Game of Vampire 作:のみみず@白月
「今日は妹様の好きなデザートも用意したんですよー?」
紅魔館の地下通路で、紅美鈴は必死に目の前のドアへと言葉を投げかけていた。
再び地下室に引き籠った妹様をなんとか外に出そうというわけだ。今日は食事をエサに釣りだそうとしているのだが……私じゃあるまいし、ちょっと無理があったかもしれない。
カートに山と積まれたご馳走を見ながら反省していると、ドアの向こう側から声がかけられる。
「いらない。私、お腹空いてないから。」
『私』か。あの事件の後、妹様はまるでそれまでの自分とは決別するかのように、突如として話し方を変えた。舌足らずな雰囲気はもはや無くなり、令嬢としては合格点な喋り方になっている。
とはいえ、お嬢様も従姉妹様もそれを喜んではいない。私だってそうだ。みんな、あの快活な妹様に戻って欲しいのだ。
「でも、食べないとダメですよ。ちょっとだけ……ちょっとだけでいいですから、食べてくれませんか?」
部屋から出ないどころか、妹様は殆ど食事を取らなくなった。そりゃあ吸血鬼なんだから、しばらく食べなくても死にはしないだろうが……それでも心配なもんは心配だ。
「……そこに置いておいて。」
「わかりました。置いておくから、食べてくださいね?」
梃子でも出てくる気はないらしい。仕方がない、せめて食べてもらえることを祈ろう。食事の詰まったカートを固定して、その場から去ろうとすると……去り際の背中に妹様から声がかかった。
「ねぇ、美鈴? コゼットの赤ちゃんは元気にしてる?」
「めちゃくちゃ元気ですよ! 今日はみんなで名前を考えてるんです。妹様もどうですか? いい案ないです?」
紅魔館の新顔となった銀髪の赤ちゃんは、毎日お嬢様と従姉妹様を翻弄しているのだ。あの歳で吸血鬼二人を手玉に取るとは、なんとも将来有望な子である。
妹様が出てきてくれるかもと期待を込めての質問だったのだが……。
「私は……まだ会えない。合わせる顔がないよ。」
ダメだったらしい。肩を落として返事を返す。
「……そうですか。それじゃ、私は上に戻りますね。」
「うん、良い名前を付けてあげてね。」
「まあ、努力はしてみます。」
再び身を翻して地下通路を歩き出す。問題なのはお嬢様のネーミングセンスだ。彼女がろくな名前を考え出すとは思えない。
一階に上がり、リビングへと向かって歩いていると、目的地の方向からお嬢様の大声が聞こえてきた。どうやら心配は現実のものとなったようだ。
「なんでよ! ぴったりな名前じゃないの!」
リビングのドアを開けてみると、ベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを庇うように立っているアリスちゃんと、それを指差しながら喚いているお嬢様が見えてきた。ソファには苦笑する従姉妹様と、興味なさそうに本を読むパチュリーさんが座っており、小悪魔さんは……赤ちゃんをあやしているらしい。
「そんなの男の子みたいじゃないですか! 絶対にダメです!」
「ぐぬぬぬ……それじゃあ、アリスはどんな名前ならいいのよ! 提案してみなさい!」
お嬢様とアリスちゃんの論戦を聞きながら、従姉妹様の側へと向かう。どうやらアリスちゃんは愛しい赤子のために一歩も引かず戦っているようだ。
アリスちゃんはこのところ精力的に赤ちゃんの世話をしている。一時は部屋に閉じこもっていたのだが、この小さな命を目にした瞬間に何か心境の変化があったらしい。一度だけ従姉妹様に縋り付いて大泣きした後、今ではまるでそれが自分の使命だとでも言うかのように、献身的に子育てに取り組んでいるのだ。
今でも時たま悲しそうな顔をしている時があるが、少なくとも表面的には回復しているように見える。下手に掘り返さずに、時間の流れを頼ったほうが良い。それが従姉妹様の決定だった。
何にせよ、そんなアリスちゃんはお嬢様の命名が気に入らなかったようだ。お嬢様の挑戦を受けた彼女は、懐から数十枚の羊皮紙を取り出し、それをビシリと突きつけた。羊皮紙には隙間がないくらいに名前の候補が書かれているが……いやぁ、多すぎないか?
「これです! 厳選した候補を書き出してみました!」
「えぇ……うん、厳選されてるわね。千個くらいはありそうだわ。」
お嬢様が勢いを無くしながらドン引きしている。私も引いたし、従姉妹様の顔も引きつっている。千個どころじゃないぞ、あれは。
部屋にパチュリーさんの本を捲る音と、小悪魔さんと『子育てちゃん六号』のいないいないばあという声だけが虚しく響く中、アリスちゃんがキョトンとした顔で口を開いた。
「……あれ? なんですか、この空気?」
首を傾げて面々を見回すアリスちゃんに、従姉妹様が立ち上がってフォローに向かう。
「あー……その、なんだ。ちょっと多すぎるかもしれないね。命名辞典が作れそうな量じゃないか。」
「でも、これでも厳選したんです! 後はここから候補を絞り込んで……。」
壮大な計画を話すアリスちゃんを、従姉妹様がやんわりと止めた。
「そんなことをしていたら、この子は一生を自分の名前選びで終えてしまうよ。この子がジェーン・ドゥとして生きるのは、キミだって望まないだろう?」
「むう……それじゃあ、リーゼ様は何かいい考えがあるんですか?」
ちょっとむくれた様子のアリスちゃんに促されて、従姉妹様が無難な名前を口にした。
「普通に、テッサ・コゼットじゃだめなのかい? イギリスじゃあそういう命名も珍しくないだろう?」
吸血鬼にしてはマトモな案だ。もしかしたら、スカーレット家のネーミングセンスだけが異常なのかもしれない。
「ダメよ、そんな安直な名前は! スカーレット家で育つなら、もっとカッコいい名前じゃないと許せないわ!」
「どういう意味ですか、レミリアさん! 二つとも良い名前じゃないですか!」
猛反対するお嬢様に、アリスちゃんが食ってかかった。どうやら命名戦争は未だ始まったばかりらしい。
仲裁している従姉妹様を眺めながらパチュリーさんの方へと近付いてみると……おや、読んでいるのは命名の本だ。別に興味がないわけではなかったのか。
「何か良い名前が載ってます?」
「命名の本はたくさんあるわ。先ずは全部読んでみてからよ。」
ダメだ、こっちも役には立たなさそうだ。ため息を吐きながらソファに座り込み、名無しになりかけている哀れな赤ちゃんが小悪魔さんの翼を引っ張っているのを眺めていると……お嬢様が矛先をこちらに向けてきた。
「ああもう! 美鈴! 貴女は思いつかないの? それぞれ考えておくって約束だったでしょ?」
ふふん、よくぞ聞いてくれた。実は私も頑張って考えていたのだ。思いついた会心の名前を全員に向かって言い放つ。
「十六夜咲夜。ふふん、どうです? 結構いいと思いませんか?」
言った途端に全員の顔が引きつった。あれ? もっとこう、『その名前があったか!』みたいな顔になると思ったのだが……。
しばらくリビングを沈黙が包んでいたが、立ち直った様子のお嬢様、アリスちゃん、従姉妹様の順で勢いよく文句を言ってきた。
「なんで東洋式なのよ! イギリス人でしょうが!」
「それに、なんで苗字まで考えてるんですか! しかも全然関係ない苗字を!」
「美鈴……レミリアに毒されたのかい? キミも中々のネーミングセンスじゃないか。」
あれぇ? いい名前だと思ったのだが……ひょっとして、変なのか? マズいぞ、このままでは私まで変な名前を付けるやつだと思われてしまう。自尊心を守るためにも反論せねばなるまい。
「だってほら、苗字はヴェイユ、スカーレット、バートリ、マーガトロイドでどうせ喧嘩になるでしょう? それならいっそ、全然違うやつにしちゃおうかと思いまして……。」
「あまりにも無関係すぎるでしょうが! それに苗字はスカーレットよ。これは決定事項だわ。」
ふんすと鼻を鳴らしながら言ったお嬢様に、再びアリスちゃんが食ってかかった。おっと、戦争再開だ。
「なんでですか! ヴェイユに決まってます! 百歩譲ってバートリです。スカーレットは有り得ません。」
「ちょっと人形娘! スカーレットの何が不満なのよ! カッコいいし、箔もつくでしょうが!」
怒鳴り合う二人を他所に、何かを考え込んでいたパチュリーさんがポツリと口を開いた。
「悪くないかもね。新月と満月を表しているのでしょう? あの子の矛盾を良く表しているわ。」
パチュリーさんは賛成してくれるらしい。まあ……出来ればもう少し早く言って欲しかったが。もはや誰も聞いていないのだから。
今度は小悪魔さんの髪を引っ張り始めた赤ちゃんを眺めながら、紅美鈴は自分のネーミングセンスについて、もう一度客観視することを誓うのだった。
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「つまり、決心してくれたのね?」
執務室のソファに座る胡散臭い大妖怪に、レミリア・スカーレットは肯定の頷きを放った。
リーゼとの何度かの話し合いを経て、幻想郷に移り住むことは決まった。アリスの楔は図らずも砕かれてしまったし、フランにとって人間が脆すぎたこともよく理解した。
そして、執務室を再び訪れた大妖怪にそのことを伝えたわけだが……移り住む前にやる事が残っている。
「でも、今すぐにとはいかないわ。やり残したことがあるのよ。」
トム・リドル。あの男をこのまま放っておくのは私のプライドが許さない。このレミリア・スカーレットを虚仮にしたことを後悔させてからでないと、イギリスを離れることは出来ないのだ。
「『ヴォルデモート卿』だったかしら? 随分と苦労なさっているようね?」
お見通しなわけか。八雲紫は扇で口元を隠しつつ、その瞳で弧を描いている。苛つく女だ。
「そうよ。この件に決着をつけてからの話になるわ。」
「それはもちろん構いませんけど……私がお手伝いしましょうか? 一瞬でケリが付きますよ?」
「不要だわ。これは私たちのゲームなの。もし余計な手出しをしようと言うのなら……。」
威圧感を放って言葉に代える。これは私たちの戦争なのだ。邪魔をしようというのなら容赦するつもりはない。八雲紫にもその意味は通じたらしく、戯けたように身を竦める。
「あら、ゆかりん怖いわ。まあ……心配しなくっても邪魔はしないわよ。見物はさせてもらうけどね。」
「ふん、勝手にしなさい。……それと、フランの境界も戻しておいて頂戴。あの子はもう自分の力を制御できるでしょう。」
望まぬ形だったが、フランは確かに成長した。悪戯に物を壊すこともなくなったし、人間に価値があることも知ることができただろう。その結果再び地下室に戻ることになろうとは……なんとも皮肉なことだ。
「それじゃあ……はい、これで元通りよ。」
チラリと地下室の方向を見ながら境界を弄ったらしい八雲紫は、苦笑しながら話を続けてきた。
「しかしまあ、見ていた私もちょっと……やきもきする結果になったわね。元気なフランちゃんはかわいかったのだけど。」
「時間が癒してくれるでしょう。……そう思わないとやってられないわ。」
「うーん……ヒントだけでも要らないかしら? 私はハッピーエンドが好きなのよ。その為ならちょっとくらいはいいんじゃない?」
「くどいわよ、八雲紫。機械仕掛けの神は不要だわ。大体、貴女だってそんなつまらない決着は嫌でしょうに。」
言い放つと、八雲紫は珍しく取り繕わない苦笑を浮かべた。困ったような感じの美しい微笑だ。そっちの方が好感が持てるだろうに、なんだっていつも胡散臭い表情を作ってるのやら。
「正しくその通りね。……それじゃあ、こっちは移住の準備を進めておくわ。」
裂け目がソファに開き、そこに八雲紫が落ちていく。なんとも派手な退場だ。ため息を吐こうとすると、裂け目から声が響いてきた。
「応援していますわ、かわいい吸血鬼さんたち。どうか素晴らしい結末の訪れんことを。」
「言われずともそうなるわ。」
短く返すと、今度こそ裂け目は閉じていった。そうしてみせる。私は二度の敗北を許すほど我慢強いほうではないのだ。
……認めよう。今回はこのレミリア・スカーレットの負けだ。リーゼでも、アリスでもないし、ダンブルドアでも魔法省でもない。『運命』という自分の得意とする舞台で負けた私こそが、今回の一番の敗因だろう。
故に二度目はない。私は運命を操る吸血鬼なのだ。この上再び負けるようなことは、私の矜持が許さない。
トム・リドル、ハリー・ポッター、アルバス・ダンブルドア。今度こそ操りきってみせよう。もはや駒に不足はない。あとは……チェックメイトまでの手筋を考えるだけだ。
いずれリドルは戻ってくるだろう。その時までに地盤を整える必要がある。今回の敗因の一つは、イギリス魔法省との対立だ。クラウチは息子の不始末で勝手に退場したことだし、操りやすい無能を大臣に据えるのもいいかもしれない。
より多くの腕が必要なのだ。私やリーゼ、パチュリーや美鈴は強力な駒だが、いかんせん数が少なすぎた。一人の吸血鬼よりは百人の魔法使いだ。次はもう少し雑兵にも気を配る必要がある。
ハリー・ポッターは……まあ、今のところは心配ないはずだ。私たちがリドルを殺せなかったように、残った死喰い人たちもハリーを殺せまい。リドルは彼を予言の子に選んだのだから。
最初は……そうだな、死喰い人どもの裁判に介入するか。減刑をエサに何人かこっちに転ばせることができるかもしれない。大半は戦争など終わったと思っているのだ。ペラペラ情報を喋ってくれることだろう。
音の消えた自身の執務室で、レミリア・スカーレットはゆっくりと最初の駒を動かし始めるのだった。