Game of Vampire   作:のみみず@白月

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抜け殻

 

 

「どうでしょう? 可愛いですか? イケてます? 私、イケてます?」

 

こいつらは一体何をやっているんだ? マホウトコロの葵寮の三階の一室を窓の外から覗き込みつつ、アンネリーゼ・バートリはあまりにもアホらしい気分で首を傾げていた。アホが感染しそうで入りたくない部屋だな。あほあほ空間だ。

 

一月十五日の昼過ぎ、現在の私は姿と気配を消した状態でマホウトコロの領内に忍び込んでいるところだ。藍から細川本家に相柳の姿が無かったという報告を受けたため、いざ日本の魔法学校を直接調査しようと侵入したのである。もはやアピスの調査結果を待ってはいられないぞ。

 

だからとりあえず早苗と接触して、細川京介の自室がどこなのかを聞こうと思ったのだが……もう自力で探そうかな。こいつらは役に立たなさそうだし。

 

「似合っているぞ、早苗。日本一だ。いや、世界一だ。」

 

「ひゅーひゅー、可愛いよ!」

 

「えへ、そうですか? えへへ。」

 

どうも三バカは自室で『ファッションショー』を開いているらしく、早苗がイギリスに来た時に買っていた洋服を次々と着て二柱がそれを褒めまくっているようだ。今日は土曜日なのでマホウトコロが午後から休みなことは知っていたし、こいつらが自室で何をしているのかは大体想像できていたものの……まさかここまでアホなことをしているとは思わなかったぞ。もっと有意義なことをしたらどうなんだよ。

 

三バカのぽんこつ具合が私の想像を遥かに上回っていたことに戦慄しつつ、飛行した状態で外側から窓をノックしてこちらに気付かせた。早く入れろ、あほあほ三人組。こっちは真剣な用事で来ているんだぞ。

 

「……え、何ですか今の。幽霊? ラップ現象?」

 

「まーたクソガキどもが窓に小石を投げてきたんじゃない? 塩どこ? 塩。投げ返してやろうよ。」

 

「無視しろ、早苗。いちいち構うから図に乗るんだ。」

 

ええい、面倒くさい連中だな。姿を現してもいいが、なるべく余計なトラブルは避けたいところだ。特にシラキあたりが油断できん。如何に顔見知りとはいえマホウトコロは日本魔法界の要所なんだから、勝手に侵入したことがバレればそれなりに厄介な事態になるだろう。念には念を入れて入室するまでは透明なままでいたいし……よし、実力行使でいくか。

 

迷惑そうにこちらを見ながら無視の方向に意見を固め始めた三バカを睨みつつ、窓にそっと手を当てて妖力で鍵を開ける。不法侵入は吸血鬼のお家芸だ。杖魔法ではなく妖力での解錠なので、仮に窓に警戒呪文がかかっていても大丈夫なはず。万が一感知されていたら早苗に言い訳をさせればいいさ。

 

「ちょちょ、勝手に開きましたけど。」

 

「私だよ。用があって──」

 

「ひゃわっ、あう。」

 

不審に思ったのか窓に近付いてきた早苗の眼前で姿を現してやれば、守矢神社が誇る筆頭おバカちゃんは腰を抜かしてぺたりと尻餅をつく。誰もがこのくらい驚いてくれるなら面白いんだけどな。私の知り合い連中はもうこんな反応をしてくれないぞ。

 

「り、り、リーゼさん?」

 

「そうだよ、私だ。落ち着きたまえ。」

 

「びっくりしました。」

 

「だろうね、それはしっかりと伝わってきたよ。……やあ、二柱。悪いが早苗単独ファッションショーは中止だ。先にこっちの用事に付き合ってもらうぞ。」

 

窓とカーテンを閉めてから狭い部屋を見回しつつ二柱に話しかけると、さすがに早苗ほどには驚いていない神々がそれぞれの反応を寄越してきた。

 

「やーやー、リーゼちゃん。吸血鬼っぽい登場の仕方じゃん。昼間ってのがマイナスポイントだけどね。」

 

「わざわざ学校に忍び込んでくるということは、何か危急の用件なのか?」

 

「蛇についてを直接調査しに来たんだ。キミたちがイギリスを離れた後、色々と進展があってね。」

 

「進展?」

 

怪訝そうな顔付きで問い返してきた神奈子に、肩を竦めて事のあらましを語る。かなり簡略化したものをだ。

 

「幻想郷の管理者代行と話し合った結果、件の黒蛇が相柳かもしれないことが発覚したんだよ。だから細川京介の居場所を教えてくれ。私が調べてくるから。」

 

「……待て待て、意味が分からん。相柳? 大妖怪の相柳か? どういうことなのかをきちんと説明してくれ。幾ら何でも性急すぎるぞ。」

 

「相柳は六百年前の事件の後、細川本家に封印されていたんだ。ここは知っているかい?」

 

「知らん。」

 

やっぱり知らんのか。薄々気付いていたが、こいつらは本当に裏側の情勢に疎いらしいな。いくら諏訪の神とはいえ、自分たちの土地にしか頓着しないのは問題だと思うぞ。神奈子の返事に呆れながら、あたふたと茶の準備を始めた早苗を横目に説明を続けた。

 

「とにかく相柳はずっと細川本家に封印されていたんだよ。しかし黒蛇の見た目と相柳の妖蛇としての見た目が一致したので、一応管理者代行に細川本家の封印の状況を調べてもらったところ、封印されていたはずの相柳が居なくなっていることが分かったんだ。この時点で管理者代行の方も事態を重く見始めたため、私にマホウトコロ内部の調査を依頼してきたのさ。私としても早苗の安全のために調べようとは思っていたから、それを受諾して今日ここに来たというわけだね。……ちなみに管理者代行の方は日本の大妖怪たちに話を聞きに行っているよ。相柳が接触してきていないかを聞いて回ってくれるんだそうだ。」

 

「ちょっと待て、考えるから。……札の件はどうなったんだ? 大妖怪だとしても早苗の服の下に潜り込むのは危険なはずだぞ。というかそれ以前に、大妖怪ならば私たちが気付けたはずだ。その辺は前に話し合っただろう?」

 

「未だ確実にそうであるとは断定できないが、蛇が本当に相柳ならどちらもクリアできる問題だよ。相柳は『ひどく矮小な大妖怪』だから、キミたちが妖力を感知できなかったというのは有り得なくもない話なんだ。そして札の方は更に単純だね。我慢すればいいのさ。」

 

「矛盾してるじゃん。『矮小な大妖怪』ってとこもそうだけど、妖力が小さかったら札の神力で死んじゃうっしょ。我慢とかってレベルの話じゃなくない?」

 

諏訪子の尤もな指摘に対して、鼻を鳴らしながら返答を放つ。そこは一昨日人形店に報告に来た藍との会話で結論が出ているのだ。『可能である』という結論が。

 

「相柳は神々や人間たちに敗れて封印される直前に、『蓬莱の丸薬』を呑んだんだ。月の民が作った不死の丸薬をね。私はその辺りには詳しくないから、多分キミたちの方が知っているんじゃないか?」

 

「うえぇ、マジ? あれを呑んだの? 頭おかしいよ。正気の行動じゃないね。」

 

「正気の行動じゃないのは間違いないが、兎にも角にも相柳は死なない。札で身体が崩壊していくや否や再生するだろうさ。神力による苦痛や嫌悪感にさえ我慢できれば、札を持った早苗の服の下に潜り込むのも不可能ではないはずだ。その点は報告に来た管理者代行も同意していたよ。」

 

「しかしだな、あの蛇は非常に頭が悪そうだったんだぞ。私たちもそう思うし、接触の機会が一番多かった早苗もそう感じた。だろう? 早苗。」

 

腑に落ちないという表情で新たな疑問点を提示した神奈子の呼びかけに、人数分のコップを用意している早苗がこくこく頷く。

 

「はい、あの……凄くバカっぽい蛇さんでした。そんなことを言うのは失礼かもですけど。」

 

「そこはどうなんだ、バートリ。そんな大妖怪が居るか?」

 

「それが居るのさ。相柳を直接知っている管理者代行は、彼女のことを『短慮なバカ』と表現したよ。」

 

「いやいや、変じゃん。『矮小で短慮なバカ』が六百年前の大事件を起こしたの?」

 

私だってそこだけ聞くと変だと思うが、そればかりは実際の出来事なんだから仕方がない。一つ首肯してから、きょとんとしている諏訪子に回答した。

 

「そうさ、六百年前の『クーデター』は短慮なバカが起こした事件だったんだ。数多くの大妖怪との繋がりを持っていた、妖怪想いで妖怪に想われる『愛すべきバカ』が消え行く妖怪たちを救おうとした結果、あんな大事件に発展してしまったんだよ。そこはまた今度ゆっくり話すから、今は例の蛇が相柳『かもしれない』という点だけを認識しておいてくれ。」

 

「『相柳かもしれない』であって、絶対じゃないんだね? どんくらいの確率だと予想してんの?」

 

「管理者代行は半信半疑で、私は七割くらいの確率だと予想しているよ。」

 

「……っていうかさ、管理者代行って誰? 八雲紫の部下ってこと?」

 

かっくり小首を傾げて尋ねてくる諏訪子に、早苗から受け取ったやけに甘い紅茶を飲みながら応答する。

 

「そうだよ、部下の大妖怪だ。いちいち細かい部分を説明していたらキリが無いから、そこも今度話すよ。私が不正にマホウトコロの領内に侵入中ってことを忘れないでくれたまえ。」

 

「まあ、そういうことなら今度でいいけどさ。……じゃあ、そこに関しては次の外出日に話そっか。とりあえず細川の部屋を教えればいいんでしょ? 自室があるのは桐寮で、研究室があるのは校舎の二階中央だよ。」

 

いち早く建設的な発言を飛ばしてきた諏訪子に頷いた後、頭にマホウトコロの大まかな地図を描きつつ質問を返した。

 

「両方調べるべきだと思うかい?」

 

「んっとね、研究室の方は早苗も入ったことあるよ。ちょっと前の話になるけど、これといって怪しい物は見当たらなかったかな。何かあるなら自室の方じゃない? 蛇もそっちで飼ってるみたいだし。」

 

「桐寮か。橋から見て校舎の左側の建物だろう? 建物内の詳しい位置は?」

 

「教員のフロアは葵寮と一緒で上の階にあるはずだけど、桐寮は入ったことないからねぇ。寮ごとに違いがあるし、どの階のどの部屋かまでは分かんない。早苗は分かる?」

 

結構な部屋数だろうし、虱潰しは面倒だな。唸っている私へと、早苗が『思い付いたぞ!』という顔で意見を送ってきた。本当に分かり易い子だな。

 

「えっとですね、各階の入り口……要するに階段の踊り場とかに案内板があるはずです。少なくとも葵寮にはあるので、桐寮にもあるんじゃないでしょうか? ホテルみたいなあれですよ。緊急用の避難経路が書いてある、部屋割り表みたいなやつです。」

 

「ふぅん? マホウトコロが侵入者に親切なようで何よりだ。大いに結構。行ってくるよ。」

 

「バートリ、調べた後でまたここに来るのか?」

 

「余程のものが見つかれば戻ってくるかもしれないが、基本的にはそのまま敷地から出るさ。次の外出日はどうせ自動車を回収するために東京に行くんだろう? その時にでも報告するよ。」

 

神奈子に言い放ってからカーテンを開けて外に出ようとしたところで、諏訪子が慌てて制止を投げてくる。

 

「待って待って、そのまま行っちゃうの? てっきり一度戻ってくると思ってたんだけど。次の外出日は二月の第二金曜だよ? ほぼ一ヶ月後じゃんか。他の話はその日でいいけど、調べてみてどうだったかくらいは教えてから帰ってよ。」

 

「『余程のもの』が見つからなかった場合、キミたちに知らせても意味が無いだろう? 今まで通り警戒しておきたまえよ。万が一何かあれば札を使って多少強引な手段を取っても構わないから、早苗の安全にだけ気を使いたまえ。一ヶ月あれば管理者代行と私でそれなりの部分まで調べられるはずだし、報告する時期としては妥当だろうさ。」

 

「でも、気になるじゃん。」

 

「だから私が調べに行くんだろうが。今のキミたちには大したことは出来ないんだから、とりあえず私たちに任せたまえ。……それじゃ、失礼。」

 

言いながら能力で姿を消して、翼を広げて窓から外に出た。そのまま気配と妖力を出来る限り抑えた状態で桐寮目指して飛行していると……むう、不用心だな。目的の建物の二階部分の窓が揃って開いているのが目に入ってくる。換気でもしているのか? 何にせよ好都合だ。あそこから入らせてもらおう。

 

そこそこ現代的な造りだった葵寮と比較すると、桐寮は伝統的な日本家屋といった見た目だな。各階に瓦の屋根が突き出しているあたり、ちょっとだけ仏塔に似ている気もするぞ。そんな感想を抱きながら窓を抜けて中に入ってみれば、板張りの廊下を拭き掃除している女子生徒たちの姿が見えてきた。なるほど、掃除中だから窓を開けていたのか。

 

「あー、めんどくさ。誰か水汲んできてよ。」

 

「あんたが行けば?」

 

うーむ、勤勉が故に掃除しているわけではなさそうだな。ホグワーツみたいにしもべ妖精を雇えばいいのに。というかそもそも、何故二階だけを掃除しているんだろうか? 色々な疑問を感じながらやる気のない様子で掃除をしている桐寮生たちの間を抜けて、廊下の突き当たりにあった階段の方へと移動していく。

 

すると……ふむ、ここは女子用のフロアなのか。階段の踊り場に『女子階』というプレートが設置されており、その下には『男子禁制!』と書かれた張り紙が貼ってある。早苗が言っていた案内板もあるな。どうやら二階は桐寮の五から八年生の女生徒たちが使っているフロアらしい。四人部屋と二人部屋があるようだ。

 

桐寮のシステムにおける無駄な知識を手に入れつつも、廊下と同じく板張りの古ぼけた階段を上っていく。三階は五から八年生の男子、四階は九年生から三期生の女子、五階は九年生から三期生の男子のフロアみたいだな。となると一階に共用の設備が集まっているのかもしれない。

 

女子のフロアには必ず『男子禁制!』の張り紙があるのに、男子のフロアには別に何も貼っていないことを怪訝に思いながら、続く六階に到着すると……よしよし、ここが目的の教員用フロアらしい。『教員階』というプレートと、部屋毎に教師の名前らしき文字が書かれてある案内板を発見した。『日本史学・細川京介』という部屋もしっかりと載っているな。

 

並んでいる名前は男性のそればかりだし、どうも教員フロアですら男性女性で階が違うようだ。恐らく七階が女性教師のためのフロアなのだろう。案内板を見た限りではどの部屋も生徒用の部屋より明らかに広いのに、それでも埋まっている部屋より空き部屋の方が多いことに小さく鼻を鳴らしつつ、廊下に人が居ないことをチェックしてから窓を開けて一度外に出る。まさかドアから堂々と入るわけにはいかないし、とりあえず細川の部屋を外側から確認してみるか。

 

同じ高度でぐるりと桐寮を半周して、細川の部屋があるはずの位置の裏手に回ってみれば、ベランダ……バルコニーと言うべきか? 何にせよ部屋毎に突き出した狭いスペースがあるのが見えてきた。内部への侵入口はドアかあそこだけだな。とはいえ残念ながらガラス戸は閉まっているし、室内はカーテンで覗けなくなっているようだ。

 

一度物干し竿があるバルコニーに着陸してから、ガラス戸に近付いて集中して中の気配を探ってみると……んん、読めないな。テレビの音らしきものが微かに聞こえてくるものの、人の気配は感知できない。不在なのか? しかしテレビの音は確かにこの部屋の中から響いているぞ。

 

美鈴だったらもっときちんと気配を読めたんだろうなと眉根を寄せつつ、バルコニーを離れてまた六階の廊下へと戻った。案内板に描かれていた大雑把な部屋の形から推察するに、入り口の向こうにはバスルームやトイレなどが接する短い廊下があり、そこを抜けた先にバルコニーと繋がっているリビングルームがあるはず。気配が読めないのであれば、むしろ内側にあるもう一枚のドアで隔てられている玄関からこっそり侵入すべきだ。『狭い家』ってのはこれだから好かん。不法侵入者のことを考えていなさすぎるぞ。

 

吸血鬼に優しくない構造に憤慨しつつ、ある程度の『強硬手段』を覚悟して細川の部屋のドアに手を当てる。勝手にドアが開くのは明らかな異常だが、姿を消した上で本気で気配や妖力を隠せば私に気付ける者など居ない。不自然さはもう仕方ないと許容して強引に侵入しよう。気配を感じ取れない以上、在室していないという可能性もあるわけだし。たとえ独りでに玄関のドアが開いたとしても、そこからいきなり『イギリスの吸血鬼が侵入してきた』と繋げて考えたりはしないはず。

 

妖力で解錠してから軋まないように慎重にドアを開くと……いいぞ、闇は私の味方だ。真っ暗な室内の光景が視界に映った。廊下の明かりが中に差し込まないように能力で制御しつつ、ドアをゆっくりと閉じてから先へと進む。しかし、不思議な構造だな。外側と違って洋風の内装だし、キッチンもこの廊下にあるらしい。左手に流し台やガスコンロなんかがあり、右手に二つ並んでいるドアはバスルームとトイレに通じているのだろう。ぎゅうぎゅう詰めじゃないか。脱衣所すらないぞ。

 

狭すぎる。そう感じながら廊下の奥のドアの前で再度気配を探るが、やはり伝わってくるのはテレビの音だけだ。細川が在室していた場合、ここを開ければさすがに気付かれるだろうが……まあいい、進もう。虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うし。私であるとバレさえしなければ問題ないさ。

 

それでも一応微かな物音すら立てないように培った技術を駆使して、リビング兼寝室に続いているのであろうドアを私が滑り込める分だけ開けて入室すると……おやまあ、吸血鬼からしたってかなり不気味な光景だな。カーテンが閉め切られて電気も点いていない真っ暗な部屋の中で、テレビの目の前の一人掛けのソファに座っている細川京介の姿が見えてきた。

 

髪やヒゲが伸び放題で目元や口元が隠れている細川が座っているのは、本当に『テレビの目の前』だ。画面から三十センチ程度しか離れていない位置で、身動ぎもせずにジッとテレビに顔を向けている。何一つ反応らしきものが無いし、私が入ってきたことにも気付いていないらしい。

 

テレビの画面が発している薄い光に照らされて、まるで死体のように動かず座っている細川。映っているのは日本のバラエティ番組か何かのようだが、全然笑っていないし楽しそうでもない。『抜け殻』って感じだな。ソファに座っていると言うよりも、『ソファに置いてある』と表現すべき様子だ。

 

こんなもん死体と大差ないし、これは気配を読めないわけだと心中で唸った後、足音を決して立てないように気を付けながら狭い部屋の中をチェックする。シングルサイズの安っぽいベッドと、アピスの家にあったようなパーソナルコンピューターが載っている机、そして日本史学の本らしき物が殆どを占めている本棚。目ぼしい家具はそのくらいか。

 

うーん、この部屋にも蛇用のケージっぽい物は無いな。廊下の方には洗濯機と冷蔵庫があったものの、ケージは無かった。蛇をペットにする場合、犬猫のように部屋の中で放し飼いにはしないだろう。それらしいケージがどこにも無いということは、細川は少なくともこの部屋で蛇を飼育していないということだ。

 

『蛇はただのペットの蛇説』における矛盾点を確認してから、机の上の調査に入る。パーソナルコンピューターを起動させれば幾ら何でも気付かれるだろうし、そもそも私は使い方を知らないのでどうにもならないが、机の上には植物紙の書類も数枚だけ載っているのだ。雑多に置いてある書類を流し読みしてみれば……おいおい、ゲラートに関する物ばかりじゃないか。

 

ヨーロッパ大戦時の動向や、ロシア中央魔法議会の議長としての行動、そして非魔法界対策委員会における動き。細川はゲラートの『業績』の数々を様々な資料で確認して、それを手書きで詳細に纏めているようだ。凄まじいな。机の上にある紙は全部そうらしい。一枚一枚にびっしりと書かれてあるぞ。

 

細川は史学の教師ではあるが、専門は日本史学のはず。世界史学にも興味があるということか? にしたってこれは異常だぞ。本当に熱狂的な『ファン』なのかもしれない。そういえば昔はゲラートの写真を家に飾っているとかいう連中も居たな。死の秘宝のマークを象ったアクセサリーを、これ見よがしに身に着けていたタイプの連中だ。

 

しかし仮に相柳が細川を操っていた場合、これらの調査の痕跡は相柳が行ったそれでもあるはず。相柳がゲラートに興味を持つ? ……有り得なくはないな。『操る相手』としては百点満点の存在だろう。ゲラートは今現在の魔法界では、ぶっちぎりの影響力を保持している人間なのだから。もし操ることが叶えば世界に混乱を及ぼすことだって不可能ではない。

 

だとすれば捨て置けないぞ。早苗にちょっかいをかける程度なら交渉で終わらせても良かったが、ゲラートの邪魔をしようとしているのであれば容赦なく始末させてもらう。紫や藍の顔を立てるなどとは言っていられん。殺せないなら鉛にでも埋めて深い海に沈めてやるさ。

 

まあでも、相柳がゲラートを操るのは無理だろう。私が全力で魅了をかけてもビクともしないであろう精神力の持ち主だし、藍の話から見えてくる相柳の能力ではあの男を操ることなど不可能だ。とはいえ、だからといって座して放置するわけにもいかない。今はゲラートにとって大事な時期なんだから、ちょっとしたリスクも排除できるなら排除すべきだぞ。

 

いっそのこと、今ここで細川を殺すか? ……それはさすがに短絡的だな。むしろ相柳にたどり着くための紐を失って追い難くなるだけだろう。細川が単なる道具なのであれば、こちらも利用して相柳の居場所を探るべきだ。アルバート・ホームズの時と一緒で、『道具』を壊したところで元を断たねば意味がないのだから。

 

では、魅了をかけて聞き出してみるか? ……んー、それも悪手だな。仮に相柳が細川を完全に支配し切っているのであれば、私の魅了は効果がないはず。試してみてもいいが、失敗した場合に私の思惑が相柳に伝わってしまう危険性がある。

 

もちろん相柳は私の存在を知ってはいるだろう。操っている細川が私と接触しているのだから当たり前の話だ。しかしながら、『私が相柳の存在に気付いている』ということは知らないはず。イギリスの大妖怪が自分を追っていることに気付けば、どれだけバカだろうと警戒して身を隠すだろうし、出来れば油断していてもらいたい私としてはこちらの動きを掴まれたくない。『奇襲』のメリットを分の悪い賭けで失うわけにはいかん。

 

とにかく、蛇を見つけるのが最優先だ。その蛇が相柳だろうがただの蛇だろうが、捕まえさえすればどうにでもなるだろう。最良の展開は守矢神社の連中と紫たちの両方に貸しを作れるように、早苗の安全を確保した上で蛇を捕らえて紫か藍に突き出すことだが、ゲラートにとってリスクがあるのであれば私個人で素早く排除すべきかな。思考を回しながら薄暗い部屋の中を捜索し終えて、成果の少なさに内心で舌打ちをした。

 

ゲラートに関する懸念が手に入ったのは良かったが、相柳に繋がる情報はゼロだな。部屋の中には蛇など居ないし、妖力も一切感じない。机の上の書類以外に怪しい点は全く見当たらないぞ。……一度出るか。念のためトイレとバスルームも調べた後、校舎二階の研究室とやらを調べに行こう。こうなったら徹底的に調査しなければ。

 

私が部屋を調べている間、ピクリとも動かずにテレビと向き合っていた細川。明らかに『正常』な様子ではないし、もしかしたら完全に相柳の支配下に落ちたが故の状態なのかもしれない。細川の行動はアピスに調査を依頼済みだから、そっちからも何か情報が入ってくることを祈っておこう。

 

入った時と同じようにドアの隙間に身体を滑り込ませながら、アンネリーゼ・バートリは不気味な空間を後にするのだった。

 


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