外に出ると、もう日は暮れかかっていて、あたりは薄暗かった。空気も冷えてきて肌寒い。
「いやー、久しぶりだったからつい食べ過ぎちゃった」
北上はパイを食べ終えたあと、自分の分のプリンも注文したばかりか、それから立て続けにケーキやらお団子やら次々と平らげた。
一口二口は阿武隈も味見させてもらったけれど、最後にチョコレートパフェが出て来たときは、さすがに気持ち悪くなった。
「よかったんですか、長居して」
何時間もいたわけではないが、ちょっと休憩にしては長すぎる。それに間宮に行く前、北上はなにか作業をしていたのではないか。
「いいのいいの、今日はどうせ暇だったしね。明石も一日酒保に詰めてるし」
と言いつつも、北上は工廠の方へ向かっていた。
阿武隈はついて行く必要はないのに、なんとなく別れづらくて、黙って後ろを歩いていた。
ところが、北上は工廠には行かずに、そのまま埠頭の方まで足を伸ばした。
「んー、風が気持ちいいなー」
岸壁の縁でようやく立ち止まった北上は、両手を上げて力一杯背伸びをする。
海の方はもう夜が侵食してきていて、空は濃い群青色に染まっている。振り向いて見れば、山の方にまだ茜色の空が名残惜しそうに残っていた。
「阿武隈、今日はありがとね」
海を見ていた北上が不意に言った。
「あ、いえ、あたしこそ奢ってもらっちゃって、ごちそうさまでした」
北上からお礼を言われるとは思わなかったから、なんと答えればいいかわからず、阿武隈はお礼を返した。お店を出たときにも一度お礼はしたのだけれど。
「それはもういいって」
背中を向けたまま、くすくすと北上が笑う。
「つきあってもらわなかったら、なかなか行く機会ないからさ」
北上は一人では行かないから。大井と二人で行っていたから。
いつだったか、阿武隈は今と同じような光景を目にしたことがある。北上の報告書が提出されていないから探してきてくれと、提督に頼まれた時だ。
あちこち探し回ったあげく、まさに今いるこの場所にたたずむ北上を見つけた。彼女は大井と一緒に海風に当たっていた。
時々二人顔を見合わせて言葉を交わしたり、笑いあったりしていて、そこは完全に二人の世界になっていた。北上があんなに無邪気に笑うことがあるなんて、知らなかった。
結局、そのとき阿武隈は声をかけることができなかった。
昔のことを思い出していると、次第に阿武隈の心の中に寂しさと、同時に怒りにも似た感情が湧き上がってきた。
「北上さん」
もしかしたら北上を傷つけるかもしれない。怒らせるかもしれない。けれど、言わないといけない。
「あたしは、大井さんにはなれません」
北上に聞こえるように、阿武隈はっきりと声に出した。
ほんのすこし間を置いて、北上が振り返る。目を丸くして阿武隈を見ていた。
「あたし、ずっと北上さんに憧れてました」
黄昏時の雰囲気がそうさせるのか、阿武隈は普段なら絶対言わないようなことを口走っていた。
「いつも飄々としてるのに、戦闘になると誰よりも頼りになって……あたしとは正反対で、かっこいいなって思ってました」
やる気なさげなわりには自信家で、でも自分の戦果を鼻にかけたりすることもない。そんなところも北上の魅力だった。
阿武隈は淡々としゃべり続けた。北上は初めこそ驚いていたが、次第に落ち着いてきたようで、阿武隈と真正面を向いて黙って耳を傾けていた。
「大井さんが羨ましかったです。いつも北上さんと一緒で、北上さんと同じくらい活躍してて。ちょっと嫉妬したりもしてました」
北上さんと同じ重雷装艦で、見てる方が赤面するくらい北上さんと仲良しで、阿武隈が持っていないものを持っていた大井さん。
「でも、あたしは大井さんになりたいわけじゃありませんし、大井さんの代わりにされるのも本意じゃありません。あたしはあたしとして、北上さんに憧れる一人の巡洋艦です」
言い切ってから、阿武隈は頭がすーっと冷えていくのを感じた。
一瞬、北上は真剣な面持ちを見せたが、怒らせてしまったかと心配したのもつかの間、次の瞬間には顔をほころばせる北上がいた。
「うん、そーね。そんなつもりじゃなかったんだけど、そうとられても仕方ないよね。ごめん」
と、北上は深々と頭を下げた。
「や、やめてください、そんな。北上さんを責めてるわけありませんから」
慌てて北上の両肩をつかんで引き上げる。
阿武隈は謝って欲しいわけではなくて、ただ彼女に自分の気持ちをわかって欲しかっただけなのだ。
顔を上げた北上は相変わらず笑っていたが、眉尻の下がったその笑顔はとても悲しそうに見えた。
「あたしこそごめんなさい。こんなずけずけと……」
「んー、いーよいーよ。あたし、たまに周りが見えなくなることがあるからさ、こうしてはっきり言ってもらえるのはありがたいし。こんなことくらいで阿武隈のこと嫌いになったりしない、って!」
北上はおもむろに手を伸ばしたかと思うと、言い終えると同時に阿武隈の前髪をむんずとつかんだ。
「ちょ、やめ、やめてください!」
阿武隈が払うより早く北上は手を離して、意地悪く笑った。
これまで幾度となく北上にいじられてきた前髪。鏡を見なくても直せるくらいに。久しぶりでも自然と手が動いて、ささっと前髪は整えられた。
「もうだいぶ暗くなってきたし、そろそろ帰りましょうかね」
北上は両手を頭の後ろで組んで、元来た道を戻り始めた。
空はすっかり暗くなり、星が輝き始めている。気温もますます下がってきていて、早く室内に入らないと風邪を引いてしまいそうだ。
「今日は甘いものたくさん食べられたし、阿武隈の本音も聞けたし、いい一日だったなー」
上機嫌に鼻歌交じりで、北上がそんなことを言う。
それを聞いて、阿武隈はついさっき自分が言ったことを思い出し、急に恥ずさがこみ上げきた。
「阿武隈がそんなにあたしのこと好きだったとはねー。いやー、しびれるねえ」
「ち、ちがっ……くはないけど、でも、違います! べ、べつに好きとかそんなんじゃ!」
せっかく下がった血が、再び頭に昇ってくる。きっと明るいところで見たら、阿武隈の顔は耳まで真っ赤になっていることだろう。
「あたしそんなにかっこいいかなー。まいったなー」
阿武隈の話なんて聞く耳を持たず、北上はわざとらしく大きな声で言う。
「あ、う……も、もう、北上さんなんか嫌いです!」
どれほど阿武隈が怒鳴ったところで、北上はからから笑って意に介さない。
本当に、北上のこういうところが、阿武隈は嫌いなのだ。