Game of Vampire 作:のみみず@白月
「ふぅん? 透明マントねぇ。」
談話室の真っ赤なソファに座りながら、アンネリーゼ・バートリは銀色の布を眺めていた。この薄さじゃ、少なくとも防寒具としては使えなさそうだな。
クリスマス休暇から戻ってきた私とハーマイオニーを待っていたのは、ハリーがマントを使って夜の冒険を繰り返していたという知らせだったのだ。ダンブルドアめ、何も今返すことはないだろうに。
とはいえ、私にとってはその部分は重要ではない。重要だったのは、ハリーが『神秘的』な吸血鬼と遭遇したという点である。
私の見知らぬ吸血鬼でないとすれば、間違いなくフランだろう。残念ながらレミリアは『神秘的』とは言えまい。ポンコツな吸血鬼となれば彼女だろうが。
「信じられないわ! ハリー? 夜出歩くのは校則違反なの。校則違反! 何度言ったら覚えてくれるの?」
ぷんすか怒るハーマイオニーに、ハリーは苦笑いで謝罪の言葉を口にした。
「ごめんよ、ハーマイオニー。でも……意味はあったんだ。パパとママのことを知れた。下らないと思うかもしれないけど、僕にとってはとても重要なことなんだよ。」
「そりゃあ……下らないだなんて思わないわよ。」
ちょっとだけ寂しそうに言うハリーに、さすがのハーマイオニーも怒れなくなってしまったらしい。モゴモゴ言いながら引き下がった彼女を横目に、ハリーが私に話しかけてくる。
「ねえ、リーゼ? 金髪で、宝石みたいな翼の吸血鬼を知らないかな? 見た目は小さかったけど……多分、ずっと歳上なんだと思う。何というか、雰囲気が大人っぽかったんだ。」
おいおい、私はどうなる? 大人っぽくはないということか? 内心で自らの雰囲気とやらに危機感を感じながら、慎重に言葉を選んで返事を返す。
「スカーレット家の次女だね。彼女はあまり表には出ない吸血鬼だから、知る者はそう多くないはずだよ。」
問題はフランのことをどこまで話していいのかだ。あの子が自分の正体を教えなかったのは、ただの悪戯か、はたまた壮大な計画か。今のあの子の内心を推し量るのは非常に難しい。そして、もし計画があったなら邪魔をすれば怒られてしまう。今のあの子を怒らせるのは……よろしくない。よろしくないぞ、リーゼ。
「スカーレット家の? パパとママはそんな人と知り合いだったんだ……。名前は? なんていう人……っていうか、吸血鬼なの?」
「フランドールだ。フランドール・スカーレット。」
名前くらいは問題ないはず……だよな? 何にせよもう遅い。放った言葉は戻ってこないのだ。今や紅魔館で一番怒らせてはいけない存在になったフランを思って戦々恐々としている私を尻目に、ハリーはなおも質問を放ってくる。もうやめてくれよ。
「それじゃあ、連絡は取れたりする? 僕、きちんとしたお礼の手紙を書きたいんだけど……。」
「あー……残念ながら、難しいね。なんと言うか、俗世とはあまり関わらない吸血鬼なんだ。神秘的な雰囲気はそのせいだろう。」
地下室に引き篭もって、レミリアから買ってもらったピコピコで遊んでいる吸血鬼を神秘的と言えるかは怪しいが、ハリーにとっては納得の一言だったようだ。残念そうにしながらも頷いている。
「そっか……仕方ないね。」
気落ちするハリーを慰めるように、ロンが話題を変えてきた。
「しかし、吸血鬼ってのは見た目じゃ判断つかないよな。リーゼは十一歳で、スカーレットさんは少なくとも百を超えてるんだろ? どっちも同じくらいの歳に見えちゃうよ。」
そりゃあほぼ同い歳だからな。私の内心の呆れを他所に、ハーマイオニーがピンと指を立てながら言葉を放つ。
「人間の価値観で考えちゃダメよ、ロン。とっても長命な種族なんだから、私たちとは全然違うのは当然でしょう? 物語のエルフみたいな存在なのよ、きっと。」
「エルフ? ハウスエルフのことかい? あれとは全然違うと思うけど……。」
「そうじゃなくって、マグルのファンタジーの……もういいわ。とにかく人間基準で考えてたら痛い目を見るってこと。」
マグル文化と魔法文化の擦り合わせを諦めたハーマイオニーは、ぼんやりとした結論を言い放った。偉大なトールキンの名前も魔法界には届いていなかったようだ。
私がマグルの本を魔法界に持ち込んだら一稼ぎできるんじゃないかと考えていると、透明マントを折り畳んでいたハリーが思い出したように口を開いた。
「そういえば、クリスマスプレゼントありがとうね、リーゼ。僕、友達に贈るだなんて考えてなくって。お返しできなくてごめん。」
「ん? いやいや、気にしないでおくれよ。我が家は色々と社交に煩くてね。まあ、癖みたいなもんさ。」
ハリーの言葉を聞いて、ロンとハーマイオニーも慌てて同じような言葉を放ってくる。この三人にはそれぞれクリスマスプレゼントを贈っておいたのだ。金よりも社交。それがバートリの教えなのだから。金で友情ポイントが稼げるなら安いもんだ。
「ああ、そうだった。ありがとう、リーゼ。クィディッチ観戦の双眼鏡が欲しいって言ってたのを覚えててくれたんだな。これで今度からスネイプを見張れるぜ。」
「そうだわ! 私、一応お返しを持ってきたの。ここに……これよ!」
笑顔で喜んでくれたロンに対して、ハーマイオニーはバッグの中から……歯磨きセットか? 意外な物を差し出してきた。
「パパとママにはこの前会ったでしょう? 夫婦で歯医者をやってるのよ。それで……吸血鬼なら歯が大事なのかなぁ、と思って。パパに聞いて一番いいやつを詰め込んでもらったの。これ、フッ素濃度が高いのよ。」
「ふっそ? ……まあ、ありがたく使わせてもらうよ。見たことない物ばっかりだね。」
ふっそとやらが濃いらしい謎の歯磨きジェルを見ていると、ハーマイオニーが品物を指差しながら次々に説明を放ってきた。
「これが電動歯ブラシで、これが歯間ブラシよ。それでこっちが……あら、マウスウォッシュも入ってるのね。パパったら、私にプレゼントを贈る友達ができたからって、張り切って詰め込んじゃったみたい。」
「でんどう歯ブラシ? ビリビリしないだろうね?」
機械っぽい見た目の歯ブラシを慎重に箱から取り出す私を見て、ハーマイオニーはクスクス笑い始めた。失敬な。初めて見たんだから仕方がないだろう。
「マグルの世界でもまだあんまり広まってないんだけど、とっても便利なのよ? ちょっと待ってね、ここに電池を入れて……。」
でんどう歯ブラシのセッティングをするハーマイオニーを、いつの間にやらハリーとロンも興味深そうに見ている。ハリーはその存在を知った上で興味深いという感じだが、ロンはかなり胡乱な目つきだ。
「パパが言ってたぜ。マグルは歯を削ったり無理矢理抜いたりするんだって。気をつけろよ、リーゼ。そういう道具かもしれないぞ。」
「失礼ね! これはそうしないための道具よ!」
歯を無理矢理抜く? それは……拷問の手順じゃないか。私は父上にそう教わったぞ。ちょっと不安になって事情を知るであろうハリーに目線を送ってみると、彼は苦笑しながら説明してくれた。
「大丈夫だよ。ハーマイオニーの言う通り、歯を守るための道具なんだ。電動歯ブラシだなんて、バーノンだって持ってないぞ。きっと羨ましがるよ。」
何だかわからんが、マグルにとっては羨ましがるほどの品物らしい。それならまあ、文句はない。高貴な私に相応しいはずだ。
帰ったらレミリアに自慢してやろうと思いながら、ブィーンと鳴き始めたでんどう歯ブラシとやらを恐る恐る試すのだった。おお、ブルブルするぞ。
───
そして一ヶ月経ち、二ヶ月経ってもクィレルは動きを見せなかった。いつものようにオドオドしているだけだし、スネイプの揺さぶりも梨の礫だ。
反面、ハリーたちの探偵ごっこは進展を見せた。ハグリッドの大ヒントを執拗に調べ回っていた彼らは、遂に小包の中身が賢者の石だと当たりをつけたのである。お見事、大正解。
まあ、だからといって何が変わるわけでもない。私が必死に誤魔化していたのを嘲笑うかのように、ハリーたちの探偵ごっこはそこで行き止まりを迎えたのだ。
むしろ今ではスネイプの『殺人未遂』の方が彼らにとっては大きな問題となっているようで、冤罪を被せられた陰気男を警戒するのでそれどころではないといったご様子なのである。いやはや、スネイプ様様だな。
そんなこんなで私の退屈な学生生活は後半戦へと突入し、今は変身術の授業の真っ最中なわけだ。
「この呪文さえ使いこなすことが出来れば、少なくとも自分で変身させたものを自分で戻せなくなるということはなくなります。そして私は、そんな間抜けに変身術を教えるつもりはありませんからね。」
眠い。春の近付いてきたホグワーツでは、教室の気温は午睡に適した温度へと変わっている。マクゴナガルの念仏みたいな説明も相まって、気持ちのいい微睡みに落ちて──
「アンネリーゼ、寝ちゃダメよ。」
む。隣に座るハーマイオニーが肘で突いてきた。マクゴナガルの念仏を書き取りながら教科書を捲り、おまけに私の睡眠妨害か。キミのマルチタスクには感服するよ、ハーマイオニー。
私がハーマイオニーをジト目で見ている間にも、マクゴナガルが脅し混じりの説明を終える。
「いいですか? 杖の振り方はこうですよ……レパリファージ。これを習得出来ない者はこの先へは決して進ませませんからね! では練習開始!」
マクゴナガルの号令と共に、生徒たちがいつもよりちょびっとだけ真剣な表情で杖を振り始めた。可愛らしいヒヨコたちには充分すぎるほどの脅しだったようだ。
ご苦労様だとボンヤリ眺めていると、ハーマイオニーが私のことを急かしてくる。ゆさゆさしないでくれよ、翼が背凭れに擦れてるぞ。
「ほら、やりましょうよ。この先に進めないだなんて、考えただけでも恐ろしいわ!」
「はいはい、わかったよ。」
勉強が出来ない恐怖に震えるハーマイオニーと一緒に、はるか昔にパチュリーから習得済みの呪文を唱えれば……そりゃ成功だ。鉄製の大きなマグカップはショットグラスへと姿を変えた。
隣のハーマイオニーは……お見事。彼女のピンクッションはハリネズミへと戻っている。哀れな実験動物が逃げようとするのを捕まえながら、ハーマイオニーは満面の笑みでハイタッチを要求してきた。魔法界じゃ動物愛護は流行らんな。
「やったわね、アンネリーゼ!」
「ああ、やったねハーマイオニー。」
もう何も言うまい。この数ヶ月で学んだ諦めの笑みを浮かべながらハイタッチしたところで、生徒の間を練り歩いていたマクゴナガルが声をかけてくる。
「お見事です、グレンジャー。グリフィンドールに三点をあげましょう。」
ニッコリ微笑んだマクゴナガルに加点されて、ハーマイオニーはいつもの満足気な表情を……あー、浮かべていないな。どうしたんだ? マクゴナガルも心配そうに見つめているぞ。
ハーマイオニーが教師に褒められて喜ばないだなんて、ダンブルドアが磔の呪文を楽しむくらいに有り得ない光景だ。マクゴナガルが同じことを考えたかは定かではないが、彼女は『それ、クルーシオじゃ』と言っているダンブルドアを見るような表情でハーマイオニーへと話しかけた。
「どうかしましたか? グレンジャー。」
しばらく何かを迷っている感じのハーマイオニーだったが、やがて意を決したように口を開く。
「あの、マクゴナガル先生! アンネリーゼも成功しています。どうして毎回、彼女だけに加点してくれないんですか?」
おおっと、それは……嫌な展開になってきたぞ。マクゴナガルも物凄く気まずそうな顔になっている。まさか『五百歳だからです』と言うわけにはいかないだろう。
そして残念なことに、もはや適当に言い訳できる感じの状況ではない。なにせ教室中が注目しているのだ。『あの』ハーマイオニーがマクゴナガルに文句を言った。それはグリフィンドールや一緒に授業を受けているハッフルパフの生徒たちにとっては、充分すぎるほどに注目すべき事態らしい。
注目を一身に受けているハーマイオニーはそれに気付くことなく、『言っちゃった』みたいな感じの表情に変わっているが……一度喉を鳴らした後、再びマクゴナガルに言い募ってきた。
「ア、アンネリーゼも頑張ってます! もしも彼女だけ加点が無いなら……私も点数は受け取れません!」
震える声色だったが、ハーマイオニーは最後まで言い切った。おいおい、随分と格好のいいところを見せてくれるじゃないか、ハーマイオニー。
思わず浮かんできた微笑みのままハーマイオニーを見ていると、マクゴナガルも同じ表情に変わって口を開く。
「……その通りですね、グレンジャー。バートリにも三点。そして……貴方の友人を想う勇気に五点を差し上げましょう。今の言葉にはそれだけの価値があります。」
言い終わると、グリフィンドールとハッフルパフ生たちから拍手が沸き起こった。真っ赤な顔で座り込んでしまったハーマイオニーに、そっと耳元で声をかける。
「ありがとう、ハーマイオニー。キミがレイブンクローではなくグリフィンドールに入った意味が、今はっきりと分かったよ。」
「うぅ……い、いいのよ、アンネリーゼ。友達でしょう?」
もちろんマクゴナガルも私も同意の上でのことだったわけだが、知らぬハーマイオニーは本気で抗議してくれたわけだ。
正直言って、ハーマイオニーがこんなことをするとは夢にも思わなかった。教師に、それもマクゴナガルに食ってかかるとは……この子にとってはさぞ勇気の要る行為だったろうに。
「リーゼだ。」
「へ?」
「リーゼでいいよ。なんだか機を逃してそのままだったわけだが、長ったらしい名前は呼び難いだろう? 今後はリーゼと呼びたまえ。」
「そ、そうね。それじゃあ……リーゼで。」
真っ赤な顔をパタパタと扇いでいるハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは久方振りの偽らぬ笑みを浮かべるのだった。