Game of Vampire 作:のみみず@白月
「あの、マリサ? 率直な感想を言っちゃっていいんですよね?」
至極微妙な顔付きで言い辛そうにしているアレシアへと、霧雨魔理沙は苦笑しながら頷いていた。出来が良い箒じゃないってことは自分でも分かっているさ。私が欲しいのは褒め言葉ではなく、改善点だぞ。
一月も下旬に差し掛かった快晴の日、寒い訓練場でアレシアに自作の箒の乗り心地を確かめてもらっているのだ。私やアレシアと同じく咲夜も空きコマだったため、向こうのベンチにはコートに身を包んだ銀髪ちゃんの姿もある。
贔屓目に見ても『良作』とは言えない箒を片手にしているアレシアは、私の首肯に従って目を逸らしながら感想を語ってきた。私が最初に完成させた箒の感想をだ。
「えっとですね、先ず常に斜め右下に寄っていっちゃうところが一番乗り難かったです。しかも真っ直ぐ飛ぼうと制御しようとすると、更に強く抵抗してくるのは致命的なんじゃないでしょうか。……あとはまあ、スピードを出すと震え出すのが怖かったですね。」
「……他には?」
「最高速度と加速性能が低すぎますし、曲がろうとする時の反応もワンテンポ遅れてた気がします。特に上下方向への移動が難しかったです。何かこう、ガクッとする感じで。」
「なるほどな、上下方向か。参考にさせてもらうぜ。」
うーむ、問題点が盛り沢山だ。そもそもの性能が低すぎるという自覚はあったが、上昇や下降の時のレスポンスに関しては自分では気付けなかったぞ。やっぱり時間をかけて苦労して作った箒だから、心のどこかで甘く採点していたのかもしれない。アレシアに乗ってもらったのは正解だったな。
まあまあ落ち込みながら新たな改善点をメモしている私に、アレシアが気まずげな表情でフォローを寄越してくる。
「だけど、あの……間違いなく『空飛ぶ箒』ではありました。短期間でここまで仕上げられたのって、実は結構凄いことなんじゃないでしょうか?」
「飛行術用の倉庫の備品の方が全然マシなあたり、これを空飛ぶ箒って主張できるかは意見が分かれるだろうけどな。」
「……というかその、どうしていきなり作り始めたんですか? 私、あくまで箒への理解を深めるためだと思ってました。マリサがこんなに本格的な箒作りをするのは予想外でしたよ。」
私が作った箒を観察しながら尋ねてくるアレシアへと、肩を竦めて返事を送った。
「まあなんだ、卒業したら箒が簡単に手に入らなくなるかもなんだよ。だけど私にとって箒は大切な道具だから、自分で作れるようになっておこうってわけさ。」
「卒業したら日本に帰るんですよね? 日本魔法界には箒屋が沢山あるって思ってました。」
「私の故郷はちょっと特別な場所でな。手に入らない物が色々とあるんだよ。箒もその中の一つになるかもってことだ。」
「……それは辛いですね。杖よりよっぽど大事な道具なのに。」
心底同情している様子のアレシアだが……むう、杖よりか。いよいよ『クィディッチ馬鹿』に磨きが掛かっているな。いくらクィディッチ文化が重んじられている魔法界でも、杖より箒が大事と言い切ってしまう魔法使いはごく少数だと思うぞ。
後輩の成長っぷりに唸りつつ、明るい補足を付け加える。ただまあ、一応の入手経路は存在しているのだ。リーゼに頼んで買ってきてもらうという方法が残されているのだから。
「ま、百パーセント手に入らんってほどじゃないんだけどな。備えあれば憂いなしだろ? それなり以上の興味もあるし、箒作りの技術を習得しておいて損はないはずだ。」
「箒への情熱を感じる行動ですね。尊敬します。……私も覚えるべきでしょうか? 箒作り。」
「お前はプロを目指すんだろ? プレーヤーを貫くなら無理しなくてもいいと思うぜ。私みたいな移り気なやり方より、アレシアには『ビーター専業』って方が似合ってるんじゃないか?」
「……あの、まだ目指すかは未定です。私なんかがプロになれるかは疑問ですし。」
もじもじしながら小声で訂正してきたアレシアに、苦笑いで指摘を返す。少なくともなりたいとは思っているはずだ。日々の会話の端々からそれは読み取れるぞ。
「お前な、同世代のプレーヤーの中に自分以上のビーターが居るか? 私は絶対に居ないって断言できるぞ。同世代どころか、現役のプロ選手とも渡り合えるだろうさ。……卒業しても続けたいんだろ? クィディッチ。」
「それはもちろん続けたいです。」
「じゃあ目指すべきだろ。お前の才能と努力は私が保証する。ハリーもドラコもスーザンも認めてたし、ギデオンとシーザーも去年の卒業式の時に言ってたじゃんか。お前ならプロになれるって。……無理に期待を背負わせる気はさらさら無いけどよ、もしお前がプロプレーヤーの道を選ぶんだったら私たちの言葉を保証にしろ。学生世界一のチームの保証だぜ? 中々の説得力があると思うけどな。」
「私、私……なれるでしょうか?」
ほんの少しの期待を覗かせているアレシアへと、強気な笑みで肯定を口にした。
「クィディッチに愛されるヤツはちらほら居るが、お前ほどクィディッチを愛してるヤツってのはそう居ないぜ。稀に見る相思相愛なんだよ、お前とクィディッチは。だからなれるさ、絶対だ。」
「……そうなると、まだ四年生なのに進路が決まっちゃいましたね。」
「それを言うなら一年生の頃にはもう決まってたんだろ。お前はクィディッチに出逢うべくして出逢ったんだよ。」
んー、後輩ってのも良いもんだな。自分の成長は分かり難いが、アレシアのそれははっきりと認識できるぞ。一年生の頃より長くなった髪と、高くなった背と、そして強くなった心。私の上の世代の連中も、私のことをこんな気持ちで見ていたんだろうか?
七年生になって初めて気付けた視点に微笑みつつ、アーモンド色の頭をポンと叩いて話を締める。ホグワーツの世代というのは、きっとこうやって連なっていくんだろう。私がハリーたちから多くのものを受け取ったように、今度は私がアレシアに渡さなければならないのだ。
「私はずっと昔から決めてた目標があるから、クィディッチの道には進めないんだ。だからお前に託すぜ。私の重い期待を受け取ってくれ。」
「重い期待、ですか。『背負わせる気は無い』んじゃなかったんですか?」
「お前がプロを目指すって決めたんなら話は別さ。逃げ出したくなった時、私の想いを重石にしろ。期待ってのはひどく重い荷物だが、そいつがあるから踏み止まれる時もあるんだよ。私はそれに何度も救われてるからな。……『期待』を利用するんだ、アレシア。プロになったら多分、みんなお前に期待を預けてくるぞ。めちゃくちゃ重いやつをな。それを無理して背負おうとするんじゃなくて、自分を支えるための道具にしちまえ。プレッシャーってやつには悪い側面もあるけど、良い利用法も確かにあるのさ。『良いとこ取り』を怠るなよ? そうすりゃ全部を利用できるから。」
「……覚えておきます。」
きちんと伝わったかは分からんが、今の私にはこれが限界だ。こういう時はリーゼやアリスのことが羨ましくなるな。上手く想いを伝えられるようになるには、私もまだまだ経験不足ってことか。この発言が少しでもアレシアの役に立つことを祈っておこう。
私の言葉をアレシアが咀嚼している途中で、近寄ってきた咲夜が声をかけてきた。
「二人とも、そろそろ時間よ。午前最後の授業が始まるわ。」
「っと、なら行かないとな。アレシアも授業があるんだろ? 昼休みの練習でまた会おうぜ。」
「はい、行ってきます。」
私に箒を返してから慌てて去って行ったアレシアを見送っていると、咲夜が肘で私の脇腹を突きながら話しかけてくる。その顔に浮かんでいるのはからかうような笑みだ。
「良い先輩じゃないの。」
「聞いてたのかよ。……まあ、ちょっとはそれらしいことをしないとな。受け取りっぱなしってのは卒業していった先輩諸氏に面目が立たんぜ。」
「悪くない考え方ね。……んじゃ、私たちも行きましょうか。呪文学よ。」
「あいよ、昼飯目指して頑張るぜ。」
箒をケースに仕舞ってから、ベンチに置いていた荷物を回収して歩き出す。そういえば、忍びの地図の『継承』も近いうちにやらないとな。これはホグワーツにあってこその道具であり、かつ悪戯っ子が持っていてこその地図だ。幻想郷に持っていったって仕方がないし、忍びの五人や双子もこの城の生徒が所有することを望むだろう。
ふむ、渡すとすればパスカルあたりか? あいつは結構な悪戯小僧だし、素質はある気がするぞ。同じ『トラブルメーカー』でもどちらかと言えば私より双子に似ているタイプだから、派手な騒ぎを引き起こしてくれるかもしれない。グリフィンドールチームの小生意気なチェイサーを思い浮かべつつ、今度話してみようと心に決める。フィルチも仕事が増えて喜ぶだろうさ。
呪文学の教室目指して寒い廊下を進みながら、霧雨魔理沙は次世代のホグワーツのことを思うのだった。
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「あれ、アピスさん?」
これはまた、珍しいお客さんだな。人形店の棚を整理している途中で入店してきた顔見知りの大妖怪さんへと、アリス・マーガトロイドは声を放っていた。スイスからわざわざ来たのか?
一月の終わりが近付いてきた雪の日。いつものように人形店の店番をしていたところ、急にアピスさんが入ってきたのだ。私の呼びかけに対して、アピスさんはこっくり頷いてから応答してくる。コートと髪に雪が積もっちゃっているぞ。
「はい、私です。お久し振りですね、魔女さん。」
「お久し振りです。ひょっとして、リーゼ様に用ですか? 今はちょっと外出してるんですけど……。」
ぽんぽんと雪を掃ってあげながら問いかけてみれば、アピスさんは持っていた革のブリーフケースをカウンターに置いて返答してきた。
「ええ、分かっています。だからこの時間に来たんです。吸血鬼さんと直接話すと余計なことを喋ってしまいそうですから。」
「『余計なこと』?」
「知りすぎていると、どこまで話していいかの判断が難しいということですよ。私は中々にサービス精神が豊富なので、物事が終わってから後悔することが多いんです。尋ねられなければ答えてしまう心配はありませんから。」
「……なるほど。」
要するに、リーゼ様に対して必要以上を口走ってしまうのを防ぐためってことかな? 何とも情報屋っぽい台詞じゃないか。曖昧な理解で首肯しつつ、アピスさんがブリーフケースから取り出した物に視線を移す。十枚に届かない程度の植物紙の書類だ。
「これは吸血鬼さんから頼まれていた調査の結果です。細川京介についてと、彼が飼っている蛇についての。……予想通りというか何というか、蛇の方は何も分かりませんでしたけどね。それでは情報屋としての沽券に関わるので、代わりの『おまけ』を付けておきました。」
「おまけですか。」
「相柳に関する情報ですよ。読んでみますか? 魔女さんも吸血鬼さんから聞いているんでしょう?」
書類の中の数枚を抜き出して渡してきたアピスさんから、それを受け取って目を通してみれば……むう、確かに『大妖怪相柳』のことが詳しく書かれているようだ。
一枚目には相柳と交流を持っていた大妖怪たちについてが記載されており、妖狐、妖狸、河童、天狗、鬼、土蜘蛛、牛鬼、鵺、覚、夜雀、猫又等々といった物凄い数の種族名が並んでいる。日本どころか大陸側の妖怪との親交もあったようだ。加えて純妖怪だけではなく、有力な道士や仙人なんかとも親しくしていたらしい。
「……凄まじいですね。相柳はこれだけの妖怪たちとの繋がりを持っていたんですか。」
「私とは奇しくも接触がありませんでしたが、東方の妖怪たちからは随分と好かれていたようですね。『東の方に面白い妖蛇が居る』という噂話は昔何度か耳にしたことがあります。貴女の知り合いだと……そう、『鈴の魔女』あたりは相柳と接触していたんじゃないでしょうか?」
「香港自治区の魔女……大魔女がですか?」
「自治区と日本は位置的に近いですし、鈴の魔女の方も広く交流を持っていたので可能性はあると思いますよ。相柳が活動していた当時はまだ自治区の成立前ですが、鈴の魔女は大昔からあの一帯を縄張りにしていましたから。」
アピスさんの推察を耳にしつつ、二枚目と三枚目の書類を流し読む。こちらには約六百年前に日本で起こった事件のことが纏められているらしい。相柳が大妖怪たちの協力を得て当時の日本の首都を支配下に置き、それを打ち崩そうとした神々や人間たちと出雲で戦いを繰り広げた。……うん、全体の流れとしてはリーゼ様から聞いている話と同じだな。
既知の情報と照らし合わせている私に、アピスさんはカウンターを離れて棚の人形を手に取りながら声を寄越してくる。
「何かが消え行く時、それを守ろうとする者は必ず現れるものです。彼らは自分の愛するものが『古き幻想』になってしまうことを拒んだんですよ。魔法族にゲラート・グリンデルバルドが居るように、純血派にヴォルデモート卿が居たように、妖怪に相柳が居るように、いつかは人間にもそんな存在が現れるんでしょう。」
「……アピスさんは人間が『幻想』になる日が来ると思っているんですか?」
「間違いなく来ますよ。神々が追いやられ、妖怪が追いやられ、そしていつの日か人間も何かに追いやられるでしょう。進歩とは変化であり、変化とは新たなものの出現です。新たな何かが知れ渡れば、古いものは廃れて行く。それは変えることの出来ない絶対的な流れなんですよ。……崩壊もまた新たな誕生の礎に過ぎないんですから、人間がいつか幻想になるのは決まり切ったことでしょう? 『嘗てこの世界には人間という奇妙な種族が居たらしい』。そんな台詞が語られる日が必ず来るはずです。」
薄い笑みで人間の終わりを語ったアピスさんは、ちらりと私に視線を送りながら言葉を繋げた。
「だからそうなる前に私は見てみたいんです。どうしようもなく『先』を目にしたくて堪らないんですよ。人間がどこまでやれるかは分かりませんが、もしかすると新たな開拓の地を得られるかもしれません。故に今の私はこうして人や人外たちの物語を楽しむことを趣味にしつつ、それを少しでも早めようと努力しているわけですね。」
「新たな開拓地?」
「分かりませんか? あそこですよ。」
言いながらアピスさんが指差したのは……んん? 天井? 人形店の天井だ。何を言わんとしているのかが分からなくて小首を傾げた私へと、謎多き大妖怪さんは肩を竦めて説明してくる。
「宇宙ですよ、宇宙。見上げれば常にそこにある無限のフロンティアです。」
「へ? 宇宙? ……えっと、アピスさんは人間が宇宙開拓をする日を楽しみにしているってことですか?」
「当たり前じゃないですか。私からしてみれば、あんなに興味深いものをずっと放っておいている方が信じられませんよ。大航海時代には命を懸けて必死に未知へと航海していた癖に、どうして宇宙には目を向けたがらないんでしょうね? 新たな資源、新たな法則、新たな生命、新たな景色。考えるだけでもゾクゾクしてきます。私とて永久に生きられるわけではありませんし、本格的な開拓が始まる前に人間たちの文明が崩壊してしまえば妖怪として消滅せざるを得ませんから、最近は自分から積極的に促進することにしているんです。」
なんとまあ、急に壮大なことを言い出すじゃないか。私は『宇宙』というものを知識としてはそれなりに知っているが、そこの開拓となるとSFの世界観に思えてしまうぞ。目をパチクリさせて困惑している私に、アピスさんは珍しく興奮している様子で自身の『目標』を語ってきた。
「世界を広げることこそが文明の延命に繋がるんです。自分たちが宇宙という広大な空間に浮かんでいることを真に自覚すれば、部族が都市になったように、都市が国家になったように、国家は惑星になるでしょう。他にも居住可能な惑星が無数にあると知れば、地球がそんなに特別なものではないことに気付くでしょう。そして人間の文明が長く続けば、私はそれだけ新たなものをこの目で見られるでしょう。……先へ、先へ、もっと先へ進めないといけないんですよ。私がほんの少しでも多くのものを知れるように、私は人間を極限まで利用し尽くしてみせます。彼らは私の大事な『望遠鏡』ですからね。今滅亡してもらっては困るんです。」
「……壮大な目標ですね。」
「そうでもありませんよ。ヒトが火を使い始めてから、ここまで来るのに約五十万年もかかっているわけでしょう? 石器を使い始めてからは二百万年、ヒトの始まりからは五百万年、霊長類の誕生からは八千万年。それに比べてここ二千年の進歩は本当に素晴らしい。人間たちは既に宇宙に手を伸ばしています。あと数百年もすればそれなりに事態が進展しているはずです。……たった数百年。私にとっては目の前の楽しみであると言える程度の時間ですよ。ならばあとは人間が勝手に滅びないようにさえ気を付ければ、私は無限に犇く『新発見』を楽しむことが出来るでしょう。」
……『たった』数百年か。私からすれば遥か先の出来事も、アピスさんからすれば目の前の未来なわけだ。どこまでも妖怪らしくない大妖怪だな。未知への渇望という点では魔女に似ているが、本質的な部分で私たちとは決定的に異なっている気がするぞ。
つまりアピスさんは自分で探求しようとするのではなく、文明そのものを操って先を見ようとしているのか。『望遠鏡』の性能を上げて、より遠くを見られるようにする。恐ろしい話だな。人間の『利用方法』が他の妖怪とは全然違うぞ。渇望を煽って進歩を促す存在。彼女は本当に妖怪なのだろうか?
妖怪として見た場合の、どうしようもないほどの異質さ。それをひしひしと感じている私に、アピスさんはピクリと眉を上げてから話を切り上げてきた。いつも通りの冷静な表情に戻りながらだ。
「話がズレましたね。柄にもなく興奮してしまいました。……何にせよ細川京介に関してはそれなりに調べ上げましたから、吸血鬼さんは一応満足してくれるはずです。料金のことも書いておきましたので、彼女に伝えておいてください。」
「分かりました。……もう行くんですか?」
「はい、帰ります。最近は色々と忙しいんです。また余計な話をしてしまいましたしね。今日の私は口が軽くなっているようですから、この辺で切り上げておきましょう。」
そう呟いて店の玄関へと歩いて行くアピスさんの背に向けて、ふと思い付いた問いを投げかける。
「アピスさん。……妖怪は未知の暗闇への恐怖から生まれるものですよね? だけど、さっきアピスさんが言っていたみたいに進歩を恐れる人間も居るはずです。自分が寄り掛かっているものを壊してしまうような、新たな発見を恐れる人間も。」
「居るでしょうね。人は変化を目にした時、興味と共に恐怖を抱くものなんです。地動説、進化論、DNA、クローン技術、核分裂。革新的な発見には常に恐怖が伴うものですよ。知らないから恐れ、恐れるから認めようとせず、認められないから排斥する。……やっていること自体は配送業者に吠え掛かる犬と大して変わりません。『分からないもの』が怖いんですよ、人間は。覗き込んでよく確かめてみれば解決するのに、それがどうしても出来ないんです。本当に可哀想な存在ですね。」
「じゃあ、ひょっとしたらその恐怖から生まれる妖怪も居るんじゃないでしょうか? 後ろか前かの違いはありますけど、どちらも同じ未知で、どちらも同じ恐怖であるのなら……発生するための条件は整っているように思えます。」
私が飛ばした疑問を受けて、人形店のドアを開いたアピスさんは……いつも泰然としている彼女にはひどく似合わない、心底愉しそうな笑みで振り返ってポツリと応じてきた。
「……さて、どうなんでしょうね?」
ドアが開いた所為で外の冷たい空気が店内に入り、アピスさんが雪の降る屋外へと消えていく。……もしそんな妖怪が居るのだとすれば、きっとアピスさんのような存在であるはずだ。先へ、先へ、もっと先へ。古いものを置き去りにして、人間たちを必死に走らせ続ける大妖怪。進歩について行けず、置き去りにされた者たちが恐怖を抱く存在。『進みすぎることへの恐怖』を司る人外。
ドアが閉じた拍子に舞い込んできた雪が床の上でじわりと溶けるのを横目にしつつ、アリス・マーガトロイドは真っ白な外の景色を眺めるのだった。