Game of Vampire   作:のみみず@白月

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黒い蛇

 

 

「──の損害を重く見た結果、江戸幕府の八代将軍である徳川吉宗が当時の陰陽奉行であった形原秋元に対して弾圧の取り止めを厳命しました。」

 

うあー、眠い。うつらうつらとしていることを自覚しつつ、東風谷早苗は授業に集中しようと必死に眠気に抗っていた。起きようという気は大いにあるし、勉強へのやる気も充分にあるのに、どうして眠気というのは消えてくれないんだろうか? ああ、眠いぞ。

 

四月五日の入学式や始業式を終えて、そこから四日が過ぎた金曜日の午後。現在の私は『二-は-4号教室』で七限目の日本史学の授業を受けている真っ最中だ。周囲の同級生たちは忙しなく鉛筆やシャーペンを動かしており、黒板の前では細川先生が『享保の制約』に関する説明を続けている。

 

「これを受けた形原は旧藤原派や旧細川派への弾圧を規制する代わりに、暦の采配権と日本における呪術体系の一本化を幕府に要求したわけです。陰陽師たちを持て余していた幕府はその要求を呑み、結果として松平派は『享保の制約』を断行する権利を得てしまいました。……形原は朝廷派の名家であった土御門家に暦の采配権を委譲することで、対価として古くから収集されていた別派の陰陽師たちの情報を手に入れ、彼らの隠れ里に自派の陰陽師たちを派遣して──」

 

うーん、全然面白くないな。戦国時代が面白かったし、中城先輩からも勧められたので、七年生の時に史学の二次選択を日本史学にしたのだが……こんなことなら世界史学にすれば良かったかもしれない。江戸時代は小難しい政治の話ばっかりでつまんないぞ。

 

ぼんやりしている頭でぼんやりしたことを考えつつ、自分の太ももをギュッと抓った。起きろ、私。いくらつまらない内容だろうが、享保の制約は絶対にテストに出てくるはず。目を覚ましてノートに書き取るんだ。

 

「そうして起こったのが『出雲動乱』です。旧藤原派は大きな抵抗なく制約に同意しましたが、独自の呪術体系を保っている家が多かった旧細川派はこれに強い抵抗を示しました。制約への同意を拒絶した魔法族の家系は細川派の支配力が残っている出雲に逃げ込み、陰陽奉行所の術師たちはそれを鎮圧しようと幕府に軍隊の派遣を要請──」

 

ぬああ、もうダメだ。眠すぎて何一つ頭に入ってこない。全てを投げ出したくなる眠気に身を委ねようとした瞬間、黒板の上の時計を確認した細川先生が授業を切り上げる。

 

「……あと五分では説明しきれませんし、出雲動乱については次の授業に回しましょうか。今日はここまで。次回までに教科書の四十二ページを読んでおくように。」

 

やった、授業が終わりということは寮に帰れるぞ。その言葉を聞いた途端に眠気が吹っ飛んで、身体に活力が戻ってきた。……何だ? このノートは。ミミズがのたくったような文字だな。自分では必死に板書していたつもりだったのに、改めて見ると酷い有様じゃないか。

 

眠い時ってどうしてこんなことにも気付けないんだろう? 役に立ちそうにないノートをパタリと閉じて、ため息を吐きながら教科書や筆箱と一緒に机の横にかけてあるバッグに仕舞う。黒板はまだ消されていないし、急げば何とか書き取れるかもしれないけど……私は史学にそこまで熱心じゃない。要するに面倒くさいのだ。そんなことより早く寮に帰ってお二方と遊びたいぞ。

 

だから、ノートの整理は後でやろう。その『後で』が永久に訪れないことを知りつつも、一応の言い訳を胸中でしてからバッグを片手に席を立ったところで、教壇で他の生徒の質問に答えている細川先生が呼びかけてきた。

 

「っと、東風谷さん! 少し話があるので、質問が落ち着くまでそこで待っていてください。」

 

「……はい。」

 

何だろう? 『先生から呼び止められる』ということ自体に悪いイメージが付き纏うし、ましてや相手は細川先生だ。今月の初めに葵寮の敷地に居た件に関する話だろうか?

 

細川先生があの場所に居たことは誰にも言っていないから、まさか怒られはしないはずだけど……むう、不安だ。他の生徒の質問を捌いている先生を見ながら椅子に座り直して待っていると、最後の質問者に回答し終えた細川先生がこちらに歩み寄ってくる。

 

「お待たせしました、東風谷さん。……実はですね、貴女に頼みたい事がありまして。」

 

「頼み事、ですか?」

 

むむ、予想外の台詞だな。申し訳なさそうな顔付きの細川先生に問い返してみれば、彼は一つ頷いてから頼みとやらの詳細を述べてきた。教室に残っている他の生徒に聞こえないような小声でだ。

 

「ええ、私が個人的に飼育しているペットの捜索を手伝って欲しいんですよ。恥ずかしい話なんですが、ケージの掃除をしている時にうっかり逃がしてしまいまして。この前葵寮の敷地に忍び込んだのも脱走したペットを探すためだったんです。」

 

「はあ、なるほど。『探し物』っていうのはペットのことだったんですか。……でも、どうして私に?」

 

私は『ペット探偵』を名乗ったことは一度もないし、当然ながら動物の生態に詳しいわけでもない。急な依頼に困惑しながら尋ねてみると、細川先生は苦笑いでその理由を説明してくる。

 

「私が飼育しているペットというのは蛇なんです。なので東風谷さんなら探し当てられるかもしれないと思ったんですよ。」

 

「あー、そういうことですか。珍しいですね、蛇を飼ってるだなんて。」

 

蛇か。だから蛇舌の私に相談してきたというわけだ。納得の首肯をしてから応答した私に、細川先生は肩を竦めて口を開く。

 

「好きなんです、蛇。美しい生き物ですから。……ですが、日本魔法界で蛇を飼うのはあまり歓迎されることではないでしょう? それで迂闊に周囲に相談できなくて悩んでいたんですよ。私の自室から逃げ出したのは半月ほど前で、桐寮の敷地内は隈なく探し終えていますから、もしかしたら他寮の敷地か校舎のどこかに迷い込んでしまったのかもしれません。食事や水の心配もそうですが、蛇を快く思わない人に見つかった場合、最悪殺されてしまう可能性もあるでしょう。……そうなる前に探し出すのを手伝ってくれませんか? 私にとっては大切な蛇なんです。」

 

「それは……はい、もちろん協力するのは構いません。だけどその、具体的に何をすればいいんでしょうか?」

 

私は蛇の言葉を理解できるだけであって、蛇を感知できる能力を持っているわけではないのだ。かっくり首を傾げながら問いかけてみると、細川先生は嬉しそうな顔で『作戦』を私に伝えてきた。

 

「蛇語で呼びかけてみてくれませんか? 出てきて欲しいとか、こっちにおいでとか、そういう内容のことを。姿さえ見つけられれば私が捕まえられますから。」

 

「それくらいなら簡単ですけど、すんなり出てきてくれますかね?」

 

「分かりませんが、もう手掛かりも無しに探すのには限界を感じていまして。試すだけ試してみたいんです。お願いできますか?」

 

「えと、了解しました。やってみましょう。」

 

ペットの蛇さんだってマホウトコロじゃ餌がなくて生きていけないだろうし、細川先生も随分と大切に思っているようだし……何よりこの学校で誰かに頼られるのなんて初めてだ。折角頼ってくれたんだからやるだけやってみよう。私の了承の返事を受けて、細川先生はホッとしたような笑顔でお礼を送ってくる。

 

「ありがとうございます、東風谷さん。……では、今日の夕食が終わった後に葵寮の裏手に来てくれますか? 先ずはそこで試してみましょう。」

 

「はい、分かりました。」

 

今日すぐにやるのか。……まあ、早い方がいいのは間違いないな。私の頷きを確認してから離れていく細川先生を見送った後、バッグを持って教室の出口へと向かう。そのままドアを抜けて二階の『四面廊下』に出たところで、耳元に声が響いてきた。諏訪子様の声だ。

 

『蛇ねぇ。細川派が蛇をペットにするだなんて変な話じゃない? 案外変わってるね、あいつ。』

 

「だけど、これで細川先生が葵寮の敷地に居た理由も分かりましたね。蛇なら塀の下を抜けて入ってこられるでしょうし、半月も経ってるならどこに居たって不思議じゃないですよ。……まさかひっそりと餓死してませんよね?」

 

実体化していない時の声は基本的に私にしか聞こえないから、頭上や左右をすれ違う生徒たちに『ヤバいヤツ』扱いされないようにこっそり応じてみれば、諏訪子様はどうでも良さそうな声色で返答を寄越してくる。

 

『蛇なら半月程度はまあ平気じゃない? 水に関しても沢山ある庭に小さな池とかがあるしね。……それより、一応ご飯の後に一回部屋に戻って新しい札を持っていきなよ? 今持ってるやつはそろそろ神力が切れるから、いざって時に私たちが介入できなくなっちゃうの。』

 

「へ? ……諏訪子様がそう言うならそうしますけど、『いざって時』なんて無いと思いますよ?」

 

細川先生が飼っている蛇が毒蛇で、噛まれて死んじゃうとか? さすがに有り得なさそうな『いざって時』を想像している私に、諏訪子様は呆れたような声を投げかけてきた。

 

『細川に襲われたらどうすんのさ。人気の無いところで男と二人っきりになるんだから、用心するに越したことはないっしょ?』

 

「……えええ? いやいや、先生ですよ? しかも女子に人気のある細川先生。私なんかを襲うはずないじゃないですか。」

 

『あんたはもうちょっと自分の容姿を自覚しな。そりゃあ本気で警戒してるわけじゃないけどさ、男から狙われるには充分すぎる見た目なんだから、備えだけはしておくべきなの。』

 

「えー……そんなことない、と思いますけど。」

 

ううむ、どうなんだろう? 今までずっと独りぼっちだったから、女性としてどう思われているかなんて気にしたことがなかったな。……だけどリーゼさんが私のことを好きなのは間違いないわけだし、それなりの魅力はあるのかもしれない。胸も邪魔くさいほどに大きくなっちゃったし。

 

ただまあ、それにしたって細川先生が私を狙うはずはないだろう。何たって細川先生は女子の人気者で、その気になれば『選り取り見取り』なんだから。それだったら『毒蛇パターン』の方がまだ有り得そうな展開だぞ。

 

苦笑しながらバカバカしい予想を頭から消去した私へと、諏訪子様が再度注意を飛ばしてくる。

 

『ま、念には念をってだけのことだよ。とにかく一度部屋に戻って札を交換すること。いいね?』

 

「心配性ですね、諏訪子様は。分かりました、細川先生に会いに行く前にやっておきます。」

 

『私が心配性なんじゃなくて、あんたが抜けてるだけなの。……ほら、今すれ違った男の子もあんたの胸を見てたじゃん。要するにそういうことなんだって。それは私のだから他のヤツに触らせちゃダメだよ。』

 

「諏訪子様のだったんですか、これって。」

 

知らなかったぞ。ちらりと私が視線を送った途端に目を逸らした男子を尻目に、ちょっと微妙な気分で渡り廊下目指して歩を進めた。諏訪子様はたまに話題に出すけど、私はこういう話は苦手だな。あんまり深く考えないことにしておこう。

 

───

 

そして夕食を終えて自室でポケットの中のお札を交換した後、私は寮の裏口から外に出てゴミ捨て場の方へと歩いていた。……しかし、ここで見つからなかった場合はどうする気なんだろう? ひょっとして藤寮や桐寮の敷地内に忍び込んで蛇に呼びかけることになるのか?

 

うーむ、他寮の生徒に目撃されたら大変なことになりそうだな。とはいえたった一回で蛇が出てくるとは思えないし、一度引き受けてしまったことを途中で投げ出すのは気が引ける。最悪その覚悟もしておくべきかと唸っていると、ゴミ捨て場の手前で誰かが話しかけてきた。

 

「東風谷さん、こっちです。」

 

「ひゃっ……細川先生? どこですか?」

 

びっくりしたぞ。思わず出てしまった変な声を恥ずかしく思いつつ、きょろきょろと辺りを見回しながら問いかけてみれば、寮の敷地を分かつ塀の方から応答が飛んでくる。

 

「念のため姿を消しているんですよ。私がこの場に居ることを見られてしまっては大変ですから。……それでは、早速蛇語で呼びかけてみてください。もし出てきたら私が捕まえます。」

 

また透明になっているのか。当然といえば当然の配慮だけど……んん? そもそもどうして私に見られた時は透明じゃなかったんだろう? 術に制限時間があるとか、透明なままだと出来ないことがあるとかなのかな? 魔法に関するちょっとした疑問を感じつつ、周囲に他の生徒が居ないことをもう一度チェックしてから蛇語で呼びかけ──

 

「ええと、何て名前の蛇さんなんですか?」

 

る前に、細川先生が居るのであろう方向へと人間の言葉で質問を放った。そういえば私は自分がどんな蛇を探しているのかすら知らないぞ。私が困った顔で口にした問いを受けて、細川先生は何故か一瞬沈黙した後、何とも言えない感じの答えを寄越してくる。

 

「……名前はありません。だからつまり、私はペットに名前を付けるタイプではないんです。ただ『蛇』とだけ呼んでいました。」

 

「な、なるほど。ちなみにどんな見た目の蛇さんなんですか?」

 

「お腹と瞳だけが白い黒蛇です。大きさは……そうですね、そこまででもありません。全長一メートル半というところですね。」

 

まあ、蛇にしては普通の大きさだ。コーンスネークとかボールパイソンとかなのかな? 一時期私もペットとして飼える蛇に興味があったので、頭の片隅に残っていた情報を掘り起こしつつ、改めて蛇語での呼びかけを場に投げた。

 

『蛇さーん、居ませんかー? 居るなら出てきてくださーい。ご飯とか、あと……ご飯がありますよー。』

 

自分の口からシューシューという音が出ていることを感じながら、何だか間抜けなことをしているなという感想が頭をよぎる。こんなんで本当に出てくるのかな? 細川先生の作戦自体は悪くないのかもしれないけど、もうちょっと呼びかけの内容を考えるべきだったんじゃないか?

 

自分がやっていることを客観視して微妙な気持ちになった後、細川先生に作戦の再考を具申しようとした瞬間──

 

『わあ、ご飯じゃって? どこじゃ? ご飯はどこにあるんじゃ? ネズミか? ウズラか?』

 

ええ……? 塀の下側にある茂みの中から黒い蛇がひょっこり現れた。蛇にしたって変な口調だし、めちゃくちゃ棒読みであることがはっきりと伝わってくるぞ。あまりにも急な展開に私が閉口しているのを他所に、黒蛇はこちらに這い寄りながらくりくりと頭を動かして語りかけてくる。キュートな仕草だ。ちょっと可愛いじゃないか。

 

『おぬしが呼んだのか? ご飯はどこじゃ?』

 

『ええと、私は……えぇ?』

 

私のすぐ近くまで寄ってきて見つめてくる黒蛇に、どう反応したらいいのかと迷っていると、蛇が透明な何かに掴み上げられるようにふわりと浮き上がった。細川先生が捕獲したらしい。

 

『何じゃ? 何が……あああ、助けておくれ! 浮いとるぞ、わし。何か浮いとる! 何じゃこれ! 怖い!』

 

「お見事です、東風谷さん。」

 

『あっ、そうか。そういうことか。よう見たら体温あったわ。……わー、飼い主じゃ。飼い主に会えたー。やったー。』

 

「あの……はい、見つかりましたね。」

 

何なんだこの状況は。驚いてうねうねと暴れていた蛇が細川先生の声を聞いた途端に大人しくなったのを眺めながら、腑に落ちない気分で目をパチクリと瞬かせる。この蛇はどうしてこんなに棒読みかつ奇妙な喋り方なんだ? 蛇と話したのは数えるほどだけど、私が会話した他の蛇は結構普通に喋っていたぞ。

 

『これでお家に帰れるのう。ばんざーい、ばんざーい。』

 

何かがおかしい。幾ら何でも都合良く見つかりすぎだし、それ以上に黒蛇の発言がわざとらし過ぎるぞ。透明な腕に巻き付いている黒い蛇をジッと観察している私に、腕の主である細川先生が声をかけてきた。ほんのちょびっとだけ呆れの色を滲ませた声色だ。

 

「いや、まさかこんなに上手く行くとは思っていませんでした。私としても少し予想外でしたが、何にせよこれで解決です。ありがとうございました、東風谷さん。」

 

「そ、そうですね。信じられないほどに上手く行って私もびっくりしてます。」

 

「それでは、えー……そう、お礼。お礼をしなければいけませんね。そのことに関しては後々話し合いましょう。」

 

「いえいえ、お礼だなんて大丈夫ですよ。大したことはしてませんし。」

 

謙遜ではなく、この場合本当に大したことはしていないぞ。ふらっと外に出てきて、蛇語で一言二言呼びかけただけだ。顔の前で手を振りながら遠慮してみると、細川先生は勢い込んで否定してくる。

 

「私にとって大切なペットを救ってもらったんですから、お礼をしないわけにはいきません。とにかく後日また話しましょう。ここに長居するのは危険でしょうし、早く蛇をケージに戻さなければならないので、今日はこれで失礼します。それでは。」

 

「えっと……はい、さようなら。」

 

『感謝するぞ、蛇語を話す人間。おぬしのお陰でわしは飼い主に会えたのじゃから、お礼をきちんと受け取るのじゃ。よいな? 受け取るのじゃぞー。』

 

透明な腕に巻き付いた状態の蛇が遠ざかっていくのを見送った後、静寂に包まれた場に神奈子様と諏訪子様の声が響く。ぽかんとしている時の声だ。

 

『何だ? あれは。意味が分からん。』

 

『尋常じゃないくらいに不自然だったね。私もちょっと困惑してるよ。どういうことなのさ。』

 

そんなこと言われたって、私にも分かんないぞ。意味不明すぎる展開に葵寮の裏手で一人首を傾げつつ、東風谷早苗はとりあえず自室に戻ろうと踵を返すのだった。

 


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