Game of Vampire   作:のみみず@白月

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四月一日

 

 

「……へ?」

 

嘘だろう? 人形店のリビングのソファに腰掛けつつ、アリス・マーガトロイドは思わず声を漏らしていた。四月一日の朝刊の一面にデカデカと載っているのは、『ロシア中央魔法議会議長、ゲラート・グリンデルバルドが死去』の文字だ。死んだ? グリンデルバルドが? こんなに現実感のない記事は生まれて初めて見たぞ。

 

四月が始まったばかりの今日、一階の作業場で夜を徹して人形の制作に取り組んでいた私は、一息つくためにリビングでコーヒーを飲みながら朝刊を開いたわけだが……ひょっとすると、今私は夢を見ているのかもしれない。作業中に居眠りしちゃったとか?

 

この前の幻想郷での会話も中々にインパクトがある内容だったけど、目の前の紙面に比べれば些細なものだぞ。とりあえず頬を抓ってみて自身の覚醒を促している私に、キッチンで朝食を作っているエマさんが声をかけてくる。

 

「アリスちゃん? どうしたんですか?」

 

「いえ、あの……これって夢じゃないですよね? だからつまり、私が見ている夢って意味です。」

 

「夢? ……えーっと、その場合って私に自覚はあるものなんですか? 『自分は夢の登場人物だ』って。」

 

「それは……まあその、やっぱり気にしないでください。夢ではなかったみたいです。」

 

何だか哲学的な疑問を寄越してきたエマさんに応答してから、改めて記事を読み直す。今日の零時頃に執務室で死亡しているところを警護の闇祓いが発見して、詳細な死因の発表はまだされていないものの間違いなく他殺ではなく、本人の遺言書に則って葬儀をする予定は無し。記事にある目ぼしい情報はそれだけだな。予言者新聞の方も大急ぎで記事にしたらしい。殆ど速報扱いだ。

 

……あの男が死んだのか。十日ほど前はピンピンしていたのに。内容が纏まっていない記事を読み終えて呆然とした後、ハッと思い至った質問をエマさんに送った。

 

「エマさん、リーゼ様ってもう起きてますか?」

 

「まだ寝てますよ。最近は結構早起きなので、もうちょっとで起きてくるとは思いますけど。」

 

「……そうですか。」

 

どうしよう。急いで起こしに行くべきか? でも、グリンデルバルドが死んだとなればリーゼ様はショックを受ける……はずだ。私はリーゼ様にとっての『訃報の運び手』にはなりたくない。だって絶対に良くは思わないはずなんだから。

 

とはいえ、知ってなお起こしに行かないのもそれはそれで問題に思える。何故私は朝刊を読んでしまったんだろう? あのままずっと一階で作業をしていれば良かったぞ。コーヒーなんか飲むべきじゃなかったんだ。

 

リーゼ様の反応を想像して憂鬱な気分になりつつ、それでもやっぱり黙っているのはダメだろうと起こすことを決断したところで、ふと根本的な疑念が頭をよぎった。……これ、本当に死んだんだろうか? よくよく考えてみればそんなこと信じられないぞ。

 

大体、予言者新聞の記事だもんな。幾ら何でもこんな内容の誤報は見たことがないけど、『グリンデルバルドが死ぬ』よりも『予言者新聞社が早とちりする』の方が余程に真実味がある。半ば現実逃避のような思考になっていることを自覚しつつも、その線に賭けてリーゼ様を起こしに行こうと立ち上がった瞬間、一階から呼び鈴の音が響いてきた。誰かが来たらしい。

 

「あれ、こんな時間に誰でしょう?」

 

「私が出ます。」

 

きょとんと首を傾げたエマさんに素早く宣言してから、何だか救われたような気持ちで階段を下りる。お客さんが来たなら仕方がないはず。少なくとも心の準備をする猶予は手に入ったな。内心で言い訳をしながら一階の店舗スペースに到着すると、玄関に立っているのが誰なのかが目に入ってきた。癖っ毛のベージュの長髪で、背が高い女性。大妖怪で情報屋のアピスさんだ。

 

「おはようございます、アピスさん。」

 

どうして来たのかと怪訝に思いつつドアを開けて挨拶してみると、アピスさんは返事をしてから店内に入ってくる。スイスからわざわざ来たということは、それなりに重要な用件なんだろうか?

 

「どうも、魔女さん。朝早くにすみません。最前列で結末を鑑賞しに来たんです。」

 

「鑑賞? ……えっと、どういう意味ですか?」

 

「幻想郷の『彼女』から手紙が届いたんですよ。つまり、特等席のチケットが。……まさか私に接触してくるとは思いませんでしたが、それだけ吸血鬼さんのことを重んじているということでしょう。相柳の一件のお詫びだと書いてありました。彼女によれば、吸血鬼さんのために私は今日ここに居た方が良いんだそうです。私としても物語の終わりを近くで鑑賞できるのは願ってもないことなので、今回は彼女のプロットに乗ってみたわけですね。」

 

いやいや、ちんぷんかんぷんだぞ。これまで接してきたアピスさんの発言を思うに、『彼女』というのは恐らく紫さんのことだと思うから……紫さんがリーゼ様へのお詫びとしてアピスさんを派遣して、アピスさんはそれに乗ってここに来たということか? 具体的な部分が随分とぼんやりしているな。

 

アピスさんにしたってあやふや過ぎる説明に困惑しつつ、店内の人形を見回し始めた彼女に忠告を飛ばした。何にせよ、今日はタイミングが悪いのだ。改めて来た方がいいと思うぞ。

 

「えっとですね、アピスさん。リーゼ様に用があるなら今日はやめておいた方がいいと思うんですけど。」

 

「ゲラート・グリンデルバルドが死んだからですか?」

 

「……知ってたんですか。」

 

「私は情報屋ですよ? 知らないはずがありません。日が昇る前には把握していました。……それより魔女さん、表のポストに荷物が入っていましたよ。」

 

荷物? 棚の可動人形を手に取って構造を観察しながらのアピスさんの報告を受けて、一度外に出てポストをチェックしてみれば……何だろう? 中に小さな箱が入っているのが視界に映る。飾り気のない白い紙に包まれた、ちょっとだけ厚みがある長方形の箱だ。サイズはポストに余裕で入る程度の小ささで、持った感触からして木箱を包んであるっぽいな。表面にも裏面にも何も書かれていないぞ。

 

うーん、また差出人不明の荷物か。あんまり良い思い出がないんだけどな、こういうの。経験から不穏なものを感じてしまうぞ。どうか変な魔女から送られてきた物じゃありませんようにと願いつつ、箱を片手に店内に戻ってみれば……ああ、マズい。カウンターに直接腰掛けているリーゼ様の姿が見えてきた。しかも私がリビングに置いてきた新聞を手にした状態でだ。

 

「……リーゼ様、起きてたんですか。」

 

「キミと入れ替わりになったらしいね。エマから来客だと聞いて下りてきたんだよ。……で、そこの情報屋は何故ここに居るんだい?」

 

「紫さんからの連絡を受けて来たそうです。相柳の一件のお詫びとして、アピスさんをここに派遣したんだとか。」

 

「ふぅん? 『お詫び』ね。……キミと紫が連んで何かするというのには違和感があるぞ。とんでもない違和感がだ。どういうつもりなんだい? アピス。」

 

もう朝刊を読んじゃったのか? アピスさんに問いかけるリーゼ様の表情を確認しつつ、彼女が持っている新聞に目を向ける。だけど、読んだ後ならこんなに冷静でいられるはずがない。ということは読んでいないのかな? ああもう、胃が痛くなってきたぞ。

 

「彼女が連絡してくるのには、私としても『とんでもない違和感』がありますが……まあ、貴女という繋がりを得てしまったということなんでしょう。恐らく一度きりですよ。二度目はありません。」

 

「ふん、貴重な経験をしているようで何よりだ。……用件は?」

 

「私には分かりませんよ。この場所に居るべきだと知らされただけですから。むしろ私の役割は貴女が知っているのでは?」

 

「意味がさっぱり分からんね。これだからキミたちみたいな存在の相手は疲れるんだ。」

 

ため息を吐きながらのリーゼ様がやれやれと首を振ったところで、アピスさんがサラッと致命的な質問を投げかけた。

 

「その新聞、読みましたか?」

 

「軽くは読んだよ。」

 

「……では、感想は?」

 

「特に無いね。とっくの昔に知っていたことが書かれてあるだけさ。」

 

……リーゼ様はグリンデルバルドの死を知っていたのか。そのことにホッとしていいのかどうかを迷っている私を他所に、アピスさんはポーカーフェイスで問いを続ける。かなり踏み込んだ問いをだ。

 

「らしくない反応ですね。悲しんでいないんですか?」

 

「キミが私の『らしさ』を知っているとは思えないがね。……別に悲しんではいないよ。既に整理は終えているさ。こうなると知っていて、こうなった。それだけの話だ。」

 

無表情で放たれたリーゼ様の答えを耳にして、アピスさんは納得がいかないような雰囲気で更に何かを尋ねようとするが……その直前に黒髪の吸血鬼がこちらに話しかけてきた。アピスさんの質問を遮った形だな。やっぱりあまり聞かれたくないのかもしれない。

 

「アリス、それは?」

 

「ポストに入っていた荷物です。差出人も宛名も書いてないみたいですね。つまり郵便業者を通さずに、直接ポストに投函された物ってことになります。」

 

「またそのパターンか。厄介事の臭いをひしひしと感じるぞ。……私が開けよう。貸してみたまえ。」

 

「あー……はい、気を付けてください。」

 

リーゼ様もそう思うのか。私から包みを受け取ったリーゼ様は、重さを確認するように二、三回軽く振った後、カウンターの上で白い包装紙を剥がし始める。すると出てきたのは……うん、やはり木箱だ。これといった特徴のない茶色い長方形の木箱。留め具とかも見当たらないな。上部が薄い蓋になっていてカパッと開けられるらしい。

 

「木箱だね。」

 

「そうですね、木箱ですね。」

 

それ以外の印象など一切無いような普通すぎる木箱を見て、リーゼ様と感想とも言えぬ感想を交わしてから、黒髪の吸血鬼が慎重に蓋を開くのを見守っていると……ありゃ、時計だ。色褪せた革のベルトが付いている、古ぼけた腕時計。木箱の中には緩衝材として入っているのであろう白いシルクの布と、その腕時計だけが収められていた。

 

しかしまあ、やけに古い無骨なデザインだな。高級な時計だとはとても思えないし、どう見たって新品ではない。どうしてこんな物がポストに入っていたんだろうと疑問を感じている私を尻目に、腕時計を手に取ったリーゼ様がポツリと呟く。真紅の瞳を見開きながらだ。

 

「……動いているね。」

 

「へ?」

 

「長針がだよ。動いているじゃないか。どういうことだ?」

 

ううん? 謎の発言だな。秒針が無い時計なので私は見逃したが、リーゼ様は針が動いているところを目撃したらしい。……でも、それがどうしたんだ? 腕時計の長針が動いているのは、別に驚くようなことじゃないと思うんだけど。だって時間を示すのが時計の役目なんだから。

 

何かに驚愕しているリーゼ様を目にして首を捻っていると、暫く腕時計を見つめて沈黙していた彼女がアピスさんへと言葉を送った。恐る恐るといった様子でだ。

 

「……アピス、キミは時計技師をしていたはずだね?」

 

「していましたが、それがどうかしましたか?」

 

「この腕時計に修理した形跡があるかを確認できるかい?」

 

「構造次第ですが、その腕時計は古い物のようなので恐らく可能です。見せてください。」

 

近付いてきて腕時計を受け取ったアピスさんは、目を細めて裏側や側面を丹念にチェックした後、然程時間を使わずに『診断結果』を口にする。

 

「修理はされていませんよ。この腕時計は構造的に分解すればそうと分かる傷が付くはずですが、それが見当たりませんから。」

 

「つまり、この腕時計は壊れていないわけだ。」

 

「まあ、そうですね。時間はきちんと合っていますし、針も滑らかに時を刻んでいますから、特に壊れていないと言えるでしょう。ぜんまいさえ巻いておけば動きますよ。……この腕時計に何か意味があるんですか?」

 

アピスさんもリーゼ様が何を気にしているのかを分かっていないようで、時計を返しながら質問をしているが……今度はどうしちゃったんだ? リーゼ様は再度手の中の腕時計をジッと見つめたかと思えば、クスクスと柔らかく笑い始めた。普段の皮肉げな笑い方ではなく、ただの少女のような飾らない笑い方だ。

 

ぬう、物凄く可愛らしいぞ。『無邪気に笑うリーゼ様』というのはかなり貴重な光景じゃないか? いきなり訪れた『希少シーン』を脳内に焼き付けていると、一頻り笑い終えたリーゼ様がくつくつと喉を鳴らして口を開く。

 

「ぜんまいさえ巻いておけば、ね。……いやぁ、やられたよ。あの大嘘吐きめ、やろうと思えば出来るんじゃないか。この私を騙すとは大したもんだ。」

 

「リーゼ様? どうしちゃったんですか?」

 

「んふふ、騙されたのさ。私は嘘を吐かれたんだ。……なるほどね、だからいちいちしつこかったのか。『余暇』の話もようやく合点がいったよ。思い返せば下手くそすぎるぞ。慣れないことをするからだよ、まったく。」

 

おー、久々に『んふふ』が出たな。とんでもなくご機嫌な様子で翼をパタパタさせているリーゼ様は、続いてアピスさんに声をかけるが……全然分からないぞ。どういうことなんだ?

 

「アピス、この時計はあとどれくらい持つんだい?」

 

「断定も保証も出来ませんし、随分と古い時計なので不測の事態も大いに有り得ますが、針の動き方からして今すぐに止まるということは無いでしょう。そう長くも持たないと思いますけどね。」

 

「充分さ、それで充分だ。……ああくそ、やられたよ。ゲラート・グリンデルバルドは死んだわけだ。死ぬべき時に、しっかりとね。しかし、腕時計は止まっていなかった。つまりはそういうことか。」

 

「……貴女の様子を見るに、私がこの場に居た意味は確かにあったようですね。」

 

グリンデルバルド? 何故か嬉しそうにグリンデルバルドの死を語ったリーゼ様にアピスさんが話しかけると、黒髪の吸血鬼は笑みを浮かべ続けながらこっくり首肯した。

 

「普段なら勝手に先回りされたのにイラつくし、余計なことをするなと文句を言っているところだが……ま、今回は許してあげよう。私の機嫌が良いことに感謝したまえ。遅かれ早かれ時計屋かどこかで確認していただろうが、手早く済んだのは僥倖だったよ。」

 

「……そういうことですか。情報屋としてではなく、大妖怪としてでもなく、時計技師としての私が居合わせるのが重要だったと。」

 

「紫は私に『それ』を早めに知らせることを、相柳の一件の詫びに代えたんだろうさ。……最後の最後でダンブルドアのアドバイスに従うとはね。今日の日付といい、やっと洒落っ気が付いてきたみたいじゃないか。本当に世話のかかるヤツだよ。」

 

腕時計を手に持ったままで穏やかに呟いたリーゼ様は、それを自分の左腕にそっと着ける。リーゼ様の腕には大きすぎるし、彼女に似つかわしくない地味なデザインなのだが……どうしてなんだろう? 何だかしっくり来てしまうぞ。あるべき場所にある、という感じだ。

 

そのことを不思議に思っていると、アピスさんが静かな声色でリーゼ様に疑問を放つ。何かを確認するかのような顔付きだ。

 

「吸血鬼さんに改めて問います。貴女は今悲しんでいますか?」

 

「ああ、悲しんでいるとも。ゲラート・グリンデルバルドという男は死んだんだ。ヨーロッパ大戦を起こし、魔法族という存在を背負い続けていた偉大な男は、その役目を終えて歴史から去ったんだよ。……故に私とあの男の物語はこれで終わりさ。百年前に始めた吸血鬼たちのゲームはこれにて終了だ。後に残ったのは未だ無知で成長途上の吸血鬼と、ようやく問題に向き合い始めたよちよち歩きの魔法界と、僅かな余暇を楽しむ名も無き老人だけ。何とまあ、締まらない結末だね。」

 

言葉とは裏腹に、今のリーゼ様が浮かべているのはひどく満足そうな表情だ。そんな彼女を見て、アピスさんは薄っすらと笑いながら一つ頷いた。これはきっと大妖怪でも情報屋でもなく、アピスさんとしての笑みなのだろう。

 

「そうですか、よく分かりました。……感謝しますよ、吸血鬼さん。貴女たちのお陰で『物語』のコレクションをまた増やすことが叶いましたから。いつか見返して楽しませてもらうことにします。」

 

「好きにしたまえ。」

 

左腕の腕時計を眺めながら素っ気無く応じたリーゼ様と、何かを理解したような雰囲気を醸し出しているアピスさん。話について行けなくて困惑している私を他所に、リーゼ様は木箱を回収してから肩を竦めて声を上げる。

 

「遠からぬうちにこの時計は止まるだろうさ。だが、それでいいんだ。少なくとも私はまだ動いていることを知っている。それで充分なんだよ。」

 

言うと、リーゼ様は話は終わりだとばかりにリビングへと戻って行ってしまうが……ひょっとしたら、あの腕時計はパチュリーにとっての不死鳥の羽ペンで、フランにとっての咲夜で、私にとってのイトスギの杖なのかもしれない。リーゼ様とグリンデルバルドの間にある『何か』。多分それを象徴するような物なのだろう。未だ理解が追いついていないものの、腕時計を受け取る前のリーゼ様と今のリーゼ様が明確に違うことは分かるぞ。自分の心に決着を付けたという感じだ。

 

翼をはためかせながら階段を上っていくリーゼ様。その姿を視界に収めつつ、アリス・マーガトロイドは柔らかく息を吐くのだった。

 


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