Game of Vampire   作:のみみず@白月

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守矢神社の朝

 

 

「ああぁ……どうして、どうして起こしてくれなかったんですか? こんなの間に合いません! 絶対無理です!」

 

脱衣所兼洗面所で薄緑色のパジャマと水色の下着を脱ぎ捨てて全裸になりつつ、東風谷早苗はドア越しに諏訪子様へと文句を放っていた。長野市内の建物からマホウトコロへの転移の出発時刻が午後一時で、その建物まではここから電車と歩きで二時間ほどかかるので、十一時前には家を出ないと間に合わないのに……今はもう十時ちょっと過ぎだぞ! 荷造りを全然していないのに十時。宿題も終わっていないのに十時。昨日お風呂に入らないで寝ちゃったのに十時。絶対無理だ、お終いだ。

 

マホウトコロに戻る日である一月六日の午前十時、私は大急ぎでシャワーを浴びようとしているのである。本当は七時に起きるつもりだったから、昨日の夜はまあいいかと思って準備をせずに寝てしまったのだ。……どうしてこうなっちゃったんだろう? 七時にセットして目覚ましをかけたのに。ぜったいぜったいかけたのに。

 

涙目でシャワーのお湯が熱くなるのを待っていると、ガラリと浴室の戸を開けた諏訪子様が返事を返してきた。素っ裸で仁王立ちになりながらだ。

 

「一回起こしたよ、私は。最初に目覚ましが鳴った時間にね。」

 

「ちょっ、何で入ってくるんですか。」

 

「私もシャワーを浴びたいからに決まってるでしょ。……目覚ましの音にもめげずにぐーすか寝てたあんたを起こして、準備は大丈夫なのかってちゃんと聞いたんだからね? そしたら『大丈夫です、ギリギリまで寝られます』ってはっきり答えてきたから、この時間まで放っておいたんじゃんか。」

 

「……全然覚えてないです。」

 

『はっきり答えた』というあたりがちょっと怖くなってくるな。私は何か良くないものに……例えば、『遅刻の妖怪』とかに取り憑かれているのか? 寝起きの無自覚の行動を疑問に思いつつ、大急ぎで自分の身体を洗ったところで、『お風呂椅子』に座っている諏訪子様が指示を寄越してくる。

 

「早苗、髪洗って。」

 

「す、諏訪子様? 時間がないって言ってるじゃないですか!」

 

「あんただって暢気にお風呂に入ってるじゃんか。マホウトコロだと大浴場だから入れないんだもん。洗ってよー。神の髪を洗うのも祝子の役目でしょ?」

 

「ああもう、分かりました。ジッとしててくださいね。……神奈子様は何してるんですか?」

 

諏訪子様の金色の頭をわしゃわしゃと洗いつつ、そういえばいの一番に寝坊を叱ってきそうな神奈子様が居なかったなと問いかけてみると、小さな祟り神様は泡が入らないように目をギュッと瞑りながら応じてきた。

 

「外で掃除してるよ。また暫く帰って来られないからって。あと、東京に取り残されてる大蛇号の安全も祈願したいんだってさ。」

 

「神様なのに何に『祈願』するんですか?」

 

「知らない。自分にじゃない? 自称運転の神だし。」

 

「電車の時間とかは神奈子様にしか分かんないので、お風呂から出たら聞かないと……あっ。」

 

しまった、神様の髪をボディソープで洗ってた。何か凄い泡が立つと思ったらその所為か。だけど、もはややり直している時間などないぞ。このまま隠し通そうと決意した私へと、諏訪子様は鋭い質問を送ってくる。

 

「早苗? 今の『あっ』は何の『あっ』なの? 何かしたでしょ? 正直に言いな。失敗の『あっ』だって分かるんだからね。」

 

「……何でもないです。私も髪を洗うので、あとは自分で流してください。」

 

「いやいや、見えないんだから流してよ。この段階で中断する意味が分かんないんだけど。」

 

「無理です、時間がないです。頑張ってください。」

 

今度はしっかりとシャンプーを選択して自分の髪を洗いつつ、目を瞑ったままの諏訪子様が手探りで探しているシャワーノズルを遠くに隠す。流せば絶対にバレてしまうだろう。だってボディソープで洗った髪なんてギシギシするはずだ。『やり直し』を命じられる前に素早く自分の髪を流して、さっさとお風呂から出なければ。

 

「早苗? ……さーなーえ! あんた何したの? っていうか何してんのさ。シャワー隠したでしょ! ここにあるはずだもん!」

 

「分かんないです。」

 

「分かんないわけないでしょうが! ……あ、自分だけ流してるね? 何でそんなことするの? ひょっとしてあんた、ボディソープで私の髪洗ったでしょ? バレないうちに逃げちゃおうとか思ってるんでしょ! 絶対そうじゃん!」

 

「わーわー、聞こえないです! 水音で! 水音で全然聞こえないです!」

 

どうしてそんなに的確な推理が出来るんだ? 言い訳をしながら浴室の隅っこで髪を流した後、よたよたと私を探している諏訪子様を置いて脱衣所に移動する。

 

「こら、早苗!」

 

「後で! 後で聞きますから!」

 

もはや脱衣所も安全じゃないな。遠からず怒れる諏訪子様が降臨するはずだ。バスタオルを身体に巻いた状態で歯磨きセットとドライヤーを回収して、リビングで全てをやろうと思って入室すると……わあ、神奈子様。戻ってきていたのか。

 

「さ、早苗? 何て格好でうろついているんだ。年頃の女性としての自覚を──」

 

「後で聞きます! 全部後で! 早くしないと間に合わないんです!」

 

「いや、しかし……荷造りは済んでいるんだろう? 四十分頃には出ないと電車に乗り遅れるぞ? 可哀想な大蛇号はここには居ないんだから。」

 

「終わってないです。何も終わってません。」

 

なーんにも終わっていないのだ。ドライヤーで髪を乾かしながら正直に白状すると、神奈子様は顔を引きつらせて返答を口にした。

 

「何も? 何一つ? ……そういうことなら説教は後にしよう。キャリーバッグはどこだ?」

 

「向こうの部屋に置いてあります。」

 

「では、急いで身支度を整えなさい。荷物は私がやっておくから。」

 

生乾きだけど、もう仕方がない。ドライヤーを切り上げて歯磨きを始めつつ、神奈子様に頷いてから着替えをするために二階の自室に向かおうとするが──

 

「早苗、謝りな! 私のサラサラヘアーをこんなんにしたことを!」

 

「諏訪子様、後で謝りますから……あああ、引っ張らないでください! 早く着替えないとなんです! 私は諏訪子様と違って一瞬で服を着られないんですって!」

 

「そんなもん知ったこっちゃないね! 神のキューティクルをボディソープで台無しにした罪は重いよ!」

 

「脱げちゃいます! タオルが脱げちゃいますよ!」

 

ぬああ、急いでいるのに! 身体に巻いているバスタオルにしがみ付いてくる諏訪子様を、半ば引き摺るようにして二階へと上がる。そのまま部屋に到着して諏訪子様ごとバスタオルをポイしてから、下着をササッと身に着けた。選んでいる余裕なんてないし、適当に着ちゃおう。上下不揃いだからって気にしていられるか。

 

「さーなーえ! 罪を重ねるのはやめな! 『ボディソープ洗髪罪』だけじゃなくて『階段引き摺り罪』も追加されたからね!」

 

「後で謝りますってば! 本当に時間がないんです。四十分には出ないとなんですよ。」

 

「無理でしょ、そんなもん。あと十五分くらいしかないけど。」

 

「いけます。十五分あれば荷物を詰めて出られるはずです。」

 

もう身支度はほぼ完了だし、あとは家の方々に散らばっている荷物を回収してキャリーバッグに詰め込むだけだ。十五分あれば間に合うはず。宿題はもう百パーセント無理なんだから諦めよう。長袖のセーターを着ながら考えている私に、諏訪子様が呆れたような声で意見を投げてくる。

 

「賭けてもいいけど、忘れ物するよ。」

 

「だとしても転移の時間に遅れるよりはマシじゃないですか。去年遅れた生徒が教頭先生にどれだけ怒られたか知ってますか? 私の耳にまで噂が届くくらいだったんですから。」

 

お二方は神社に顕現できるんだから、忘れ物をしたらこっちに顕現して海燕便で送ってくれればいいのだ。ある程度の忘れ物を計画に含めることを決意しつつ、ジーパンを穿いて部屋の中の荷物を纏め始めた。まだ読んでいない雑誌と、解きかけの知恵の輪と、イギリスで買った洋服と──

 

「こら、早苗。優先順位が無茶苦茶でしょうが。あんたは学校に何しに行くつもりなのさ。先ずは教科書とやりかけの宿題を手に取りなよ。」

 

「わ、分かってます。近い物から纏めてただけです。」

 

忘れていたわけじゃないぞ。諏訪子様の呆れ果てた声色の指摘に従って教科書や作りかけの符なんかも持った後、部屋の中を見回して確認する。……よし、忘れ物は無いな。

 

「オッケーです!」

 

「このおバカ、オッケーじゃないでしょうが。下着、制服、靴下は? イギリスで買った服だけを持っていってどうする気なの?」

 

「あぅ……はい、今度こそオッケーです!」

 

「寮のが壊れたから目覚まし時計も持っていくんでしょ? 昨日の夕ご飯の時に『忘れないようにしないといけませんね』ってニコニコ顔で言ってたじゃんか。……それとね、杖! 杖が机に置きっぱなしだよ! 魔法使いが杖を忘れるなんて有り得ないでしょうが!」

 

ああ、杖! 全然使わないからすっかり忘れていたぞ。魔法の学校に行くのに魔法の杖を忘れそうになるという、あまりにもバカすぎる行動にさすがにバツの悪い気分になりつつ、部屋をもう一度見回して口を開く。

 

「……今度こそオッケー、ですよね? まだ何かありますか?」

 

「……間違いなく忘れ物はあるんだろうけど、咄嗟には私も思い浮かばないかな。ちなみにタイムリミットまであと九分だよ。」

 

「行きましょう。もう捨て置くしかありません。」

 

さらばだ、忘れ物たち。私もまだまだ忘れていそうな気がするものの、もはや出発までの猶予がない。諏訪子様と二人で纏めた荷物を抱えて階段を下りていくと、リビングでキャリーバッグに何かを詰め込んでいる神奈子様の姿が見えてきた。

 

「神奈子様、部屋の荷物はこれで全部です。」

 

「了解した。忘れ物は私か諏訪子が後でこっちに顕現してマホウトコロに送ろう。」

 

完全に忘れ物がある前提で話している神奈子様は、続けて問いを飛ばしてくる。困った顔でだ。

 

「植物学用の保護手袋とスコップはどこだ? 一階には無かったぞ。休み明けの授業ですぐに使うんだろう?」

 

「あー、それね。それは私が裏の花壇を弄る時に使ったんだ。ごめんごめん、取ってくるよ。」

 

「それと、薬学用の器具が足りていない。小鍋とすり鉢はどこに行ったんだ?」

 

「あっ、キッチンです。お料理に使いました。」

 

神奈子様の声を受けて私がキッチンにある薬学の器具を、諏訪子様が裏庭にある植物学の道具を回収しに行く。危なかったな。どっちも休み明け直後にある授業だから、送ってもらうんじゃ間に合わなくなるところだったぞ。

 

取ってきたそれぞれの小物をキャリーバッグに入れたところで、ふと浮かんだ疑問を諏訪子様と交わし合った。

 

「諏訪子様、真冬に何を育てようとしてたんですか?」

 

「早苗、あんた薬学で使った器具で料理したの?」

 

「……ちゃんと洗って使ったから大丈夫ですよ。ゴマをすり潰すのと、お浸しを作るのに使っただけです。」

 

「チューリップだよ。前にホームセンターに行った時に売ってたから、買って育ててるの。」

 

うーむ、チューリップか。ちょっと似合わないな。微妙な気分で微妙な表情になっている私に、諏訪子様がジト目で追及を寄越してくる。

 

「何さ、私がチューリップを育ててたら文句あるの?」

 

「いやいや、無いですよ。そんなこと一言も言ってないじゃないですか。ただその、学校に行った後はどうするのかなって気になっただけです。」

 

「ちょくちょくこっちに顕現して水やりをすればいいでしょ。……『似合わないことしてるな、こいつ』って顔になってたよ。」

 

「ち、違いますって。それよりほら、準備。急いで準備をしないと。あと五分しか……わああ、あと五分しかないじゃないですか!」

 

余裕を持つならもう出発すべき時間だぞ。壁の時計を見て大慌てでキャリーバッグに向き直ると、神奈子様が難しい顔で手を止めているのが視界に映った。

 

「神奈子様、忘れ物は諦めてもう切り上げましょう。出る準備をしないと。」

 

「しかしだな、早苗。蓋が閉まらないんだ。」

 

「へ?」

 

「実に不思議だ。マホウトコロを出る時は余裕で閉まっていたのに、どうして今は閉まらないんだろうな? 差し引きすればほぼ同じ量しか入れていないはずだぞ。」

 

そんなの知らないぞ! キャリーバッグに駆け寄って強引に蓋を閉めちゃおうとするが……うわぁ、ミシミシいってる。これは無理そうだな。どうして、どうしていつもギリギリのタイミングでこういうことが起こるんだ!

 

絶望感を味わいながら思考を停止させている私を他所に、諏訪子様と神奈子様が『あらら』という顔付きで相談し始めた。

 

「一回出して整理して詰め直すのと、物置にある大きめのキャリーバッグを出してくるの。どっちが早いと思う?」

 

「後者だな。前者の場合はいちいち選別して時間を食った挙句、やっぱり閉まらないという結末になるだろう。取ってくるから荷物を出して待っていろ。」

 

「どっちにしろ間に合わないと思うけどね、私は。雪で電車が遅れるかもだしさ。」

 

ああ、私の未来が鮮明に浮かんできたぞ。マホウトコロに遅刻を知らせて、わざわざ先生の中の誰かが迎えに来てくれるのを待って、叱られながら付添い姿あらわしで移動して、到着したマホウトコロで教頭先生にもしこたま怒られて、他の生徒たちから『蛇舌、遅刻したんだってよ』と後ろ指を指される。多分こんな感じかな。頑張ったのに。

 

全てを諦めて脱力しつつ、東風谷早苗は期生前最後の学期が最悪の形でスタートすることを覚悟するのだった。……そうだ、宿題をやっていないことも怒られるんだっけ。

 


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