Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ぬぅ……。」
目の前の惨状を眺めながら、咲夜は己の無力を嘆いていた。キッチンテーブルに並ぶ料理は無残な姿になっている。
もう七歳になったというのに、未だに成功より失敗の方が多い始末だ。みんなは笑って許してくれるが、これでは優秀な使用人になどなれないだろう。
キッチンに焦げた匂いが充満する中、項垂れつつも口を開く。
「ごめんなさい、エマさん。」
教えてくれていたエマさんに謝ると、彼女は微笑みながら頭を撫でて慰めてくれた。
「仕方がないですよ。まだ咲夜ちゃんには難しい料理なんですから。」
「でも、食材を無駄にしちゃいました。……ごめんなさい。」
「あーもう! 食べれないわけじゃないんですから、そんなに落ち込んじゃダメです。ほら、クッキーは上手く出来たじゃないですか。」
確かにクッキーは珍しくコゲついてはいないが……隣のエマさんが作った物と比べると、ちょっと形が歪んでいる。ダメダメだ。
「変な形になっちゃったから……これも私が食べます。」
項垂れながら回収しようとすると、エマさんは慌てて私を止めながら綺麗な小袋を取り出し始めた。
「いやいや、皆さま絶対に喜びますから。私が保証します。持っていってみてください。」
「本当に……?」
「絶対です。リーゼお嬢様に誓ってもいいですよ。」
むむっ……それなら持っていってみようかな。エマさんと一緒に包みに小分けにしてから、なるべく綺麗にリボンで結ぶ。うん、とりあえず見た目は悪くなくなった。
「それじゃあ、行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。」
クッキーの袋をカバンに詰め込み、笑顔で見送ってくれたエマさんにバイバイをして、先ずは外へ出て正門へと向かって走り出す。美しい庭を眺めながら正門にたどり着くと、美鈴さんが門に寄りかかってお昼寝をしていた。
口から涎を垂らしている美鈴さんの正面に立って、腰に手を当てて大声を放つ。
「めーりんさん! 寝ちゃダメです!」
「んぅ? おっと、咲夜ちゃん。……寝てませんよ? これは相手を油断させるためにこうしてるんです。」
なんだって? つまり……かなり失礼なことを言ってしまったらしい。恥ずかしくって赤くなってしまった顔をぺこりと下げて、美鈴さんにごめんなさいをした。
「そ、そうだったんですか。すいません、失礼なことを言っちゃって。」
さすがは紅魔館の門番だけある。誰もいないときでもそんな芝居をしているだなんて、とっても大変なお仕事みたいだ。
私が謝ると、美鈴さんは優しい笑顔で許してくれた。
「うむうむ、構いませんよ。私はとっても心が広いですからね。」
「お詫びってわけじゃないですけど。これ……差し入れです! ちょっと不恰好だけど、味は問題ないと思うので。その、よかったら食べてください!」
カバンからクッキーの袋を差し出すと、美鈴さんは嬉しそうにそれをパクつき始めた。反応は……いい感じだ! 食べ終わると、ニコニコしながら感想を教えてくれる。
「ふむ、とっても美味しいですよ。ありがとうございます、咲夜ちゃん。」
「はい! よかったです!」
「これで気持ちよくねむ……じゃない、見張りが出来ますよ。」
喜んでもらえたみたいだ。私が内心でガッツポーズを決めていると、美鈴さんは再び門に寄りかかって目を瞑った。おお、敵を油断させる体勢に入ったらしい。
「それじゃあ、他の皆さんにも配ってきますね!」
「あいあい。きっとみんな喜びますよー。」
目を瞑ったまま手をヒラヒラさせる美鈴さんを尻目に、次は図書館へと走り出す。途中の廊下で妖精メイドたちとかけっこ勝負になってしまったが、なんとか勝利することができた。ちょっとだけ時間を止めたのは内緒にしとこう。
北館の大きなドアを頑張って開くと、そこには本で埋め尽くされた景色が広がっていた。本棚、本棚、本の山、そして本棚。信じられないほどの量だが、ここの主人は未だに満足していないらしい。私なら一生かかっても読み切れなさそうだ。
本棚の間を進んでいくと、パチュリーさまと小悪魔の姿が見えてきた……おお、アリスもいる!
みんなでお茶をしているらしいテーブルに走り寄っていくと、アリスが気付いて話しかけてきた。
「咲夜? 本を借りにきたの?」
「ううん、あのね、クッキーを作ったの! みんなに食べてもらおうと思って。」
私がカバンから三つの袋を取り出すと、アリスと小悪魔は笑顔で受け取ってくれた。パチュリーさまは……いつもの無表情だ。三人が包装を解きながら口に運ぶのをドキドキしながら見守る。
「うん、とっても美味しいわ。」
「そうですねぇ。咲夜ちゃんは小さいのに、凄いです。」
アリスと小悪魔は笑顔で喜んでくれたが……反応のないパチュリーさまを恐る恐る見てみると、彼女はちょっとだけ顔を赤くしながらも感想を言ってくれた。
「ん……まあ、悪くないんじゃないかしら?」
目を背けながら言う様子は、ちょっと微妙な感じだ。本当は美味しくなかったのかもしれない。
「あの……無理しないでくださいね? お口に合わないなら、残してもらってもいいですから。」
ちょっと悲しい気分で言うと、慌てた様子でアリスと小悪魔が声をかけてくる。
「もう! 大丈夫よ、咲夜。パチュリーは素直になれない病気なの。長年外に出てないもんだから、ちょっとおかしくなってるのよ。」
「そうです! パチュリーさまは照れてるだけです! 咲夜ちゃんのクッキーはとっても美味しかったんですから!」
二人の言葉に、パチュリーさまが更に顔を赤くしながら反論する。
「どういう意味よ! 美味しくないとは言ってないでしょ? 美味しかったわよ!」
「ありがとうございます!」
おお、良かった。ニッコリ笑ってお礼を言うと、私を見たパチュリーさまは本で顔を隠して縮こまってしまう。む、どうしたんだろう?
「あの、大丈夫ですか? 私、何か失礼なことをしたんでしょうか?」
不安になって聞いてみると、またしてもアリスと小悪魔が返事を返してくれた。
「気にしないでいいのよ。しかし……咲夜はパチュリーの天敵かもね。皮肉屋は純真さに弱いってことかしら?」
「そういえば昔はアリスちゃんに対してもこんな感じでしたねぇ。子供に弱いんですよ、パチュリーさまは……って危ない!」
小悪魔に持っていた本をぶん投げたパチュリーさまは、私の頭をぎこちなく撫でながら口を開く。
「と、とにかく、美味しかったわよ、咲夜。ありがとうね。」
「えへへ、じゃあ、お嬢様方にも渡してきます!」
よかった。成功だ! いい気分のまま元気よく走り出すと、後ろからアリスの注意が飛んできた。
「走っちゃダメよ、咲夜。また転んで擦りむくのは嫌でしょう?」
「うん、わかった!」
アリスに声を返してから、早歩きに変えて執務室へと急ぐ。途中にあった怖いおじさんの絵には、またしてもラクガキがされていた。誰だか知らないが、なんとも可哀想なもんだ。
二階に上がって執務室の部屋をノックすると、中から気の抜けたような返事が返ってくる。
「んー? めーりん?」
「咲夜です。入ってもよろしいでしょうか?」
「ぬぁっ……コホン、入りなさい、咲夜。」
いきなりキリっとした声に従って入ってみれば、レミリアお嬢様とリーゼお嬢様がソファで紅茶を飲んでいるところだった。慌てた様子で身嗜みを整えるレミリアお嬢様を、リーゼお嬢様が苦笑して見ている。何かあったのだろうか?
「やあ、咲夜。どうしたんだい?」
リーゼお嬢様が優しく聞いてくるのに、カバンからクッキーを取り出しながら答えを返す。
「あの、クッキーを作ったんです。よろしければ、その、食べていただきたくって。」
「おや、それは嬉しい提案だね。ちょうどお茶請けが無かったんだ。有り難くいただくとしよう。」
リーゼお嬢様の声に従ってテーブルの上に袋を置くと、レミリアお嬢様は美しい所作で包装を解いて口に運んでいく。リーゼお嬢様も豪快だがどこか優雅さを感じるような食べ方だ。ううむ、私ももっと動作を磨かなければならないな。
「うん、美味しいね。見事なものだよ、咲夜。」
「そっ、そんなレベルじゃないわよ。その辺のパティシエなんか目じゃないわ! 咲夜、貴女は天才よ!」
「レミィ、キミは……もうダメだね。ダメダメだよ。」
わなわな震えながら言うレミリアお嬢様に、リーゼお嬢様が呆れたようなツッコミを入れる。確かにちょっと褒めすぎだ。顔が赤くなってきた。
「何がダメなのよ! あり得ない美味しさじゃない! 恐ろしい子ね……咲夜。その歳でこれだけの物を作るだなんて……。」
「親バカってのはこういうのを言うんだろうね。キミは本当にチョロい女だよ、レミィ。」
「えっと……あの、ありがとうございます。」
驚愕の瞳で見つめてくるレミリアお嬢様に、お辞儀をしながらお礼を言った。リーゼお嬢様も満足してくれたようだし、嬉しい限りだが……うう、顔が熱くなっているのを感じる。
とにかく、次に行こう。お嬢様方に次なる目的地を告げるために口を開く。
「それじゃあ、次は地下室に行ってきます。」
「ああ、フランも喜ぶだろう。行っておいで、咲夜。」
「そうね。ああ……ついでにこの写真を渡してきて頂戴。」
レミリアお嬢様に渡された写真には……男の子? グリーンの瞳が印象的な男の子が、猫に囲まれながら居心地悪そうにしているのが写っている。ひょろっちくて弱そうだ。
「えっと、分かりました。何かお伝えすることはありますか?」
「見せれば分かるわ。ただ渡してくれればいいの。」
ふむ? まあ、渡せと言われたなら渡せばいい。それが使用人というものだ。余計な質問は抜きにしなければ。
「はい、それでは失礼します。」
お嬢様方に一礼して、所作に気をつけながら部屋を出る。そのまま階段を下りて、更に下の地下室へと向かってひたすら歩く。
地下室に住んでいる妹様は、この館で一番不思議なお方だ。神秘的、と言ってもいいかもしれない。
みんなも妹様のことが好きみたいだし、妹様だってみんなのことが好きなのに……何故か滅多に地下室から出てこないのだ。一年に一度、私のお誕生日パーティーの時だけリビングに上がってくる。
かといって、入ってくる者を拒絶したりはしない。お嬢様方はたまに地下室でお茶会を開いているし、アリスと人形を縫っている時もあるのだ。うーむ、謎多きお方だ。
薄暗い地下通路を進んで行くと、見慣れた鉄製のドアが鎮座していた。昔はこの通路が怖かったものだが、今ではもう慣れたのだ。もうおばけなんか怖くないぞ。
ドアをノックしてみると、鈴の転がるような声が誰何してきた。
「だぁれ?」
「妹様、咲夜です。入ってもよろしいでしょうか?」
「うん、入っておいで。」
入室の許可を聞いて、全体重でドアを押し開ける。見た目通りの頑丈さだし、それに見合うだけの重さがあるのだ。苦労しているのを見兼ねたのか、苦笑しながら妹様が手伝ってくれた。
「やっぱり咲夜には重いよね。作り変えようかな?」
「す、すみません、妹様。お手数をおかけして。」
「ふふ、いいんだよ、咲夜。今日は遊びに来てくれたの?」
私の銀髪を愛おしそうに撫でる妹様に、カバンから取り出したクッキーの袋を渡す。妹様は私の髪がお気に入りなのだ。ここに来るとよく弄られてしまう。
「クッキーを作ったんです。よろしければどうでしょうか?」
「クッキーを? うん、嬉しいよ。それじゃあ一緒に食べようか。」
私の手を引いてベッドへと座らせた妹様は、机を取りに行こうとして……思い直したように傍の杖を手に取った。
「アクシオ、机よ。」
机はゆっくりと浮き上がって、ベッドの前に音も立てずに着地した。見事な呼び寄せ呪文だと思ったが、妹様は何故か苦笑している。私の疑問顔に気付いたのだろう。彼女は何かを懐かしむように口を開いた。
「昔はね、苦手だったんだ。今更上達しちゃったんだよ。」
「でも、凄いです! 私も……私も、早く使ってみたいんですけど……。」
「十一歳になれば杖を渡してあげるよ。それまでは我慢してね。……ダメかな?」
ルビーのような瞳で私を覗きこみながら、優しく言葉をかけてくる。そんな風に言われたら、嫌だなんて言えるわけがない。
「はい、我慢します。」
「うん、いい子だねぇ、咲夜は。」
妹様が私をぎゅーっと抱きしめてくれる。昔から何かあると、彼女はこうやって私を抱きしめてくれるのだ。ちょっと恥ずかしいけど、すっごく安心する。
だから失敗しちゃったり、アリスに怒られちゃった時なんかはいつも地下室に来ているのだ。しかし……なんでこんなにいい匂いがするのだろうか? ちょっぴり羨ましいな。
その後、二人でお喋りしながらクッキーを食べていたのだが……忘れてた。慌てて写真を取り出して、妹様へと渡す。彼女はキョトンとそれを見ていたが、やがて目を細めて微笑み出した。
「大っきくなったなぁ。ジェームズそっくりの顔に、リリーの瞳。本当に……大きくなっちゃって。」
「あの……その子、誰なんですか? 見たことない場所みたいですけど……。」
「ふふ、『生き残った男の子』だよ。」
「えっと……?」
よく分からなくて首を傾げていると、妹様が再び私を抱きしめてきた。そのまま耳元で柔らかな声で囁き始める。うあぁ、耳に息が当たってくすぐったい。
「大丈夫、すぐに分かるよ。だから、今は気にしなくていいの。」
そのままベッドに押し倒されてしまった。チラリと妹様の横顔を見れば……気持ち良さそうに微睡んでいるみたいだ。私はどうやら抱き枕にされる運命らしい。
妹様は急にこうやって寝てしまうことがある。こうなると脱出は困難なのだ。諦めて私も寝てしまった方がいいだろう。
「だから、安心して……コゼッ──」
微睡んでいる妹様の微かな寝言を聞きながら、咲夜はそっと目を瞑った。妹様の纏う甘い匂いに包まれながら、自分も夢の世界へと落ちていくのを感じるのだった。