Game of Vampire   作:のみみず@白月

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永遠を呑んだ蛇

 

 

「……リーゼ様、早苗ちゃんに付けていた人形が壊れました。」

 

何? アリスが真剣な表情で送ってきた報告を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリは議論が行われている会場を見渡していた。会場内には未だ何の動きもないな。相柳が先に早苗の方に手を出してきたということか? 予想外だぞ。

 

マホウトコロで開催された二度目のカンファレンスが終わりに近付いている現在、私は収束しつつある議論をゲラートの背後の席で観察していたところだ。先程早苗がトイレに行ったので、アリスが毎度のように人形を一体付けてやったのだが……その人形が破壊されたわけか。当然ながら無視は出来んな。

 

しかし、陽動の可能性もあるぞ。脳内でそのリスクも考慮しつつ、先ずはアリスへと指示を放つ。

 

「早苗を放ってはおけないが、私とキミの両方がゲラートの側を離れるのは論外だ。私が様子を見に行くから、キミはゲラートの警備を続行したまえ。」

 

「相柳の主目的がグリンデルバルドなら、私を早苗ちゃんの方に割くべきじゃないでしょうか?」

 

「戦力を分散させたくないんだよ。であればゲラートと、闇祓いたちと、キミをこちらに残す方がバランスが良いはずだ。単独で向かう場合は私が行くべきさ。……油断しないようにね。ぴったり張り付いておくんだぞ。いざという時は迷わず逃げを選ぶように。」

 

「了解です。」

 

アリスの首肯を確認した後、ゲラートに近寄って囁きかけた。感情では私が残ってアリスを向かわせたいが、理性は正反対の主張をしている。ここは理性に従っておこう。相柳が無茶苦茶な手を打ってくるのであれば、応手は冷静に選択すべきだ。

 

「ゲラート、動きがあったぞ。私は対処に向かうが、陽動の可能性もある。警戒しておきたまえ。」

 

「……会場にも警告を発するべきか?」

 

「まだ詳細を掴めていないから、その辺の判断はキミに任せる。然るべきと思う対処をしてくれ。……それじゃ、失礼するよ。」

 

『ミハイロフ、動きがあった。最大の警戒をしておけ。リヴァノフ、お前は日本の闇祓いたちに情報を流せ。適当なもので構わん。とにかく用心させろ。』

 

周囲の随行者たちに命令しているゲラートを尻目に、素早く大広間の出口へと向かう。これならゲラートの守りはそうそう抜けまい。護衛対象が優秀だと楽でいいな。ぽんこつな方の護衛対象とはえらい違いだぞ。

 

そのまま無人の廊下を急いで抜けて、トイレがある方向へと移動していると……おっと、揺れたな。マホウトコロの校舎全体を激しい揺れが襲った。これが相柳の二手目か。随分と大規模な揺れだし、領地そのものに影響する何かをしたようだ。

 

そして次の瞬間、地面と天井がひっくり返る。領地の反転魔法に不具合が生じたらしい。揺れたから不具合が起こったのか、不具合が起こったから揺れたのかは分からんが、兎にも角にも校舎内の重力が『正常』な状態に戻ってしまったわけか。

 

「……ふん。」

 

一瞬だけ大広間に戻ろうかと考えた後、天井に着地してトイレへの移動を再開した。校舎自体が落ちているような様子は無いし、天地がひっくり返った程度で歴戦の魔法使いであるゲラートやアリスが動揺するとは思えない。私は急いで早苗を回収して大広間に戻るべきだろう。

 

思考しながら逆さまになった廊下の角を曲がってみれば……おや、二柱だ。焦った顔付きで慌てて立ち上がっている二柱が視界に映る。重力が反転した拍子にコケてしまったらしい。早苗の姿は見えないな。

 

「キミたち、何が──」

 

「バートリ? 早苗が落ちたんだ! 急いで助けてくれ!」

 

「早苗が『落ちた』?」

 

「この窓から落ちたの! だから早く……ちょっと、何これ。障壁? ああもう、邪魔くさいなぁ!」

 

神奈子に続いて報告してきた諏訪子は、窓が『あるべき空間』をバシバシと叩いているが……魔法の障壁があるのか? 窓ガラスが割れているので一見すると通れるわけだが、実際は見えない壁が存在しているようだ。相柳の仕業なのか、はたまたマホウトコロに備わっている緊急時の防衛機能の一つなのか。これは後者っぽいな。妖力を感じないし、恐らく魔法の仕掛けだろう。早苗が窓を通り抜けた直後に、タイミング悪くその仕掛けが作動してしまったらしい。

 

二柱の近くの床……というか天井に落ちた状態で動かなくなっているアリスの人形を横目にしつつ、割れた窓に近付いて諏訪子に声をかけた。さすがに焦っているな。祝子の危機は古い神々を焦らせるに足る出来事なようだ。

 

「退きたまえ。私が破ろう。」

 

「急いで急いで!」

 

「バートリ、早苗と一緒に相柳も落ちていったぞ。気を付けろ。何かしてくるかもしれん。私たちはすぐにでも顕現が解けてしまうから、そのまま──」

 

「そんなのいいから早く早苗を回収してってば!」

 

早口で追加報告を寄越してきた神奈子とそれを遮って急かしてくる諏訪子を背に、妖力弾で破った障壁を抜けて校舎の外へと飛び立つ。下……つまり湖底に向かって飛びながら周囲を見回してみると、絶賛落下中の二つの人影が目に入ってきた。片方は我らがおバカちゃんで、もう片方は成人男性らしき誰かだ。他にもちらほらと物が落下しているが、落ちている人影はあの二人だけだな。やけに都合が良くないか? 少し引っかかるぞ。

 

まあ何にせよ、この距離なら早苗には余裕で追いつけるだろう。マホウトコロがある湖が物凄い深さなのが幸いしたな。少し気を抜きつつ自然落下よりも速いスピードで降下していって、早苗の近くで落下しているのが誰なのかを判別できる距離にまで接近する。細川京介か? 何だってあの男が一緒に落下しているんだよ。相柳はどうしたんだ?

 

細川の存在を疑問に思いつつも、ギュッと目を瞑っている早苗のすぐ側まで寄って声を投げた。本当に魔法使いらしくない子だな。普通なら杖魔法を使おうとする場面なのに、杖を抜いてすらいないじゃないか。魔法力が無いにしたってせめて試してはみるべきだろうに。

 

「なーにをしているんだ、キミは。ちょっと目を離したらすぐこれか。」

 

「リーゼさん!」

 

「はいはい、私だよ。……相柳はどこだい? 接触したんだろう?」

 

キャッチした早苗を横抱きにした状態で落下の速度を落としてやれば、細川だけが下へと消えていくが……まあ、助ける必要はないだろう。早苗を抱えたままで相柳に操られている可能性がある細川を回収すれば、何らかのトラブルが起こりかねん。仮に杖魔法を食らったところで私なら痛くも痒くもないものの、人間である早苗はそうもいかない。二人抱えるとなれば必要以上に接近することになるし、余計なリスクを背負って早苗を危険に晒すのは悪手だ。この子が持っている札の神力も厄介だし。

 

僅かな時間で細川を見捨てることを決断した私に、早苗が返答を送ってくる。というか、細川はどうして飛翔術やらクッション魔法やらを使わないんだろうか? 誰も彼もが魔法を使おうとしないな。ホグワーツの上級生だったら即座に杖魔法を行使できている場面だぞ。やっぱり『命の危機』への対処法を学ぶにはホグワーツが一番らしい。

 

「あのっ、相柳は私のすぐ近くで落ちてました。」

 

「ん? 細川と一緒だったってことかい?」

 

「そういうことで……ああ、細川先生! 細川先生も落ちちゃってます! 助けないと!」

 

「細川がキミの近くで一緒に落下していたのは確認済みだが……まあ、諦めたまえ。あれはもう死んでいるよ。どう考えても生きている見た目じゃないね。」

 

残念ながら、会話の最中に細川は湖底に到着済みだ。足やら腕やらが変な方向に曲がっているし、『ベチャッ』という見た目だから多分死んでいるだろう。ひょっとしたら杖を持っていなかったのかもしれないな。成人している魔法使いがクッション魔法の存在すら思い出せないとは思えないし。

 

私のぼんやり考えながらの返事を受けて、早苗は呆然とした表情で応じてきた。

 

「いや、でも……先生、死んじゃったんですか? 助けられなかったってことですよね?」

 

「どうでも良いから捨て置いたんだよ。キミを優先すべき状況だっただろう? ……しかし、参ったな。相柳も一緒だったのか。それなら無視せずに回収しておけば良かったかもね。校舎や湖面は大丈夫そうだし、このまま下りるぞ。さっさと相柳を捕らえよう。」

 

結果的には余計な手間になったが……うーん、微妙なところだな。相柳が細川と一緒だったのであれば、やはり捨て置いたのは正解だったかもしれない。空中で早苗と細川を抱えつつ、小さな蛇の姿の相柳に対処するのは至難の業だぞ。

 

そして、ちらりと見上げた先にあったのは湖面にきちんと『くっ付いている』マホウトコロの校舎だ。あれはどういう状態になっているんだろう? 湖の内部の重力が正常なものに戻ってしまっているんだから、校舎も落ちてきて然るべきなのに。あくまで周囲の空間の魔法が解けてしまっただけで、校舎自体の重力は反転したままだとか? だが、校舎内部の反転は見事に解けていたぞ。ちんぷんかんぷんだな。

 

どういう状態になっているのかはさっぱり分からんが、何にせよ好都合だ。あれが相柳の計画に反する状態で、かつ私が関係していない事象となれば、マホウトコロそのもののシステムかシラキあたりの行動の結果ということになるな。

 

真の意味で『逆さま』になった校舎から視線を外して、湖底に着陸した後で妙に大人しくしている早苗を降ろす。少し離れた場所には細川の死体があり、そして私の正面に居るのは──

 

「やあ、相柳。ようやく会えたね。」

 

「ん、この前の吸血鬼か。そういえば直に話すのは初めてじゃのう。……最大の障害は常に人外じゃな。人間なんぞ役に立たんし敵にもならんわ。」

 

人化した状態の相柳だ。私と同じような色味の長髪で、柳の模様が入った黒い着物を着ている。呆れたようにやれやれと首を振っている大妖怪の淡い白の瞳を見返しつつ、肩を竦めて応答を放った。

 

「やはり細川の部屋に侵入した時に見られていたのか。」

 

「見事な隠形じゃったが、相手が悪かったのう。わしからはおぬしの体温が丸見えじゃったぞ。」

 

「……参考までに聞かせてくれたまえ。キミは具体的にどこに隠れていたんだい?」

 

「京介の『中』じゃよ。頭の中に入ってテレビを観とったんじゃ。わしってほら、蛇の姿だと小柄じゃから。……ちなみにその前にも一度会っとるぞ? おぬしが京介に『かんふぁれんす』の話をした時、眼帯の裏から観察しとったからのう。」

 

うーむ、吸血鬼からしても気味の悪い話だな。細川の頭の中に文字通り『巣食って』いたわけか。中々のことをやるヤツだなと苦笑いを浮かべながら、相柳への質問を続ける。

 

「つまり、あの時点で細川は既に死んでいたのか?」

 

「んー、難しい質問じゃのう。脳の要らん部分をいくらか削ってしもうたから、判断能力は随分と劣化しとったが……まあ、『生きて』はおったぞ。心臓は動いとった。人間って結構頑丈なんじゃよ。わし、そういうの弄るの得意なんじゃ。柳厳を操っとった頃に沢山の人間を使って勉強したからのう。何度も実験を重ねた末に、どこを残せば『生きたまま』になるかを探り出したわけじゃな。わしってほら、勤勉じゃから。偉いじゃろ?」

 

「脳みそを物理的に削って操り易くしたわけか。……私ならそれを『死んでいる』と判断するがね。重要なのは血液を循環させる心臓じゃなくて、思考を司る脳の方なんだと思うよ。そこが壊れたら人間は終わりさ。」

 

「そうなのか? おぬし、賢いヤツじゃのう。わしは知らんかったぞ。……んーむ、待てど暮らせど校舎が落ちてこないのう。爆発も起きんし、火の手が上がっとる気配もない。なんもかんも失敗じゃ。ちゃんと命令したんじゃが、人間はやっぱダメダメじゃな。」

 

むう、やり難い。相柳は私と『敵対』しているという雰囲気ではなく、まるでゲームの対戦相手と雑談をしているかのようだ。明確な敵意をこれっぽっちも感じないぞ。頭上を見上げて分かり易く残念そうな面持ちで呟いた相柳に、一つ息を吐いてから口を開いた。『柳に風』だな。

 

「爆発を起こして、炎上させて、落とすつもりだったのかい? 盛り沢山な騒動を企てていたようだね。」

 

「思いっきり混乱させてやる予定だったんじゃがのう。この様子だと領地の反転を解く以外は全部ダメだったみたいじゃ。反転解除にしたって中途半端なようじゃしな。……あーあ、また失敗か。負けじゃ、負け。上手くいかんもんじゃな。毎回最後にはこんな感じになってしまうわ。」

 

「……そも、キミの目的は何だったんだ? ゲラート・グリンデルバルドを操ることだったのか?」

 

「そうそう、それじゃ。『げらーと何某』。最初は京介に接触させてわしが操るつもりだったんじゃが、おぬしがいまいちつれない態度な所為で苦戦しとったわけじゃな。そしたらかんふぁれんすを開くと言うから、この地に集まる人間どもを全員ぶっ殺してげらーと何某の死体を回収しようとしたんじゃよ。わし、死体でも操れるから。完全に壊れとるとダメじゃけど、『ガワ』だけ残っとれば何とかなるんじゃ。」

 

予想通り無茶苦茶な計画だな。大雑把にも程があるぞ。カンファレンスで集まった人間を殺すために、とにかくそれらしい策を適当に打ちまくったということか? 内心で呆れている私へと、相柳は然程悔しそうではない顔付きで続きを語る。

 

「教師を何人か操って、爆発だの火事だのを起こして混乱させて、領地の魔法を解いて校舎を落とせば死ぬと思うたんじゃが……何で失敗したんじゃろ? 敗因が分からんのう。」

 

「何故校舎が落ちていないのかは私も知らんが、仮に落ちていたとしてもゲラートは死ななかったと思うよ。多少経験がある魔法使いなら生き残れるだろうし、脱出することだって全然可能さ。爆発や火事も大した障害にはならないはずだ。」

 

「わしだってそこは考えたぞ。それ以外にもいくつか策を打った。わしったら、策士じゃから。……ま、ぜーんぶ不発に終わったようじゃがな。どうせバカ人間どもがしくじったんじゃろ。苛つく話じゃのう。操り甲斐がないわ。」

 

「……とにかく、キミは失敗したわけだ。大人しく縄につきたまえ。」

 

腑に落ちない点は山ほどあるが、計画の詳細を吐かせるのは後でいいだろう。相柳に言い放ってやれば、彼女は投げやりな態度で素直に首肯してきた。

 

「んーむ、ここで粘ってもおぬしからは逃げられそうにないのう。……まあよかろ、今回は投了しておくわ。わしの負けー。」

 

「……やけに素直だね。」

 

「だってわし、『次』があるもん。何度でも失敗できるんじゃよ。わしったら不死じゃから。凄くない? わし、凄くない?」

 

「蓬莱の丸薬か。……キミはしっかりと理解しているのかい? 自分がどんな薬を呑んでしまったのかを。」

 

終わりのない生。その地獄を思って哀れな気分で問いかけた私に対して、相柳は……にんまりと笑いながら高らかに答えてくる。

 

「不死が『最悪の呪い』であることは重々承知しとるわ。わしだってそのくらいのことは理解できとる。その上で呑んだんじゃよ。……わしは決して諦めんぞ。必ず妖怪の世を取り戻してみせる。如何に非力で無知なわしだろうと、繰り返せばいつかは勝てるはずじゃ。そのために呑んでやった。永遠をこの口で呑み込んでやったわ。故にわしこそが人間の天敵なんじゃよ。永遠を呑んだ蛇、大妖怪相柳じゃ!」

 

「……本気で叶うと思っているのかい? 六百年間の長い封印から抜け出したキミは、今のこの世界を知ったはずだ。人間が絶対強者となってしまった、幻想なき世界をね。それなのにまだ諦めないと?」

 

人間の天敵にして、幻想の守護者。その彼女に静かな口調で尋ねてみれば、大妖怪相柳はニヤリと八重歯を覗かせながら応じてきた。挑戦的で、燃えるような覚悟が滲んだ笑みだ。

 

「では、忘れろと? 人間どもに裏切られ、殺された妖怪たちの怨嗟の声を無かったことにしろと? 復讐は何も生み出さないから、連中を赦して次へ進めと? ……ふん、冗談ではないわ! 誰かが背負ってやらねばならんじゃろうが! あの無念を、憎しみを、悲しみを歴史の彼方に消してなるものか! それが消えてしまったが最後、あやつらの苦しみが本当に無かったことになってしまう。報われぬまま昏い忘却の底に沈んでしまう。……わしはそんなことは認められん。断じて、断じて認めんぞ。あやつらの悲痛な断末魔を無意味なものになど決してさせんよ。余すことなくわしが背負い、復讐が成るその日まで運んでみせよう。わしはそのために永遠を呑んだのじゃ。妖怪たちの無念を『無かったこと』にさせないために。単なる過去にさせないためにな!」

 

「……友の無念を晴らそうというわけだ。」

 

「その通りじゃよ。だって悲しすぎるじゃろ? 無念の声が誰にも届かず、誰もそれを掬い上げてくれないだなんて酷すぎるじゃろ? ……あやつらはわしに優しくしてくれた。ならば報いねばならんじゃろうが。わしは底抜けのバカじゃが、恩義を忘れるほど愚かではない。あやつらの最期に意味を持たせてみせるぞ。時代の流れなんぞ知ったことか。あやつらの無念がわしを動かし、そのわしが妖怪の世を取り戻す。そうしてようやく報われるんじゃ。その日までわしは止まるわけにはいかんのじゃよ。」

 

真っ直ぐだな。一片の疑いも、後悔も、不安も感じていないような真っ直ぐな瞳だ。爛々と輝く白い瞳に惹かれているのを自覚しつつ、相柳へと声を返す。……私はどうやら、この妖怪に『魅力』を感じてしまっているらしい。油断すると引き込まれそうになるぞ。

 

「キミは多分、人間に勝てないぞ。何をどうしようと無理だ。それでもやめないのかい?」

 

「おぬし、それで諦めるようなヤツを妖怪と呼べるか? 諦観の末に賢く適応する連中など妖怪ではないわ。己が矜持を貫いてこその妖怪じゃろうが。他の誰がどう思おうと、不可能と断じられようと、それでもわしは貫くことをやめんぞ。それが道理でないと言うならば、無理と分かった上で押し通してみせよう。退屈な道理をひっくり返してこその妖怪なんじゃよ。」

 

「……なるほど、一本取られたよ。道理に従って無難に生きるなら、それはもう妖怪とは呼べないわけか。」

 

何とまあ、正しくその通りじゃないか。私たちは元来『道を外れた者』なのに、いつの間にかそうではなくなってしまった。私も、レミリアも、紫も、他の大妖怪たちも。現代に適応する過程で『妖怪らしさ』を失くしてしまったわけだ。当人すら気付かないうちに。

 

だが、目の前に立つ大妖怪はそれを持ち続けている。故にどうしようもなく惹かれてしまうのかもしれないと苦笑しつつ、誇り高き『本物の妖怪』へと口を開く。この辺で切り上げるべきだな。相柳の言葉は私にとって『毒』だ。こいつと話していると人間に近付いた私が、じわりじわりと妖怪の側に引き戻されてしまう。それが良いことなのか悪いことなのかはともかくとして、今の私はそれを承認することは出来ない。最低でもハリーたちが死ぬまでは、私は人間たちと上手くやっていかねばならないのだから。

 

「いやはや、天晴れだ。同じ妖怪として称賛するよ。昔の私だったらキミの理念に賛同し、ともすれば協力していたかもね。……とはいえ、今の私は人間にいくらかの借りがあるのさ。だからキミを手伝うことは出来ないんだ。悪いね。」

 

「ふん、おぬしも『人間好き』のお仲間か。人間なんぞに絆されおって。いつの日か裏切られて後悔するぞ。哀れなもんじゃな。……まあよいわ、寛大なわしはおぬしの無知を赦そう。おぬしもまた、人間に騙されとる可哀想な被害者じゃからな。いずれ分かる。その日が来ればおぬしも仲間じゃ。」

 

「……二柱、顕現して相柳を拘束してくれ。」

 

私が人間に裏切られる日。『その日』は果たして来るのだろうか? 来ることを確信している様子で予言してきた相柳を見ながら、ずっと黙って話を聞いていた早苗の方へと指示を出してみれば、顕現した二柱の片方……軍神の方が札を片手に近付いてきた。

 

「二柱? ……あー、神か。なるほどのう。小娘には神が憑いとったわけじゃな? 気付かんかったわ。妙に居心地が悪いと思ったらその所為か。」

 

「それにすら気付いていなかったのか。……とにかくそういうことだ、大妖怪相柳。無駄な抵抗はするなよ?」

 

「今更抵抗などせんわ。好きにするがよい、名も知らぬ神。……じゃがな、覚えておけよそっちの小娘。わしを裏切ったおぬしは必ず殺すからのう。わしが次に動けるのがおぬしが死んだ後だったら、おぬしの子孫を苦しめて殺す。おぬしに子孫が居なければ、おぬしの友人をいたぶって殺す。友人が死に絶えていれば、その子孫を見つけ出して殺す。蛇は怨みを忘れんぞ。そのことは確と覚えておけ。」

 

「そんなことは私たちがさせん。貴様の方こそ確と覚えておくといい。早苗に手を出そうとしたが最後、建速須佐之男命に連なる大神であるこの私が敵に回るということをな。」

 

太陽神と月の大賢者を兄姉に持つ、海と嵐を支配する日本における代表的な荒神。脅しとしてその名を出した神奈子に、相柳は少しだけ驚いたような顔で返答する。

 

「ほう? おぬし、あの聞かん坊の末裔か。つくづく縁があるもんじゃな。……よかろう、風神。いずれ敵として相見えようぞ。よく腕を磨いておくことじゃ。わしは弱いが、代わりに誰よりもしぶといからのう。」

 

こいつ、かの荒神とも知り合いなのか? 凄まじい『人外脈』だな。神奈子にとっても意外だったようで、ピクリと眉を動かしてから無言で相柳を封印し始めた。守矢の軍神の呟きに従って数枚の札が宙を舞い、それが相柳の四肢と胸に貼り付くと……人化を保っていられなくなったか。相柳は小さな黒蛇の姿に戻ってしまう。細長い身体に五枚の札がべったりと貼り付いた状態だ。

 

「これで最低でも一月は動けんだろう。その間にもっと強力な封印を施せばいい。」

 

「あとで幻想郷側に引き渡すよ。……では、校舎に戻ろうか。神奈子、相柳と早苗を持ちたまえ。私がキミを持って飛ぶから。」

 

退魔の札がべったりの相柳には触れないし、ポケットに札を入れている早苗の方だって出来れば持ちたくない。『神奈子経由』で運ぼうと考えて私が声を放ったところで、封印によって動けなくなっている相柳が人語でポツリと呼びかけてくる。

 

「おー、今になって運が向いてきたようじゃ。気を付けるんじゃぞ、吸血鬼。妖怪たるおぬしは将来の味方じゃからのう。」

 

「……何の話だい?」

 

「上じゃよ、上。遅きに過ぎるが、唆した人間どもが仕事をこなしたようじゃな。あんなことを命じたかは覚えとらんが……まあ、何やかんやあってああなったんじゃろ。」

 

相柳の無責任すぎる発言を受けて、私と神奈子と諏訪子と早苗が同時に頭上を見上げると……ああくそ、最悪だな。何で今更こうなったんだよ。膨大な量の水が降ってくるのが目に入ってきた。点ではなく、面でだ。

 

即座に杖を抜いて姿あらわしを試してみるが、妨害術か何かで不発に終わる。湖底の姿あらわしまで妨害されているのか。……うーん、あの量の『流水』に巻き込まれたらさすがに死ぬかもしれんな。どうする? 全力で妖力弾を撃って、一部を吹き飛ばして突破してみるか?

 

「ほれほれ、まだ終わっとらんようじゃぞ?」

 

相柳のからかうような声を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリは引きつった笑みを浮かべるのだった。

 


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