Game of Vampire 作:のみみず@白月
「……うん、良い出来ね。」
新しく作り上げた一体の人形。今の私が持っている技術の全てを注ぎ込んだその作品をチェックしながら、アリス・マーガトロイドは独り言を呟いていた。いつも作っている半自律人形ではない、動かない普通の小さな人形。四箇所に球体関節を備えている金色の髪と青い瞳の可動人形だ。
六月中盤の雨が降る日の朝、先月の終わり頃に作り始めた人形がとうとう完成したのである。……あの時、マホウトコロの桁橋で拾った『アビゲイルの欠片』。それを身体の一部に使った人形が。
正直なところ、私は自分が何を思ってこれを作ったのかが未だに分かっていない。贖罪のつもりなのか、あるいは同情か、それとも追憶か。縫っておいた青いエプロンドレスを着せながら自分の曖昧さに苦笑した後、完成した人形を作業机の上に座らせて息を吐く。それでも気持ちの整理にはなった気がするぞ。
心を波立たせる悲しみと、浮かび上がってくるアビゲイルの思い出。それを噛み締めながら人形のことを見つめている私に、上階から声が投げかけられた。
「アリスちゃーん、お菓子が完成しましたー!」
「はーい、今行きます!」
エマさんの呼びかけを受けて、人形をもう一度見てから立ち上がる。忘れようとは思わないし、背を向けるつもりもない。だけど、囚われてはいけないのだ。テッサやコゼットの死がそうであるように、そしてリドルやダンブルドア先生の死がそうであるように。私はそれを自分を形作る根幹の一部にした上で、それでも前に進み続けなければならないのだから。
悲しみの受け止め方が上手くなったのは、果たして成長と言えるのだろうか? そのことを自問しつつも、階段を上がってリビングルームに足を踏み入れてみると……そっか、エマさんも同じなんだな。彼女が朝早くから作っていた今日店に出すお菓子の中に、新商品があるのが目に入ってきた。
「……ラズベリーのケーキ、店に出すのは初めてですね。」
「はい、何だか作りたくなっちゃいまして。」
「良いと思います。下に運びましょうか。」
アビゲイルが好きだった、ラズベリーのレアチーズケーキ。それを見てしんみりしながら、お菓子が載ったアルミのプレートに浮遊呪文を使って店舗スペースまで運ぶ。
「いつも通りケーキが上、それ以外が下でいいですよね?」
「ええ、問題ありません。……今日も売れてくれるといいんですけどね。雨でお客さんが減らないかが心配です。」
「売れるに決まってるじゃないですか。むしろ人形が売れることを祈っておいてくださいよ。」
エマさんと談笑しながらガラスケースの中の陳列を終えて、壁の時計を確認してから店のドアの鍵を開けた。少し早いが、開店してしまおう。今日はそんな気分なのだ。
「ガラスケースの保冷魔法、ちゃんとかかってますよね?」
結構な勢いで雨が降っている通りを眺めつつ、エマさんが書いた小さな黒板のメニュー表を玄関先に出してから問いかけてみると、我が家の売れっ子パティシエールさんはこっくり頷いて応じてくる。
「大丈夫みたいです。……それじゃ、私は家事に戻りますね。」
「了解です。」
奥へと姿を消したエマさんを見送った後、杖を振って窓のブラインドを全部上げてからカウンターの後ろの丸椅子に座って一息ついた。……ティムもまた、この雨の中で過ごしているのだろうか? いつの日かの再起を目指しながら。
カウンターに頬杖を突いてショーウィンドウ越しの薄暗い通りを目にしつつ、アリス・マーガトロイドは降り頻る雨の音を耳で感じるのだった。
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「……筆記については正直自信がないよ。ただ、取っ掛かりすら掴めないほどの問題は無かったと思う。実技はまあまあ上手くできたんじゃないかな。」
疲弊した顔付きで真っ赤なソファに沈み込んでいるハリーの報告を聞いて、霧雨魔理沙は頭を掻きながら微妙な表情を浮かべていた。どう受け取ればいいんだ? 祝うべきなのか? それとも残念がるべきなのか?
六月二十日の夕食前、学生生活最後となる試験を終えた七年生三人が談話室に戻ってきたところなのだ。首尾はどうだったのかと待ち構えていた私と咲夜、リーゼが問いかけてみた結果、返ってきた返事がこれだったわけだが……微妙すぎるぞ。良いとも悪いとも言えないじゃないか。
ちなみに私と咲夜のフクロウ試験は一昨日の午前中の時点で終了している。こっちはまあ、上々ってとこだな。魔法史だけは自信ないが、他の教科はまずまずの出来だった。特に薬学の実技と天文学は完璧と言える出来栄えだったぞ。
咲夜の方も悪くない手応えだったみたいだし、私たち五年生は心地良い状態で『試験マラソン』の終わりを迎えられているものの……七年生三人はそうもいかないらしいな。ハリーに続いてロンとハーマイオニーもそれぞれの『総評』を口にする。
「僕は不安だよ。一番重要な防衛術は上手くいったと思うけど、薬学と変身術の筆記で分からないところがいくつかあったんだ。さっきやった呪文学の筆記も完璧とは言えない出来だったしな。」
「私は全力を出せたと思うわ。出せたとは思うんだけど……ああ、やっぱり不安よ! 『ルーモス』が論述問題のテーマになるとは予想してなかったの。だってそうでしょう? あんな基本的な呪文をテーマにするだなんて誰も想定しなかったはずよ。必死にやってきた論述対策が全部無駄になっちゃったわ。」
「上手い出し方だったよな。呪文そのものは基本的だけど、それだけに難しかったよ。」
「そうね、問題が上手かった。誰もが知っている基本的な呪文ってことは、それだけ研究され尽くしているってことよ。それを失念していたわ。」
頭を抱えて悔しがるハーマイオニーの肩を、唯一イモリに参加しなかったリーゼが苦笑いでポンと叩く。明かりの呪文か。今回のイモリでは変わった問題が出てきたようだ。
「まあ、あとは結果を待とうじゃないか。キミたちが知恵を最後の一滴まで振り絞ったってことは、その様子を見れば伝わってくるさ。目標ラインを突破したことを祈っておこう。……ハリーとロンはこれで終わりじゃないしね。」
「そうなんだよな、こっからは八月の試験に向けて本格的な魔法法の勉強をしないといけないんだ。憂鬱になるよ。」
「一人でやってるドラコに比べればマシな環境だろうけどね。……じゃあ、始めようか。休んでる暇はないわけだし。」
うわぁ、これはさすがに可哀想になるな。イモリを終えた直後だというのにまた勉強か。戦慄の思いで魔法法の参考書を取り出したハリーとロンを見ていると、ハーマイオニーも気持ちを入れ替えるように髪を結んでから声を上げた。
「やりましょう、手伝うわ。ハリーは特定魔法薬の所持・製造規制についての部分で、ロンは基礎魔法法の復習ね。」
「分かった、そうするよ。」
「オッケーだ。……いつ見ても嫌になるぜ、この本。」
「それじゃ、私も手伝うよ。」
サクサクと勉強の準備を始める七年生たちを目にした後、咲夜と一度顔を見合わせてから……手助けは出来なさそうだし、せめて邪魔しない方がいいだろうな。お揃いの苦笑で少し離れたソファに移動する。
「ハリーたちは卒業どころじゃなさそうだな。」
「みたいね。……そういえば、今朝アフリカのペンフレンドさんから手紙が来てたみたいじゃない。返事はもう書いたの?」
「あーっと、そうだった。書いとくか。」
ワガドゥの友人であるゾーイとの手紙のやり取りは月に一、二回のペースで続いているのだが、ワガドゥもホグワーツと同じく六月が学期末だということで、卒業したすぐ後に約束通りイギリス旅行に来るつもりらしい。こっちで会いたいから、どの日なら都合が良いかと手紙には書いてあった。
うーん、今年の夏休みの予定か。八月に行われるマホウトコロ近海でのワールドカップは是非とも観に行きたいので、そうなると七月中が助かるかな? 新しい箒を買わないといけないし、その資金を稼ぐための双子の店でのバイトもある。更に言えば、東風谷をリーゼの魔の手から守るために見張らなければいけないのだ。アリスが店を再開しているから、もしかしたら人形店の手伝いもあるだろう。
何か、結構忙しそうじゃないか? 整理してみたら意外に多かった予定に驚く私を他所に、咲夜がぼんやりした表情で口を開く。彼女も夏休みのことを考えているようだ。
「今年は旅行はなさそうね。強いて言えばワールドカップに行くかもってくらいかしら?」
「行くだろ。行かない気か?」
「リーゼお嬢様もアリスもクィディッチにそこまで興味がないわけでしょ? 前のワールドカップはレミリアお嬢様の仕事と重なってたからみんなで行ったけど、今年は微妙そうじゃない?」
「……言われてみればそうだな。ハリーやロンも入局試験でそれどころじゃないし、下手すると私一人で観戦することになるわけか。」
最悪一人でも行くが、ちょっと寂しいのは否めないな。腕を組んで唸っていると、咲夜がそっぽを向きながら言葉を付け足してきた。
「仕方ないから私がついて行ってあげるわよ。それなら一人にはならないでしょ。」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃんか。持つべきものは付き合いの良い友人だな。可愛いヤツめ。」
「からかう人とは一緒に行ってあげないからね。」
「おいおい、私は素直に喜んでるだけだぜ。」
笑顔で言ってやれば、咲夜は小さく鼻を鳴らしてから話題を変えてくる。向こうに泊まるためのテントを買わないといけないかもしれんな。今年はクィディッチ用品を沢山買ったし、箒のことを考えると金が足りるだろうか? 付き合いで同行してくれる咲夜に出させるわけにもいかんから、案外ギリギリかもしれないぞ。
「それより卒業のお祝いのことは考えてあるの? これだけお世話になったんだから、ハーマイオニー先輩たちには何か贈らないといけないわよ?」
「あー……そっか、そうだな。贈らないとだな。」
「実際に贈るのは夏休み中でも問題ないでしょうけど、二人できちんと話し合って良さそうな物を探しておきましょ。仕事で役に立ちそうな物とか、そういうのをね。」
「つくづく気が回るヤツだな、お前は。」
しかし、そうなってくると金銭事情が益々ヤバいことになるぞ。対抗試合の時は一千ガリオンも出たのに、何故クィディッチトーナメントには賞金が無かったんだと今更ながらに嘆いていると……咲夜が呆れた顔付きで提案を投げてきた。
「貸してあげてもいいわよ? お金。そのことで悩んでるんでしょ?」
「……何で分かったんだよ。」
「新しい箒のこととか、ワールドカップのこととかを考えれば嫌でもその結論にたどり着くわよ。貴女は自分の箒で妥協するようなタイプじゃないし、どうせ高いのを買うつもりなんでしょう? それに加えてチケットだの卒業祝いだのを買ってたら絶対に足りないわ。貸してあげるからそれでどうにかしなさい。」
『仕方がないなぁ』という表情の咲夜の甘い誘惑に気持ちが揺らぐが、何とかそれを退けて返答を返す。金は貸しても決して借りるなが霧雨家の家訓なのだ。既にリーゼから借金をしているような状態なのに、この上咲夜からまで金を借りたら目も当てられんぞ。
「……自分で何とかするぜ。」
「そう? ……意地を張るのは結構だけど、無い袖は誰も振れないわよ。いざとなったら言いなさいよね。」
「ん、覚えとく。」
むむむ、足掻きまくってそれでもダメだったら……頼むしかないのかもしれないな。まさかハリーたちへの卒業祝いで手を抜くわけにはいかんし、箒だってそうだ。情けない思いで渋々頷くと、咲夜は更に話題を転換してきた。
「来年度からの二年間は先輩たち抜きの生活ね。それが終わったら幻想郷。……レミリアお嬢様と別れた時は長い時間会えなくなると思ったけど、こうしてみると案外すぐ再会できそうだわ。五年生は物凄く短かった気がするもの。」
「そこは私も同じだな。ついこの前歓迎会があったような感覚だぜ。」
「……魔理沙は幻想郷に戻ったらどうするの? 魅魔さんと一緒に住むのよね?」
「だと思うんだがなぁ。お師匠様のことだから、また新たな『課題』を出してくるかもしれん。予想できない方なんだよ、魅魔様は。」
七割くらいの確率で元通りの住み込みでの修行になるだろう。だが、残りの三割は……何が飛び出てくるのやら。ひょっとすると一人で住む場所を探せとか言われるかもしれないな。
とはいえ、言われたら従うまでだ。イギリスに来る前の幻想郷での指導も、イギリス魔法界に投げ出されたことも。魅魔様が私に課した修行は常に良い結果を生み出しているのだから。ノーレッジの個人授業が最短距離を効率的に進むのに対して、魅魔様の修行は『意味のある遠回り』をあえてさせている感じだぞ。
偉大な師匠の深慮遠謀に感心していると、咲夜が窓の方を見つめながらポツリと呟く。遠い場所を見るような目付きだ。
「どんな生活になるのかしら。」
「リーゼは幻想郷にとっての変革の時期が近いって言ってたし、退屈はしないんじゃないか? ……それを見越して魅魔様は私を修行に出したのかもな。変化に乗り遅れないように、その前に急いで外界を体験させたのかもしれん。」
魅魔様が自分が住んでいる場所の変化を見過ごすはずはないし、そう考えれば納得がいくな。説得力がある仮説を口にした私に、咲夜は軽く首肯してから話題を締めてきた。
「まあ、あと二年はこっちでの生活に集中しましょうか。私はイモリの勉強を、貴女はお金稼ぎをね。……帰る前に見て回りたいんでしょ? こっちの世界。クィディッチにお金がかかるように、旅行にだって資金は必要よ。」
「……ま、その通りだ。夏休みの間に双子から習っておくぜ。金の稼ぎ方をな。」
「私という監督生が近くに居ることを忘れないように。双子先輩がやってたみたいな『人体実験』はさせないからね。」
「それを上手いこと掻い潜るのが賢い悪戯っ子ってもんだろ。」
ジト目の咲夜にニヤリと笑いかけてから、大きく伸びをして残りの二年間のことを想像する。どうせ行くならワールドカップついでに日本観光もしたいな。それに魅魔様の嘗ての縄張りであるニューヨークにも行ってみたいし、中途半端に終わってしまったヨーロッパ旅行もやり直したい。資金繰りのことも考慮すれば、六、七年生のクリスマス休暇と今年、来年、再来年の夏休みを限界まで有効活用する必要がありそうだ。
まだまだやり残していることが沢山あることを自覚しつつ、霧雨魔理沙は貪欲に全てを達成しようと決意するのだった。