしね。……さて、それじゃあ──」

 

静けさに包まれている湖面を横目にいざ話を始めようとしたところで……むう、来ちゃったのか。視界の隅に見覚えのある姿が映る。アリスが私たちを追って来てしまったようだ。上手いこと競技場に留められたと思ったんだけどな。

 

私たちの方へと駆け寄ってくるアリスを見つつ、苦笑いでどうしたもんかと考えていると、アビゲイルもまた苦笑を浮かべて口を開いた。ひどく大人びた、皮肉げな表情でだ。あの日のベアトリスの笑みと似通ったものを感じるぞ。

 

「結局のところ、何をしても役者は揃うようになっているのよ。それが良い劇ってものだわ。」

 

「……いいさ、こうなったらアリスにも聞いてもらうだけだ。舞台は決まり、役者も揃った。最後の幕を上げようじゃないか。」

 

「そうね、三人で楽しみましょ。……私もアリスには気付かれないままで終わりたかったんだけどね。」

 

やはりアリスのことを気に入っているのは嘘ではないわけか。困ったような声色でアビゲイルが呟いた直後、追いついてきたアリスが声をかけてくる。

 

「あの、リーゼ様。すみません、何だか気になっちゃって。自分でもバカバカしいとは思うんですけど、どうしても──」

 

「そこまでだ。……いいんだよ、アリス。キミはある意味では正しい行動をしているんだから。」

 

上げた手を肩越しに示して私の背後に立つアリスの発言を止めてから、眼前に立つアビゲイルへと問いかけを飛ばす。私とアビゲイルだけで決着を付けるつもりだったが、もはやアリスを退場させるのは難しいだろう。ならば彼女も舞台に上がったままで話を進めるしかあるまい。……最初からこうなる運命だったのかもな。アビゲイルの言う通り、役者が揃ってこその終幕なわけか。

 

「では、私の推理を披露していいかい? アビゲイル。謎解きのシーンを始めようじゃないか。」

 

「ええ、聞くわ。聞かせて頂戴、アンネリーゼ。貴女が導き出した答えを。」

 

黒いロングスカートを摘んで可愛らしくお辞儀したアビゲイルへと、私も胸に右手を当てて一礼してから話し始める。アリスはそんな私たちのことを無言で見つめたままだ。もしかすると見たくないものから無意識に目を逸らしていただけで、聡明な彼女も『真実』に薄々気付いていたのかもしれない。

 

「先ずは……そうだな、五十年前の事件についてだ。あれはつまり、アリスのことをテストしていたんだろう? キミの目的を達成するための重要な役割として相応しいか、相応しくないかをね。」

 

「リーゼ様、アビゲイルは五十年前の事件のことを知りません。彼女はその頃北アメリカでベアトリスの帰りを待って──」

 

「その答えは近いけど、正確じゃないわ。あの時の『私』は自分と近い魔女を見つけたから、単にちょっかいをかけてみようと思ってただけなの。目的を明確に定めたのは五十年前の事件が終わった後よ。アリスを知ったから、『ベアトリス』は始めたってことね。」

 

「……アビゲイル?」

 

スラスラと答えたアビゲイルのことを呆然と見つめるアリスに、金髪の人形はクスクス微笑みながら肩を竦めた。今までの彼女らしからぬ、どこか芝居じみた動作でだ。

 

「仕方がないのよ、アリス。私が犯人の役なのであれば、劇の佳境とも言える『対決』の場面でつまらない嘘を吐くわけにはいかないわ。探偵さんの推理が正しい時、それを堂々と認めるのが良い犯人の役目なんだから。そうでしょ? アンネリーゼ。」

 

「その通りだ。だからこそ私は一礼してから推理を始めたんだよ。後から舞台に上がる探偵役として、無様に足掻いて劇を濁そうとしない先達に敬意を表したわけだね。」

 

「貴女のそういうところ、好きよ。良い役者が相手だったから、私も頑張って演じられたのかも。……それじゃあ続きをどうぞ、探偵さん。」

 

戯けるように手のひらを差し出してきたアビゲイルに対して、ため息を吐きながら続きを語る。ベアトリスが最期の瞬間まで役者であることを貫き通したように、アビゲイルもまた自身のアイデンティティに反することは出来ないというわけか。

 

「とにかく、五十年前の事件を通してキミはアリスに目を付けたわけだ。そして計画を立て、準備を重ね、去年の夏に実行し始めた。『生まれ変わる』ための計画をね。」

 

「うん、そこまでは正解。私は棄てたかったの。惨めな生を棄ててやり直したかったのよ。ミリエル司教に出会って清く正しい生を見つけた、ファヴロールのジャンのようにね。……まあ、彼と同じでこうして過去に追いつかれちゃったわけだけど。私と違って自ら過去を受け容れているあたり、彼の方がより『哀れな人』なのかもしれないわ。」

 

「哀れな人々の物語についてを議論する気はないよ。私はあの小説が嫌いだからね。……計画のために、先ずキミは混乱を作り出そうとしたわけだ。アリスの指名手配、国際魔法使い連盟本部でのテロ、ホームズの暴走。こんなことをして何の意味があるのかと私たちは混乱していたわけだが、キミにとっては混乱そのものが目的だったんだろう?」

 

「基本的にはそうだけど、一応申し訳程度の意味はあったのよ? パリでの開演の知らせやホームズの顔、アリスの指名手配なんかは動機付けね。貴女たちにはベアトリスを追ってもらわなくちゃいけなかったの。じゃないとその途上で私と出会うことが出来ないでしょう? とっても可哀想な、捨てられた人形に。」

 

最初から劇のシナリオ通りだったわけだ。私たちはベアトリスを追っていたのではなく、追わされていた。あの北アメリカの放棄された工房での、『アビゲイルとの出会い』というシーンにたどり着くために。

 

まんまと操られていたことに鼻を鳴らす私へと、アビゲイルは橋の欄干に寄り掛かりながら説明を続けてくる。いやに饒舌だな。彼女が思う『良い犯人』はそういうタイプなわけか。

 

「自分たちの意思で、かつ自分たちの力で私を見つけてもらう必要があったのよ。あからさまに誘導しちゃうと怪しいでしょう? ……あの情報屋の厄介さはエリック・プショーとしてパリに住んでいた頃の経験で知ってたから、彼女を頼れば遠からず北アメリカの工房にたどり着いてくれると考えたの。ちなみに鈴の魔女にちょっかいをかけたのは香港自治区の線を使おうとした時に備えての保険で、ニューヨークのミストレスの線から追い始めたのは私にとっても予想外だったわ。まさか貴女とあの方に繋がりがあったとはね。あの方の力があれば私を見つけないままで一足飛びにベアトリスに到達したかもしれないし、そこはちょっと危ない部分だったのかも。」

 

「ホームズが委員会の議長に就いた件や、国際間の騒動、そしてマクーザを滅茶苦茶にしたスキャンダルについてはどうなんだい? 混乱を助長するための一手だったのか、キミのささやかな『復讐』だったのか。そこまでは判別がつかなかったよ。」

 

「判別がつかないのは当然よ。後ろの二つは両方の意味を持っているんだから。混乱を大きくするついでに、旧大陸や北アメリカを引っ掻き回してやろうと思ったの。無責任にスカウラーを送り出した旧大陸の魔法界と、連中を根絶し切れなかった無能なマクーザへのちょっとした嫌がらせってわけ。あくまで『おまけ』であって、大して拘ってはいなかったけどね。……でも、委員会の件だけは性質が違うわ。ゲラート・グリンデルバルドをどうにかして巻き込みたかったのよ。本来の計画ではスカーレット派に手を出すことでレミリア・スカーレットを『混乱の要』にする予定だったんだけど、念のためグリンデルバルド側にも干渉できるように両者が関わっている委員会にホームズを食い込ませておいたの。いきなりスカーレットが消えちゃった時は焦ったし、事前にグリンデルバルドにも紐を付けておいて正解だったわ。魔法界を混乱させたいなら、二人のうちどちらかを舞台に引き摺り出さないとね。」

 

「なるほどね、上手い一手だったと思うよ。混乱によって停滞を生んだわけだ。私たちが北アメリカでキミを見つける前に、アリスを取り巻く状況が落ち着いてしまうと困るからね。……あとはまあ、ベアトリスが分かり易く悪事を重ねれば重ねるほど、私たちの認識における彼女の存在が大きくなってキミが目立たなくなるってとこか? 追う理由が増えて必死になれば自ずと視野も狭くなるしね。」

 

ホームズの悪足掻きも、連盟でのテロも。何か明確な目的があってのことではなく、盤上を膠着させるための一手だったというわけだ。私が放った言葉を受けて、アビゲイルはこっくり頷いてから声を上げた。

 

「ベアトリスを全ての犯人に仕立て上げる必要があったのよ。可哀想なアビーを捨てた『悪い魔女』の役にね。それに、状況が落ち着いちゃうとアリスが自由に動けるようになるわ。それじゃ意味がないの。少なくとも私のことを気に入ってもらえるまでは、なるべく近くで生活しないとだから。」

 

「そしてキミが見つかった後はとんとん拍子だ。ホームズは呆気なく失脚し、アピスがベアトリスを見つけた。その間にアリスとの仲を深めた可哀想な人形は、ベアトリスが死んだ後も私たちと一緒に仲良く暮らせるってわけだね。」

 

「そうね、ハッピーエンドよ。……それじゃあダメ? 生まれ変わった人形は何にも悪いことはしないわよ? エマのお手伝いをして、アリスとお買い物に行って、貴女とチェスを楽しむわ。とっても楽しい、理想の生活。私が手に入れられなかった温かな生活。『こうして人形はみんなと一緒に幸せに暮らしました。めでたしめでたし。』……それが結末でいいじゃないの。」

 

「ダメだ。もう私が気付いてしまったからね。その生活が作られたものだということに。」

 

私はそれを許容できない。そう決めたからこそこうして舞台に上がったのだ。否定を口にした私を見て、アビゲイルは悲しそうな微笑みで小さく息を吐く。

 

「……一番予想外だったのはベアトリスね。あの子ったら、最後の最後で計画と違う行動をしたわ。自分が操られていることに気付いて、糸を引き千切ろうとしたのよ。自分で結んだ糸なのに。」

 

「そこが少し分からないんだ。……そもそも、キミはいつ『ベアトリス』になったんだい? 五十年前の事件を終えた後、北アメリカの工房で入れ替わったのだと私は推理しているが。」

 

「ヒントはあの絵ね? 私とベアトリスが額を合わせているあの絵。それで正解よ。……でもね、入れ替わったわけじゃないの。私もベアトリスも等しく『ベアトリス』なのよ。分かる? 入れ替わったんじゃなくて、記憶をコピーしたってこと。つまり、本物のベアトリスはむしろ彼女の方なわけ。」

 

「まあ、その点は予想通りだよ。『偽物は嫌い』、『スワンプマン』、『記憶と記録』、『オリジナルであるという主張』。灰色の魔女は会話の随所でこれでもかというくらいにヒントを提示してくれたからね。とはいえ、だからこそ私は混乱させられたんだ。……要するにだ、一連の計画を立てたのは拳銃自殺をした方のベアトリスってことだろう? 彼女は自分が構築した計画に、自分自身で疵を付けたわけだね。そこがどうにも意味不明だったのさ。……教えてくれたまえ、そもキミたちは自己というものをどう認識しているんだい? キミたちのその点に対する考え方が常識的なそれと違いすぎるから、私は混乱したんだと解釈しているんだが。」

 

つまるところ、魅魔の記憶で見た少女は拳銃自殺をした女と確かに同一人物だったわけだ。あの女こそが『オリジナル』のベアトリスであり、人間の魔女であり、この戯曲を執筆した張本人であり、三百年を生きた人外だったということになる。魔女の誓約は嘘ではないという自分のカンを信じて正解だったな。

 

にも拘らず、ベアトリスは自身の書いた脚本通りに行動するアビゲイルと『対立』した。自分が自分の意思で生み出したもう一人の自分と相反したわけだ。脚本には書かれていない台詞で自分自身の『悪役』という役どころに疵を付け、あまつさえ計画全体の目的であるはずのハッピーエンドの崩壊を望むってのは……まあうん、お世辞にも一貫性のある行動だとは言えないだろう。

 

ベアトリスの二面性。そのことを頭に浮かべて問いかけた私へと、アビゲイルはむむむと腕を組みながら解説してきた。

 

「この感覚を説明するのは難しいんだけど、『私』は点在しているのよ。エリックも、ミーナ……五十年前に図書館の魔女と戦ったあの子も、ベアトリスも、アビゲイルも全部『私』なの。昔から人形に意識を移して操っていたから、今や自己なんてものは大した意味を持っていないわけ。コピーだろうが私は私。私を幸せにするために私が犠牲になるのはそうおかしなことじゃないでしょ?」

 

「私からすれば絶対に嫌だがね。今ここに居る私こそが私だ。同じ記憶を持っていようが、別の存在は私じゃないよ。同じカタチをしているだけの他者さ。」

 

「んー、こればっかりは価値観の違いじゃないかしら? とにかく私たちにとってはそこまで拘りがないの。もう薄れちゃってて重要じゃなくなってるのよ。……そう思ってたんだけどね。やっぱり『オリジナル』は何か違うのかも。土壇場で自己を主張し始めたわ。どこかの段階で記憶を取り戻したみたい。」

 

「記憶を? ……やはりベアトリスはキミに記憶をコピーしたという記憶を消されていたわけか。」

 

そうだ、それならベアトリスの一貫性のない行動にも筋が通る。去年の末に北アメリカの工房を焼いたのは、その時期に記憶を取り戻したからだったのだろう。戯曲に登場する前の『アビゲイル』を始末して、『ベアトリス』を生き延びさせようとしたわけだ。

 

「消されたというか、北アメリカで私を誕生させた後に自分で消したのよ。それと同時に頭を弄って偽の目的を植え付けたわけ。『ベアトリス』を計画の一部分にするために、自らを『操り人形』に作り替えたってことね。……今思えば、その行動が既に矛盾してたわ。そもそもベアトリスが考えた計画なんだから、わざわざ記憶を消す必要なんてなかったわけでしょ? 普通に記憶を保持したままで私のために死んでいく方が確実だったはずよ。それなのに自分の記憶を消して計画を実行させるための人形にしたのは、何かしらの葛藤があったからなのかも。……何れにせよ、そこまでは私にも分からないわ。私が持っている記憶はベアトリスが私にコピーした時点までの記憶だから。」

 

「恐らくベアトリスは自分自身の行動に疑問を抱いたんだろうさ。私たちから見てもチグハグな行動だったんだから、やってる本人からすれば言わずもがなだね。そして自分を調べてみた結果、記憶を取り戻したというわけだ。……怖くなったんじゃないかな。自己が消え去ることが、そしてコピーであるキミが『自分ではない自分』としてのうのうと生き延びることが。感情ってのは変わるものなのさ。キミに記憶をコピーした時は受け容れられていたことでも、いざとなってみたら躊躇いが生じる。非常に人間らしい変化だと思うよ。」

 

「諧謔を感じるわ。魔女として生まれ、無数の人形を操り、自分のことまで人形にした人外は、最後の最後で人間らしい後悔を抱えちゃったわけね。役者という立場を守りつつ、人間としての抵抗もするだなんて……どっち付かずよ。自分のことながら理解に苦しむわ。」

 

「それが人さ。そしてその人間としての抵抗がこの状況に繋がったんだ。五十年前にクロード・バルトに敗北したように、今度は『ベアトリス』に敗北したんだよ。自分自身の中に芽吹いていた僅かな人間性が、魔女としての計画にヒビを入れたわけだね。」

 

どこまでも救えない話だな。ベアトリスはあの瞬間、何を思って自分の頭を撃ち抜いたんだろうか? 自身が書いた戯曲に踊らされた女。報われないと分かっていても演技をやめなかった役者。観客だった私に名探偵の役を与えて退場した魔女。ここまで哀れな死に様はそう無いぞ。

 

虚しい感情を覚えながら眉間を押さえていると、ずっと黙って私たちの問答を聞いていたアリスが青い顔で質問を寄越してきた。震えるようなか細い声でだ。

 

「私、どういうことなのか……よく分かりません。アビゲイルは、彼女は、どういうことなんですか?」

 

「……つまり、ベアトリスは五十年前にキミと出会って一つの計画を立てたんだよ。悪しき魔女としての、嫌われ者としての生を棄てて、幸せな第二の生を手に入れるための計画を。キミはそのための最も重要なピースとして選ばれたのさ。面倒見が良くて、善良で、魔女なのに人間に愛されるキミは……ベアトリスにとってさぞ美しいものに見えたんだろうね。だからベアトリスはキミを『母親』に選んだんだ。自身を庇護し、導き、幸せを与えてくれる役割に。もう二度と同じ場所に落ちないために、手を引いてくれる存在としてキミを選んだんだよ。」

 

「うん、そういうことね。私、アリスのことが大好きよ。だって、私が欲しかったものを全部持っているんだもの。人間の友達も、優しい保護者も、頼りになる師匠も、可愛らしいお姉さんや慕ってくれる妹たちも。全部全部私が欲しくて、それなのに決して手に入らなかったものばかりだわ。……だからね、私もその一員になりたくなったの。生まれ変わって明るい場所でアリスと一緒に過ごせば、今度こそ幸せな生が送れると思ったのよ。」

 

「全部そのためだったの? 私と一緒に過ごすためだけに魔法界を混乱させて、挙句『自分』を殺したの?」

 

呆然と呟くアリスに対して、アビゲイルは切なそうな表情で返事を返す。

 

「そうよ、たったそれだけのための計画だったの。貴女にとっては当然の世界でも、私にとっては全てを犠牲にしてでも手に入れたかったものだったのよ。……きっとアリスには理解できないんでしょうね。だからこそ私は貴女を選んだの。私とは正反対の生を送っている貴女を。」

 

「……単なる演技だったの? エマさんと一緒にケーキを作ったり、私の店の手伝いをしてくれていたアビゲイルは全部演技だったの?」

 

「分からないわ。もう私には演技と本心の区別がつかないの。『本物の自分』なんてとっくの昔に薄れて消えちゃってるのよ。……私はベアトリスの記憶を持っているけど、同時に間違いなく『アビゲイル』でもあるわ。記憶をコピーされる前の、アビゲイルという自動人形だった頃の私がベースになっているんだから。どちらが主体なのか、どちらが付随しているのかはもう判別できないけど……でも、あの時私は確かにアビゲイルで、アリスやエマとの生活を心から楽しんでいた。それじゃあダメかしら?」

 

寂寥を湛えた微笑で申し訳なさそうに言うアビゲイルを見て、アリスは泣きそうな顔で口を噤む。……本当に正反対の二人だな。だけど、アリスだって最初から全てを持っていたわけではない。彼女だって色々なことを踏み越えて今の生活を手に入れたのだ。ほんの僅かな切っ掛けさえあれば、ベアトリスだって彼女と同じものを手に入れられていただろう。

 

だが、そうはならなかった。私とパチュリーがアリスを引き取ったように、魅魔はベアトリスを迎え入れはしなかった。死別するまでの十年間でアリスの両親と祖父は彼女に愛を惜しみなく与えたが、ベアトリスにはそれを与えてくれる存在が居なかった。アリスには沢山の人が沢山のことを教えたが、ベアトリスには誰も教えてくれなかった。

 

望まれぬままに生まれて、望まれぬままに生きた魔女。文句の付けようもない悲劇だな。そんなベアトリスの……いや、『ベアトリスたち』の最後の望みを踏み潰したのが自分であることを自覚しつつ、諦観の雰囲気を漂わせている人形へと疑問を投げる。

 

「ちなみにその姿は子供の頃のアリスを真似たのかい? 私の同情を引くために、アリスから親近感を引き出すために。……だとすれば成功だったのかもしれないね。未だに自覚は出来ていないが、どうも私はキミに対してやや甘めの対応をしていたようだし。」

 

「いいえ、違うわ。左足やタンクが壊れていたのは同情を引くためだし、古臭い球体関節は人形であることを際立たせるための一つの要素なんだけど、見た目に関しては別にアリスに似せてあるわけじゃないの。他に仮説は思い浮かばなかった?」

 

「……であれば、キミのモデルはあの絵の少女か。」

 

「うん、大正解。私は『ビービー』が作った『アビー』よ。ベアトリスという人外が始まった時、唯一優しくしてくれた女の子がモデルなの。私が一番最初にアリスに惹かれたのは、あの子と見た目が似ていたからなのかもね。……未だに分からないわ。あの子は最後に私を裏切ったのか、それとも助けようとしてくれたのか。それが分からないから今までずっと迷っていたのかも。……とにかく、私の姿や性格はその女の子がモデルになっているの。この姿はベアトリスにとっての『幸せ』の象徴なのよ。だから私が幸せになる一体として選ばれたってわけ。」

 

魔女ベアトリスという人外を形作った『迷い』。私たちには知る由もないそのことについてを語ったアビゲイルへと、深く息を吐いてから口を開いた。

 

「まあ、答え合わせはこんなところかな。……私はキミを殺すよ。今度こそね。それで劇は終わりだ。」

 

「抵抗はしないわ。アビゲイルは戦うことも、泣くことも出来ない愛すべき人形だから。……んー、惜しかったわね。結構良い出来の台本だと思ったんだけど、中々思い通りにはいかないみたい。私が欲しかったものは積み重ねてこそ手に入るものであって、ズルして楽に得ようとするのは土台無理だったってことなのかしら。」

 

「良い出来だったよ。グラン・ギニョール座での三文芝居とは大違いだ。ベアトリスの抵抗が無ければ気付けなかっただろうしね。」

 

「あら、嬉しいわ。辛口の貴女に褒めてもらえるだなんて光栄よ。」

 

芝居がかった動作で一礼したアビゲイルに、アリスが絞り出すような声量で声をかける。

 

「……もしリーゼ様が気付かなかったら、貴女は『アビゲイル』のままで幸せに暮らせたの?」

 

「そうかもしれないけど、もう意味のない話よ。アンネリーゼもアリスも気付いちゃったでしょ? ならもう無理。その上で一緒に幸せに暮らすだなんて不可能ね。……アリス、アンネリーゼのことを恨んじゃダメよ? 彼女は私たちに少しだけの猶予をくれたんだから。そうでしょう? 黒髪の探偵さん。」

 

「……整理しきれなかっただけだよ。」

 

「今日の貴女は嘘が下手ね。……ありがとう、アンネリーゼ。お陰で幸せを味わえたわ。たった半年だったけど、私がずっと望んでいた生活を体験することが出来た。とっても甘くて、ふわふわしていて、温かい生活だったの。」

 

そう言った後で瞑目して思い出を噛み締めるように微笑んだ人形は、葛藤している様子のアリスへと話しかけた。綺麗な笑顔でだ。

 

「さようなら、アリス。今更言ったところで信じてもらえないかもしれないけど、貴女のことが大好きなのは本当よ。随分と良くしてもらったし、エマにもお礼を伝えておいてくれないかしら? 楽しかったわ。本当に楽しかった。」

 

「アビゲイル、私は──」

 

「アンネリーゼ、やって頂戴。ベアトリスと同じように、私を役者のままで終わらせて。惨めな去り際は嫌いなの。」

 

「ああ、そうしよう。」

 

意志の強さを感じる青い瞳で促してきたアビゲイルへと、手加減一切無しの妖力弾を撃ち込む。アリスはもっと話したいだろうが……仕方がない、今だけはアビゲイルの願いを優先してやろう。観客として、そして同じステージに立った役者としてのせめてもの敬意だ。彼女が演じた戯曲はそれに値するものだったのだから。

 

「待ってください、リーゼ様!」

 

アリスがアビゲイルに駆け寄りながら手を伸ばす中、その必死な姿を見た青い瞳の人形はホッとしたようにポツリと呟く。全てを諦めているような、それでいてようやく叶ったような、どこまでも儚い微笑でだ。

 

「さようなら、私の──」

 

轟音と、爆風。桁橋の一部を吹き飛ばした爆発の後、そこには波紋で歪む湖面だけが広がっていた。アリスが力無く膝を突いて転がってきた木片……色からして橋の残骸ではなく、アビゲイルを形作っていた一部だろう。を手に取るのを横目に、真っ暗な頭上を見上げて深々とため息を吐く。

 

アリスに恋焦がれた魔女。人間を求め、魔女として生きた彼女は結局人形として死んだわけだ。自らに糸を付け、最後はそれに抗おうとしたベアトリスも、自身の人間性に台本をひっくり返されたアビゲイルも。

 

誰も救われない戯曲だったな。悲劇か。人間の書く悲劇というのは、吸血鬼にとっての喜劇だったはずなのだが……魔女が書くそれは掛け値なしの悲劇であるらしい。見事であればあるほど、後味の悪さが際立ってくるぞ。

 

木片を握り締めて俯くアリスを見守りつつ、アンネリーゼ・バートリは長い劇の幕が下りたことを感じるのだった。

 


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