Game of Vampire 作:のみみず@白月
「さあ、クィディッチはもう終わりよ。今日からは勉強の時間。休み無しのね。」
テーブルに載っているクィディッチ雑誌を容赦なく片付けるハーマイオニー先輩を前に、サクヤ・ヴェイユは尤もだと大きく頷いていた。ワールドカップのことなんか話している場合じゃないだろうに。特にポッター先輩あたりは。
代表チームの凱旋と共に始まった祝勝パーティーから一夜明け、未だ興奮冷めやらぬ早朝のホグワーツ城。玄関ホールには誇らしげにクィディッチトーナメントの優勝トロフィーが飾られているその城の紅い談話室の中で、ハーマイオニー先輩が同学年の二人に『現実』を突き付けているわけだ。
ホグワーツの優勝を殊の外喜んでいるらしいマクゴナガル先生は、木曜日までの三日間を『ご褒美休暇』にするという甘さを生徒たちに示したわけだが……ハーマイオニー先輩は違うようだな。懐かしき『ミス・勉強』の顔付きになっているぞ。
「おい、ハーマイオニー。一昨日優勝して、昨日祝ったばかりなんだぞ。今日くらいはゆっくり過ごさせてやるべきだろ?」
『ホグワーツの真の英雄』……昨日のパーティーの際、ポッター先輩が被っていた三角帽子に書かれていた一文だ。を庇いながら前に出たロン先輩へと、ハーマイオニー先輩は断固とした表情で参考書を突き出す。ちなみにマルフォイ先輩のは『完全無欠の司令官』で、リヴィングストンのは『小さな壊し屋』だった。ホグワーツ生たちのセンスには何もコメントしない方が良さそうだな。
「ロン、鬼になりなさい。じゃないとハリーは絶対に闇祓いになれないわ。イモリ試験まで一ヶ月を切ってるのよ? その後には入局試験もあるの。それでもまだ『ゆっくり過ごさせる』べきだと思う?」
「……まあ、うん。今回は君が正しいのかも。『今回は』と言うか、『今回も』だな。」
自分が苦戦してきた二つの試験の勉強についてを思い出したのだろう。不安そうな顔で渋々同意したロン先輩は、ソファに座るポッター先輩に向き直って意見を放つ。何とも気まずげな声色でだ。
「ハリー、僕も急いで勉強しておいた方がいいと思う。残念だけど、ワールドカップの優勝国を予想してる暇なんてないみたいだ。八月は入局試験があるからそもそも観に行けないしな。」
「えーっと……その、明日からじゃダメかな? 一日くらい休んでもバチは当たらないでしょ?」
「ダメよ、絶対ダメ。もう一分一秒だって惜しいの。……ハリー、本当に分かってる? 今日からイモリ試験までの頑張りが、貴方の残りの人生を決定するのよ? そして今の貴方は崖っぷちに立ってるの。先ずはそのことを自覚して頂戴。」
本気で心配そうな表情を浮かべているハーマイオニー先輩を見て、ポッター先輩も徐々に事態の重大さに気付き始めたらしい。ゴクリと喉を鳴らしてから勉強の守護聖人どのに応答した。
「そんなに危ないかな?」
「少なくとも私は昨日不安で眠れなかったわ。貴方はホグワーツの勝利のために、この一年間をクィディッチに捧げた。それは称賛すべきことだし、優勝という形で報われたのは心から喜んでるけど……でも、負債は確かにあるのよ。大事な大事な七年目の勉強を後回しにしたツケは。」
「……僕、間に合う?」
「分からないわ。今日から毎日勉強漬けになったとしても保証できないのよ、ハリー。そのくらい遅れているの。お願いだから今だけは私を信じて、全ての時間を勉強に注ぎ込んで頂戴。」
どこまでも真剣な顔で説得するハーマイオニー先輩の導きによって、ポッター先輩は地獄の勉強道に足を踏み入れる決意をしたようだ。慌てて立ち上がって男子寮へと向かい出す。
「僕、僕……道具を取ってくる。急いで取ってくるよ。」
「ええ、全部持ってきて。全部をよ。……ロン、貴方はハリーのために用意した魔法法の纏めを持ってきて頂戴。最初に目指すのはイモリの『足切り』突破だけど、魔法法の勉強計画も今のうちから組み立てておく必要があるわ。もはや一刻の猶予も許されないの。」
「わ、分かった。持ってくる。」
ここから巻き返すのは、もしかしたらクィディッチトーナメントで優勝するより難しいかもしれないな。ハーマイオニー先輩の決死の面持ちを見てそれを確信したところで、男子寮への階段を駆け下りる二人と入れ替わりで魔理沙が談話室に姿を現した。
「おはよ、二人とも。」
「おはよう、マリサ。貴女の『担当』はサクヤよ。」
「あー……担当?」
「魔理沙のことは私に任せて、ハーマイオニー先輩はポッター先輩に集中してください。……こっちよ、魔理沙。」
寝ぼけ眼できょとんとしている魔理沙の手を引いて、別のテーブルを確保してから口を開く。ポッター先輩がギリギリなように、魔理沙もまたギリギリなのだ。
「魔理沙、今日から勉強をするわ。フクロウ試験のための勉強をね。」
「……まあ、分かってたよ。遅れてるって言いたいんだろ? 朝っぱらから始めるとは思わなかったけどな。」
「自覚があるようで何よりよ。」
「参ったぜ、昨日のリーゼの話もまだ整理できてないのに。」
昨日の祝勝パーティーが終わった後、リーゼお嬢様が話してくれたアビゲイルやティムに関する結末。確かに色々と考えさせられる内容だったし、私も気にしていないと言えば嘘になるが……だけど、今はそれどころではないのだ。
「これまでリーゼお嬢様やアリスが私たちを問題に深く関わらせなかったのは、クィディッチやフクロウのことを心配してくれたからよ。その気遣いを無駄にするわけにはいかないわ。」
「……ん、理解してるぜ。潔くフクロウ試験に集中する。ダメダメな成績じゃ魅魔様にも申し訳が立たんしな。」
諦めの表情で私が差し出した教科書を受け取った魔理沙は、それが魔法史の教科書だったことに顔を顰めながらも不承不承目を通し始める。その姿を横目に準備しておいた『纏めノート』を開いて、彼女に要点だけを詰め込むべく『授業』を開始しようとしたところで……おっと、リーゼお嬢様だ。女子寮からではなく、廊下に続くドアの方からお嬢様が入室してきた。
「おはようございます、リーゼお嬢様。」
「おっす、リーゼ。」
「おはよう、二人とも。……ハリーはどこだい? 危機感を煽りに来たんだが。」
「もうハーマイオニー先輩が済ませました。散々脅された後、今は男子寮に勉強道具一式を取りに……戻ってきたみたいですね。」
小走りで戻ってきたポッター先輩とロン先輩の方を指しながら報告してみれば、リーゼお嬢様は苦笑してからやれやれと肩を竦める。
「なるほど、あの様子なら大丈夫みたいだね。……魔理沙、キミも精々頑張りたまえ。どうせ魅魔はフクロウの結果を覗き見てくるだろうから。」
「それについてはありがたいような、気後れするような微妙な気持ちになるわけだが……それよりよ、東風谷に渡した物は結局何だったんだ? 昨日はアビゲイルとティムの件に気を取られて聞きそびれちまったぜ。」
「ん? ああ、退魔の符だよ。紅白巫女お手製の、神力がたっぷり詰まった神札さ。」
「霊夢の? あの札、やっぱり霊夢から貰ったやつだったのか。珍しいな、あいつが誰かに何かをあげるってのは。」
れいむ……確か、幻想郷の調停者の名前だ。魔理沙がライバル視している相手で、彼女曰く『筋金入りの天才』であるらしい。殆ど知らない人物の話をする二人のことをぼんやり見ていると、リーゼお嬢様が私の隣に腰掛けながら会話を続けた。
「手土産と交換したのさ。肉とね。」
「そういうことか。それならまあ、納得だが……何でそれを東風谷に渡すんだよ。」
「なぁに、ちょっとした布石だよ。私はレミィほど権力ってやつに飢えちゃいないが、自分と家人たちの安全を確保できる程度の力は保有しておきたいんだ。隙間妖怪との繋がりだけじゃ少々頼りないからね。別方面にも味方を増やしておこうと考えたわけさ。」
「……いまいち分からん。まさか東風谷を幻想郷に連れて行こうとしてるわけじゃないよな?」
東風谷さんを? 連れて行ったところで役には立たなさそうだぞ。首を傾げる魔理沙の疑問を受けて、リーゼお嬢様はクスクス微笑みながら曖昧な答えを口にする。
「んふふ、どうかな? 私からすれば東風谷はむしろおまけだよ。……とはいえ、『向こう』にとってはそうじゃないのかもしれない。消えかけの状態で健気に見守っているということは、それなり以上に東風谷は重要な存在だということだ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よってね。東風谷を『ゲット』すれば強力な駒がセットで付いてくるわけさ。」
「んんん? 咲夜にとってのお前みたいな存在が、東風谷にも居るってことか?」
「賢いじゃないか、魔理沙。そういうことだよ。……ま、どれだけの存在なのかは未知数だけどね。私の経験上、神力を使う連中ってのは大抵『それなりレベル』の存在だ。試してみる価値はあるだろうさ。」
「神力って、神様の力ってことだよな? 東風谷にはそんな凄い存在が付いてるのか? それっぽい雰囲気は全然感じなかったぞ。」
未だ信じ切れていない顔付きの魔理沙へと、リーゼお嬢様は軽く応じて話題を締めた。
「神力って言ってもピンキリなのさ。便宜上そう呼称しているだけで、イギリスにおける『神』とはまた別の存在だよ。集まった信仰が神の力になるわけだから、こっちの神は文字通り別格の存在なんだ。……夏になれば東風谷がイギリスに来るだろうし、詳しい話はその時にでもしてあげるよ。今のところは試験に集中したまえ。」
「そうですね、集中すべきです。……ほら魔理沙、やるわよ。」
「へいへい、分かりましたよっと。」
まだ聞きたいことがあるらしい魔理沙を強引に教科書に向き合わせてやれば、それを見たリーゼお嬢様は満足そうに頷きつつハーマイオニー先輩の方へと向かって行く。恐らくポッター先輩たちの勉強を手伝うつもりなのだろう。
五年生と、七年生。試験の重要度こそ段違いだが、だからといって手を抜いていいわけではない。七年生の四人にエールを送りながら、こっちも負けられないぞとサクヤ・ヴェイユは頬をパチンと叩くのだった。
─────
「それじゃあ次よ。……酩月薬の副作用と、製法が確立された年は?」
膝の上の教科書を見ながらハリーとロンに問題を出しているハーマイオニーを横目に、アンネリーゼ・バートリは春の青空を見上げていた。空気の匂いが変わってきたな。ほんの微かにだけ夏が香る、我々ホグワーツの生徒にとっての『試験の匂い』に。
六月上旬の午前中、私たち四人は噴水のある中庭で試験対策に勤しんでいるのだ。談話室、大広間、図書館、空き教室、二階のベランダ、星見台。環境を変えて様々な場所で勉強することを、せめてもの気晴らしにしているわけだが……もはやそれすら効果がなくなってきたな。生徒役のハリーとロンどころか、教師役のハーマイオニーまでもが疲労困憊の様子じゃないか。
「えっと、製法の確立は1644年だよな? 副作用は不眠と疲労、それと理由のない極度の恐怖だろ?」
「副作用は同じだけど、製法が確立したのは1656年じゃなかった? 1644年は慈悲の妙薬が作られた年でしょ?」
「ハリーが正解。酩月薬は1656年ね。じゃあ、次は呪文学の問題よ。停止魔法が開発された時、元々は何を目的として──」
「んー、少し休憩しないか? 効率の良い勉強のためには、定期的に頭を休ませるべきだと言っていたじゃないか。キミたち、もう一時間半も問答を繰り返しているぞ。」
機械的に次の問題を出そうとするハーマイオニーの台詞に割り込んでみれば、彼女は教科書から目を離して驚いたように腕時計を確認した後、苦笑しながら首肯してくる。
「……そうね、少し休みましょう。夢中になってて気付かなかったわ。試験まで一週間を切ったから焦ってるのかも。」
「来週の月曜からか。……私が見る限りでは、キミたちは最大限の努力をしていると思うけどね。」
「ハーマイオニーとロンはともかく、僕はそれでもギリギリだからね。余裕がないよ、本当に。」
私の慰めにため息で応じたハリーは、座っていたベンチから立ち上がって軽いストレッチをし始めた。それに倣いつつ噴水に近付いていったロンが、組んだ腕を伸ばした状態で提案を寄越してくる。
「なあ、噴水に名前を刻まないか? 四人の名前を。」
「名前を? ……ああ、あの伝統ね。『永遠の友情』の儀式。」
「そうそう、それだよ。……正直さ、卒業って言われてもそこまで悲しくはならないんだ。僕たちは卒業しても離れ離れになったりしないって確信があるからな。だろ?」
ハーマイオニーに応答したロンの問いかけに、三人ともが同意の頷きを返す。その通りだ。今までのように毎日顔を合わせるってのはさすがに無理だろうが、心の距離は変わらない。私たちにそういった共通の確信がある以上、実際にそうなるのは間違いないだろう。この四人で築いてきた友情は卒業した程度で揺らぐほど脆いものではないのだから。
間髪を容れずに返ってきた答えを受けて、ロンは微笑みながら噴水を指差して話を続けた。
「だからさ、この噴水に刻まれてる他の名前に『御利益』を与えてやろうぜ。ホグワーツを代表する四人組としてさ。」
「何よそれ。……まあ、私は別にいいけどね。一年生の初め頃に聞いた時からちょっとだけ憧れてたし。」
「うん、やろうよ。伝統には従わないとね。」
「んふふ、良いと思うよ。非常識代表として私たちの名を残しておこうじゃないか。」
ハーマイオニーはちょびっとだけ照れ臭そうに、ハリーは素直な笑みで、私はいつものように口の端を吊り上げながら賛成したのを見て、ロンはそうこなくっちゃという表情で杖を抜いて噴水の枠の裏側を覗き込む。
「結構場所が埋まってるな。いつから始まった伝統なんだろ?」
「この噴水自体はパチェが卒業した頃にはもうあったはずだよ。探せばダンブルドアとエルファイアス・ドージあたりの名前もあるかもね。」
ただまあ、パチュリーの名前は確実に無いだろう。私の記憶には一緒に刻んだ思い出は残っていないのだから。何度か忍び込んだ所為で知っている百年前のホグワーツの光景を頭に描きつつ、私も何の気なしに噴水を眺めていると……空いてるな、あそこ。上の段の内側に、ちょうど四人の名前を余裕で刻めるくらいの空白箇所があるのが目に入ってきた。
「あそこはどうだい? 上の段はまあまあ広く空いてるみたいだぞ。」
「どこだ? ……本当だ、下より刻み難いから空いてるのかもな。ここにしよう。僕から刻むよ。」
ロンが袖を濡らしながら杖を使って器用に『R.W.』という文字を刻んだのに続いて、ハーマイオニーが『H.G.』と、ハリーが『H.P.』という文字を隣に刻む。ミドルネーム抜きのイニシャル二文字だけ。それが噴水に名を刻む時の伝統なのだ。
「次はリーゼだよ。届く?」
「高さ的には一段目に乗れば届くが、それより水飛沫から守っておいてくれたまえ。」
「そっか、そうだったね。」
ハリーが着ていたパーカーを盾にして水飛沫を防いでくれている間に、私も一段目の枠に乗って三人の名前の横に『A.B.』と刻み込む。並んでいる四つのイニシャルを確認して満足した後、ふと目線を上げてみれば──
「……下に一言付け足してもいいかい?」
「いいんじゃない? イニシャルだけだと寂しいしね。他の人たちもちょっとした言葉を付け足してるみたいよ。」
「やってくれ、リーゼ。任せるよ。」
ハーマイオニーとロンの返事とハリーの首肯を受けて、ささやかな追加の文字を四つのイニシャルの下に付け足す。『was here』という文字を。……まあ、私たちもこれで御利益を受け取れるだろう。私が知る中でもとびっきりの友情を築いた二人のイニシャル。そこにあるものと同じ文字を付け足したのだから。
新たに噴水に刻まれた『R.W. H.G. H.P. A.B. was here』という私たちの足跡。そしてその少し上にある銅像の足元に刻まれている、『A.M. and T.W. was here』という文字。その二つを見比べながら、アンネリーゼ・バートリは会心の笑みを浮かべるのだった。