Game of Vampire   作:のみみず@白月

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下準備

 

 

「アリス、準備は終わったかい? そろそろ出発だぞ。」

 

人形店の作業場に入ってきたリーゼ様からの呼びかけに、アリス・マーガトロイドは慌てて返事を返していた。もう時間か。久々だから手間取っちゃったな。

 

「えっと、大丈夫です。まだちょっと作業が残ってますけど、それは向こうに着いてからやることにします。……今日はとりあえず東京で一泊するんですよね?」

 

「ん、そうなるね。そして明日の午前中に藍と打ち合わせをして、午後にマホウトコロ入りだ。慌てなくても準備の時間はそれなりに残っているよ。」

 

なら、残りの調整は東京のホテルでやろう。人形たちに戦闘用の装備を持たせるのは久し振りなので、動作に微妙な齟齬が生じてしまったのだ。人形自体の性能は向上しているのに、古い装備をそのまま使わせているのが問題なのかもしれない。幻想郷に行く前に装備を更新すべきかな? ここに来て新たな問題点が見えてくるとは思わなかったぞ。

 

三月十六日の正午、私とリーゼ様は日本に出発しようとしているところだ。マホウトコロでのカンファレンスは土日である十八日と十九日を使って行われるのだが、私たちは木曜日である今日の時点で東京に移動する日程となっている。

 

グリンデルバルドがマホウトコロ入りする十七日の午前中に、東京で八雲藍さんとの最終的な打ち合わせがあるため、それに間に合うようにと行動しているわけだが……むう、さすがに今回はリーゼ様との旅行を楽しむってわけにはいかなさそうだな。

 

リーゼ様と私がカンファレンスに出席する理由はただ一つ。相柳が行動を起こした時、グリンデルバルドを護衛するためだ。どうも八雲藍さんも香港自治区の人間として出席するようなので、大妖怪二人に比べてあまり役には立てなさそうだが、一応万全の準備はしておくべきだろう。

 

トランクに入れた調整用の工具が揃っていることを再確認している私に、小さな黒いショルダーバッグを持っているリーゼ様が話を続けてきた。拡大魔法がかかっているやつだ。

 

「ま、気負わずに臨みたまえ。相柳がどんな手を使ってくるにせよ、私と藍の守りを抜けるとは思えないからね。加えてキミが居れば盤石さ。勝ちが決まっているようなものだよ。」

 

本人は気付いていないようだけど、一昨日くらいからこういう発言を繰り返しているな。殊更『大丈夫だ』と口にするのは、心配の裏返しなのかもしれない。……あるいは嫌な予感を打ち消そうとしているとか? リーゼ様のカンは中々侮れないものがあるし、少し不安になってくるぞ。

 

そんな感情を胸の中に隠しながら、いつも通りの笑顔を意識して口を開く。何れにせよ、わざわざ指摘して不安を煽ったところで仕方がないはず。ここはリーゼ様を落ち着かせるためにも、平時通りの対応をしよう。事実として相柳が大妖怪二人の守りを突破できるとは思えないし。

 

「そうですね、私はあくまで補佐として動きます。……それにまあ、グリンデルバルドの近くにはロシアの闇祓いも居ますしね。もっと言えば会場は日本の闇祓いが警備するでしょうから、きっと大丈夫ですよ。」

 

「そういうことさ。……んじゃ、行こうか。」

 

小さなトランクを持った私を促してきたリーゼ様に続いて、上階のエマさんに行ってきますをしてから外に出た。そのまま姿あらわしで魔法省のアトリウムに移動した後、エレベーターに向かって歩いている途中で……おお、珍しい人物が近付いてくるぞ。リータ・スキーターだ。

 

「あら、バートリ女史とミス・マーガトロイド。お久し振りざんす。」

 

「やあ、スキーター。ボーンズ政権の粗探しにでも来たのかい?」

 

「それも魅力的ですけどね、今日はポートキーを使いに来ただけ……二人とも、荷物を床に置くんじゃないよ! イギリス魔法省のアトリウムなんて小汚い場所に置いたら、私の高価なトランクが汚れるざんしょ?」

 

リーゼ様への応答の途中でぐるりと振り返って、アシスタントらしき男女に注意を飛ばしたスキーターだったが……おやまあ、女性の方はジニーじゃないか。大量の荷物を苦労して持っているのは、見慣れた赤毛の末娘どのだ。スキーターを今にも殺さんばかりの視線で睨み付けている。

 

「すみませんね、スキーターさん。機材は全然軽いんですけど、貴女の若作り用の化粧道具とかが重いんですよ。置いていっちゃダメですか? 実際に若い私と違って、使っても使わなくても特に変わらないと思いますけど。」

 

「口の減らない小娘だね。荷物持ちが嫌なら会社に戻りな。取材について来たいなら黙って持つんだよ。」

 

スキーターからの冷たい返答を受けて、ジニーは無言で上司を睨み続けながらトランクを持ち直す。それに鼻を鳴らした予言者新聞社のエース記者どのは、リーゼ様に向き直って会話を再開した。つまり、ジニーはスキーターのアシスタントに任命されたのか。出世と言えるかどうかが非常に微妙な立場だな。

 

「マホウトコロのカンファレンスの取材に行くんですよ。日本魔法界の魔法使いたちにも取材したいので、早めに移動しておこうってわけざんす。」

 

「それはそれは、最悪の同行者を得られて感動しているよ。……ジニー、久し振りだね。仕事は楽しいかい?」

 

「会えて嬉しいわ、アンネリーゼ。質問の答えは見ての通りよ。私ったら、上司に恵まれたみたい。いつか絶対に『お礼』をしてやろうって思ってるの。」

 

トランクを持つ手をぷるぷるさせながらスキーターを睨んでいるジニーの回答に、リーゼ様は軽く苦笑してから歩き出す。ジニーが『お礼』としてスキーターに贈りたいのは、多分呪文の閃光なんだろうな。ひょっとしたら緑色のやつなのかもしれない。

 

「あまり扱き使わないでやってくれたまえよ。ジニーは私の友人なんだ。」

 

「荷物持ちは歴としたアシスタントの仕事の一つですし、熱意に免じて多少の暴言に目を瞑ってやってるところを評価して欲しいざんすね。……それより、バートリ女史もカンファレンスに出席するってことでいいのかしら? まさかスカーレット女史も姿を現すとか?」

 

「『取材モード』に入っても無駄だぞ。レミィは引き続き隠居中だし、私はキミに『ネタ』を提供する気はさらさらないよ。」

 

「コメントの一つくらいは耳に挟んでいるはずざんしょ? スカーレット女史は今回の地域別カンファレンスをどう捉えているの? グリンデルバルドが主導していることに賛成している? それとも反対?」

 

諦め悪くリーゼ様に取材を続けているスキーターを横目にしつつ、ジニーに歩み寄って話しかけた。改めて凄い荷物だな。巨大なリュックを背負い、両手に大きなトランクを一つずつ持ち、首にはカメラを二つも提げているぞ。

 

「久し振り、ジニー。持つのを手伝いましょうか?」

 

「どうも、アリスさん。だけど大丈夫です。憎たらしい上司の荷物を持つのはアシスタントの役目ですから。……社内で誰もやりたがらない仕事だから、これをやってる限りスキーターは私をアシスタントから外せないんですよ。いちいち文句を言う新人の小娘でも連れ回すしかないわけです。」

 

「あー……そうまでしてスキーターのアシスタントをやりたいってこと?」

 

「技術を盗めるだけ盗むまでは我慢して、そのうち『恩返し』としてエースの座を奪い取ってやるつもりです。だからこれは私の出世のためには必要な苦労なんですよ。そう思わないと嫌味ババアのアシスタントなんてやってられませんしね。」

 

なんとまあ、ど根性だな。憎しみが滲んでいる声色で宣言したジニーへと、エレベーターに乗ったスキーターが突っ込みを入れてくる。

 

「聞こえてるよ、小娘。」

 

「そりゃあそうでしょうね。聞こえるように言ってるんですから。」

 

うーむ、遠慮がないやり取りだな。もう一人のアシスタントの男性が非常に居辛そうにしているぞ。こういうのも一つの『師弟』の在り方かもしれないと唸りつつ、再度リーゼ様に取材攻勢を仕掛けているスキーターの声を聞き流していると、エレベーターが協力部のある地下五階に到着した。

 

「ええい、しつこい女だな。……キミ、日本の魔法使いにもそういう感じで取材をするのはやめたまえよ? イギリスの恥を晒すことになりかねないぞ。」

 

「心配しなくても通訳を通すから、多少『柔らかい取材』になるはずざんす。私としては余計なクッションを挟むのは嫌いなんですけどね。日本語なんてマイナーな言語を喋れるわけがないざんしょ?」

 

「キミがどうだかは知らんが、賢い私は喋れるぞ。……通訳を通して、その上お得意の『嘘八百自動筆記羽ペン』まで通すのか? 悪夢のような記事が出来上がりそうだね。原形を僅かにでも留めているか見ものだよ。」

 

「私は読者に伝わり易いように取材内容を『改善』してるだけですよ。まるで恣意的に内容を歪めているかのように言われるのは心外ざんすね。」

 

厚顔無恥とはこのことだな。ここまで来ると感心すら覚えるぞ。いけしゃあしゃあと言い訳するスキーターに呆れつつ、ポートキーの発着場へと入室してみれば、既に日本行きのポートキーらしき物が台の上に置かれているのが目に入ってくる。今回のポートキーは一部が欠けたガラス製の灰皿のようだ。どこかで使われなくなった物を再利用しているのだろう。

 

まあうん、スキーターが一緒なのは確かに不運な出来事だったけど、適度な気晴らしにはなったかな。ジニーの様子も見られたし、差し引きでプラスと思っておこう。

 

協力部の担当職員が近付いてくるのを眺めつつ、アリス・マーガトロイドは自分のトランクを持ち直すのだった。

 

 

─────

 

 

「あの、これってどこに持っていけばいいんでしょうか?」

 

うわぁ、そんなに嫌そうな顔をしないで欲しいぞ。こっちだってやりたくてやっているわけじゃないんだから。葵寮生徒会の男子期生に質問を投げながら、東風谷早苗は抱えている大きな椅子を持ち直していた。

 

二度目のカンファレンスの開催が明後日に迫った木曜日の午後、私は他の葵寮生たちと一緒に会場の設営を手伝っているのだ。大広間に畳を保護するための赤いカーペットを敷いたり、参加者が使うテーブルや椅子を設置したり、隅々まで細かく掃除をしたり。周囲の生徒たちは杖魔法を駆使して作業を進めているわけだが……まあ、魔法をまともに使えない私だけは古き良き作業スタイルを貫いている。つまり、手作業を。

 

便利で簡単なはずの浮遊魔法を使わずに、せっせと手で運んでいる自分が悪目立ちしているという自覚はあるものの、他にやりようがないんだからそうするしかないのだ。魔法で一度に四脚とかを運んでいる他の九年生を見て虚しい気分になっていると、作業を指揮している名前をよく知らない先輩が返事を返してきた。

 

「作業開始前の寮長の話を聞いていましたか? 一つのテーブルにつき三脚です。適当に足りていないところに運んでください。……いちいち僕たちに聞かずに、周りの誰かにでも尋ねればいいでしょう? こっちは忙しいんですよ。」

 

「……はい、すみませんでした。」

 

非常に迷惑そうな刺々しい態度で答えてきた先輩に首肯してから、椅子が三脚以下……じゃなくて未満のテーブルを探して歩き出す。何もそんな言い方をしなくたっていいじゃないか。『周りの誰かに尋ねる』だなんて私には不可能なんだぞ。

 

割とキツめの注意をされて落ち込みながら椅子を運び終えたところで、少し離れた場所で言い争いが勃発しているのが目に入ってきた。さっきの男子とは別の寮生徒会の人同士が作業の順番で揉めているようだ。

 

「あのね、カーペットを敷いてから机と椅子を設置でしょ? そうしないとカーペットを敷けないじゃない。そんなことバカでも分かるはずだけど?」

 

「何度も何度もしつこいな。……そもそもこうなった原因は、お前らの班の作業が遅いからだろうが。単に敷くだけでどれだけ時間を食ってるんだよ。現時点でもう遅れてるんだから、暢気にやってる暇なんてないんだぞ。」

 

「はあ? 文句言うならあんたがやってみなさいよ! これだけの大きさのカーペットを『皺無し』で敷くのがどんだけ大変か想像できないの? 大体ね、全体の作業が遅れてる根本の原因はあんたたちの班が一番最初の掃除に手間取ったからでしょ? 『そもそも』で言ったら悪いのはあんたたちじゃない!」

 

おお、期生同士の『マジ喧嘩』だ。さすがに期生ともなるとある程度大人になっているので、本気で口喧嘩することなんて滅多にないんだけど……これは珍しい展開だな。メガネの女生徒と短髪の男子生徒は、お互い一歩も引くつもりはないらしい。

 

「難しいところを俺たちの班に押し付けようとするのが悪いんだよ! うちの後輩たちは不満に感じてるぞ! ……この際だから言わせてもらうけどな、毎回毎回男子にばっかり面倒な作業をやらせるのはやめてくれ。杖魔法を使うのに男女差はないだろ?」

 

「何? 私が悪いって言うの? 作業分けはみんなで決めたことでしょ? 男子がそういうことをやるのはいつものことじゃん!」

 

「だから、その『いつものこと』をいい加減に変えるべきだって言ってんだよ! そういうバカみたいな提案を最初にするのは大抵お前だろ? 言っとくけど、お前って男子勢から嫌われてるぞ。都合の良い時だけ女子の権利を利用してるって。」

 

「私は女子全体の意見を生徒会に伝えてるだけでしょ? いつもは気取って『男子がやるよ』とか調子こいてる癖に、こういう時にだけ文句を言ってて恥ずかしくないの? 都合の良いことを言ってるのはどっちよ!」

 

もう三期生は寮生徒会を引退している時期だから、あの人たちは多分二期生の先輩たちだ。要するに十七か十八歳の人たち。マホウトコロ内では『大人』とされているその年齢の男女が、本気で言い争っている光景というのは……何かもう、怖いぞ。設営の手伝いをしているのが五年生から上の生徒だけで良かったな。小さな一年生たちが見たら泣いちゃうかもしれないし。

 

ヒートアップしていく口論に周囲の生徒たちが騒つく中、騒動に気付いた葵寮の寮長が大慌てで二人の間に入る。黒いセミロングの髪の大人っぽい女生徒だ。確か名前は綾さん。名前ではなく、苗字が綾らしい。いくら私でも自寮の寮長の名前くらいは覚えているぞ。

 

「待って待って、どうしたの? 上地君も古野さんも落ち着きましょう? みんなが困ってるわ。問題があるなら責任者の私が何とかするから、一旦二人とも落ち着いて。ね?」

 

穏やかな口調ではあるものの、有無を言わせないような雰囲気で二人の争いを止めた綾先輩は、そのまま声を抑えて事態を収束に導き始めた。さすがは寮長だな。『マホウトコロの各寮長』というのは就職に超有利らしいので、みんなが結構なりたがる役職なのだが、ああいう人だからこそ選ばれるんだろう。

 

そして卒業したらエリート街道に乗り、魔法省の官僚とかになるわけか。何だか納得できてしまうような『差』を見せ付けられて微妙な気持ちになっていると、諏訪子様がいつものように話しかけてくる。

 

『ギスギスしてるねぇ、寮生徒会。引き継ぎ直後にこれじゃあ無理もないか。』

 

「やっぱりキツいんですかね? 明らかに作業が予定より遅れてますし。」

 

『そもそも最初の計画に無理があったんだよ。作業前の説明を聞いた時もそう思ったし、案の定間に合わなさそうじゃん。……ま、これは明日に持ち越しかな。今日だけで終わらせようってのが無謀なんだって。』

 

「でも、葵寮だけが間に合わなかったっていうのは……何て言うか、問題になりませんか?」

 

別の場所で別の作業を進めている藤寮や桐寮が今日の段階で終わらせてしまったら、葵寮は面目丸潰れのはずだ。寮生徒会の人たちはかなりバカにされると思うぞ。私でも想像できる予想を小声で語ってみれば、諏訪子様は呆れている時の声で応答してきた。

 

『なるだろうね。それが絶対に嫌だから、生徒会の連中はあんなにピリピリしてるんでしょ。……しっかし、何で今回に限ってこんな突貫スケジュールなんだろ? 前のカンファレンスの時とかクィディッチトーナメントの時は結構余裕があったのに。』

 

「そこはちょっと不思議ですよね。監督の先生の数も少ない……っていうか、さっきから見かけない気がします。前の準備の時は何人も作業を手伝ってくれてたんですけど。」

 

作業が始まった直後は居たのに、いつの間にか姿が見えなくなっているな。大広間が慌ただしく働いている生徒たちだけになっていることを確認しつつ、首を傾げながら返事をしてみると、諏訪子様は怪訝そうな声色で応じてくる。

 

『なーんか、キナ臭いなぁ。他にトラブルがあって、その対処をしてるとか? 生徒会に無理なスケジュールを押し付けてることといい、何だか嫌な感じだね。』

 

「こうなると、可哀想なのは寮生徒会なのかもしれませんね。作業量自体は先生方が決めてるわけですし。」

 

『カンファレンスが始まる前からこれじゃあね。妙な失敗をしなきゃいいんだけど。こんな不手際は白木にしては珍しい……っと、寮長閣下がこっち見てるよ。』

 

会話の途中で飛んできた注意に従って、綾先輩の方をちらりと見てみれば……うわ、確かに見ているな。サボっていると思われたんだろうか? サボっていると判断されるのも普通に嫌だけど、『サボりながらブツブツ独り言を呟いている』という評価はもっと嫌だ。口を閉じて椅子運びに戻ろうとしたところで、仲裁を終わらせたらしい綾先輩がこちらに歩み寄ってきた。

 

どうしよう。怒られるのか? いっそ気付かないフリをして走って逃げようかと考えている私に、綾先輩は柔らかい声を投げてくる。態度が柔らかいわけではなく、彼女の声質そのものが柔らかい感じだ。人付き合いにおいて有利に働きそうだし、こういうのも一つの才能なのかもしれない。

 

「えっと、東風谷早苗さんですよね? 少しいいですか?」

 

「……あっ、はい。何でしょうか?」

 

第一声が『おい、サボるな蛇舌』ではなかったことにちょびっとだけ安心していると、綾先輩は手元の書類に目を落としつつ話を続けてきた。

 

「アンネリーゼ・バートリ氏の案内役の件、聞いていますよね? 返事が届いていませんが、受けてくれるということでいいんでしょうか?」

 

「えっ? えと、リーゼさんの案内役ですか?」

 

「……もしかして、初耳ですか? 書類上は伝えてあることになっているんですけど。」

 

「えぁ、あの……初めて聞きました。」

 

緊張して変な受け答え方になっている私の回答を聞いて、綾先輩は一瞬だけ疲れたような表情を覗かせた後、和やかな顔付きに戻って説明を送ってくる。

 

「カンファレンスに出席するバートリ氏の案内役として、三寮会議の際に桐寮の方から貴女の名前が上がったんです。こちらとしても特段否はないということで、先日貴女に打診してあるはずなんですが……どうやら連絡が行き届いていなかったようですね。」

 

「あー……はい、そうみたいですね。」

 

「それで、どうでしょうか? この場で返事をいただけます? もし嫌だと言うならそれでも構いませんよ?」

 

「あの、えっと……大丈夫です。」

 

お二方によれば、リーゼさんの案内役だけは受けて良かったはずだ。こくこく頷いて了承してみると、綾先輩は困ったような苦笑いで小首を傾げながら再度問いを放ってきた。

 

「『大丈夫』というのは、受けるという意味ですか?」

 

「あっ、そうです。受けるって意味です。すみません。」

 

「では、そう伝えておきますね。それでは。」

 

ぬああ、何か恥ずかしいぞ。『大丈夫』は確かに分かり難かったな。内心で曖昧な答え方をしてしまったことを嘆いている私を背に、綾先輩はスタスタと遠ざかっていってしまう。姿勢良く歩いている背中を見つめながら自己嫌悪していると、諏訪子様が再び声をかけてきた。

 

『何でそんなに緊張してんのさ。同じ生徒でしょうが。』

 

「生徒は生徒でも、寮長です。偉いんです。おまけに美人だし、エリートっぽいから怖いんですよ。」

 

『小市民だねぇ、早苗は。アリスちゃんとどっちが美人よ。』

 

「そりゃあ……まあ、アリスさんですね。」

 

綾先輩は『学校一の美人』ってレベルだけど、アリスさんともなると『地域一の美人』って感じだ。謎の質問に返答した私に、諏訪子様はそれ見たことかという声で反応してくる。どうして諏訪子様が自慢げなんだろう?

 

『じゃあ緊張する必要なんかないじゃん。どう見たってアリスちゃんの勝ちだよ。……ちなみにあんたも勝ってるからね。身内の贔屓目抜きだとまあまあ僅差の勝利で、贔屓目有りだと圧勝。』

 

「何の評価をしてるんですか、諏訪子様は。」

 

まあうん、ちょっと嬉しくはあるぞ。本気で言っているのかはさて置いて、褒められて悪い気はしないかな。ご機嫌な気分で突っ込んでから、作業に戻るために歩き出す。……だけどこれ、時間までに終わらなかったらどうなるんだろう? 居残って作業するのも嫌だけど、明日改めてやるのも中々に嫌だなぁ。

 

リーゼさんが以前口にしていた、ホグワーツの雑務を一手に引き受けているという『ハウスエルフ』。マホウトコロもその生き物を雇うべきだぞとため息を吐きつつ、東風谷早苗は新たな椅子に手をかけるのだった。

 


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