Game of Vampire 作:のみみず@白月
「……気が狂いそうだよ。二時間? 二時間も並んで『拷問』を受けたがるヤツがどこに居るんだい? 助けてくれ、アリス。頭がおかしくなりそうだ。」
弱々しい動作で私に寄り掛かってくるリーゼ様を見て、アリス・マーガトロイドは平静な顔の裏側でドキドキと胸を弾ませていた。『弱々しいリーゼ様』というのがまず珍しいし、甘える感じに頼られるのも貴重な体験だ。ギュッと抱き締めちゃいたくなってくるぞ。
十一月二十二日のお昼前。現在の私とリーゼ様は早苗ちゃんと二柱の神と共に日本の遊園地……単に『遊園地』と呼ぶにはあまりに巨大な施設だが、とにかくその場所に遊びに来ているのだ。凄まじい面積の敷地にはアトラクションやレストラン、お土産屋なんかがこれでもかというくらいに詰め込まれており、エリア毎に世界観を維持するためのデザインの建物が並んでいるらしい。
まあうん、見事な遊園地だと言えるだろう。アトラクションは豊富だし、スタッフの態度も徹底されているし、魔法界の住人たる私からしてもここは『非日常的』な場所だ。日常から脱却して楽しむことを目的としているのであれば、この遊園地は素晴らしい施設なのかもしれないな。
……とはいえ、もはや私はリーゼ様と同じくそれを楽しめるような状態ではなくなっている。早苗ちゃんの『混雑するだろうから開園前に到着した方が良い』という助言に半信半疑で従って、入場ゲートの前で長蛇の列に並んでいた時から嫌な予感はしていたのだが、まさかここまで混むとは思っていなかったぞ。
どこもかしこも人、人、人。どうやら日本における今日は三連休のど真ん中だったらしく、家族連れやらカップルやらで大賑わいしているのだ。ウェスタン風のエリアを行き交う大量のマグルたちを眺めつつ、疲れ果てているリーゼ様へと返事を返した。天気が良くて比較的暖かい日だってことも混雑に拍車を掛けていそうだな。
「えっと、もうダメそうですか? まだ二つしか乗ってませんけど。」
「ダメだね、もうダメだ。これ以上並べと言うのであれば、私はスタッフに魅了を使うぞ。……そうだよ、そうすればいいじゃないか。私たちは何だって真面目に並んでいるんだい? 魔法使いなら服従の呪いでも使って優先させればいいんだよ。」
「服従の呪いは国際法で禁じられてますよ。」
いよいよ『強硬手段』に出始めそうだな。かなり本気の表情になっているリーゼ様に注意を送っていると、元気いっぱいの早苗ちゃんと二柱の神の片割れ……洩矢諏訪子さんが声をかけてくる。どうしてこんなに元気なんだろう? 実に不思議だ。私たちは疲労の極地にあるのに。
「リーゼさん、大丈夫ですか? 少し休みます?」
「アンネリーゼちゃん、早く行くよ。早苗が次はこれに乗りたいって言ってるんだから、意地でも乗るの。今日一日でアトラクションを制覇するって言ったっしょ? もうちょっと頑張ってよ。まだお昼前じゃん。」
「頑張ったさ。私はとても頑張った。自分を褒めまくりたいほどにね。……だが、もう限界だ。このアトラクションには三人で乗りたまえ。私とアリスは一度その辺で休ませてもらうよ。」
「えー? 妖怪の癖に軟弱だなぁ。」
呆れたように言ってくる洩矢さんに対して、リーゼ様は至極忌々しそうな顔付きで更なる『問題点』を指摘した。今まさに並ぼうとしているアトラクションを指差しながらだ。
「それとだね、あれを見たまえよ。どう思う?」
「面白そうじゃん。バシャーって感じで。」
「そう、そこが問題なんだ。吸血鬼は『バシャー』が好きじゃないんだよ。訳の分からん安全面に疑問がある乗り物で高所から落下した挙句、水に突っ込むことを楽しめる吸血鬼なんてこの世に存在しないのさ。である以上、私はこのアトラクションに乗るのは御免だね。」
「何? 水が嫌いなの? ノリが悪いなぁ。はいはい、分かったよ。それなら四人で乗ってくるから、アンネリーゼちゃんはレストランの席を確保しといて。乗り終わったらそこでお昼ご飯ね。」
やれやれと首を振りながら洩矢さんは予定を組み立ててしまうが……え? 私も乗るのか? 二時間も並んで、これに? リーゼ様無しで? 慌てて口を挟もうとする間も無く、今度は会話を見守っていたもう一柱の神が声を上げる。八坂神奈子さんだ。
「諏訪子、私も休みたいんだが。」
「はあ? 本気で言ってる? 早苗と遊べる機会なんて滅多にないんだよ? ……ふーん、神奈子の早苗への愛情はその程度だったんだ。じゃあ私の勝ちだね。『負け蛇女』はレストランで休んでれば?」
「待て、断じて違うぞ。私だって早苗と一緒に遊びたいのは山々だ。山々なんだが……しかし、夜までここに居るつもりなんだろう? つまり、現時点で予定の半分も終わっていないことになる。」
「当たり前でしょうが。開園から閉園までしこたま遊ぶの。早苗が夜のパレードを見たいって言ってたじゃんか。」
デフォルメされたカエルのプリントが入っている長袖のブラウスと茶色いパーカー、そして下は黒いショートパンツと太ももまでの長いソックス。一見すると普通の子供にしか見えない洩矢さんが腰に手を当てて睨むのに、ジーンズに赤いタートルネックのセーターを着ている八坂さんが目を逸らしながら応答した。八坂さんは成人女性の見た目だし、傍から見ていると『子供に怒られている大人』って図だな。ちなみに服は早苗ちゃんが見立てたらしい。
「そんなに怒るな、諏訪子。予定を確認しただけじゃないか。……こんな人混みの中を実体で歩いたのは久々だから、少し疲れてしまったんだ。一度だけ休憩させてくれないか?」
「……どうするよ、早苗。軟弱蛇女がこんなこと言ってるけど。」
「いえその、もちろん私は問題ありません。ゆっくり休んでください、神奈子様。三人で乗ってきますから。」
「すまないな、早苗。ちょっと休めば大丈夫だ。次のアトラクションは皆で乗ろう。」
申し訳なさそうに謝っている八坂さんだが……待って欲しいぞ、私も乗る流れになっているじゃないか。急いで会話に割り込もうと口を開きかけた瞬間、洩矢さんが私の手を取ってしまう。
「んじゃ、早苗とアリスちゃんと私で乗ってくるよ。『へっぽこ組』は適当に休んでれば? ……ほら、行こ?」
「ええっと、私は──」
「はいはーい、出発!」
ええ? 強引な感じに引っ張ってくる洩矢さんに手を引かれながら、リーゼ様に目線で助けを求めてみれば……あれ、もう背を向けてるぞ。無情にもリーゼ様は八坂さんと二人で足早に遠ざかって行く。なるほど、なるほど。どうやら私は『生贄』にされたらしい。
分かっていてやったのであろう二人の背をジト目で睨みつつ、引き摺られるままに『二時間級』の列の最後尾に到着したところで、洩矢さんが苦笑しながら話しかけてきた。
「いやぁ、ごめんね。アリスちゃんも休みたかったんだろうけど、ちょっとアンネリーゼちゃん抜きで話してみたかったんだ。」
「……そういうことですか。」
「ま、二時間ほど話に付き合ってよ。アンネリーゼちゃんと私たちとの取引内容は知ってるっしょ? 幻想郷に行ったらアリスちゃんのことも守らなくちゃいけないのに、人柄……魔女柄? を知らないままじゃ困るってわけ。」
うーむ、適当に見えて実は色々考えて行動しているわけか。そういえばリーゼ様も『諏訪子の方が厄介だ』と言っていたっけ。どんなことを聞かれるのかと若干警戒している私に、洩矢さんはしれっと爆弾発言を寄越してくる。
「そんでさ、アリスちゃんはアンネリーゼちゃんの恋人なの? 長生きしてると同性に興味を持ち始めるのって珍しくないもんね。」
「……へ?」
「ありゃ、違う? 参ったなぁ、間違えちゃったか。じゃああれだ、片想いだ。アリスちゃんからアンネリーゼちゃんへの。」
「あの、いえ、リーゼ様は私の育ての親です。子供の頃からお世話になってて……だからつまり、そういう関係ですよ。」
どうしてそんなピンポイントな予想が出来るんだ? バクバクと脈打つ心臓と、うなじに伝う冷や汗。それらを必死に抑えながらポーカーフェイスで応じてみれば、洩矢さんは訝しげな表情で疑問を重ねてきた。ちなみに早苗ちゃんは『わあ』みたいな顔付きで口を両手で覆っている。
「おっと、そうなの? 親と娘って感じ? ……あれぇ? 自信あったんだけどなぁ。カンが外れちゃったか。」
「そうですね、親と娘って関係が一番近いと思います。……もしかして、洩矢さんは縁結びの神様とかなんですか?」
「んーん、全然違うよ。基本的には祟り神……っていうか、それを統率してた神だから。部下にはそれっぽいのがちらほら居たけどね。それと、諏訪子でいいよ。昔は『洩矢様』だったけど、今はただの諏訪子なの。だから諏訪子って呼ばれた方が嬉しいかな。」
「じゃあその、諏訪子さんの単なるカンってことですか。急に変なことを言うからびっくりしましたよ。そんなことあるわけないじゃないですか。」
さすがは神だけあって侮れないな。取り繕った笑みを浮かべる私のことを……むう、見られているぞ。諏訪子さんはジッと下から覗き込んできた。
「なーんか、納得いかないなぁ。そりゃあ縁結びとかの力は無いし、あったとしても今は失ってるんだろうけど……私、こういうのを見誤ったことはないんだよね。」
「……『こういうの』?」
「恋心ってやつだよ。私は永い年月で何度も何度も見てきたからね。結ばれた恋も、叶わなかった恋も、奪う恋も、失う恋も、消えゆく恋も。私って『現役』の頃は結構人に近い神だったんだ。相談を受けたことだって一度や二度じゃないんだから。……んー、怪しいなぁ。アリスちゃんがアンネリーゼちゃんを見る時の目は、自分だけのものにしてやりたいって感じの目だったんだけど。」
「いやいや、そんなことは思ってませんよ。有り得ません。」
恋心云々はともかくとして、『自分だけのものにしたい』とまでは思っていない……はずだ。思っていないよな? あれ、どうなんだろう。自信がなくなってきたぞ。
内心で混乱している私に、諏訪子さんは未だ怪しんでいる顔で肩を竦めてくる。
「まあ、外れることもあるか。力が弱くなってるわけだしね。……取り敢えずはそういうことにしといてあげるよ。」
最後の部分だけを早苗ちゃんには聞こえないように囁いてきた諏訪子さんは、ニヤニヤと笑いながら続けて小声で忠告を送ってきた。
「だけどね、アリスちゃん。欲しいものは何をしてでも手に入れないとダメだよ。立場を利用したり、同情を引いてみたり、あるいは無理やり奪っちゃうのもありだね。他人に取られた後で後悔しても遅いんだよ? アンネリーゼちゃんの身体を他の誰かが好き勝手に弄ってるのを想像してごらん。それが現実になるのが嫌なら行動した方が良いと思うけどなぁ。……長い付き合いになるかもだし、これを挨拶代わりの忠告にしておくよ。神ってのはほら、無責任に忠告するのが大好きだからさ。」
「私は──」
「はいはい、この話はおしまーい。ごめんね、早苗。勘違いだったみたい。」
「もう、びっくりしたじゃないですか。」
パッと私から離れてニコニコと無邪気そうに笑っている諏訪子さんを見ながら、これは確かに油断できないなと唾を飲み込む。……吸血鬼がそうであるように、神性もまた人の心を利用する存在だ。そのことはしっかりと念頭に置いておくべきかもしれない。
「いやー、残念残念。もしそういう関係なら色々と利用できそうだと思ったんだけどね。」
「諏訪子様、悪いところが出てますよ。利用するんじゃなくて仲良くなればいいじゃないですか。リーゼさんとも、アリスさんとも。」
「早苗は純で可愛いねぇ。……でも、私は他者を利用しまくってのし上がった神だからね。どうしてもそういう方向に考えが進んじゃうんだ。」
現在の状況だと、早苗ちゃんという二柱側のカードを手元に確保したリーゼ様の方が優位に立っていると言えるだろう。だからもしかすると諏訪子さんは釣り合いが取れている状態に持っていくために、リーゼ様側の私というカードを引っ張り込もうとしているのかもしれない。今の私はそれを深読みしすぎだとは思わないぞ。
リーゼ様の迷惑にならないためにも、ここは気を引き締めないといけないな。子供っぽい笑顔で早苗ちゃんと話す老獪な『洩矢神』を前に、アリス・マーガトロイドは二時間が早く過ぎることを祈るのだった。