竜画狂斎伝物語 作:朱鷺羽 緒形
音のない時間は好きだ。
ドンドルマの街中にある古龍観測所という建物の屋上、そこでは夜に星を見ることができる場所として職員の間でも密かに人気の場所だったりする。
少女、ハル・リットナーは星を見るためでなく、ただただ黄昏るために屋上の隅っこに座っていた。 古龍観測所の職員制服を身に纏っており、普段の作業用の装いではない。
あまり汚すこともできない代物なので画業はお勧めできない。
夕間暮れの空を眺めながら、ただただボーッと空を見つめている。
「ハル、ここにいたのか」
「ここにいたっすよ」
ハルに話しかけた竜人族、リーの頭は夕間暮れの沈む陽の光を集め全反射させている。 沈もうとしている太陽があるというのに新たな太陽が現れてしまった、これにはかのテオ・テスカトルもびっくりである。
「何かご用っすか? リーさんがわざわざこんなところにやってくるなんて珍しいっす」
「いやぁ、実は少し厄介な調査依頼が入ってしまってね。 ハンター経験のあるハルならって名前が上がったんだ。 あと、この頭のことはもう諦めたけどゴーグル付けられるとさすがに俺でも傷つくよ?」
「竜画家は目が命っす、万一のことがあったらあたしの稼ぎと趣味がなくなって路頭に迷っちゃうっす。 リーさんが責任取ってあたしを養ってくれるってなら話は別ですけどね」
「ははは、それは遠慮したいね。 俺にも家庭がある」
他愛の無い会話をしながらハルとリーは階段を下っていく。 大長老が可愛がってるハルは古龍観測所の面々にも可愛がられている。
仕事をする仲間でもあるが、どちらかというと娘、妹、マスコットの様な扱いを受ける事の方が多い。
リーも古龍観測所に勤めて長い。 ハルの事を幼い頃から知っている人物の一人である。
特にこの二人が並ぶと身長差による親子のような雰囲気となる。
「そういえば、アルバトリオンの画いい感じにできてたよ。 躍動感はまさに自然のものだと感じられたし、資料用のスケッチも細部まで描き上げられていて今後とも役に立ちそうだよ」
「それはよかったっす、苦労した甲斐があったってもんですよ」
実際に苦労した。
ハルが元ハンターでなければ死んでたのではないかという場面に何度も遭遇したし、相手は伝説級の古龍。
少しの油断が命取りになってしまう。
「ということは、リーさんまた資料の編纂してるんっすか?」
「そうだね、残業が続いてるよ」
「ど、どんまいっす!」
アルバトリオンは文献こそ多いが、信憑性のある資料というものが少ない。
ほとんどが二次資料と呼ばれるものであり、当時の研究者達の編纂した一次資料の類は文字そのものが読めないか戦争により焼けてしまったものがほとんどである。
大長老ならば何か知ることもあるかもしれないが、近頃ボケが始まってる可能性があるため期待できない。
「それでリーさん、あたしへの仕事ってなんなんっすか?」
「そうだった、その件をすっかり忘れていた。 俺も歳だなぁ」
タッハッハッハ、とリーは愉快に笑い声を上げる。 ハルはこの笑い声が好きだった。
ギルドの酒場で聞く汚い笑い声ではなく、リーの透き通るような純粋無垢な笑い声が。
一通り笑い、リーがハルの頭を撫でながら本題も本題、詳細をすっ飛ばして口にする。
「─ヤマツカミが発見された」
ハルはリーの腹にボディブローを叩き込んだ。 いわゆる溝内である。
「な、なんで.....?」
「すみません、嬉しさのあまりつい」
てへ、と可愛らしく舌を出すもあまり可愛くないとリーは後に語る。
「浮岳龍、っすか」
「そう! 太古の密林から古塔のルートを通ると予測されている。 それで我々の出番ってわけ」
「なるほどなるほど」
浮岳龍ヤマツカミ。
とてもではないが、龍と呼ぶには異形の形をしている古龍種だ。 まさに空を飛ぶ森ともいうべきか、従来の古龍の常識を覆すような体躯をしている。
その大きさも規格外で老山龍や峯山龍とも引けを取らない巨大さを誇っている。
到着した会議室には既に何人かの人物が集まっていた。 いずれもハルの顔見知りである。
「お、来たかハル」
「お待たせしました、っと言ってもあたしさっき初めて聞いたんすけど?」
「まぁ、突然な招集だったからな。 まだいてくれて助かったよ、とりあえず座れよ」
「お言葉に甘えるっす」
隈を作った長身の竜人がニッコリと笑みを浮かべる。 ハルは促されるまま席の前にまで素早く移動する。
後ろに立っていたリーも部屋の扉を閉めて席に座る。
ハルの隣に座るショートヘアの少女が嬉しそうにハルのことを見つめる。 彼女も竜人である。
「ハルちーん! 会いたかったよ、結婚して!」
「一時間ぶりっすね、ミョル。 お友達で」
ハルとミョルの逢瀬に向かいに座る口元を器用に隠している大柄の男、ガレットが止めに入る。
「二人とも、そこまでだ。 全員揃ったし会議を始めたい」
「うっせー惚気野郎! 前狩りに行く竜車の中でテメーの嫁話散々聞かされたこと忘れてねーからな!!」
「.....それを言われると痛いが、それはそれ、これはこれだ」
「チッ」
ガレットに飛びかかりそうだったミョルは周りの雰囲気に呑まれて渋々納得する。 ハルが宥めたのもあって効果は上がったようだ。
「─挨拶は済みましたかな? では、此度発見された浮岳龍の進行ルートの確認、狩猟調査の作戦会議を始めさせてもらいますぞ」
※
「で、あたしらは気球担当っすか。 いつも通りっすね」
「仕方ないよ、さすがに危険な現場に足を踏み入れるわけにはいかない。 ハルだって、いや、なんでもない」
「ザックくーん? 思ったことはハッキリ言ってくれるとハルちゃんとっても嬉しいっすー」
「ハハハハ、痛い痛い! お腹抓らないで!!」
─浮岳龍の狩猟決行日。
ハルとザックは気球に乗って古塔の近くを見渡している。 ザックは操縦と見回りを行ってるので負担がかなり多いが、本人は笑ってやってのけてる。
ガレットを筆頭にしたG級ハンター四名のチームでヤマツカミを討伐、または撃退するのが今回のハンター側の勝利条件。
そして、竜画家であるハル・リットナーの勝利条件はガレット達がヤマツカミを足止めしてる間にその姿をスケッチすること。 生きたヤマツカミのスケッチなど、一生に一度できるかできないかの千偶一財のチャンス。
そして、今回はハルの私情も混じってる。
「─浮岳龍の体液?」
「そうっす! 伝説のあれっす! あれは是非とも手に入れておきたいところなんすよ!!」
ハルが興奮し、ザックが疑問符を浮かべるのも無理もない。
何せ、竜画家の間でしか広まっていない話なのだから。
本来、浮岳龍の体液は植物の成長を助けたり、武具に塗りこむことによって強度を何倍にも上げる作用が一般的である。 そもそも入手難度が高いため、伝説であることに間違いではないのだが、竜画家に売ることによってその価値はさらに跳ね上がる。
顔料と混ぜることで絵の具として滑らかな品になり、完成した画の上に塗り込むことで百年は絵の具が剥げ落ちることがないという。
古龍の成分には謎が多い、何故このような作用がもたらされるかは未だに謎のままである。 太古の竜人族の紙資料が綺麗に保たれてるのは浮岳龍の体液による加工が施されているためである。
「─他にもヤマツカミの身体に生える神龍木で作ったキャンバスは顔料を上手いこと染み込み染み込まないレベルで調整されるから色が褪せることもなく、長持ちしたりするって噂っす!」
「.....おかしいな、本来なら武具として使われてる素材が画家の画材に変わるなんて聞いたことない」
「他にもあるっすよ!」
「まだあんの!?」
ハルの興奮は止まらない。
それは爆砕竜に恋した少女の如く燃えており、その少女を口説くために己の武勇伝を豪話する狩人のように饒舌だと後にザックは語る。
そんなハルの話を半分ほど聞き流しながらザックは操縦に専念する。 といっても風はそこまで強く吹いていない。 周りに山脈もあるわけでもない森林に近い場所のためそこまで警戒する必要もない。
この高度ではガブラスも飛んでこない高さである。
─チカッ、チカッ、チカッ。
別気球から光の点滅による信号が飛んできた。 三泊おきの点滅、警戒せよ。
─チカチカ。
ザックはそれに対して二泊、了承の合図だ。
「ザック君?」
「どうやら警戒域に突入したみたいだ。 ここはもうヤマツカミの進路みたいだね」
古塔に向けて事前に誘導したヤマツカミの進路、どうやら別働隊が発見したようだ。
双眼鏡を持ったハルが辺りを見渡す。 進路より西の方向に目を向けた時、件の古龍の影が映った。
「─ザック君! 九時の方向、浮岳龍と思われる巨影がこっちに向かってきてるっす!」
「まっすぐ?」
「まっすぐっす!」
「ちょっと上昇!」
ハルが気球隊に選ばれた理由、元ガンナーの確かな目である。
それに加えて竜画家としての観察眼、ある程度距離はあってもハルには動きを予測することはできる。
ザックが気球を上昇させる。 雲海の中へ気球を突入させる手前で上昇を止める。 あまり上昇させすぎては浮岳龍の姿を捉えられなくなる。
それでは、ハルが乗っている本来の役割を果たすことができない。
「ハル、どう!?」
「ピンポイントっす!」
─ゴウッ!と風が吹く。
雲は吹き飛び、空は大きな大陸に埋め尽くされたような錯覚に陥る。
全身を捉えきれないほどの巨体が気球の真下を通る。 とても速いとは言えない速度だが、その巨体ゆえに空気が震えるのがわかる。
─まるで小さな山のある森林、ザックが真下を見た素直な感想である。
「─これが、浮岳龍!」
雲を飲み込みながらヤマツカミは古塔に向けて進路を変えることなく動き続ける。 気球が動いているのか、ヤマツカミが動いているのかがわからない。
風の抵抗を受けながら気球はその場に留まろうと踏ん張る。 否、ザックの巧みな手繰りでその場に留めようとしているのだ。
ヤマツカミが進めば風を生む。
空飛ぶ島は頭上の気球を気にとめることなく進む。 少し離れたところでようやく全貌を確認することができた。
とても龍とは言えない異形の形をした古龍が古塔へと向かう。
この時、竜画家ハル・リットナーはかの古龍の姿を見て、一言呟いた。
「─空飛ぶブロッコリーだ」
数分後、浮岳龍とハンター達が古塔を舞台に激突する。
─作戦は始まったばかりである。
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