501基地にはウィッチ達が暮らす宿舎がある。宿舎には厨房や食堂、医務室に手術室、そして更衣室と風呂がある。元々宿舎内は男子禁制だったが、ウィザードである優人の参加を切っ掛けに男女共用となった。優人のことを信頼してくれているのか、それとも異性に対する警戒心が薄いのか、部隊指揮官のミーナをはじめとするウィッチ達の多くは彼と同じ宿舎に住むことに対して特に難色を示したりはしていない。中には年頃の男子の私生活に興味を示す者もいる。
「えーっと……あっ、あった!」
自室に戻った優人は部屋に置かれたチェストの一番下の引き出しから風呂敷の包みを取り出す。風呂敷を解くと中から洋菓子の箱が出てきた。これは16日に原隊の上官である赤坂伊知郎扶桑海軍中将から賜った物だ。
優人はこれから、ミーティングルームにて妹の芳佳や501の仲間達とデブリーフィングを行う。デブリーフィングとは戦闘後に報告や検証を行う会議のことだ。優人と芳佳は基地へ帰投後、デブリーフィング中に飲むお茶やお茶菓子を用意しに厨房へ向かったが、お茶菓子が見当たらず。優人が自室で保管していたウィスキーボンボンなら丁度良いだろうと取りに来ていた。
元々は貰ったその日のうちに隊の皆で食べようとしていたものだが、ネウロイの出現によって存在を忘れてしまっていた。
「ん……大丈夫そうだな」
箱を開けて中身を見てみる。ハルトマンが部屋に侵入した際に盗み食いされていないか心配だったが、中のチョコレートは1つも欠かすことなく残っていた。
「さて……うっ!」
菓子を持ってミーティングルームへ行こうと立ち上がった途端、優人は立ち眩みを起こした。身体に力が入らず、左右にふらふらと揺れる。その姿は酔っ払いの千鳥足の様だったが、優人は酒など一滴も飲んでいない。
「無茶し過ぎたかな?」
優人はすぐに原因を察した。ネウロイとの戦闘中に『絶対凍結』を使用したのが原因だ。
『絶対凍結』は固有魔法の上位魔法たる覚醒魔法に分類されるもの。魔法力を冷気に変換させる『凍結』とは違い、手で触れたネウロイに負の温度化のされた魔法力を流し込む魔法で、理論上はどんな大型ネウロイも完全に凍結させることが可能である。反面デメリットも大きく、ほぼ全ての魔法力を消費し、さらに肉体や精神にも多大な負担を掛ける諸刃の剣であり、501においても原隊においても上官の許可無しでの使用は硬く禁じられている。
「ぐっ……」
疲労感が波のように押し寄せ、限界に達した優人は一言呻くと床へと倒れ込んだ。
◇ ◇ ◇
一方、同じく基地に帰投している他のウィッチ一同はデブリーフィングのためにミーティングルームへ移動していた。出撃前のブリーフィングや作戦会議等はブリーフィングルームで、日々のミーティングと作戦後のデブリーフィングはミーティングルームで行われる。
「ふぁあ……ねむ……」
シャーリーがソファーの上で大きく口を開けて欠伸をする。ソファーにもたれ掛かるようにして座り、大きく欠伸する姿は本人のおおらかな性格を表していた。隣にはルッキーニが座っていて、既に鼻ちょうちんを揺らして眠っている。
「リベリアン、少しは隠すようにしたらどうだ?」
「あ、悪い。つい……な」
バルクホルンに注意され、シャーリーはばつが悪そうに頭を掻く。
「ふぁ~……あっ!ごめんなさい!」
同じく欠伸を漏らしてしまったリーネ。すぐさま頭を下げて、謝罪する。
「呑気な方々ですこと……ふぁ」
呆れたように言いつつペリーヌも欠伸を漏らした。人目を気にせず豪快に欠伸をしたシャーリーとは違い、二人は手で口許を隠している。その動作は育ちの良さを感じさせる上品なものだった。
「まったく、緊張感の無い……」
そう言うバルクホルンも時折口を堅く閉じて欠伸を噛み殺している。
「時間が時間だし、しょうがないんじゃない?」
とハルトマン。日付が変わって8月18日、時計の針は既に丑三つ時を差している。さらにネウロイとの戦闘からくる疲労が眠気を倍増させ、一同の目蓋を重くしていた。
「私も早く寝たいよ……」
「昼間あれだけ寝てるのに、よく昼夜逆転しないナ」
エイラが呆れ目でハルトマンを見る。ハルトマンの睡眠時間はお昼寝好きのルッキーニをも遥かに上回る。それこそバルクホルンが起こさなければ丸一日を睡眠に費やすんじゃないかと思うほど。ハルトマンはそれでも足りないらしく、過去に『80時間くらい寝たい』と漏らしていたこともある。
「皆さ~ん、お茶ですよ~」
そこへ割烹着姿の芳佳がワゴンを運んでやって来た。ワゴンには人数分の湯呑みと急須が乗っている。前回ミーティングルームに集合した際はリーネの淹れた紅茶のカップがテーブルに並べられていたが、本日は芳佳が淹れた扶桑茶らしい。
「みんな、おかえりなさい」
「今日は御苦労だったな」
一足遅れてミーナと坂本も顔を出し、一同を労う。
「あれ?芳佳ちゃん、優人さんは?」
芳佳が湯呑みをテーブルに並べ始めたところでリーネが訊く。宮藤兄妹はお茶の用意のため、二人揃って厨房へ向かったのだが、優人だけが戻ってきていない。
「あれ?先に戻ってると思ったのに……」
と怪訝そうな顔をする芳佳にバルクホルンが訊ねる。
「一緒じゃなかったのか?」
「お茶菓子を取りに部屋に行ってから、そのままここに来るって言ってました……」
「……むにゃ?……お茶菓子?」
お菓子の存在を察知したルッキーニがパチン、と鼻ちょうちんが割れる音と共に目を覚ました。
「うん、貰い物のチョコレートだって……」
「チョコ!?」
チョコレートという単語で完全覚醒し、ルッキーニは弾かれたように立ち上がる。
「うん。ウィスキーポンポンって名前の――」
「それって、ウィスキーボンボンじゃありませんこと?」
天然なボケをかます芳佳にペリーヌが突っ込みを入れた。
「そう!それ!」
頷く芳佳。余談だが、ウィスキーボンボンのボンボンの由来はガリア語で「良い」を意味する形容詞「bon」を二つ重ねたものだ。
「貰い物って……誰からだ?」
と訊くシャーリー。
「えーっと……確か赤坂さんって人から」
「赤坂?まさか赤坂伊知郎中将か?」
予想外の人物が出てきて、バルクホルンが驚いたような顔をする。
「バルクホルンさん知ってるんですか?どういう人なんですか?」
「そんなことも知らないんですの?……扶桑海軍の遣欧艦隊司令長官ですわ」
バルクホルンの代わりに呆れ顔のペリーヌが答える。
「司令長官?何をする人なんですか?」
「貴方はそんなことまで……」
「簡単に言うと、欧州に派遣されている扶桑海軍で一番偉い人よ」
ペリーヌの後に続くようにしてミーナが答える。元々軍人志望でないことを差し引いても、軍の常識にはかなり疎い芳佳。この様子では自分の原隊が扶桑海軍であることを理解しているのかすら怪しい。ミーナの説明はそんな彼女にも分かりやすいようにざっくりとした物になっている。
「そして、宮藤博士の友人でもある」
坂本が付け加えた。
「お父さんの?」
「ああ、優人が博士の研究所に派遣されたのも赤坂長官の働きかけがあったからだ」
「へえ~……お父さんは偉い人と友達だったんですね」
感心する芳佳。尤も彼女の興味は軍人として赤坂よりも父の友人としての赤坂の方にあるようだ。
「そんなことよりも……優人遅くないか?」
シャーリーがミーティングルームの入口に目を向けて言う。
「確かに、部屋へ菓子を取りに行っただけにしては遅いな」
バルクホルンも同意する。
「お兄ちゃん、どうしたんだろ?ちょっと見てきますね」
芳佳は割烹着を脱ぐと、そう言い残して部屋を出た。
「ミーナ、少佐」
バルクホルンは立ち上がると二人に近寄った。
「どうしたバルクホルン?」
「先に報告しておきたいことがある」
「何かしら?」
「実は……」
バルクホルンはおもむろに口火を切った。
◇ ◇ ◇
「お兄ちゃん?」
優人の部屋に来た芳佳はドアを半分開いて中の様子を伺う。明かりが点いておらず、暗くて室内がよく見えない。
「いないの?」
芳佳は再度呼び掛けるが、返事どころか物音一つしない。部屋にはいないのかと思い、芳佳がドアを閉めようとした。その瞬間、月明かりが部屋に射し込み、床に倒れている優人を照ら出した。
「っ――!?お兄ちゃん!?」
うつ伏せに倒れている兄を見つけた芳佳は慌てて駆け寄った。
「お兄ちゃん!どうしたの?お兄ちゃん!」
優人の背中に両手を置き、ゆさゆさと揺らす。優人は「うぅ……」と唸りながら目を覚ました。
「あれ?芳佳?」
「よかったぁ……」
優人が意識を取り戻したことに安堵した芳佳は目に涙を浮かべる。優人は状況が呑み込めていないのか、室内をキョロキョロと見回した。
「俺どうしたんだ?」
「お兄ちゃん倒れてたんだよ?」
「倒れ?あっ、そっか」
「もう、びっくりしたんだから」
涙を拭いながら少しだけ怒ったように言う芳佳の頭を優人は優しく撫でた。
「今日は戦闘で張り切り過ぎたみたいでな。心配掛けてごめん」
優人が謝ると同時に部屋の照明が点灯し、室内を光で満たした。ドアの方へ目を向けるとミーナと坂本が部屋の入口に立ち、二人を見下ろしていた。
坂本の右手がスイッチに添えられている。どうやら彼女が明かりを点けたらしい。
「坂本さん、ミーナ隊長。どうしたんですか?」
「芳佳さん……私達はお兄さんと話があるから。先にミーティングルームに戻っててもらえるかしら?」
芳佳の質問には答えず、代わりにミーティングルームへ行くよう促すミーナ。
「えっ……でも」
芳佳は優人を心配そうに見つめる。優人は芳佳を安心させようと優しく微笑み、ウィスキーボンボンの箱を渡した。
「大丈夫だよ、一回寝てすっかり元気になれたから。ほら、これ持って先行きな」
「う、うん……」
芳佳は尚も心配そうだったが、箱を受け取るとミーナと坂本の間を抜けるようにして部屋から出ていった。
「優人、お前『絶対凍結』を使ったな?」
芳佳の足音が聞こえなくなったところで坂本が切り出した。二人は先程バルクホルンから報告で優人が『絶対凍結』を使ったことや魔力切れを起こして墜落しかけたこと等を知った。
「ああ、そうしないとやられていたからな」
「身体は大丈夫なの?怪我は?」
「ないよ。強い疲労感はあるけど」
そう答えて優人は自分の肩をトントンと叩いた。ミーナはホッと胸を撫で下ろすと重ねて訊いた。
「魔法力回復にどれくらいかかりそう?」
「そうだなぁ……」
優人は少し考えてから二つ目の質問に答えた。
「戦闘可能になるまで、4、5日。完全回復には一週間は必要だな」
「では、あなたには数日の飛行禁止と戦闘禁止を命じます。魔法力と体力の回復に努めて下さい」
「了解」
優人が了承すると今度は坂本が口を開いた。
「状況が状況だけに今回は不問にするが、次は必ず私かミーナに許可を――」
「わかってるよ、俺だって無闇矢鱈に力を使いたくないからな」
「それともう1つ。先の戦闘で失ったあなたのユニットやS-18対物ライフルに関する始末書、ちゃんと書いてね」
「うっ……り、了解」
始末書という単語を聞いて顔をひきつらせた優人はそう答えると、芳佳を追い掛けるようにミーティングルームへ向かった。
「ミーナ、優人も他の連中も疲れている。デブリーフィングは早朝にずらそう」
「そうね」
坂本の提案に賛成するミーナ。
「しかし、サーニャの行動を真似るネウロイと異常な再生能力を持ったネウロイか……」
坂本が顎に手を当てて考え込む。ネウロイ出現の間隔が狭まったばかりか、複数の個体が同時に姿を見せた。
ブリタニア近海で遣欧艦隊が襲撃された際も二体だったが、それらは同型で外見はもちろん、能力やコアの位置も全く同じだった。しかし、今回はそれぞれが違ったタイプ。一方はサーニャの行動を模倣することで歌声や魔導波に近い能力を手に入れ、もう一方は魔法力を上乗せした銃弾さえも受け付けないほどの再生能力を備えていた。後者は単純に強敵と形容出来るが、前者は言葉では上手く言い表せない不気味さを感じる。
「一体目のネウロイは明らかにサーニャに拘っていた。行動を真似してまで……」
「ネウロイに対する認識を改める必要があるのは確かなようね……」
「二体目の方は魔導弾も効果がなかったと聞いた。コアまで再生する可能性も否定できん」
「考えたくないわね」
やれやれ、と肩を竦めるミーナ。彼女の言葉に全員が同意したことだろう。もしコアを破壊しても倒せないネウロイが一度に多数出現するような事態になればはブリタニアは、いや人類は終わりだ。
「上の連中……このことをどこまで知っていると思う?」
坂本は窓辺に移動し、空の月を眺めながらミーナに訊いた。
「さぁ……もしかしたら、私達よりもっと多くのことをつかんでいるのかもしれないわね」
そう言ってミーナも坂本と並んで窓辺に立った。
「うかうかしてはいられないか」
二人はそう言葉を交わすと、踵を返して部屋を出た。
◇ ◇ ◇
ミーナ、坂本との会話を終えた優人はミーティングルームへ向けて歩を進めた。途中、ポケットから1枚のカードを取り出した。それはウィッチ達のアドバイスを受けて作った芳佳へバースデーカード。ブリタニア語で『HAPPY BIRTHDAY』と書かれ、その下には数本の蝋燭の立ったバースデーケーキと芳佳の使い魔の豆芝が描かれていた。
「微妙だな……」
カードの出来の悪さに溜め息を漏らす優人。人間とは不思議なもので、アイデアを思い付いたり、何か完成させた直後は「素晴らしい」「傑作だ」と自画自賛するのだが、時間が立ってから改めて見てみると駄作と卑下してしまう。
優人もこのバースデーカードを完成させた直後は「中々の出来映え」と感じていたが、冷静に見てみると幼稚園児の工作ばりの完成度に思えてしまう。やや、落ち込んだ様子で廊下を進んでいくと、入口の前でバルクホルンと鉢合わせた。彼女は膝を抱えるようにして床に座り込み、顔を伏せていた。
「バルクホルン?こんなところで、どうしたんだ?」
「グスッ……優人ぉ……」
優人の声に反応したバルクホルンは目に涙を滲ませていた。鼻の頭が真っ赤に染まり、声も鼻声になっていた。そう、バルクホルンは泣いていたのだ。それも以前優人と揉めた時はまた違った女性らしい泣き方だ。他のウィッチがバルクホルンを泣かせるようなことをするとは思えず、優人は当惑した。
「ど、どうしたんだ?」
「聞いてくれるか?」
「う、うん」
濡れた瞳で優人を上目使いに見るバルクホルン。その可愛らしい表情に不謹慎にも優人はドキッとしてしまった。
「みんな、私のことを……堅物軍人だの、石頭だの、女子力捨ててるだの言うんだ」
バルクホルンは嗚咽混じりに話始める。
「私だって、ホントはもっと緩やかに毎日を過ごしたいんだ!年頃の女の子らしくお洒落したいんだ!可愛い服だって着たいんだ!化粧だってしたいんだ!恋とか経験して見たいんだ!でもでも!私はウィッチだろ!?軍人だろ!?今は戦時中だろ!?みんなを守るために戦わなきゃならんし!それにカールスラント軍人である以上は規則や軍務に忠実であるべきだと思うんだ!だから我慢しているのに、耐えてるのに、それなのに……」
「……えっ?」
優人は目を点にした。バルクホルンの女の子らしい部分にはさほど驚いていない。それよりも彼女がこれだけの本音を一度にぶちまけたことに唖然としてしまい、内容が頭に入らない。
「確かに私の、言動や立ち振舞いは、女らしくはないかも知れないが……ううぅ!」
両手で顔を覆い、火がついたように号泣するバルクホルン。あまりにいつもと違い過ぎる彼女に優人は動揺を禁じ得ない。しかし、それでも何とかバルクホルンを励まさなければと声を掛けた。
「そ、そんなことないよ。バルクホルンは十分女の子らしいよ」
「グス……どこが?……」
「ええと、笑うととても可愛いし。厳しいようで皆のことを見守ってるし。普段からハルトマンの世話も焼いているだろ?優しいお姉さんのようだし。何より女の子らしさで悩むところがスゴく女の子らしいよ!」
「そうか……私にもは女らしいところが……」
優人の長口上が功を奏し、バルクホルンの表情が明るくなる。励ましが上手くいき、優人はホッとする。
「ありがとう優人!おかげで自信がついた!礼をしなければな」
そう言うとバルクホルンは制服の上着を脱ぎ、さらにシャツのボタンにも手を掛け始める。
「ちょ、ちょ!何やってんだ!」
「なにって……私は礼をしようと」
「何故ストリップする!?」
優人は顔を真っ赤にしながら重ねて訊く。対するバルクホルンは特に羞恥心も見せず、朝起きて顔を洗うかのような自然さでシャツを脱ぎインナー姿になる。
「お前、胸が好きなのだろう?ほら好きにしていいぞ?」
「は?」
優人は耳を疑った。ついさっきまで泣き上戸状態だったバルクホルンが一転、痴女発言をしている。両方とも普段の彼女からはとても想像できない姿だ。
「遠慮することはない!ルッキーニがシャーリーにやっているように私の胸に顔を埋めるといい!」
と自身の胸を持ち上げるバルクホルン。優人は全力で頭を振った。
「いやいやいや!そんなこと出来るわけないだろ!」
「む?何故だ?そうか!恥ずかしいんだな?ならお前を私の弟にしてやろう!」
「なんでそうなる!?」
「姉弟ということならば恥ずかしがらずに堂々と甘えられるだろう?さぁ、お姉ちゃんの胸に飛び込んで――」
「なんだその理屈は!?」
発言どころか思考回路そのものがおかしくなってしまっているバルクホルン。しかし、この程度はまだ序の口であった。
「何をしているんだ貴様らぁ!」
ミーティングルームから怒号が響く。強面で厳格な鬼教官を思わせるような怒鳴り声だった。優人はビクッと身体を振るわせながら声のした方へ視線を移す。
「えっ?ハルトマン?」
意外なことに声の主は厳格さとはまるで無縁のハルトマンだった。しかし、バルクホルンと同じくいつもと様子が違っていた。いつも授章式ぐらいでしか着用していない軍帽を被り、表情を強張らせ、鋭い目付きで優人を睨んでいる。
「デブリーフィングに遅れてきたかと思えば、逢い引き……いや、淫行か。いい身分だな」
口調も完全に別人となっているハルトマン。優人は今の彼女に教官モードの坂本を上回る厳格さを感じていた。
「あ、あの……どちら様ですか?」
恐る恐る訊く優人にハルトマンは目を剥いた。
「貴様は同僚の名前も忘れたのか!大馬鹿者がぁ!」
「ええぇ!ご、ごめんなさい!」
ハルトマンからの二度目の怒号。あまりの迫力に優人は反射的に謝ってしまう。 ハルトマンはさらに続けた。
「いいから!宮藤大尉!カールスラント軍人たるもの!一に規律、二に規律、三も規律で四、五、六、七、八、九も規律だ!」
「いや、俺は扶桑海軍じ――」
「口答えするな!」
「はっ、はいぃ!」
直立不動の姿勢となる優人。普段大人しい人間が怒ると恐いと言うが、おおらかな人間の怒りもまた凄まじい。
「あっははははは!ハルトマン中尉ってば恐~い!」
そこへ豪快な笑い声と共にサーニャが現れた。
「リトビャク中尉!貴様は私をバカにしているのか!?」
「また怒ったぁ!恐~い!でもおもしろ~い!」
「貴様!」
「サ、サーニャ!?」
三度驚愕する優人。いつも大人しく引っ込み事案なサーニャが鬱陶しいくらい明るい。そればかりか、人の神経を逆撫でするような言動をとっている。
(一体、どうなっているんだ?)
優人は混乱していた。三人とも普段とは丸っきり別人のようだ。自分が少し目を離している隙に一体何があったのか、彼女らは酒癖の悪い人間が酔っ払って豹変したようだった。
(ん?酒?……まさか!?)
優人の脳裏にある考えが浮かぶ。それを確かめるため、優人はハルトマンがサーニャに気を取られているうちにミーティングルームに駆け込んだ。
「あらあら、そんなに慌ててどうしましたの?」
ペリーヌを思わせる上品な口調で優人を迎えたのはシャーリーだった。
「シャーリー、お前もか」
と優人。バルクホルン、ハルトマン、サーニャの豹変を先に見たためか、今のシャーリーにはさほど驚いていない。
「私がどうしましたの?」
「いつもならここで『よぉ!遅かったじゃんか優人!』って言いそうだなぁ……と思ってさ」
「あら嫌ですわ、まるで私がはしたない娘のような」
口に手を当て、頬を赤らめるシャーリー。バルクホルンといい、彼女といい、普段とのギャップでやたらと優人の心を刺激する。
おしとやかなお嬢様モードのシャーリーを無視し、優人はテーブルに目を向けた。芳佳に渡したウィスキーボンボンの箱が開けられており、さらにチョコを直接覆っている小さな包みが9個ほど開けられていた。ミーティングルームに集まった面々が一人一個ずつ食べたらしい。
「やっぱりか……」
優人の睨んだ通りだった。ウィッチ達はアルコール度数の高いウィスキーを摂取したことに悪酔いして人格が豹変していたのだ。しかし、一口で別人のように変わってしまうあたり、501のウィッチ達は酒に弱いのだろうか。
優人は残りのメンバーのことが気になり、室内を見渡した。まずソファーの上で眠っているルッキーニを見つける。仔猫のように丸まって彼女は顔がやや赤いこと以外はいつも通りで、優人は拍子抜けしてしまった。
「兄藤」
誰かが優人に声を掛けてきた。エイラだ。彼女もウィスキーボンボンを食べたようで顔を赤くなっている。
「どうしたんダ?鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「い、いや何でも……」
エイラも特に変わったようには見えない。優人は安堵するが、それも束の間。すぐにエイラにも異変が現れた。
「ぐ……ウワァアアアア!!」
「エイラ!?」
突然、右手を押さえて苦しみ出すエイラ。叫び声と苦悶に歪んだ顔がただ事でないことを物語っている。
「う、腕が……焼けるように熱い……アアアアアァ!」
「しっかりしろエイラ!俺の声が聞こえるか!?」
苦しみのあまり床に倒れ込むエイラ。ネウロイとの戦闘によるものなのか、それとも何か急性の病気なのか。優人はエイラに向かって必死に呼び掛けながら、拙い医療知識を記憶の棚から引っ張り出して原因を探る。
「離れロ、兄藤」
「何言ってるんだ!すぐに手当てしないと……」
「早く!ワタシがワタシでなくなる前に!」
「……え?」
意図の掴めないエイラの発言に優人は目を点にした。エイラはさらに続ける。
「これで最期だと思うから言うゾ。エイラ・イルマタル・ユーティライネンは世を忍ぶ偽りの名、私の真名はエターナル・フォース・ブリザード……ダ」
「…………」
優人は理解した。エイラもウィスキーで酔っているということを、そしてエイラは酔うと不思議ちゃん通り越して中二病を患ってしまうということを。
「ちょっと、静かにしてくれませんか?せっかくのティータイムが台無しになっちゃうでしょ?」
「あっ、悪……い」
優人が謝りながら苦情が飛んできた方へ振り返ると、そこには脚を組んで椅子に座っているリーネがいた。
「ちょっと、何見てるんですか?そんないやらしい目を向けないでくれます?気持ち悪い」
と吐き捨てるリーネ。彼女も酔っているらしい。いつもと比べて口調がきつく、目も鋭い。しかも養豚所の豚を見るような蔑みの目で優人を見ていた。その視線と言動は見事優人の心に突き刺さり、深い傷を負わせた。
「ご、ごめん……」
「リーネさん!お茶をお持ちしましたわ!」
優人がへこんでいると、ペリーヌがカップを持って部屋に入ってきた。彼女はリーネに頼まれて、厨房まで紅茶を淹れにいったのだ。
「……ペリーヌさん」
リーネはカップの中身を見た途端、不機嫌そうな表情を険しくした。リーネに睨まれ、ペリーヌはオドオドし始める。
「な、なんでしょうか?」
「私はダージリンティーが飲みたいと言ったんですよ!これオレンジ・ペコーじゃないですか?」
「ひっ!も、申し訳ありません」
ペリーヌはすかさず頭を下げた。リーネに相当怯えているのか、身体を小刻みに振るわせている。
「ガリア貴族の令嬢は紅茶の区別もつかないんですか?ブリタニアはあなた方ガリアの人々に屋根を貸してあげてるんですよ?なのにお茶淹れも満足に出来ないんですか?」
「ふえええぇ!ごめんなさ~い!」
リーネにきつく言われ、ペリーヌは目尻に涙を浮かべる。この二人は完全に力関係が逆転していた。強気なペリーヌは気弱なパシリに、いつも優しくおっとりしているリーネはいじめっ子のようになってしまっている。
(お前ら誰だよ)
豹変したウィッチ達に向かって心の中で呟く優人。なんとかしなければとは思うものの、この件は完全に優人の手には終えない。日頃から隊を纏めているミーナと坂本に期待するしかないだろう。
「おに~ちゃん!」
「うわっ!」
突然何者かに抱き着かれた優人。相手が誰かは声と呼び方ですぐにわかった。優人はすぐさま振り返り、注意する。
「芳佳、危ないだろ。お兄ちゃん危うくぎっくり腰になるところだったぞ」
「えへへ!ごめんなさ~い!」
やはり抱き着いてきたのは芳佳だった。当然、彼女もウィスキーボンボンを食べて酔っ払っているようで顔がいつもより赤い。ご機嫌なことを除いてはいつもと変わらないように見える。
「あっ、そうだ!お兄ちゃん!」
「ん?」
「19歳のお誕生日おめでとう!」
と満面の笑みで兄の誕生日を祝福する芳佳。妹からの祝福に優人は面食らったが、すぐに笑顔と祝いの言葉を返した。
「ありがとう!芳佳こそおめでとう!」
「えへへ!」
互いに祝福し、祝福されるのが宮藤兄妹の誕生日。「おめでとう」と言い合うだけで幸せで胸が一杯になる。
「あっ!そうだ!」
優人はポケットの中からバースデーカードを取り出し、芳佳に手渡す。
「これって?」
「一応、誕生日プレゼント……なんだけど。ごめん、今年はそんな物しか用意できなくて……」
優人はばつが悪そうに頭を掻く。しかし、芳佳は気にしなかった。
「ううん!お兄ちゃんからのプレゼント、すごく嬉しいよ!私こそ何も用意できなくて……ごめん」
芳佳は申し訳なさそうに顔を伏せる。
「ブリタニアに来てから色々と忙しかったんだし、仕方ないさ」
「で、でも……あっ、そうだ!」
何かを思い付いた芳佳。大きく背伸びをすると自分の唇を優人の唇に押し付けた。つまり、軽いキスをしたのである。
「!?」
あまりの出来事に唇を押さえながら後ずさる優人。 そんな兄を見て、芳佳は悪戯っぽく笑う。
「えへへ!お兄ちゃんの唇、奪っちゃった!」
普段の芳佳から絶対こんなことはしない。彼女も周りと同じく酔いが回っているのだ。
「私からのプレゼントは私のファーストキスで~す!」
「よ、芳佳……おま――」
「ふぁ~……なんだか眠くなってきちゃった」
「えっ?」
「お休みなさ~い」
芳佳は睡魔に誘われるまま床に寝転がり、優人の説教を聞くことなく夢の世界へ旅立ってしまった。
「こんなところで寝るなよ」
優人は呆れつつも芳佳を抱き上げ、ミーティングルームから出ていった。ちなみに悪酔いしたウィッチ達の騒ぎは宮藤兄妹と入れ替わるようにミーティングルームにやって来た坂本とミーナによってなんとか鎮静化されたらしい。
◇ ◇ ◇
日が登った数時間後、一旦仮眠を取っていた宮藤兄妹は揃って目を覚ました。
「ひどい目にあった」
寝間着から制服に着替えた優人が自室から出てくる。悪酔いしたウィッチ達の姿が彼の頭から離れない。それとほぼ同時に隣の部屋から同じく制服に着替えた芳佳が出てきた。
「ふぁ……あっ、お兄ちゃんおはよう!」
優人の姿を認めた芳佳は欠伸を噛み殺し、挨拶をする。
「お、おはよう」
優人も挨拶するが、気まずさから視線は芳佳から逸らしている。一方、芳佳はキスをしたことを忘れているらしい。
「お兄ちゃんどうしたの?」
芳佳が優人の視界に入る位置に移動しながら訊ねる。
「何でもないよ」
優人はすかさず目を背けた。芳佳も負けじと優人の視線を追い掛ける。そんなやり取りを1分近く続けた後、芳佳が膨れっ面で訊いてきた。
「なんで目を合わせてくれないの?」
「…………芳佳さ、ミーティングルームのこと覚えてる?」
「えっ?……ミーティングルームの……」
芳佳は記憶を辿った。段々と数時間前のミーティングルームの出来事を思い出し、芳佳の顔は真っ赤になった。
「わ、わ、私……なんてことを」
「思い出した?」
「――っ!」
芳佳は優人の問いに答えず、脱兎の如きスピードで部屋に逃げ帰り、バタンと音を立ててドアを閉めた。ちなみに芳佳以外で自分が酔っていた時のことを覚えていたウィッチは一人もいなかった。
芳佳のファーストキスを貰った優人。○ねばいいのに←