Game of Vampire 作:のみみず@白月
「なんか悪かったな、長々と説明させちまって。」
店主が目の前で巻いてくれたかっぱ巻きを口に放り込みつつ、霧雨魔理沙は中城に礼を送っていた。先程まで彼女から日本魔法界の三派閥についての説明をしてもらっていたのだ。『良い話』とは言えないような内容だったが、中々面白い歴史を知ることが出来たぞ。
久々に食べた巻き寿司の美味さを噛み締めながら言った私に、中城は肩を竦めて応じてくる。
「まあ、いい復習になったよ。色々と省略しちゃったから、本格的なのを知りたければ史書とかを読んでみて。あくまで三派閥がどう成立したかの説明であって、何をしたかって部分は省いちゃったの。そこを話すととんでもなく長くなるしね。」
「それとだ、中城。……競技場に行かなくていいのか? 私も今気付いたんだが、デーゲームはもう始まってるぞ。」
「へ? ……本当だ、始まっちゃってるね。」
壁にかかっている時計を確認して額を押さえた中城は、苦笑しながら椅子に深く座り直した。
「まあいいや、デーゲームはそんなに重要な組み合わせじゃないし。だから霧雨ちゃんたちもこうやってお出かけしてるんでしょ? 都内のホテルに泊まってるの?」
「ん、そうだ。皇居のすぐ隣の公園の向かいにあるホテル。」
「うへぇ、高級ホテルじゃん。ひょっとして結構お金持ち?」
「私はチケット代にすら四苦八苦してるが、今回は『スポンサー』がついててな。ホテル代だけはそいつが出してくれたんだよ。お前も知ってるだろ? アンネリーゼ・バートリって吸血鬼だ。」
リーゼとは五月の閉会パーティーですれ違ったし、去年の開催パーティーの昼食会では会話しているはず。そのことを思い出しながら口にしてやれば、中城はガタリと椅子から立ち上がって反応してくる。おいおい、どうしたんだよ。急にテンションが上がったな。
「あー! そうよ、そのこと! あの吸血鬼ちゃんのところに早苗が行ってるのよ! ……ねえ、大丈夫なの? 凶暴な吸血鬼なんでしょ?」
「凶暴?」
邪悪で意地悪で腹黒い捻くれ者だが、『凶暴』って感じではないと思うぞ。どこから出てきた印象なのかと首を傾げる私を他所に、咲夜がムッとした顔付きで口を開いた。敬愛する主人の悪評を聞き過ごせなかったらしい。
「リーゼお嬢様は凶暴なんかじゃありません。理知的で大人っぽくて高貴な方です!」
「でもさ、『濯ぎ橋』を吹っ飛ばしたのってあの子なんでしょ? マホウトコロじゃ噂になってるよ。吸血鬼がマホウトコロ側の持て成しに満足しなかったから、腹いせに橋をぶっ壊したんだって。」
「違います! あれはその、複雑な事情があって起きた事故なんです。お嬢様はシラキ校長にお詫びをしましたし、修理費もきちんとマホウトコロ側に渡しました。それなのにそんな噂が流れるだなんてとんでもない話です! 無礼です! 陰険です!」
「そ、そうなの? ……だけど、マホウトコロじゃもう広まっちゃってるよ? その所為で吸血鬼ちゃんの案内に付いた細川派の立場もちょびっとだけ弱くなったしさ。」
わなわなと怒りに震える咲夜の剣幕に押されている様子の中城へと、まあまあと銀髪ちゃんを抑えながら質問を飛ばす。アビゲイルとの決着の際に橋を壊したことはリーゼから聞いているが、マホウトコロではそんな噂になっていたのか。
「落ち着けよ、咲夜。……マホウトコロだと吸血鬼のイメージが悪くなってるのか?」
「悪くっていうか、『気安く関われない存在』って感じね。ほら、スカーレット氏のこともあるでしょ? 今回の一件で『外国の物凄く偉い種族』ってイメージが根付いたとは思うわ。あの橋を壊したら普通は国際問題だもん。それなのに校長先生も教頭先生も全然話題にしないから、裏から圧力がかかってるんだって──」
「そんなのかけてません!」
「あー、そうね。かけてないのね。学校に戻ったらみんなに言っておくから。」
ぷんすか怒る咲夜を宥めた中城は、未だ燻っている『爆弾』の方を気にしながら私たちに問い直してきた。
「まあその、あの吸血鬼ちゃん……吸血鬼さんが安全なのは理解したわ。だったら早苗も大丈夫なのよね? いきなりイギリスに行くっていうから、私はもう心配で心配で──」
途中までは安心したように喋っていた中城だったが、私たち二人がそっと目を逸らしたのを見て徐々に疑わしげな顔になっていく。リーゼは凶暴ではないかもしれないが、同時に『安全』でもないのだ。
「……何? その顔。その不安そうな顔はなんなの? やっぱり危ない吸血鬼なの? 早苗はどうにかなっちゃうの?」
「危ないって言うか……こう、油断ならないヤツではあるんだよ。東風谷の身体的な安全については心配ないと思うが、精神的には保証しかねるぜ。」
「ちょちょ、どういう意味? 精神的?」
「いやまあ、多分大丈夫だろ。多分な。リーゼは悪いヤツではない……わけでもないが、ある程度の常識はあるからさ。つまりその、ホグワーツで習う程度の常識は。」
それが要するに非常識であることまでは口に出さなかったものの、中城は私の表情を見て『大丈夫』ではないことに気付いたらしい。童顔を真っ青に染めると、店主に向かって言葉を投げた。
「父さん、私イギリスに行く!」
「バカなのか、お前は。ぽんぽん行けるような場所じゃねえだろうが。」
「だって、早苗が──」
「いやいやいや、そこまでヤバいことにはならないって。平気だ、平気。ワールドカップが終わったら私も帰るしさ。リーゼが東風谷に変なことをしないようにしっかり見張るぜ。」
中城のやつ、このままだと本気でイギリスに行きかねんぞ。大慌てで間に入ってやれば、中城は未だ不安そうな顔付きで応答してくる。
「ワールドカップは今月の下旬までなんだよ? 霧雨ちゃん、もちろん決勝戦まで観るんでしょ? その間に何かあったらどうするの?」
「……何にも無いって。ないない。大丈夫だ。」
ジーッとこちらを見つめてくる中城から視線を逸らしていると、彼女はふと何かを思い付いたような顔になった後、私に脈絡のない質問を寄越してきた。
「時に霧雨ちゃん、新しい箒はもう買った? 私たちとの試合で壊れちゃったでしょ?」
「箒? いや、まだだ。金もないし、中々ピンと来るのが見つからなくてな。そういえばこの辺に箒屋って──」
「じゃあ、取り引き! 早苗の安全を保証してくれるなら、箒をプレゼントしてあげる! ……一ヶ月くらい前にメーカー側から新型箒の飛行テストを頼まれちゃってさ、結果を報告した後はそのまま譲渡されることになってるの。テストが終わったらそれをあげるから、代わりに早苗の安全を確約して頂戴!」
メーカーからのテスト依頼? びしりと私を指差して提案してきた中城に対して、驚きながら疑問を返す。店主の注意の後にだ。
「人様を指差すんじゃねえ、バカ娘。」
「メーカーから依頼された飛行テストって……お前、そんなこともやってんのかよ。凄いな。」
「私は豊橋天狗に入団が決まってるからね。おまけに顔も可愛いし、スタイルも良いし、愛嬌もあるからそれなりに注目されてるの。メーカー側は『次世代のチェイサー』のお墨付きが欲しいんでしょ。クィディッチプレーヤーが多い日本魔法界は重要な市場だし、そうなると日本の注目選手の評価が必要になってくるってわけ。」
「だけどよ、今テストしてるってことは最新モデルなんだろ? 値段もそこそこするはずだ。それをタダで受け取るのは悪いぜ。」
会話の端々に出てくるちょっとした自慢はともかく、棚から牡丹餅ってレベルじゃない提案に正直心は揺らいでいるが、高価な箒をすんなりと受け取ってしまうのは気が引ける。そんな私へと、中城は白いTシャツに包まれた胸を張って主張してきた。……身長は私より低い癖に、胸は私よりも随分と大きいな。不条理だぞ。
「私の方だってどうせタダで貰うようなもんなんだし、早苗のためなら箒の一本や二本は安いもんよ。……それに、私には合わなさそうな箒だしね。性能自体は高いんだけど、ピーキーすぎて扱えそうにないの。持て余してコレクションにするくらいなら、霧雨ちゃんに使ってもらった方がいいっしょ?」
「……お前に扱い切れないような箒を私が使えると思うか?」
「私は繊細で本能的な飛び方をするけど、霧雨ちゃんは豪快かつ計算してる飛び方じゃん。だったら多分合うんじゃないかな。こと箒に関しての判断には自信があるんだけど?」
むう、どうしよう。彼女と争った私だからこそ説得力を感じる発言に迷っていると、中城は駄目押しの一言を放ってくる。
「言っとくけど、遠慮する必要なんてないんだからね。私は五本も箒を持ってるし、チームの契約金はアホみたいな金額なの。実はお金持ちだから余裕があるのよ。……それとまあ、霧雨ちゃんの箒が壊れたのには私の責任もちょびーっとだけあるわけだしさ。」
「それは違うだろ。あれは私が選択したプレーだ。」
「そうだけど、霧雨ちゃんがあんなことをしたのは私が強すぎた所為で他に選択肢がなかったからだし……それに早苗との仲直りの切っ掛けを作ってくれたお礼もしなきゃじゃん。とにかく取り引きなの! 早苗が無事に帰ってきたら、テストが終わる九月の中頃に箒を送る。それでいいでしょ? はい、成立!」
強引に纏めてしまった中城に、頭をポリポリと掻きながら礼を口にする。……甘えておくか。その代わりにイギリスに帰ったらちゃんと東風谷のことを気遣わないとな。
「……ん、分かった。ありがとよ、中城。」
「取り引きなんだからお礼はいいの。……ちょっと待ってて、先にスペック表だけ渡すから。箒そのものはテストが終わってからになるけど、どんな箒かは早いとこ確認しておきたいっしょ?」
少しだけ頬を染めながら席を離れた中城は、店の奥へと姿を消してしまった。その背を見送りつつ、カウンターの向こうの店主に声をかける。
「おっちゃんにも感謝しとくぜ。娘さんに助けられちまったみたいだ。」
「ふん、たまには人様の役に立つべきなのさ。……まだ食い足りねえなら追加を出すが、どうする? 娘の話し相手になってくれた礼だ。遠慮しないで言ってくれ。」
「いいのか? じゃあよ、イカをくれ。イカが一番美味かったぜ。」
「ちょっと、魔理沙。」
遠慮しろという目線を咲夜が向けてくるが、店主は僅かに口元を綻ばせながら頷いてきた。
「よし、イカだな。……そっちのお嬢ちゃんは何かないのか? 記念に食っていくといい。」
「私はもうお腹いっぱいですけど……えっと、その包丁って特別な物なんですか?」
「包丁? ……ああ、刺身包丁が珍しいのか。」
「はい、色々と使い分けてたみたいなので気になっちゃって。」
中城の話を聞いていた途中にそんなところも見ていたのか。確かに種類があるな。咲夜の独特な着眼点に唸っている私を尻目に、店主は持っていた包丁を見せながら説明してくる。
「呼び方は場所や店によって違うが、大抵の場合は柳刃包丁とか刺身包丁って呼ばれてるもんだ。こいつは長く使ってる一品だから、何度も研いだ所為で少し短いがな。魚の身を切る時とかはこいつを使う。……引退した親父はこっちの蛸引き包丁をよく使ってたが、俺は半々くらいだ。」
「なるほど、どっちも凄く薄いんですね。」
「厚いとネタが傷付くからな。そんでもってこっちが出刃包丁。一般的な出刃よりは若干薄いが、柳刃より厚いから力を込め易くて頑丈だ。魚をおろす時は主にこっちを使う。……まあ、基本的には出刃包丁と柳刃包丁の二種類だ。長さや厚さが違うのを数本ずつ揃えてある。」
「……じゃあその、柳刃包丁はどこで買えますか?」
買う気か。……ナイフとして買おうとしているのか、あるいは料理用にするつもりなのか。咲夜ならどっちも有り得るなと考えていると、店主は店のある方角を指しながら答えを寄越してきた。
「この近所なら向こうに少し歩いたところに刃物問屋がある。俺が使ってるのはそこで買ったもんじゃねえが、品揃えは悪くなかったはずだ。……良い柳刃はそこそこするぞ。手が届かないってほどじゃないにせよ、学生さんにとっては中々の値段のはずだ。」
「ちなみに店主さんが使っているのはお幾らだったんですか?」
「よく覚えてないが、五万に届かなかったくらいだ。上を見ればまだまだ高い包丁は多い。……一、二万で買える柳刃も捨てたもんじゃないがな。切れ味自体はむしろ細かい手入れで保つもんだ。」
「五万円ですか。」
高いな。……いや、安いと言うべきか? 店主の使っている包丁だったら妥当どころか安いくらいの値段なのかもしれない。少なくともこの店に来る前に見た『刀剣もどき』よりは価値ある品物っぽいし。
五万という私たちにとっては結構な値段を聞いて、銀髪の刃物マニアちゃんが腕を組んで葛藤し始めたところで、片手に紙を持った中城が店舗スペースに戻ってきた。彼女は懊悩している咲夜にきょとんとした顔を向けた後、私にホッチキスで留めてある数枚の紙を渡してくる。
「ほい、これがスペック表ね。実物はマホウトコロに置いてあるから見せられないけど、まあまあカッコいい箒だったよ。柄が直線型の尾がキュッてなってるシンプルなやつ。」
「どれ、見せてもらうぜ。」
中城から手渡されたスペック表を早速とばかりに捲ってみれば……うお、覚えがある名前だぞ。夏休みの序盤で箒屋のおっちゃんに教えてもらった、ファイアボルトの後継箒の名前が最初のページにデカデカと載っていた。
『ブレイジングボルト』。その名前に僅かに自分の心が跳ねるのを、霧雨魔理沙は確かに感じるのだった。