Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ふん、実に気に入らんね。何だあの態度は。忌々しい真っ白ジジイめ。折角この私が出向いてやったというのに、たったあれだけの会話で終わらせるとはどういう了見なんだ。私は泣く子も黙るアンネリーゼ・バートリ様なんだぞ。」
おお、怒っているな。文句を撒き散らしながら人形店に入ってきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは苦笑いで首を傾げていた。この偉大な吸血鬼をここまで怒らせることが出来るのは、私が知る限りでは世界でたった三人の『対等な悪友たち』だけだ。レミリアさんと、パチュリーと、そしてグリンデルバルドだけ。つまり彼女はロシアの議長に会ってきたということなのだろう。
十月も半ばに突入した晴れた日の午前中、私はついさっき『お菓子売り切れ』の看板を表に出したところだ。今朝開店した段階ではリーゼ様はまだ寝ていたはずなので、私が一階に居る間に起きてロシアに行って戻ってきたわけか。煙突飛行で魔法省に移動して、ポートキーでロシアとイギリスを行き来した後、姿あらわしでダイアゴン横丁に帰ってきたのかな?
改めて考えると中々の過密スケジュールだなと感心している私に、荒々しい足取りで近付いてきたリーゼ様が文句を続けてくる。
「香港自治区やマホウトコロに話を通すために頑張った私に対して、あの冷血ジジイは何て言ったと思う? ……『そうか』だけだよ。信じられるかい? なーにが『そうか』だ。ガキの感想じゃあるまいし、もっと他に言うべきことがあるだろうが。」
「えーっと……そうですね、それはひどいですね。」
「だろう? そしてカンファレンスの日程だけ告げてそれで終わりだ。『腕時計問題』については意地でも議論したくないらしいね。論破されると分かっているから逃げたんだろうさ。とんでもないヤツだよ。」
同意だ。こういう時はとにかく同意すべきだ。うんうん頷く機械になりながら、ぷんすか怒っているリーゼ様も可愛らしくて素敵だなと思っていると……ん? 『腕時計問題』? 耳慣れない言葉が出てきたな。
「あの、腕時計がどうかしたんですか?」
気になって問いかけた瞬間、リーゼ様は翼をパタリと畳んで口を閉じてしまう。あれ、何だろう? 聞いちゃいけなかったのかな?
「えっと?」
急な沈黙に困惑しながら態度で促してみれば、リーゼ様はムスッとした顔で答えを寄越してくる。その表情もいいな。グッと来るぞ。
「……何でもないよ。キミが気にすることじゃないさ。」
「いやでも、どう見ても不満な時の顔じゃないですか。グリンデルバルドと会ってきたんですよね? 誕生日に高い腕時計を要求されたとか?」
「百を超えているジジイなんだぞ、ゲラートは。早苗じゃないんだから、そんなことがあるわけないだろう? ……まあ、とにかく何でもないよ。それより売れ行きはどうなんだい?」
うーむ、リーゼ様にしては強引すぎる話題の逸らし方だ。普段の彼女ならもっと上手くやるだろうし、となると『腕時計問題』とやらはリーゼ様の調子を崩すほどの大問題だということになるぞ。
非常に気にはなるものの、リーゼ様がこう言っているのに諦め悪く尋ねるのは気が咎めるし、何より『こいつ、しつこいな』と思われるのは絶対に嫌だ。そんなことになったら絶望じゃないか。ここは潔く諦めよう。
『腕時計問題』への興味をどうにか抑え付けながら、空っぽのガラスケースを指差してリーゼ様に返答を返した。
「いつも通りです。」
「なるほどね、人形は売れなかったのか。」
そっちの意味で受け取ったのか。まあ、間違ってはいないけど。エマさんのお菓子が売り切れて、かつ人形が売れていないのが『いつも通り』であることに落ち込みつつ、リーゼ様に向けて今度は私から質問を投げる。
「ちなみに、カンファレンスの日程は具体的にどんな具合になったんですか?」
「来月の末から各地で開催していって、日本は最後になるそうだ。マホウトコロでのカンファレンスは三月の後半だよ。……私はそんなに急ぐ必要はないと思うんだけどね。キミもそう思うだろう?」
「そうですね、そうかもしれません。」
別に急いでも良いと思うが、同意した方がリーゼ様は喜ぶだろう。そんなわけで機械的に同意した私に、黒髪の吸血鬼はカウンターに腰掛けながら話を続けてきた。
「兎にも角にも、日本魔法界への『工作』は一段落って感じかな。時間にも余裕が出来そうだし、そろそろ移住の準備を本格的に進めていこうか。」
「と言っても、何をしましょう? さすがに荷造りするのはまだ早いですよね? 十ヶ月近く先なわけですし。」
「……まあ、そうだね。パッとは思い浮かばないな。人形店は結局どうするんだい? 持っていくのか?」
「まだ決めかねてます。リーゼ様はこっちに戻れるわけですし、イギリス魔法界の拠点として取っておくのもいいかなと思ったんですけど……どうですか?」
無論、『中身』の人形の方は全部持っていくけど。人形が詰まった棚を見回しながら提案してみると、リーゼ様は肩を竦めて返事をしてくる。
「そこは別に気にしなくていいさ。どうにだって出来るよ。私のことは置いておいて、キミがどうしたいかを優先したまえ。……一応聞くが、キミは幻想郷に行ったら紅魔館に住むつもりかい?」
「それはまあ、もちろんそのつもりですけど。」
まさか、出て行けと言われたりはしないよな? 想像しただけで悲しくなってくるぞ。恐る恐る肯定してみれば、リーゼ様は特に何とも思っていないような顔付きで口を開いた。
「そりゃそうか、咲夜も紅魔館に住むだろうしね。私はどうしようかな。」
「……へ? リーゼ様も紅魔館に住むんですよね? だってほら、紅魔館は『半ムーンホールド』じゃないですか。それ以外に選択肢なんてありませんよ。」
「折角苦労して紅魔館とは別個の繋がりを作ったのに、紅魔館に住んだら意味がないんじゃないかと思い始めているんだよ。そりゃあ紅魔館は半分……というかムーンホールドの『偉大さ』を考慮すれば七割以上はバートリ家の物だから、即ちレミィではなく私の館だということになって、そうなると主人たる私は紅魔館で生活すべきなんだけどね。んー、悩ましいな。どうしたもんか。」
待て待て、マズいぞ。リーゼ様と一緒に暮らせないのなんて御免だ。予想外のことを言い出したのに焦りつつ、悩める吸血鬼へと意見を放つ。
「普通に紅魔館でいいじゃないですか。咲夜もフランも寂しがりますし、エマさんのことだってありますし……それにほら、バートリ家の先祖の皆さんも悲しみますって。」
「キミね、何もムーンホールドを手放そうってわけじゃないぞ。要するに一定の期間『別荘』で暮らすかどうかって意味だよ。見栄っ張りのレミィなら勝手に館を管理してくれるだろうから、幻想郷での立ち位置が落ち着くまでは預けておけばいいさ。……『あの』レミィが勢力の確立を諦めると思うかい? 紅魔館で暮らしていれば『紅魔館所属』と見られるだろうし、そうなると面倒なトラブルに巻き込まれかねないわけだ。」
「……まあ、それは分かりますけど。」
「故に暫くの間別荘に避難するってことさ。……ふむ、別荘暮らしか。話していたら何だか良い考えに思えてきたぞ。そも私は咲夜やキミなんかの『緊急避難先』を作ろうとしていたわけだからね。紅魔館以外の場所に私が住んでいるのは好都合なはずだ。」
ぬう、乗り気になっちゃっているな。多分実利云々というよりも、『別荘暮らし』という響きが気に入ったんだろう。機嫌を回復させ始めているリーゼ様に、おずおずと確認を飛ばした。
「それって、エマさんも連れて行くんですよね?」
「当たり前だろう? 私が居るところにエマが居るのは至極当然のことさ。咲夜に関しては……まあ、自分で決めさせよう。幻想郷そのものがそこまで広くないんだから、別荘と言ってもある程度近所になるはずだ。どちらに住むにせよ気軽に通える距離だろうし、そんなに気にしなくても大丈夫じゃないかな。」
「……土地とか建物はどうする気なんですか?」
「そこは要検討だが……ああ、魅魔。土地は魅魔の縄張りを使おう。あいつには去年の貸しがあるからね。まさか断りはしないはずさ。うんうん、悪くない考えじゃないか。魅魔の土地に住んでいて、紅魔館と紫と博麗神社と守矢神社に繋がりを持っている状態になるわけだ。人外どもにはいい威圧になるぞ。」
そこまで行くとむしろ面倒事に巻き込まれる機会が増えそうにも思えるけど……何れにせよ、今のリーゼ様を諦めさせるのは難しそうだな。だったら私も一緒に住む方向に持っていかなければ。私は死ぬまで『親離れ』をするつもりは無いのだ。
「じゃあ、この建物を『別荘』にするのはどうですか?」
「ん? 人形店をかい?」
「これを持っていけば新しく建てる必要はありませんし、住み慣れた家の方が色々と楽ですよ。……そうなると私もリーゼ様と住むべきかもしれませんね。『自分の工房』っていうのにも憧れてたんです。紅魔館はどちらかと言えばパチュリーの工房ですから。」
「……無理してついて来てくれなくてもいいんだよ? さっきも言ったが、遠く離れた場所に住むわけじゃないんだ。会おうと思えばいつでも会えるさ。」
『いつでも会える』じゃなくて、『いつも一緒』がいいぞ。いつでも会えるってことは、いつもは会っていないってことじゃないか。妙な方向の気遣いモードに入ってしまったリーゼ様に内心で唸りつつ、首を左右に振ってから説得を重ねる。あくまで自然体を装いながらだ。
「いえいえ、無理はしてませんよ。向こうで人形店をやるのもいいかなと思いまして。要するに、今の生活を幻想郷でも続ける感じです。」
「しかしだね、魅魔の縄張りは森らしいぞ。客なんて来ないんじゃないか?」
「……なら、こっちから売りに行けばいいんですよ。」
「だったら紅魔館に住んだ方が楽だと思うがね。どちらがより人里に近いのかは分からんが、少なくとも森を横断するよりは行き来しやすいんじゃないかな。」
ぐう、良くない方向に話が進んでいるな。心配そうな顔になっているリーゼ様を見て、こうなったらこれしかないと切り札を場に出す。『正直さ』という切り札をだ。
「本音で言うと、単純にリーゼ様と一緒に住みたいんですけど……ダメでしょうか?」
悲しそうな表情……ほぼ本心からのものだが、ちょびっとだけ大袈裟にしたそれを浮かべながら問いかけてみれば、リーゼ様は満更でもないような面持ちで即座に承諾してきた。いざとなったら優しさに付け込んだり同情を引いたりしてみるのは、守矢神社のダメな方の神から学んだ技だ。今だけは教えを授けてくれたことに感謝しておこう。
「おや、可愛いことを言うじゃないか。まだ私が一緒じゃないとダメなのかい? そういうことなら仕方がないね。キミも来たまえ。」
若干恥ずかしいが、背に腹はかえられない。リーゼ様との生活が手に入るなら安いもんだ。自分が七十歳を超えていることを頭から追い出しつつ、こっくり頷いて話を進める。諏訪子さんが子供っぽく振る舞うのがセーフなのであれば、私がリーゼ様に甘えるのもセーフなはず。神がやっているのに魔女がやって悪い道理はあるまい。
「リーゼ様とエマさんと私が住むだけなら、やっぱりこの家で充分じゃないでしょうか? トランクから出るにしても部屋は魔法で広くできますし、咲夜が通ったり泊まったりするのも大丈夫なはずです。」
「んー、そうかもね。なら人形店も幻想郷に持っていこうか。」
……待てよ? エマさんはリーゼ様の使用人だからノーカウントとすれば、それはもうリーゼ様と私が二人っきりで同棲しているのに近い状態なんじゃないか? 凄いことに気付いてしまったかもしれない。本質的にはそうだと言えなくもないはずだ。
あまりにも素晴らしい閃きに驚愕していると、リーゼ様がカウンターからぴょんと降りて店内を歩きながら詳細を詰め始めた。
「となれば、次に幻想郷に行った時に魅魔と紫に話を通すべきだね。ちょうどあの二人には他にも話したいことがあったんだよ。二柱の債権に関する妙案を……あー、マズいな。紫のやつ、まだ起きているのか? 別荘のこと自体は藍でも処理できるはずだが、魅魔に連絡を取れるかどうかは微妙なところだ。どう思う? アリス。」
「魅魔さんなら気付くんじゃないでしょうか? こっちが連絡を取りたがったら、取れるような気がします。何となくですけど。」
「……まあうん、そうだね。不条理な反則級相手に普通の心配をするだけ無駄か。近いうちに幻想郷に行ってくるよ。」
「そういえば、守矢神社の移住先も決めないとですよね? この前日本に行った時、神奈子さんが言ってたじゃないですか。」
食事が終わったら話を再開する予定だったのに、結局全員が忘れてしまって有耶無耶になったんだっけか。焼肉屋での会話を思い出しながら言ってみれば、リーゼ様はやや面倒くさそうな顔付きで首肯してくる。自分の『別荘計画』を考えるのは楽しいけど、『仕事』のこととなると嫌になるってところかな? 素直なリーゼ様も可愛いぞ。
「それもあったか。……守矢神社のこともついでに話してくるよ。後で藍に説明するための資料を作ってくれるかい? 紫相手だったら不要だろうが、藍だと必要になるかもしれないから。多分大丈夫だとは思うけどね。」
「作るのは構いませんけど、どんなことを書けばいいんですか?」
「土地の大きさだけざっくりと書いてくれればいいよ。つまるところ、それを丸ごと『置ける』広さがあればいいわけだろう?」
「そこまで単純な話じゃないと思いますけど……。」
転移させる土地はそれなりの広さだし、範囲内に建物や湖も含まれているのだから、そこそこ真剣に熟慮すべきじゃないだろうか? ……うーむ、変なことにならなきゃいいけどな。どこに転移させるにしても、いきなり湖付きの神社と共に神が二柱現れたら周囲が混乱するはずだ。そういう『ご近所トラブル』のことも考えるべきだと思うぞ。
「ま、平気さ。上手くやるから。それより私の別荘のことを考えるべきだよ。……森か。別荘らしくて悪くはないが、どうせなら釣りが出来る池も欲しいね。守矢神社の湖を半分貰ったらバレるかな?」
「バレないわけがないですし、別荘って言ってもこの家なんですよ? そこまで期待しない方がいいんじゃないでしょうか?」
「こういうのは雰囲気が大事なんじゃないか。……三分の一でいいから貰えないか今度二柱に聞いてみるよ。そもそも魅魔の縄張りの中に湖や川がある可能性も残っているしね。幻想郷に行った時に詳しく調べてみよう。」
うーん、夢いっぱいだな。紅魔館の近くにも大きな湖があるはずだし、釣りはそっちですればいいのに。リーゼ様の『理想の別荘』は森の中が立地の場合、近所に湖が必要なわけか。
このままだと守矢神社の立地は二の次にされそうだなと苦笑しつつ、アリス・マーガトロイドは遠く離れた日本の三人組に同情の念を送るのだった。