Game of Vampire   作:のみみず@白月

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落下

 

 

「何か、無事に終わっちゃいそうじゃないですか?」

 

やっぱり心配しすぎだったんだ。私が正しかったじゃないか。囁き声でお二方に語りかけつつ、東風谷早苗は拍子抜けした気分になっていた。

 

カンファレンス二日目となる三月十九日の午後。お昼に小休止を挟んだ後で再開した小難しい話し合いは、いよいよ終盤の様相を呈している。昨日からずっと賢そうな人が賢そうなことを発言して、それに対して別の賢そうな人が賢そうな反論や質問を返すという展開が延々続いていたのだが……遂に『纏め』っぽい雰囲気になってきたな。議論の内容はいまいち理解できなかったけど、それだけは何となく伝わってくるぞ。

 

私のぼんやりした認識が正しいのであれば、どうも非魔法界問題を推し進めている側が論戦に『勝った』らしい。今は魔法界が近いうちに露見するという主張にある程度納得した上で、これからアジア各国の魔法使いたちがどう動くべきかを話し合っているようだ。……魔法界の存在がバレちゃうだなんて想像もしていなかったけど、よくよく考えたら当たり前の話だな。これからもずっと隠し続けるのなんて普通に無理だろう。

 

うーん、バレたらどうなっちゃうんだろうか? 会場の人たちは戦争になるだとか、融和するだとか、権利がどうこうとかってずーっと話し合っているわけだけど……私にはさっぱり分かんないぞ。たまに小声で行われていた隣のアリスさんとリーゼさんの会話も意味不明だったし。

 

でも、戦争は嫌かな。平和が一番じゃないか。すんなり仲良くなれたりはしないのかな? 私なら別に出来るのに。脳内で考えを回していると、諏訪子様と神奈子様が応答してきた。

 

『んー、確かに何にも起きないね。あと二時間もしないで終わるんでしょ? 参ったなぁ、予想外だよ。』

 

『まだ油断は禁物だぞ。終わるまでは気を引き締めておけ、二人とも。』

 

『へいへい、分かってるよ。』

 

でもでも、何かありそうな気配なんて全然感じないぞ。神奈子様の注意に一応頷いた後、隣の席のアリスさんに日本語で声をかける。さっきからトイレに行きたかったのだ。

 

「アリスさん、アリスさん。お手洗いに行ってきますね。」

 

「了解よ。護衛の人形からなるべく離れないでね。……リーゼ様、今のタイの意見って結構重要じゃないですか? 自治区さえ了承すれば可能だと思いますけど。」

 

「可能不可能で言えば可能だろうが、自治区は了承しないと思うよ。自治区からすれば委員になるのはギリギリ認められても、主導するのは嫌だろうさ。あくまでも意見を出すだけで、それを直接実現させるのは国際連盟に──」

 

むう、またしても難しい話をしているな。日本語で私に返事をしてから、早口の英語で議論し始めたアリスさんとリーゼさんを背に、席を立ってトイレへと向かう。昨日も今日もめちゃくちゃ長い時間議論をしているので、トイレに立つのはこれが初めてではない。最初はそれなりに警戒していたけど、今はもう何とも思わないぞ。

 

ふよふよと一定の距離を空けてついて来る護衛の人形を引き連れて、議場となっている大広間から出て一階の廊下を歩いていると……うわぁ、闇祓いの人たちだ。廊下の窓際で話をしている二人の日本闇祓いが目に入ってきた。何か緊張するな。別に悪いことなんてしていなくても、警察官とかが近くに居ると緊張するのは私が『小市民』だからなのか?

 

「まあ、放っておいても大丈夫だと思いますけどね。どうせ警備に飽きてその辺をふらついているんでしょう。細川さんらしいですよ。」

 

「俺もそう思うが、和泉主席には一応報告しておく。……困った人だな、まったく。腕が立つから文句も言えん。」

 

「これが平常運転ですって。あの人が真面目に警備してるとこなんて想像できませんよ。荒事になれば嬉々としてすっ飛んでくるでしょうけどね。」

 

苦笑している二人の男性闇祓いの横を通り過ぎて、漏れ聞こえてくる会話を尻目にトイレの方へと進む。私の席のすぐ近くに居るロシアの闇祓いたちはずっとピリピリしているけど、日本の闇祓いはそうじゃないみたいだ。『真面目さ』ではロシア闇祓いが勝ったな。だから何ってわけでもないけど。

 

そのまま曲がり角の先にあった女子トイレに入ってから、個室の前でお二方に声を放った。

 

「……覗かないでくださいね。」

 

『覗かないっての。早苗ってそれを毎回言うけどさ、仮に覗いたところで何とも思わないって。私たちはあんたがおしめをしてる頃から一緒なんだよ?』

 

「プライバシーの問題ですよ、これは。今の私はもう『お年頃』なんです。」

 

お二方が一緒で唯一困るのが『トイレ問題』だな。いやまあ、もうさすがに慣れてはいるけど。個室の一つに入って用を済ませた後、洗面台で洗った手をハンカチで拭きながら女子トイレの外に出た瞬間──

 

「どうも、東風谷さん。お久し振りです。」

 

「ぇあ……へ? 細川先生、ですか?」

 

うあぁ、びっくりしたぞ。トイレの目の前に立っていた男性がやけに平坦な声で呼びかけてきた。髪やヒゲが伸び放題になっており、ジャケットが茶色でパンツが黒というチグハグなスーツ姿で、らしくない猫背の立ち姿だけど……間違いなく細川京介先生だ。生気を感じない幽鬼のような佇まいの先生は、深く俯かせていた顔を上げて返答を送ってくる。

 

「はい、細川です。」

 

「……ひっ。」

 

『うっわ、気持ちわる。引くわ。』

 

諏訪子様の思わずといった声を聞きつつ、細川先生から離れるように後退った。だって、先生の顔には眼球が無いのだ。それがあるべき場所が真っ暗な空洞になっているぞ。こんなもんめちゃくちゃ怖いじゃないか。

 

じりじりと後退する私を見て……いや、見えてはいないか。眼球が無いんだから。だけど、しっかりとこっちに顔を向けているぞ。兎にも角にも不自然な笑みで私の方を向いている細川先生は、何かを言いながらゆっくりと手を伸ばしてくるが──

 

「東風谷さん、落ち着いてください。私は貴女を助けるために──」

 

「あっ。」

 

そこでいきなりアリスさんの人形が細川先生に殴りかかってしまう。私に『危険が迫っている』と判断したのかな? どこからともなく取り出した金属の棍棒のような物を、細川先生の頭部目掛けてフルスイングした小さな人形は、衝撃で倒れた彼のことを一切の容赦なく追撃し始めるが……え? えっ? どうしよう。これ、どうすればいいんだ? 状況が急すぎてパニック状態だぞ。

 

『うわぁ……あれ、死んじゃうんじゃない? すっごい殴りまくってるけど。超こわいじゃん、あの人形。もっとマジカルな感じに戦うのかと思ってたよ。ゴリゴリの物理じゃんか。』

 

『音からして両腕を折ったな。杖を使わせないようにするためだろう。魔法使い相手としては合理的な戦い方だ。』

 

「いやいや、分析してる場合じゃ……えっ? どうするんですか? これって止めるべきなんですかね?」

 

『眼球無し』の細川先生も怖いけど、ニコニコしながら執拗に殴り続けている人形も普通に怖いぞ。っていうか、こうなると人形の方が僅差で先生より怖いくらいだ。小さなサイズからは想像も付かないほどの力強さで、床に倒れて動かなくなった細川先生を仰向けになるように蹴り飛ばした人形は、続いて胸の辺りを棒でバシバシ叩き始める。ボッコボコじゃないか。

 

「あのあの、人形さん? もういいんじゃないですか? あの、えっと……ええ? どうしましょう?」

 

『今はアリスちゃんが操作してるわけじゃないんだもんね。半自律人形だっけか? ……これってさ、どういう判断の仕方になってるんだろ? 細川、もう動いてないのに。』

 

『さすがは魔女が使役しているだけあって恐ろしい人形だな。死んだフリを防ごうとしているんじゃないか? 止めをきちんと刺すのは戦闘の基本だ。』

 

「いやでも、本当に殺しちゃうのはマズいんじゃないでしょうか? 人形さん、一度こっちに戻ってきてください。人形さーん。……ダメですね、別に私の命令を聞いてくれるわけではないみたいです。」

 

制御できない『獰猛な番犬』って感じだぞ。私の発言を無視して何かを探るように細川先生の胸部を叩きまくっていた人形は、最後のおまけとばかりに強い一撃を加えたかと思えば、先生のジャケットの内側から何かを抜き取ってふよふよと私の近くに戻ってきた。当然ながら私の指示に従ったわけではなく、『お仕事終了』という雰囲気だ。そしてその手に持っているのは……折れた杖? なるほど、最後の一撃は胸のホルダーを狙ったのか。魔法使いと戦い慣れているな。

 

「わ、私に殴りかかってきたりしませんよね?」

 

人形のあまりの『凶暴さ』にビクビクしながら距離を取ろうとしている私に、神奈子様が顕現して応じてくる。実体化しちゃっていいのかな? 緊急時だし、外部からの来客が多い今なら大丈夫か。

 

「さすがにそれはないだろう。……早苗はそこに居ろ。細川が死んでいないかを確認するから。」

 

「……えと、死んじゃってたらどうするんですか? この場合、私の所為になるんですかね?」

 

「そうなったらどう考えてもマーガトロイドの所為だ。早苗は何も悪くない。……おい、生きているか? 細川? 細川京介?」

 

神奈子様が仰向けに倒れたままで微動だにしない細川先生に近付いて、覗き込みながら呼びかけを投げたところで……あああ、気持ち悪い! 先生の眼球があるべき空洞から、にゅるりと黒い蛇が這い出てきた。子供の頃に境内の水溜りで目撃してしまった、カマキリのお腹から出てくる寄生虫を思い出すぞ。新たなトラウマになりそうだ。

 

『……いや、マジでありえんのじゃけど。何じゃその人形。怖すぎるじゃろうが。わしったら、怖かった。超怖かったぞ。』

 

蛇語で文句を呟きながら出てきたのは、『大妖怪疑惑』がかけられている例の蛇だ。みんながあれだけ作戦を練って警戒していたのに、何かあっさり出てきちゃったな。けど……これって私、どうすべきなんだろう? かなりグロテスクかつ突然すぎる登場の仕方をした黒蛇を目にして、神奈子様と私が僅かな間だけ呆然とした瞬間、私の近くで大人しくしていた人形が再び動き出す。恐怖の撲殺人形がだ。

 

『えっ、嘘じゃろ? あっ……ちょ、助けるのじゃ、奴隷長! 早うわしを助けろ! 痛い! ぬああ、何なんじゃこいつは! 痛いって! こんな邪悪な人形は初めて見たぞ!』

 

板張りの廊下を這って逃げ惑う黒蛇を、アリスさんの人形がゴキブリを叩く時のように棍棒でぶん殴っているが……やっぱり棒で叩くのは効果的だったんじゃないか。これまた私が正しかったみたいだ。あまりにもあんまりな光景を前にしてぽかんとしている私に、いち早く立ち直った神奈子様が指示を出してきた。

 

「早苗、札をくれ。何だか分からんが、とにかく相柳を捕まえよう。私が札を貼り付けて動きを封じる。」

 

「あっ、はい。どうぞ。」

 

慌ててポケットから札を一枚抜いて差し出すと、神奈子様はそれを受け取って蛇と人形に歩み寄るが……うーん、傍目にも介入のタイミングが難しそうだな。人形は間断なく棍棒を振り下ろしているし、相柳は何度も何度も殴られながら必死に逃げている。そういえば死なないんだっけ。あれは苦しそうだ。

 

『どっ、奴隷長! 何故止めんのじゃ! おぬしの人形なんじゃろ? 違うのか? ……じゃあ何なんじゃよ、こいつ。無差別蛇殺し人形? 怖すぎるんじゃけど!』

 

「おい、人形。ちょっと止まってくれ。私が対処するから。……ええい、マーガトロイドめ。先ず止め方を教えておくべきだぞ。」

 

『バカみたいな状況だね。もう力尽くで止めなよ。無防備に出てきた相柳もバカだし、ずっと攻撃し続けてるアリスちゃんの人形もバカだし、オロオロしてるだけのあんたもバカじゃん。何これ? 私たち、こんなんに対処するためにあんなシリアスな雰囲気になってたの?』

 

「神奈子様、気を付けてください! 蛇じゃなくて、人形に!」

 

諏訪子様の野次や私の警告を背に、神奈子様が人形の方へと手を伸ばすと……わあ、アリスさんは人形にどういう『教育』をしているんだ? ぐりんと振り返った人形が今度は神奈子様に棍棒を向け始めた。敵対行動と受け取ったんだろうか?

 

「待て待て、やめっ……やめんか!」

 

『おお、いいぞ。倒してしまえ、変な服のデカ女! 奴隷長の部下か何かか? この際何でもよいわ。そこじゃ! そこで殴るのじゃ! 訳の分からん邪悪な人形をやっつけよ!』

 

「神奈子様、頑張ってください! いけますよ! 棒を取り上げちゃえばいいんです、棒を!」

 

さすがは諏訪の偉大な軍神だな。私と相柳の応援を受けながら、人形が繰り出してくる打撃を的確にガードしている神奈子様を見て、諏訪子様が呆れ果てた声色で言葉を漏らす。アクションスターみたいだ。カッコいいぞ、神奈子様。

 

『……なるほどね、バカがバカと戦うとこういうことになるんだ。意味分かんな過ぎて何か怖くなってきたかも。これって何してんの? 私たち。』

 

「おのれ、マーガトロイド。後で絶対に文句を……ぐっ、文句を言ってやるからな!」

 

「やった! 倒しましたよ、神奈子様! 暴力人形をやっつけました! 凄いです!」

 

『ようやったぞ、デカ女! 見事じゃ!』

 

神奈子様が腕で棍棒を防ぎながらカウンターで札を貼ると、人形が途端に動かなくなって床に落下する。遂に倒したぞ。私たちの勝ちだ。みんなで勝利を喜んだところで、いつの間にか実体化していた諏訪子様が私のポケットから札を一枚抜き取って……あ、貼っちゃった。嬉しそうにぶんぶん頭を振っていた黒蛇にススッと近付いて貼り付けてしまう。

 

『勝利じゃ! わしらの勝ち! ん? おぬしは何を……ああああ、痛い! 何じゃこれ。誰じゃおぬし! 奴隷長、デカ女、新たな敵じゃぞ! わし、チビ金髪に何か貼られた! 超痛いし痺れる! 剥がしておくれ!』

 

「状況が無茶苦茶すぎて夢かと疑うよ。頭痛くなってきたわ。……んじゃ、リーゼちゃんのとこに連行しようか。これで暫くは動けないはずだから。」

 

「何だったんだ、この人形は。腕がまだ痛いぞ。凄まじい力だな。」

 

「あの、ごめんなさいね? 蛇さん。ちょっとだけ我慢しておいてください。……ええっと、細川先生はどうするんですか?」

 

何だか少し可哀想だけど、私たちが捕まえたとなればご褒美としてハワイに行けるかもしれないし、このままリーゼさんに引き渡そう。細川先生のことも早く病院に連れて行かないと。淡々と事態を進行させようとしている私たちを目にして、黒蛇は絶望的な雰囲気を滲ませながら私を糾弾してきた。

 

『……う、裏切ったな? わしを裏切ったのか、奴隷長! 何て非道なヤツなんじゃ。わし、おぬしだけ助けてやろうとしたのに。何か人間っぽくないし、部下だから特別扱いしてやろうと思うたのに。……やはり人間なんぞに目をかけてやるのは失敗じゃったわ! 許さんからな! 絶対に許さんぞ!』

 

「いやあの、奴隷長ではないんですけど……ごめんなさい、私たちは蛇さんを捕まえなくちゃいけないんです。」

 

『言い訳なんぞ聞かんわ。わし、決めたもん。復讐するって決めた。泣いて謝っても無駄じゃからな! 奴隷長の称号は剥奪じゃ!』

 

「だから、奴隷長では──」

 

若干申し訳ない気分で蛇に応答しようとした刹那、轟音と共に凄まじい揺れが廊下を襲う。その衝撃に耐え切れずにトイレの向かいにあった窓に身体を打ち付けた私に、未だ札で動けなくなっている黒蛇が……『相柳』が声を飛ばしてきた。蛇語でもそれが伝わってくるような、勝ち誇っている時の声色だ。

 

『わしを裏切ったことを後悔するがよいわ、小娘。地面に叩き付けられるまでの短い時間でな。……やれ、京介!』

 

「何を……えっ?」

 

細川先生? それまでピクリとも動かなかった細川先生が、相柳の声と同時に折れた腕で不器用に身を起こしたかと思えば……ちょちょ、こっちに来るぞ。床の相柳を回収しながらぎこちない動作でこちらに突っ込んできて、そのまま私にタックルするような体勢で窓から飛び出す。窓ガラスをぶち破ってだ。

 

「へ? 早苗!」

 

「くっ……。」

 

揺れで姿勢を崩しているお二方が焦った表情で動こうとしているのが視界の端に映る中、脳内の冷静な部分が私に囁きかけてくる。大広間と同じ階であるここは一階だぞ。窓のすぐ下に地面があるんだから、ガラスにさえ気を付ければ大丈夫だ。受け身だけ取ろう。落下する時の受け身の取り方は飛行学で習ったじゃないか。

 

そう思っている間にも地面が近付いて……あれ? 近付いてこないな。というか、遠ざかっていくぞ。ひょっとして私、『上』に落ちていないか?

 

『京介、この紙切れを剥がせ! 小娘は捨てていいからこの激痛紙を早く剥がすんじゃ! ……ふはははは! バーカ! バカ娘! どうじゃ、恐れ入ったか!』

 

「えっ、えっ?」

 

落ちてる、落ちてるぞ。私を抱きかかえていた細川先生から突き飛ばされて、空中で身動きできなくなっている私に先生の腕の中の相柳が勝ち誇ってくるが……まさか、領地の反転魔法がおかしくなっちゃったのか? 頭上に逆さまの校舎が見えており、私はそこから遠ざかるように落下しているようだ。

 

そうなると、つまり……あっ、死んじゃう。このままだと私、湖底に叩き付けられて死んじゃうじゃないか。私と同じように周囲を細々とした物が落下しているのを横目にしつつ、大慌てでわたわたと暴れ始めた。校舎に固定されていなかった物が全部落ちてきているらしい。

 

「わっ、わああ!」

 

『ふはははは! バーカ! 無駄じゃ無駄じゃ、おぬしは死ぬんじゃ! どうじゃ? 偉大なわしを裏切ったことを後悔しとるか? そろそろ地面じゃぞ?』

 

あああ、死んじゃう! これ、本当に死んじゃう! 迫ってくる湖底の岩肌を見たくなくて、恐怖のあまりギュッと目を瞑りながら縮こまっていると──

 

「なーにをしているんだ、キミは。ちょっと目を離したらすぐこれか。」

 

急に身体がふわっとしたかと思えば、落下の速度が緩やかなものに変わった。……リーゼさん? リーゼさんだ、助かった! 超カッコいい登場じゃないか! 好きになっちゃいそうだぞ!

 

「リーゼさん!」

 

「はいはい、私だよ。……相柳はどこだい? 接触したんだろう?」

 

『……あっぶなぁ、肝が冷えたよ。ギリギリセーフだったね。』

 

『早苗、もう大丈夫だぞ。』

 

お二方も実体化を解いて私の近くに戻ってきたみたいだけど……んん? 何がどうなってこうなったんだ? リーゼさんは会場に居たはずなのに。色々と疑問に感じつつも、とりあえず空中で私をお姫様抱っこしているリーゼさんに質問の返答を返す。

 

「あのっ、相柳は私のすぐ近くで落ちてました。」

 

「ん? 細川と一緒だったってことかい?」

 

「そういうことで……ああ、細川先生! 細川先生も落ちちゃってます! 助けないと!」

 

「細川がキミの近くで一緒に落下していたのは確認済みだが……まあ、諦めたまえ。あれはもう死んでいるよ。どう考えても生きている見た目じゃないね。」

 

言うリーゼさんの視線の先にあるのは、薄い闇が広がっている湖底だ。暗すぎて私にはよく分からないけど、リーゼさんはそこにある先生の姿をしっかりと確認できているらしい。……つまり、落下の衝撃で死んじゃったってことなのか? 細川先生が?

 

「いや、でも……先生、死んじゃったんですか? 助けられなかったってことですよね?」

 

「どうでも良いから捨て置いたんだよ。キミを優先すべき状況だっただろう? ……しかし、参ったな。相柳も一緒だったのか。それなら無視せずに回収しておけば良かったかもね。校舎や湖面は大丈夫そうだし、このまま下りるぞ。さっさと相柳を捕らえよう。」

 

……要するに、細川先生のことは見捨てちゃったのか。リーゼさんの何でもないような口調での発言に呆然としつつ、彼女の目線を追って頭上を眺める。小さな物はいくつも降ってきているけど、確かに校舎そのものが落ちてくる気配はないな。反転が解けてしまったのは一部だけなのかもしれない。

 

リーゼさんに抱っこされながら緩いスピードで降下している私に、お二方が話しかけてきた。ちょっと気まずげな、フォローする感じの声色だ。

 

『リーゼちゃんは妖怪だからね。誰しもを助けようとはしないっしょ。細川よりも早苗の救助を優先してくれたってことだよ。大体細川は早苗を突き落とした張本人なんだしさ、気にしない方がいいって。……まあその、相柳に操られてただけかもだけど。』

 

『細川を見捨てたのが正しい行動かはともかくとして、事実としてバートリは早苗の命を救ったんだ。何も出来なかった私からはとやかく言えん。ここは素直に感謝しておくべき場面だぞ。』

 

でも、助けられたなら助けるべきだったんじゃないかな。それは生き延びた後だから言えるような我儘なんだろうか? 『救助された側』である私には文句を言う資格がないことを自覚しつつ、もやもやする感情を処理し切れなくて悩んでいる私のことを、リーゼさんが地面にひょいと降ろす。湖底に到着したらしい。近くで見るとゴツゴツした岩肌で歩き難そうだ。

 

そして少し離れた場所には……うう、見ちゃった。赤黒い液体に囲まれた細川先生の死体があるようだ。視界の端っこにちらりと映ってしまった死体から目を背けて、胸中で何となくごめんなさいをしていると──

 

「やあ、相柳。ようやく会えたね。」

 

「ん、この前の吸血鬼か。そういえば直に話すのは初めてじゃのう。……最大の障害は常に人外じゃな。人間なんぞ役に立たんし敵にもならんわ。」

 

リーゼさんが目を向けている先に居るのは、柳の模様が入っている真っ黒な着物姿の少女だ。腰まである長い髪は濡羽色で、履いている舟形下駄も黒漆だけど、肌と瞳の虹彩は綺麗な白だな。あれがあの黒蛇……『大妖怪相柳』なのか? 人間の姿に変わったということらしい。

 

睨み合う紅と白の瞳の大妖怪たちを前にしつつ、東風谷早苗はゴクリと喉を鳴らすのだった。

 

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