Game of Vampire   作:のみみず@白月

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教師の恩返し

 

 

『早苗、上。細川が呼んでるよ。』

 

へ? ……本当だ。マホウトコロの二階にある呪学の教室から出たばかりの東風谷早苗は、諏訪子様の声を受けて頭上でこちらを『見上げている』細川先生と目を合わせていた。この学校が誇る四面廊下ならではの状況だな。

 

九年生の生活にも徐々に慣れてきた春の日の午前中、私は難易度を増した呪学の授業を何とか終えたところだ。いつものように実技は全然ダメだったけど、筆記の小テストは予想以上に上手くいったので、晴れやかな気分でお昼ご飯を食べに行くつもりだったのだが……むう、呼び止められちゃったな。今日は私の大好きなドライカレーが出る日なのに。

 

すぐに済む用事であることを祈りながら、頭上の細川先生へと挨拶を放つ。この前の『ペット探し』についての話だろうか?

 

「こんにちは、細川先生。」

 

「どうも、東風谷さん。……すみませんが、私の研究室に来てくれますか? 少し話があるんです。」

 

「あー……はい、分かりました。」

 

「では、先に行って待っていますね。『い-22号室』です。」

 

残念ながら、ドライカレーを食べられるのはもうちょっと先になりそうだな。細川先生の言葉に頷いた後、彼の研究室がある『いの面』に移るために階段に向かって歩き出す。マホウトコロでは階層を漢数字で、床になっている面を『いろはに』の平仮名で、部屋の番号をアラビア数字で表すと決まっているのだ。例えば今私が出てきた教室は、二階の上面の十二番目の教室なので『二-は-12号教室』ということになる。

 

そして細川先生の研究室は『二-い-22号室』らしいから、そこに行くには先ず床になる面を変えなければいけないわけだ。最初は複雑すぎていちいち面倒くさいと思っていたけど、階段や渡り廊下の位置を覚えてからはそこまで意識しなくなったな。要するに慣れの問題ということなんだろう。

 

床から天井に移動できる一番近い階段を目指して進んでいる途中で、諏訪子様が私にしか聞こえない声で語りかけてきた。ちなみに神奈子様があまり話しかけてくれないのは、札の神力を無駄遣いするのを嫌っているかららしい。そうなるとまあ、諏訪子様は無駄遣いを躊躇っていないことになるな。

 

『この前お礼をしたいとか言ってたし、そのことじゃない?』

 

「ペットの蛇さんの一件ですよね? ……私、未だにちょっと違和感があるんですけど。」

 

『私はちょっとどころじゃない違和感があるけどね。……ま、何かくれそうなら貰っときなよ。ひょっとしたら成績に色を付けてくれるのかもだしさ。』

 

「それはさすがに無いと思いますよ? 白木校長が許さないでしょうし。」

 

白木校長は基本的に優しい人だけど、同時に不正や嘘なんかには物凄く厳しい人でもあるらしいのだ。マホウトコロの生徒の間でまことしやかに囁かれている『逸話』の数々を思い出しながら、苦笑いで諏訪子様に指摘してみると、珍しく神奈子様が会話に参加してくる。

 

『ふん、早苗のことは見て見ぬ振りをする癖に、学校のスキャンダルに繋がりそうな部分には厳しいわけか。私は好かんぞ、あの女。』

 

『まあねえ、確かに早苗を表立って助けてくれたことは一度もないよね。学校の評判云々ってよりも、三派閥に関することとだけ意図的に距離を置いてる感じがするよ。』

 

『蛇舌も転入も派閥とは直接関係ないだろうが。それなのに傍観しているんだぞ? ……あんな女がマホウトコロ史上最も有能な校長? 聞いて呆れるな。この学校が大したことないと喧伝しているようなものだ。』

 

『嫌ってるねぇ、神奈子は。……でもさ、白木には白木なりの考えがあるんだと思うよ? 少なくとも教師たちが早苗に対して余計なことをしてこないのは、多分白木が依怙贔屓とか差別とかを固く禁じてるからでしょ? そこは評価すべきじゃない?』

 

くの字に折れ曲がった階段を使って『いの面』に到着してからも、お二方の議論は続いていく。神奈子様は白木校長が嫌いらしいけど、諏訪子様はそうでもないみたいだ。何だか割り込み辛い内容だな。

 

『そんなことは当然の話であって、褒めるべき部分ではない。私が気に食わんのは、あの女が早苗の境遇を知ってなお何もしていないという点だ。問題を把握していて、それを解決すべき立場にあり、そしてどうにか出来る能力を持っているのに行動を起こさない。それは罪に他ならないだろう?』

 

『あーあー、また始まった。神奈子ってそれが大好きだよね。力には責任が伴うってやつ。……周りで囃し立てるだけの連中は楽かもしれないけどさ、力があるからって責任を背負わされる側からすれば呪いの言葉だよ。やれるとやらなきゃいけないは同義じゃないの。いつになったら学ぶのさ。』

 

『ええい、お前は本当にしつこいな。今は白木の校長としての職責を追及しているわけであって、そんな話はしていないだろうが。こういう話題になるとすぐにそれを持ち出してくるのは悪い癖だぞ。……大体、力に責任が伴うのは事実だろう? 仮に人を死から救えるとして、それなのに見捨てるのは殺すのと何も変わらない。何故それが分からないんだ。』

 

『あーもう、分からず屋の石頭に改めて教えてあげる。五百年くらい前にも同じ話をしたっしょ? 能動的に殺すのと消極的に見捨てるのじゃわけが違うんだってば。出来るからやれなんてのは責任の押し付けでしかないね。あんたみたいなのが期待で人を追い詰めるんだろうさ。直しな、神奈子。そういうところがあんたの悪いとこだよ。』

 

ああ、マズいぞ。またいつもの『言い争いモード』に入っちゃった。左右から聞こえてくるお二方の声に参っている私を他所に、神奈子様はかなりイライラしている声色で反論を飛ばす。今回の言い争いは『蒸し返しパターン』っぽいな。大昔にも同じような議論をやったみたいだし。

 

『考え方を直すべきはお前の方だぞ。力とそれに伴う責任を自覚するのは神として必要なことだろうが。……我々には力があるが、それは果たすべき役目のために使うものであって、役目を放棄したり他のことに使ったりするのは罪であり悪だ。お前はそんな基本的なことすら忘れたのか?』

 

『はあ? 神の話なんてしてないんだけど。私は今人間の話をしてて、その人間に神としての考え方を押し付けるのは傲慢だって言ってんの。人間ってのは私たちみたく役目を背負って生まれてくるわけじゃないんだから、持っている力をどう使うかは個々人の自由でしょうが。……これだから大和の神ってのはダメなんだよね。何でもかんでも自分たちの基準でしか考えられないんだもん。』

 

『おい、諏訪子。話にかこつけて無茶苦茶な批判をするんじゃない。自分勝手な土着神がどうだかは知らないがな、私には責任感というものがあるんだ。そして人間もそれを持つべきだし、持っているのであれば相応しい目的のために己の力を行使できるはず。私はそういう話をしているんだぞ。』

 

『そんで相応しくない目的に使うのは居丈高に禁じるわけでしょ? 相応しいか相応しくないかを誰が決めんのさ。あんたが決めんの? お偉い神だから? ……正にそこが問題なんだよ。私は責任の在り方を勝手に決め付けんなって言ってんの。傲慢な大和の神には分かんないのかもしれないけどさ、何が正しいかを決定するのは私でもあんたでもないわけ。唯一それを定められるのは力の持ち主だけなんだから、どう使ったかを勝手に評価すんのは余計なお世話でしょうが。』

 

ぬああ、内容が白木校長の話からとんでもないレベルでズレているし、お互いの主張もやや噛み合っていないように思えるぞ。ヒートアップしてきたお二方の論戦にびくびくしつつ、到着してしまった細川先生の研究室のドアの前でおずおずと口を挟む。

 

「……あのですね、中に入ったら細川先生と話すことになると思うので、ここで一度議論を中断しませんか? つまりその、集中しないといけない話かもしれませんし。」

 

『そら見ろ、早苗の迷惑になっているだろうが。少しくらい大人しくしていられないのか? 自分勝手な蛙女め。』

 

『あのね、迷惑なのはあんたの方なんだけど? いつもみたいに口を閉じてなよ、傲慢蛇女。その方が早苗も嬉しいだろうから。』

 

うーん、今回の『諏訪大戦』は長引きそうだ。寮の部屋に帰ったら巻き込まれるんだろうなとため息を吐いてから、ドアをノックして名前を口にした。そういえば細川先生の研究室には入ったことがないっけ。どんな部屋なんだろう?

 

「細川先生、東風谷です。」

 

「おっと、入ってください。」

 

許可に従って入室してみれば……わあ、本ばっかりだ。左右の壁には本がぎっしり詰まった金属製の本棚が並んでおり、奥には『濯ぎ橋』が見える窓がある。その手前の机に直接腰掛けている細川先生は、目の前のパイプ椅子を手で示しながら声をかけてきた。

 

「どうぞ、座ってください。パイプ椅子ですみませんね。普段は応接用……というか指導用の小さな机や椅子があるんですが、今日は普段使いの椅子共々他の研究室に貸し出していまして。昼食がてら行う期生同士のディベートに使うんだそうです。」

 

「そうなんですか。……期生のゼミの時はここを使うんですよね?」

 

「いえ、私のゼミは別の教室を借りてやっています。この部屋は狭いですから。……何と言うか、研究室を選ぶ権利は年功序列なんですよ。私はまだ若いので、広い研究室は手に入らなかったんです。」

 

「あー……なるほど。」

 

うーむ、生々しい。七年生の時に教頭先生の研究室に祓魔学のプリントを届けに行く機会があったけど、確かにこの部屋の五倍以上の広さがあったな。パイプ椅子に腰を下ろしながら微妙な気分になっている私に、細川先生は笑顔で予想通りの話題を投げてくる。

 

「それでですね、今日東風谷さんに来てもらったのはこの前の『お礼』の話をするためなんですが……本題に入る前に一応確認させてください。東風谷さんはアンネリーゼ・バートリ女史と親しくしていますよね?」

 

「リーゼさんと? ……はい、親しくさせてもらってます。」

 

まさかの名前が飛び出してきたな。驚きながら首肯してみると、細川先生は安心したように息を吐いて話を続けてきた。

 

「それは良かった。であれば私は役に立つことが出来そうです。……実はですね、先日実家に帰った時にバートリ女史のことを耳に挟みまして。何でも日本魔法界との繋がりを持とうとしているらしいんですが、東風谷さんは何か聞いていますか?」

 

『早苗、知らないって言いな。』

 

「……えと、知りませんでした。」

 

急に指示を出してきた諏訪子様にほんの少しだけビクッとしつつ、精一杯にきょとんとした顔を装って首を傾げる。三月に中城先輩経由で細川派との繋がりを作ろうとしていたし、リーゼさん当人も『日本魔法界とのパイプが欲しい』的なことを口にしていた気がするんだけど……どうして正直に言っちゃダメなんだろう?

 

反射的に諏訪子様の声に従ってから疑問を感じている私に対して、細川先生は若干怪訝そうな顔付きで口を開いた。

 

「おや、知りませんでしたか。今年卒業した中城さん経由で西内家と接触したと聞いたので、てっきり東風谷さんが間を取り持ったんだと思っていました。……まあ、とにかくバートリ女史は日本魔法界の有力者との接触を試みているようなんです。恐らく、全ての派閥と別々に。」

 

『細川派のお偉いさんから、アンネリーゼちゃんに関する探りを入れろって指示されてるのかもしれないよ。早苗の後ろ盾になってることは広まってるんだし、となればそこから辿ろうとするのは不思議じゃないっしょ。余計な情報を渡さないようにね。よく考えて応答しないとアンネリーゼちゃんに怒られちゃうかもだから。』

 

「そ、そうなんですか。」

 

そんなこと言われても困るぞ。諏訪子様の警告を耳にしながら頷いた私に、細川先生は少し身を乗り出して本題を切り出してくる。リーゼさんに怒られるのは嫌だけど、どれが喋っていいことでどれが喋っちゃいけないのかが全然分からない。どうすればいいんだ。

 

「なので、そのお手伝いをすることで東風谷さんへのお礼に代えられないかと思ったわけですよ。東風谷さんからバートリ女史に伝えてくれませんか? 日本魔法界との繋がりを構築したいのであれば、私が手伝えると。」

 

『何故バートリを手伝うことが早苗への礼になるんだ? 筋が通っていないぞ。』

 

『後ろ盾の利益は早苗の利益ってことだよ、バカ蛇。簡単なことじゃんか。……にしたって怪しいなぁ。アンネリーゼちゃんへの売り込みってわけ? 細川派がそれをやるってのがまた不気味だね。もう西内家ってパイプを持ってるはずなのに。』

 

「あーっと……つまり、私からリーゼさんに伝えればいいんですね? 細川先生が手伝ってくれそうだってことを。」

 

私は聖徳太子じゃないんだから、別々に話さないで欲しいぞ。お二方の会話と細川先生の発言を処理し切れなくてオウム返しした私へと、先生は大きく首肯しながら返答してきた。

 

「そういうことです。細川派だけではなく松平派や藤原派にも渡りを付けられますから、きっとお役に立てると思います。大切なペットを東風谷さんに救ってもらった恩もありますし、何かご用があれば全力で取り組むつもりだと伝えてください。」

 

「ええと、分かりました。ゴールデンウィークに実家で会う予定なので、その時にしっかりと伝えておきます。」

 

『あーほら、そういう情報を言っちゃダメなんだってば。アンネリーゼちゃんが日本に来る時期をバラしちゃってるじゃん。』

 

ええ? これもダメなのか? 諏訪子様の呆れ声を受けて内心で慌てている私に、細川先生は満足げな表情で話を締めてくる。

 

「なるほど、ゴールデンウィークですか。了解です。よろしくお願いしますね。」

 

「はい、分かりました。じゃあ、その……失礼します。」

 

これ以上ボロを出さないようにと急いで断りを入れて、細川先生の研究室を出た後で廊下を歩きながらお二方に問いを送った。

 

「……私、そんなに失敗してませんよね? あんまり話さないようにって気を付けたつもりなんですけど。」

 

『応答が下手くそすぎてちょっとバカっぽかったけど、失敗らしい失敗は最後のゴールデンウィーク云々のとこだけかな。大丈夫そうじゃない?』

 

ちょっとバカっぽかったのか。諏訪子様の評価に普通に落ち込みつつ、リーゼさんに怒られなくて済みそうだと気持ちを持ち直す。

 

「じゃあ、私はリーゼさんに細川先生のことを伝えればいいんですよね? 先生がリーゼさんのお仕事を手伝ってくれそうだって。」

 

『あー、早苗? そうじゃないだろう? 細川がバートリとの接触を望んでいて、多少強引にその話を持ち出してきたことを先ず伝えるべきだ。細川の発言をそのまま伝えたら思う壺じゃないか。』

 

「……ええと? 細川先生は悪い人だってことですか?」

 

悪い人には見えないんだけどな。むむむと悩みながら口にした質問に、神奈子様は諭すような口調で応じてきた。

 

『そうは言わないが、一概に信じるわけでもない。バートリが判断し易いようにきちんと怪しい点も報告すべきだということだ。……まあいい、バートリへの報告は私たちでやろう。早苗は心配するな。』

 

「それなら、えっと……私はもうドライカレーを食べに行っていいんですよね?」

 

『……ああ、そういうことだ。』

 

そういうことなら早く行かねば。何かを諦めたような声色の神奈子様の許可を受けて、一階の大広間へと足を進める。私だって色々と思うところはあるけど、今はそれ以上にお腹が空いているのだ。さっきの呪学の授業中はお腹が鳴らないようにしようと必死だったし、しっかり食べておかないと午後最後の授業でも同じことをする羽目になってしまう。だったら今優先すべきは何よりもドライカレーのはず。

 

静かな教室と違って騒がしい廊下で気兼ねなくお腹を鳴らしつつ、東風谷早苗はドライカレーの味を想像して頬を緩めるのだった。

 


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