Game of Vampire   作:のみみず@白月

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ノルンの魔女

 

 

「出てきたまえ、性悪悪霊! 今度という今度は許さんからな! 納得のいく説明をしてもらおうか!」

 

呪符で到着した博麗神社の境内。そこをいつもの縁側に向かって歩きつつ、アンネリーゼ・バートリは正午の青空へと怒鳴り散らしていた。どうせ見ているんだろうが。だったらさっさと姿を現せよ。

 

昨日の深夜に『過去』から帰還した咲夜と魔理沙をホグワーツの医務室に運んだ後、今日の早朝に一度目覚めた咲夜から事情を聞き取った私は、今回の一件の全ての原因である魅魔の責任を追及するために幻想郷を訪れているのだ。

 

荒々しい歩調で縁側に到着した私に対して、茶の間から声が投げかけられる。魅魔のものではなく、家主である紅白巫女の声がだ。

 

「うるっさいわね、誰よ! ……あんた、何のつもり? 私の昼寝を邪魔するとはどういう了見?」

 

「ちょうど良いところに登場したね。キミは私の味方に付きたまえ。役に立ったら次来た時に肉と菓子を山ほど差し入れてやろう。……おい悪霊、早く出てきたまえよ! このまま黙りで事が済むわけないだろうが!」

 

「は? 肉と菓子? ……いいでしょう、何がなんだか分からないけど味方になってあげる。博麗の巫女は常に利益の味方よ。安心して背中を預けなさい。」

 

寝巻きであるらしい真っ白な薄い着物姿で文句を言ってきた紅白巫女を、世俗的すぎる対価で一瞬で味方に付けた後、そのまま怒鳴り続けていると……おや、極悪魔女どののご登場か。苦笑しながら頭をポリポリ掻いている魅魔が、何の脈絡もなくいきなり庭に出現した。魔理沙が何か『やらかした』時とそっくりの動作だな。

 

「そんなに怒るなよ、コウモリ娘。バカ弟子も銀髪のお嬢ちゃんもきちんと帰って──」

 

「やりたまえ、巫女。祓うなり封印なりをするんだ。邪悪な悪霊がキミの神社の敷地内に居るぞ。」

 

「おっしゃ、任せなさい。」

 

躊躇なく送った私の指示に従って、紅白巫女が寝起きとは思えんほどの手捌きで十数枚の符を魅魔へと飛ばすが……くそ、やはりそう簡単にはいかんか。全ての符が魅魔をすり抜けて地面に落下してしまう。

 

「おいおい、勘弁しとくれ。こういう展開になるって分かってるのに、実体でノコノコやって来るわけないだろう? 虚像だよ、この姿は。会話用に魔法で投影してるだけさ。」

 

「……巫女、何とかならんのか?」

 

「ならんでしょ。虚像相手に何したって無駄よ。……この場合私の報酬はどうなるの? 山ほどの肉と菓子は?」

 

「契約不履行で無しだよ。……話す気があるならとっとと説明したまえ、性悪悪霊。一体全体何のつもりだったんだい? 返答次第じゃ許さんからな。」

 

私の返事を聞いて絶望的な表情になった巫女を尻目に問いかけてみれば、魅魔は……魅魔の姿をした『虚像』は縁側に腰掛けて肩を竦めて応答してくる。

 

「お前さんね、許さないからって何が出来るわけでもないだろうに。可愛らしいチビコウモリから脅されても怖くも何ともないさ。」

 

「ふん、どうかな? ……母上の墓に報告してやるからな。キミからひどい迷惑をかけられたって。」

 

「……待て、それはやめとくれ。分かったよ、話す。話せばいいんだろう? そもそもそのつもりで来てるんだよ、私は。」

 

かなり嫌そうな顔になった魅魔は、大きなため息を吐きながら事情の説明を語り始めた。こいつが弱点らしい弱点を見せたのは初めてだな。やっぱり母上とは浅からぬ関係があったわけか。

 

「いいかい? 今回こんなことを企てた理由は三つだ。一つはもちろんバカ弟子の教育のため。私の弟子ってんなら、時間遡行ってもんを身を以て知っておかなきゃいけない。だから実際にやらせてみたんだよ。」

 

「ねえねえ、私が同席する必要ってある? 肉も菓子も無しなら帰って欲しいんだけど。っていうか、帰りなさいよ。どっか別の場所で話して頂戴。この緑髪、嫌いだから。」

 

「ええい、それなら今度肉と菓子を持ってくるから場所を貸したまえ。茶も不要だから放っておいてくれ。……何故時間遡行なんだい? キミの弟子であることとそれが関係しているとは思えんがね。」

 

相変わらず現金なヤツだな。割り込んできた巫女が素直に離れていくのを横目に疑問を提示してみると、魅魔はちょびっとだけ情けなさそうな顔付きで回答してくる。またしてもこの悪霊にしては珍しい態度だ。

 

「それはだね、コウモリ娘。『時間』ってのが昔の私の専門分野だったからさ。愚かで未熟だった頃の私のね。」

 

「……キミは『時間の魔女』だったのか?」

 

「いやいや、そうじゃない。主題とは違うが、主題を求める上での一つの手段として多用していたんだ。大昔の私は好き勝手に過去を変えて、時には未来の知識を利用してたわけだね。私に『全盛期』と呼べる時期があったとすればあの頃さ。……何もかもが上手く行ったよ。当然のことだろう? そうなるように過去を変えてたし、そうなっていることを未来で確認してたんだから。」

 

「……恐ろしい女だね、キミは。歴史を歪めることに葛藤はなかったのかい?」

 

大悪霊にして、大妖怪にして、大魔女。その名に相応しいような悪行を受けてドン引きしている私に、魅魔はケラケラと笑って首肯してきた。無かったのかよ、葛藤。

 

「あるわけないだろう? 誰が不幸になろうが、誰の生が狂おうが、誰に迷惑をかけようが私の知ったことじゃないのさ。私さえ楽しけりゃそれでいいんだ。あの頃の私はそう思って栄華を極めてたし、失敗とは無縁の存在だった。過去と現在と未来を意のままに操る、名実共に世界最強の大魔女だったんだよ。……だがね、ある日お前さんの母親から言われちまったのさ。『キミ、そんなことをしていて何が楽しいんだい?』って、心底分からんというきょとんとした顔でね。」

 

「大事な前提を抜かしているぞ。ある程度の予想は付いているが、そも母上とキミとの関係はどんなものだったんだい?」

 

「そこはまあ、お前さんの予想通りだよ。親交があったお前さんの祖母からツェツィーの名付けを頼まれたんだ。当初は名付けなんてアホらしいと思ってたんだが、長く接しているうちにどうにも情が湧いちまってね。ツェツィーの方も慕ってくれるから随分と甘やかしたもんさ。……捻くれ者のお前さんと違って、何とも甘え上手な子だったよ。素直に『見せかける』のが得意だったんだ。そうと分かっていても甘やかしちまうくらいにね。」

 

「……私としては至極微妙な気分になるね。やはりキミは母上の名付け親だったのか。」

 

ちょっと嫌だぞ。私の顔を見てその感情を汲み取ったらしい魅魔は、苦い笑みで続きを話す。

 

「別にお前さんに対して隠してたわけじゃないんだけどね。他者を一切省みない私にとって、あの子は唯一特別な存在だったんだ。……その可愛い名付け子から言われちまったわけさ。誕生したばかりの小さなお前さんを抱きながらのツェツィーと、彼女に贈ったあの月時計がある中庭で話してた時にね。『私はこの子が産まれた時に心から喜べたけど、未来を知るキミにはそれが出来ない。それって物凄く損なことだと思うよ。』って、やけに満ち足りた表情で言われちまったんだよ。」

 

赤ん坊の私を抱いた母上からか。つまり五百年ほど前の出来事ということになるな。言いながら懐かしむように目を細めると、魅魔はバツの悪そうな口調で言葉を繋げる。

 

「分かるだろう? 正にその通りだったのさ。全部を知っていて、全部が上手く行って、全部思い通りに進む生なんてちっとも面白くないんだ。未知だからこそ知る喜びがあり、失敗するからこそ成功が輝かしくなり、思い通りにならないからこそ乗り越える快感があるんだから。……バカバカしいことに、ツェツィーに諭されるまで私はそんな簡単なことにも気付けていなかったのさ。あの頃の自分を思い出すと本当にイラついてくるよ。手に入れた力に溺れ切って、生の愉しみ方ってのを履き違えてたんだ。」

 

こいつにもそんな時期があったのか。……確かに全てが意のままに進む生など面白くもなんともないだろう。きっと退屈すぎて死にたくなるはずだ。それこそ地獄だぞ。内心で同意する私へと、魅魔は庭をぼんやり眺めながら話を再開した。

 

「だからやめたのさ。私は絶対の存在であることを、全知の魔女であることをやめたんだ。高みから全てを自在に動かすんじゃなくて、地に立って未知を感じ取ることにしたんだよ。……まあなんだ、師としてのエゴなのかもしれないね。とはいえ、それでもバカ弟子には実際に触れてもらいたかったのさ。時間遡行という名の、師の愚かな部分を知っておいて欲しかったんだ。それに対してどう考えるかは弟子の自由だが、実際に体験するのと言葉で教えるのじゃわけが違う。私が師になった以上、どうしても自分の弟子には時間遡行ってもんを直接体験させる必要があったんだよ。」

 

「……まあ、魔理沙を遡行させた理由は理解したよ。では他の理由は?」

 

「いやはや、お前さんは母親に似てせっかちだねぇ。少しくらい一緒に哀愁を感じてくれてもいいんじゃないか? ……まあいい、二つ目の理由は一つ目よりもずっと単純だよ。ホグワーツに隠されている逆転時計を破壊するためさ。あの忌々しい洟垂れ小僧が隠した逆転時計をね。」

 

「マーリンのことか。……結局のところ、キミにとってのマーリンはどんな存在だったんだい? キミは『大魔女モルガナ』だったのか?」

 

私の中にある、魅魔についての二つ目の疑問。それを口に出してやれば、魅魔はニヤリと笑って返答してくる。これ以上ないってほどに無茶苦茶な返答をだ。

 

「そうさ。大魔女モルガナは過去の好き勝手やってた頃の私で、『この私』はマーリンやアーサーを操ってそいつをぶっ殺したんだ。過去に遡行して過去の自分と戦ったんだよ。……つまりだね、お前さんたちが人間を駒にして『ゲーム』をしていたように、私も大昔のイギリスで過去の自分を相手にそれをやったのさ。人間の勇者や魔法使いを『操作』して、悪しき大魔女を倒すってゲームをね。調子こいてバカみたいなことをしてた過去の自分があまりにも恥ずかしすぎたから、ムカついてぶっ殺してやったわけだ。お前さんも恥ずかしい失敗をした過去の自分をぶん殴ってやりたくなる時があるだろう? 私はそいつを実行したんだよ。殴るんじゃ気が済まなかったから殺しちまったが。」

 

「……待て待て、意味が分からんぞ。過去の自分を殺しただと? そんなことをすれば未来のキミも死ぬはずだろう? だって殺した相手はキミの過去なんだから。」

 

「今回の騒動で何も学ばなかったのかい? コウモリ娘。過去に遡行した未来の私が過去の私を殺したら、未来の私が過去に遡行するという未来自体が消えるはずだろう? 被害者を殺すと、加害者が存在しなくなるわけだね。……そぉら、パラドックスの発生だ。かの有名な嬰児殺しのパラドックスと一緒だよ。殺そうとすれば矛盾し、それを解決するとまた殺そうとする。出口のない堂々巡りさ。」

 

心底愉快そうに矛盾を語る魅魔を見つつ、頭の中で思考を回す。その通り、堂々巡りだ。咲夜の手紙の場合は『成り立たせるために遡行させざるを得なかった』わけだが、魅魔のそれは更に複雑だな。何せ『過去の自分を殺した』ということを前提にしているのだから。相反する事象が同時に存在していることになるぞ。

 

あああ、面倒くさい。こういうことを考えるのはパチュリーの役目であって、私がやることじゃないぞ。意味不明な矛盾にイライラしている私へと、魅魔はニヤニヤしながら口を開く。

 

「深く考えるのはやめときな、コウモリ娘。時間ってもんの表面を操れるようになるまでに、唯一無二の天才魔女であるこの私でさえ千年近くもかかったんだ。数百年生きてる程度じゃどうにもならないさ。一方向から見るんじゃダメなんだよ。時間を理解するためには認識を多角的に重ねないといけないんだから。」

 

「いいさ、私は魔女ではなく吸血鬼だ。こんな面倒なものを深く知りたいとは思わないよ。……結局、キミは過去の自分を殺せたのかい?」

 

「ああ、殺せたよ。時間って概念にはね、いくつかの『バックドア』があるのさ。かなりの手間だったが、それを駆使すれば今の自分を成立させたままで過去の自分を殺すのだって不可能じゃない。あの洟垂れ小僧たちを上手く使って、私は邪悪な『大魔女モルガナ』を成敗したわけだ。スカッとする話だろう?」

 

「キミはあれだね、どこまでも無茶苦茶な存在だね。一応聞くが、『自分』を殺すことに躊躇いはなかったのかい?」

 

ベアトリスの時と似たような内容の問答だが、彼女の一件とは全然性質が違うな。そもそもどうやったのかも分からんし、魅魔とモルガナがどこまで同一でどこまで分離しているのかも分からない。全てが分からんぞ。

 

胸中の複雑な疑問の理解をぶん投げながら尋ねた私に、魅魔は肩を竦めて応じてきた。

 

「詳しく説明すると時間がかかっちまうから、色々と省いた簡単な説明になるが……モルガナと私は別の存在だと思ってもらって結構だよ。私には私の辿ってきた生があるし、モルガナにもモルガナの生があるんだ。それがある時点まで同じってだけの話だね。要するに、ちょいとばかし時間を弄って私という存在を別々の二つに分けたのさ。」

 

「『コピー』ってわけじゃないんだね?」

 

「コピー? あー、人間の魔女のやり方を想像してるのかい? 違う違う、全然違うよ。あんな不気味なことをするはずないだろう? あれは私から見ても異質な生き方だったんだから。……何て言えばいいかねぇ、一卵性の双子みたいなもんだよ。一つの卵の中で一つの存在として育って、ある時点で二つに分かれるようなイメージだ。元が一緒でも、双子は同一の存在じゃないだろ? そういうこった。」

 

「さっぱり分からんが、もういいよ。無茶苦茶すぎてついて行けん。とにかくキミはマーリンたちと協力してモルガナを打ち倒したわけだ。ホグワーツに隠されていた逆転時計はその時に使った物なのかい?」

 

こいつと話しているとつくづく感じるぞ。『反則級』の反則っぷりを。そんなもんを一々真面目に考えていたら頭がおかしくなると解釈を放棄した私へと、魅魔はこっくり頷いて応答してくる。

 

「時間を行き来してやりたい放題してる過去の私をぶっ殺すためには、私たちも時計を利用する必要があったんだ。毒を以て毒を制すってわけさ。過去を変えようとしたらこっちも過去に戻ってそれを防ぎ、未来に逃げ込んだら未来へと追いかける。当然ながら過去の私よりも未来の私の方が一枚上手だったものの、仕留めるには手が足りなくてね。あの小僧にも時計を使わせてたんだよ。……マーリンは酒癖の悪い生意気な色ボケだったが、人間にしては頭抜けて賢かった。よく働いてくれたもんさ。私利私欲のために時計を使うことは終ぞなかったしね。」

 

「ふぅん? 弟子にはしなかったのかい? どの時点で至ったのかは知らんが、『本物の魔術師』ではあったんだろう?」

 

「私も小僧も性格が最悪だったからお互い嫌ってたんだよ。仲良く手を繋いで戦ってたわけじゃなく、それぞれに利用し合ってただけさ。……能力を認めちゃいたが、仲良くしたいような『まとも』な人間じゃなかったからね。あんなクソ野郎を弟子にするだなんて真っ平御免だよ。向こうだってお断りだろうさ。」

 

「……つまり、同属嫌悪か。」

 

魅魔にここまで言わせるということは、マーリンは余程に性格が悪かったのだろう。イギリス魔法界が誇る英雄が『クソ野郎』だったことにやれやれと首を振っていると、魅魔は大きく鼻を鳴らしてから続きを口にした。

 

「あの小僧のことを思い出すとイラついてくるから話を戻すよ。何せ一度私を幽閉しようとしやがったからね。バカが作った牢屋だったから簡単に抜け出せたが、恩を仇で返すとはあのことさ。……とにかくモルガナを倒した後、私は各地に隠してあった逆転時計や未来時計を壊して回ったんだ。もう必要なかったし、他人に勝手に使われるのは気に食わないからね。」

 

「あんな物が複数あったのか。」

 

「当たり前だろう? 未来か、過去か。どの時代のどこに行ってもまた遡行や移行が出来るように、あらゆる時代で作りまくって世界各地に山ほど隠しておいたさ。……んでもって途中までは順調に破壊できてたんだけどね、どうしても壊せないのが二つ残っちまったんだ。それが洟垂れ小僧がホグワーツ城に隠した逆転時計と、お前さんの家にある月時計なんだよ。」

 

ここで今回の件に話が繋がってくるわけか。首肯して続きを促した私に、魅魔は困ったような苦笑で二つの時計に関する話を語ってくる。

 

「あの忌々しい洟垂れ小僧は、上手いこと私を騙して契約を結ばせたんだ。『ホグワーツには決して手を出さない』という契約を。だから私はホグワーツの物を破壊することが出来ないんだよ。あの城の物である限り、ガラス瓶一つだって壊せないわけさ。」

 

「驚いたね。キミにそんな契約を結ばせた対価は何だったんだい?」

 

「死だよ。あいつは人間をやめて魔術師に至った後、また定命の存在に戻ることにしたんだ。あの小僧はある時点で自分の主題を達成しちまったからね。満足して大量の秘密を抱えたままで死んでやるから、代わりにホグワーツに手を出さないことを誓えってわけさ。」

 

「物好きなヤツだね。魔術師から人間に戻ったのか。」

 

可能不可能で言えば無論可能ではあるものの、非常に珍しいケースなことは間違いないだろう。私が知る魔女や魔術師という存在は、探究をやめたくてもやめられないものだ。自分から『永遠の研究室』を出た魔術師というのはかなり異質に思えるぞ。

 

私の相槌に対して、魅魔は皮肉げな笑みで返事を返してきた。ほんの僅かな悔しさが滲んでいる声色だ。

 

「決められたのさ、あいつは。自分の『終わり』を定められたんだよ。永く生き過ぎて見失わないうちに、そいつを手にすることが出来たんだ。……何にせよあの小僧は成長すると厄介な存在になりそうだったし、その程度の契約で死んでくれるなら上々と思った私は、ホグワーツに直接手を出さないことを約束しちまったわけさ。当時の私はホグワーツなんかに大した価値を見出していなかったから、割の良い取り引きだと判断したんだよ。」

 

「しかし、予想外にも逆転時計をそこに隠されてしまったわけか。抜けているね。詰めが甘いぞ。」

 

「ムカつく話さ。あのクソガキの悪知恵だけは私に匹敵してたからね。おまけに件の砂時計は一番最初に作った一番出来の悪い逆転時計だったから、まさかあれに目を付けるとは思ってなかったんだ。マーリンは遥かに強力な他の逆転時計を山ほど知ってたし、私もそっちを先に壊そうと考えて少し目を離した隙に……まあ、してやられたってわけさ。だからあの逆転時計だけは誰かに破壊させるしかなかったんだよ。」

 

己の死を利用して魅魔ほどの大魔女を出し抜いたわけか。さぞ食えないヤツだったんだろうなと感心していると、魅魔は続けて未来に移行するための魔道具に関しての話に移る。

 

「そしてもう一つ。これは今回の計画の三つ目の理由とも重なる点だが、月時計の方も壊すわけにはいかなかったんだよ。あれは私がツェツィーに贈った物で、故にツェツィーの所有物だ。あの子の物を壊すってのはどうにも気が引けてね。単純にやりたくなかったのさ。」

 

「現所有者たる私に話を通せばよかったじゃないか。」

 

私だって母上の物を壊すのは嫌だが、理由を話せば使えなくする程度なら許可したかもしれないぞ。首を傾げて指摘してやれば、魅魔は……何だよその顔は。小馬鹿にするような笑みで返答を寄越してきた。

 

「お前さんの意見なんてどうでも良いさ。大切なのはツェツィーであって、お前さんじゃないからね。……よく聞きな、コウモリ娘。私にとってのお前さんは『ツェツィーの宝物』だ。あの子に免じて多少気遣いはするが、重要なのはツェツィーの方なんだよ。分かるかい? 月時計は私とツェツィーの思い出の品であって、お前さんの物じゃないのさ。そこを勘違いしないように。」

 

「……母上の一人娘だぞ、私は。」

 

「だから何だってんだい? お前さんの名前を付けたのは私じゃないし、血が繋がってるわけでも特別親しいわけでもないだろう? ……大体、最初から気に食わなかったんだ。お前さんの中の半分は可愛いツェツィーの血だが、もう半分はツェツィーを私から『盗んだ』バカコウモリの血だからね。何であんな男を選んだのやら。ちょっと顔と頭が良いからって私の名付け子を騙くらかして、私の許可も得ずに結婚しちまった。ツェツィーもツェツィーだ。結婚なんてまだ早いと言ったら暫く口を利いてくれなくなったんだよ? だから認めざるを得なかったけどね、私はまだこれっぽっちも納得しちゃいないぞ。いいかい? あいつとイチャイチャするようになってからツェツィーは私への対応が若干適当に──」

 

姑かよ。父上は祖父や祖母とは仲が良かったらしいが、それとは別にねちっこい『名付け姑』が存在していたようだ。つまりこいつは母上を『取られた』から父上を嫌っているわけか。人間くさいところもあるじゃないか。

 

ブツブツと父上に対する恨み言を呟き続ける魅魔へと、呆れた気分で制止を送る。質問と共にだ。

 

「分かったからやめたまえよ。……キミはそこまで母上のことを大切に想っていたのに、母上の死を認めたんだね。キミほどの魔女だったらどうにでも出来たんじゃないか?」

 

「……ツェツィーが選んだことだからね。誰もが生まれてくることを選択できないんだから、死ぬ権利を否定することだけは絶対にあっちゃならないんだ。ツェツィーが自分の終わりを定めた以上、私はそれを邪魔したくなかったのさ。いくら人外で妖怪で魔女で悪霊でも、触れちゃいけない部分ってのは確かにあるんだよ。」

 

「……まあ、そうかもね。」

 

魅魔は生きることではなく、死こそが生命における絶対の権利だと考えているわけか。……その考え方は少し分かるぞ。短命な人間は生きる権利をこそ主張するだろうが、長命な存在はむしろ『終わりが無い』ことを恐れるものだ。たった五百年しか生きていない私ですらそうなんだから、魅魔ともなれば遥かに強く『終わり』を重視するのだろう。

 

母上の最期と父上の最期。それを思い返しながら頷いた後、会話のレールを元に戻す。

 

「だからキミは壊すのではなく、『使用不能』にしようとしたのか。」

 

「そういうこった。月時計の根幹になってるのはあの歯車だ。お前さんたちは気付かなかったようだが、あの歯車には尋常じゃない量の術式が刻まれてあるんだよ。だからつまり、私の三つ目の目的は月時計の『鍵』である歯車を時間の隙間に閉じ込めることだったのさ。バカ弟子たちの遡行先の過去から、遡行する未来までの間にね。」

 

……見事だな。歯車を咲夜が手紙で受け取り、そして過去へと持って行って未来に送る。あのループに歯車を閉じ込めてしまったのか。今現在、歯車はこの世界のどこにも存在していない。魅魔の計画通り、月時計は壊れることなく使用不能になってしまったわけだ。

 

計画の全貌を語り尽くした魅魔へと、ふと思い付いた疑問を放つ。

 

「……しかしだね、歯車はそもそもどこから来たんだ? 遡行した過去の咲夜が未来に送り、未来の咲夜が過去に運ぶ。『始まり』がないじゃないか。」

 

「それが時間ってもんなんだよ、コウモリ娘。諦めて『分からない』を受け容れな。お前さんにはまだ早いさ。」

 

「これもまたパラドックスか。……実にイライラするね。都合の良い言葉で誤魔化されている気がするぞ。」

 

「仕方がないだろう? 理解できないものを型に嵌めようとするとそうなっちまうのさ。無知を認めて、それでも抗う者こそが答えに近付けるんだよ。その気があるなら抗ってみな。遥か昔の私のようにね。そうじゃないなら諦めるこった。」

 

……よし、諦めよう。それは私の役目ではないのだから。矛盾に塗れた計画への理解をポイして、魅魔に向けて纏めを飛ばす。

 

「纏めようじゃないか。一つ目の理由は弟子に時間遡行を体験させて、その上できちんと未来に帰すため。二つ目は契約によって自分が手を出せないホグワーツの中にある、過去の愚かしさによる『汚点』を掃除するため。三つ目は大好きな母上の月時計を壊さずに使用不能にするため。今回の企ての理由はその三つで間違っていないね?」

 

「悪意のある言い方に突っ込みたくはあるけどね、噛み砕けばそういうことさ。一つ一つを個別にやればもっと簡単だったかもしれないが、面倒くさいからこの機会に纏めてやることにしたんだよ。」

 

「じゃあ要するに、全部キミのためじゃないか。弟子に遡行を体験させたかったのも、逆転時計を壊したかったのも、母上の月時計を壊したくなかったのも、全部キミの願望だろうが。巻き込まれた私たちは非常に迷惑しているぞ。補償は? 対価は? 魔女なら耳を揃えて支払いたまえよ。」

 

「怒るなって。あの子と同じ顔で怒られると気が滅入ってくるから。……さすがの私も迷惑をかけたことは反省してるさ。お前さんはバカコウモリの娘だが、同時にツェツィーの娘だ。だからまあ、借り一つってことにしとくよ。大魔女魅魔に貸しを作れたと思えば悪くない取り引きだろう?」

 

魅魔への貸しか。……ふむ、悪くないな。黄金の山だの部屋いっぱいの宝石だのよりも随分と使い道がありそうだ。またしても魔理沙そっくりの表情で頭をポリポリ掻いている魅魔へと、小さく鼻を鳴らしてから了承を返す。

 

「いいだろう、貸し一つだ。忘れないように。」

 

「覚えとくさ。色々と決着を付けられたし、私としてもそう悪くない取り引きだよ。……んじゃ、この辺にしておこうか。私はこれから過去に行って、バカ弟子と銀髪のお嬢ちゃんに指示を出してこないといけないからね。」

 

「指示? ……なるほど、月時計の使い方についてか。まだ過去に行けるってことは、逆転時計を全部壊したわけではないのかい? ホグワーツの時計は契約で使えないんだろう?」

 

「ちゃんと話を聞いてたかい? コウモリ娘。全部壊したと言っただろう? あんまり私を侮るなって。今の私は道具なんてなくてもあの程度の時間なら遡行できるさ。外界に残ってる私が作った逆転時計は、ホグワーツの砂時計で最後だよ。さっさと弟子に壊させとくれ。」

 

ふん、もう驚かんさ。こいつは何でもありなのだ。そのことは今日の会話でよく理解できたぞ。魅魔の不条理っぷりを実感しつつ、説明を省いたらしい部分に関する問いを一応送ってみる。

 

「帰る前にもう一つ聞かせてくれ。チェストボーンについてもキミの計画に組み込まれていたのかい?」

 

「そりゃそうさ。あんな俗物が簡単に砂時計にたどり着けるわけないだろう? 言っておくけどね、私だって弟子やお嬢ちゃんの安全には細心の注意を払ってたし、あの流れを構築するために過去と未来を何度も行き来して調整してたんだ。あの爺さんはそのための駒だよ。バカ弟子たちが『偶然』遡行しちまったり、遡行先が『偶然』過去のお前さんと出会えるあの時間になったり、サインの最初の手掛かりを『偶然』発見できたりしたのは全部私の調整の賜物さ。『偶然』が重なって無事に遡行して無事に帰還できるように、苦労してあの爺さんのあらゆる行動を調整してたってこったね。……こんなに時間を行き来したのは久々で疲れたよ。今回は必要だったからやったが、やっぱり今の私は時間旅行を楽しめなさそうだ。」

 

「危ない事態が発生しないかをいちいちチェックして、もし発生するならそれ以前の過去を微調整することで未来を変えていたわけか。過保護なんだか厳しいんだか分からんヤツだな。」

 

「良い師匠ってのは下にクッションを準備しておいた上で、弟子を千尋の谷に叩き落とすもんなのさ。……とんでもなく大変だったよ。あの爺さんがヴォルデモートとかいうアホと接触する時点をズラしてみたりとか、『巡礼』のことが書かれた本を資料に紛れ込ませる時期を変えてみたりとか。調整の最中にバカ弟子は計十七回死んだし、お嬢ちゃんは計二十九回死んだ。その度に過去をちょっとずつ変えて、『成功ルート』に導いていったわけだね。」

 

二十九回だと? 試行錯誤中の咲夜の死の回数に眉根を寄せながら、あっけらかんと言う悪霊へと突っ込みを入れた。改変された時間の出来事とはいえ、そんなに死んだら咲夜が可哀想だろうが。なんて邪悪なヤツなんだ。

 

「キミね、咲夜が死に過ぎだろうが。」

 

「二十九回中十七回は過去のお前さんが殺したんだよ。ちなみに門番の大妖怪が六回で、爺さんが殺せたのはたったの五回だ。残りの一回は軽い事故だね。……過去のお前さんたちとの接触の場面が一番面倒くさかったんだよ? どうにも死に過ぎちまうから、一から組み立て直そうかと考えたくらいさ。とはいえそれもそれで億劫になって、何とか正解を引き当ててみせたけどね。少しは感謝しな、コウモリ娘。過去のお前さんにお嬢ちゃんを殺させないために頑張ってたんだから。」

 

「……仕方がないだろう? その時点の私は咲夜のことを知らなかったんだから。」

 

「それはそうだが、幾ら何でも簡単に殺し過ぎさ。お嬢ちゃんが賢くて良かったね。でなきゃもっと面倒だっただろうし、多少の傷くらいは残る結果で妥協してたかもしれないよ。……弟子は自分で撃った光線に頭をぶち抜かれて死ぬとかってバカすぎる死に方をするし、爺さんは間抜けすぎて遡行前に何度もお嬢ちゃんたちに捕まるし、モルガナを殺した時以来の複雑さだったんだよ? 時間に詳しい私でなけりゃこんなもんじゃ済まなかっただろうね。もう二度と御免さ。」

 

むう、十七回か。何だか若干バツが悪い気分になっている私を他所に、魅魔は疲れたように首を振りながら縁側から立ち上がるが……おっと、まだあったんだった。咲夜から聞き取ったことを思い出して追加の発言を飛ばす。

 

「そうだ、咲夜経由でパチェからキミに伝言があるぞ。『未知を前にした私の欲深さを舐めないように』だとさ。未来に移行する直前に聞いたらしいよ。」

 

「あん? 図書館のから? ……あー、なるほどね。なるほど、なるほど。あの若さで大したもんじゃないか。つくづく見込みのある魔女だねぇ。」

 

少し考えた後で何かに納得したように苦笑した魅魔は、愉快そうに笑いながら応答してきた。

 

「今からだってどうにでも出来るが……ま、許してやるよ。それをあの魔女への今回の対価ってことにしてやるさ。多分そこまで計算して言ったんだろうし、図書館の魔女ってピースが無かったら計画の成立すら怪しかったんだ。駄賃くらいはくれてやらないとね。」

 

「訳が分からないんだが。どういう意味なんだい?」

 

「恐らくだが、図書館の魔女は歯車を調べ尽くしてから手紙で未来のお嬢ちゃんに送ったんだろうさ。その後に自分の記憶を消したんだ。どこかのタイミングで記憶が戻るように細工した上でね。……つまり、あの魔女は私が歯車を閉じ込めようとしていることに気付いて、未知になる前に既知にしてみせたんだよ。しかも私の計画との矛盾が生じないようにするやり方で。なんとも優秀な『後輩』じゃないか。偉大な先達が小さなことに目くじらを立てるのはカッコ悪いし、今回は優秀さに免じて目溢ししてやるさ。」

 

「……今のパチェは未来に移行できるということか? 月時計自体はそのまま残っているわけなんだから、歯車だけを新造すれば使用できるはずだろう?」

 

庭でくつくつと笑っている魅魔に質問してみると、彼女は首を横に振って答えてくる。

 

「いいや、まだまだ無理だろうね。さっきも言ったように、あの歯車はそんなに単純な物じゃないんだ。お前さんは馬車の構造を知ってるかもしれんが、作れと言われても作れないだろう? 理解するのと製造するのは別の話なんだよ。んー……そうさね、図書館の魔女なら二、三百年も研究すればいけるんじゃないか? 私は何度も遡行を繰り返して千年ちょっとかけたが、あの魔女ならもっと早く時間の謎にたどり着けるだろうさ。仮にやると決めた場合、私みたいにあっちへこっちへと『寄り道』しないだろうからね。」

 

「いいのかい? キミは時計を使用不能にしたかったんだろう?」

 

「おいおい、そこまで行ったら私の責任じゃないだろう? 誰かの進歩を止められるヤツなんかこの世に居ないのさ。それが魔女なら尚更だ。私が何をしようといつの日か時間の謎は解き明かされて、また私みたいに失敗するヤツが出てくる。その繰り返しなんだよ。私の前に『気付いた』ヤツは居るだろうし、だったら私の後にも居るのは当然のことだね。……ま、大丈夫じゃないか? 図書館の魔女は主題の性質上、『完全な既知』をこそ恐れるだろうからね。過去には頓着するかもしれんが、不用意に未来には手を出さないと思うよ。お前さんとの親交がある以上、月時計も大事に扱ってくれるだろうさ。」

 

「……まあ、もう何でもいいよ。キミとの会話は非常に疲れる。帰って寝たい気分だ。」

 

この件はパチュリーに会った時に話せばいいか。あいつの説明だって分かり難いが、少なくとも魅魔のよりはマシだ。何度目かの理解の放棄をした私に、魅魔はひらひらと手を振りながら別れを告げてきた。

 

「それが魔女さ、コウモリ娘。私たちは狡猾で卑怯で貪欲な、悪知恵を頭に詰め込んだ小難しい拘り屋なんだ。話すと疲れるのは当たり前のことだろうよ。……んじゃ、砂時計の破壊は任せたからね。会うべき時にまた会うとしようじゃないか。」

 

言うとスッと姿を消した魅魔を見送ってから、縁側に仰向けに倒れ込んで深々と息を吐く。……魔女がちょっと嫌いになったぞ。魅魔、パチュリー、ベアトリス。魔女って種族はどいつもこいつも難解すぎる。アリスや魔理沙は成長してもああはならんよな?

 

……果たして魅魔はどれほどの時を生きてきたんだろうか? 時間を自在に操れるんだったら、あの女の生に『上限』は無いということになるぞ。過去への遡行を何度も繰り返せば、極論この世界自体の『年齢』よりも長く生きることだって可能なのだから。永劫の時を生きる太古の大魔女か。母上も迷惑な名付け親を持ったもんだ。

 

やはり『反則級』と関わるとロクなことがない。そのことを確信しながら、アンネリーゼ・バートリは痛む額を押さえるのだった。

 


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