鎮守府に帰ってきたのは、もう日付も変わって夜明け前の頃。大破二隻、中破二隻でゆっくり航行してきたから無理もない。
北上は艦隊のメンバーではなかったが、阿武隈たちに合わせてくれた。旗艦でもないのに先頭に立って、ドラム缶を引っ張りながら。時折鼻歌が聞こえたりもした。
帰路の途中、北上は特になにも語らなかった。木曾たちは初めは複雑な表情をしていたものの、次第に敵を撃破できた喜びが勝ったのか盛り上がり始め、やんややんやと北上をもてはやしていた。
まだ鎮守府は眠っているが、じきに動き出すだろう。ひとまず宿直室で休憩して、始業時間になったら大淀に報告に行くことにした。
北上はどうするのかと阿武隈が尋ねると、
「あたしは正式に作戦に参加してないし、あとで一人で大淀に叱られに行くよ」
と言って、ごろごろとドラム缶を転がして一人工廠の方へ歩いて行った。
阿武隈は他の五人を先に行かせて、自分は北上の元に向かった。
「北上さん!」
「んー、阿武隈、どうしたの?」
振り返った北上は、一旦ドラム缶を手際よく地面に立てる。
「あの、ありがとうございました」
他にも言いたいことはあるけれど、まずはなによりお礼がしたかった。
「びっくりしたけど、本当にありがとうございました」
「いやいや、あたしは最後にちょこっと手を貸しただけだし。あそこまで頑張ったのは阿武隈たちでしょ」
「でも……」
たしかに、随伴艦が残っていたら、北上はあんなに簡単に敵に近づけなかったかもしれない。木曾と阿武隈があらかじめダメージを与えていなかったら、北上でも撃沈できなかったかもしれない。
それでも、勝利できたのはまぎれもなく北上のおかげだった。
「まあ、阿武隈が感謝してくれるなら、その気持ちはありがたく受け取るけどさ」
そう言いながら、北上はテーブルみたいにドラム缶に片肘をつく。
「そういえば、それ、なんなんですか?」
ずっと気になっていたドラム缶。二つに割れて、魚雷発射管が出てきたときは度肝を抜いた。
「これねー、昨日突貫で作ったんだ。結構良くできてるでしょ。でもさすがに二人分の装備持って行くのは無理があったね。もー重くてさー」
ただでさえ、北上の魚雷発射管は数が多い。それをもう一セット運ぶのは大変だろう。
でもそんなことより、阿武隈はその魚雷発射管のことが気にかかっていた。
「あの、この中に入ってたやつって……」
それだけで北上はなにを聞きたいか察してくれた。
「あーうん、これね。大井っちの予備の装備」
北上は愛おしそうに、腕の魚雷発射管を撫でた。
驚きはなかった。きっとそうなんだろうと阿武隈は思っていたから。
「ずっと倉庫の奥に眠ってたんだよね。あたしも昨日まで気づかなかった」
北上はこの一年、艤装保管庫には全く入っていなかったらしい。昨日の夜、自分の艤装を整備しようと取りに行ったときに見つけたという。
「正直、その瞬間まで迷ってたんだ。だって一年も海に出てないからね。不安だった。でも、これ見た途端に、なんていうか、勇気が湧いてきたんだ。大井っちと一緒に戦ってた頃を思い出してさ」
不安という言葉が北上の口から出てきたのが意外だった。
でも、言われてみれば彼女だって阿武隈と同じ艦娘で、戦わないときは一人の女の子だ。悩むこともあれば、心が落ち着かないこともあるだろう。
そして、そんな北上がいつも余裕たっぷりだったのは、誰でもない大井がそばにいたからなのだろう。
「それで、ちょっとだけ、大井っちの力を貸してもらおうと思ったわけ」
結果的にはそれが大正解だった。北上の怒涛の二連撃によって、あの深海棲艦は沈めることができたのだから。
「だからさ、あたしにお礼言うなら、大井っちにも感謝してくれると嬉しいな」
薄紫に染まっていく夜明け前の空を北上は仰ぎみる。
「はい……」
阿武隈が小さくうなずくと、北上は顔を下ろした。とても優しい微笑みが阿武隈の目に映った。
こんな表情ができるんだと、阿武隈は素直に感激するとともに、彼女にこんな表情をさせてしまう大井に、ほんのすこし嫉妬した。
「あの、北上さん、これから先どうするんですか」
ふと疑問に思って、阿武隈は尋ねた。まさか出撃はこれ一回きりで、また工作艦に戻るつもりなのだろうか。
「どうしよっかねー。まあ、大淀次第なとこもあるけど、また阿武隈たちと一緒に戦えたらいいなとは思ってるよ」
こればっかりは北上の一存では決められないから仕方ないけれど、すくなくとも北上に戦う意志があることがわかって、阿武隈は嬉しかった。
「そのときまでに鍛え直しとかないとなー。さすがに毎回ドラム缶引っ張っていくのもまずいし」
腰を左右に回したり、腕を伸ばしたりしながら北上は言う。
たしかに、出撃の度に重いドラム缶を曳航されては艦隊行動に支障がでるから遠慮願いたい。
「北上さん、今度また一緒に間宮に行きましょう」
阿武隈が言うと、ほんのちょっとだけ、北上はバツの悪そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「いいけど、そのかわりあたしが誘ったときも付き合ってね」
北上はどことなく恥ずかしそうで、なんだか可愛かった。
「もちろんです」
次行くときは、北上の一人の友人として、一緒に行ければいいと阿武隈は思う。
「そろそろ行くねー。これ片付けてこないと」
北上がぽんぽんとドラム缶を軽く叩く。すこしずつ空が白んできている。
「はい、すみません呼び止めて」
「じゃあね……よっと」
ドラム缶を寝かせて、北上は歩き出した。
「あ、次は阿武隈のおごりね」
阿武隈も艦隊のみんなのところへ行こうと、踵を返した瞬間だった。突然背後からそんな言葉が聞こえて、慌てて振り返った。
「な、なんでですか!」
「だって昨日、あ、もう一昨日か、あんなにおごってあげたでしょー」
「あんなにって、ほとんど全部北上さんが食べたやつじゃないですか!」
「そーだっけ?」
絶対覚えているくせに、白々しくそんなことをのたまう。甘いもの食べ過ぎたと言っていたのはどの口か。
今回の北上の大活躍をみれば、ご馳走したっていいのだが、また一昨日みたいにバカ食いされたらたまったものじゃない。
「まあいいじゃん。阿武隈の大好きな北上さんたっての願いなんだしさ」
わざとらしく「大好き」を強調する北上。
阿武隈はかーっと頭に血が上ってくるのを感じた。
「だ、大好きなんてひとことも言ってません!」
「えー、似たようなものじゃん」
「違います!」
一昨日も同じようなやりとりをしたばかり。こうなるなら、血迷ってあんなこと言うんじゃなかったと軽く後悔する。
「あたしにはそー聞こえたけどなあ」
「だから——」
はっと、阿武隈は息を呑んだ。日が昇り始めて明るくなってきた空に、北上の顔が照らされている。
北上はとても楽しそうに笑っていた。
——やっぱり、北上さんはずるい。
阿武隈にもこんな風に北上を笑わせられるんだと、こうして見せつけてくるのだから。