3階層にいるはずのないミノタウロス。15階層レベルの怪物に追いかけられていたのは、僕の知り合いで、数少ない友達の一人のベル・クラネルという冒険者だった。
彼とは、アステリア様のご友神のヘスティア様の紹介で知り合った。僕らと同じLv.1の冒険者で、今のところ【ヘスティア・ファミリア】唯一の眷属なのだという。初めて顔を合わせた時は、正直面喰らった。初対面の
僕とクリスと同じLv.1の、心優しく、それでいて脆い、僕にとって大切な友達の一人。
その友達が、死に物狂いの全力疾走で僕らの前を横切り、上の階層に続く道を走っていく。その後ろを追いかける牛頭の巨体。蹄を地面にめり込ませながら、前を走る冒険者を捻り殺そうと追い立てる。
「ブランクッ!!」
「分かってます!!」
クリスの叫びと同時に、僕ら2人は駆け出した。
なぜこんな上層にミノタウロスがいるのか。
僕らが戦って勝てるのか。
そんな疑問など、考えている余裕なんてない。それを考えている間にも、僕の友達に死の危険が近づいているのだから。
僕らはさっきまでの戦闘と魔石回収で付いた血を拭うことも忘れ、あらん限りの力を足に込めて走った。しかし、前を走り抜けていった1人と1体の姿はもう見えない。ベル君の逃げ足はなかなか早く、それを追うミノタウロスも早い。聞こえる足音もどんどん遠ざかっていく。
「(急げ! もっと早く! もっと早く!)」
追いかけても追いかけても、どんどん距離を離されていく。姿が見えず、音も聞こえなくなると、不安と焦りが心の中で膨れていく。嫌な汗が全身から吹き出てくる。……友達を失いそうになると自分がここまで焦りを表すなんて思ってもいなかった。
「クッソ!! ブランク! 右の方頼む! 俺は左を探す!」
T字型に分かれている道に差し掛かり、クリスが左の通路に方向転換し、見失ったベル君を探しに長い通路を凄まじい速さで駆けていく。僕も通路の突き当たりで壁を蹴り、右の通路に方向転換して走り出した。
「(…………いない。一体どこに……)」
3階層を探し回ってもベル君を見つけることが出来ず、2階層、1階層と駆け上がって探し回ってみたけれど、やはり見つけられない。既にミノタウロスを振り切り、地上に出られたのならそれでいい。
「(……まさか、もう……)」
嫌な想像が一瞬頭をよぎるが、すぐにそれを否定する。これだけ探し回って、目立った戦闘跡が見当たらない。血痕・装備品・衣服の切れ端・通路等の破壊跡……冒険者が死ぬときに少なからずその場に残るであろう物は、今のところ見ていない。少なくとも、ミノタウロスに殺された……という線はなさそうだ。
「(……一旦ダンジョンから出てみるかな)」
一度クリスと合流し、ダンジョンを出て【ヘスティア・ファミリア】のホームに向かってみよう。クリスは今どこに……
「ヴォォォォオオォォォ」
どこからか聞こえてきた野太い雄叫び。聞き覚えの無いそれは、明らかに人が発するものではなかった。遠くから聞こえたその雄叫びは、距離こそ遠いものの、同じ階層に何かがいることを理解するには十分な判断材料だった。
「ヴォォォォオオォォォォォォ……!」
ゾクッと背中に寒気を感じた。ベル君を探して駆けまわって出たものとは違う、嫌な汗が額を流れる。気づいてしまった。
その雄叫びの主が、こっちに向かって近づいてくるのが。
「ヴォォォォオオォォォォォォオオオォォオオ!!!」
それは、ダンジョンの岩壁を突き破って現れた。固い岩壁が粉々に吹き飛ばされる光景を呆然と見ていた僕をギョロリと睨みつけた。僕の倍近くある筋骨隆々な体躯を持った、牛頭の怪物。
「……ミノタウロスッ!?」
なぜここに? ベル君を追っていたミノタウロスか? それとも別の個体が下層から上がって来たのか? 疑問は尽きないが間違いなく言えるのは、僕の目の前に、とても僕一人の手に負えないレベルの怪物が現れてしまったこと。互角に渡り合えるなど微塵も思ってはいないけれど、岩壁を破壊する勢いの突進を見せつけた怪物に、背を向けて逃げ切れるとも思えない。
「(どうにか隙を見て逃げるしかない……)」
……でも、もしここで僕が逃げたらどうなる? ここは1階層。ミノタウロスを相手に出来るような上級冒険者が運良く通りかかってくれれば良いが、もし他の下級冒険者がコイツに遭遇してしまったら? Lv.2以上の冒険者がここを通りかかるより、僕らのようなLv.1の冒険者がここを通る可能性の方が高い。
「…………やるしかないっ!!」
僕が相手しなければ、このミノタウロスは他の冒険者たちに牙を剥く。敵わない相手であることは分かっているけど、僕が相手をしなければ他の誰かが犠牲になるかもしれない。
ギリリッ。覚悟を決めて食いしばった歯の音が、僕の頭蓋に響いた。情けなく震えた手で抜刀し、目の前の怪物を視界から外さないよう身構える。
「ヴォオオオォ!!!」
ミノタウロスが雄叫びを上げ、僕に向かって猛烈な勢いで突っ込んできた。あっという間に距離を詰められ、既に眼前には拳を構えた牛頭の怪物。咄嗟に命の危機を感じ、ほとんど反射的に身体が動いた。
「っ!!??」
ブオンッ!!! 身を屈めた直後、頭上から聞こえた凄まじい風切り音。途轍もない速さでミノタウロスの拳が頭上を掠めた。咄嗟とは言え、今の攻撃をよく避けられたもんだ。情けなく冷や汗を垂らし手を震わせる僕自身を欠片でも褒めたいと思った。
しかし、今のミノタウロスの一撃を見て確信した。確信してしまった。
一撃でも喰らったら死ぬと。
「グルァァアアァ!!!」
拳を避けられたミノタウロスが、さらに雄叫びを上げ力強く一歩踏み込む。蹄を地面にめり込ませ、勢いよく僕の方に身体を反転させる。血走った眼は僕を捉え、次の一撃を喰らわせようと拳を構えている。回避が間に合わないほどにその動きは速い。
「くっ!!」
ミノタウロスの拳は既に回避が間に合わない間合いまで近づいていた。でも、直撃すれば命はない。少しでも受けるダメージを和らげるために、刀の側面を盾代わりにして構える。こんなものを防御の足しになるとは思っていないし、そもそも防ぎきれるとも思っていないが、何もせずに喰らえば確実に死ぬ。
刀の側面に拳が直撃し、その衝撃が刀身を伝わって僕の腕まで響いてきた。その衝撃は一瞬にも満たない早さで骨まで響き、全身の力を振り絞っても抑えられない。そして次の一瞬で、僕は後ろに吹っ飛ばされた。
拳を振り切ったミノタウロスがどんどん離れていく。背中に凄まじい風圧を受け、構えていた刀ごと自分が吹き飛ばされたとようやく認識し始めた瞬間、僕の身体は岩壁に叩きつけられた。
全ての臓物が一度に潰れたかと思った。
形容し難い激痛が身体中を駆け巡った。
凄まじい勢いで岩壁に叩きつけられたはずだったが、壁にぶつかった音は自分では聞き取れなかった。視界から色彩が消え、ひどくぼやけて見える。
「かっ……げふっ、ごほっ……」
肺の空気が全て押し出されて、呼吸が苦しくなった。
運がいいことに、激痛はあるが骨が折れた感触は少なく、それほど出血もない。痛みを堪えればまだ動ける。
「ヴォオオオォアアァァアァァ!!!!」
間髪入れずにミノタウロスが突っ込んできた。
痛みを堪えて立ち上がり、素早く刀の柄を握る。おそらく粉々に折れているだろうが、欠けた刀身が残っていればそれをミノタウロスの眼に突き立ててやるつもりだった。
しかし、手元を見ると握られていたのは、欠けているどころか変形もしていない、故郷から持ってきたときのままの黒い刀。……ミノタウロスのあの一撃を受け止めて全くの無傷? 材質も誰が作ったのかも分からない武器だけど、ここまで頑丈だとは思わなかった。
「(よし……まだ戦える)」
「ヴォオオオォ!!!!」
刀に視線を移している間に、ミノタウロスはもうすぐ目の前まで接近していた。
「くっ……!!」
この距離ではもう回避も防御も間に合わない。ならばと思い、苦し紛れに刀を横薙ぎに振るった。誰が見ても分かる無駄な抵抗。それでも、無抵抗に殺されるよりはマシだと思った。
その苦し紛れに振るった刀に、あり得ない現象が起きた。
刀の軌道に沿って、黒い液体が現れた。
振るった刀はミノタウロスの片目を切り裂き、黒い液体はその傷口とミノタウロスの頭にかかった。
「ブモオォォォオオォ!! ………グブゥゥオォォオォ!!??」
片目を斬られ、痛みで雄叫びを上げるが、どうも様子がおかしい。
斬られた片目だけを手で押さえていたが、少しずつ黒い液体がかかった頭全体を抱えて、苦し気な雄叫びを上げながら頭を地面に打ち付け始めた。
「ブモオォォォォ!? ブルァアァアアアァァ!!??」
ガツンッ!! ガツンッ!! ガツンッ!!
激しく地面を揺らし、自分の頭蓋を自分で叩き割る勢いで打ち付け続ける。残った目玉は血走り、ギョロギョロとあちこちに視線を向けている。目の前で呆然としている僕は既に眼中に入っていない。
「グブゥウウゥゥゥウウゥウゥウウウゥ…………」
数十回と打ち続け、血みどろになった顔を両手で押さえ、喉の奥から不気味な呻きを鳴らし始めた。せわしなく目玉を動かしながら少しずつ僕に背を向け、フラフラと覚束ない足取りで歩き始めた。
突然ダンジョンの壁を壊して僕の目の前に現れた怪物は、僕を殺し損ねたままダンジョンの奥に消えていった。
「この刀……一体……」
故郷から持ってきただけの、何の変哲もないと思っていた黒い刀。
ミノタウロスの拳を受けて破損も変形もしない頑丈さ。
手入れしてきたとは言え、刃こぼれもせず変わることのない切れ味。
そして、手入れをしているときに見つけた、刀身に薄っすらと刻まれた謎の文字。
刀身から出た黒い液体。
この刀は一体、何なのだろうか。
「……………戻ろう……」
今考えても、何も分からない。
それよりも、ベル君が無事にダンジョンを出られたのかどうかを確かめなければ。クリスももうダンジョンを出たかな。
あとがき【登場人物について】
「クリス・ウィンチェスター」
性別:男
年齢:16歳
身長:170cm
種族:ヒューマン
50名近くの冒険者が所属する【ヴォーダン・ファミリア】の眷属。「自身の身一つで強さの高みに上り詰めたい」という夢を掲げ、日々ダンジョンに潜っている。
喜怒哀楽がはっきりとした性格で、まだ若いながらも面倒見が良い。ファミリア内の後輩たちやブランクからも好感を持たれ、頼りにされている。
「自分の身一つで強くなりたい」というこだわりから、剣や槍といった武器らしい武器は使わず、《手甲》を用いて拳だけで戦う。