この作品はのわゆをベースとしているためどうしても暗くなるような描写が多くなります。
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2018年7月30日。
その少女、
銀の中着の上に、蜜柑を思わせる橙色が入った白の長着に身を包み、炎天下を歩き回る謡の歩調はブレない。熱を感じていないとでもいうかのように黙々と目の前にある道を進み続けている。
ピタリと。謡は道半ばで足を止めた。
「―――音が聞こえる」
謡はそう呟いて、耳を澄ませた。遠く、遠く、遠く。50㎞は超えるか、超えないかという地点からその音が聞こえているのだと判断した謡は更に耳を澄ませ、それが戦闘音であると、戦っている人間がいるのだと理解する。
(人がいるなら、助けなきゃ)
半ば死体の様であった謡の顔に生気が宿り、瞳を力強く輝かせる。戦っている人がいるとすれば、その人を救わねばと働いた思考が、同じ轍をまた踏むなと叫び、足に力を籠めさせ、時速4㎞程度と平均的な速度で歩いていた謡は大地を蹴ったその瞬間マッハを超えんとする速度で音の聞こえた方へと向かった。
数秒前とは打って変わった様子に『変身』した謡は風を裂き、大地を砕きながら高速で動く、数瞬で、瞳に最初は米粒程度の大きさでそれが映る。
不自然に白く、人間より大きく、異形の口がついた無脊椎動物のような化物。それは敵だ。人類を滅亡に追いやろうとする存在。交渉の余地など無い異形。
倒さねば。と、謡は手に力を籠め、交戦距離に入る直前に、思考は過去を想起した。
―――……
2015年7月30日、夜。
小学5年生の少女だった謡は神奈川県にある島、江島神社の辺津宮に避難していた。
昼間に友人と遊ぶために江ノ島に来た謡は、そこで大型地震に見まわれ、津波の前兆見て逃げるように広域避難場所に指定されている江島神社へと向かい、何とか発生した津波から逃れたものの、江ノ島と本土を繋ぐ橋が津波に流されていくのを眺める事しか出来なかった。
江ノ島は観光地だ。
夏の江ノ島は観光客が多く、津波で道が封鎖された今、その大量の人間が救助を待つ事になる。しかし要救助者に対して非常時用の食料はそこまで量がなく、配給はほとんどない。それでも、子供に優先的に食べさせるべきだろうと親切な人々の御蔭で謡は幸運にも配給品を得ることが出来た。
小さな両手に缶詰と紙パックのお茶をそれぞれ二つ持って、少し離れた所にいる友達へと謡は声を掛ける。
「ゆうかー。ご飯貰ってきたよー。食べよぉ?」
「ん、ありがと」
床に座り、スマホを触っている友達
(……スマホを見てるみたいだし、邪魔しちゃ悪いかな?)
謡はそう思いながら隣に座り、缶詰と紙パックを渡そうか迷う。それを見た優香に座っているブルーシートの上に置いといてと指示され、それに従い置いた後、謡は自分の分の缶詰を開けようとした。力が足りなくて開かなかった。
「ゆ、ゆうかー……。ゴメン、開けて」
「ん、わかった」
「あ、ありがとぉ……」
「気にしないで。慣れてるし、知りたい情報はもう確認できたから」
恥ずかしさで謡は顔を赤く染めて、少し俯きながら優香があっさりと開けた缶詰を受け取った。
(やっぱり身体が大きい方が力が強いんだろうなぁ……私も大きくなりたい)
それなのにと、謡は視線を下に向ける。胸の辺りに餅があった。そのまま目線を優香に移す。すらりと長い足とスレンダーな体系が美しい。
(胸なんかより身長の方が欲しいや……)
身長160㎝を超える優香と比べて謡の身長は40㎝弱程小さい。ご飯は結構食べる方だけれど栄養は偏った成長しか見せないのが悲しかった。
謡が少しだけ溜息を零して、それを聞いた優香は視線を向けると首を傾げた。
「……食べないの?」
「え、あ、うん。食べるよ。……いただきまーす! んー! おいひぃ!」
目を輝かせて、にへらと笑いながら缶詰をかき込むように食べ始める謡に、お行儀が悪いと注意しながら優香は缶詰を手に取る。
「缶詰で大袈裟すぎ」
「いやいや、これは缶詰と侮ったらビックリものだよ! ゆうかも食べたら絶対驚くって!」
「……そこまで言われると気になるわね」
手に持った缶詰の蓋を開けて、一口。内容物を口に運んだ優香はゆっくりと咀嚼して飲み込む。
「どう? どう?」
「……普通だと思うけど」
「えー!? 絶対美味しいよぉ!」
「缶詰としては中々だけど、今日、本当は食べる予定だったしらす丼と比べると、ねえ?」
「そういえばそうだった!」
はっとして、謡はショックを隠せないといった表情になる。しらす丼は江の島の名物であり、二人の好物だった。
「うぅ……また今度食べに来ようね?」
「そうね。いつになるか分からないけど来ましょう」
地震と津波で江ノ島が受けた被害は甚大だ。唯一の移動経路である橋が崩落している上に島の下部の店の多くが波に攫われるか、土砂崩れなどで潰れていった。
復旧は何時になるか分からないが、それでもいつかまた来ようと二人は約束をした。
少しして缶詰を食べ終わり、お茶を飲み干した所で、謡はそういえばと口を開く。
「さっきまでスマホを使ってたけど何してたの?」
「ああ、それは―――」
―――優香が答えようとスマホを手にした瞬間に、突如地面が揺れ始めた。
「きゃあ!?」
「っ優香!」
スマホへと手を伸ばしていた優香が突然の地震にバランスを崩し、咄嗟に謡は転ばないように優香の手を取る。揺れは酷くなり続け、立つ事さえままならない。
(この地震、今までより大きい! それに、何か怖い感じが――――!)
ゾクリと背筋が凍るような、身の毛がよだつような悪寒に優香の身体を抱きしめ、ジッと地震が収まるまで耐える。やがて揺れは収まるが、悪寒は拭えず、寧ろ増していった。
「ゆうか! だいじょう―――」
謡が言葉を言い切る前に、空から白の異形、後にバーテックスと呼ばれるそれが何体も降り注いだ。
「何……アレ?」
謡は目の前で起きた事が何なのか理解できなかった。空から突然化物が落ちてきて、暴れ始めて―――近くにいる人を手当たり次第食い殺し始めた。悲鳴を上げ、逃げようとする人を手当たり次第に殺し、辺り一面に人だったものが転がる。
グチャリと、ビチャリと粘性の音を立て、ナニかが砕かれる音が、地震が収まってからわずか10秒と経たずに起きたこの地獄絵図に、さっきの怖い感じはこれの予感だったのだろうかと現実逃避が混じった思考が頭を過った。
「―――っ謡、行くわよ!」
思考が停止しているような謡とは対照的に、優香は機敏に立ち上がり、謡を抱えて走り始めた。
数拍遅れて、現実に脳が追い付いた謡はバーテックスのいる方角へと手を伸ばしながら言葉にならない声を上げそうになる。
「ゆ、ゆうかぁ! ま、まだ人が―――「静かに!」んぐぅ!?」
(人が襲われているのに、助けなきゃなのに! なんでなの、ゆうか!)
叫ぼうとした口を優香に塞がれ、狂乱しかけた思考で何をするのかと謡は言おうと優香へと視線を向けた。そして気付く、優香が何処か一点を目指して走っている事に。様子が何処か変わっている事に。
(ゆうかの眼が、赤く光ってる?)
謡がそう認識した時には、既に優香の瞳は元の色に戻っていた。謡の混乱は続いている。だが優香の変化に対する驚きによって混乱が一周廻って変な冷静さを取り戻していた。
「ゆうか、もう……もう大丈夫、降ろして大丈夫だから、ついて行くから何処に行くのか教えて」
「……ん。走りながら言うわ、振り向かず、全力でついてきて」
謡は抱えられた姿勢で一度だけ後ろを見て、未だ続いている惨劇と血の跡に苦い表情を隠せないまま首肯して、降ろされると同時に優香に先導されるまま道とは呼べない木々の間を走り始めた。
「……地震が起きた瞬間、声が聞こえたの」
「声?」
走りながら首肯して、息を飲みながら優香は口を開く。
「聞いたことのない女性の声。その声は言ったわ。私は今、運命の岐路に立たされている。戦う力が欲しければ、生き残る力が欲しければ、此方に来いと」
「なんか、アニメみたい……!」
「ファンタジーなら二次元で結構! 三次元でなんて御免よ!」
(そうだ、アニメじゃないんだ。あの絹を引き裂くような悲鳴は、本物だった。だから助けなきゃいけなくて、でも力がないから、唯殺されるだけだからゆうかは私を連れてきたんだ)
アニメや漫画の演じているものではない本当の悲鳴。だけど助ける力がない事実に謡は唇を噛み締めながら先を行く優香を必死に追いかける。
優香は木々の隙間にあったほんの5m程しかない窪地に辿り着いた所で足を止めた。
「ハァ……ハァ……ここが、そうなの?」
謡は乱れた息を必死に整えながら、止まった優香の背中からは見えない窪地の様子を見ようと身を乗り出した。
――――その場所には明らかに周りに生えているのとは違う木が、黄金色に輝く実を付けていた。
空間に亀裂が走っているのように、ギザギザと割れている。その場所の中心に生えている木の奥には明らかに江の島とは違う見たこともない樹海が広がっていた。
「これが、あの化物たちを倒せる……力なの?」
「そうみたい。アレを食べれば、力が手に入ると、声が言っているわ」
謡には優香が言うその声が聞こえない。謡にはその声が言っていることが本当か分からない。だけど優香はその声を信じてこの場に辿り着いた。謡には、この数分間で優香が何処か遠く離れてしまった様な気がした。
(まるで、ゆうか
謎の化物の出現に導かれるように力を得ようとする優香。謡はその光景にどことなく仕組まれたかのような気持ち悪さと、優香が戦おうとしている事に不安を覚えた。
「ゆうか……」
果実へと足を進める優香に、謡は声を掛けようとして、言葉が浮かばずに口を噤んだ。
一瞬、謡へと視線を向けた優香は大丈夫と言って、果実を手に取った。
「私が変身して、貴女を護って見せる」
優香は果実を口に持っていき―――。
果実を口に含もうとした優香を横から現れたバーテックスが腹から下を食いちぎった。
「……え?」
優香の上半身が惚けたような声を出しながら地面に転がり落ちる瞬間を、謡は真っ白になった思考でただ追いかけていた。優香の地面が手に持った果実が転げ落ち、次いで優香の身体が地面に落ちて、びちゃりと血を噴き出して、バキバキと何かを噛み砕くような音が敵の口から聞こえる。
「ゆ、ゆうかぁぁぁぁァァアアアアアア嗚呼!!!」
謡は叫んだ。駆け寄ろうとした。その胸部をバーテックスの尾が貫いた。
「かふっ」
謡は尾に持ち上げられ、そのまま吹き飛ばされて木にぶつかる。力なく地面に倒れ込み、血が胸部に空いた穴からどんどん零れ溢れていく。
(痛いいたいイタイ。なんだコレ、何だこれ、なんだ、これ。熱くて、痛くて、苦しくて。私、死ぬの? やだ、死にたくないよ。ああ、でも、それよりも―――)
「ゆう、か……」
(ゆうかが、ゆうかが死んじゃう。誰か……誰か、ゆうかを……)
口からも血を零し、出来ない呼吸に喘ぎながら謡は優香の元へと寄ろうと立ち上がろうとして出来ないと悟り、ならばと必死に手を伸ばそうとする。その手に、何かが触れた。
「あ……」
それは優香が手に持っていた果実だった。謡の頭に、今にも消えてしまいそうな意識に、優香の言葉が過る。
『アレを食べれば、力が手に入る』
(これを、食べれば……力が……)
その時の謡は自分が考えているたのか、それとも無意識だったのか分からなかった。ただ、それでも一つだけ言えるのは、
(ゆうかを、助けなきゃ)
もし仮に敵を倒す力を手に入れられたとしても既に手遅れだと、間に合わないという事にすら気付けずに、愚直なまでにそう思った謡は果実を口に運び、齧り、飲み込んだ。
―――ドクンと。潰れたはずの心臓が脈打ったと謡は感じた。
―――急速に身体全身に血が巡るのを感じた。
―――身体が内側から、魂の奥底から作り返られていくのを感じた。
『―――貴女は運命を選択した』
見知らぬ誰かに、そう祝福された気がした。
「べ、ん、じ、ん!」
傷が癒えていく身体。喉の奥から、空いていた穴を通じて気管に入っていた血が逆流して噎せ返る中。謡の姿が切り替わる。
血まみれだった私服は青と橙色の交差した戦装束へと変わり、艶やかだった黒髪は透き通る様な白金に染まる。そして瞳も紅に染まった。
変化が終わった後の謡の姿は武者を思い立たせるような、出で立ちだった。
謡は起き上がる。先ほどまでは力を籠めても立つ事さえままならなかった両足で。
謡は立ち上がる。いつの間にか持った刀を片手に。
謡は切り捨てる。彼女を敵と認識して、攻撃してきたバーテックスを一太刀で。
あっさりと、感慨も何もなく一瞬で優香を喰らい、謡を突き刺したバーテックスは三枚に卸され活動を停止した。
ソレに目もくれず、謡は優香へと駆け寄った。
「ゆうか! ねえ、返事をして! しっかりしてよゆうか、ゆうかぁ!」
「………」
生気のない、比喩ではなく今にも死んでしまいそうな様子の優香は、緩慢な動作で抱きかかえてきた謡の頬に触れた。
「何、それズルい。謡が、生きてて。……ああ、ヤダ、死にたくない。よかった。死にたく……ないよ。謡は……生きて。助けて、誰か」
支離滅裂で、纏まってない言葉の中、微かに紛れた二つの言葉。お父さん、お母さん。本来言葉にならなかったその言葉を、謡の上昇した身体能力は聞き届けた。それが、優香の最後の言葉だった。頬に伸びていた腕が力なく落ちて、瞳は空虚に謡の姿を映し返す。
「……ゆうか? ねえ、ゆうか、起きてよ! 返事をしてよ!! 笑ってよ!!! 嘘だって、言っても怒らないから! だから……何か言ってよ……ゆうか……」
(わかっている。分かりたくない。ゆうかは死んだんだ。ゆうかが死んだなんて嘘だ)
謡は理解していた。だけど理解したくなくて、ひたすら優香の身体を揺すって、優香の胸ポケットから優香のスマホが零れ落ちた。
画面には緑色の光が灯り、SNSの着信が来たと画面に映る。
『ママ:優香ちゃん、化物が現れたみたいだけど大丈夫? こっちも苦しいけど頑張るから、貴女も生き残って』
それを見た瞬間、謡は心の何処かに入っていた亀裂から、砕けるような音が聞こえた気がした。目頭が熱くなって、雫が垂れて、ダメだと思っているのに嗚咽が止まらなかった。
「――――――――!」
言葉にならない叫び声が響く。慟哭して、既に事切れている優香を抱きしめて、張り裂けんばかりに泣き叫んだ。
(私の、私のせいだ! 私があの時声を掛けなければ、ゆうかを立ち止まらせてなければ、私がいなければゆうかは生きていたはずだった!)
「御免なさい! ごめんなさい! ごめんなざいぃ!」
泣いても、叫んでも、優香はもう何も返してくれない。
それ処かバーテックスをおびき寄せるだけの結果となり、謡の背後から先程まで別の場所で人を喰らっていたバーテックスがこの場に集まり始めていた。
謡の感覚は、それを感知していた。同時に江の島内で殺されそうになっている人の悲鳴も、断末魔の叫びも聞こえていた。
(そうだった、まだ、敵はいるんだ)
「……助けないと」
袖で涙を拭って、謡は呟くように言葉を発すると、ゆっくりと立ち上がった。
「助けないと、人を」
(私みたいに苦しんでいる人が、この敵に苦しめられている人が何人いるんだろう)
振り向いた謡は手に持った刀を構え、腰を落とした。
「これ以上苦しんでいる人を出さないように、私が、助けないと」
(敵を倒せば、きっと皆助かるはず)
「敵を、倒さないと」
(そうすれば、きっとゆうかも報われるはず)
死者は何も言わない。謡はそのはずだと信じて刀を強く握りしめ、バーテックスへと駆け出した。
―――……
(あれから三年、三年たっても敵の数は減ったように思えない)
謡は手に火縄銃を巨大化させたような砲筒を手に構え、バーテックスへと狙いを定めた。
(どれだけ頑張っても、助けようとしても助けられなくて)
謡が最優先で狙うバーテックスは今、まさに鞭のような武器を持って戦っている少女を後ろから喰らわんとしている奴だ。
(それでも私は人を探して助け続けると決めているから)
砲撃一発。バーテックスに着弾し、ミンチになって吹き飛ぶのを見る。
「ワッツ! 急に何!?」
鞭を持っていた少女が突然の爆風に目を丸くするのを見ながら謡はその前に立った。
「助けに来ました」
(私は人助けを続けている)
戦いの絶えない地獄、さながら戦獄ともいえるこの世界で、上総謡は戦い続けている。