一.邂逅
その戦いは熾烈極まりないものだった。
突如として海の底より現れた、人類に仇なすもの、深海棲艦。そしてそれに対抗しうる唯一の力を持った、鋼鉄の艤装を身にまとう少女たち——艦娘。
彼女たちの戦いはいつ果てるとも知れず、人々は長らく深海棲艦の脅威にさらされ続けた。
この状況を打破すべく、全軍を挙げての深海棲艦殲滅作戦が決行される。
大型艦娘を中核とした連合艦隊で敵主力部隊を討ち、残存兵力を支援艦隊と連携して殲滅を図る。かつてない大規模な作戦だった。
幾千幾万の砲弾が湯水のように撃ち放たれ、艦娘たちは傷つきながらも、勝利を信じてこの激しい砲火の中に身を投じていった。
ほぼ全艦娘を投入したこの作戦は、一応の成功を収め、深海棲艦を組織的な活動を行えないまでに壊滅させた。
しかし、その代償は決して小さくはなく、特に敵機動部隊による鎮守府強襲では大きな犠牲を払う結果となった。
それから一年あまり。破壊された庁舎や工廠などの設備の再建も一通り終わり、ようやく鎮守府に平穏な日々が戻りつつあった。
開かれたシャッターの外から頭だけ覗かせて、阿武隈は工廠の中をじっと見ていた。中は薄暗くて、目を凝らさないとよく見えない。
この姿勢のまま、かれこれ五分ほど経過していた。あまり足を踏み入れたことのない場所だから、どうしても気後れしてしまう。下手に機械に手を触れて壊したりしないだろうかと。
「んーっ」
目線を上下左右に動かし、必死に中を探るも、お目当てのものは見当たらない。そんなとき、
「なにうなってんのさ」
「ひっ!」
突然の背後からの声とともに、首筋になにか冷たいものが当たる感触があり、阿武隈は短い悲鳴をあげた。
ばっと振り返ってみれば、三つ編みを肩から垂らす艦娘が一人、ペットボトル片手ににやにや笑って立っていた。
「北上さん!」
こんな他愛のないイタズラを、阿武隈は今までなんどもこの北上にやられてきた。ただ、今阿武隈の目の前にいる北上は、彼女の記憶の中の姿とすこし違っている。
「なにか用? どっか壊れた?」
そう言いながら工廠の中へ入って行く北上は、セーラー服ではなく、つなぎの作業着を着ていた。
「違います。北上さんに会いにきたんです」
イタズラには慣れているとはいえ、すこし抵抗したくて阿武隈はわざと不機嫌そうに答えた。
「嬉しいこと言ってくれるねえ。そんなとこ突っ立ってないで中入りなよ」
手招きされて、しぶしぶ阿武隈は中に入った。直射日光が当たらないからか、中の空気はひんやりとしていた。
「よいしょ。それで、あたしになんの用?」
その辺に転がっていたなにかの箱に腰掛け、北上はペットボトルの封を切った。
「北上さん、今あたしたちの部隊が遂行中の作戦は知ってますか」
「……んーん」
スポーツドリンクを一口二口飲んで、北上は首を振る。
「南方の海域に深海棲艦が現れたので、その撃滅作戦を行ってます」
一年前の戦い以降、深海棲艦の数は激減していたが、全くいなくなったわけではない。週に一度くらいは目撃されるし、たまに数隻がまとまって出現することもあった。今回のケースは後者にあたる。
「へえ、それで?」
さも興味なさそうに北上はちびちびとペットボトルに口をつけている。
「敵艦隊の中に、人型の艦がいるんです」
阿武隈が答えると、北上の眉がぴくりと動いた。ペットボトルを持った右手が止まる。
たまに現れる深海棲艦はほとんどが人とは似ても似つかない異形の艦。明確に人のような顔と手足を持つ大型艦や、鬼・姫と呼ばれる上位の深海棲艦は、この一年の間ほぼ目撃されていなかった。
「こないだもそれで騒いでなかったっけ」
北上のいうとおり、二週間ほど前にも鎮守府近海に駆逐棲姫が現れていた。あの戦い以来初めて鬼クラス以上の艦が出現したということで、すこし鎮守府内がざわついたことはまだ記憶に新しい。
とは言え、駆逐艦一隻くらいではそれほど脅威でもなく、最初の報告から数日後に神通があっさり撃沈したという。
でも今回はすこし違う。
「今度のは重巡なんです。たぶん重巡棲姫……」
さすがの北上も目を丸くして阿武隈の顔を見た。
大型艦の姫クラスともなれば、その火力と装甲は並みの戦艦を軽く凌駕する。
さらに今回現れたのは、見た目は重巡棲姫とよく似ているが、以前の交戦記録と比較して火力・装甲ともに上回っているように思われた。
「すでに二回、戦ってるんですけど、全く歯が立たないんです。だから……」
「それで、あたしにどうしろって?」
北上が阿武隈の話を遮って言った。
「超強力な装備でも作って欲しいの?」
「違います!」
冗談めかして言う北上に、阿武隈は語気を強めた。
「北上さんに一緒に来て欲しいんです。一緒に、戦って欲しいんです!」
工廠内に阿武隈の声が響いた。
北上はしばらく阿武隈の顔をじっと見つめていたが、不意に顔を背けてペットボトルを一口。そして一息ついてから口を開いた。
「あたしは戦わないよ」
そう言うだろうとは阿武隈も予想していた。それでも、言わずにはいられなかった。
「どうしてです。北上さんの力が必要なんです。北上さんじゃないと……」
「別にあたしじゃなくたってさ、ほら、木曾だっているじゃん」
北上は人差し指を立てて、彼女の姉妹艦の名前を挙げる。
「木曾さんには先日来てもらいました。でも……木曾さんも北上さんを連れてきたほうがいいって……」
木曾の雷撃能力は、一撃で戦艦の装甲を貫き、撃沈するだけの威力がある。それでも重巡棲姫の分厚い装甲は破れず、わずかにダメージを与えただけだった。あげく、反撃をくらって、木曾は大破する羽目になった。
「ああ、そういえばこないだ派手にぶっ壊して帰って来てたっけ」
姉妹艦なのに大破した理由を聞いていないのか、北上は合点がいったという風にうなずいている。
「でも次やれば倒せるかもしれないし、他にも神通とか強い子はいるでしょ」
なわばり意識でもあるのか、深海棲艦は出現した場所からあまり動かない。先日の駆逐棲姫は鎮守府に向かって来ていたというが、それはかなり珍しいタイプだ。
だから、一度討ち漏らしてもまだチャンスは大いにある。北上の言うように、火力の高い艦娘を連れて、何度も戦えばいつか勝てるかもしれない。
しかし、それではダメなのだ。上位の深海棲艦が存在すると、その周辺に別の深海棲艦が出現する可能性が高くなることが経験的にわかっている。だからこそ、前の戦いでそれらの深海棲艦をことごとく殲滅したことで、深海棲艦の数は激減したのだ。
倒すのに時間がかかればかかるほど、深海棲艦の脅威は増すことになる。そして、もしかしたら別の鬼や姫を生み出してしまうかもしれない。いつまでも野放しにしておくわけにはいかなかった。
「あたしはもう十分戦ったしね」
宙を見つめながら北上は言った。
重雷装巡洋艦だった北上は、かつて鎮守府内でも一位二位を争うほどの戦果を挙げてきた。その強力な魚雷攻撃によって立ちはだかる凶悪な深海棲艦を撃破する様は、阿武隈も幾度も目にしてきた。十二分すぎるほどに北上は戦ってきた。
「だから、あたしは戦わない」
——大井さんがいないからですか。
喉元まで出かかった言葉を、阿武隈はぐっと飲み込んだ。それは言ってはいけないことのように思われたから。
きっと間違ってはいないし、北上も本当はわかっているはずだ。
でもそれを言ってしまえば、北上は怒るだろう。怒りをあらわにして、阿武隈に罵詈雑言を投げかけるだろうか。それとも、凍りつくような冷徹な瞳を投げかけてくるだろうか。
どちらの北上も、阿武隈は見たくはなかった。
北上と同じく重雷装艦だった大井は、一年前の鎮守府強襲で敵艦隊に単身突撃していき、そのまま帰ってこなかった。
大井も北上に負けず劣らず、あちこちの海域で戦果を挙げた武功艦。北上とのコンビは尊敬と賞賛を込めて、日頃北上が自称していた「スーパー北上さま」に掛けて、スーパーズならぬ「ハイパーズ」と呼ばれていた。
二人は私生活でもとても仲良しで、どこに行くにもいつも一緒。鎮守府内を手を繋いで歩いている姿がよく見られた。
それほど仲睦まじい二人だったから、大井が沈んだときの北上のショックは計り知れないものだったろう。ところが、戦いが終結したあと、ひょっとしたら後を追うのではないかと周囲がハラハラするなか、当の北上は平然としていて、泣き叫ぶことも、ふさぎ込むこともなかった。
しかし、その後、北上は突然艦種の変更を願い出た。巡洋艦から工作艦に。
それ以来、北上は海に出ていない。
「だいたい、あたしが出たら弾薬ごそっと減るからねー。大淀が許可しないでしょ」
予算が最盛期の百分の一くらいに減らされているらしく、最近の鎮守府は慢性的な資材不足に悩まされている。
現在艦隊の総指揮を執っている大淀は、いつも資材配分に苦慮しているそうだから、北上の指摘するとおり、許可されないかもしれない。
重雷装艦としては弾薬消費が軽い木曾が、ぎりぎり許されるラインだった。
「で、でもこういう事態ですし、大淀さんも——」
「それに、あたしは魚雷ぶっ放すくらいしか能がないしね。その点、阿武隈は色々できて器用だし、あたしなんかよりずっと役に立つよ。だからこそ水雷戦隊の旗艦なんて任されてるわけだし」
阿武隈の言葉に耳を貸さず、北上はすらすらと淀みなくまくし立てる。
北上は褒めてるつもりだろうけど、阿武隈は一つも嬉しくなかった。それがたとえ嘘ではなくても、この場を逃れるために出てきた言葉にいい気はしない。
それに、いつも自信に満ち満ちていた北上が、そんな風に言うのが悲しかった。
「あ、でも艤装が壊れたりしたら遠慮なくおいでよ。明石ほど手早くはないけど、ちゃんと直してあげるからさ」
振り向いた北上が、にっと笑った。
これ以上なにを言っても、聞いてはくれなそうだった。
「……なんで北上さん、工作艦なんてしてるんですか?」
このまま尻尾を巻いて帰るのもいやなので、阿武隈は前から気になっていた疑問を口にした。
北上が戦いたくないのはわかる。けれど、工作艦なんてなりたいと言ってすぐなれるようなものでもないだろう。夕張みたいにしょっちゅう工廠に出入りしているならいざ知らず。
「んー、昔取った杵柄ってやつかな」
「なんですそれ」
北上は着任したときから巡洋艦だったはずだし、彼女が特別機械工作が好きだという話も阿武隈は聞いた覚えがない。
「あたし手先だけは結構器用なんだよ。なんなら阿武隈、改装してやろうか」
そう言って北上は、掲げた右手をわきわきといやらしく動かしてみせた。
「いりません! もういいです、失礼しました!」
阿武隈は踵を返すと、肩を怒らせながら出口に向かって歩き出した。
北上はよくこうやって話をはぐらかす。人が真面目に話してても、ぬらりくらりとかわしてしまう。それが、今の阿武隈には無性に腹立たしかった。
工廠を出てすこし歩いたところで、背後から北上の声がした。
「また遊びにおいでよ」
顔だけ振り向くと、シャッターの下で彼女が手を振っていた。
阿武隈は答えず、前を向き直ってまた歩き出す。
陽の光に照らされたからだろうか、阿武隈は顔が熱くなるのを感じた。