Game of Vampire   作:のみみず@白月

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大魔女の月時計

 

 

「さて、中庭に向かいましょうか。リーゼ、私以外の全員の姿を消して頂戴。」

 

これが『独立していた』時期のムーンホールドか。紅魔館を裏手から見た光景とほぼ同じだな。満月の下に聳え立つバートリ家の屋敷を眺めつつ、サクヤ・ヴェイユは小さく息を呑んでいた。華美ではなく、重厚という雰囲気だ。

 

「……どうして私が私の屋敷に入るのにこそこそしないといけないんだい? おかしな話じゃないか。」

 

「貴女が『裏側』で動くことを選んだからでしょうが。いいから黙って消しなさい。」

 

「はいはい、ムッツリ魔女の仰せのままに。」

 

「……次にそれを口に出したら、貴女の部屋にありったけの『臭液』を投げ入れるからね。私が実験用にガロン単位で保管していることを忘れないようにしなさい。」

 

パチュリー様の警告におざなりに首肯したリーゼお嬢様は、私と魔理沙と美鈴さんの背中を順番にポンと叩く。私からだと何も変わっていないので分かり難いが、恐らくこれで姿が消えたのだろう。私たちの様子を確認したパチュリー様が門の内側へと歩き始めた。……第一次戦争中期からはリーゼお嬢様がムーンホールドの『秘密の守人』をしていたらしいので、彼女が普通に入れるということはまだ忠誠の術がかかっていないのかな? もしかしたら戦争激化に伴ってそういう処置を取ったのかもしれない。

 

考えながらパチュリー様の背に続いて門を抜け、雑草だらけの庭を横目に玄関へと向かっていくが……ふむ? 思っていたほどには荒れていないな。雑草だらけと言っても、生えているのは背の低い細々とした草だけだ。エマさんは紅魔館に居るはずだし、現在屋敷を使用している騎士団の誰かが軽く整えてくれているのか?

 

玄関を抜けた内部もあまり汚れていないことにホッとしていると、玄関ホールの奥の方から顔を出した男性がパチュリー様に声をかける。騎士団の人かな?

 

「あれ、ノーレッジさん? こんな時間にどうしたんですか?」

 

「ちょっと用事があって寄ったのよ。貴方の方こそ何をしているの?」

 

「いや、騎士団側にも報告を入れに来たんです。また死喰い人の集団が何者かによって惨殺されたんですよ。魔法警察が現場でマグルを二人保護したそうなんですけど、記憶を失っていて何も証言を得られなかったようでして。」

 

「そう。……死体の身元確認は済んでいるの?」

 

ブロンドの髪の、優しそうな面持ちの細身の男性。ここに居るということは間違いなく不死鳥の騎士団の一員なんだろうけど、パッと見ただけでは誰だか分からないな。一体誰なのかと記憶を探っている私を他所に、男性はパチュリー様へと回答を返した。

 

「遺体の損傷が激しい所為で半分以上はまだ特定できていないようです。現場はロンドン郊外の廃教会で、犠牲者の数は魔法使いが十二名とマグルの女性が一名。マグルの方は保護された二人の連れであり、死喰い人に死の呪いで殺されたのではないかと魔法警察隊は推察しています。そして十二名の死喰い人の方は死の呪いではなく、『何らかの物理的な手段』で惨殺されていたと現場に出た局長が言っていました。今は副局長が現地に残っているそうです。魔法警察の捜査を、あー……その、『監視』したいからと。」

 

「さぞ迷惑に思っているでしょうね、魔法警察の隊員たちは。オグデンが現場に居たらやり難くて仕方がないはずよ。一々ねちっこく文句を付けている様が目に浮かぶようだわ。」

 

「まあ、オグデンさんは無意味な指摘はしませんから。皮肉の量は若干多いですけどね。……被害者が全員死喰い人とはいえ、ここまで続くと怖くなってきます。『死喰い人集団惨殺事件』はこれでもう三度目でしょう? 私たちが把握していない別件が無いとも限りませんし、騎士団や魔法省の他にも何らかの抵抗組織があるということなんでしょうか?」

 

「可能性はあるわ。証拠を一切残さないから何とも言えないけど、事件の犯人が随分と野蛮な手段を選択しているのは確かなようね。きっと実行犯は粗野で性格が悪い愚か者なのでしょう。」

 

透明になっているはずの私たちをちらりと見ながら言ったパチュリー様へと、リーゼお嬢様が忌々しそうなジト目を向ける。男性が報告しているのは私たちが居たあの廃教会での事件のことか。とはいえ実行犯が吸血鬼と大妖怪であることなど知る由もない男性は、再び歩き始めたパチュリー様と並んで廊下を進みながら犯人像の予想を口にした。大きく外れている予想をだ。

 

「プロファイリングは苦手ですが、もしかしたら死喰い人に親しい人物を殺された人間の犯行かもしれません。殺し方があまりにも残酷すぎますからね。十名以上の死喰い人を一方的に制圧できているということは、単独犯でもないはずです。……参りますよ。たとえ被害者が死喰い人だとしても、我々は法の執行機関として捜査をしなければならないんですから。」

 

「貴方たち闇祓い局はともかくとして、クラウチの方は動いているの?」

 

「本腰は入れていないものの、一応形式上の捜査はしているようです。クラウチ部長からすれば好都合なんでしょう。今は野放しにしておいて、戦争終結後に対処すれば良いと判断しているみたいですね。」

 

「死喰い人にしか噛み付かない狂犬であれば、放っておいたところで問題ないってわけ? 実にクラウチらしい判断だわ。」

 

バーテミウス・クラウチ・シニアか。ヴォルデモートの敵だったものの、決して騎士団の味方ではなかった男。私にとっては『死者』であるクラウチさんの話をする二人の背を追っていると、廊下の先からこちらの方へと誰かが歩いて──

 

「ありゃ、フランクじゃん。ノーレッジさんも。」

 

「パチュリー? 何かあったの?」

 

声を上げながら近付いてくるのは、過去のアリスと……そして私のお婆ちゃんだ。憂いの篩で見た記憶と違って、この手で触れるし話しかけることだって出来るお婆ちゃん。正真正銘の『生きている』テッサ・ヴェイユ。祖母の急な登場に胸を波立たせている私を尻目に、パチュリー様は平然と応答を飛ばした。

 

「少しこっちに用事があったのよ。……それよりヴェイユ、貴女こそこんなところで何をしているの? 七月中はホグワーツに残るってドージが言っていた覚えがあるのだけど。」

 

「ダンブルドア先生からの指示を届けに来たんですよ。何でも北アメリカに逃げることを希望した家族が居るようでして、渡航の手配を騎士団の方でやってもらいたいってダンブルドア先生に手紙が届いたんです。」

 

「魔法省は信用できないってこと? 賢いじゃないの。」

 

「まあその、先月協力部であんなことがありましたからね。敏感になるのも無理ないですよ。」

 

目の前で普通に会話しているお婆ちゃんを見つめる私の手を、魔理沙がおずおずと握ってくる。気遣うように、それでいて制止するようにだ。……分かっているさ。私はここに居るべきじゃない存在なんだから、お婆ちゃんと話すことも触れ合うことも許されない。それはきちんと理解しているぞ。パチュリー様の仮説が絶対に正しいとは言い切れないんだし、余計なことはしない方がいいだろう。

 

「何にせよ、そういうことならバンスに話を通すべきね。彼女なら安全なポートキーと受け入れ先を確保してくれるでしょう。」

 

「今日はスカーレットさんがこっちに居るみたいなので、そっち方面からエメリーンに繋げてもらうことにします。アーサーとモリーも詰めてますから、リビングに行けばビルやチャーリーにも会えますよ? この時間だから寝ちゃってるかもですけどね。」

 

「子供は苦手よ。ロングボトムも報告があるみたいだから、先に全員で共有しておいて頂戴。私は私の用を済ませてから行くわ。」

 

「了解です。」

 

過去のレミリアお嬢様とウィーズリー夫妻、子供の頃のビルさんやチャーリーさんも屋敷内に居るのか。それに、ブロンドの男性はロングボトム先輩のお父さんだったようだ。フランク・ロングボトムさん。確か第一次戦争時は闇祓いで、『今』は聖マンゴに入院しているはず。お父さんとお母さんの闇祓いとしての先輩ということになるな。

 

……ビルさんとチャーリーさんは出てきたのにパーシー先輩の名前が出てこなかったし、お父さんとお母さんはまだ闇祓いになっていない時期なのかもしれない。パーシー先輩は76年生まれで、私の両親や忍びの五人が卒業したのは78年のはずだ。つまり今私たちが居る時間では、お父さんとお母さんは妹様たちと一緒にホグワーツに在学中なのかな? そういえばここがどの時点なのかをはっきりと確認できていないなと考えていると、去り際にアリスがパチュリー様へと話しかけた。

 

「何か作業があるなら手伝うけど、いいの?」

 

「ええ、一人で平気よ。大したことじゃないから。」

 

「そっか、それならリビングで待ってるね。……ねえテッサ、折角帰ってきたんだから旦那さんにも会っていきなさいよ。この前寂しがってたじゃないの。」

 

「私は寂しがってたわけじゃなくて、心配してたの。またコゼットに変な料理を教えないかって。……まあ、八月に入ればホラスと交代で家に戻れるんだから今日はいいよ。もう寝てるだろうしね。」

 

お爺ちゃんもまだ生きている時期なのか。アリスやフランクさんと笑顔で話しながら遠ざかっていくお婆ちゃん。その姿をジッと見ている私に、リーゼお嬢様が声をかけてくる。

 

「……ふぅん? やけに切なそうにヴェイユのことを見るじゃないか、キミ。」

 

「それは、その──」

 

「いいさ、言わないでくれたまえ。『それ』を聞いたら私はアリスのためにすべきことをしなければならなくなる。ひょっとしたらフランのためにもね。未来の状況を踏まえた上で、それでもなお聞くべきなのかどうかは私の『頭脳』であるパチェが決断することだ。今はまだ聞きたくないよ。」

 

リーゼお嬢様は賢いお方だ。今の私の表情とこれまでに話した事情から、大凡の『未来』を察しているのだろう。アリスの背中を見つめながら複雑そうな顔付きになってしまったお嬢様へと、ぺこりと頭を下げて謝罪を送った。気付かせてしまったことへの謝罪を。

 

「申し訳ございませんでした、リーゼお嬢様。」

 

「キミが謝ることではないだろうが。もしかすると、これは未来の私が未来の従者たるキミに謝るべきことなんだから。……さっさと行くぞ。」

 

不機嫌そうな声色で吐き捨てたリーゼお嬢様は、一度鼻を鳴らしてから中庭がある方向へと歩き始める。背後で会話を聞いていた美鈴さんも何かに思い至ったようで、困ったような微笑みで私の肩を軽く叩いてからお嬢様に続いた。……もし今時間を止めてお婆ちゃんに追いついて、これから起こる全てを洗いざらい暴露したらどうなるんだろう? パチュリー様たちが止める間も無く、ハロウィンの悲劇や分霊箱のことを全部喋ってしまったら?

 

パチュリー様の仮説が正しいのであれば、私はそれをしないはずだ。だからこそ私はサクヤ・ヴェイユとしてこの場に存在しているのだから。……だけど、もしやってしまったら? 私は『咲夜』ではない別の私としてヴェイユ家の皆と暮らすことになるのだろうか? ロングボトム先輩も、ポッター先輩も、幸せな未来を得られるのだろうか?

 

そうなればきっと、ホグワーツに行く必要が無くなるリーゼお嬢様はポッター先輩たちと出会わないだろう。お嬢様が行かないのであれば、魔理沙もホグワーツに入学しないかもしれない。妹様は親友を喪わずに済み、ブラックさんは収監も指名手配もされず、オグデンさんは後悔を抱えることなく、ペティグリューさんは道を誤らずに済むかもしれない。ダンブルドア先生はもっと長生き出来るかもしれないし、アリスとパチュリー様も穏やかに友人と死別できるかもしれない。

 

眼前にある『もしも』の未来。普通なら絶対に得られないはずのその未来は、今の私にとっては決して手が届かないものではないのだ。手を伸ばせば掴み取れるそれを思って逡巡している私に、魔理沙がそっと語りかけてきた。

 

「お前が何を考えてるかは何となく分かるぜ。私も多分、同じことを考えてるからな。……やめとけ、咲夜。『もしも』を肯定するのは、私たちが居た未来を否定するのと同義なんだぞ。そんな権利は誰にもないはずだ。」

 

「でも、みんなが幸せになれるのよ? 私たちは全てを知っているわ。ヴォルデモートの秘密も、この先に起こる悲劇の数々も。知っているのに黙っていることこそが罪だと思わない?」

 

「得られるものもあるけど、失うものもあるだろうが。……そういう風に出来てるんだよ、この世界は。」

 

「私たちが我慢すればいいだけの話よ。貴女が変化を承認して、私がお嬢様たちと……出会えなくなることを認めさえすれば、他のみんなが幸せになれるわ。そうじゃない?」

 

お嬢様方と、紅魔館のみんなと、そして魔理沙と『出会えなくなる』ことを考えると恐怖で押し潰されそうになる。だけど手に入るものの尊さを考えれば、それをやらない理由にするのは私の我儘だ。そう思って放った反論に、魔理沙は真剣な顔で首を横に振ってきた。

 

「私たちだけの話じゃないだろ。……ここで道を変えれば、全部が変わっちまうんだよ。未来のハリーが両親の代わりにリーゼと出会えなくなることを望むと思うか? アリスやフランドールが友達の代わりにお前と会えなくなることを認めるか? 他にも沢山の人が大事な人と出会えなくなるだろうさ。その結果生まれなくなる命もあるんだぞ。全部が変わっちまった未来で、ルーピンとトンクスが結ばれるって言い切れるか? ビルとフラーはどうだ? ハリーとジニーは恋人になるか?」

 

「そんなこと……そんなこと、分からないわ。」

 

「そうだよ、分からない。私にだってどうなるかなんて予想できんぜ。だったらやるべきじゃないんだ。私たちが何もしなかった時こそが『自然』な流れなんだから、それを変えることこそが罪だろ? 生まれてくる命を選択したり、死ぬべき命を選んだり。そんなの神にだって許されることじゃない。……行くぞ、咲夜。忘れるなよ? 私たちはここに居るべきじゃないんだ。それを絶対に忘れるな。」

 

決然とした表情の魔理沙が手を引くと、自分でも驚くほどに抵抗なく身体が動き出す。……何て情けないんだ、私は。魔理沙は自分の強い意思で『変えないこと』を決定した。でも、弱い私は何も決められていない。親友に手を引いてもらうがままに選択しただけだ。

 

「……やらないのね。」

 

口を出さずに私たちのことを待っていてくれたパチュリー様へと、魔理沙が肩を竦めて応じる。

 

「やらないさ。やるべきじゃないからな。……やらないことを知ってたから止めなかったんだろ?」

 

「その通りよ。今の貴女たちが未来を変えないことを、未来から来た貴女たちは知っているはずでしょう? それだけの話ね。」

 

「つくづくムカつくぜ。私に授業をしてくれてた時はもうちょっと親切だったぞ、お前。」

 

「あら、授業? ……まあ、そういうことなら何よりだわ。リーゼの従者と私の『生徒』。そんな二人が未来を変えることの罪深さに気付けているようで安心よ。」

 

言うと歩き出したパチュリー様の後から、私たちも中庭に向かって一歩を踏み出す。……未だに正解が分からないな。私たちは変えるべきだったのか、それともこれで良かったのか。多分これは正解がある類の問題ではないのだろう。あるのは選択と結果だけだ。

 

その選択すら出来なかった自分にため息を吐いていると、遂に月時計がある中庭が廊下の先に見えてくる。この辺は私が知る『ムーンホールド区画』と完全に一致しているな。もっと奥に進めば地下の貯蔵庫への階段があるはずだ。

 

「月時計はムーンホールドに来た後で少し調べたわ。別段魔力らしきものは感じなかったし、設計そのものや装飾の見事さには感心したけど、何か特別な機構は見当たら──」

 

説明しながら中庭に出て、黄色い大きな満月に照らされている月時計へと歩み寄ったパチュリー様だったが……急に口を噤んだかと思えば、月時計の上に置かれている物を杖なし魔法で引き寄せた。小石で風に飛ばされないように固定されていた、一枚の羊皮紙をだ。

 

「……なるほど、貴女は確かに魅魔の弟子だったようね。」

 

「何だい? 何て書いてあったんだ?」

 

「魅魔からよ。ご丁寧に準備を整えておいてくれたらしいわ。」

 

リーゼお嬢様に答えたパチュリー様がこちらに示してきた羊皮紙には、どうもこの月時計の『使用方法』が記載されてあるらしい。『鍵は歯車、動力はバカ弟子、スターターは銀髪のお嬢ちゃんだ。移行する時点の設定は私が済ませた。上手くやりな、図書館の。とっても偉大な大先輩より。』という文章が癖のある踊るような文字で書かれており、その下には『追伸、使い終わった歯車を送り返すのを忘れないように。』との一文が続いている。

 

「間違いなく魅魔様の字だぜ。……お師匠様は知ってたってことか? 私たちがこの時間に遡行することを。」

 

何とも言えないような面持ちで呟いた魔理沙の疑問に、青白い複数の魔法の明かりを浮かせて月時計を調べているパチュリー様が応答した。ほんの少しだけ不服そうな顔付きでだ。

 

「そも遡行の切っ掛けを作ったのは魅魔なんでしょう? だったら魅魔が『ゴール』を決めるのはそこまでおかしなことではないわ。最初から最後まで大魔女の計画通りだったということよ。おめでとう、大魔女魅魔の弟子。貴女はゴールにたどり着いたみたいよ?」

 

「……遡行することもひっくるめて、全部魅魔様の『課題』だったってことか。」

 

そんなの滅茶苦茶じゃないか。一つ間違えれば大変なことになっていたんだぞ。まさかという思いで周囲を見回してみると……あれ? リーゼお嬢様は苦い納得の表情を浮かべているな。ちなみに美鈴さんは平時通りのにへらっという笑顔だ。

 

「魅魔ならやりかねないね。何故こんな危険なことを『弟子への課題』にしたのかはさっぱり分からんが、あの悪霊なら平然とやってのけるだろうさ。」

 

「……まあ、魅魔様ならやるかもって点には同意するぜ。けどさ、この月時計はずっとここにあったんだろ? ここが『ゴール』ってのはどういうことなんだよ。私たちはこれからどうなるんだ?」

 

「『移行する時点の設定は私が済ませた』と書いてあるわ。だからつまり、魅魔はこれで『戻れ』と言いたいんでしょ。」

 

リーゼお嬢様に同意した魔理沙の問いに対して、パチュリー様はスラスラと返答を返しているが……まさか、これは未来に行くための魔道具だってことか? パチュリー様は『未来に移行する魔法は存在していない』みたいなことを言っていたはずだぞ。

 

私の疑念を代弁するように、リーゼお嬢様が疑わしげな口調で声を上げた。

 

「おいおい、これはバートリ家の月時計だぞ。魅魔は関係ない……いや待て、そうでもないな。魅魔は祖母の友だった。そしてこの月時計は母上が誕生した記念に作られた物であるはずだ。魅魔が贈ったということか?」

 

「その辺は知らないし、どうせ私たちは記憶を消すんだから推理しても無駄よ。謎解きは未来の私たちに任せましょう。……サクヤとか言ったわね。この手紙によれば、使い終えた歯車を未来の貴女に送り返す必要があるらしいわ。どんな風に送られてきたの? 今から同じように送るのだから、貴女はそれを覚えているはずよ。」

 

「えと、覚えてます。再現しろってことですよね? 羊皮紙の切れ端が一枚と封筒が必要です。」

 

「美鈴、適当に持ってきなさい。その辺の棚に入っている羊皮紙と封筒で構わないわ。」

 

美鈴さんに指令を下したパチュリー様は、次に魔理沙へと質問を飛ばす。パチュリー様は気になっていないのだろうか? この月時計が本当に『未来旅行』を可能にする物なのであれば、魔女として興味を惹かれるはずだぞ。

 

「それで貴女、『動力』とは何? 動力担当の『バカ弟子』というのは貴女のことでしょう?」

 

「動力? 動力って言われても……ひょっとして、これのことか? 八卦炉だ。ミニ八卦炉。」

 

「八卦炉? 『あの』八卦炉のこと? 貴女はそんな物騒な物を持ち歩いているの? ……これ、未来の私にも見せた?」

 

「見せたぜ。っていうか、使い方をお前から習ったんだ。」

 

魔理沙の返事を聞いて、パチュリー様は『なら良し』という顔でどんどん話を進めていく。

 

「大いに結構。面白そうな品だけど、未来の私が研究するなら問題ないわ。月時計から魔力を感じなかったのは動力が『外付け』だったからなのね。……貴女はどうなの? 『スターター』と書いてあるけど、意味を把握している?」

 

「私はその、生まれつき時間を止められるので、魅魔さんはそのことを言っているんだと思います。……ちなみにそれも未来のパチュリー様は研究済みです。」

 

「素晴らしいわ。楽しそうな未来で何よりよ。となると後は鍵である歯車を設置するだけね。」

 

「待ちたまえよ、キミ。色々と疑問をすっ飛ばしすぎだぞ。未来に移行する魔道具? 八卦炉? 時を止める? 魔女として気にならないのかい? それ以前に、私はまだこの小娘たちを利用するかどうかを迷っているんだがね。」

 

我慢できないという様子で突っ込んだリーゼお嬢様へと、パチュリー様は歯車を片手に月時計を調べながら、至極当たり前のことを語るように素っ気無く応じる。

 

「その議論には意味がないわ。何度も言っているでしょう? この子たちが遡行してきたということは、私たちはこれから記憶を消すし、記憶を消すということは今考えても無意味なの。未来の状況を鑑みれば、この子たちは月時計で『帰る』と考えるのが自然だしね。意味のないことをするのは時間の無駄よ。さっさと帰して現在の問題に向き合いましょう。貴女の頭の中にある数々の疑問を解消すべきは未来の私や貴女だわ。どうせいつか分かるなら、別に今必死になって考える必要はないでしょ。」

 

「……薄気味悪いぞ、キミ。よく葛藤しないね。」

 

「永久に知れないのであれば意地でも抵抗するけど、いつか知ることが約束されているならそれでいいの。貴女はこの子たちを元の時間に帰すわ。そうなっている以上、本音で言えばそう考えているはずよ。」

 

「つくづく気に食わん状況だね。……おい、キミ。帰ったら未来の私にこの件を絶対に追及するようにと言っておきたまえ。特に魅魔だ。要するに原因はあいつなんだろう? あの忌々しい迷惑な悪霊に『迷惑料』を請求することを決して忘れるんじゃないぞ。あと、月時計に関しても納得のいく説明を要求するんだ。いいね?」

 

イライラと翼を揺らしながら命じてくるリーゼお嬢様に、しっかりと頷いて了承を返す。……私の生い立ちに薄々勘付いてしまったから、アリスや妹様のために記憶を消すことを承認したのかもしれないな。パチュリー様の仮説や『未来の従者』の存在も一応の要因にはなっているんだろうけど、一番大きな理由はきっとそれだ。パチュリー様が言うように未来が確定しているものなのであれば、いっそ忘れてしまった方がマシだと判断したんだろうか?

 

「かしこまりました、お嬢様。」

 

「『影』は返しておくよ。私はキミなんかに預けちゃいないが、未来の私はキミのことを信頼しているようだからね。しっかり持っておきたまえ。」

 

「はい。……いつか私がリーゼお嬢様と出会う日が来るはずです。その時はどうかよろしくお願いします。」

 

「……ふん、記憶を消すんだから今言っても無駄だろうに。」

 

そっぽを向いてしまったリーゼお嬢様に苦笑していると、美鈴さんが小走りで戻ってきた。手には封筒や羊皮紙なんかを持っているようだ。

 

「封筒と、羊皮紙と、一応ペンとかも持ってきましたけど……その辺から適当に選びましたよ? 大丈夫なんですか?」

 

「平気よ。でしょう?」

 

「……そうですね、私が受け取った封筒と同じ物だと思います。こっちの方が真新しいですけど。」

 

パチュリー様の確認に首肯してから、彼女に目線で促されて封筒にペンを走らせた。宛名は『バートリ家の銀髪の使用人へ』で、差出人は『貴女の先達より』だったはずだ。そして羊皮紙に書くのは『アンネリーゼお嬢様のために、必ず持ち歩くように』で間違いないはず。あとは羊皮紙を小さく切り取れば完璧だな。……そうか、これは私の字だったのか。まさか自分からの手紙だなんて思わないから仕方ないといえば仕方ないけど、そんなことにも気付けないのはちょっと間抜けだったかもしれない。

 

「書けました。」

 

「送られてきたのはいつ?」

 

「1998年の九月二日の朝、ホグワーツの大広間で配達ふくろうから受け取りました。バートリ家のスタンプで封蝋がされていて、封筒の中に直接羊皮紙の切れ端と歯車が入っていた形です。」

 

「封筒は劣化していたのよね? ……把握したわ。貴女たちが旅立った後、歯車を入れて然るべき手段で送っておくから安心して頂戴。」

 

私から封筒を受け取りながらそう言うと、パチュリー様は仕草で私たちを月時計の上へと移動させる。そのまま私たちの立ち位置を何度か調整した後、魔理沙に向けて指示を出した。

 

「恐らく移行に必要なエネルギーの注入口はここよ。細い光の線のようにして純粋な力を照射できる?」

 

「出来るぜ。」

 

「そうね、出来るはずよ。二十秒程度の間照射し続けて頂戴。そしたら次は『スターター』の出番。私には具体的なところまでは分からないけど、貴女は何をすべきか分かっているのでしょう? それをやれば未来に帰れるわ。リーゼと美鈴の記憶は見送った後で消すから心配しないで帰りなさい。」

 

複雑な機構の月時計の中心に立っている私たちへの説明を終えたパチュリー様は、リーゼお嬢様たちが居る場所へと一歩下がって見守り始める。それに頷いた魔理沙が八卦炉を起動させて、パチュリー様が示した真っ黒なレンズのような場所へと光を照射した。こういう時は何と声をかければいいんだ? 状況が特殊すぎて分からないぞ。

 

「えっと、お世話になりました。」

 

「あー……まあなんだ、未来で会おうぜ。」

 

私たちの曖昧な別れの挨拶を受けて、リーゼお嬢様、美鈴さん、そしてパチュリー様もまたぼんやりした返事を放ってくる。

 

「礼は未来の私に言いたまえ。どうせ今の私は忘れちゃうんだから。」

 

「元気に生まれてきてくださいね、私の名付け子ちゃん。魅魔さんの弟子さんもお元気で。」

 

「あのね美鈴、『元気に生まれてくる』のは確定しているのよ。目の前に『結果』が居るんだから。……はい、もうエネルギーは充分よ。それじゃ、行ってきなさい。」

 

パチュリー様の言葉と同時に、私が能力を発動すると……またこれか。世界が足元から崩壊して、私たちは漆黒の闇へと落下していく。そんな中、崩壊する世界に立っているパチュリー様がポツリと呟きを寄越してきた。どこまでも不遜で狡賢い、力ある魔女の顔付きでだ。

 

「それと、魅魔に伝えなさい。未知を前にした私の欲深さを舐めないようにと。」

 

……どういう意味なんだ? 疑問が脳裏をよぎった瞬間、下へ下へと身体が引っ張られる。真っ黒に染まっていく世界を認識しながら、サクヤ・ヴェイユは未来へと落ち続けるのだった。

 


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