Game of Vampire 作:のみみず@白月
「どうしたの? アリス。」
人形店のリビングルームの掃除中、ソファに座って朝刊を読んでいるアリスに話しかけつつ、サクヤ・ヴェイユはバケツの上で布巾をギュッと絞っていた。唸っているな。何か気になる記事があったらしい。
八月上旬のよく晴れた日の朝、現在の私は見習いメイドとして『師匠』の家事を手伝っているところだ。エマさんが廊下の掃除をすると言うので、私は二体の『お掃除ちゃん』と一緒にリビングルームを引き受けたのだが……むう、またお掃除ちゃんの性能が上がっているな。仕事が速すぎるぞ。
見事な連携でキッチンの掃除を進めている二体の人形を横目に、負けるわけにはいかないと急いでダイニングテーブルを拭いている私へと、アリスが新聞に目を向けたままで応答してくる。
「グリンデルバルドがブラジル議会を『落とした』んですって。対策委員会の要請の大半を呑んだらしいわ。」
「良いこと、だよね?」
「まあ、非魔法界対策の進展は望ましい事態だけど……大方の予想より早かったわね。これでまた『グリンデルバルド危険論』が勢い付くと思うわよ。」
「変な話だよね。迅速にやればやるほど批判が増えるってことでしょ? あべこべだよ。」
さすがに同情するぞ。迅速な仕事は本来なら褒めるべきことなのに。テーブルに続いて椅子を拭きながら相槌を打った私に対して、アリスは苦笑いで返事を寄越してきた。
「仕方がないわよ、あまりにもスムーズに進みすぎているんだもの。指導者の能力が足りないのはもちろん問題だけど、有能すぎるリーダーも近代では危険視されるものなの。」
「昔は違ったってこと?」
「そうね、昔なら有能なリーダーは単純に歓迎されたと思うわ。今は被支配者層と支配者層が逆転しちゃってるから、色々と複雑な状態になっているのよ。良いとも悪いとも言えない変化ね。文明の進歩に伴って、なるべくしてそうなったわけ。」
むむむ、難しいな。掃除を進めつつ『アリス先生』の発言を脳内で咀嚼していると、部屋に魔理沙が入ってくる。眠そうに目を擦りながらだ。
「……おはよ、二人とも。」
「おはよう、魔理沙。」
「おはよ。……貴女、また夜中に箒作りの本を読んでたの? 昨日の夜は全然部屋に来なかったけど。」
「読んでたんじゃなくて、実践してたんだよ。アリスに教えてもらいながらな。」
何? そっちでも『先生』をしていたのか? 目元に隈を作っている魔理沙の答えを受けて、アリスに『どうして早く寝かせないんだ』という抗議の視線を送ってみれば、眠る必要がない本物の魔女どのは目を逸らしつつ肩を竦めてきた。
「まあその、私としても面白い作業だったから夢中になっちゃったの。リーゼ様も一緒だったのよ?」
「……誰かが止めないと魔理沙は全然寝ないんだから、ちゃんと制限しないとダメだよ。」
「ちょっと夜更かしするくらい別にいいじゃんか、夏休みなんだから。それに気になったままじゃ目が冴えてどうせ眠れないぜ。……アリス、昨日塗ったニスってそろそろ乾いてるよな? もう一回塗らなきゃいけないんだろ?」
「もう一回どころじゃないけどね。塗ってやすりをかけてまた塗ってを何度も繰り返すの。……私としては、先ず飛行のための呪文を練習すべきだと思うけど。外側だけ完璧でも、呪文がきちんと動作しないと上手く飛ばないわよ?」
ダメだな、これは。アリスも魔理沙ももはや見慣れた『魔女の顔』になってしまっている。つまり、好奇心を抑えきれていない時の顔付きに。こうなると私が何を注意しようが、都合良く耳を素通りしてしまうのだ。
ソファの上で箒作り用の呪文についてを議論し始めた二人を背に、やれやれと首を振りながら掃除に戻ったところで……どうしたんだ? ふよふよと飛んできた二体のお掃除ちゃんが私の目の前で停止した。新たな命令を欲している時の雰囲気だ。
まさか、もうキッチンの掃除を終わらせたのか? 戦慄しながら目をやってみれば、完璧に掃除が終わっている上に整理整頓までされてあるキッチンスペースが視界に映る。何て恐ろしい人形たちなんだ。どんどん性能を上げていって、最終的にはメイドの仕事を奪うつもりに違いない。
「……休んでていいわよ。」
せめて残った掃除区画は渡すまいと放った指示に、お掃除ちゃんたちは顔を見合わせて首を傾げた後……こら、命令違反じゃないか。勝手に暖炉の周辺を掃除し始めた。煙突飛行の所為でいい具合に汚れているから、そこは私がやりたかったのに。
「アリス、アリス! お掃除ちゃんたちが勝手に掃除をするんだけど!」
「へ? ……だって、掃除をするための人形だもの。そりゃあするわよ。役に立つでしょう?」
「そうじゃなくて、休んでていいって言ったのに続けるの。」
「『気遣い機能』じゃない? あるいは休養を自由な時間と捉えて、それなら掃除をしようと思ったとか?」
気遣い機能? アリスめ、また余計な機能を追加しちゃったのか。それなら明確に『停止』を命じようと、お掃除ちゃんたちに向き直ったところで──
「咲夜ちゃん、廊下が終わったからこっちを手伝いますね。」
ああ、何てこった。エマさんがニコニコ微笑みながらリビングに入ってきてしまう。こんな短時間で廊下の掃除を終わらせたのか? 一体全体何をどうしたらそんなことが出来るんだ?
「あっ、はい。」
反射的に小さく頷いてしまった私を尻目に、エマさんは流れるような動作で棚の上を掃除しつつアリスたちに声をかける。もはや芸術の域に達しているような効率的な動きだ。これが目指すべき頂点なのか。あまりにも遠すぎるぞ。
「アリスちゃん、魔理沙ちゃん、少し待っててくださいね。掃除が終わったら朝食を作りますから。」
「いえいえ、急がなくても大丈夫ですよ。のんびりやってください。」
「っていうか、手伝うぜ。何をすればいい?」
「ダメよ、魔理沙。これはメイドの仕事なの。……それより日本行きの予定のことをアリスと相談したら?」
この上魔理沙まで参加してきたらいよいよ私の分が無くなっちゃうじゃないか。慌てて投げた適当な話題を聞いて、魔理沙はそういえばという顔でアリスに問いを飛ばす。危ないところだったぞ。
「おお、そうだったな。アリス、日本に行くのっていつになりそうなんだ? 東風谷はイギリスに来るんじゃなくて、フランスに行くことになったんだろ?」
「八月中にリーゼ様は仕事で何回か行くわけだし、そのどれかについて行けばいいんじゃない? ちなみに早苗ちゃんたちがフランスに行くのは十八日からになったわ。だからまあ、すれ違いたくないなら中頃は避けるべきね。」
「んー……どうせなら会いたいし、だったら日本は今月の下旬にするか。そんでもって近いうちに北アメリカに行こう。それでいいか? 咲夜。」
「任せるわ。」
エマさんと二体の『仕事どろぼう』たちがテキパキと掃除をしているのに気を取られながら、センターテーブル周りは渡すまいと大急ぎで作業を進めている私の返答を受けて、魔理沙は暢気な笑顔でこっくり首肯した。
「おっし、今日にでも魔法省に行ってポートキーのスケジュールを確認してくるぜ。」
「この時期の北アメリカ行きはそこそこ混むから気を付けなさいね。朝一の便はやめておいた方がいいわよ。」
「マジでか。どうせ行くなら早めに到着したいんだけどな。」
「みんなそう考えるし、みんな時差についてを忘れちゃうってことよ。朝一の便なんかで行ったら向こうは夜明け前なのよ? 大人しく正午の少し前くらいにしておきなさい。前に誰かからその時間帯は空くって聞いたことがあるから。」
魔理沙に忠告を送っているアリスの声を耳にしつつ、いざ彼女たちが座っているソファの方に取り掛かろうとするが……わああ、何故エマさんがそこに居るんだ。早くも棚を終わらせちゃったらしい。おまけにお掃除ちゃんたちが小さな箒や雑巾を持って床の清掃に入っている。おのれ、床まで私から奪うつもりなのか。
『ライバル』が多すぎることを嘆きながら、サクヤ・ヴェイユは布巾を片手に苦い表情を浮かべるのだった。
─────
「……ん?」
おや、巫女が居ないな。紫の呪符を使って訪れた真昼の博麗神社の境内を見回しながら、アンネリーゼ・バートリはかっくり首を傾げていた。全方向から喧しく響いてくるセミの鳴き声と、イギリスではあまり経験したことのない蒸されているような暑さ。今の博麗神社には無人の『夏』が広がるばかりだ。厳しい夏が。
八月の上旬。私は日本魔法省で行われた決議の結果を聞きに行くため、幻想郷経由で外界の日本へと移動しようとしているのだ。とりあえず呪符でイギリスからここに直行した後、紅白巫女か紫のどちらかに頼んで結界を抜けて『表側』に出ようと思っていたのだが……むう、ひょっとして留守なのか? 困ったな。ポートキーは予約していないし、そもそもピンポイントで利用できる便が無いぞ。
ちなみに『決議』というのは、当然ながら対策委員会の要請に関するものだ。ゲラートの要請を日本魔法省が受け入れるか否か。その最終的な話し合いが本日の午前九時頃から日本魔法省内で行われているらしいので、『窓口』である西内家を訪問して結果を教えてもらおうというわけである。
西内親子との約束はとっくに取り付けてあるし、後は移動するだけなのに……うーん、社には誰も居ないな。これで居住区画も無人だった場合、留守と判断して別の移動方法を考える必要がありそうだ。
見張りの黒猫すら見当たらないことに再度小首を傾げつつ、いつもの縁側の方へと歩いて行ってみれば……なんて格好をしているんだよ。真っ白な薄い着物を着崩した状態の巫女が、ぐったりと茶の間で寝転がっているのが目に入ってきた。下着すら着けていないぞ、こいつ。少し動いたら胸が見えてしまいそうだ。
「キミ、恥じらいとかはないのかい? 年頃の娘がそんな格好をしているのは問題だと思うんだが。」
「あー? ……ああ、あんたね。何? また札が欲しいの?」
「そうじゃなくて、結界を抜けさせて欲しいんだよ。日本に行きたいんだ。外界の方の日本に。」
「無理無理、今日は暑くて何も出来ないわ。諦めなさい。」
起き上がりすらせずに弱々しい声で応答した巫女は、仰向けに寝たままでずりずりと身体をテーブルの方に動かすと、その上に載っていたヤカンを取って……おー、豪快。注ぎ口から直接中の何かを飲み始める。ダメそうだな、これは。幻想郷の調停者は夏の暑さに敗北したのか。
「通るだけ通らせてくれたまえよ。私はそもこの土地に出入りできているんだから問題ないだろう?」
それでも諦め悪く交渉を仕掛けた私に、巫女は全身を畳に預けたままで気怠げに首を振ってきた。やる気ゼロのご様子だ。
「あんたの場合通るのは問題ないけど、単純に暑いから動きたくないの。外はアホみたいな気温だし、セミどもはうるっさいし、雲がなくて太陽が張り切ってるでしょ? だから無理。今日の博麗神社は夕方からの営業にするわ。分かったらさっさと帰りなさい。」
「しかしだね、約束があるんだ。他の手段だとそれに間に合わなくなってしまうんだよ。……ええい、とにかく起きたまえ。見ているこっちが暑くなってくるぞ。」
能力を使って周辺の光を抑えてやれば、巫女は怪訝そうな顔付きでのろのろと身体を起こす。
「……あんた、何したの? ちょっと涼しいじゃない。」
「能力で日光を抑えたんだよ。私の力じゃ冷ますことは出来ないが、熱しているものを弱めることは出来るのさ。」
「なら、そのまま続けなさい。これなら何とか寝られるかもしれないわ。」
「何故寝ようとしているんだい? そうじゃなくて、早く結界をどうにかしたまえ。じゃないと逆に日差しを強めるぞ。」
縁側に腰を下ろして言い放ってやると、紅白巫女は……今日は『紅白』じゃないか。破廉恥巫女ははだけた胸元をポリポリと掻きながら不満そうに返事をしてきた。
「嫌よ。あんたが居なくなったら元通りなんでしょ? 私に通行させるメリットが無いじゃないの。」
「……よし、それならこうしようじゃないか。帰りに外界で『えあこん』を買ってきてあげよう。今回の通行と、そして大量の札との交換だ。それでどうだい?」
無論、三バカと行った電気屋で見た『えあこん』がここで使えないことは承知している。いくら最近の機器に疎い私でもそのくらいは分かるぞ。動力となる電気が無いんだから当たり前のことだろう。しかし、それを知る由もない巫女は……バカめ、食い付いたな。興味深そうに質問を寄越してきた。
「何よ、えあこんって。何なのそれ。」
「空気を冷やしたり暖かくしたりする機械だよ。仕組みは全然分からんが、冷風や温風が出てくるんだ。使えればひんやりした部屋で快適に夏を過ごせるんじゃないかな。」
使えればな。意図的に最重要部分を省いた私の説明を聞いて、巫女はふんふんと鼻息を荒くしながらこちらににじり寄ってくる。嘘は言っていないぞ。私は正直な吸血鬼なのだ。
「……本当にそんな物があるの?」
「暑い夏でも寒いくらいの室温まで下げられるらしいよ。外の技術は日々進歩しているのさ。」
「今回あんたを外に通行させて、札を用意しておけばそれが手に入るのね?」
「キミが然るべき枚数の神札を用意してくれるのであれば、私は名に誓ってえあこんと交換しようじゃないか。用事を済ませた帰りにでも買ってくるよ。」
えあこんは伝説上の古代文明が使っていた装置ではなく普通に売っている物だし、買ってくるつもりなのも本当だし、札と交換する気だってあるぞ。その上で電気が無くて使用できないのはそっちの都合だ。久々の『悪戯』を楽しみながら首肯した私に、巫女は立ち上がって交渉の成立を宣言してきた。最近は二柱に振り回されっぱなしだったから、たまには邪悪な吸血鬼らしいことをしておかないとな。何より約束に遅れるのは宜しくないし。
「いいでしょう、通行させてあげるわ。だから絶対にえあこんとやらを買ってきなさい。」
「大いに結構。キミもきちんと札を用意しておきたまえよ? それなりの枚数を期待させてもらうぞ。」
「よく分かんないけど、涼しさが手に入るなら札くらい安いもんよ。……約束を破ったら承知しないからね。」
「さっきの会話に嘘は一切無いよ。安心したまえ、私は約束を重んじる吸血鬼なんだ。」
よし、帰りにえあこんを渡したら即座にイギリスに戻ろう。秋の涼しくなった頃に会えば忘れているさ。こんなものちょっとしたお茶目な悪戯なんだから。
「着替えてくるから待ってなさい。用事とやらを終わらせたら、急いでえあこんを買って戻ってくるのよ? もうこの暑さにはうんざりしてるんだから。」
私は少ない対価で札が手に入るし、その札を二柱に売って利鞘を稼げるし、巫女は人外との取り引きの際はしっかりと詳細を確認すべきだと学べるわけだ。着替えるために襖の奥へと姿を消した巫女を見送りつつ、これも社会勉強だぞとうんうん頷くのだった。
───
そして首尾良く博麗大結界を抜けて外界に出た後、姿あらわしで東京の西内邸に移動した私は……何だよ、その嫌そうな表情は。何故か中城霞と邸内の一室で対面していた。相変わらず無礼なヤツだな。
「何故キミがここに居るんだい?」
「どうしてバートリさんがここに居るんですか?」
私が使用人らしき和服の女性に案内されたのは、和洋折衷の会議室のような部屋だ。漆喰の白い壁や入り口の障子戸は和風なのに、黒い板張りの床には長テーブルと椅子が置かれている。多分イギリスの吸血鬼である私を気遣ってこの部屋に案内したのだろうが、そこに中城が居たのは予想外だぞ。
同時に問いかけて同時に苦い顔をした後で、先ずは私から訪問の理由を口にした。
「……私は日本魔法省で行われた決議の結果を聞きに来たんだよ。要するに、仕事で来たのさ。キミはどうなんだい?」
「私はお爺ちゃん……母方の祖父の付き添いで来ただけです。それで祖父が陽輔さんと話してる間、ここで待ってろって言われまして。」
「ふぅん? 小上家の当主どのと来たってことか。家同士の付き合いに巻き込まれたわけだ。どうやら偶然同じ日に訪問しただけらしいね。」
「何でバートリさんと同じ部屋に案内されたのかは疑問ですけどね。応接室、沢山あるのに。」
それは私だって疑問だぞ。小さく鼻を鳴らしてから中城の対面に腰掛けて、テーブルをトントンと指で叩きつつ質問を重ねる。知り合いだから世間話でもしていろということか? 西内め、余計な気遣いをするくらいなら早く姿を現せよ。
「で、何の用で来たんだい? キミの祖父は。」
「よく分かりませんけど、京都の細川本家でトラブルがあったみたいです。その話をしてるんじゃないでしょうか? ……これって言っちゃって良かったんですかね?」
「どっちにしろもう聞いちゃったよ。……『トラブル』ね。キミの祖父は派閥の中ではそれなりの人物なんだろう? 小上家は細川七家の一角なんだから。そんな人物をわざわざ呼び出すってことは、結構な規模のトラブルが発生したということか?」
「重大な話だったら私を連れて来ないでしょうし、そこまでではないと思いますよ? 詳しくは知りませんけど。」
中城があまり興味なさそうに応じたところで、部屋の戸が開いて先程私を案内した使用人と……おや、案外すぐ現れたな。西内の息子の方が部屋に入ってきた。使用人の女性は湯呑みや茶菓子が載ったプレートを持っている。
「お待たせしてしまって申し訳ございません、バートリ女史。霞さんもお久し振りです。」
「別にいいよ、そこまで待ってはいないからね。」
「どうも、陽司さん。」
何だっけ、これ。『羊羹』だったか? 目の前に置かれた黒い茶菓子を見ながら肩を竦めた私と、若干不満そうに挨拶した中城。その姿を交互に確認した西内陽司は、私の斜向かいの席に腰掛けて早くも本題を切り出してきた。……ふむ? 先ずは当たり障りのない世間話を仕掛けてくると思ったんだがな。
「早速ご報告させていただきますと、対策委員会の要請は八割方受諾されました。」
「残りの二割は?」
「その点に関しては審議を継続ということになりましたが、どれもさほど重要ではない部分だと思います。こちらが受諾した要請の一覧です。」
差し出された書類を一読してみれば……うん、いいんじゃないか? 西内の言う通り、審議継続となった部分はどうでも良い点ばかりだ。ゲラートからの任務は充分に果たせたと言えるだろう。我関せずと羊羹を食べている中城を横目にしつつ、西内陽司へと返事を返す。
「つまり、どうでも良い点を『譲った』のか。大方藤原派が要請をそっくり呑むことを嫌がったんだろう? 間接的にではあるものの、細川派に膝を屈したことになるからね。」
「まあその、噛み砕けばそういうことになります。全てを他派閥に承認させるのは難しいと判断したので、『逃げ道』を作ったわけです。事後報告で申し訳ございません。」
「ん、悪くないやり方だと思うよ。想像していた以上の成果だ。」
負けるにしても言い訳が必要なのだ。それがあれば藤原派や松平派は諦めてくれるだろうし、細川派は少ない対価で大きな利益を得られる。要するに政治的な茶番だな。『抵抗はしたぞ』と他派が言えるようにすることで、細川派は手早く実利を掴んだわけか。
短期的な相手だったら容赦なく潰せるが、長く戦っている相手だと『負かし方』にも気を使うってことだな。政治の面倒くささを改めて感じたところで、西内が問いを寄越してきた。
「何か質問はございますか?」
「悪くない結果だし、特に無さそうだが……キミ、やけに急いでいるね。キミの父親がこの子の祖父と話し合っている『トラブル』の方が気になるのかい?」
この前の細川政重との会食の時は慎重に丁寧に進めていたのに、今回の会話は性急に過ぎるぞ。別に無作法というほどではないが、西内親子はそれなりに話の雰囲気を作るのが上手かったはず。らしくないなと思って鎌をかけてみると、西内は……おやおや、ワンテンポ返答がズレたぞ。愛想笑いで首を横に振ってくる。
「霞さんからお聞きになったんですか? 大したトラブルではありませんよ。すぐに解決できる程度の問題です。」
「ふぅん? 私には内容を教えてくれないのか。意地悪だね。……ま、いいさ。長居するのは迷惑そうだし、今日はもう帰るよ。詳細が決まったら改めて教えてくれ。」
「いや、本当に申し訳ございません。決定したらすぐにお知らせいたします。」
おおっと、こんなに短い会話しかしていないのに引き留めすらしないのか。相当のトラブルが起きているらしいな。気にはなるが、西内家とは友好な関係を保ちたい。とりあえずここでは首を突っ込まずに素直に帰るとしよう。……電気屋にも寄らないといけないし。
『トラブル』の内容に興味を惹かれつつも羊羹をぱくりと一口で食べて、使用人の案内で部屋を出ようとする直前、ふと思い出した疑問を西内に放った。
「そうだ、もう一つ聞いておきたいことがあったんだった。決議の際に藤原派の誰かが不自然にこちらに付いたりしなかったかい?」
「不自然に、ですか? ……そういえば、我々が働きかけていない藤原派や松平派の数名が要請受諾側に回ったそうです。特に魔法経済庁の長官が賛成したのは予想外でしたね。藤原派内でもかなり上層の人物ですから。」
「長官? ……キミたちは何もしていないんだね? ちなみに私は『藤原派には』何もしていないわけだが。」
「そもそも引き込むのは不可能だと判断していた人物なので、私共は接触すらしていません。というか、細川派との接触は向こうが先ず拒むでしょう。魔法経済庁の長官ともなると、藤原閥の中でも指折りと言えるほどの立場なんです。」
そこまでの地位にある人物なのか。半信半疑で尋ねてみたわけだが、意外な答えが返ってきたな。細川派が何もしていないとなると、私に思い当たる節は細川京介だけだ。あの男、本当に藤原派の要人を転ばせたのか?
「……なるほどね、把握したよ。それじゃ、また会おう。」
私としては願ってもない展開だが、少々の不気味さが残るな。一介の教師に出来ることとは思えんぞ。……もう一度会ってみるか。仮に細川京介の仕業だった場合どうやったのかも謎だが、何故そこまでやるのかが非常に気になる。行動と利益が釣り合っていないことほど薄気味悪いものはないのだ。
部屋を出る私を見送っている西内と中城。その視線を背に中庭に面する廊下へと出ながら、アンネリーゼ・バートリは思考を回すのだった。