総十郎達を乗せたトレーラーが辿り着いた戦場は、既に敵部隊が立ち並ぶ、大規模な戦闘の予感を醸し出していた。
だが、これは飽く迄ゲーム。このイベントバトルに参加しているのはアメリカ、中国、韓国、日本。その内、東アジア三カ国の『標準時刻』がイベント中の時計に適用されているので、実はアメリカ人の参加率は予想よりも低い。24時間体制でログインできる人は早々居ないだろう、と判断された結果、各国の運営チームが会議した所、参加国が予想よりも少なかった事が大きな原因だ。
とは言え、それ以外の国のプレイヤーが参加していない訳ではなく、イギリスやイタリアのプレイヤーは、日本チームやアメリカチームのイベントサポートサイトを利用している。中には作戦参加者登録が出来ずに、アンノウン状態で戦闘に参加している者も多く、レーダー画面に表示される敵である事を意味する赤、味方である緑、護衛対象である青。
何れでもない「どの勢力にも属していない」事を示す白の表示は扱いに困る。味方かと思えば苛烈に攻撃し、かと思えば別の所では「仲間にしてくれ」と通信して来たり、非常に扱い難いので見つけ次第、問答無用で撃退するチームも多く、現場でのトラブルの原因となっている。それもあってアンノウン勢は嫌われており、それについて文句を言うので、更に現場が大変な事になる。そんな悪循環が続いているのだ。
「今日も結構荒れてるなぁ」
「ああ
「中央は相変わらずサブカル禁止令の連中が騒いでるのか」
武のうんざりした口調に合わせて、総十郎も溜息交じりに「どうにかならんもんかねぇ」と上の空。
翌朝、そんな彼らが学校の正門に着いた朝、妙に辺りが騒がしい事に気づく。耳を澄ますと「美人だ」とか「美しい」と言った声が男女関係なく聞こえる。余程の美貌の持ち主が居るに違いない、と武が人込みを強引に抜けた瞬間「うわあっ」と悲鳴が聞こえたので、総十郎も人込みに飛び込んで、何事なのかと確かめる。
「は!?」
目の前にいる少女は同級生だろうか。大人びてはいるものの同世代である事は総十郎にも分かるが、服装が可笑しい。何故か制服ではなく和服を着ており、それはもう時代劇のワンシーンから飛び出したかの様な、そんな人物であった。
「何処の国のお姫様だよ!?」
「マジでタイムスリップして来たんじゃ…」
凛とした顔つきは美しさと共に、一種の迫力がある。生で見た女の中で、他に大差をつける圧倒的存在に、まるで夢でも見ているかの様な感覚に陥った二人は、あっと言う間に腰を抜かしてしまった。尤も、肩を借りた隣の女子も同じ様子だったが、それを気にしている余裕はない。
予冷のチャイムに反応して、固まっていた生徒達が大慌てで教室に向かう。その様はサバンナに住む、草食動物の大移動の様。ドタドタと廊下を走る生徒のお陰で保健室や職員室が揺れる程だった。
「おいおい地震か?」
「多分、例のご令嬢を男子が追い掛けてるんでしょう。まあ、男として同感と言えばそうなんですが、仕事がし辛いのでねぇ。これ、授業受けられるんですかね、あいつら」
職員室で教師が揺れに困り果てているが、暫くは静まりそうにない。仕方がないので教頭先生が一言言いに行こうと、溜息交じりに廊下に出て「おい」と声を出そうとした瞬間、衝撃的な物を目にする。
「…何やってんの!?」
驚きの声を最初に上げたのは、教頭では無く総十郎だった。
「ファーストキス。それと宣言する。貴方のハート、撃ち抜きます。絶対に」
「…はあ!?」
「おい、何じゃこりゃ!?」
ご令嬢の言葉を瞬時に理解出来ない総十郎が、無理矢理声を捻り出すが、やはり素っ頓狂な声しか出ない。そして、その光景を目の前で見せ付けられた武が「有り得ない」と表情全体で叫ぶ。隣で立ち尽くしている葵に至っては、完全に硬直しており、教頭先生は絶句したまま動けない。
「それじゃあね。…あ、先生ですか」
「ふぇ!?」
「あの、転校の件、連絡が届いてないんでしょうか」
「…ふぁ、あ、えっと。…ああうん、そうか。そうだね。君が…君が……君、何シてんだよ……」
予想外のタイミングで声を掛けられた教頭先生が、変な声を漏らす。だが、徐々に思考能力が回復して来た教頭先生は、自分が見た物を理解するに連れ、頭の中が寧ろそれで一杯になる。最終的に両手で顔と頭を抱えて、苦労して「呆れ返る」程度に冷静さを取り戻す。
この時、既に会話の最中に授業を開始するチャイムが鳴ってしまったが、この後で教頭先生が総十郎達の味方をしてくれたお陰で、担当の教師に怒られずに済んだものの、その時の説明が原因で、それから数週間の間、総十郎は転校生との関係について、様々な噂をされる被害者となるのであった。
流石にキス事件の翌日には私服で学校に現れる事は無かったが、総十郎とはクラスが違った為、同学年と言えど頻繁に会話する機会がなかった。――と言うより、総十郎にその気が起きなかったと言う方が正確だ。
(俺のハートを絶対に撃ち抜く、って。…初対面で行き成り愛の告白とか、あいつは何を考えてるんだ!?それ以前にあいつ誰だよ!何でキスしたんだよ、告白だけで良いだろうが!!意味分かんないよ!」
「総十郎、途中から心の声じゃなくなってるぞ」
「しっかたねぇだろ、あんな無茶苦茶されてさあ!!!」
ドンと机を叩いて隣の席の武に抗議する総十郎の姿は、他の生徒には珍しい物だった。何時もの総十郎に対する周囲の持つ印象は、一言で表すならば「クールな男」と言った所。実際には思った事を口には出さず、脳内だけで考えているだけで、総十郎自身は「自分はクールだ」と思っている訳ではないのだが、それでも混乱している自分を冷静に見つめられていない、とは感じる部分がある。
「確か…大倉とか言ったか。えーっと、下の名前は…。駄目だ、衝撃的すぎて記憶が酷い」
「って言うかよ、総十郎さぁ…。何時からの付き合いよ」
「はあ?…ああ、まあ…俺の事を知ってるんだよな。…顔、忘れてるだけか?」
「じゃあ何か。一方的に知られてるだけってか。芸能人でもあるまいに」
「分からないよ。君らゲームのアカウント、本名でやってるんでしょ?活躍してるんなら、名前を憶えてる人が居るかも知れないよ」
ニヤニヤとゲーム通な女子、坂本が言う。眼鏡をかけて坂本が二人の机に置いたゲーム雑誌には、
「お前よ坂本。こんな物、持ってると生活担当の…あ~、忘れた。ほら、あのリーゼント先生に怒られるぞ」
「あー、あれな。指導する気あんのかよ、って言いたい頭の」
「竹刀でも木刀でもなく玩具のビームサイバー持ってるリーゼント先生ね」
武の言う『リーゼント先生』とはサングラスにリーゼント、ジャージの上から学ランを着込むと言う、非常に衝撃的な格好をする事で有名で、熱血で有名な教師である。
「リーゼント先生ねぇ。熱血なのは良いけど、うちらに熱血強要すんのはマジで無理」
「暑苦しいだけなら兎も角、暴走癖はどうにかしないとな」
「俺は総十郎のスルースキルが羨ましい」
あはは、と引き攣り気味に笑う総十郎に「良いよな」と武が羨ましがる。別にどうって事はないだろ、と総十郎が言うと「これだから出来る男はズレてるんだよ」と変な笑みを浮かべながら、武は溜息を態とらしくつく。
「しっかし、あのご令嬢様は何だってんだろうな」
「少なくとも記憶にはない顔だ。嗅いだ事の無い香水らしき香りもするが、俺達庶民には縁遠い代物だしな」
そう言って教室の時計を見る総十郎。次の授業までの時間は余裕がある。何しろ次の授業は数学、教室を移動する必要はない。机の引き出しの中に詰め込んだ教科書の山から、数学の教科書を取り出して準備するだけで事足りる。
不意に周囲を見やると、何故かクラスメイトの3割が自分と目を合わせ、それに気づいて慌てて目を反らす。
ああ、例のご令嬢様がやらかした事についてか。そう考えた総十郎は「何を考えて、あんな傍迷惑な」と思い、ふと彼女の唇の感触を思い出す。
「キス、しちゃったんだよな」
「おお、やっぱり君も興味あるんだ~」
「それは。…なあ、女の子ってああいう事、やるの?」
「ええ!?」
声を上げて驚く上、頬も何処か赤い。それを見た総十郎は「ああ、しないのな」と勝手に答えを導き出す。総十郎が周囲にクールだと思われる要因として、少ないやり取りで勝手に推測したり、結論を求める傾向にある為、大抵の問答は彼自身の中でのみ完結するからである。
「あ、鳴っちゃった。…あのね、そうやって行き成りチューする人、き、気を付けた方が良い、からね!」
「ああ、御忠告に感謝する。覚えてた方が良さそうだ」
チャイムに慌てて席に戻る坂本へ目線を秘かに投げ掛けると、やはり恥ずかしそうにしている。言葉が妙に途切れ気味だった事を考えると、行き成りのキスはやはり常識的な行動ではないらしい。初めから可笑しいだろうとは思っていたし、だからこそ予想外のキスに周りが固まっていたのだろうが、それでも都会の奴らには普通じゃないのかと言う、ある種『都会コンプレックス』の様な、妙な感情と誤解の入り混じった、変な心地が自分に可笑しな質問をさせたのだろう。
(まあ、こっちも大通りは車も人も多いし、別に東京っ子に憧れる理由は無いよな)
この街はそれなりに発展した都市だ。大通りに入ればトラックやバスが走り、立ち並ぶビルと言えば家電量販店や薬局と言った店舗を構えており、そのどれもがかなり広い。エロアイテムを地下や高層部分で取り扱っているビルは数知れない程に多い。
数十年前に発動した都市中央部大改造計画による、公共交通機関の路線は表示と構造が簡略化され、輸送量の低下は道路を拡張して、車線と車線の間に路上電車用の特別区域を設け、自転車移動を促すサイクリングロードを全面的に導入した。更に、歩道と車道の間に自転車区域が設定され、結果として街の道路は長い年月と膨大な税金投入によって、元の数倍の広さとなった。
(『東京から来たご令嬢』か)
アニメみたいだな、と次の授業が始まった中、担当の教師が配ったプリントが自分に回って来るのを確認し、自分の分を受け取って、残りを後ろへ渡す作業をしながら、ぼんやりと考えてた。
授業を受ける態度としては、減点だろう。しかし彼女の『大倉』と言う名前は何となくではあるが、何処か覚えのある、そんな気がするのだ。
大倉と言う名前自体は『大倉商業』や『大倉銀行』と言った様々な所で耳にする。大倉グループは大企業ばかりが名を連ね、その親玉である『大倉総合工業』では、新規自動車会社として電気自動車の車を世界的に伸ばしている事で有名であり、最近では
「そもそも、何で急にキスなんだよ」と呟きながら、始まる授業に集中しようとする総十郎。授業と部活の関係で、数日間会ってはいないが、記憶の内容が強烈すぎて、思わず唇を撫でる。
「おい、俺の話を聞けよ!」
「あーはいはい。ああ、徳川幕府の話ですか」
「今、保険の授業なんだぞ!?――って、あっ。まーた避ける!」
リーゼント先生が全力で投擲するのは、チョークではない。ぬいぐるみのクナイだ。鉄製のクナイと違い、当たっても痛くはないが、当たる必要もないので首だけを動かし避ける。後ろの生徒に当たるが、それを気にする総十郎ではなく、その内の一つに至っては投げ返してしまう。
「っち。初日から転校生の唇奪う辺り、調子に乗ってるみたいじゃないか」
「その理論だと乗ってるの向こうです。唇、寧ろ奪われた側なんですが。被害者なんですけど」
「ええい黙れ、小僧の癖に女を作りやがって!」
思わず「妬みか」と呆れる武に「う、煩い」と抗議してから授業を再開するリーゼント先生。その後も総十郎の頭には2割程度しか授業内容が入って来なかった。それで充分だからと言えば、それはそれで事実ではあるが、思考内容の8割が転校生の事なのは、知られない方が身の為だろう。
「りゅーぜーんくーん!」
「うわ、こいつ手作り弁当持って来たよ」
転校生の大倉の手には二つの弁当袋。まさか一人で両方食べる訳ではないだろうし、一人で食べるなら見せびらかす様な事はしないだろう。必然的に、或いは消去法的にそう考えた総十郎は、誰にも聞こえない程度に呆れた。
「龍禅、こんな美人と何時付き合いだした!?」
「あれか、中学時代の彼女とかだろ!!」
「さあ。割とマジでさあ。会う前から何故か、あんな感じっぽい」
自分の持つ記憶を思い出す限り、知らない筈の美少女が自分の為に手作り弁当を持って来た。一体自分達にはどんな付き合いがあったんだ、と過去の事に悩みながら内心渋々大倉の誘いを受ける事にした総十郎は、武の方をチラッと見て、顎を動かす。
―お前も来い―
「遠慮する」
―良いから来い―
「えぇ。お邪魔したく――うわっ、首掴むんじゃねぇ!購買、先に購買、俺の焼きそばパン!」
「大倉、寄り道するけど何処で食べよう」
「屋上が良いな」
「あー、不良の溜まり場だ、其処の芝生にしよう」
「ラジャー!」
容赦のない眼光で武に命令を下し、それでも動かない武を捕まえて、大倉と一緒に総十郎は教室を出た。…その様子を葵が恨めしそうに見つめている事に、全く気付かないまま。
書き始めたの何年前だよ…。
当時はこんな感じに持って行く筈じゃなかったのに、部隊がゲームの世界からリアルに映るだけでどうしてこうなった…。