Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ま、こんなところじゃないか? これ以上準備すべきことは無いと思うよ。」
すっかり棚の中の人形たちが片付けられた後の、マーガトロイド人形店の店舗スペース。空っぽのガラスケースや閉め切ったカーテンを見て宣言してきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは首肯を返していた。転移の際の衝撃がどうなるか分からなかったので、一応人形たちを避難させたのだ。広々としていてちょっと寂しい光景だな。店を再開する前を思い出すぞ。
八月の中旬が迫ってきた今日、人形店における移住の準備がようやく完了したのである。紅魔館に持ち込む『補給物資』も買い込んだし、一階と二階の片付けも終わったし、転移に備えた家具なんかの補強も一通り済んだ。これならいつでも出発できるだろう。
となると、残る問題は私の転移魔法だけだな。そこに一抹の不安を感じつつ、リーゼ様に向けて返事を口にした。
「いよいよって感じですね。」
「私の場合はそうでもないけどね。キミたちにとってはそうなんだろうさ。……転移魔法の術式作りは順調かい?」
「人形店の方は多分大丈夫です。……でも、守矢神社の方は今すぐにはやっぱり無理そうですね。術式を完成させるのは幻想郷に行ってからになると思います。」
「そこは気にしなくていいよ。戻ってこられる私が二柱に伝えればいいだけだからね。」
肩を竦めてリビングに戻るリーゼ様の背に続きながら、ふと思い出したことを声に出してみる。
「そういえば、対策委員会の次期体制がやっと本決まりになったみたいですね。朝刊で取り上げられてましたよ。」
「ああ、そうらしいね。三ヶ月以上もかかるってのは予想外だったが、時間をかけた甲斐はあったみたいじゃないか。大分規模が拡大されたようで何よりってところさ。」
「各国の非魔法界対策部署の統括役って感じになるんでしょうか? 国際社会における連盟の役割に近いですね。」
「国際魔法使い連盟よりは実行力を持ってもらわないと困るけどね。国際的なバランスを調整するためにある連盟と違って、対策委員会は問題の解決を促進させるためにある機関なんだから。機構そのものは連盟に通じる部分があるが、本質的な役割は全く違うよ。」
まあ、確かにそうだ。調整機関か牽引機関かの違いだな。リビングルームに足を踏み入れながら応じてきたリーゼ様に、複雑な気分で相槌を打つ。
「少し不安ですね。新議長の選出も荒れに荒れたみたいですし、この先上手くやってくれるといいんですけど。」
「荒れないで人任せにされるよりは遥かにマシさ。自覚し、議論し、失敗し、改善する。それさえ出来ていれば少なくとも最悪の方向には進まないはずだ。……ま、見物してやろうじゃないか。次世代の魔法界ってやつの頑張りっぷりをね。」
皮肉げに笑いながらのリーゼ様がソファに腰掛けたところで、部屋に咲夜と魔理沙が入ってきた。着替えているし、出掛けるつもりらしい。
「おう、リーゼ、アリス。ちょっと友達と遊びに行ってくるぜ。」
「今日は暑くなるらしいから気を付けなさいね。」
「うん、分かった。お昼ご飯も食べてくるから。……行ってきます、リーゼお嬢様。」
「ん、行ってきたまえ。」
私とリーゼ様の言葉を受けて一階に下りていった二人を見送った後、キッチンに移動してお湯を沸かす。最近の咲夜と魔理沙はよく人に会いに行っているな。仲が良かった同級生なんかに別れを告げているんだそうだ。
二人も順調に移住の準備を進めているなと考えつつ、戸棚からコーヒーミルを取り出して豆を投入していると、リーゼ様がセンターテーブルの上にあった手紙を手に取って疑問を寄越してきた。
「この手紙は何だい?」
「あー、忘れてました。今朝届いたやつです。アピスさんからみたいですよ。」
「アピスから? ……ふぅん? あいつも引っ越すのか。北アメリカに行くらしいぞ。」
「北アメリカですか。」
神秘が薄い土地だけど、そういえば前に行った時にアピスさんは気にしていなかったな。コーヒー豆を挽きながら応答してみれば、リーゼ様は便箋を広げた状態で詳細を語ってくる。
「カリフォルニアに移るんだそうだ。新しい住所も書いてあるよ。」
「西海岸となると、私たちとはあまり縁の無い土地ですね。……どうして引っ越すんでしょう?」
「さてね、私にはあの妖怪が考えていることなんて分からんよ。また新たな趣味でも見つけて、それがカリフォルニアと関わっているとかじゃないか?」
「ちなみにですけど、住所はカリフォルニア州のどこになってますか?」
ガリガリというコーヒーミルの音に負けない声量で質問すると、リーゼ様は手紙をテーブルに置きながら回答してきた。
「サンタクララ郡のサンノゼと書いてあるね。具体的にどこなのかはさっぱりだが。」
「えーっと、ベイエリアの下側だったはずです。所謂サウスベイですね。」
「私は『ベイエリア』がまずピンと来ないよ。……あの国は幾ら何でも広すぎるぞ。欲張って大陸の半分を国家にしようとするからああなるのさ。分かり難いことこの上ないね、まったく。」
その主張でいくとロシアはどうなってしまうんだろうか? 単純な国土面積は二倍近かったはずだぞ。挽き終えた粉を使ってコーヒーを淹れつつ、リーゼ様に声を飛ばす。
「だからこその『合衆国』なんだと思いますけどね。リーゼ様も飲みますか? コーヒー。」
「飲もうかな。キミのを先に淹れてくれ。今日は薄めの気分なんだ。」
「了解です。」
リーゼ様の指示を聞いて薄めの二杯目を淹れていると、今度はエマさんが入室してきた。
「あら、一階の整理はもう終わっちゃったんですか?」
「ええ、どうにか完了しました。……一応聞きますけど、エマさんも飲みます?」
「コーヒーはやめておきます。」
「ですよね。」
エマさんはコーヒーがあまり好きではないのだ。リーゼ様も紅茶党の吸血鬼だけど、エマさんはそれ以上なのである。一応の問いに予想通りの答えが返ってきたことに苦笑しながら、二つのカップを持ってソファに向かう。
「エマ、この手紙を保管しておいてくれ。アピスの新しい連絡先が書いてあるから。」
「はーい、了解です。……アピスさんも引っ越すんですか?」
「北アメリカにね。また何か仕事を頼むかもしれないし、覚えておいた方がいいだろうさ。」
エマさんが手紙を受け取ってどこかに運んでいくのを横目にしつつ、リーゼ様にマグカップの片方を渡してからソファに座った。……あ、しまったな。コーヒー豆も買っておくべきだったぞ。幻想郷でコーヒー豆を生産しているとは思えないし、近いうちに一人で買いに行こう。いつもは私も紅茶だけど、たまにこっちが飲みたくなるのだ。
苦い真っ黒な液体を嚥下しながら追加の買い物を決意した私へと、腕時計をちらりとチェックしたリーゼ様が提案を投げてくる。
「ちょっと休んだらマグル界に買い物に行くが、キミも来るかい? もう少し家具を見ておきたいんだよ。」
「行きます。私も買いたい物があるので。」
「んじゃ、飲んだら準備しようか。確かエマも何かを買ってきて欲しいと言っていたはずだ。それもついでに片付けちゃおう。」
うーん、土壇場で思い出すのはみんな一緒か。そして最終的にも何か買い忘れちゃうんだろうなと予想しつつ、軽く頷いてコーヒーを一口飲む。紅魔館が転移した時も館に色々と置き忘れちゃったし、こういうのは引っ越しの『お約束』なのかもしれない。
移住直前が慌ただしくなることを予感しながら、アリス・マーガトロイドは背凭れに身を預けるのだった。
─────
「いよいよね、リーゼちゃん。そっちの準備は進んでる?」
おっと、今日は最初からのご登場か。呪符でやってきたばかりの博麗神社の境内で話しかけてきた紫へと、アンネリーゼ・バートリは返答を放っていた。少し遠くの社の前には紅白巫女も居るな。竹箒をせっせと動かして、毎度お馴染みの掃き掃除をしているらしい。
「順調だよ。今日は人形店を転移させる地点に『目印』を刺しに来たんだ。これがあるとアリスがやり易くなるらしいから、魔法の森に入らせてくれたまえ。」
呼び付ける手間が省けて助かったぞ。持ってきた小さな杭のような魔道具を示しながら言ってやれば、紫は肩を竦めて頷いてくる。
「それくらいなら構わないけど、ちょっと神社で一休みしていきなさいよ。……れいむー! リーゼちゃんが来たわよー!」
「だから何?」
「……ドライな子だわぁ。ああいう反応をされるとヘコむわよね。尻尾を振りながら駆け寄ってきてくれれば可愛いのに。」
「紅白巫女がそんなことをしたら不気味だろうが。……何か話があるのかい?」
冷たい一言だけを寄越して我関せずと掃除を再開した巫女を尻目に、いつもの縁側の方へと歩きながら問いかけてみると、紫は再度肩を竦めて適当な感じに答えてきた。
「重要な話は特にないわ。……ただ、平穏の終わり際にお喋りを楽しもうと思っただけよ。」
「物騒な台詞じゃないか。私としては、『平穏』が終わって欲しくはないんだけどね。これまで一切縁が無かったんだし、そろそろそうなってもらわないと困るんだよ。」
「イギリス魔法界には平穏が訪れるんじゃない? でも、幻想郷はそうじゃないの。……波立たず、傷付かず、変化しない土地は弱くなるわ。ようやく基礎が整った以上、幻想郷が次に必要とするのは『異変』よ。この土地を自立した強い子に育てるためには、時に風雨に晒すことも重要なわけね。」
「……キミが思い描く風雨とは?」
キナ臭いことを言うじゃないか。到着した縁側に腰掛けつつ尋ねてみれば、隣に座った紫はにっこり笑って応じてくる。私からすると邪悪な笑みに見えてしまうぞ。
「だから異変だってば。平たく言えば騒動ね。レミリアちゃんがその『前哨戦』をしてくれたから、少なくとも妖怪たちはウォーミングアップを終えているわ。となれば、次に来るべきは本番でしょう? スペルカードルールを使った初の大騒動で、安穏に慣れ始めた幻想郷を叩き起こしてやるのよ。」
「安穏でいいじゃないか。それの何が気に食わないんだい?」
「安穏に溺れたら腐っちゃうからよ。外界が常に前向きな変化を欲しているように、幻想郷には斜め後ろ向きな変化が必要なの。……やっと駒が揃い始めたんだから、私にもゲームをさせて頂戴。腕が鳴るわぁ。準備に時間をかけまくった分、大いに楽しませてもらわないとね。」
『斜め後ろ向きな変化』か。不条理極まる台詞だな。物凄く嫌な予感を覚えながら、ジト目で紫に指摘を返す。
「制御できる自信があるんだろうね? 私がイギリスで学んだ経験によれば、『騒動』を目的とした計画というのは往々にして上手くいかないものだぞ。大抵の場合、予想外に連鎖して手に余る事態を運んでくるものさ。」
「前哨戦の方はともかくとして、本番は制御なんてしないわよ。……私はね、リーゼちゃん。私ですら予測できない展開を求めているの。だってそうでしょう? 私が幻想郷に求めているのは、誰もが実現不可能だと思うような『幻想』の景色なのよ? それならこっちの計算を超えてもらわなくちゃ困るってもんだわ。……歴代最高の調停者を得て、魅力的で華やかなルールを作って、火種となり得る吸血鬼たちを誘致して、おまけとして妖怪屈指の煽動者も手に入った。やるなら今しかないわ。幻想郷を次に進められる好機がようやく訪れたのよ。」
ふんすと鼻を鳴らして『やるぞ!』というポーズをしている紫に、極限まで迷惑そうな声になるように意識しながら相槌を打つ。自分の箱庭で遊ぶのは構わないが、私が移住するタイミングで実行を決断しないでくれよ。
「キミ以外の誰もがそれを望んでいないだろうね。頼むからやめてくれ。迷惑だ。」
「嫌よ、絶対やるわ。幻想とは混沌から生まれるものよ。ごちゃごちゃしていて、分かり難くて、油断できないし、とっても迷惑。それが幻想郷なの。……完璧に管理された土地には隙間が発生しないでしょ? それじゃあダメ。『隙間に潜む者』たちのためには、ガッタガタでぐっちゃぐちゃな環境が必要なのよ。全てを許容し、故に真の意味で自由。そうでなくっちゃ意味がないわ。」
「キミね、そんなもんが成り立つわけがないだろう? 最低限の不自由があればこその自由なんだよ。ルールってのは絶対に必要なんだ。何もかもを許容していたら社会として成立しないぞ。」
「それでいいわ。私は『社会』なんて目指していないもの。もっと原始的で、ずっと楽しいものを目指しているのよ。」
無茶苦茶だな。……要するに、紫は香港自治区の『先』を目指しているわけだ。許容が故の混沌。外界とは全然違うし、正反対ですらない方向だぞ。だからこその『斜め後ろ』か。
紫の曖昧模糊とした発言を咀嚼しながら、真昼の晴天を見上げて主張を飛ばす。
「私は手伝わないぞ。そんな義理はないし、興味もないからね。」
「リーゼちゃんがどう思っていようが構わないわ。私はレミリアちゃんや貴女を正しい『開始位置』に設置できたって自信があるから。それなら当人の意思なんて関係ないの。他の駒が動けば、貴女たちも動かざるを得なくなる。リーゼちゃんは既にそういう位置に立っているのよ。」
「……本番は『制御しない』んじゃなかったのかい?」
「本番が始まった後はね。始まるまでの調整は私の領分よ。私ったら、ここ五百年くらいを使って頑張って配置を整えたのよ? 人里のルールを成立させて、妖怪たちにルールを押し付けて、その上で『ズル』できる程度の隙間は残した。かなり面倒くさい作業だったし、少しくらい褒めてくれてもいいと思うんだけど。」
私が褒めるのを期待しているような面持ちで見つめてくる紫のことを、半眼で睨み付けながら忠告を送った。
「重ねて言うが、私は知らないからな。真にキミが計算していない事態が起きた時、幻想郷がどうなるかは誰にも分からないことだぞ。私は最近とんでもない『理不尽』を経験したばかりなんだ。この土地はそういうことが頻繁に起こる場所なんだろう? だったら先んじて対処しておくべきだと思うがね。」
「あのね、リーゼちゃん。計算の外側にある美しさを教えてくれたのは他ならぬ貴女でしょうが。霊夢の育成方針を論じていた時に私に言った台詞を忘れたの? ……幻想郷は私の『子供』よ。我が子には立派に育って欲しいから、私のエゴでそうあれと育てるのはやめたの。支えはするし、見守りもするけど、この土地の未来を決めるのはこの土地自身ってわけ。どう? 立派な母親の台詞だと思わない?」
「『立派な母親』は我が子を意図的に風雨に晒したりはしないぞ。」
「……そこはまあ、愛の鞭よ。甘やかしてばっかりじゃダメでしょう? 挫折なくして成長はないわ。可愛い子には旅をさせよってね。成長した時に困らないように、若い頃から経験を積ませておかないと。」
目を逸らして言い訳を語り始めた紫へと、額を押さえてため息を吐いてから口を開く。つまり紫は、幻想郷を鍛えようとしているのか。騒動という名の槌で叩き、強い土地を作ろうというわけだ。
「まあ、何でもいいよ。キミの箱庭なんだから好きにすればいいじゃないか。」
「……それだけ?」
「それだけさ。今の私は長いゲームを終えた直後なんだ。いつもなら予防線を張ったり探りを入れたりしていたかもしれないが、今はそんな気が起きない。キミが何を企んでいるのであれ、私は暫く参加しないと思うよ。次のゲームに取り掛かろうって気分じゃないからね。」
少なくとも、この腕時計が止まるまでは休ませてもらうぞ。私は余韻に浸りたいのだ。節操なく別のゲームを始める気にはなれん。ちらりと左腕の時計を見ながら言ってやれば、紫は残念そうな苦笑いで首肯してきた。
「そうね、その意思は尊重するわ。何となくそうだろうって思ってたしね。私は価値があるものを無視するほど愚かではないもの。……とりあえずはイギリスとこっちを行き来しながらゆっくり過ごして、この土地に慣れていきなさい。私も無理に巻き込もうとはしないから。最初の騒動の主役はレミリアちゃんであってリーゼちゃんじゃないわ。貴女の方から首を突っ込まない限りは大丈夫なはずよ。」
「主役はレミィか。派手になりそうだね。」
「いつの日か『事の起こり』を思い返した時、パッと頭に浮かぶくらいの騒動になってもらわなくちゃね。そういうのはほら、レミリアちゃんの方が向いてるでしょ? 派手さを求める舞台なら、主役として相応しいのはあの子しか居ないわ。幻想郷中の目を引いて、『始まり』をド派手に飾ってもらわないと。」
「そういうことならレミィが適任だろうね。あいつは外界で世界中の目を引いてみせたんだ。だったらこの土地で衆目を集めるくらい楽勝さ。ステージのど真ん中に堂々と立って、怯まずに主役をやり切ってくれると思うよ。」
問題は『始まり』が終わった後、レミリアが素直に降壇するかだな。……まあ、そこは黙っておこう。従姉妹へのちょっとした援護ってところだ。紫は『前哨戦』が手の内に収まったから油断しているのかもしれないが、スカーレット家の今代当主どのは扱い難い主役だぞ。放っておくと出演予定のない別の舞台に突っ込んで、スポットライトを掻っ攫ってしまうのだから。
弱い時はとことん弱いが、強い時は手が付けられない。紫はレミリアの『強い時』を未だ観客としてしか知らないはず。レミリア・スカーレットの真の厄介さは、共演者として舞台に立たなければ分からないぞ。あいつは観客を惹きつける才能を持っているのだ。それを恐れるべきは劇を楽しむ観客ではなく、隣に立つ共演者の方だろう。いざ同じ舞台に立った時に後悔しないといいがな。
前に紫は主役たるレミリアが私を選んだと言っていたが、脇役たる私もまたレミリアを選んでいるのだ。自分が影を演じるにおいて、主体となるに相応しい存在として。……妖怪としての力量では圧倒的に紫が上だろうさ。しかし、主役を演じる力はまた別の話だぞ。下手すると食われるかもな。それもそれで面白そうな展開かもしれない。
うーむ、やってくれるかな? レミリアはむらっ気が強いし、そこばかりは私にも予想できんな。だが、上手く乗ってくれれば愉快なことになるぞと思考していると……おや、紅白巫女だ。三つの湯呑みが載ったプレートを持った巫女が奥の方から現れた。
「はい、お茶。」
「あらー、霊夢。口では冷たいこと言ってた癖に、お茶はきちんと出すのね。偉いし、可愛い。『偉可愛い』わぁ。」
「はい、紫の分は無くなったわ。」
三つある湯呑みの一つを私に渡して、二つをテーブルに持っていってしまった巫女へと、紫が大慌てで声をかける。何をしているんだよ。
「ちょっ、私にも頂戴よ。欲しいなー。ゆかりん、霊夢が淹れてくれたお茶が欲しいなー。」
「で、何の用なの? ここは妖怪の休憩所じゃないんだけど。」
「知らんよ。私は魔法の森に用事があるんだ。神社で休憩しようと言い出したのはこっちの迷惑妖怪の方さ。」
「あれ、無視? 無視だけはやめて欲しいんだけど。ゆかりん、そういうの一番嫌だから。構って頂戴。」
『ぶりっ子モード』に入った紫を完全に無視している巫女は、一度湯呑みに口を付けてから私に問いを投げてきた。
「魔法の森? ……あんな場所に何しに行くの?」
「もう少ししたらそこに移る予定なのさ。移住するってことは前に伝えてあるだろう?」
「それは知ってたけど、魔法の森に住むってのは予想外よ。……まあいいわ、引っ越しが済んだら様子を見に行ってあげる。あんたみたいな油断できない妖怪の住処は常に把握しておかないとね。」
「別に構わないよ。怪しげなことをするつもりは無いからね。良い機会だから、茶が好きなキミに『本物の紅茶』って物を出してあげよう。淹れ方が上手くないと味わえないやつをだ。」
本物はエマしか淹れられないのだ。私の言葉を受けて、紅白巫女はちょびっとだけ興味を惹かれている様子でこくこく頷いてくる。
「……じゃあ、飲みに行くわ。あんたに貰った紅茶、正しい淹れ方がいまいち分かんなくて困ってたのよ。」
「そもそもキミ、道具を持っているのかい? 緑茶には緑茶の道具があるんだろうし、コーヒーにはコーヒーの道具があるように、紅茶にだって専用の道具が必要なんだぞ。」
「持ってるわけないでしょ。一回外界の品が売ってる古道具屋で探してみたけど無かったのよ。……今度札と交換して頂戴。ついでに珈琲の道具も。珈琲の味は好きじゃないけど、興味はあるわ。」
「ん、いいよ。そんなに高い物じゃないしね。ティーポットとカップとティーストレーナーってとこかな。コーヒーの方はミルと、コーヒーポットと……あとは何だ? 普段飲まないからよく分からん。」
ドリッパーとフィルターも要るか。巫女と話しながら考えていると、やり取りを観察していた紫がニマニマ顔で茶々を入れてきた。実にイラつく表情だな。
「素晴らしいわぁ。霊夢とリーゼちゃんが順調に仲良くなってるみたいで何よりよ。霊夢がお友達の家に遊びに行くのなんて初めてじゃない?」
「『お友達』じゃないし、遊びに行くわけでもないんだけど。監視ついでに紅茶の淹れ方を学びに行くだけよ。」
「素直じゃないあたりが余計に可愛く見え……あれ、霊夢? 今貴女、私のこと退治しようとした? 札がこっちに飛んできたように見えたんだけど。気のせいよね? ね?」
「ちっ。」
おー、舌打ちだ。反抗期だな。物凄いスピードで紫に札を飛ばした巫女も見事だが、即座にスキマを開いて防御した腹黒賢者も大したもんだぞ。ひょっとすると日常的に行われている攻防なのかもしれない。そんな物騒な日常は想像したくないが。
「早くこいつを魔法の森に案内しなさいよ、妖怪風呂覗き。あんたが居ると神社の規律が乱れるわ。さっさと出て行って。じゃないと次は本気のを食らわすからね。」
「お風呂を覗いたのはずーっと前の一回だけじゃないの。しかもあれは、まだ小さかった貴女が溺れてないか心配になっただけで──」
「……今のが最後の警告よ。私がやると言ったら絶対やる巫女なのは知ってるでしょ?」
うーん、やっぱり物騒だな。いっそやってしまえと心中で巫女を応援している私のことを、二度目の札を防いだ紫が慌てて促してくる。
「ちょちょ、今行くから札を仕舞いなさいって。リーゼちゃん、行きましょ。キレる若者だわ。こういうのがチーマーとかになるのね。ゆかりん、怖い。」
「私は正当な怒りだと思うがね。……じゃ、失礼するよ。」
「次来る時は紅茶と珈琲の道具を忘れないようにね。」
「多分移住の方が早いから、キミが魔法の森に来た時に渡すよ。」
巫女に挨拶をしつつ縁側から腰を上げて、紫の背に続いて歩き出すが……スキマで移動するんじゃないのか? 普通に石階段の方に向かっているぞ。
「歩いて行くのは嫌だぞ。遠いじゃないか。」
参道まで戻ったところで意見を口にすると、紫は何故か満足そうな笑みを浮かべた状態で返事を返してきた。
「ちょっとだけ歩きましょうよ。たまにはいいでしょ? ……霊夢ったら、感情的になってたわね。『感情的』。昔のあの子なら有り得ないような態度だわ。」
「……それが嬉しいのかい? 『完璧な調停者』からは遠ざかっているわけだが。」
「前にも言った通り、私は完璧な調停者を求めていないの。……良い感じよ、リーゼちゃん。まだまだ目標までは遠いけど、進んでいる方向が間違っていないことは確認できたわ。今はそれで上出来。進路さえ誤らなければ大丈夫よ。」
「私は特段何もしていないんだがね。」
以前同じような問答をした記憶があるが、ここに関しては素直な感想だぞ。私が紅白巫女に大した影響を与えているとは思えないし、仮に巫女が変化しているならその原因は私じゃないんじゃないか? 小首を傾げて応じた私に、紫はクスクス微笑みながら曖昧な発言を寄越してくる。
「いいえ、貴女は私の期待に応えているわ。プロローグとしては満足のいく結果よ。……ああ、やっと始められるわね。私の幻想をようやく始められる。見てみなさい、リーゼちゃん。この美しい景色を。まだ無垢な幻想郷の景色を。……遂にここに色を塗れるわ。どんな色になるのかしら? 貴女はどの色を塗ってくれるの? レミリアちゃんは? 藍は? 相柳は? 霊夢は? そして私は?」
「……各々が好き勝手に塗れば、キミにとって気に入らない出来になるかもしれないよ?」
「それでも整った真っ白よりは遥かにマシよ。……本当に楽しみだわ。いつの日かまたここで見ましょうね。全てを許容した後の、色取り取りになった幻想郷の景色を。」
全てが終わった後、この土地はカラフルで華々しいそれになるのか、あるいは色を重ねすぎた暗色になってしまうのか。石階段の天辺から幻想郷の景色を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは二つの結末を予想するのだった。