翌日も阿武隈は工廠の入り口に立っていた。だが、この日は中を覗いて目を凝らすまでもなく、お目当ての人はすぐ見つかった。
阿武隈が中に入ると、なにか作業をしていたその人はすぐに顔を上げて笑った。
「昨日の今日で本当に来たんだ」
呆れたように北上が言う。けれど、その声はこころなしか弾んでいるように聞こえた。
「北上さんが来いって言ったんじゃないですか」
「いつでも来ていいよって意味で、なにもすぐ来いとは言ってないよ」
「じゃあ帰ります」
「来たばかりで帰らなくてもいいじゃん。あたしも休憩しようと思ってたところだしさ」
北上は持っていたスパナを工具箱にしまった。
帰ろうと背を向けていた阿武隈は、仕方なく北上に向き直った。
「今日は出撃はないの?」
「はい。今日は午前中に作戦会議があって、明日再出撃です」
午後からは非番だった。出撃に備えて英気を養えということなんだろう。阿武隈はお昼を食べたあと、自室で本を読んだり、うとうとしたりと、ゆっくり過ごしていたのだけれど、ふと散歩でもしようかと外に出た。
そして、気がついたら工廠に足が向かっていた。
「じゃちょっと付き合ってよ」
と言って、外した手袋を放り投げて、北上はすたすたと歩き出す。
「どこいくんですか?」
「いいからついて来て」
北上は振り返りもせず、手招きだけして工廠を出ていく。
律儀に従う必要もないと思うが、自分から訪ねた手前断りにくい。阿武隈は慌てて北上の背中を追いかけた。
歩いたのはほんの数分。連れてこられたのは、間宮のお店だった。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
『甘味処間宮』と染め抜かれたのれんをくぐると、奥から給糧艦の伊良湖が出て来る。北上を見てちょっと驚いてるみたいだった。
おやつ時はもう過ぎていたからか、店内に他のお客さんはいない。北上はさっさと席を決めて腰を下ろしていた。
伊良湖に軽く会釈をして、阿武隈も北上と向かい合うように座った。
「どうぞ」
すぐに伊良湖がお茶とおしぼり、それにメニュー表を持ってくる。テーブルにそれらを並べながら、ちらちらと北上の様子をうかがっていたが、本人は全く気にせずにおしぼりで手を拭いていた。
「奢ってあげるから、なんでも好きなの頼んでいいよ」
メニューを開くなり北上が告げた。
「そんな、悪いです」
北上に連れてこられはしたけれど、奢ってもらう理由はない。阿武隈は首を振る。
「あたしが奢るって言ってるんだから、阿武隈は素直に奢ってもらえばいーの」
ちょっと口を尖らせる北上。俺の酒が飲めないのか、ならぬ俺のスイーツが食えなのかとでも言いたげだった。
「ほらこのデラックスジャンボパフェとかでもいいよ」
嬉々として北上はメニューをめくる。ここで固辞して機嫌を悪くされるのも嫌なので、阿武隈は言われたとおりご馳走になることにした。
「へー、サツマイモフェアだって。スイートポテト、サツマイモモンブラン、お芋のタルト……」
北上はメニューの間に挟まっていたキャンペーンメニューを取り出して、阿武隈にも見えるようにテーブルの上に置く。けれど、
「それ、もう二週間くらいやってますよ」
すでに阿武隈も何度か食べている。クリームが乗ったサツマイモパイがお気に入りだった。
「え、そうなの? なんだ、全然知らなかった」
北上はちょっとつまらなそうに顔をしかめた。それでもまだメニューに目を落としていて、「うわ、大学芋まである」なんてブツブツつぶやいている。
「北上さん、あんまり来てないんですか?」
さっきの伊良湖の様子を見ても、北上が間宮に来るのはかなり久しぶりなのではないだろうか。
「んー、あんまりというか、全然来ないねえ」
予想通り、というよりも予想以上の答えが返って来た。
「全然って、全く来ないんですか?」
「うん。一年ぶり以上じゃないかな」
一年以上と言えばつまり、あの戦い以降一度も来ていないということ。そんな人がいきなり、しかも作業着で来れば、伊良湖が驚くのも無理はない。
「なんで……」
どうして一年も来てないのか。どうして今になって急に訪れたのか。ふたつの疑問を込めた「なんで」だった。隼鷹みたいなよほどの辛党でもなければ、月に一度くらいは来るだろう。
「だって、一人で来たって楽しくないじゃん」
北上のその答えは、阿武隈のふたつの疑問のどちらの答えとも取れるものだった。
「姉妹で来たりしないんですか?」
自分がよく姉妹と来るものだから、つい言ってしまって、阿武隈はしまったと思った。北上と大井は姉妹艦だというのに。
「来ないねえ。球磨姉と多摩姉はよく一緒に来てるみたいだけど。木曾とってのもちょっと想像できないなー」
阿武隈の心配はよそに、北上は何事もないようにしゃべっている。
ただ、今の話は裏を返せば、北上が間宮に一緒に来てしっくりくるのは、大井だけだということなのだ。
でも、それならどうして阿武隈を連れて来たのだろう。たまたまいたからなのか、それとも他に理由があるのだろうか。
「ねー、まだ決まんないの?」
北上の声で阿武隈の思考が中断する。はっとして見れば、北上はメニューをうちわみたいにパタパタと振っていた。
「え、あ、じゃあ、サツマイモパイ……じゃなくて、サツマイモプリンにします」
「む、取られた」
サツマイモパイはこの間も食べたからと、阿武隈はとりあえず目に入ったプリンにしたのだけれど、北上も目をつけていたらしい。
「じゃーあたしはサツマイモパイにしよっと」
同じものを頼んだらダメなルールなんてないのに、北上はパイに乗り換え、厨房に向かって「すみませーん」と大きな声を上げた。
伊良湖が出て来たのを確認すると、北上は、
「一口ちょうだいね」
と、いたずらっぽく笑った。