Game of Vampire   作:のみみず@白月

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閉幕

 

 

「……そっちではそんなことがあったんですか。」

 

リーゼ様が死にかけただって? 現実感が無さすぎる内容だな。あまりの報告に目を瞬かせながら、アリス・マーガトロイドは黒髪の吸血鬼へと相槌を打っていた。どうやら早苗ちゃんが救ったらしいし、今度あの子には好きな物を好きなだけ買ってあげよう。

 

マホウトコロで行われた二度目の非魔法界問題に関するカンファレンスが『強制終了』し、参加者や生徒たちが領地の中から避難し終えた現在、私とリーゼ様は水没を免れた校舎を眺めつつ互いの情報をすり合わせているところだ。目の前にある大きな湖は全体の五分の四ほどが水で埋まっており、逆さまに浮いている校舎の一番高い……というか、一番『低い』屋根だけがちょっとだけ水に浸かっているような状態になっている。流れ込んでくる海水をどうにか魔法で堰き止めることが叶ったらしい。ギリギリで間に合ったという感じだな。

 

要するに、私たちはマホウトコロの『外側』の孤島に避難しているのだ。教師たちはシラキ校長の指示で慌ただしく動き回っており、カンファレンスの参加者たちは日本闇祓いの案内で次々とポートキーでの移動……外交的に気を使わなくちゃいけない要人が多いし、恐らく一度日本魔法省の応接室にでも『収容』するつもりなのだろう。を行っているものの、全員が移動し終えるのにはまだまだ時間がかかりそうだな。移動先の受け入れ態勢が整っていないのかもしれない。

 

そして生徒たちはといえば、私たちから少し離れた場所に集まって大人しく待機しているようだ。幸いなことに通学の生徒……つまり年少の一から四年生はそもそも今日が休みになっていたそうで、現在この場に居るのは五から九年生と期生たちだけとなっている。期生の大半は復旧作業を手伝っているため、今は九年生の子たちが集団を纏めているらしい。ここから観察する限り、集団行動に関してはホグワーツよりもマホウトコロが上だな。これは両校の性質というか、むしろ国民性が関係しているのかもしれないが。

 

ホグワーツ生を『大人しくさせる』ことの困難さを思い出している私に対して、リーゼ様が遠くに立っているグリンデルバルド一行を横目に質問してきた。ちなみに早苗ちゃんは今は普通に他の生徒たちと行動しているはずだ。

 

「城の中はどうだったんだい? 私が助かったのは『非常識な奇跡』のお陰だが、あれだけの騒ぎがあって細川しか死んでいないってのも『常識的な奇跡』だと思うぞ。」

 

「シラキ校長の事前の対策が功を奏しましたね。領地の反転魔法が解除されてしまった段階で、予め仕掛けてあった防衛魔法が作動したみたいです。窓や外に繋がる出入り口を封鎖する魔法が。だから誰も……というか、反転の直前に外に飛び出した早苗ちゃんと細川京介以外は落ちずに済んだらしいですよ。」

 

「にしたって誰も外に出ていなかったのは妙じゃないか? 内部に入ればそりゃあ天井があるが、外に居た人間は早苗と同じように落ちていくはずだろう?」

 

「直接聞いたわけじゃないんですけど、どうも案内役以外の生徒たちは寮での待機を強めに命じられていたみたいですね。教師たちにも極力外に出ずに動くようにという指示が出ていたんだそうです。」

 

闇祓いや教師たちの会話を人形経由で盗み聞いて得た情報を知らせてみると、リーゼ様は眉根を寄せて応答してくる。私と同じ予想にたどり着いたらしい。

 

「シラキはこの展開をある程度予測していたってことか。じゃなきゃそんな指示を出すはずがないしね。爆発だの火事だのを未然に防いだのもあの女なんだろうさ。」

 

「でしょうね。絶対にこうなるとは考えていなかったはずですけど、色々な可能性に備えて対策を打っておいたんじゃないでしょうか? 校舎だけが落下を免れたり、境界の水が最初に落ちていかなかったのも、多分反転魔法をそれぞれに独立させていたからなんだと思います。」

 

「つくづく食えない女だよ、まったく。……『実行犯』は捕まったんだろう? 誰だったんだい?」

 

「マホウトコロの教員の一部だったみたいですね。予想通り休職している教師も含まれていましたし、休んでいない教師も数名加担したらしいです。日本闇祓いたちは服従の呪いによる犯行だと考えているようでした。」

 

当然ながら実際は相柳が妖術で操ったのだろうが、魔法界ではその説明が通用しない。被害者の特徴に共通点が多いし、闇祓いたちが服従の呪いによる行動だと判断するのは妥当なところだろう。

 

脳内で思考を回しながら返答した私に、リーゼ様は小さく鼻を鳴らして肩を竦めてきた。

 

「結局のところ私たちが何もしなくても、相柳の計画は失敗していたわけか。シラキ単独で対処可能だったみたいだね。」

 

「……一応、リーゼ様の警告には意味があったんじゃないですか?」

 

「私がシラキに警告したのは一昨日だぞ。短時間で領地の魔法を独立させるのは難しいはずだし、それ以前にシラキは対処を終わらせていたんだろうさ。……恐らく、何度も起こっている反転魔法の不具合を不自然に思ったんじゃないか? 思い返してみれば六月の中旬に細川と会った時も、彼は到着が遅れた理由として『領地の魔法に不具合が生じた』と言っていたはずだ。そして九月の上旬にはあれだけの騒ぎが起こっている。シラキはそれらのトラブルの原因が人為的なものではないかと考えて、事前にこっそり反転魔法を独立させておいたんだと思うよ。何かあった場合の『保険』としてね。ひょっとしたら準備のスケジュールの遅れはその所為かもしれないぞ。」

 

むう、だったら私たちがグリンデルバルドの護衛に付かなくても大丈夫だったわけか。何度もあった反転魔法のトラブルは、相柳の『実験』の所為だったのだろう。それがシラキ校長の疑いを煽ってしまったと。私が微妙すぎる結論に脱力していると、リーゼ様は大きくため息を吐きながら話を続ける。

 

「つまり、やっぱり裏目に出たのさ。三バカからの話を聞くに、相柳はそも早苗を殺そうとするのではなく助けようとしていたらしいからね。しかしキミの人形が襲いかかったり、二柱が封印しようとしたから話が拗れて、結果として早苗は落下死しかけたわけだ。」

 

「……よくよく考えてみれば、リーゼ様が死にかけたのも『偶然』ですよね? 相柳の計画通りだったら最初の段階で校舎も水も落ちていたわけですし、そしたらリーゼ様はまた別の対処をしたはずです。」

 

「まあ、そうだね。それでも吸血鬼として危機であることには変わりないが、その場合は湖底になんぞ行かずにキミとの合流を最速で目指したはずだし、選択肢だってもう少し増えていただろうさ。私は校舎や水が落ちてこないことを確認したから、早苗を回収した後に湖底で暢気にお喋りをしていたんだよ。結果的には絶妙な一手になったものの、平たく言えば私が勝手に死地に行って、勝手に油断して、勝手に死にかけただけだ。相柳がその展開を計画したわけじゃない。……大体、相柳の目的は私を殺すことでも何でもないしね。誰にとっても迷惑で、物凄く無駄な『絶妙』だったのさ。」

 

「私たちがグリンデルバルドの護衛として来ていなければ、リーゼ様や早苗ちゃんの危機は起こらなかったわけですか。早苗ちゃんは札で『要塞化』されている寮の自室で大人しくしていたでしょうしね。それなら相柳は接触できなかったはずですし、当然早苗ちゃんは『スカイダイビング』をしなくて済みます。」

 

うーむ、正に裏目だな。私にも相柳の厄介さというものが分かってきたぞ。額を押さえながらやれやれと首を振った私に、リーゼ様が疲れた声色で応じてきた。

 

「相柳も幸運だが、早苗も中々のラッキーを拾っているぞ。人形を壊したのは相柳ではなく、神奈子だったんだそうだ。相柳を攻撃している人形を止めようとしたら、襲いかかってきたから札で無力化したらしい。」

 

「あー……そういえば、神奈子さんと諏訪子さんは『例外設定』をしてませんでした。半自律状態で任務の遂行を妨害された場合、設定されていない人物は敵として攻撃するはずです。設定した時は実体化していなかったので気付きませんでしたよ。」

 

「しかしだ、相柳に人形を壊すことは出来なかったわけだろう? 神奈子が人形を破壊しなければ、早苗の危機に私が駆け付けることもなかった……いや、違うな。人形が無事だったら、操られていた細川が早苗を突き落とすのを止められていたかもしれないね。」

 

「そこは予想できませんね。『護衛ちゃん』が相柳への対処に夢中になっている隙を突かれればどうなるか不明です。優先順位的には早苗ちゃんの護衛が上ですけど、半自律状態だと複雑な判断が出来ませんから。」

 

早苗ちゃんに危険が迫っていないという条件下なら、護衛ちゃんは相柳が動かなくなるまで攻撃を続けるはず。『蛇への対処』は結構高い順位に設定してあるのだから。……ひょっとすると、私が二柱を例外設定にしなかったミスが全ての原因なのかもしれない。私の行動もまた状況を悪化させる一助になっていたわけか。

 

後で二柱に謝っておこうと思っている私へと、午後の日差しを反射する湖を眺めつつのリーゼ様が『根本の原因』を語ってくる。

 

「というかだ、そもそもで言えば私たちが相柳を追い始めたことが全ての原因なんじゃないか? 仮に私たちが一切関わっていなかったらどうなっていたと思う?」

 

「それ、きちんと『騒動』の範囲を決めないと頭がこんがらがってきますよ。極論すると大元の『失敗』は私たちが一昨年の五月段階で、早苗ちゃんと接触したことにあるわけですから。リーゼ様が早苗ちゃんの『後ろ盾』にならなければ、細川京介の一番初期の計画は成立しなかったはずです。そうすればあるいはグリンデルバルドに目を付けなかったかもしれません。……とまあ、こういうことも言えちゃうわけですね。」

 

「なるほどね、遡ろうと思えばどこまでも遡れるわけか。……『今にして思えば』ってやつが大量に積み重なって成立している感じだよ。発見の意味でも、失敗の意味でもね。リドルが第一次魔法戦争で残したのが後悔で、ベアトリスが騒動の末に残したのが悲しみだとすれば、相柳のそれは『徒労』さ。タチの悪さでは一番かもしれないぞ。」

 

深々とため息を吐いたリーゼ様は、うんざりしたような口調で会話を締めた。その通りだぞ。『無駄な懸念と無駄な苦労』。その集大成だな。

 

「まあ、何にせよ負けはしなかった。ゲラートも私もキミも早苗も生きているし、ジニーもしっかりと避難したんだ。相柳を取り逃がしたんだから勝ってはいないが、負けてもいないよ。引き分けと主張できるほど綺麗な終わり方じゃないから、ノーゲームってところかな。」

 

「どこまでも疲れるだけの『試合』でしたね。嫌な相手です。……相柳、まだ水の中に居るんでしょうか? 人形を使って探してみます?」

 

「居るかもしれないが、探さなくていいよ。あとは紫が起きるのを待とう。私はもう関わりたくない。これほど面倒な相手は初めてだ。……相柳に対して最も有効な対処法は、多分『関わらないこと』なのさ。」

 

「……そうかもしれませんね。」

 

対処を放棄するという対処法を選んだリーゼ様に首肯してから、二人で湖を離れて歩き出す。理の外に居るような相手だったぞ。負けないが、勝てない。そういうタイプだ。不死である相柳もそう思っているのかもしれないな。向こうの場合は『勝てないが、負けない』だろうけど。

 

勝利でも敗北でもなく、とにかく苦労させられる感じだ。この惨状と疲労だけが後に残ったぞ。最終的に誰一人として利益を得ていないじゃないか。確かにこれは『引き分け』よりも『ノーゲーム』と言うべきなのかもしれない。誰も勝てなかったというか、関わった全員が等しく負けているのだから。

 

「そろそろゲラートも移動するだろうから、私たちも一応ついて行こうか。もうさすがに何も起きないと思うけどね。」

 

銀朱ローブが固まっている方に歩きながら言うリーゼ様に、こっくり頷いて返事を返す。

 

「了解です。……一番の被害者はマホウトコロでしたね。教師を利用されて、領地の特性を利用されて、挙げ句の果てにはこの状況だけが残ったわけですから。相柳の計画の大半を止めたのはシラキ校長なのに、何とも報われない話です。」

 

「訳も分からず妖怪の計画に巻き込まれたことには同情するが、ここは私たちの学校じゃないからね。正直そこはどうでも良いさ。……ま、シラキなら何とかするんじゃないか?」

 

うーむ、ドライだな。素っ気なく応答してきたリーゼ様の背を追っていると、すれ違った日本闇祓いらしき二人の『黒着物ローブ』たちの会話が耳に入ってくる。

 

「見つかったか? まさか警備に飽きて帰ったんじゃないよな?」

 

「全然居ませんし、あれだけの騒ぎがあって合流してこないのは幾ら何でもおかしいですよね? 本当に帰ったって可能性もあると思いますよ。」

 

「和泉主席、絶対に激怒するぞ。……後始末で暫く家に帰れそうにないし、気が重いよ。『カンファレンス』ってのはいつも俺たちに災難を運んでくるな。明後日はカミさんの誕生日だってのに。」

 

日本の闇祓いたちも可哀想だな。カンファレンスとマホウトコロを合わせると、彼らにとっての厄介事に変貌するのかもしれない。前回は暗殺未遂で、今回は領地の崩壊。ホグワーツにおける『怪しい新顔』が、マホウトコロにおいては『カンファレンス』なわけか。トラブルを運んでくる忌まわしきサインだ。

 

今年もきちんとトラブルがあったことに苦い笑みを浮かべながら、アリス・マーガトロイドは巻き込まれたマホウトコロに同情の念を送るのだった。

 

 

─────

 

 

「俺はもう少し『穏やかな騒動』を予想していたんだがな。これではカンファレンスへの注目度を上げるどころか、騒動のインパクトで内容が掻き消されかねん。迷惑な話だ。」

 

都内のホテルの一室。周囲の随行者たちが撤収の準備を進めているのを尻目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはゲラートに対して肩を竦めていた。私がやったわけじゃないぞ。そんなことは知らん。

 

『死にかける』という吸血鬼としては貴重な状況に陥った後、『奇跡的に助かる』ということを初めて字面通りに体験した私は、現在ロシア勢が利用しているホテルの一室でゲラートと話しているのだ。アリスは回収した神奈子に壊された人形を少し離れたソファで弄っており、随行者たちは書類やら何やらを慌ただしく片付けている。十数分後にはポートキーでモスクワに戻る予定らしい。

 

私とアリスはどうしようかと悩みながら、ゲラートへの返答を口にした。イギリスへのポートキーの予約をしていないし、今の日本魔法省は絶賛大混乱中だろう。もう一、二泊していくべきか?

 

「『穏やかな騒動』ってのが既に矛盾しているぞ。キミはどういう形を想定していたんだい?」

 

「誰かが分かり易く杖を向けてくることを想定していた。要するに、『いつも通り』の展開を。マホウトコロの天地が入れ替わり、領地が水に沈むのは想定外だ。」

 

「非魔法界問題と同じように、トラブルの方だって進歩するってことさ。杖を向けられるだけじゃ前回と同じだろう? ただでさえ『カンファレンス』の部分が被っているんだから、それじゃあ面白味ってものを感じないよ。」

 

窓際のソファの上から夕闇に沈む外の景色を眺めつつ応じてみれば、対面のゲラートは大きくため息を吐いて話の内容を変えてくる。

 

「何にせよ、これで各地のカンファレンスは終了した。仕舞際に『箔』が付いたとでも思っておこう。……俺はロシアに戻って今回の地域別カンファレンスで得た意見を纏め、今月の終わりに国際魔法使い連盟本部で討議を行う予定だ。」

 

「得られるものがあったかい?」

 

「大いにあったぞ。問題を理解していない者が何を理解していないのかを具体的に知ることが出来たし、俺よりも遥かに非魔法界に詳しい魔法使いが多数居ることも確認できたからな。今後のための土壌を形成するには、充分すぎるほどの材料を集められたと言えるだろう。全体を通して有意義なカンファレンスだった。『最後の仕事』としては上出来だ。」

 

「……少なくともマホウトコロのカンファレンスにおいて、キミはあまり目立った発言をしていなかったようだが?」

 

前回のカンファレンスではあれだけ激しく論戦に参加していたのに、今回はむしろ『纏め役』として動いていたぞ。『ディベート好き』なゲラートらしからぬ行動を指摘してみると、彼は苦い笑みで応答してきた。

 

「それこそが最たる成果だ。俺が先導していては今までと何も変わらない。非魔法界問題が一定の速度に到達した今、俺が不在でも議論は進む。そのことを各地で確認できたのは幸いだった。これならもう大丈夫だろう。」

 

「自分が不要になることを喜ぶとはね。度し難いぞ。」

 

「僅かな寂寥は感じるが、同時に安心もした。アルバスとスカーレットが残していった懸念を片付けることが叶った今、ようやく俺は魔法界を去ることが出来るんだ。……世話の焼ける連中だな。一番面倒な部分を押し付けられたぞ。」

 

「キミなら何とかすると思ったんだろうさ。そういう連中なんだよ、ダンブルドアとレミィは。キミと違って計算高いからね。」

 

レミリアは認めていたからこそ、ダンブルドアは信じていたからこそ、この男を残して去ったのかもしれんな。くつくつと笑いながら言ってみれば、ゲラートはやれやれと首を振って返事をしてくる。

 

「何れにせよ、俺の『宿題』はもうすぐ終わる。もはや未練は無い。ゲラート・グリンデルバルドも遠からず終わりを迎えるだろう。」

 

「……具体的にはいつなんだい?」

 

「具体的なことを話すつもりなどない。聞いたところで無意味なはずだ。『お別れ会』でも開いてくれるのか?」

 

「おっと、ジョークのセンスが少しだけ向上したみたいだね。ここに来て小さな進歩だ。」

 

『お別れ会』か。こいつはそれが世界で最も似合わない男かもしれんな。皮肉を飛ばしてみると、ゲラートはソファの背凭れに身を預けて口を開く。

 

「お前との別れは半世紀も前に済ませているからな。これ以上は蛇足だ。」

 

「……ま、そうだね。この数年間はちょっとした『おまけ』ってわけだ。ヨーロッパ大戦の頃よりは些か地味だったが、結構楽しめたよ。」

 

「ああ、俺も中々に楽しめた。」

 

そこで会話が途切れて、互いに沈黙しつつ窓の外を見つめる。百年か。最初は私が振り回し、最後はゲラートに振り回された形になったな。……もはや引き止めはしないぞ。人は死んでこそ完結するのだ。今の私はそのことを理解しているのだから。

 

アリスがテッサ・ヴェイユの死を真っ直ぐ受け止めたように、フランがコゼット・ヴェイユの死を素直に悲しんだように、パチュリーがダンブルドアという本を静かに閉じたように、私もまたゲラートの死を自らの意思で承認しよう。

 

これがきっと、長命な人外が短命な人間たちと深く関わって初めて得られる経験なのだ。この百年で私は人間と本当の意味で出会い、認め、戦い、そして別れることになったわけか。……いやはや、たった百年で随分と認識が変わってしまったな。

 

アンネリーゼ・バートリという吸血鬼にとって、値千金となった百年間。二十世紀という激動の時代を想って吐息を漏らしていると、近付いてきた銀朱ローブの一人がゲラートにロシア語で声を放った。

 

『議長、準備が整いました。いつでも出発できます。』

 

『終わったか。やけに早かったな。……では、戻るぞ。ポートキーを作っておけ。』

 

『了解しました。』

 

指示を受けた銀朱ローブがポートキーを作り始めたのを見て、ソファから立ち上がったゲラートが短く別れを告げてくる。必要以上でも、以下でもない別れを。

 

「さらばだ、アンネリーゼ・バートリ。」

 

「……さようなら、ゲラート・グリンデルバルド。」

 

いつかのやり取りの再現。それだけを終わらせたゲラートは、そのまま歩み去ろうとするが……振り返らずに言葉を付け足してきた。例の腕時計を着けている左腕をちらりと見ながら、謎めいた言葉をだ。

 

「覚えておけ、この時計は俺そのものだ。」

 

言うとさっさと一行の方へと歩いていくゲラートを横目にしつつ、かっくり小首を傾げる。やけに念入りに言ってくるじゃないか。最後の言葉がそれか? 何を言わんとしているんだ?

 

……まあいいさ、そのうち分かるだろう。ゲラートが無駄なことをするはずはない。何か意味があるはずだ。視線を外の景色に戻した私の背後で、ロシア語での端的な会話が行われた後、ポートキーが発動する音と共に部屋が沈黙に包まれた。私はゲラートを見送らなかったし、ゲラートもまた私を見ずに移動したはず。そういう捻くれ者なのだ、私たちは。度し難いのは私も一緒か。

 

自分の愚かしさに苦笑しつつ、ゲラートもそれを貫いたであろうことを確信していると、寄ってきた足音の主がおずおずと話しかけてくる。アリスだ。

 

「……えっと、グリンデルバルドたちは行きましたけど。」

 

「ん、私たちも部屋に戻ろうか。騒ぎの渦中の日本魔法省でポートキーを予約するのは面倒だろうし、もう一、二泊していこう。」

 

「分かりました、そうしましょう。……あの、リーゼ様? 何か落ち込んでますか?」

 

「いや、落ち込んではいないよ。……本を読み終わった時とか、劇を観終わった時のあれさ。あの感情。今はああいう気分なんだ。」

 

これは多分、言葉にすべきではない感情なのだ。私だけが理解していればそれでいいのだから。きょとんとしているアリスに微笑んだ後、ソファから腰を上げて自分たちの部屋に向かう。遂に終わったか。長いアンコールだったな。

 

幕が下りた劇場を後にしつつ、アンネリーゼ・バートリは大きく伸びをするのだった。

 


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